名倉由依は目を閉じて携帯電話を握り締めながら、祈っていた。 (どうか―――どうか、いい人が出ますように!) 短い発信音の後、 『―――はい、天野です』 唐突に、電話が繋がった。 まるでこんな殺し合いとは関係のない誰かの自宅にかけてしまったかのような錯覚を、由依は覚える。 それほどに淡々とした、それは少女の声だった。 「え!? あ、も、もしもし!」 一瞬呆然とするも、慌てて喋りだす由依。 切られてはたまらないとばかりに、早口でまくし立てる。 「あ、あたし名倉といいます! 名倉由依!」 『……はぁ』 電話の向こうの相手は、戸惑っているようだった。 それはそうだ、こんな島でいきなり電話がかかってきて、しかも唐突に自己紹介をされても反応に困るだろう。 「あ、いえ、その、すいません突然電話なんかしちゃって!」 まるでキャッチセールスのようだった。 何を言っているのか、自分でもよくわからない。 『……落ち着いてください』 相手の平坦な声に、少しだけ冷静さを取り戻す由依。 そうだ、自分は世間話をするためにこんな危険を冒してるんじゃない。 とにかく本題を切り出さなければ、と焦る。 「……その、き、聞きたいことがありますっ」 色々と考えていたはずの手順は、遥か彼方へと飛んでいった。 ままよ、とばかりに口を開く。 「あ、あなたは、殺し合いに参加していますか?」 言った。ごくり、と唾を飲み込む由依。 『……』 寸秒の沈黙が、由依にとっては永遠にも等しく感じられる。 (お願いします……神様!) ほんのささやかな祈りが、天に通じたか。 『……いいえ、別段』 と、相手は告げた。 「……そ、そうですか! よ、よかったぁ……」 言葉とともにへたり込む由依。 冷たい木の床が心地いい。 『……それが、何か?』 「あ、ええ、いえ、あ、あたし捜してたんです、そういう人を!」 『……殺し合いに参加していない人間を、ですか』 「はい、そうです! そういう人と協力できればって、そう思って!」 『……協力』 「そ、その……こんなのおかしいって、やめさせなくちゃ、って」 『この殺し合いを、ですか』 「はい、そうです……! だから、そういう風に考えて、一緒にやってくれる人がいれば、って!」 『……お話は、分かりました』 冷水を浴びせ掛けるような声に、必死にかき集めた由依の勇気が萎んでいく。 「あ、あの……やっぱり、こんなこと言うの、おかしいですか……?」 『いえ、とても立派な考え方だと思います』 不安そうな由依の声をどう感じたか、相手の言葉はどこか優しげに聞こえた。 その声に勢いを得て、由依は立ち上がると再び相手に語りかけようとする。 「じゃ、じゃあ……!」 『しりとりをしましょう』 あまりにも唐突なその提案に、由依の思考が一瞬停止する。 「……え?」 『しりとりです。分かりませんか?』 「し、しりとりって、あの、しりとりですか?」 『ええ。相手の言葉の最後の音に繋げていく、あのしりとりです』 「は、はぁ……その、どうして、しりとりを……?」 『ちょっとしたゲームですよ』 「ゲーム……?」 『はい。私はあなたのお話にとても感銘を受けました』 「あ、ありがとう……ございます」 『しかし、そのお話に乗るのは非常にリスクの大きい行為です』 「……それは……その」 『ですから、ゲームをしましょう』 「あの、すみません、お話がちょっとその、よく……」 『簡単なことです。あなたはあなたの計画を賭けてゲームをするのです』 「え……?」 『言葉通りですよ。私とゲームをして勝つことができたなら、私はあなたのお話に乗りましょう』 「そ、それって……」 『お約束しましょう。全面的に協力します』 相手の意図を、由依ははかりかねていた。からかわれているのかもしれない。 相手の言うとおり、これはひどくリスクの高い計画だった。 命綱もつけずに綱渡りをするような、そんな行為だ。 それに参加するかどうかを、ゲーム、それもしりとりで決めようというのだった。 本気で言っているとは思えなかった。 だが、それでも。 「……わかりました」 そう言うほかに、由依に道は残されていなかった。 殺し合いに参加していない人間に電話が繋がるような幸運が続くとは限らない。 もしかしたら次に出るのは、自分を騙して言葉巧みに居場所を聞き出そうとする殺人鬼かもしれないのだ。 少なくとも、と由依は思う。 少なくともこの相手は、そういう類の人間ではないと、そう直感していた。 この直感が外れるようなら、どの道こんな計画など成功するはずがない。 騙されて、殺されるだけだった。 だから、由依は電話の向こうの相手に向けて、口を開く。 「わかりました。勝負、しましょう」 『……いい返事です』 「その代わり、あたしが勝ったら……!」 『はい、お約束しましょう。そのときは、あなたのお力になります』 「……その言葉、信じます」 『よろしい。―――では、始めましょう』 ごくり、と唾を飲み込んで渇いた喉を湿らせながら、由依は相手の言葉を待つ。 冷たく静かな空気に、精神が研ぎ澄まされていく。不思議と緊張はなかった。 『オーソドックスにしりとりの、り、からいきましょうか。どうぞ』 「り、りんご!」『格子』「シマリス!」『寿司』「しつけ!」『芥子』「島!」