Artificial Precious




ごぐり。
波音だけが支配する闇の中に、異質な音が響いた。
縦王子鶴彦の頚骨が延髄ごと粉砕される音である。

「無念……でござるよ……」

どさりと崩れ落ちたその側には、横蔵院蔕麿の死体も転がっていた。

(―――おかしい)

手応えが、なさすぎる。
強化処理どころか、最低限度の訓練すら受けていなかったであろう二つの死体を見下ろして、
リサ=ヴィクセンは内心で首を捻る。
先ほどの声によれば、この船に残った警護はあと四名。
首輪による制約があるとはいえ、このあまりにも容易な脱出手段を護るには、その質、量共に
穴がありすぎると言わざるを得なかった。
考えられるとすれば、

(罠、か)

そうと知りつつ、リサには撤退するという思考はなかった。
篁が、醍醐が死に、そしてまた栞を喪った今、リサには果たすべき目的も、守るべきものもない。
ならば、このような愚かしいゲームを企てた人物に、地獄の雌狐を参加させたことを心底から
後悔させてやるというのが、リサが己に課したミッションである。
宗一亡き今、この困難な任務をこなせるのは自分しかいないという自負もあった。

そんな思考を走らせつつ、甲板に林立する人形らしきものを遮蔽物として陰から陰へと移動するリサ。
目指すは操舵室のあるブリッジである。
しかし、音もなく扉に忍び寄ったリサが、ノブに手をかけた瞬間。

「……!?」

その姿を、無数のサーチライトが一斉に照らし出していた。
突然の圧倒的な光量に、リサの目が眩む。
翳した指の隙間から、一つの影が眼前に立っているのが見えた。
暗緑色のボディスーツに身を包んだ、銀髪の東洋人女性。

「ようこそ、地獄の雌狐。……意外と時間がかかったな」
「……私のことはよくご存知のようね。良ければ、貴女の名前も聞かせてもらえるかしら?」
「国軍、水戰試挑躰―――岩切花枝」
「Ha、噂には聞いたことがあるわ……」
「ほぅ、流石は一流のエージェント、と言うべきかな」
「センメイジュ、とかいうオカルトで寿命を延ばすとかいう、時代遅れの実験体さんでしょう……?」
「……言ってくれるなよ、それを」

リサの挑発をどう受け取ったか、岩切が苦笑する。

「上が我々のことをどう見ているか、そんなことは我々が一番よく分かっているつもりさ。
 お互い、宮仕えの身は辛いな?」
「……Hmm、本当によくご存知で」
「ま、あの気色の悪いゴミ虫どもを始末してくれたことには感謝している。
 ……あんなものでもゲスト扱いでな、手を出すわけにもいかず難儀していたところだ」
「気持ちはお察しするわ」
「おっと、黙って見ていたことは秘密にしておいてくれ。上に知られたら何を言われるか分からん」
「OK、宮仕えの狐にも、そのくらいの裁量はあるわ」
「礼を言う。……さて、戯言はここまでにしようか」
「……Yes」

言って、手にした剣を逆手に構える岩切。
一瞬にして、空気が変わっていた。

リサもまた、腰に提げたトンファーを己の眼前に引き寄せる。
この間合いでは懐の銃を抜き放つよりも、相手の剣筋が己を両断する方が早い、とリサは直感していた。
トンファーを構える隙を狙ってくるかとも思っていたが、それはあっさりと見逃された。
どうやら岩切花枝という女、戦いを楽しむタイプの相手らしい。

「時代遅れかどうか……その身で試してみるがいい、雌狐」
「OK……かかってきなさい、フランケンシュタインの怪物」

刹那、両者が走った。
交差の瞬間、鈍い音が響く。
逆袈裟に斬り上げられた岩切の剣筋を、リサが左手のトンファーで受け止めた音である。
空いた右のトンファーを回転させ、岩切の側頭部を狙うリサ。
だが岩切はそれを軽くのけぞるだけでかわしてみせる。
前髪を掠めるトンファーを物ともせず、岩切の右足が跳ね上げられる。
のけぞった勢いを利用した、真下から顔面を狙う蹴り。
死角から迫るその一撃に対して、リサはしかし、岩切の剣を受けている左手を押し込むようにする。
後傾気味に体重を乗せている岩切の剣はびくともしないが、反動でリサの身体が下がった。
リサの鼻先を、烈風の如き蹴りが駆け抜ける。
かわされた岩切が、ニヤリと笑う。瞬間、跳ね上げられた筈の右足が、まるで逆回しのように
振り下ろされた。一連の動作を囮とした、リサの脳天を襲う踵落とし。
下からの蹴りをかわしたリサの身体は泳いでいる。右の引き戻しは間に合わない。

(もらった……!)

