罪の共有




 カランと、陥没したフライパンが向坂雄二(040)の手から滑り落ちる。
 雄二の荒立った吐息と、マルチ(098)の嗚咽が混じる悲鳴が静寂の夜を打つ。

「―――はっぁ! はぁ、はぁっ、は、ぁぁあ……」
「やめて、やめてください……もうやめて……」

 雄二は自身が行った惨劇を何処か他人事のように唖然と眺めていた。
 小刻みに震える掌を見詰め、さらに指の隙間から覗く一つの物体が彼の震えを助長している。
 ―――あらぬ方向に曲がってしまった歪な人間の頭部。
 ぐるりと、今にも動き出しそうな眼球が何時までも雄二を見詰めていた。
 月島瑠璃子(067)の死体が、じぃっと見詰めている気がした。
 血走った雄二の眼と交差した時、彼の口許はわなわなと震えだす。
 獣の雄叫びをあげた。 

「―――あああああああアアアぁぁぁぁ!!!!」

 腰に縋るようにしがみ付いたマルチを強引に振り払い、足を振り上げて瑠璃子の頭部を蹴り飛ばす。
 血溜まりに浸っていた彼女の頭部からは付着した血液が迸り、部屋の装飾品や雄二の衣服を赤く汚した。
 ―――それでも、血に濡れた瑠璃子の双眸は雄二を見詰めている。 
 雄二は狂ったように足を振り上げては振り下ろすといった動作を何度も何度も繰り返す。
 ドス黒く染まった爪先が、彼女の眼球を抉り、鼻を潰し、前歯を叩き折り、顎を砕いた。
 彼女の頭がピンポン玉のように上下する度に、血液を全て搾り出そうと鮮血が噴き出していく。
 ―――憤怒、恐怖、憐憫、後悔、絶望。有らん限りの負の感情を咆哮する。

「―――んな……見んなよぉ!! みるなみるなみるな……そんな眼でっ、俺は見るんっ、じゃねぇよ人殺しがぁっ!!
 殺させやしねえぞっ、もうこれ以上好き勝手やられて堪るかよおぉ!!!!」

 飽きること無く、既に事切れた遺体を延々と嬲る。
 肉を抉る音、骨が軋む音を茫然と見詰めていたマルチだが、眼を覆いたくなるような瑠璃子の惨状を目にして我に返ったように雄二へと飛びついた。
 彼の狂気を今度こそ止めようと、必死になって右足に縋りつく。

「やめてください! 違うんです違うんです! 瑠璃子さんは悪くありません! わ、わた、わたしが悪いんです! わたしが全部悪いんです!!」

 あの時足を滑らさなければ。あの時瑠璃子の手を取らなければ。
 ―――きっと、こんな悲しい結果は招くことはなかった。
 ―――全て自分が悪いのだ。結果的に仇で返したメイドロボの自分が悪いのだ。
 
 マルチの行動が功を成したのか、ようやく雄二が荒い息を吐きながら足を止めた。
 だあ、雄二は瑠璃子の視線が自身から外されたことに安心したのも束の間、右足にしがみ付いたマルチを凄惨な双眸で睨みつける。

「何やってんだよお前……。なぁ……なあっ!! 甘い顔してたから漬け込まれたんだぞ! いい加減にぃ、学習しろよ!!」
「悪くないんです、瑠璃子さんは悪くないんです……」
「……っ!!」

 矛先をマルチへと向けた雄二は厳しい視線で追求する。 
 豹変した雄二の様子にマルチは震え上がった。
 しかし、それでも変わらぬ彼女の懇願するかのような瞳に、雄二は奥歯をギリっと噛み締めた。

「何が悪くないって? ええ!? 言ってみろよ……!!」

 何時までも纏わりつくマルチを鬱陶しそうに手で突き倒した。
 小さく悲鳴を上げながら尻餅をついたマルチは、上目遣いで哀願を孕んだ視線を雄二に寄せる。
 それがまた媚びへつらった態度に見えたために、今の雄二の濁った瞳は完全に彼女を見下していた。

「わたしが悪かったんです……あの時、ったしが、ころ、ころびさえ、しなければ―――」
「いいから端的に言えよ! 舌足らずに喋んじゃねえ!」
「ひ……っ。わたしが転んだときに手を貸してくれたんです! でもそのままバランスを崩してしまい瑠璃子さんがわたしを押し倒す形に―――」

 雄二の怒声を後押しするように、マルチは身体を震わせながら懸命に口を走らせた。
 そして話を聞き入れた雄二は、形容し難い引き攣った表情を浮かべる。
 ―――彼女の正気を疑った。
 この期に及んで何を言い出すのかと思えば、加害者を一方的に庇うなどと理解に苦しむ。
 マルチの言い分が正しいとすると、自分は何なんだ。
 非力で脆弱なメイドロボを救ってやった自分は一体何なんだ。
 雄二の脳裏に理不尽な怒りが沸々と湧きだってくる。

