月下の錯綜模様 〜追走〜




「さ、どないするんや? 敬介はうちの味方やで。自分がここで手をこまねいている内に娘さんはえらい目におうてるんやろうなぁ……」
「……ちっ」

 お互いの拳銃で牽制して、迂闊に動けぬよう地へと縫い付けられる古河秋生(093)と神尾晴子(024)。
 一見対等な構図に見えるが、実のところ一方に偏られているのだ。
 余裕の笑みで拳銃を構える晴子と、右肩に傷を負った秋生ではどちらが有利か言わずとも知れている。
 さらには、橘敬介(064)が危険人物かもしれないと分かった今、敬介と共に行かせた秋生の娘である古河渚(095)の安否も怪しいものだ。
 そして、拳銃の残弾数。残り一発という状況を晴子に悟られてしまえば、秋生の圧倒的不利は容易に覆すことが出来なくなる。

(―――マジぃな……。銃弾一発に薙刀でどうにかしなきゃなんねぇってことか)

 渚達の元へ行くには、どうしたって晴子を無力化しなければならない。
 立ち塞がるような彼女の肩口の先を、秋生は焦燥に顔を歪めて眺め見る。
 敬介の善良そうな顔立ちを思い出すだけで、自身の迂闊さを呪いたくなってくるというものだ。
 晴子と橘の確執に飛び込んだことは明らかに余計な横槍だったと、そう思わずに入られなかった。

(ま、渚の手前。しゃあねぇか……)

 自分一人ならば恐らく見捨てた可能性もある。
 いや、妻であった古河早苗(094)を失った今、殺人者に復讐する権利だってあった。 
 だが、彼にはまだ娘の渚がいた。
 身体が弱いくせに根は何処までも素直で強い、母親譲りの自慢の娘だ。
 殺伐とした環境でも決してめげず、早苗を殺した者にまで諭す度胸のある娘だ。
 そんな渚が懇願して秋生に助力を申し出たのだ。普段我侭を極力言わない彼女の言い分を聞いてやらなくて何が父親か。
 言ってしまえば、娘の手前格好が付けたかったという話だ。
 調子の良い自分に、つい状況を忘れて苦笑してしまった。
 晴子は、それを面白くなさそうに怪訝な表情で見詰める。

「……何がおもろいんや? なめとんのか」
「ん? いやなに、娘のことを思うとな……」
「余裕やんけ。その娘が敬介と一緒におるいうのにな。みたやろあの顔? あんな無害な顔しとって平然と嘘つける男やで?
 えげつない男やないか。役立たずかと思うたが、存外に利用価値があるってモンやな」
「―――ふん。役立たずとか利用価値とかよ、テメェそれでも子の親か?」
「あ? 何が言いたいんや」

 秋生の言葉に晴子は目を細めた。
 
「主催者に言い様に躍らされて娘を守るだぁ? はっ、テメェが殺してきた奴等の関係者に娘が殺されても文句は言えねぇぜ?
 被害を抑えて共に脱出しようとする心意気ぐらい見せやがれってんだ」
「やかましいっ。われも参加者全員殺して娘を生かそうって心意気ぐらいみせんかい。死んでからじゃ遅いんや。思う壺も関係あらへん。
 こんなヘンピなトコで、観鈴を死なすわけにいかんのや。自分が死んでも娘を生かす、それが親心ってもんやろが!」

 晴子の言葉は揺ぎ無いほどの決心を固めて発せられる。
 秋生が娘達と共に脱出しようと考えていることも、晴子が娘以外の参加者を皆殺しにしようとしていることも、どちらも娘を想ってのことだ。
 それは決して相容れぬものだが、どちらが正否なのか判断できる者は自身でしかない。
 晴子の決意の篭もった双眸と交差したとき、この見解の相違はどうあっても交わることがないと秋生は自覚する。
 彼女を説得することは不可能だ。
 ―――ならば、押し通るのみ。
 素早く地面に目線を走らせて、目的のものを発見してから晴子へと視線を戻す。

「……そうか。テメェの意向をどうにかすることは無理ってことか」
「今更なんやねん。アホか? もうええやろが。この立ち位置もええ加減疲れたわ……はよ死ねや―――」
「―――待て!」

 秋生の能書きに痺れを利かせたのか、晴子は構える拳銃の引き鉄に指をかける。
 だが、銃弾が発射されるよりも早く、彼は薙刀と拳銃を前方に突き出すようにして静止の言葉を掛けた。

「命乞いかい、なっさけないやっちゃな。とっとと逝てまえ」
「だから待てと言ってんだろうが! わかった降参だ降参。ほらよ」

 投擲した薙刀が二人の中間地点に突き刺さる。
 あっさりと秋生が獲物を放棄したことに晴子は唖然とするが、直に侮蔑の視線を寄せた。

「なんや……偉そうなこと言っておいて結局は身の可愛さかい。父親の風上にもおけんわ……」
「うるせぇよ。俺だって死にたくないし、死ぬわけにはいかねぇんだよ。ヤル気がないってことを誠意で持って示さなきゃなんねぇだろ?」

