疾風伝説




篠つく雨が、梢を濡らしている。
夜の闇に沈む森の中、一本の大樹の陰に少女が座り込んでいた。
一見して雨宿りといった風情ではあるが、後ろで二つに分けた長い髪からは
雨粒が滴となって零れている。白い学生服の裾も、しとどに濡れていた。
底冷えのするような夜気を意に介さず、少女はじっと座り込んでいる。

どれほどの時間、そうしていたであろうか。
垂れ落ちる滴を目で追いながら、ふと少女が口を開いた。

「ねえ、タバコ……持ってない……?」

独り言のようなその言葉に、答える声があった。

「……セッターライトでよければ」
「何でもいいよ」

苦笑するように口の端を歪めながら、声の方に目線を向ける少女。
答えた男は、雨に濡れた肩を払うようにしながら少女の側へと歩み寄る。

「隣、いいかな」
「どうぞ」

言って、少女はそれきり男から目線を外す。
暗がりをぼんやりと眺める少女に何を見たか、男が話しかける。

「その制服……学生さんだろ。タバコなんか吸うのかい」
「……先生とか、警察の人?」
「程遠いね」

肩をすくめて見せる男。

「今時の子に説教でもないか。……歳かな、俺も」

言いながら、懐に手を入れる男。
しばらくまさぐって、小さな箱を少女に差し出す。

「火は、あるかい」
「そっちも、もらえるかな」
「はいよ」

男の差し出した箱から一本を取り出すと、口に銜える少女。
男はポケットから出したライターを、少女の口に寄せる。
じ、と音がして煙草に朱色の灯が点る。
紫煙をひと吸いする少女。

「吸い慣れてるな……悪い子だね、っておいおい……?」

男の、少し驚くような声。
少女は、指に挟んだ煙草を吸い口を下にして地面へと突き立てていた。

「ゴメンね。これ、あたしが吸うためのもんじゃないから」
「……?」
「宗一……友達がさ、死んじゃったんだ……」

闇の中で、火のついたままの煙草が、朱い光を放っている。
微かな光に照らされた少女の顔は、だがその言葉とは裏腹に、苦笑しているようにさえ見えた。

「だから、線香代わり……」
「……」
「バカな奴だったけど……こんなにあっさり死んじゃうなんて、本当にバカ」

笑い飛ばすような少女の声は、どこまでも湿り気がない。

少女の真意を測りかねたか、男は少女に背を向け、しばらく言葉を選ぶように
沈黙を続けていたが、やがて意を決したように顔を上げると口を開いた。

「……もう一本、どうだい」
「……え?」
「君の分、さ」
「あたしはいいよ。もう随分前にやめたんだ。
 けど、お言葉に甘えさせてもらえるなら……もう二本、もらえるかな」
「……やっぱり、友達の分?」

男の低い声に、少女は困ったように笑う。

「どうかな。友達っていうか……仲間っていうか、敵でもあったりしたけど。
 ……でもまぁ、うん、友達だよ」
「そうか。……なら、三本だな」

男の言葉に、少女はその意志の強そうな眉を寄せる。

「……? いや、二本でいいってば」
「まぁ、そういうなよ」
「……」

男は、軽く肩を震わせている。笑っているようだった。

「お前さんの分も合わせて、三本必要だろ。……線香は、さ」

言って振り向いた男の手には、大きな猟銃があった。
その銃口は、座り込んだ少女の顔面を正確に捉えている。

「こんな状況で銃を持った男が近づいてきたら、もっと警戒しなきゃダメだな。
 ……気をつけないと、死ぬことになるかもしれない」

少女は声を漏らすこともなく、じっと銃口を見据えていた。

「……怖くて声も出ないか? 安心してくれ、俺は同僚みたいな変質者じゃない。
 楽に死なせてやるよ」
「……そうじゃなくてさ」

少女が、口を開いた。
恐怖に震えても、絶望に怯えてもいないその声音に、男が怪訝そうな表情を浮かべた、その瞬間。

「……!?」

男の視界が、閉ざされていた。
電光石火の速さで立ち上がった少女の手が、男の顔面を鷲掴みにしていたのである。
白い細腕のどこにそのような力が隠されていたものであろうか、少女は片手で掴んだままの
男の頭部を、凄まじい勢いで大樹へと叩きつける。

「……がっ……ぁ!」

激しく揺れる大樹。
大粒の滴が、滝のような音を立てて辺りに降り注ぐ。
その飛沫の中心で、少女は片腕で男を目線より高い位置に吊るし上げていた。
絞首台に吊るされた死刑囚のような格好で、男の身体が痙攣している。

「いきなり”ドーグ”出してぇ……、ウタってんじゃねえよ……」

低く唸るようなその声には、先刻までの少女の面影はない。

「この湯浅さんに上等切ったんだ……潰してやんからぁ、殺すまで死ぬんじゃネェぞ……?」

その声が、男に届いていたかどうか。

小刻みに震える男の手は既に猟銃を取り落としていた。
少女の指の間から垣間見える青黒い顔面からは血液ともつかない液体が流れ出し、
失禁した股間からは湯気が上がっている。

構わず、少女は二度、三度と男の後頭部を大樹へと叩きつける。
飛び散る返り血を顔に受けても、少女は眉筋一つ動かさない。
やがて男がぴくりとも動かなくなると、少女はまるでゴミでも捨てるように
男の身体を放り出した。

「お礼参りァ、『雌威主統武』初代、湯浅皐月に持ってきな……」

言うと、少女は落ちている猟銃を拾い上げ、銃口を空に向けておもむろに引き金を引いた。
響いた銃声は、計五発。
それ以上の弾が出ないことを確認すると、少女は熱を持って湯気を上げている銃身を
雨に濡れた地面へと押し付けた。音を立てて舞い上がる蒸気。
銃身の方を掴み、握りを変えながら何度か猟銃を振り回す少女。
やがて納得したのか、少女は銃を肩に抱えて雨の中へと歩き出す。

「宗一……ゆかり……なんで逝っちゃんだよ……」

小さな呟きは、雨音に掻き消されて誰にも聞こえない。

「坂上のバカもそっちみたいだからさ……喧嘩相手に不足はないだろうけど……。
 残されたこっちは、どうすればいいのさ……」

見上げた空は、ただ暗い。

「風が、騒ぐんだよ……宗一……」

雨粒が入ったか、少女の目から一筋の滴が流れる。

「”狂風烈波”の旗掲げて……みんなで全国”シメ”るって粋がってた、あの頃の……。
 もう……とっくに凪いだと思ってた風が、さ……」

顔を伏せた少女の目が、片手のバッグに注がれる。

「こんなの見たら……”暴走り”たくなっちゃうよ……、宗一……」

雨に打たれながら、少女の歩みは止まらない。
その行く手には、ただ夜の闇だけが広がっていた。




湯浅皐月
 【所持品:『雌威主統武(メイ=ストーム)』特攻服、ベネリ M3(残弾0)、支給品一式】
 【状態:健康】

巳間良祐
 【状態:死亡】

※煙草とライターは優季の支給品。
【2日目午前3時】
【H-4】
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