「―――ざっけんな!! マジで馬鹿だなお前はよぉ! この期に及んでメイド特有のご奉仕精神かよ? あの女が手を貸した? 勘違い? 俺の?
 騙されてたことに気付けよ!! それとも何か!? ロボット様は無条件に人様を信じ込ませるようなプログラムがインプットされてんのかよ?
 ちゃんちゃら可笑しいな!? んだよ……助けてやった俺を加害者扱いかよ。そんでお前がお涙頂戴で偉そうに俺を諭すのかよっ」
「ち、ちがっ! ホントなんです! 決して雄二さんのことを悪者になんか―――」
「―――クソ、クソッ。メイドロボってこんなモンなのかよ。姉貴の言う通りだったよ……」
「な、なにを……」
「所詮は機械の寄せ集めでしかないんだよな! お前みたいなポンコツの無機物野郎を庇った俺が馬鹿だったんだよな!?」

 雄二の物言いにマルチは唖然とした。
 確かにマルチの身体は機械で出来ている。それは疑いようのない事実だ。
 それでも、人並みの感性が備わっていることもまた事実だ。 
 藤田浩之(089)や主任、沢山の級友が認めてくれた自身の価値観や評価。
 そして機械にも心が宿り、感情を表すことが出来ることを。自分が証明したことを誇りに思って生きてきた。
 だが、雄二の一言がマルチの心に亀裂を入れる。
 目に見えて全身を震わせながら、彼女は耐え切れなくなったように顔を伏せた。 

「……どい、です。酷いです……。わたし、わたしだってみんなと同じように生きてっ、生きてるのに―――」
「うっせえぇ!! 生きてるだって? 稼動の比喩かそれは? 充電しないと動けない奴が人間ぶってんじゃねえよ不良品が!
 この女は危険な奴だったんだよ! 新城だってコイツに殺されたかもしれないんだ、いや。コイツが殺した! そうに違いない!
 そんな奴を生かしておいたら俺達が危険だったんだぞ? 現にお前は襲われた! 壊されそうになった! 違うか!?」
「ち、違います……瑠璃子さんは本当に……」

 マルチの弱弱しい否定に、雄二の額に青筋が浮かぶ。彼は訳の解らぬ怒声を発しながら、顔を俯かせて座り込む彼女の頭髪を鷲掴んで強引に起こす。
 髪を引っ張られて苦痛で顔を歪めるマルチのことなどまるで気に掛けず、反対の手は彼女の肩口へと食い込んだ。
 痛みで悲鳴を上げるマルチの表情を見て、雄二は忌々しげに舌打ちする。
 あたかも機械に痛覚など存在するわけがないのに、仕草が一々白々しいと内心で悪態をつきながら。

「ち、が、わ、ないんだよ!! お前は壊されそうになった! 俺が助けてやった! 全部事実なんだよ!!」
「い、痛たっ……痛いです、痛いです雄二さん……っ」

 万力のようにマルチの肩を握りつぶす右腕に、容赦なく髪の毛を掴んで引き摺り起こす左腕。
 彼女の嘆願もまるで聞こえていないかのように、雄二は両腕の力を緩める素振りを見せない。

「俺が間違ってるのか? この狂った人殺しの女と正常に判断できないロボットのお前が正しいのか? そうじゃないだろ……そうじゃねえよな!?
 お前は正しく判断できないんだよ、思ったことは擬似的なパターンでしかないんだよ。感じたことは錯覚だ、善悪の区別がつかないんだろ? ロボットだからなっ!!
 頭覗けばエラー出しっ放しの劣悪仕様なロボットなんだろ!? じゃあそんな奴がマトモな判断出来るわけないよなあ!? 
 そうだろ! そう思うだろ!? 不良品が正しく動作できる道理はないだろ!? ほら頷け! 頷けよおおぉぉ!!!!」
「―――ぁ、うぁ……」

 マルチの髪を引っ張ってカラクリ人形のように強引に頷かせた。
 正気を失った雄二の狂気は、収まるどころかマルチという火の粉の当たり所に向けて加熱する。

「そもそも始めは上手くいってたんだ。俺と貴明と新城とお前で、上手くいってたじゃないか! じゃあ水差しした奴は誰だ? この女だろうが!!
 怪しいと思ってたんだよ俺はな! 不気味な雰囲気もさることながら何の警戒もなく近づいてきたことも全部が全部ぅ! なのに新城とお前は良い具合に絆されて!」
「……っ」

