「…それ、わたしのお母さんかも、しれない」 観鈴の小さな呟きは、鎌石消防署に大きな静寂を落とした。 だが、その静寂も長くは続かなかった。 「……ちょっとみんな、裏に行ってもらえるかい?」 口を開いたのは緒方英二だった。 英二の言葉尻には、微かな緊張と、そして冷徹さが込められていた。 視線を落とした観鈴以外の環、祐一、芽衣が、英二の視線の先を辿る。 そこにいたのは……大きく肩で息をしながらレミントンを構える篠塚弥生だった。 「ちょっと、どういうことっすか?」 祐一は咄嗟に立ち上がり、身構えた。 「知り合いですか?」 コルトガバメントを構え、環も尋ねる。 「まぁ、ね……ちょっと二人っきりで話がしたいんだ」 英二はそれだけ答えると、首で『行け』と合図した。 並々ならぬ雰囲気を察した二人は仕方なく、芽衣と観鈴と共に、未だ目を覚まさない藤林杏を抱え裏へと姿を消した。 「……英二さん」 その間際、芽衣が名残惜しそうに英二の名前を囁いた。 「どういうつもり? そんな物騒なもん構えて」 外に出た英二は、弥生と3Mくらいの距離で立ち止まった。 レミントンの全長は約170CM。銃口は超至近距離で英二を捕らえていた。 「……」 英二の質問にしかし弥生は答えない。 『判っているくせに』 そう冷たい瞳が語っている気がした。 「……」 事実、英二には大体のことは察しがついていた。 たぶん、由綺の死。 それが彼女をこんな行動に駆り立てているんだろう。……彼女はもう、自分の知っている篠塚弥生ではないのだ。 今ここに英二がいなければ、芽衣や祐一は落命していたに違いない。 だからこそ、皆を裏手に非難させたのだ。 だが逆に言えば、まだ『知り合い』を殺すまでは吹っ切れてはいないということ。 交渉、改心の余地はあるはずだ。 「……由綺ちゃんのこと、だよね」 「……ええ」 「俺達を殺すの?」 「…………貴方なら、察しがつくのではありませんか?」 口紅に彩られた口唇が、ゆっくりと蠢く。 実に冷静に、実に無駄がなく、実に艶やかで。 そんないつもの彼女だからこそ、英二は恐ろしかった。 「復讐、ね……やめなよ、んなくだらんことはさ。スマートじゃないよ」 「くだらない……?」 「俺だって理奈死んでるんだよ。すごく悲しいし、辛い」 英二はメガネの奥の瞳を僅かに潤ませる。しかしそれにも弥生は動じなかった。 「……」 「犯人をこの手で殺してやりたい」 「…………でしたら――」 「――でもさ」 「…………」 「君にも話したことあったかな? ……ラブソングと感情の話」 「……恋人の死様を冷静にフォーカスに納める行為がそれ、という……?」 「そう、それ。 さすがに記憶力いいね」 「……私に由綺さんの死を諦めろと? 貴方はそれが出来ると?」 「別にそうはいってないさ。 それに、二人の死を甘受することなんて、多分一生無理だと思う」 「でしたら」 「――ただ、もう少し別のやり方があるんじゃない?」 英二は芽衣たちの消えた方をちらりと見やった。 「……」 「……とりあえず、ここにいる連中には手出しはさせない。 ……それに、ここにいる全員の無実は俺が証明する」 「――でしょうね」 小さく、本当に小さく、弥生が呟いた。 もしここに由綺や理奈を殺した人間がいるのなら、英二が黙っていないはずだ。 けれど……自分はもう、引けないのだ。 「――ですが、私にはあなたのいう『他のやり方』が、思いつきません」 「……考えなよ、あなた頭いいじゃない」 「私は……明晰ではありません。 こんな方法しか、思い浮かばないのですから」 「だから殺すわけ? 関係ない人間も……俺も……青年も」 『青年』。この名前がでたとき初めて、弥生は表情を僅かに歪ませた。 だがそれは、話、交渉の破綻を意味していた。 「――お話は以上です。 さようなら」 弥生は再び無表情な仮面を纏い、トリガーに手をかけた。 パンッ! 乾いた音が、夜空に響いた。 * 突如響いた銃声に、消防署内の面々はハッと顔を上げた。 いち早く飛び出したのは芽衣だった。 「おいちょっと待てって、危ないだろーが!」 祐一も急いで芽衣を追いかける。 * ――硝煙が、ゆらゆらと夜空に舞い上がる。火薬の臭いがあたりに広がる。 篠塚弥生は、銃を構えたそのままに、立ち竦んでいた。 そして……英二も同様に。 しかし一つだけ先刻とは異なること。 それは……英二の手に支給武器の拳銃――ベレッタM92――が握られていること。 銃弾を放ったのは、英二の方だった。 レミントンは重量4s。女性が構える続けるには重すぎた。その為、初動が遅れたのだった。 だが一方の英二が放った銃弾も、弥生を貫くことはなかった。 弾丸は弥生から大きく逸れ、闇へと吸い込まれていった。 しかし『外れた』わけではない。『外した』のだ。 「――どういうおつもりで?」 「失せろ」 M92を構えながら、英二が唸るように口を開いた。 メガネの奥には、明らかな怒気が見て取れた。 だが同時に、知り合いへの思慕も。 「君を殺したくはない……だが、彼女らを殺させることも出来ない」 「――」 「最終通告だ……失せろ」 もう一度。 英二はトリガーに手を掛け、重々しく呟く。 「嫌だと申しましたら?」 「……撃つよ。迷うことなく」 「…………わかりました」 弥生は小さく頷いた。 その刹那。 パンッ! 二度目の銃声が、夜空に響いた。 * ようやく外に出た二人が見たもの。 それは、仰向けに倒れた篠塚弥生と銃を構えた英二、二人の姿だった。 芽衣は時間が止まったかのような錯覚を受けた。 (どうして……どうして……) 「どうして……?」 震える芽衣の言葉。 「…………」 それに答える術を、英二は持ち合わせていなかった――。 ただ一言、 「……ごめん」 懺悔だけが、口をついた。 緒方英二 【持ち物:ベレッタM92(予備の弾丸や支給品一式は消防署内)】 【状態:疲労はあるものの外傷等はなし。弥生を撃つ】 春原芽衣 【持ち物:なし(持ち物は全て消防署内に)】 【状態:疲労はあるものの外傷等はなし/呆然】 相沢祐一 【持ち物:なし】 【状態:体のあちこちに痛み】 篠塚弥生 【持ち物:レミントン(M700)装弾数(5/5)・予備弾丸(15/15)・ワルサーP5(8/8)・支給品一式】 【状態:重症(急所は外れている)】 ※杏、ボタン、観鈴、環は消防署内に ※消防署内に救命道具ある……はず 【時間:7:30】 【場所:c−05】 - BACK