子犬のワルツ




沖木島近海に浮かぶヘリ空母『あきひで』。
その中に設置されたコントロールルームに、張り詰めた声が響いていた。

「―――しかし長瀬博士、それでは……!」
「はは、今は司令代行と呼んでほしいな、榊君?
 ……なあに、ちょっとした実験だよ」

柳眉を逆立てる榊しのぶに対し、白衣の男、長瀬源五郎は柔和な表情を崩さない。
だがその目はひどく病的な何かに侵されているように、しのぶには見えていた。

「いいかい榊君、あの島には既にアヴ・カミュ……神機まで投入されているんだ」

まるで出来の悪い生徒に辛抱強く授業を続ける教師のように、長瀬は言う。

「本来、あれは我が国防衛の要……こんなところで化け物ども相手に使われるような代物じゃない。
 それに比べて、私の”これ”は元々、制御の利かなくなった化け物を鎮圧するために用意されていたものなんだ、
 ちょっとしたデータくらいは取らせてもらっても罰は当たらないだろう?」

手に持った有線式のボタンを弄びながら、長瀬は低く笑う。
その薄気味悪い笑みに、しのぶの声はますます大きくなる。

「そういった問題ではありません……!」
「まぁ落ち着きたまえよ榊君、みんな驚いてるじゃないか」
「そもそも起動には司令の承認が必要な筈です!」
「だから私が司令代行として承認を下す、と言っているんだよ」
「久瀬司令は御健在です、代行とは申し上げても貴方にそのような権限は……!」

しのぶの怒声もどこ吹く風、といった様子で長瀬はにやにやと笑っている。

「随分とあの子の肩を持つじゃないか、まあ僕よりはいい男だしねえ」
「……っ! 今の御発言、撤回されないのであれば後ほど問題にさせていただきます……!」
「おお、怖い怖い。取り消すよ、今のはナシだ。訴えられちゃたまらないからねえ」
「……」
「そんな顔をしていたらせっかくの美人が台無しだ……おっと、これもセクハラに当たるのかな」
「……」
「ははは、まあその久瀬司令だがね、彼はどこに行ってしまったのかねえ」
「……! 司令は……その……」
「まさか、彼の行動に限って権限上の問題は存在しないとでも?」

問いかける長瀬。
あくまでも笑みの形を崩さないままではあったが、その言葉はどこまでも鋭い。

「それは……」
「砧夕霧の動員か……上陸準備が整うまであとどのくらいかかるのかねえ?」
「ご存知……だったのですか……」
「いやあ、さすがにあれはマズいよねえ、現場レベルの判断で動かしていい代物じゃあない。
 私はあんまりそういうの詳しくないんだがね、もっともっと上の方の決裁が必要なんじゃあないのかな。
 その辺りどうなのかねえ、お目付け役の榊しのぶ君?」
「……ですが、それは……」
「ですが、なんだい? まさか実の兄が死んだのだから仕方がない、なんて言わないよねえ。
 司令職をこんな民間人に押し付けて、禁断の兵器を私的な理由で使用するなんて……。
 それじゃまるで―――大逆の罪人じゃないか」
「……!」
「だからそんな顔をしないでくれると嬉しいね。
 勿論私には判っているよ、彼は彼の権限で許されていることをやっているんだ。
 ……そうだろう?」
「……」

「だから私は彼の行動を上に報告していない。問題がないのだから当然だね?
 そして……これも理解してくれると大変に嬉しいのだけれども、私も私の権限において
 許される範囲で、ちょっとした実験をしようとしているんだよ」
「……貴方という方は……!」
「ははは……どうせ何もかも焼き尽くされてしまうんだ、有効利用しなきゃ勿体無いじゃないか。
 君もそう思うだろう、ねえ?」
「……」

唇を噛んで押し黙るしのぶの様子を楽しそうに眺めながら、長瀬は手の中のスイッチをゆっくりと押す。

「さあ、起きておくれ……私の可愛い末娘。
 ―――化け物どもを狩り尽くす時間だ」

長瀬源五郎の低い低い笑い声が、いつまでも狭い室内に響いていた。





「―――刻んであげる」

鮮血を滴らせるナイフをゆらゆらと揺らしながら、向坂環が小牧郁乃に迫る。

「ひっ……!」

表情を引き攣らせる郁乃。
しかし車椅子の身では逃げることもままならない。
一歩、また一歩と迫る凶刃を、恐怖に満ちた眼差しで見つめることしかできなかった。
そんな郁乃を救ったのは、