 吐き捨てるような視線を、無残に投げ捨てられた瑠璃子へと寄せる。
 一層と掴む腕に力が篭もった。

「結果どうした!? どうなった!? 貴明はいなくなって新城が死んだ!! お前もぶっ壊されそうになっただろうが! そして次は俺か?
 冗談じゃねえぇ!! こんなクソ女に殺されて堪るかよ! 間違っても殺されて堪るかよ!! だから殺した! 当然だろ命が掛かってんだからよ!!
 ほら見ろ、良く考えろっ。何にも出来ない愚図なお前を助けて俺も生き残った!! コイツに全員殺されるのとどっちがいいよ!?
 悪いのはどっちだ? コイツだろ!? 正しいのはどっちだ? 俺のほうだろ!! 考えるまでもないだろうがああぁぁ!!!!」

 鼻が擦れ合うほど顔を近づけて、狂気に歪んだ顔でマルチを覗き見る。
 雄二の濁った瞳を直視したマルチは、血の気が失せたようにカチカチと歯を鳴らした。
 彼の言い分は押し付けがましい言い訳であり、苦しい正当化にしか聞こえない。
 巳間良祐(106)の襲撃とて、彼女がいなくては乗り切ることだって出来なかったのだ。
 だが、それを指摘することは既にマルチには叶わなかった。
 雄二の気迫に押されたということもあるが、何よりもロボットとしての自分に自信が持てなくなってしまっていたからだ。
 マルチの機械としての誇りは、畳み掛けられるように否定され続けた雄二の言葉により粉々に消失する。
  
「―――ご、めんなさい。ごめんなさい……ごめんなさい」
「ちっ。謝るぐらいなら始めから言い訳なんかすんじゃねぇよ。どうせ故障した頭の中じゃ俺のこと見下してんだろ?」
「そ、そんな……。わたしは別に……」
「ロボットの癖に癪に障る仕草すんなよ! 人間様が怒ったらそう反応するようになってんだろ? ただの奴隷じゃねえかよ!!」

 自身が押し付ける理想のメイドロボ像が覆されてしまい、異物を払うようにマルチを突き飛ばした。
 雄二は当り散らすように近くの家具や物品を壊すことによって怒りを紛わす。
 静まり返った夜の家内で、破壊音や衝突音が響く度にマルチは震える肩を竦ませる。
 好き勝手に暴れまわる雄二だったが、ふと思い立ったように瑠璃子の死体を見詰めた。
 ―――決して勘違いじゃない嫌な予感がマルチの全身を駆け巡った。
 ギョロリと雄二の眼球がマルチを見定める。
 早歩きでマルチへ近寄り、再び引き摺るようにして死体の元へと連れてくる。

「―――な、なにを……するんですか……?」
「信用できないんだよ。口では正しいのは俺だと言っておいて、どうぜ脳内ではこの女の戯言を信じて俺を蔑んでいるに違いないんだ」
「そんなことありません! 雄二さんのことは―――」 
「俺が信用できないって言ってんだ!! やっぱ裏切るのかよ……誰かに襲われたとき俺を平気で見捨てそうだもんなお前……
 殺すんだろ? いざとなったら邪魔になった俺を殺すんだろ!?」
「な、なにをいって……。わたし、わたしそんなこと出来ません! なんだって協力しますからっ、もう酷いことは言わないでください……」

 既に精神不安定なのか、少しのことで激化する雄二に恐れたマルチは、何とか彼の態度を軟化させようと懇願する。
 なんだって協力する―――その言葉を受けて、雄二はゆらりと地に落ちたフライパンを手に取ってマルチへと差し出した。

「な、なんです、か……」

 歪に凹み、べったりと血液が付着したフライパンを怪訝に見詰め、恐怖に震える。
 なにをするのか、なにをさせたいのか。マルチには想像ができてしまった。

「―――やるんだよ」
「ぁ、う……え?」
「分かってんだよな? コイツで、この女を、殴って見せろよ」
「無理です! メイドロボのわたしが人間を……」

 常軌を逸した命令に、マルチはかぶりを振った。
 そんなマルチの頬を雄二は躊躇なく叩き、唖然とした彼女の手にフライパンを強引に握らせる。
 鉄の塊を落とさせないよう、マルチの握った拳の上から自身の掌を壊れるほどの力で重ねた。