 汚らわしいものを見るかのような晴子の視線に飄々と答える秋生。
 彼の脱出という意見には賛成できないまでも、同じ親として真の父親を見た気がしたが、先の発言には流石の晴子も失望した。
 それに拳銃を残しておいて、何が誠意かと。
 そういった感情の篭もった刺々しい視線が秋生へと突き刺さる。
 晴子の様子を察する限り、拳銃を手放したが最後、何の躊躇もなく秋生を殺害するに至るだろう。 
 そんなことは既に承知の上だ。

「ま、構へんよ。われには失望したわ。はよ拳銃手放して何処へなりともいけや」
「そうか。ほら」
「―――っ!?」

 逃がすわけもない。無防備になったら即撃ち殺す算段だったが、当の秋生が何の予備動作もなく拳銃を前方に放ったことで晴子は一瞬硬直してしまった。
 晴子の視線が宙に浮く拳銃へと目を逸らしたとき、秋生は前方斜め横へと転がるようにして飛び込んだ。

「―――こんのっ!?」

 慌てて銃弾を放つが、照準が合わさっていた位置には既に秋生は存在しておらず。
 秋生の姿を知覚した時には、何故か彼は晴子に背中を向けて蹲っており、何やら構えを取っていた。

「おらよっ!!」
「―――っぁ!?」
 
 無防備だった筈の秋生の背中へ怒りに任せて銃弾を浴びせかけさせようとするも、それよりも早く振り向き様に彼の腕がぶれた瞬間、晴子の膝下に激痛が走る。
 アンダースローの水平投擲から拳大の石が正確に晴子の足を直撃していたのだ。訳が分からぬうちに彼女は姿勢を崩しそうになる。
 必死に痛みを堪えて顔を上げるがもう遅い。
 秋生は怯んだ晴子の隙を狙って突き刺さった獲物を引き抜くと同時、手に持つ彼女の拳銃ごと射程の長い薙刀で薙ぎ払う。
 吹き飛んだ拳銃には気にも留めず、畳み掛けるように翻した薙刀の柄で驚愕に顔を顰める晴子の鳩尾へと突き刺した。
 晴子は膝を落とす。

「―――くっ……ぁっ、か」
「寝てろっ!!」
 
 酸素を強引に吐き出されて息も絶え絶えな晴子の意識を断つべく、秋生はその首元へと渾身の手刀を放つ。
 だが、晴子は危険を寸でのところで察知したのか、痛みを噛み殺しながら這い蹲るようにして転がり、攻撃を逃れることに成功する。
 秋生は仕留め切れなかったことに小さく舌打ちするが、それでも道は開けた。
 近くに落ちた自身の拳銃を広い、晴子の拳銃も拾おうとしたが、結構な距離を弾き飛ばされた拳銃は茂みへと身を隠している。 
 
「―――クソっ」

 探す手間もないし、なにより吹き飛んだ拳銃は平瀬村とは逆方向だ。 
 秋生は止む無く諦めて、平瀬村へと疾走した。

「ぁ、く……。こすい真似しくさりやがって……っ! ま、ちぃやぁ!!」

 晴子は痛みを堪えながら立ち上がる。
 腹の痛みは一時的なものであるし、膝の痛みも我慢すれば走れないこともない。
 すぐさま飛ばされた拳銃を拾って彼女もまた怒りの形相で追走する。

 ****


 暗闇に沈んだ平瀬村で、水瀬秋子(103)は音もなく走り抜ける。
 保護した少女達の助力のために、彼女は平瀬村入り口付近で行われているはずの殺し合いを止めに行こうとしているのだ。
 秋子は一直線に目的地を目指すことはせず、少し迂回するようにして向かっていた。迂闊に村の道筋を通ってやるほど秋子は馬鹿ではない。
 幾ら走っているとはいえ、マーダーに捕捉される可能性は無きにしも非ず、余計な道草も泥沼な乱戦も得策ではないのだ。
 彼女の向かう現場に極力人を集めたくないという思惑もあるが、それ以上に自身の姿を確認されるわけには行かない。
 秋子の目的は無力な少年少女の保護。そして、ゲームに乗った者の排除である。
 保護した少年少女達の知り合いとて例外ではない。
 そして、この先で行われている闘争の渦中となっている人物は橘敬介の知り合いと、古河渚の父親だ。
 秋子は別れる間際に洩らした敬介の言葉を思い返す。 

