ダニエル・ザ・ラブハンター・キラー




来栖川綾香とその一行は高速移動を続けていた。
相変わらず本部との通信は回復しないままだった。
セリオがサテライト経由で入手する情報の精度も怪しいものではあったが、
それでも無いよりはよほどマシである。
藁をも掴む思いでHMX-12マルチの位置情報を検索し、得られた地点へと
急いでいる。

声が聞こえたのは、そんな時であった。

「……はて、そこを行かれるのは綾香お嬢様ではありませぬか」

その老人の声を聴いた瞬間、先行する綾香の挙動が一瞬だけ乱れたことを、
セリオは感知した。

「綾香様。お返事をなさらなくてよろしいのですか」
「……」

無言で地面を蹴り、速度を上げる綾香。
心なしか、その額に汗が浮いているように見える。

「綾香お嬢様、芹香お嬢様もご一緒ですかな。おお、セリオまで」

声が、離れたように感じられない。
既に時速にして40km/hは超過しているというのに、だ。

「綾香様、発汗と体温、心拍数の急激な上昇が検知できます。
 身体的に異常があるのならば休憩を取られることをお奨めいたします」

答える代わりに、KPS−U1改に増設されたブーストを全開にする綾香。
空気の壁を切り裂き、綾香の姿が一気に加速する。
だが。

「綾香お嬢様、聞こえませぬかな」

声は、近くなったようにすら感じられる。
振り向けない綾香。

「……無視して振り切るわよ、セリオ……!」
「はい、綾香様」

あえて林道を外れ、木々の間に身を躍らせる綾香。
芹香を抱えたセリオがそれに続く。

「目がぐるぐるして気持ち悪いです……」

不平をこぼすのはセリオの腹についたイルファの首である。
時速80km/hを超す速度で夜の森に入りながら、木々の間を正確に抜けていく
綾香とセリオ。
セリオの暗視機能、レーダー波による測定と綾香の野性的な勘をNBSによって
組み合わせた、離れ業である。

「さすがにこれなら……!」

綾香が呟いた瞬間。

「―――綾香お嬢様」

すぐ目の前に、突如として人影が現れた。
綾香は速度を緩めることもせず、そのまま肩を前にして突っ込む。
乾燥重量180kgのショルダーアタックである。
影はひとたまりもなく吹き飛ばされる、かに思えた。
衝撃。

「……私でございます、綾香様」

人影は、ゆらりと前に出した右手一本で、平然と綾香の突撃を受け止めていた。
綾香の静止を見て、セリオもまたその疾走を止める。
抱えられた芹香が人影を見て、だにえる、と呟いたのが、間近にいる
イルファには聞こえた。

「だ……ダニエル……」

綾香の言葉は、それと判るほどに震えている。
果たしてそこに立っていたのは、来栖川家家令、長瀬源蔵その人であった。

「このダニエル、来栖川に仕える身として心より御身を案じておりました。
 お怪我もないようで何よりでございますな、芹香お嬢様、綾香お嬢様」

言葉とは裏腹の厳しい視線。
その眼光に射竦められ、綾香は言葉もない。
黙り込む綾香をどう見たか、ダニエルは言葉を続ける。

「さて、ご遊興も充分に堪能なされましたな。
 はや日も暮れておりますし、そろそろお戻りいただきますぞ」

その奇妙な言葉に、綾香は問いを返す。

「……戻る? 戻るって、どこへよ……?」
「これは異なことを仰る。芹香お嬢様、綾香お嬢様がお戻りになるのは
 来栖川の家に決まっておりましょう」
「家、って……あんた、このプログラムのこと判ってんの……?
 たしかに私らは特別扱いだけどさ、」
「この」

綾香の言葉を遮るように、源蔵が続ける。

「このダニエルめが、お戻りくださいと申し上げております。
 ……私めの言葉、お館様のそれとお考えいただいて結構」
「お、お爺様が……?」
「然様。この度の一件について、本家でお館様がお待ちです。
 早々にお戻りいただくようにとの命にて、不肖ダニエルめが
 まかりこしました」

背に冷や汗が流れるのを、綾香は感じる。
雲行きが非常に良くない。

「じゃ、じゃあ運営本部を通してそう言えば済む話じゃない……。
 わざわざダニエルが参加者になる必要なんて、」
「来栖川の恥は来栖川で片付けよ、とのお言葉にて」

うわ本格的にヤバい、と綾香は思う。
恥、という表現を来栖川総帥である祖父が使ったのだとすれば、
これは非常にマズい状況だ。
ダニエルの言葉に従えば、本部と連絡がつかない現状でも、
本土に戻ることは難しくはないかもしれない。
しかし、このまま戻れば、待っているのは親族会議という名の
断罪裁判だ。
良くて一生、座敷牢。
悪ければ……考えたくもない。

