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血染めの揺籃



「ね、ねぇ……冗談でしょう、おばさん……?
 冗談だって、言ってくださいよ……」

少年は泣いている。
跪き、涙を流して歯の根の合わない声で命乞いをしている。
その眼前に突きつけられているのは、鈍色の大きな銃。
私の持つ、人を殺すための道具だ。

少年は泣いている。
怖いのか。死が。
悲しいのか。日常に裏切られたことが。
悔しいのか。何事も為せずに死んでいくのが。
或いは、それらすべてがない交ぜになっているのかもしれない。
知る術はなかった。
知る必要もなかった。
彼を待つ結末は変わらない。

私は、静かに口を開く。

「―――春夏さんって、呼んでよ。最後に」

笑ってすら、いたかもしれない。
少年は、その生涯の終わりに何を見たのだろう。

銃声が、響いた。




夜の森を、走っていた。
襲撃は失敗した。
懐かしくも楽しかった日々を思い出させるような、幼い子供たち。
その顔に娘の面影を重ねて、躊躇いを憶えた。
大切な思い出を血で汚してしまうことが、怖かった。
思い出を大切にするあまり、千載一遇の好機を逃した。
なんて、救いようがない。

時間は刻々と過ぎていく。
それは、このみの命の刻限に他ならない。
躊躇うことなど、許されないはずだった。
それでも、心のどこかで期待していたのかもしれない。
どうしようもない悪人や、唾棄すべき殺人者が次々と目の前に現れて、
そんなものばかりを殺し続けて、目標に到達できるかもしれない、などと。
ひどく滑稽な、妄想だった。

実際に目の前にいたのは、幼い子供たちだった。
判っている。
殺さなければならなかった。
そんなことは判っている。
だけど、と思う。
だけど、そんなことをして助けられた命に、このみは感謝してくれるだろうか。

吐き気がした。
そんな下らないことを考える、下らない自分に。
感謝など、されるはずもない。
喜んでなど、くれるはずがなかった。
蔑まれ、罵られ、私などの娘に生まれたことを後悔するに違いなかった。

だから、どうした。

そんなことは、痛いほどに判っている。
だからどうしたというのだ。
蔑むがいい。罵るがいい。存分に悔やむがいい。
生きて、悔やんでくれるがいい。
私はだから、どうしようもなく、母親なのだ。

殺そう、と思う。
次に会った人間を殺そう。
その次に会った人間も殺そう。
その次も、次の次も。
殺して、殺して、この手を真っ赤に染め上げて。
そうしてこの手で、このみを抱きしめよう。

走っていた。
殺意だけを胸に秘め、躊躇いなどは振り捨てて。
夜の森を抜けた、その向こうにいたのは、

「おばさ……春夏さん、春夏さんじゃないですか!?」

ああ、と。
ああ、これは運命なのだと、そう思う。

このみのために誰かを殺す。
それは、このみの命を、誰かの命で贖うということだ。
このみのために、誰かの命を積み上げる。
積み上げられる命の重さなど、関係ない。
それはこのみの前に、正しく等価だ。
十という数の中の、一だ。
これは、そういうことだ。

夜の森の向こうで、私の前に現れたのは、河野貴明。
このみの、大切な人だった。



震えが止まらない。
胃の中のものを全部吐き出して、それでも吐き気が収まらない。
涙と、汗と、鼻水と泥と吐瀉物と血だまりが、小さな池を作っていた。
それは、私の罪を、私自身を形にしたような、醜悪な池だった。

苦い唾を飲み込んで、涙と鼻水と返り血を袖で拭って、私は立ち上がる。
視線を上げれば、夜空は一面の雲に覆われて月一つ見えない。
暗い、暗い夜空に向かって、私は口を開く。

「まず……まず一人、殺した! 私が殺したのよ! 撃ち殺した!
 ……見てるんでしょう!?」

返事などありはしない。
それでも、私は叫び続ける。

「必ずあと九人、殺してみせるから……! だから……!」

声は、夜空に吸い込まれて、もう還らない。




 【時間:22:00頃】
 【場所:G-9】
柚原春夏
 【所持品:要塞開錠用IDカード/武器庫用鍵/要塞見取り図/支給品一式】
 【武器(装備):34徳ナイフ(スイス製)/デザートイーグル/防弾アーマー】
 【状況:あと9人/残り15時間19分】
河野貴明
 【状態:死亡】
※貴明の所持品:Remington M870(残弾数4/4)、予備弾×24は春夏が回収。
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