sadistic hardcore




 正直に言って、私は不安で仕方がない。そう茜に漏らしたのは、そろそろ空も薄明るくなろ
うかという頃だった。もっとも、こんな状況下で規則正しい生活を送れるはずもなく、時間感
覚は適当極まりない。まさかまだ深夜の一時や二時ということはないだろうという曖昧なもの
だ。どこかの民家で時計を見たような気もするが、それからかなり経っているはずなので当て
にはならない。星座の位置で正確な時間を計る術は持ち合わせていなかった。
 その星座にしても今はもう見えない。先程から急に雨が降り出した。確かに少し前までは空
に星は見えていたが、いつの間にか黒一色に染まっている。そんなことにも気付かない程、私
は必死だったのだ。いや、焦っていて周りが見えていなかった。
 当面の雨を凌ぐために、私たちは森の中の小屋に足を踏み入れた。確かなことは言えないが、
にわか雨のような降り方だったので、すぐに止むのではないかと思う。そうでなかったら明日
からはいろいろと大変かもしれない。
「突然何を言い出すんですか」
 濡れた体を拭きながら茜が返す。綺麗な肌をしているようだが胸は私の方が大きいなんてど
うでもいいことを頭の片隅で考えながら、今日一日を思い返す。
「私達は今日一日でそれなりに多くの場所を歩き回ったはずだ。だがいくら調べても脱出に繋
がりそうな物は何もない」
 唯一の発見はあの船だったが、かなり時間を置いてからあの場所に戻ってみたら影も形も消
えていた。誰かが修理して脱出に成功した可能性もあるが、実際のところはどこかで私達を管
理している連中の仕業に違いない。あんな分かりやすい脱出のヒントが用意されているとは到
底思えないので、あれは何かのイレギュラーだったのではないかと私達は結論づけた。いずれ
にせよあのチャンスを逃したのは大きな痛手だった。
 そして、それよりももっと大事なものを、私はあの場所で失ったのだけれど。

「おまけに歩いても歩いても誰にも出会わない。船での一件が最初で最後だ。争う音は何度も
耳にしているのに、これは一体どういうことだ」
「運と出番がなかったんでしょう」
「出番?」
 なんでもありませんといいながら、茜がタオルを放る。私も早いところ顔や髪を拭いてしま
いたかった。茜は続ける。
「不安は私も同じです。だけど、まさか諦めるつもりではないですよね?」
「そんなことは」
 タオルを下ろした私の眼前に、手斧がつきつけられる。仕舞いっ放しで一度も使われること
もなかった刃先がぎらぎらと輝いている。
「そのときは、私が真っ先に智代の敵に回ります。智代が言い出した約束です」
 脅しつける姿は、しかし茜には全く似合っていない。この子にはピンクの傘がお似合いだ。
こんな場所にいるべき子ではない。それはきっと誰だってそうだ。
「諦めるつもりなどない。少しだけ弱音を吐いただけだ、私達はまだやれる」
「そうですね」
 どことなく満足げに手斧を下ろす。まったく情けない、弱音を漏らすなんて私らしくない。
元気付けられてしまったではないか。
「だがその場合、お前は私を殺した後にどうするんだ? 正直に言って生き残れそうには見え
ないぞ」
 脅された仕返しにちょっとだけからかってやる。茜は壁にもたれて、すこしだけ笑った。
「そうですね。私が武器を持って人を殺し回るなんて非現実的です。そんな私はどこにもいま
せん。これだって持っているのが精一杯です」
「ふふっ、違いない」
「それにしても少し喋りすぎま            し        た」
 ごとっ、と、手斧を落とす。持っているのに疲れたのか。

 そうではない。
 茜の胸から一直線に、何か、刀の、ような、も、のが、生えて、い、た。


「茜っ!」
 声と同時、刀が抜かれる。私は崩れ落ちる茜の体を支えようと駆け寄り、
 直前、踏みとどまった。
 二度目の一閃。壁の隙間からの攻撃だった。ボロ小屋だったのが災いした。確かにここは最
低限の雨を凌げる程度の貧相な建物だった。もしあのまま駆け寄っていたら私は今の一撃を食
らっていた。ギリギリの所で回避したと言っていい。だがその代償は間違いなく存在した。鈍
い音を立てて、茜の体が板張りの床にまともにぶつかる。
 嗚呼、私はたとえ串刺しにされても、僅かな時間しか一緒にいられなかったこの友を、支え
てあげなければいけなかったのに。
「茜ぇっ!」
 抱き起こすがもう遅い。全てが遅い。たった一突きの傷から尋常じゃない量の血液が溢れ出
る。私達の体が赤く紅く染まっていく。認めたくはない。認めたくはないが、どうみても致命
傷だった。
「わ、私、は……」
「いい、いいから喋るな! 待ってろ、私がすぐに何とかしてやる!」
 何もできないのはわかっているのに、どの口がそんなことを言うのだ。
 茜は既にどこを見てもいない。うわ言のように呟いた。
「かえ な と……。 の しょ 。   がま て 。    よ  る」
 伸ばそうとする手を掴む。雨に塗れた手はどうしようもなく冷たい。強く握って少しでも温
めれば、茜も冷たくならずにすむのだろうか。そんなわけはない。
 声にならない。言わなければいけないことはいっぱいあるようで、何を言えばいいのかわか
らない。そんな自分がもどかしく、できるなら茜の代わりになりたかった。
 お願いします! 誰でもいいから、茜を助けて!
 だけどそんな誰かはどこにもいない。この島の、この世界のどこにもいない。
 伝えたいこともわからぬまま、何も言えぬままの私に、それでも最後の最後だけ、茜は私を
見てくれたように思えた。
 唇が動く。
(智代、逃げて)
 それっきり、茜は動かなくなった。