生き延びるには、そして少なくとも現在の地位を守るためには、
何らかの成果が必要だ。
それもKPS−U1改の実戦データなどという些事ではない、
来栖川本家にとって価値をもつ成果が。
それはたとえば第零種の掃討であり、その旗印としての来栖川の名だ。
ちょっとした遊び心のつもりが随分と高くつくことになったものだ、と
内心で溜息をつきながら、綾香の思考はまとまっていく。
いずれにせよ、この場を切り抜けなければ自分に未来は無い。

切り抜ける。
言葉通りの意味だ。

「ほう……その銃をどうされるおつもりかな」

己に向けられた銃口を目にしながらも、源蔵はこ揺るぎもしない。
NBSを通じてセリオもまた、源蔵を攻撃対象と認識している。
抱えていた芹香を降ろし、自身に搭載された火器を展開する。

「見た通りよ……私はまだ、帰らないわ」
「……お戯れを。我侭もいい加減になされませ」

言うや、源蔵の視線が変わった。
厳しく綾香たちを見据えていた眼光が、酷く怜悧な印象のそれへと変わったのである。
同時に、周囲の空気が源蔵を中心に渦巻きはじめる。
それを見るや、綾香が叫んだ。

「セリオ! オールバースト! 欠片も残すなっ!!」

自身もためらいなくトリガーを弾く。
無数の弾丸が、音速に等しい速度で源蔵へと放たれる。
その殺意の群れは、源蔵を肉片へと成すべく殺到し、

「哈」

一言の下、その悉くが地に落ちていた。
その非現実的な光景を前に口元を引き攣らせる綾香に、源蔵が言い放つ。

「このダニエルを、よもや飛び道具で仕留められるなどと、本気で
 お考えではありますまいな……?」
「化け物め……!」

悠然と立つ源蔵に、瞬きするよりも速く、綾香とセリオが飛び掛る。
乱れた襟などを直していた源蔵はそれを見やると、その鉄塊の如き拳を固める。

「樊ッ!」

綾香は戦慄していた。
四本の腕、四本の足に膝、二つの頭。
機械の力で強化された、変幻自在の同時攻撃が源蔵を襲っていた。
だが、そのすべてが源蔵に届かない。
その場に立ち尽くすように動かない源蔵の、その二つの拳が、
あらゆる打撃を受け、弾き、砕いていた。
数多の打撃と、正確に同数の防御。
攻防は一瞬だった。
必殺を狙った一打をあっさりといなされ、綾香は慌てて距離をとる。

(どうして……!
 私の格闘術はセバスチャンの免許皆伝……世界だって獲ったのに!)

乱れた呼吸を整えようとしながら次の一手を見定めようとする綾香の
内心を読んだように、源蔵が口を開く。

「源四郎など、来栖川家令の中では一番の小物……。
 今度はこちらから、参りますぞ―――!」

目の前に立つ源蔵の姿が、膨れ上がったように綾香には感じられた。
闘気。
そんなものが形を成すなど、漫画の中の出来事だと思っていた。
これまで一歩たりとも動かされることのなかった源蔵の足が、ゆっくりと
踏み出される。
源蔵の右の拳に、全身のバネが集中していくのがわかる。
わざわざそれを見せ付けているのだと認識はしても、身体がついてこない。
かわせない、殺られる、と確信した。

「―――! …………、え?」

源蔵の拳は、綾香の眼前、数センチで止まっていた。
押し退けられた風が、遅れて綾香の長い髪を激しくはためかせる。

「……呪い、でございますかな」

そう呟いた源蔵の左足に、うすぼんやりとした靄のようなものが、
絡み付いていた。
芹香の放った呪詛が、文字通りの間一髪で綾香を救っていた。

この機を逃す手はなかった。

「セリオ! 離脱する!」

なんだか逃げてばかりだな、などと益体も無い思考が綾香の脳裏によぎるが、
ともあれ今は源蔵から逃れるのが最優先事項だった。
全力で逃走を試みる綾香一行。

見る間に小さくなるその背を見やりながら、源蔵は静かに呟く。

「……あまり、おいたをなされますな」

溜息をつくや、気合一閃。
硬質な音が響き、足に纏わりついていたモノが砕け散った。

   ―――これも貧乏が悪いのかなぁぁぁ―――

余人には聞こえ得ぬ断末魔を残して消える何か。
それを気に留めることもなく、源蔵は歩き出す。

その足取りに、揺るぎはない。




【22:00頃】
【D−7】

【37 来栖川綾香】
【持ち物:パワードスーツKPS−U1改、各種重火器、こんなこともあろうかとバッグ】
【状態:焦燥】

【60 セリオ】【持ち物:なし】【状態:グリーン】
【9 イルファ】【状態:どっこい生きてるド根性】

【38 来栖川芹香】
【持ち物:水晶玉、都合のいい支給品、うぐぅ、狐(首だけ)】
【状態:若干疲労】
【持ち霊:うぐぅ、あうー、珊瑚&瑠璃、まーりゃん、みゅー、智代、澪、幸村、弥生】

【72 長瀬源蔵】
【所持品:防弾チョッキ・トカレフ(TT30)銃弾数(6/8)・支給品一式】
【状態:普通】
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