「……この世のすべてのティッシュには、精液の転送装置が組み込まれてるんだよ。
 それはオカズに使われた対象の膣内へと、密かに精子を転送してるんだ」

奇妙に調子の外れた、高い声だった。
郁乃に迫っていた環が、慌てて振り返る。
暗がりの中から現れたのは、がりがりと首筋を掻き毟る女の姿だった。
自らの爪に掻きこぼされた首からは、幾筋もの血が流れている。
焦点の合わないその目は、明確な狂気を物語っていた。

「死体が一つ増えるってわけね……いいわ、あんたから先に奪ってあげる……!」

言って、環がナイフを構えなおす。
女は、そんな環の方に向き直ると、

「知ってる? マリアが懐妊したのはヨゼフがオナニーしたからなんだよ。
 すべては女性しか存在しないのに人間の男性と交わることを忌み嫌うエルフ族の仕業なんだ。
 ……あとはわかるよね?」

ニタリと笑った。

「死になさい」

女の奇妙な言葉に耳を貸すことなく、環が走る。
それを見た女は、眼球が飛び出すのではないかと郁乃が心配するほどに目を剥き、
首筋を掻き毟っていた手指を一杯に広げて奇声を上げた。

「赤い髪! 赤い髪! そんな色の髪は地球上に存在しない!
 エルフ族め! 秘密に気づいた私を殺しに来たのかッ!!」

環の手にしたナイフを恐れる気配もなく、女もまた走り出す。

「ただで殺されてなんてやるもんかッ!
 エルフ族は一人でも多く道連れにしてやるッ!
 だから真実は私が死んでも受け継がれるんだ!!」

支離滅裂なことを口走る女の胸を目掛けて、環のナイフが閃く。
だが、女は足を止めることなく、ナイフの軌道に右手を翳す。
ざくりと食い込む刃。しかし女は苦痛を感じる様子もない。
むしろ嬉々として、ナイフが刺さったままの手を右に左に振り回す。
飛び散る血潮。食い込んで離れない刃に、刺した環の方が手を離した。

「あはははははははははは!
 無様だね赤髪! お前の武器で殺してやるッ!」

言うや、躊躇うことなく己が右手からナイフを引き抜く女。
鮮血が噴水のように流れ出るが、女は気にする様子もない。

「イカレてるわね……!」
「……お前たちが人間を馬鹿にするのかッ! 私は死なない!!」

会話が成り立たない。
女の言動は完全に常軌を逸していた。
郁乃は七海を殺し、自分をその手にかけようとしていた環よりも、新たに現れた女の方に
嫌悪感を覚える。

(早く、逃げなくちゃ……!)

どちらが生き残ったとしても、安全は保障されそうになかった。
しかし対峙する二人はレストランの入り口側に位置している。
周囲を見渡して、他の出入り口を探そうとする郁乃。
だが、ふと感じた違和感に、その視線が止まる。

(……地震……?)

車椅子に座っている郁乃だからこそ感じ取れた、微細な震動。
対峙している二人はまだ、気づいていないようだった。

「死ね、赤髪ッ!」
「あたしは奪う側なのよ……ッ!」

目の前ではもみ合いが始まっている。
その間にも、揺れは次第に大きくなっているようだった。

(こんな時に……! 生き埋めなんて冗談じゃないわよ……!?)

開始時の爆発で、既にこの建物は相当傷んでいるのが見てとれた。
この揺れが万が一、大きな地震の来る前兆だとすれば、一刻も早く脱出しなければならなかった。
だが入り口には狂人と殺人者。七海の遺骸もそのままにしておくわけにはいかない。

「どうしろって言うのよ……!」

郁乃が口に出した、そのとき。
ひときわ大きな揺れが、ホテル跡を襲った。
思わず車椅子の上で身を竦める郁乃。手は必死に車椅子の肘掛を握り締めている。
だが次の瞬間、その目に信じられない光景が映った。

「え―――!?」

目の前でレストランの床が、弾けたのである。
装飾を施されたカーペットの床に、幾つもの大きな穴が、唐突に開いていた。
浮き上がるように舞い飛ぶコンクリートの破片。
その上でもみ合っていた二人の身体もまた、大きく宙を舞っていた。

