それは、暮れゆく夕陽を射貫かんとするかの如き光だった。 薄暮の沖木島。 その中西部に位置するホテルの西側壁面が、文字通り消し飛んだ。 Mk43L/e自動要撃砲台、通称シオマネキ。 その主砲、LERC―――長距離電磁射出砲―――が一閃したのである。 崩壊する建造物の、膨大な瓦礫と粉塵を掻き分けるように、ゆっくりと。 破壊の主が、姿を現した。 グレーと青灰色の都市迷彩に包まれた、四脚八輪の巨大な蜘蛛。 シオマネキがその巨体を細かく震わせるようにしながら、大地へとその身を委ねる。 移動を開始しようと八つの車輪に動力を送ろうとした、その瞬間。 シオマネキは、その長距離センサーに反応を感知する。直上。 本来的には拠点要撃用であり、制空権の確保された状況、或いは高射砲等の対空迎撃戦力と共に 運用することを前提に設計されたシオマネキにとっては、射程範囲外からの接近である。 シオマネキの人工知能が最適解を導き出せずにいる一瞬。 しかし、その致命的な隙を、敵機は何故か看過した。不可解な挙動。 シオマネキはそれを敵機のエラーと判断し、デフセンサー―――近距離管制感覚器―――を作動させる。 得られた諸元に対し、即座に前面の13mmニ連装機銃を斉射。 敵機は背面翼を展開、機銃掃射を後方へと回避した。 シオマネキは己の弱点である機動性の無さ、特に初動の遅延をカバーすべく主脚に備えられた八輪すべてを稼動。 全主輪がしっかりと地面をグリップしたのを確認。巨体に比して複雑な回避行動、ランダムシーケンスに入る。 敵機との距離は現在40メートル弱。有効射程内と判断、機銃掃射を継続する。 同時に周囲の地形を検索。 背後には倒壊の危険がある建造物が存在し、その地盤はシオマネキの自重を支えきれないと判断。 主砲の射程を確保すべく、右前方へと遷移しつつ、途切れなく機銃掃射を行う。 敵機は脚部動力と背面翼の複合動作で極低空を飛行、機銃弾を回避する。 第二主輪が舗装路面を感知。 続いて各主輪が安定路面を確保し、機動性が格段に上昇する。 後部機銃にて敵機を牽制しつつ一気に加速。敵機との距離が600m強にまで広がる。 敵機の急速な接近がない事を確認し、前部第一から第三までの主輪をロック。 巨大な慣性により、後部主輪が右方向へと大きく振られ、スピンを開始する。 路面をはみ出し土埃を上げながら、極小の半径をもって急速な旋回を完了。 同時に後部主脚を接地、対衝撃姿勢へと移行する。 移動の為に回していた動力を、すべて主砲へと転換。 意図を察知した敵機の加速を検知するも、チャージ完了のタイミングの方が早い。 主砲発射。 センサーフードが自動展開し、一時的に外界の情報が遮断される。 ****** 「―――あっぶないわねー……」 『……あはは、カミュの羽、端っこ焦げちゃったかも……』 これ見よがしに展開された敵主砲の砲撃準備がなければ、直撃は免れ得なかったかもしれない。 機体を加速させながら、春夏が問う。 「どうするのカミュ、これじゃ迂闊に距離も取れないけど」 『う〜、でも近づいたらさっきの小さな弾が来るよ……』 「って、早速来てるけどね……っ!」 左右の手に握り締めた操縦桿を、微妙な角度で倒しながら叫ぶ春夏。 まったくの素人であるはずの春夏であったが、不思議なことに、どこをどう操作すればいいのかが 自然と理解できているのだった。 それはカミュの力だよ、とは黒い機体の弁であるが、 「……っ! なら、操縦なんて、する必要、ないようにしてくれれば、いいの、にっ……!」 右に左に、身体ごと操縦桿を捻る春夏。 『それは……わっ! ……それは、さっきも説明したじゃない、おば様っ』 「―――春夏さん、でしょっ! 何度も、聞いたわよっ……けどねっ!」 機体の右翼すれすれを、機銃の弾幕が掠める。 地面に強く右脚をつくようにして、同時に左翼を展開。下向きの風を起こす。 風圧で機体が傾く勢いを利用してのベリーロール。 周囲の木々をなぎ倒しながら、カミュの腹部が銃弾の列を跨ぎ越した。 『きゃ! ……春夏さん、乙女の身体はもうちょっと丁寧に扱ってよ〜』 「無茶言わないの! こっちだって必死なんだから!」 カミュの説明によれば、大雑把な動きであればカミュ自身の自動操縦で賄えるという。 しかし本来カミュの知性体は操縦者の意識に呼応した機体各部の挙動制御と兵装のコントロールに充てられる為、 戦闘機動などという複雑かつ微妙な判断を要する動きはできない、というのだった。 