「やるんだよ。正しいのは俺なんだろ? 悪いのはこの女なんだろ? 自分が間違ってたから謝ったんだよな? 嘘じゃないんだよな?
 なんだってするんだよな? じゃあできるよな? この手を、振り下ろせば良い。簡単だろ?」
「―――いや、いや……っ」
「やれよ……早くやれ、やるんだよっ!! やれよ、さあやれ! ほらやれ!! お前は壊れてんだよ! ロボット三原則もクソもないんだよ!
 今更守るべきルールも倫理も道徳もお前如きスクラップに適用されるわけないだろうがっ。
 壊れる所まで壊れたお前にこれ以上壊れる所なんてあるわけがないことに気づけよ!! コイツが人間? つまらねぇ心配なんかしてんじゃねえよ!
 良く見ろよ! 曇った視界フィルターで良く確認してみろよ! こんな原形を留めていない人間がいるものかよ! 一緒にすんな! 
 こんな肉の塊に躊躇ってんのかよ!? 躊躇してんのか!? ならお前はクソ役立たずの木偶のマネキン人形だよな!?
 なんだってするっていっただろうがよおぉ!! 発言した責任も取れないのかよ嘘吐き野郎がぁ!!
 お前らロボットが余計なことを考える必要なんかありゃしないんだよ! 馬鹿みたいに人間の命令に従ってればいいんだよ!!
 振り上げて下ろす! 振り上げて下ろす!! こんな簡単なことさえ出来ないならお前なんか存在する価値も意味もないってことになるんだ!!」

 容赦のない狂った雄二の叫びが、躊躇するマルチの背を強引に押した。
 震える腕で、フライパンを高く振り上げる。
 ―――後は振り下ろすだけ。その一挙動を行うだけで雄二の悪意ある追及をかわすことが出来る。
 だがそれでも。マルチには、最後の挙動を行うことを理性で必死に押し留めた。
 これだけは出来ないと、背後で腕を支える雄二を仰ぎ見る。

「許して……許してください……。これ以上は、もうこれ以上は……」
「これ以上? 何もしてねえだろうが!! お前は俺にこの女を殺させといていいご身分だよな!? 舐めてんじゃねぇよ!!
 俺だって殺したくて殺したわけじゃないんだよ! コイツが襲うから! お前が襲われてたから! 仕方なく殺したんじゃねえかよ!!
 許さねぇ……絶対に許さねぇ……っ!! なんで俺だけが罪を被らなきゃならないんだよ? 
 元はと言えば! 元を正せば! 壊れたお前にも責任はあるんだよ!!」
「壊れてません!! わたしは壊れてません!!」
「―――黙れえええぇぇ!! 同罪だ!!」

 マルチの必死な訴え。それは雄二からしたら白々しく聞こえ、もっとも許せない言葉であった。
 ―――お前が壊れたから瑠璃子の狂言に気付かなかったのだ。
 ―――お前が壊れたから沙織が死なす破目になったのだ。 
 ―――お前が壊れているから自分が瑠璃子を殺す破目になったのだ。
 それを壊れていないなどと戯ける思考も許せぬし、仮に壊れていなかったとしたら尚悪い。全てを見過ごしたという事になるのだから。
 完全に病んだ雄二の精神は、修復不可能なまでに疑心暗鬼に陥っていた。
 全ての事象が悪い方向へと連鎖してしまい、最悪の解釈を常にしてしまい、マルチを信じ得る材料は既に存在していない。
 そんな雄二が導き出した唯一の裏切れない契りの方法が、罪の共有ということである。
 対等な立場に持っていって始めて今の雄二は安心できるのだ。
 だから、マルチには否が応にも敢行してもらう。

 マルチのフライパンを握った腕を掴んで、その腕を引っ張るようにしてそれ以上の高さで掲げさせる。

「仕方ないから手伝ってやるよ!! これで俺達は本当の仲間だ!」
「いやっ! いやぁぁぁ!!」
「往生際が悪いんだよ!! 駄々をこねれば止めてくれると本気で思ってんのか!?
 俺があの時駄々をこねれば俺は人を殺さずにすんだのか! そう思ってんならマジでおめでてえな!!
 壊れてないんだったら安心しろ! コイツの頭を叩き割ってこれから一緒に壊れようぜ!! いいよな!? 良いに決まってるな!!」
「や、やめ―――」

 彼女の意思とは裏腹に、雄二に従わせられたフライパンは無慈悲に瑠璃子の頭部へと吸い込まれていく。
 ぐちゃりと、おぞましい肉の感触がフライパンから正確に伝わってきた。
 先程の再現のように、マルチと雄二の腕が何度も上下して瑠璃子の死体を跳ねさせる。

 黎明が迫る静かな民家で、悲痛な叫びが木霊した。




 『向坂雄二(040)』
 【時間:2日目午前5時頃】
 【場所:I−6】
 【所持品:死神のノート・支給品一式】
 【状態:精神異常】

 『マルチ(098)』
 【時間:2日目午前5時頃】
 【場所:I−6】
 【所持品:歪なフライパン・支給品一式】
 【状態:不明】
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