草木も眠る夜が来る




新城沙織は疲れきっていた。
疲弊は心身を蝕み、蝕まれた心身が更に疲弊を加速させていた。


氷川村の民家。
農村らしい広めの間取りに、沙織は独り、膝を抱えて佇んでいる。

静かな夜だった。
暗く沈んだ部屋の空気が、心地よく沙織を包んでいた。
それでも沙織は眠れない。
目を閉じれば浮かんでくるのは、診療所の壁に飛んだ血飛沫。
向坂雄二の怒りに歪んだ顔。
そして、藍原瑞穂のはにかんだような笑顔だった。
その笑顔を塗り潰すように、脳髄に響く声。

『――それでは発表します。……藍原瑞穂』
『死にたいのかよッ!!』

優しくない声。
傷を責め苛む声。
疲れた心と身体を縛る、声。声。声。
そんなものに囲まれて、新城沙織は眠れない。


沙織がこうして独りで夜を過ごすことに、雄二は最後まで反対していた。
離れていては万一の場合に身動きが取れなくなるし、第一、危険だというのが
雄二の主張であった。
そもそも診療所からは距離があるとはいえ、氷川村の民家で夜を越すこと自体に
雄二は反対していた。
それは一面では正しい意見であったが、場の全員に否定された。

新城沙織が周囲の人間、特に雄二と同じ空間にいるのを極端に嫌がったのである。
彼女の疲弊は誰の目にも明らかであり、また雄二の態度は、沙織に対して過剰に
辛く当たっているように見える、というのが女性陣の意見だった。
最終的に折れたのは雄二だった。
沙織のかたくなな態度に、感情的にエスカレートしているのは、雄二も自覚していた。
冷却期間が必要だった。
この非日常が支配する島においても、集団というものは人間関係で動いている。
こうして雄二、マルチと瑠璃子、沙織はそれぞれ別の棟に分かれて夜を過ごすことに
したのである。


深夜のことである。
ずっと眠れずにいた沙織だったが、この時間になってようやく浅いうたた寝に
入ろうとしていた。
疲労による頭痛が、感情を一時的に麻痺させたのかもしれない。
控えめなノックが沙織のいる棟の扉を叩いたのは、そんな頃合である。

「……っ! ……誰!?」

抱えた膝に顔を埋めるようにしていた沙織が、跳ね起きる。
ほんの少しとはいえ取れた睡眠は、沙織を活性化させていた。
緊張が走る。
だが、沙織が大声をあげようとするその一瞬前に、扉の外から聞こえてきた声があった。

「私だよ、新城さん」
「……るり……るり?」

月島瑠璃子の、静かな声だった。


「……どうしたの、こんな夜中に」
「うん、ちょっと新城さんのことが心配でね。……大丈夫?」
「……ありがと、るりるり」
「それと、マルチちゃんが充電に入っちゃってね」
「え? ……ああ、コンセントか何かがあったんだ」
「うん、電気が通ってるって、皆でちょっとした騒ぎになったんだよ」
「そうなんだ……」
「それで、マルチちゃんは充電の間、眠ったみたいになっちゃうから……」
「うん」
「正直、ちょっと退屈だったんだ」

扉の向こうで、くすくす、と笑う声がする。
それは、ひどく懐かしい響きだった。
今はもう失われてしまった、日常の中にあった笑い声。

「……開けて、くれるかな」

否やはなかった。
溢れ出る涙を拭おうともせずに、沙織は施錠を解く。
月明かりを背に、瑠璃子が立っていた。
いつも通り、静かに微笑んでいる。
それが、たまらなかった。

「るりるりぃ……っ!」

土間に上がった瑠璃子を、沙織は抱きしめていた。
後ろ手に扉を閉めながら、少し戸惑ったように沙織の肩を抱き返す瑠璃子。

「うん。うん、……大丈夫。
 きっともうすぐ、長瀬ちゃんも来てくれるから……大丈夫だよ、新城さん」

言葉はなかった。
ただ、細い細い泣き声だけが、閉め切られた家の中に響いていた。

「約束したからね。
 長瀬ちゃんが来てくれる、それまでは―――」

嗚咽の中で、沙織は瑠璃子の声を聞いていた。
こんなにも優しい彼女の声は、初めて聞いた気がしていた。

「―――私が、護ってあげる」



新城沙織の死体が発見されたのは、それから2時間後のことである。


月島瑠璃子の魂消るような悲鳴が、夜を切り裂いた。




 【場所:I−6】
 【時間:午前2時頃】
新城沙織
 【所持品:フライパン、ほか支給品一式】
 【状態:死亡】
月島瑠璃子
 【所持品:ベレッタ トムキャット(残弾数7/7)、ほか支給品一式】
 【状態:第一発見者、兼犯人】

【死亡状況等は次の書き手さんにお任せ】
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