「ったく、便利なんだか不便なんだか……!」 『そう言わないでよ〜』 彼我の距離感を測りながら口をとがらせる春夏。 近づき過ぎれば弾幕に狙われ、かといって遠ざかれば主砲の餌食だった。 結果として春夏は灰色の機体の周囲を極低空で旋回しながら、敵の有効射角を確認している。 全方位モニターの視界を、右から左へと夕陽が横切った。 東の空は既に暗くなり始めている。 赤と黒のコントラストが、コクピットの中をぐるぐると回っていた。 「カミュ、あなたにも何かないの? ああいう武器みたいなの。ビームとか」 『それが……』 「……ん? 言ってみなさい」 避けている内にコツが掴めてきたのか、若干余裕のある表情で春夏が訊ねる。 が、その表情も一瞬で崩れ去った。 『カミュ、寝起きだからよく覚えてないの……ごめんなさいっ』 「……ああ、そう……」 要するに徒手空拳と同じってわけだ、と内心で頭を抱える春夏。 目の前、といっても数百メートル先の灰色蜘蛛は弾切れを起こす気配すらなく、景気よく弾幕を張り続けていた。 くるくると回る、センサーらしき光とマズルフラッシュ。 「待ってても埒があかない、か……」 『どうするの、おば……春夏さん?』 「ほんとはそういうの、私が訊きたいんだけどね……」 『うぅ……ごめんなさい』 「ま、いいわ。助け合いで行きましょ、カミュ?」 『うん! ……それで、どうするの?』 「とりあえずは……」 薙ぎ倒された木々の間に垣間見える、灰色の巨体。 春夏は迷いなく操縦桿を捻り込む。フルスロットル。 『わ!?』 「―――突っ込むわよ!」 『え……えー!?』 カミュの背面翼が、勢いよく羽ばたく。 その背後に発生する膨大な風圧が、暮れなずむ夕陽に照らされる森を揺らした。 即座に機銃の応射。弾幕が展開される。 その弾の嵐に対して左右の翼を打ち振り、或いは腕を伸ばして巧みに慣性を操りながら、カミュは飛ぶ。 彼我の距離が見る見る縮まっていくのを感じながら、春夏が口を開く。 「飛び道具が無いんだったら、とにかく近づかなきゃ始まらないわ!」 『で、でも……』 相対距離が100メートルを切る。 ばら撒かれる機銃弾は、文字通り弾の幕となって行く手を遮ろうとする。 のたうつ大蛇のように敵を絡めとらんとするその掃射を、ギリギリの間隔で駆け抜けるカミュと春夏。 『近づいてから、どうするの!?』 「勿論―――こうするの、よっ!!」 黒い矢と化したカミュの、細く優美な腕が引かれる。 目の前には、灰色の壁。 「いっけええええ!」 カミュの右拳が、灰色の機体の左側面装甲を直撃する。 衝撃と、悲鳴が同時に響いた。 『い……ったあああああいぃ!!』 「……やったの!?」 慌ててモニター越しに状況を確認しようとする春夏。 どのような仕組みによるものか、膨大な慣性はコクピット内にほとんど影響を与えていないようだった。 見れば、カミュの拳は相手の装甲板を貫いており、そして、それだけだった。 「……え?」 目の端に、きらりと光るものが映る。 くるくると回る赤い光は、完全に静止したカミュを捉えていた。 「……やば、離れるわよ、カミュ!」 『え、ちょっと、これ抜けなくて……きゃあっ!?』 ほんの一瞬前までカミュがいた位置を、機銃弾の掃射が駆け抜ける。 間一髪、カミュは翼を打ち振るってバックステップ。 横っ飛びに斉射をかわし、そのまま加速する。詰めた距離が、瞬く間に開いていく。 「ふりだしに戻る、か……!」 『……おば様、乱暴……』 カミュの涙声が、春夏に伝わってくる。 先刻の旋回半径まで押し戻されたことに舌打ちしながら、春夏はカミュに謝罪する。 「……キックの方がよかった?」 『そういうことじゃないよっ!』 「あはは、……ごめんなさい」 『もう、手がしびれちゃったよ……』 距離が開いた分、余裕のある回避機動を取りながら春夏がカミュの右腕を確認する。 「……でも、傷ひとつないみたいね。うん、子供は丈夫が一番!」 『……おば様、反省してないでしょ』 「え? ……あはは」 『もうっ! カミュはあんなの叩くようにはできてないんだから!』 「そうなの?」 いまだ森の緑が濃く残る一帯の木々を遮蔽物にしながら、微妙に相対距離を調整し続ける春夏。 『そうなの! ……あ』 「どうしたの、カミュ?」 