旧き血よ、踊れ




「どうしたのです名雪、剣を取りなさい」

秋子の声はどこまでも冷たい。

「お、お母さん……?」

名雪は状況の推移についていけない。
ただ秋子と、地面に落ちたレイピア、そして祐一の去っていった方向を
交互に見るだけである。

「……愚かな。生きる手段を棄て去るというのですか。
 では、望み通り死になさい」

言うや、秋子が動いた。
瞬きする間もなく、名雪の目前にまで迫る。

「え……げふっ……!」

驚愕の表情は、すぐに苦悶へと変わる。
秋子の拳が、正確に名雪の鳩尾を貫いていた。
思わず下がった名雪の頭を掴むと、間髪いれず膝を叩き込む秋子。
強引に頭部をかち上げられ、がら空きになった上体に、更なる一撃が加えられる。
右の正拳一閃。
吹き飛ぶ名雪。

「っか……ぁ……」

涙と鼻血で彩られた顔を痛みに歪め、殴られた腹を庇うようにして
地面にうずくまる名雪。
何が起こったのか理解するより先に、痛みに対する恐怖が名雪を支配する。

「立ちなさい、名雪……」

秋子の声が聞こえる。
だが名雪は蹲ったまま、顔を上げることもなくただ首を振る。

「……そうしていれば、誰もあなたを傷つけないとでも思っているのですか。
 それとも、誰かがきっと助けてくれると勘違いしているのかしら。
 ……そうね、これまではずっとそうだった。
 そんな私の甘さゆえに、あなたはまだ生きています」

どこか遠い目をして語る秋子。
だが、そんな母の様子も名雪は見ていない。
ただ地に転がって固く目を閉じ、震えている。

「いい加減になさい、名雪。
 ずっとそうしているつもりですか。くろいあくまはどうしたのです。
 びーむは出さないのですか?」

奇妙な単語の羅列に、名雪が初めて反応を示した。

「あくま……? びーむ……?
 お、お母さんがなに言ってるのか、全然わからないよ……」

怯えたような声の名雪。
やはり顔を上げようとはしない。

「やはり……思い出せないのですね……。
 仕方ありません、もう少し痛い思いをしてもらいましょうか……」

呟き、拳を構える秋子。
だが、その背に声をかける者があった。

「―――お戯れは、その辺りに」

影の如く、秋子の背後に立つ少女。
振り向きもせず、秋子が答える。

「……晴香さん。もう、そんな時間ですか」
「はい」

それを聞いて、秋子は静かに構えを解く。
しかしその目はいまだ、震える娘を見据えていた。

「……名雪。私は行きます」

その言葉に、名雪がびくりと震える。

「……もうこの先、あなたと会うことはないでしょう。
 私の運命とあなたの運命は、今日ここで分かたれます。
 あなたはこれから、一人で生きていくのです」

首を振り、えづくだけの名雪。
そんな娘を見やる秋子の瞳は、昨日までの名雪が知る優しいそれであったが、
蹲る名雪はそれすらも見ていない。

「……強く生きなさい、名雪」

それが、最後の言葉だった。
離れていく足音が立ち止まることは、ついになかった。

「うぅ……ひどい……ひどいよ、お母さん……。
 助けて、ゆういち……助けてよ……」

独り残された名雪の声だけが、真夜中の浜辺に染み渡っていくのだった。



沖木島の西北岸、海辺に面した崖にひっそりと存在する、暗い洞窟。
長い長い時間を海水によって浸食されてできたと思しきその洞窟は、
しかしその深奥で様相を一変させる。

広い空間があった。
空間を煌々と照らし出す幾つもの照明は、そこが明らかに人の手によって
作り出されたものであると物語っていた。

その空間の奥まった一角に、一つの椅子があった。
否、既にそれは椅子と呼べるものではない。
一人で腰掛けるにはあまりにも巨大なその全体を精緻な黄金細工で覆われ、
背もたれには真紅のビロードが張られている。
それは正しく、玉座と称されるべきものであった。
全裸で絡み合う女体を模した肘掛けの意匠が異彩を放っている。

