愛佳が目を醒まして最初に目にしたのはおだやかな笑顔を浮かべた千鶴の姿だった。 千鶴のつややかな長い髪が朝日を浴びて、きらきらと輝いている。 「あら、おはよう」 「あ、おはようございます……」 まだ寝ぼけているのか、愛佳は目をこすりながら答えた。 「随分ぐっすり寝てたわね。よっぽど疲れてたのね、放送が鳴っても起きないなんて」 「あ、ごごめんなさいっっ!私ばっかり眠っちゃってっ」 愛佳は手足をじたばたさせなら慌てていた。その様はまるで小動物のようである。 その様子を見た千鶴は目を細め、くすっと笑った。 「私はもう疲れが取れたし大丈夫よ。それより放送の内容を聞かなくていいのかしら?」 それは千鶴の言う通りだった。今は左も右も分からぬ状態である。 少しでも多くの情報が必要な事は愛佳にも理解出来た。 愛佳がこくりと頷くのを確認してから、千鶴は放送の内容を語りだした。 千鶴は愛佳に、貴明や美佐枝や郁乃の名前は放送には無かった事、既に40人以上の人間が死んでいる事。 優勝者の願いは何でも一つ叶えると主催者が言っていた事などを簡潔に纏めて話した。 「そうですか……もうそんなに人が……」 愛佳は貴明達の無事を素直に喜ぶ気にはなれなかった。もうこの島の3分の1以上の人間の命が永久に失われてしまったのだ。 そしてその中に愛佳が守れなかった芹香も含まれている。 愛佳は志半ばで命を落とした者達の事を想い、目を閉じて冥福を祈った。 一方千鶴は考え事をしていた。放送の中に家族の名前は無かった。 その事は当然ながら千鶴にとって大変喜ばしい事だった。だが良い事ばかりだった訳ではない。 鬼に支配されている男―――柳川裕也の名前もまた、放送で呼ばれた中には無かったのだ。 あの冷酷な男なら迷わずゲームに乗る筈。 もし柳川と戦闘になれば初音や梓はおろか、耕一ですら勝てないのではないか。 妹達や耕一では非情さが足りなさ過ぎるのだ。そしてあの柳川がそう簡単に死ぬとはとても思えない。 いつかは自分の手で仕留めなければならないだろう……例え刺し違えようとも。 その時に銃も無いのでは勝負にならない。一刻も早く強力な武器を手に入れる必要がある。 次に『優勝者への褒美』について考える。 これが参加者をやる気にさせる為の餌で、恐らくは嘘だと思う。 だが今自分は未知の力によって鬼の力が制限されている。主催者が常識では考えられない何かを持っているのもまた事実だった。 もしあの話が本当だったなら?優勝すれば、何でも願いが叶えられるなら? 優勝すれば、褒美によって家族を全員生き返らせて貰えるのではないか―――既に死んでしまった楓すらも。 そんな考えが頭を過ぎる。それは千鶴にとって非常に強力な誘惑だ。 だが優勝するという事は自分以外の者が全て死亡する、つまり耕一も妹達も一度は死ぬという事だった。 そんな事になったらとても耐えられそうにない。千鶴は自分の中に巣食った邪念を何とか振り払った。 「あの〜、大丈夫ですか……?」 気付くと愛佳が心配そうに千鶴の顔を覗き込んでいた。 どうやら考え事に熱中し過ぎるあまり、厳しい顔をしてしまっていたようだった。 「ええ、大丈夫よ。ありがとう」 表情を緩めそう答える。それで愛佳もほっとしたような表情になった。 「これから千鶴さんはどうするんですか?もしよければ一緒に……」 「ごめんなさい。私にはやらないといけない事があるから一緒には行けないわ」 愛佳の言葉を遮り即座に否定する。愛佳が表情を曇らせたが、こればかりはどうしようもなかった。 「愛佳ちゃんはどうするの?」 「……美佐枝さんを探してとにかく謝ろうと思っています」 問い返すと愛佳はすぐに表情を戻し、はっきりとそう告げていた。 その瞳には昨日とは明らかに違う、決意の色が宿っている。 「そう……頑張ってね」 そっと愛佳の髪に手を伸ばす。 「え……あの、え?」 千鶴は愛佳の髪を撫でていた。 