だが転瞬、リサは岩切に対して笑い返してみせたのである。
岩切の右足が振り下ろされたその刹那、リサの姿は魔法の如く掻き消えていた。
完全に予測していなければできないタイミングでの、華麗なステップバック。
驚愕の表情を浮かべる岩切。全力で足を振り下ろした反動で、姿勢は前傾。
たたらを踏む岩切の間合いに、身を低くしてリサが踏み込む。

フック気味に叩き込まれる右を、岩切は左腕で受ける。
みちり、と嫌な音がするが、岩切はそれを無視。仙命樹の治癒力に任せた、強化兵ならではの戦い方である。
彼我の間合いを見た岩切は、右手の剣を振るうには一瞬遅いと判断。
アッパー気味の角度でリサの左が繰り出されるよりほんの少しだけ早く、右の前蹴りを
リサの胴に向かって叩き込む。
大したダメージにはならないが、リサの突進が寸刻、止まる。
刹那、開いた間合いを逃さず、岩切の剣筋一閃。狙いはリサの左胴。
だがリサは、岩切の前蹴りで止まった身体を強引に前へと押し出す。
密着することで剣の間合いを殺す算段。
一瞬のせめぎ合いは、リサに軍配が上がった。
片足で立つ岩切が体勢を崩したのである。
勢いを殺された剣筋の内側に、リサが踏み込んだ。剣の届かない間合い。
岩切はしかし、一刀をかわされた右腕をそのままリサの背へと回すようにしながら、
密着しつつある距離を更に潰すように上半身を前へと出す。
岩切の額に走る、衝撃と確かな手応え。
狙い違わず、その頭突きがリサの鼻を直撃していた。

「がっ……!」

のけぞるリサ。
開いた空間に走り込むように、岩切が右肩からリサに当たりに行く。
全体重を乗せたショルダータックルに、リサの身体が吹っ飛んだ。
甲板に立つ人形らしきものを何体か巻き込み、盛大な音を立てて倒れこむ。
見上げればその眼前に、岩切の剣がぴたりと突きつけられていた。

「―――終わりだな、雌狐」
「くっ……」
「仙命樹の試挑躰たるこの私を相手に、よくぞここまで戦ったと褒めてやろう」
「それは、どうも……」

切れ切れの呼吸の合間に言葉を返すリサ。
だがその声は、明らかに精彩を欠いていた。

「強がるな。先程の手応え……肋骨が何本か、折れているだろう」
「Shit……地獄の雌狐も、腕が鈍ったのかしらね……」
「相手が悪かったのだ。案ずるな、今、楽にしてやる―――」

す、とほんの数寸、剣が引かれる。

(ここまで、か……)

リサが内心で十字を切り、静かに目を閉じる。

「―――」

だが、

(…………?)

リサの覚悟を嘲笑うかのように、その瞬間はいつまで経っても訪れない。
思わず目を開けるリサ。
その目に映ったのは、

「今、楽にしてやるからな……雌狐」

言いながら、目を閉じてそっとリサに顔を近づける、岩切の姿だった。

「!? ……Nmmm……!」

唇に触れる、柔らかい感触。

目を白黒させるリサだったが、そのひんやりとした感触の心地よさに、次第に身体の力が抜けていくのを感じる。
ぬめりとしたものが、ルージュの引かれたリサの唇を撫で回した。すぐさま口を開いて岩切の舌を受け入れるリサ。
口腔を蹂躙せんと蠢きまわる岩切の舌を、リサのたっぷりと唾液を含ませた舌が迎え撃つ。
粘膜同士が絡まりあい、互いの体液を交換する。
リサの鼻から、熱い吐息が漏れる。
その艶に興奮したものか、岩切の手がリサの胸へと伸ばされる。

