Carnivorous Negroid




夜も更けた平瀬村の民家、その一室。
窓の外ではしとしとと雨が降っている。

「……というわけなんだけど、わかった?」
「う〜ん……」

相楽美佐枝の説明に腕を組んで首を傾げた少女は長岡志保。

「気を失ってるあたしが変態野郎にレイプされそうになってて」
「そうそう」
「んで、それを助けてくれようとした美佐枝さんが返り討ちに遭いそうになったところに、
 パン屋の親父がレーザー銃持って現れて」
「うんうん」
「どうにか助かったけど、また襲われちゃたまんないから、とりあえずこの家にあたしを運び込んで
 介抱してくれてた……って?」
「よくできました」

頷く美佐枝。
そんな美佐枝に頷きを返すと、志保が神妙な面持ちで口を開く。

「美佐枝さんだっけ、……頭、大丈夫? ……って痛ぁっ!」
「ん?」
「いや、怖いから笑顔で殴んないでよ……」

涙目で頭を抱える志保。
そんな志保を見やって、美佐枝は大きな溜息をつく。

「はぁ……言ってるあたしだってワケわかんないんだからね……。
 幸村先生や坂上さんは亡くなったっていうし、一体何がどうなっちゃってるんだか……」
「え!? 何それ、誰が死んだとか、どうして知ってるの!?」

美佐枝の言葉に、志保が食いつく。

「ああ、あんたが寝てる間に放送が流れたのよ、それで」
「うっそ、あかりは? 雅史は? ついでにヒロのバカは? 無事なんでしょうね!?」

美佐枝に詰め寄る志保。
そんな志保をうんざりした目で見ながら、美佐枝はすげなく答える。

「そんなの知らないわよ、あんたの世話もしなくちゃいけなかったし」
「んな、無責任なっ! だいたいあたしが起きたときには、美佐枝さん寝てたじゃない!
 しかも食卓に空になった食器置きっぱなしにしたままで! ……って痛ぁ!?」
「ちょっと黙んないと、ぶつわよ?」

笑顔で言う美佐枝。

「殴ってから言わないでよ……」
「とにかくね、あたしゃあんたの友達の事なんか聞いてないし、覚えてもいない」
「そんなあ……」
「……それより、あんた」
「な、何よ、急に真剣な顔しちゃって……」

美佐枝の鋭い視線に、志保がたじろぐ。

「あんた、気を失う前に鬼を見た、……って言ってたね」
「へ? ……う、う〜ん……見た……ような気はするんだけど、よく覚えてないのよね……。
 今思えば、夢だったのかもしれないなあ、なんて……」
「それってさ」
「何よ……?」

美佐枝が、指を突きつける。

「―――ああいうの?」

美佐枝の指が示していたのは、志保の背後。
窓ガラスの向こう側だった。

「へ……?」

振り返った志保の視界に、涎を垂らしながら屋内を窺う、獣の顔があった。

「ひ……ひゃああああ!?」

悲鳴を上げて立ち上がる志保の襟首を、後ろから掴んで引き寄せる美佐枝。
ほとんど同時に、獣が窓ガラスを割って飛び込んできた。
破片が飛び散り、屋内に落ちて硬い音を立てる。
それを踏みしだくように降り立つ獣。