 ―――虫の良い話だが、出来れば彼女を止めてほしい――― 

 聞くつもりはなかった。
 別に虫が良い話とは思わないが、ただ頼む相手を見誤っただけのこと。
 秋子は決めたのだ。ゲームに乗った愚か者は一切の猶予も与えない。
 安易に奪ってきた人の命の重みを知らしめる為に、決して楽には死なせないと。
 だから、敬介が懇願したとしても秋子の意向は動かない。
 ここで有り難い慈悲の精神を見せて漬け込まれでもしたら全てが後の祭り。

(―――不安材料は刈り取るが一番。一刻たりとも生かしては置けませんね……)

 マーダーに改心の余地があろうがなかろうが関係ない。
 危害を加える可能性がある者や、一度悪意に染まってしまった者に安楽の道はないのだ。
 そんな輩を島中にのさばらせては、罪も力もない子供達が危険に晒されてしまい、下手をすると命まで落としかねない状況なのである。
 とてもじゃないが、一母親としても見過ごすことは到底出来ない。 

 対象者の選出は簡単。正当防衛ならば許し、他は全て斬って捨てる。 
 秋子の目的は至極単純で、ある意味凶悪ともいえる思考だ。
 彼女の主観次第で、それこそ無関係な被害者を生み出すかもしれない。 
 例えば敬介だ。彼の言う娘を守るために鬼となった母親を秋子が殺してしまったとしたら、一体どういった影響を及ぼすかは想像に難しくない。
 秋子とて一人の母親だ。娘の為に全てを投げ打ってゲームに乗ることは同調できる。
 だが、無差別というのならば話は別だ。自分の娘達に火の粉を振り掛けるつもりなら、そこに一切の容赦はしない。
 彼女は、矛盾した自身の思考に自嘲の笑みを浮かべた。

(……わたしとて、名雪を失くしてしまえばどうにかなりそうなものを……)

 秋子に残された唯一の宝もの。
 それを失ってしまえば、自身は復讐に走らずに正気を保っていられるのだろうか。
 自虐的なことを考えずに入られなかった。
 秋子は自覚しているのだ。自分が偽善的なことをしているということを。
 娘の生死次第で容易く傾いてしまう感情は、不安に感じるほど危ういものだった。
 そうならないためにも、秋子は盲目にマーダーを刈り続ける。
 娘達を死なせないためにも、彼女は被害者の恨みまでも買う覚悟だ。
 マーダーが引き返せぬ道を進んだように、秋子も決して止まれぬ境地に踏み込んでしまったのだ。
 ゲームを加速させる駒として自分が暴走していることを、既に彼女は自覚していた。

 そして、民家の隙間を潜りながら徐々に距離を詰めていた秋子の視界に、一つの影が通り過ぎた。

(―――……なに?)

 暗闇の中、遠目ではあるが確かに何かが通り過ぎた。人影である。
 訝しげに茫然と見ていた秋子だが、その影を追走する形で新たな人影が通り過ぎたことで我に返った。

(―――抜けたの!? 方角は……しまった……っ)

 ―――迂闊だった。
 珍しく顔を歪ませた秋子は、踵を返して元来た道を引き返し始める。
 来るまでに時間を掛けすぎた。未だ争っていると思ってしまったばっかりに、容易く見過ごしてしまった。
 争っていたのは二人。人影も二人。
 先駆していた影が古河渚の父親だったとしたら、娘の無事を想って駆けつけるのは至極当然のこと。
 だが、マーダーが追って来ていると分かった上で、娘との合流を果たそうとするだろうか―――ありえない。 
 普通ならば入り組んだ民家を利用してマーダーを撒こうと考え付くべきだ。 
 それをしないということは即ち、追っ手の存在に気付いていないということか。打倒したと油断したのか。
 次にマーダーが先導していた場合はどうか。
 敬介達に引導を渡すべく止めを刺しに言ったのか。もしくは、追って来る古河渚の父親を罠に誘い込む為か。
 回転する頭が様々な可能性を弾き出すが、全てどうでもよかった。
 問題は彼等が向かう方角だ。
 秋子に焦燥の思いを逸らせるのは、娘達がいるべき場所へと彼等が向かっていること。

(―――くっ。名雪っ、澪ちゃん……っ)

 秋子は残してきた少女達の安否を願いながら、漆黒の闇を荒らんだ足音で疾走する。




 『神尾晴子(024)』
 【時間:1日目午後11時頃】
 【場所:G−3】
 【所持品:H&K VP70(残弾数12)・支給品一式】
 【状態:秋生を追走。膝下に打撲傷】

 『古河秋生(093)』
 【時間:1日目午後11時頃】
 【場所:G−3】
 【所持品:S&W M29(残弾数1/6)・薙刀・支給品一式】
 【状態:渚達と合流。左肩裂傷手当て済み】

 『水瀬秋子(103)』
 【時間:1日目午後11時頃】
 【場所:G−3】
 【所持品:IMI ジェリコ941(残弾14/14)・支給品一式】
 【状態:普通。二人を追って名雪達と合流】
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