「で、一体あんた、いつまでそうしているのかしら?」
 入り口に女が立っていた。手に持っているのは薙刀か。この状況を考えるに、刃先の血をみ
なくてもこいつが今何をしたのか一目瞭然だ。
「きさまあああああああああああああああああああああああっ!!!!!!!!!」
 獲物によるリーチの差だとか、人を殺すことへの抵抗だとか、そんな些細なことは何も考え
られなかった。転がっている手斧を取り一気に駆ける。相手との間には狭い出入り口が一箇所。

格好の的となった私は、繰り出される一突きを左手で掴み取る。痛みなんか感じない。茜の痛
みに比べたらこんなものは数億分の一にも満たない。強引に突破を試みるが相手の反応は尋常
ではなかった。時間的にも速度的にも。獲物を躊躇なく手離し、手斧を振り落とす私の右腕を
苦もなくかわし、体重の乗った当て身を叩き込まれる。武器だけは手放さないように握ってい
たつもりが、これもいつの間にか弾き飛ばされた。
 全ては一瞬。久しく味わったことのなかった、敗北だ。
「弱いのね、あなた」
 眼前に刃先が突きつけられる。詰まれた。次の瞬間、私は殺される。茜を殺したこの女にか
すり傷すらも与えられなかった。できるのは言葉による抵抗だけ。
「何故だ! 何故お前達はそうやって人を殺せる!」
「どいつもこいつもくだらないことを言ってくれるわね。死にたくないの、生きて帰るって決
めたのよ。こんな簡単な理由なのにわからないわけないわよね?」
「それだけの力があったら、もっと他のことに使えるだろう! 私達をこんな目に合わせてる
連中に踊らされなければならないんだ!」

「……ああ、ひょっとしてあなた、皆で仲良く知恵を絞ってここから逃げましょう、なんて考
えてるクチかしら」
 あはははははっ、おっかしー。なんて笑われながら一秒後には私は壁に叩きつけられた。顔
面に容赦のない蹴りが入る。土と血の味がした。
「それで? 仲間は何人集めたの? 具体的な脱出プランは立ったわけ? そんなわけないわ
よね、お友達と二人で、こんな何もないとこでうろうろしてるものね。あなた気付かなかった
のかもしれないけど、あたしは結構前から狙ってたのよ、あなたたちの命」
 つま先が頬に入る。奥歯が折れる感覚。倒れこんだ私は、物言わぬ茜と目が合った。何も映
さない濁った瞳から、私は目が逸らせない。
「あたしはあなたみたいに口先だけの夢物語と唱えるよりも、自分の力で生き抜くことを決め
たのよ。前に殺した奴の言葉を借りると、これがあたしの正義なの。そしてあたしはこうして
あなたの前に立ってる。あなたは何? その子供みたいな理想論で、いったいどれだけの物を
守れてきたの?」
 何も言えるはずがない。私は茜を救えなかった、先生を救えなかった。それだけではない。
今までの人生を振り返ってそんなものがあったのだろうか。毎日喧嘩に明け暮れ、壊れていく
家庭を繋ぎ止めようとする努力すらもしなかった。いろいろな物を傷つけてきた。身を挺して
家族を救った弟とはえらい違いだ。一念発起して望んだ生徒会選挙も当選は叶わなかった。あ
の桜の樹は近いうちに切り取られる。この理不尽な暴力を前に胸を張って誇れるものなど、

 最初から何一つとして、ありはしなかったのだ。


「呆れた。本当に口先だけのお馬鹿さんだったのね」
 自分への怒りや情けなさが止まらない。だがそれは、この女に抵抗する気力にはなりはしな
かった。殺す価値もなくなったとでも言いたげに、女は矛を収め去っていく。手斧を拾い上げ
一言、
「じゃあね、負け犬さん。お友達の所へ行けるのをそこでじっと待ってなさい」
 ……茜。
 …………茜。
 私は、何もできないまま終わるのか。
 そんなの、そんなの、
「くそおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっっっっ!!!」


 そして幾らかの時間が経った。
 からん、と何かが投げられる音がした。
 ふと顔を上げると、そこには未だに立ったままの女。
 そして私の手元には……手斧が、ひとつ。
「まだ吼える元気があるならいつでもかかっていらっしゃい。忠告しておくけど、敵討ちなん
て甘い考えじゃあたしは絶対に殺されてあげないわ。それを手にするなら、最後の最後の一人
の座を勝ち取る覚悟で私に向かっていらしゃい」
 捨てられた手斧が私の心を掴んで離さない。
「さっきあたしを殺そうとしたじゃない。その気になればやってやれないことはないでしょ。
刺激的な友達が一人死んじゃって、少しだけ寂しかったのよ。代わりにあなたが楽しませてく
れればいいんだけど」
「私は坂上智代。……貴様、名前は」
「天沢郁未、あなたの名前は覚えておくわ。智代」
「待っていろ。必ず辿り着いてやる」
「期待しないで待ってるわ」

 こうして私は、理想の限界を知った。
 こうして私は、最後の一人になるまで戦うことを決めた。
 天沢郁未が去ってしばらく、私はようやく動き出した。
 茜の亡骸と、今までの私を捨て去って。




坂上智代
【持ち物:手斧、フォーク、支給品一式×2(茜の分)】
【状態:左手負傷。ゲームに乗る】

里村茜
【死亡】

天沢郁未
【持ち物:鉈、薙刀、支給品一式×2(うちひとつは水半分)】
【状態:多分回復した】

【時間:二日目午前五時】
【場所:F-08】
【備考:この時間から雨が】
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