何かに気づいたような声音に、春夏が周辺を見渡す。 だが、海岸線の向こうに没しようとしている夕陽と、それを背にした灰色の敵、そして森の木々。 見えたのはそれだけだった。 「っと、私には分からないけど……何かいるの、カミュ?」 『そうじゃなくて……今、ちょっとだけ思い出したかも!』 「え? 思い出した、って……必殺技とか」 『うん!』 「ほ、ほんとに!? ……言ってみただけなんだけど」 『これなら……うん、おば様』 何かに頷いたかのようなカミュの声。 『……おば様、あの子の足元、もう一度近づける?』 「え……うん、やってみるわ。さっきみたいに、でいいのね?」 『お願い!』 「警戒はしてるだろうから、さっきより難しいかもしれないけど……」 『おば様を信じてる!』 「……はいはい、成功したらちゃんと春夏さんって呼んでよね、カミュ?」 苦笑気味に言って、春夏は機体を大きく左に旋回させながらスロットルを絞るタイミングを計る。 灰色の機体を中心に、円を描くような機動。 カミュの黒い姿が、丁度灰色の機体の西側に位置した、その瞬間。 「……ここっ!」 春夏が短く叫び、カミュが敵機へ向かって急激に加速する。 夕陽を背に突撃するカミュの姿を、しかし灰色の機体は正確に捕捉し、迎撃しようと弾幕を展開する。 「芸がないのね……こっちは、新ネタ見せちゃうんだからっ! ……見せられるのよね、カミュ?」 『お任せっ!』 やり取りの間も、ミリ単位の軌道修正を入れる春夏。 まるで機体が手足の延長線上であるかのような感覚が、春夏を包んでいた。 この速度域なら、翼をこの角度で振るえば機体はこう動く……そんな、あるはずのない知識と経験が 春夏に流れ込んでくるような、奇妙な感覚。考えるよりも先に、手足が動いている。 計器を追う眼もまた、その数字の意味を正確に理解し機体の動作へと反映させていた。 縦横無尽に飛ぶカミュを、機銃掃射が追いきれない。 機銃弾から必死に逃げていた筈のカミュは、いまやその死を運ぶ弾の列を自在に引き寄せ、誘導し、かわしていた。 いつの間にか、攻守は逆転していた。 狙うのは、先程と同様、左側面。 見上げるような灰色の脚の下で、巨躯の向きを変えようと車輪が悲鳴を上げている。 その旋回よりも更に速く、捉えた敵は決して逃がさないとでもいうかのように。 カミュの細いシルエットが、灰色の機体の側面にぴったりと寄り添いながら飛んでいた。 「カミュ! これでいいの!?」 『うん! ありがとう、おば……春夏さん!』 「上出来! ……あとは、カミュの番よ!」 『わかってる!』 元気よく返事を寄越したカミュの声が、次の瞬間、低く重い呟きへと変わる。 『……〜……〜〜……』 理解できそうにもないその響きを聞き取ろうとするのを止め、春夏は機体の制動に集中する。 幾度めかの斉射を紙一重で回避した、その時。 『……いくよ! ―――テヌ・トゥスカイ!』 カミュの声が、力強く響いた。 瞬間、その機体の両腕から、眩い光が迸った。 光はすぐ前に聳える灰色の機体を無視するように、一直線に眼下の大地へと走る。 「……何!? どうなって……」 『大丈夫! 見てて、春夏さん』 春夏が戸惑ったような声を上げるが、すぐにカミュの声がそれを遮った。 言葉通り、地面を見下ろす春夏。その間にも、手は機体の操縦を続けている。 「……え?」 すぐに、それは起こった。 灰色の機体が、突然、大きく傾いだのである。 「……! 地面が……!?」 バランスを崩す灰色の機体に巻き込まれないようにカミュを加速させながら、春夏が驚愕の声を上げる。 大地が、裂けていた。 大きく走った亀裂に、灰色の機体の、その巨大な脚の一つが呑み込まれていた。 残る三本の脚に付いた六輪を必死に回転させているが、一度失われたグリップは戻らない。 亀裂に呑まれたのとは対角にある脚が大きく浮き上がっていくその先で、タイヤが空転している。 横転こそ避けていたものの、今や灰色の機体の動きは完全に封じられていた。 「これが……あなたの力なの、カミュ!?」 『すごいでしょ! 術法っていうんだよ!』 「何て言ったらいいか……。ま、まぁとにかくすごいわ、カミュ!」 『えへへ!』 嬉しそうな声を聞きながら、春夏は斜めに傾いだ灰色の機体の、主砲と機銃の射角を避けるべく機体を移動させていく。 が、その途中。 「……あれ?」 『ど、どうしたの、春夏さん?』 