「Nmm……」

折れた肋骨の上を、そっと撫で回すような岩切の愛撫。
傷の痛みと口腔の責めが相まって、リサの吐息が次第に切なさを帯びてくる。

「Ah……Ha……」

ねちゃねちゃと水音を響かせていた岩切の舌が離れた。
つぅ、と糸を引く唾液が、互いの唇を繋いでいる。
見つめあう瞳は、すっかり熱を帯び、霞がかかったようだった。

「……いいか、リサ……」

岩切の問いかけに、悪戯っぽく微笑んで口を開くリサ。

「No……今度は、こっちから……」
「ん……はぁ……」

リサの手が、ぴったりとしたボディスーツから覗く、岩切の白い太股に伸ばされる。
妖しい蠢きに、岩切が思わず声を漏らす。

二人の営みは、いつ果てるともなく続くのだった。





「―――マーシャ……マーシャ……!」
「花枝……Yes,Yes……I'm comin'……yeah……!」

二つの白い肌が、汗に塗れて絡み合っている。
互いの股間を激しく擦り合わせるようにして、二人は上り詰めていく。

「くぁ……ひ……あ、あああああっ―――!」
「Yeah……Comin'……Comin'……Ohhhhhh―――!」

ほぼ同時に、絶頂を迎えるリサと岩切。
脳髄を塗り潰すようなその感覚に、脱力して身体を重ね合う二人。
荒い吐息だけが、暗い甲板に響いていた。

「ん……マーシャ……」
「花枝……」

互いの唇をついばむような軽い口づけを交わし、愛の交歓の余韻を楽しむ。
だが、次の瞬間。

「―――がぁ……っ……!?」
「……ク……ァァ……ッ……」

快感の余韻は、想像を絶する激痛へと変化していた。
重ね合わされた、リサと岩切の身体。
そのむき出しの白い腹部を繋ぎ合わせるかのように、一振りの刀が突き立てられていた。
びくり、と痙攣するリサの鼓動が弱まっていくのを感じながら、岩切が目線を動かす。

「き……貴様、……!」

その目が捉えていたのは、一分の隙もなく軍服に身を固めた男だった。

「……み、光岡ぁ……っ!」
「―――侵入者、それも異人と密通、とはな……」

岩切を見下ろす男の、厳しい声音。

「岩切、貴様には失望したぞ」

その視線には、嫌悪以外の感情は一片たりとも見出せない。
貫かれた岩切の腹部からは、とめどなく血が流れ出していく。
いかに仙命樹の治癒能力があるとはいえ、出血が続けばその効力も意味をなさない。
焦る岩切を見下ろしながら、光岡が歩みを進める。
甲板に響く足音は、すぐに止まった。続いて、小さな金属音。
光岡が、側に転がっていた岩切の剣を拾い上げたのである。

「……貴様……ぁっ!」

岩切の掠れた声にも眉筋一つ動かさず、光岡が剣を振り上げる。
どこまでも静かに、しかし紛れもない侮蔑と憤りの混じった声で、光岡が告げる。

「我が国への裏切り……死を以て償え」

一閃。
岩切花枝の首が、宙を舞った。




「ぱぎゅう……終わりましたの?」

突き立てた一刀を引き抜き、丁寧に血を拭っていた光岡にかけられる声があった。
振り向きもせずに答える光岡。

「……はい。しかし不審者を発見した際の報告は、もう少し迅速にお願いいたします」
「すばるたちはゲストですの。そういうのは強化兵さんのお仕事ですの」
「……」

少女の言い分に、光岡は無言を返す。
ただ静かに踵を返すと、船内へと戻っていくのだった。



「―――こんなものですか」

そんな船上の一部始終を、遥か彼方の岩壁の上から眺める人影があった。
人影は、ぼんやりと赤く光る図鑑を携えている。
GLの使徒、里村茜であった。

「強制的にカップリングを成立させる……それがこの図鑑の真の恐ろしさ。
 実験としては上出来、といったところですね」

冷徹に呟くと、茜は手にした図鑑に新たに刻まれた文字を見やる。

『岩切花枝(誰彼)×リサ=ヴィクセン(Routes)   ---   クラスB』

満足げに頷くと、図鑑を閉じる茜。
その口元には小さな笑みが浮かんでいた。

「―――ごちそうさまでした」




【時間:二日目午前3時頃】
【場所:G−9】

リサ=ヴィクセン
【状態:死亡】

岩切花枝
【状態:死亡】

光岡悟
【状態:異常なし】

御影すばる
【状態:異常なし】

縦王子鶴彦
横蔵院蔕麿
【状態:死亡】

里村茜
【持ち物:GL図鑑(B×2)、支給品一式】
【状態:石を投げれば変態に当たりますね】
-


BACK