『蝮』「鹿!」 『菓子』「し、獅子!」『紳士』「し、新聞紙!」『色紙』「し、し、シルクロード!」 『……ふふ、いきなりし攻めは少し意地悪でしたかね。では、趣向を変えて……道路』「ロバ!」 『販路』「ろ、ろ……ろくでなし!」『進路』「ろ、路地裏!」『ランドセル』「る、ルアンダ!」 『タイル』「る、ルノワール!」『ルール』「―――ルパン!」 しまった、と思ったのは、口に出した後だった。 全身から一気に血の気が引いていくのがわかる。 こんな、こんなつまらないことで、せっかく掴んだチャンスを不意にするのか。 ルパン、三世、と付け加えたらどうだろう。ルール違反か。そもそも遅すぎる。 あらゆる後悔が、由依を襲っていた。 だが、次の瞬間。 『……ンジャメナ』 相手の声が、由依を絶望の淵から引き上げた。 「……え?」 『どうしたのですか。な、ですよ』 「で、でも、あたし、今……」 『些細なミスです。続けましょう―――それとも、ここでやめますか?』 その一言が、由依に火をつける。 「い、いえ! 続けます! な、長野!」 九死に一生を得た気分だった。 まだ勝負は終わっていないのだ。 勝って、勝って協力者を得るのだ。 そうして一緒にこのばかげた殺し合いを終わらせるのだ。 その意気込みが、由依を後押しする。 『その意気です、……ノルマ』「漫画!」『画廊』「ウサギ!」『妓楼』「馬!」『松』「月!」 『騎士』「しおり!」『利子』「し、塩辛!」『乱視』「し、四十雀!」『卵子』「……あ!」 由依が声を上げる。 『どうしました?』 「いま、同じ言葉を二回言いましたよね!?」 『いいえ』 「あ、あたしの勝ちです、……え?」 『いいえ、言っていません』 その声は、どこまでも平静だった。 「で、でも今、らんしって二回……」 『先に言ったのは乱視。目の屈折異常です』 「え……」 『後に言ったのは卵子、卵巣から産み出される生殖細胞です』 「そ、そんな……! そんなのって、」 『……それより、時間切れですよ』 「え!?」 意外な言葉に、由依が驚く。 『卵子、で止まっています。……二回目のミスですね』 「え……でも、それは……!」 『―――小豆島』 「……、え……?」 『しょうどしま。ま、ですよ』 「……あ……、」 『どうしました? やめるなら構いませんが』 「ま、まち針!」 必死に言葉を紡ぐ由依。 相手の勝手な言い分に抗議しても始まらない。 この勝負の主導権は、始まる前から常に相手にあるのだと、由依はようやく理解していた。 『利回り』「り、り……料理!」『リキュール』「ルーズソックス!」『スリッパ』「パンダ!」 『達磨』「漫画!」『……』「……?」 相手の声が、返ってこない。 「ど、どうしました……?」 『……』 「あ、あの……」 無言。 途端に心配になる由依。もしかして相手の身に何かあったのだろうか。 しりとりに夢中で忘れていたが、今は殺し合いの真っ最中なのだ。 だが、そんな由依の不安を打ち消すように、電話の向こうから声が返ってきた。 『……漫画、は二回目です』 「あ……」 しまった、という言葉だけが一瞬にして由依の脳裏を支配する。 言い訳が、出てこない。 『―――三回』 「は……はい……?」 『三回、ミスしましたね』 相手の声が、回線を通して由依の耳の中を撫で回すように感じられた。 冷たく無慈悲なその声音に、由依の背筋が凍りつく。 『一回なら』 「え……」 『一回なら、ごめんなさいで済ませましょう』 「はい……?」 『―――けれど、二回続けて負けたのならば、あなたの持つ財産を』 「あ、あの、何を……?」 言葉の意味をはかりかねて問いかける由依の言葉を無視するように、相手の声は続く。 『そして、もしも』 「あの、」 『もしも、三回続けて負けたなら―――』 一息。 『―――その時は、あなた自身をいただきます』 その声は、厳かですらあった。 絶対の意思をもって告げられた託宣のように、それは由依の脳裏に反響する。 「なに、何を、言って……?」 『これは、ゲーム』 ゲーム、と告げたその言葉は、ひどく神聖なものを扱うかのように繊細で。 だが同時に、隠しようもなく禍々しい何かを、孕んでいた。 『あなたと私が、互いを賭けて行った、闇のゲームです』 告げられた言葉の意味が、理解できない。 しかし、その声に含まれた小さな笑いが、由依の感情をひどく刺激した。 「……もう、いいです! 切ります!」 言って、携帯のボタンを押そうとする由依。 だが、 「ひっ……!?」 その手にした携帯から、黒い影がじわりと染み出していた。 影は瞬く間に指を飲み込み、腕を伝って由依の肩までを黒く染め上げる。 『―――良い夢を、名倉由依さん』 喉が、口が、鼻が目が、そして最後に耳が塞がれる瞬間に、そんな声が聞こえた、気がした。 静まり返った職員室に、カタリ、と音がした。 小さな携帯電話が、木の床に落ちた音だった。 それはしばらく、ツー、ツー、という音を響かせていたが、やがて止んだ。 闇に沈む職員室には、もう誰もいない。 【場所:D−06:鎌石小中学校・職員室】 【時間:1日目22時30分頃】 名倉由依 【状態:消滅】 天野美汐 【所持品:様々なゲーム・支給品一式】 【状態:遊戯の王】 - BACK