玉座の間には、二人の女性がいた。
一人は玉座の前に跪き、恭しく頭を垂れている。

「―――お時間になりました。
 当主の継承、つつがなくお済みになったことをお慶び申し上げます。
 ……これよりは、我等が宿願にそのお力をお貸し下さい、総帥」

総帥と呼ばれたもう一人の女性は、悠然と玉座に腰掛けていた。

「ありがとう、晴香さん。
 ……ええ、水瀬の名から解き放たれた今、この力のすべてをもって
 大願を果たしましょう」

答えた女性、秋子の脳裏にはしかし、一人の少女の笑顔が浮かんでいた。

(名雪……。あなたにはあなたの使命がある……。
 水瀬の新たなる……そして、最後の当主としての使命が……)

物思いに沈みかけた秋子だったが、ひとつ首を振ると思考を切り替える。
秋子には成さねばならぬ宿願があり、それは娘に待ち受ける運命とは
また別のものであった。

「―――茜さんの様子はどうなっていますか」

秋子の問いに、晴香が応じる。

「はい、既にクラスBの回収に成功しております。しかし……」
「構いません。何です?」

口ごもる晴香。
促され、ようやく続きを口にする。

「……BLの使徒、観月マナは既に二つめのクラスBを回収した模様です。
 新たなる力にも目覚めた様子……我らが後れを取るなどと」

だが、晴香の口惜しげな言葉を吹き飛ばすような声が響いた。
秋子は、笑い声を漏らしていたのである。

「な……総帥、笑い事では……」
「ふふふ……ごめんなさい、晴香さん」

なおも笑みを崩さない秋子の様子を、怪訝そうに窺う晴香。
そんな晴香を意に介さず、秋子は続ける。

「BLの使徒は順調に図鑑の力を目覚めさせつつあるようですね……。
 しかしそれも、すべては我が掌の上でのこと……心配には及びません」

その言葉に晴香は驚愕を隠せない。

「そ、それでは総帥……BLの動き、既にご存知だったと……?」

その疑問には答えず、秋子は悠然と微笑む。

(秋子さん……いえ、総帥シスターリリー……恐ろしい方……)

そんな晴香の内心を知ってか知らずか、秋子は柔らかな声音で晴香に
語りかける。

「”鬼畜一本槍”巳間晴香……、”夢幻の襲い受”神岸あかり……。
 東西の雄と並び称されたあなた方の力を得て、我がGL団は
 かつてない隆盛の時を迎えようとしています」
「も、勿体無いお言葉……」
「北の”パーフェクト・リバ”……天野さんに助力を断られたのは残念でしたが」
「はい……あの愚か者が、GLの掲げる理想を笑うとは許すまじき所業……!
 お許しさえ頂ければ、すぐにでも首を取ってまいります……!」

血気に逸る晴香に優しく微笑む秋子。

「構いません。いずれ彼女にもわかる日が来るのですから……。
 それに私にはあなた方と、そして茜さんがいます」
「お言葉ですが……奴ら、信用してよろしいのですか……?
 神岸はどこで道草を食っているやら、この度の召集にも遅参しておりますし、
 それに図鑑に選ばれたとはいえあの里村茜という女……、いつもあの調子で、
 何を考えているか知れません……」
「……晴香さん、男性以外のすべてを赦し、容れるのがGLの理念です……。
 同志を悪し様に言うものではありません」

窘められ、慌てて頭を下げる晴香。

「はい……申し訳ありません、総帥……」

そんな晴香の様子を見下ろす秋子の視線は、どこまでも温かい。

「あと一息……あと一息なのです。
 計画の成就まで、私たちが生まれてきた意味を果たすまで……」
「はっ……この巳間晴香、どこまでもお供させていただきます……!」
「すべては―――」

秋子の声に、晴香の声が唱和する。

「すべては、レズビアンナイトのために―――」




水瀬名雪
 【時間:午後11時ごろ】 【場所:A−2】
 【持ち物:レイピア、GPSレーダー、MP3再生機能付携帯電話(時限爆弾入り)、
  赤いルージュ型拳銃(弾1発)、青酸カリ入り青いマニキュア、いちごサンデー】
 【状態:水瀬家新当主(未覚醒)】

水瀬秋子
 【時間:午前0時ごろ】 【場所:B−2】
 【持ち物:支給品一式】
 【状態:GL団総帥シスターリリー】

巳間晴香
 【時間:午前0時ごろ】 【場所:B−2】
 【持ち物:支給品不明・その他一式】
 【状態:GLの騎士】
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