はじめの一歩




ぽたり、と。

立田七海は、頬に何かが垂れたような感触で目を覚ました。
うっすらと目を開けると、暗い本堂の中、

「―――ッ!」

自分にのしかかって銃を構えている女性の姿が、視界を満たしていた。

声にならなかった。
何も考えられない。
驚愕。恐怖。混乱。恐慌。
圧倒的なノイズが七海の脳を侵食していた。

死ぬ。
死ぬ。
死ぬ。

それだけが、七海に理解できるすべてだった。
目を一杯に見開いて、口を裂けんばかりに大きく開けて、
それでも、声も涙も零れない。
感情がついてこない。
身体が状況を理解していない。

頭痛に似た感覚。
嘔吐感。
そんなものが腹の底からせり上がってくる。
そして実際、吐いた。


「け……けぷっ……ぇぇぇ……」

仰向けのまま吐いたため、あっという間に咥内が吐瀉物で満たされた。
一部が鼻腔へと逆流してくる。
胃酸による粘膜への刺激痛と、呼吸のできない苦しさを感じてから初めて、
七海の眼に涙が浮いた。
痛い。苦しい。
そんな感覚が、七海の身体を急速に覚醒させる。

引きずられるように、思考が少しづつ形を成してきた。
状況が断片的ながら頭に入ってくる。

自分たちは、眠り込んでしまっていたらしい。
そして殺されかけている。
自分たち。
私。そして誰か。郁乃ちゃん。

(―――そうだ、郁乃ちゃんは!?)

助けて、よりも先にそう考えるのが、あるいは考えてしまうのが、
立田七海という少女だった。

涙で歪む七海の視界の端で、動くものがあった。
小牧郁乃だった。

(―――良かった……!)

状況は何一つ好転していない。
それでも、郁乃が生きているという事実が七海の心を和らげる。

極限の緊張がほんの少し揺らいだ、その瞬間に身体からの緊急信号が
七海という存在の主導権を握る。
全力で咳き込んだ。
口の中のものを唾液と一緒に吐き出す。
呼吸器の急激な稼動で弓なりにしなろうとする身体はしかし、のしかかっている
女性の重量にがっちりと押さえ込まれていて動かない。
息が吸えない。
咳による苦痛と吐瀉物の刺激に加えて、酸素不足が七海を襲う。
意識が急速に白く染まっていく。
ぼやけていく視界に映ったのは、自分を殺そうとしている女性の姿。

(あれ……)

立田七海が薄れゆく意識の中で最後に見た女性は、

(この人……)

その瞳から、大粒の涙を流していた。



小牧郁乃が遅まきながら目を覚ましたのは、その時だった。

「……な……、なにしてるの、あんた……!」

それは異様な光景だった。
一緒に寝ていたはずの七海に、見知らぬ女性が馬乗りになっている。
その手には黒光りする大きな銃。
七海はぐったりとして動かない。
その周辺には大量の吐瀉物が撒き散らされ、異臭を放っている。


反射的に跳ね起きようとするが、身体に力が入らない。
病弱に生まれついた自分の身体を恨めしく思ったことは数限りないが、
この時ほど強く切実に呪ったのは初めてだったかもしれない。
代わりとばかりに口を開く。

「七海に何をしたの! 離れなさい! 七海から離れなさいよっ……!」

女は答えない。
ただじっと七海を見つめている。

「何とか言いなさいよ……この……っ!」

ようやく身を起こすことに成功した。
この島での疲労は、予想以上に自分の少ない体力を削り取っている。
そんな郁乃を、女は一顧だにしない。
相手にするまでもないということか。
その態度が、郁乃の感情に火をつける。

「……七海を離せっ!」

傍らに置いてあった自分の荷物を持ち上げると、女へ向かって投げつける。
デイバックは女の肩に当たり、転がった。
女は微動にしない。
己の非力に歯噛みする郁乃。
しかし、そんな郁乃の行動に何を感じたか。

「……どうして……」

女の口から、初めて言葉が漏れた。

それは、この狂ったゲームに乗って殺人を犯そうとする人間から発せられたとは
思えない、悲痛に満ち満ちた声だった。
心中から湧き上がる何かを必死で噛み殺そうとして、それでも堪えきれずに
声に出してしまったかのような、そんな言葉だった。

「どうして……あなたたちみたいな子供なの……」

女は、泣いていた。
その姿にたじろぎながらも、郁乃は口を開く。

「な、何言ってるのよ、あんた……?」

女の表情は、言葉は、その行動とあまりにかけ離れていた。
郁乃にはその理由は判らない。

「殺さなきゃ……いけないのに……!
 このみのために……このみの為なのに……」
「こ、このみって誰よ……さっきから何言ってるのよ……?」

女は答えない。
ただ、意識を失った七海を見つめながら意味のわからないことを呟いている。

「10人……たった、10人だけなのに……。
 それがどうして、あなたたちみたいな子供なの……っ!」

それはまるで、郁乃などそこにいないものとして振舞っているようで、

「いい加減にしなさいよ、あんた……っ!」

郁乃の怒声と、開け放された本堂の扉に人影が射すのは、殆ど同時だった。




【時間:21時頃】
【場所:F-8 無学寺】


小牧郁乃
 【持ち物:写真集二冊、車椅子、他基本セット一式】
 【状況:激怒】

立田七海
 【持ち物:フラッシュメモリ、他基本セット一式】
 【状況:意識不明】
柚原春夏
【所持品:要塞開錠用IDカード/武器庫用鍵/要塞見取り図/支給品一式】
【武器(装備):500S&Wマグナム/防弾アーマー】
【武器(バッグ内):おたま/デザートイーグル/34徳ナイフ(スイス製)】
【状況:あと10人】


(誰が来たかは次の方にお任せ)
-


BACK