まるで妹の髪を撫でるように、優しく撫でていた。 愛佳は最初赤面しながら困惑していたが、やがて素直に身を任せるようになった。 しかしそれはすぐに終わりを迎える事となる。 「―――!」 千鶴は咄嗟に愛佳の口を塞ぎ、身構えた。 茂みの向こうの方から足音が二つ、聞こえてくる。 気付かれないように茂みに身を潜めつつ、息を殺して様子を窺う。 茂みの向こうにいたのは二人の女性だった。 一人は手にマシンガンを携えた若い女性、もう一人は―――昨日千鶴が襲撃した少女だった。 「美佐枝さんっ!」 愛佳が叫び、茂みから飛び出した。 「愛佳ちゃん!」 美佐枝もそれに気付き安堵したような表情を浮かべた。 愛佳はとにかく無事に再会出来た喜びを分かち合おうと、美佐枝に歩み寄る。 だがその時である。 突然茂みの中から千鶴が飛び出し、愛佳の横を走り抜けた。 「――――ッ!?」 詩子も美佐枝も愛佳に気を取られており、反応が大きく遅れていた。 それは千鶴にとって十分過ぎる程の隙であり、千鶴はあっという間に美佐枝達に肉薄していた。 かつて自分を襲撃した女に気付いた詩子が銃を構えようとしたが、それより早く詩子の鳩尾に拳がめり込む。 強烈な衝撃を受け、詩子の身体は力なくその場に崩れ落ちた。 「な、アンタ一体何を―――」 詩子と違い、千鶴がマーダーである事を知らない美佐枝はまだ状況が飲み込めていない。 美佐枝が非難の声を浴びせるより早く彼女の首に手刀が打ちこまれ、美佐枝もまた倒れた。 「……え?」 愛佳は呆然としていた。目の前で起きた出来事がよく分からなかった。 折角美佐枝と再会出来たというのに、千鶴があっという間に美佐江達を打ち倒してしまった。 自分に対してはあんなに優しくしていてくれた人が何故?訳が分からない。 千鶴は地面に落ちた美佐枝のマシンガンを拾い彼女の鞄からそのマガジンを抜き取り、そしてくるりと愛佳の方へ振り返った。 「―――これが、私のすべき事よ」 「千鶴……さん……?」 その時愛佳の目に映ったのは、先程までの優しい女性とはまるで別人―――鋭い眼光を放つ、狩猟者としての千鶴の姿だった。 力を制限されている為本来のそれとは比べ物にならないが、それでも千鶴は素人目にも尋常でないと分かる程の殺気を纏っている。 愛佳の頬を冷や汗が伝う。愛佳は何とか恐怖を堪え、口を開いた。 「ど、どういう……事ですか?」 「私はゲームに乗ったのよ。私の家族を生きて帰す為にね」 淡々と告げる。千鶴の声のトーンは低く重く、その声だけでも十分恐怖の対象となりうるものだった。 「そんな……」 「愛佳ちゃん……お願いだからもう私の前には現れないで頂戴。もし貴女とまた会う事があったら私は……」 そこで千鶴は一旦声を止め、軽く息を吸い込んだ。千鶴から放たれる威圧感が一層増した気がした。 「―――貴女も殺さないといけない」 千鶴はとても冷たい声で、言い切った。その迫力に気圧され愛佳は固まっていた。 今止めなければこの人はきっともう止まれない。 ―――きっと取り返しのつかない事になってしまう。 そう思ってはいたが、蛇に睨まれた蛙のように声が出せなかった。 千鶴はもう愛佳に構う事なくウォプタルを繋げてあった場所へと歩き出した。 その場に残されたのは気絶した美佐枝達と呆然と立ち尽くす愛佳だけだった。 【場所:D-04】 【時間:二日目午前06:40】 相楽美佐枝 【持ち物:食料いくつか、火炎放射器、支給品(美佐枝、芹香)】 【状態:気絶】 柚木詩子 【持ち物:ニューナンブM60(5発装填)、予備弾丸2セット(10発)、鉈、包丁、支給品(詩子、愛佳)】 【状態:気絶】 小牧愛佳 【持ち物:なし】 【状態:呆然】 柏木千鶴 【持ち物:日本刀・支給品一式(食料を半分消費)、ウージー(残弾25)、予備マガジン×4】 【状態:左肩に浅い切り傷(応急手当済み)、マーダー】 ウォプタル 【状態:千鶴が乗っている】 - BACK