「GRRRR―――!」

全身を覆う焦茶色の剛毛に入った、黒の縞模様。
鋭く太い牙を剥いたその頭部は、在阪球団のトレードマークにもなっている、見紛う事なき肉食獣。

「と、虎ぁ……!?」
「いや……」

だが、その獣は図鑑に載っているそれとは、些か様相を異にしていた。

「ってか、お、狼男ぉ!?」
「この場合、虎男だろ……」

威嚇するように広げられた、前脚ならぬ二本の手。
二本足で直立している下半身には、ご丁寧にズボンまで履いていた。

「ど、どっちでもいいけど、どうすんのよ美佐枝さん!?」
「白炎……? いや何か黒っぽいし、どっちかってーと黒炎王か……」

ぶつぶつと何事か呟いている美佐枝。

「GUOOOOOOOOO!!」

獣が吼えた。
その咆哮に、思わず身を竦める志保。

「って、んなこと考えてる場合じゃないか……! 逃げるよ!」

慌てて駆け出そうとする美佐枝と志保。
しかし、

「……きゃっ!?」
「くっ……出口が……!」

恐るべき俊敏さで先回りした虎男が、扉の前に立ち塞がっていた。

「こいつ……無駄に知恵が回るな……!」
「ど、どうしよう、美佐枝さん……」

虎男の口元からダラダラと垂れる涎に、負の想像力が否が応でも掻き立てられる。

「志保ちゃん、異郷の地に野獣の餌と散る……なんてイヤぁー!」
「そこ、不吉なこと言わない!」

とは言うものの、美佐枝にもこの絶体絶命の窮地を逃れる術など思いつかない。

「WOOOOOOOOO!!」

一声、獣が跳ぶ。
そのしなやかな筋肉による跳躍は、人間のそれを遥かに超えた速度。
鋭い爪が、二人に迫る。

「く……!」
「美佐枝さん……っ!」

咄嗟の判断。志保を庇うように、美佐枝が前に出る。
思わず目をつぶる志保。

「いや……美佐枝さん……美佐枝さぁーんっ!!」

志保の絶叫が狭い室内に響きわたる。
が、次の音は、思わぬ方向から聞こえてきた。
重量のある何かが、勢いよく壁にぶつかったような音。

「へ……?」

おそるおそる目を開ける志保。
志保が見たのは、壁に叩きつけられた虎男と、

「み……美佐枝……さん?」

それに跳びかかっていく美佐枝の姿だった。
首を振りふり立ち上がろうとする虎男の腰に、鋭いタックルを決める美佐枝。

「ぐ、グラウンドに持ち込もうというのかー!?」

思わず解説口調になる志保。
倒れこんだ虎男の、茶色の剛毛に覆われた両の足を掴むや捻り上げ、複雑な形に組み上げる。

「こ、これはぁー! タイガーの足を極めようというのかぁーっ!」
「GUOOOOOOOO!!」

関節から響く激痛に、虎男が唸る。
だが美佐枝はさらに、虎男の腕を逆手に掴み、関節の稼動範囲とは逆に捻った。

「チキンウイング……いや、これは……足のロックに腕を組み入れようという動きなのかぁ!?
 おぉーっと、タイガー動けない、これは苦しい、完全に四肢を封じられたぁー!」
「GYAAAAOOOO!!!」
「さあ、このままタイガーをうつ伏せにして足首を極めるのか!
 そうなればパラダイスロックの完成だぁーっ!!」

しかし、美佐枝は転がった虎男を一瞥する。

「これはどうしたことか、一向に極めにいこうとしていませんが……?
 いや……こ、これは、ま、まさかーっ!?」

虎男を見下ろしたまま、美佐枝はその口の端に冷笑を浮かべる。
そして、

「こ、こ、腰掛けたぁーっ!!」

仰向けに転がされた虎男の、その無防備な腹の上で優雅に足を組む美佐枝。
軽く頬杖などついて微笑んでみせる。

「ティ……ティーチャーズ・ペットなのかーっ!?
 伝説の女教師、殺戮の島に降臨!!
 タイガー、屈辱の椅子責めだぁーっ!!」
「CUUUUUN……!」

微笑んだまま、美佐枝が初めて口を開く。

「終わりよ」

涼しげな言葉と同時。
尻に敷かれたままでいる虎男の、極められた四肢の関節から異様な音が響いた。

「GYAOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!」

「く、砕かれたぁーっ!!
 動けない、全身の骨を砕かれたタイガー、ピクリとも動けないーっ!!
 今高らかにゴングが鳴り響きます! 美佐枝さん、完全勝利ぃーっ!!」

あくまでも優雅に立ち上がり、片手を挙げながら四方に軽く礼を送る美佐枝。
その姿は、まさしく勝ち名乗りを受ける女王のそれであった。

「すごい、すごいよ美佐枝さん……!」

駆け寄る志保。
しかし、当の美佐枝は、なにやら呆然と倒れた虎男を見下ろしている。

「あ……あたし、いま何を……?」
「へ? 何言ってんの美佐枝さん、カッコよくこの虎をやっつけてくれたじゃない!
 いやー、あたしもびっくりしたわよ! こんな強いなら早く言ってくれればいいのに、このこのー」

小突かれながら、美佐枝は己が手を見つめていた。

「……まさか……ドリー夢……?
 そんな……もうあたしは足を洗ったはずなのに、どうして……」

呟く美佐枝をよそに、志保は倒れ伏す虎男の死体を検分している。

「ねえねえ美佐枝さん、虎って食べられんのかな?
 鍋とかにしたら美味しそうじゃない? 珍味って感じで」

哀れな犠牲者、かつてエディと呼ばれていたそれは、いまや食材として吟味されていた。
そして雨に濡れたその毛皮には、包丁の刃を防ぐ力すらも残ってはいなかったのである。




 【時間:2日目午前3時過ぎ】
 【場所:F−2 平瀬村民家】

相楽美佐枝
【持ち物:ガダルカナル探知機、支給品一式】
【状況:呆然】

長岡志保
【持ち物:不明】
【状態:空腹】

エディ
【状態:ムティカパ症候群L5、死亡】
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