「な……!」

刹那、郁乃が驚く間もなく。
それら、宙に浮いたままのコンクリート塊が、人間の身体が、文字通り粉砕された。
赤と黒の霧が、郁乃の視界一杯に広がる。

「……ッ!?」

悲鳴を喉に詰まらせる郁乃。
それは、正確を期するならば、銃撃と呼ばれるものであった。
コンクリートの床を易々と瓦礫の山に変えたその嵐が、一秒間に数百発という勢いで
吐き出された弾丸によるものだと、郁乃がようやく認識するのと、ほぼ同時。
大きく開いた床穴から、巨大な柱のようなものが顔を覗かせた。

「な……なに……!?」

灰白色の金属製。
巨大な筒状のそれを、テレビアニメの中に出てくるロボットが持つ大砲のようだ、と郁乃は感じる。
目線で辿れば、その筒状の根元は、更に大きな機械に続いているようだった。
本体と思しきその巨大な機械が、郁乃の目の前でせり上がってくる。

「なん……だっていうの……?」

四本の足を持った大砲。
あるいは、金属製の巨大な蜘蛛のオブジェ。
郁乃が直感的に思い浮かべたのは、そんな表現だった。
グレーを基調にして、所々に青灰色の斑模様が施されている。
瞬く間に見上げる程の高さを得たその巨大な機械に、郁乃は呆気に取られていた。

「……」

言葉も出ない郁乃の目が、赤い光に照らされる。
見ると、蜘蛛でいえば顔にあたる部分の、少し下。
両胸のあたりに、二つの丸いせり出し部分があった。
向かって右は、郁乃にも理解できる。それは、まだ湯気を上げている機銃の銃口だった。
そこから吐き出された無数の弾丸が、殺人鬼と狂人を灰塵に帰さしめたのだと感じる郁乃。
そう考えると、紛れもない凶器である筈のそれも、実に頼もしい武器のように思えてくるから不思議だった。

赤い光は、向かって左の丸いせり出し部分から発されていた。
三つのライトが、くるくると回っている。
それが、何か自分を見つめる目のように思えて、郁乃は思わず口を開く。

「あなたが……助けて、くれたの……?」

答えるように、くるくると回る三つの光。

「そうだよ、……って、言ってるのかな……」

くるくるとテンポよく回る、三つのライト。
それはまるで子犬が尻尾を振っているようにも見えて、郁乃は苦笑する。

「大きな子犬だな……」

くるくると回る、小さな光。
それがデフセンサー、近距離管制感覚器と呼称されるものであると、郁乃が知ることはなかった。
球形銃座から覗く13mmニ連装機銃が、デフセンサーと連動してほんの一瞬だけ回転する。
それで充分だった。
飛来した弾丸は、一切の苦痛を与えることなく、小牧郁乃を破砕した。



Mk43L/e自動要撃砲台。
開発コードでシオマネキと呼ばれるそれは、射程内に存在する熱源をすべて制圧すると、
その主脚に備えられた八輪の車輪を稼動させる。
ゆっくりとその巨体を回転させると、シオマネキはその巨大な砲塔―――LERC、
長距離電磁射出砲の先端に光を点した。眩い光が、その砲塔に集まっていく。
瞬間、轟音と共にホテル跡の壁が一面、吹き飛んだ。

薄暮の沖木島に、ゆっくりと巨体を現していくシオマネキ。
新たな制圧対象を求めるように歩を進める、その眼前に降り立つ影があった。
それは黒と濃紺で彩られた、優美な機体。
識別信号に反応なし。シオマネキはその機体を即座に敵性体と認識する。
くるくると、デフセンサーが回転を始めた。


『おば様、あれ―――』
「……ええ、間に合わなかったみたいね……!」
『すっかり目を覚ましてるみたい……』
「あんなものが暴れ出したら、大変なことになるわ……! 止められるわよね、カミュ?」
『任せて、おば様!』
「……いい返事。けど、私のことは―――」
『あ、ごめんなさい、春夏さん!』
「わかれば良し! ―――来るわよ!」




【時間:1日目19時前】
【場所:E−4】


小牧郁乃
【状態:死亡】

向坂環
【状態:死亡】

澤倉美咲
【状態:死亡】

柚原春夏
【所持品:アヴ・カミュ、おたま】
【状態:健康】

長瀬源五郎
【状態:久瀬司令が超先生の死亡報告を受けたのは220の1日目PM12:11以降、212の演説の直後だったのさ。
 それが証拠にほら、327の久瀬司令と超先生には時間の記載がないじゃあないかね。
 君もそう思うだろう、榊君?】

榊しのぶ
【状態:訴えます】
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