どこか気の抜けたような春夏の声に、戸惑ったように問いかけるカミュ。 しばらく間を置いて、春夏が返答する。 「もしかして、なんだけど……」 『え? ……もしかして、何?』 「……もしかしてこの子……、自分の真上には撃てないんじゃ……」 『へ?』 間の抜けた声。 春夏はカミュの黒いシルエットを、灰色の機体のすぐ側の空中に、静止させていた。 にもかかわらず、お得意の機銃掃射は来ない。 カミュが占位しているのは、巨大な蜘蛛の如き威容を誇る灰色の機体の、胴体にあたる部分の直上。 灰色の機体の機体前後に配置された球形銃座は沈黙している。 主砲の仰角も90度には届かないようだった。 それを確認して、春夏が大きな溜息をつく。 「はぁ……だったら最初から高く飛んでれば、こんなに苦労しなくて済んだんじゃない……」 『そ、そうかも……』 無論、機動性が生きている状態であれば灰色の機体の動きに合わせて飛び続ける必要はあるが、 それにしても要求される手間とリスクは大幅に軽減されていたはずだった。 『……ご、ごめんなさ〜い! で、でも森を盾にしながら戦ったほうがいいって言ったの、春夏さんだよ!?』 「……」 カミュの指摘に、春夏が一瞬黙り込む。 「……ま、そのことは後にしましょう」 『誤魔化した……』 「いいの! 今はこっちが先!」 言って、灰色の機体を指し示す春夏。 指の先には、完全に亀裂へと嵌まり動けずにいる体を、無理矢理に揺すり続ける巨躯があった。 その車輪はいまだ空しく回転を続けていたが、対角に位置する四輪のみでは自重をすら支えきれないようだった。 機体を亀裂から脱出させるどころか、接地している二本の脚は一見して判るほどに歪み、火花さえ飛び始めている。 がりがりと地面を削る音と、巨大な質量の金属板が軋む音が、夕暮れの森に響いていた。 それはどこか、断末魔の悲鳴を思わせるような音色。 一瞬だけ眉根を寄せた春夏だったが、すぐに首を振って口を開いた。 「……カミュ」 その声に、揺らぎはない。 「終わりにしましょう」 『……うん』 「どうにか、できる?」 『……ん、もうひとつ、思い出した術法、あるから……』 「そう」 『……』 「お願い、できる?」 『……うん、春夏さん』 カミュの低い声が、コクピットの中に響く。 その間、春夏はずっと、灰色の機体を見つめていた。 各部でシャフトが捩れ曲がり、明らかにその役目を終えようとしている二本の脚が、それでもどうにか 姿勢を維持しようとでもいうのだろうか、盛大に火花を散らしながら機構の制動を繰り返していた。 巨象が死の苦しみから逃れるように、既に折れた脚を必死にばたつかせている。 そんな風に、春夏の目には見えていた。 『……ヒム・トゥスカイ』 カミュの詠唱が、静かに終わる。 その手に、見るも鮮やかな真紅の炎が燃え上がった。 ゆっくりと振り上げられた手が、音もなく下ろされる。 炎は真っ直ぐに、過たず灰色の機体の胴体を、貫いた。 すぐに内部で誘爆が起こり、炎が膨れ上がっていく。 炎上するそれに背を向けるように、カミュの黒いシルエットは静かに加速を開始する。 ある程度の距離と高度を確保して振り返った、その正面で。 燃え上がる灰色の機体から、一筋の閃光が奔った。 『あ……』 チャージもままならないまま、夜の迫りつつある暗い空へと放たれた、最後の主砲。 それは、暮れゆく夕陽へと、必死に手を伸ばすような、光だった。 直後。 灰色の機体が、爆発した。 僅かに残っていた周囲の木々を吹き飛ばして、装甲が、フレームが、金属片が舞い飛んでいった。 やがて、爆発の残響が消え、青白い閃光を振り払うように、水平線の向こうへと陽が沈んでいく。 朱い夕陽の、最後の残滓が消えてなくなるのを、春夏はじっと見届けていた。 『春夏さん……あのね』 「ええ」 『あの子……ずっと、ずっと叫んでたの』 春夏の耳に届く声は、静かだった。 『こわい、こわい、って……ずっと』 「……そう」 『でも、カミュの声、届かなくて……、だから……』 その声が、次第にしゃくりあげるようなそれへと変わっていく。 「……頑張ったわね、カミュ」 あとは、静かな嗚咽だけがコクピットに響いていた。 【時間:1日目19時】 【場所:E−4】 柚原春夏 アヴ・カミュ 【所持品:おたま】 【状態:健康】 Mk43L/e自動要撃砲台 【状態:大破全損】 - BACK