ひびが広がる(後編)




なんで忘れてしまっていたのか―――

なぜ思い出そうとしなかったのか。

――――わからない。

なんで俺は彼女のことを忘れて、そして思い出そうとしなかったのだろうか………


「都合が悪かったからじゃないかな?」
「!?」
突然、瑠璃子が貴明にずいっと顔を近付けて言った。

「人は誰も自分の都合に悪いものからは目を背けたくなるんだよ。
河野くんがその人のことを忘れてしまっていたのも、きっとその人の存在が河野くんにとって都合が悪かったから………」
瑠璃子の虚ろな瞳が至近距離で貴明を覗き込む。
それは貴明にはとても不気味なものだった。

「ど…どういうことだよ?」
声が震える。
冷や汗が出る。
(―――恐い。
俺は……彼女が……月島瑠璃子が…………恐い。
彼女の目はまるですべてを見通すと同時に、見るものをどこかへと引きずり込もうとしているかのようで………)

「このみって子のほうが大事だったから………だから河野くんはその人を忘れたんじゃないかな?」
「!?」





そうなのか?

俺は………このみや雄二やタマ姉と一緒に過ごすあの日常が知らずに愛しかったから――――だから彼女を忘れたのか?
俺の日常には彼女の存在は都合が悪かったから――――――?
だから彼女を俺の記憶から抹消したのか?


「人はね、本当はみんな臆病なんだ。だから無意識のうちに目を背けたがる、逃げたがる……
今の河野くんもそう。無理な口実をつくって私たちから逃げようとしてる」
「え……?」



逃げる? 誰が?
――俺が? 誰から?

『――もうわかっているじゃないか』

――!?


振り替える。
そこには扉があった。
扉のまわりは所々にひびが入っていた。
声は扉のむこうから聞こえているようだ。




『他者を守るなんて自分から死ぬ確立をあげるなんて馬鹿げている』

『生き残れるのは1人だ。雑魚が群れたところで何になる?
くだらない夢想を抱いて苦しむくらいならすべて捨てて楽になっちまえよ』

あんた…誰だ? 何を言ってる?

『俺は俺だよ貴明。人はみんな俺のように常に狂気と共に生きているのさ』

またひびが入る。


『人の隠れた弱さだったり欲望だったり……俺はそんな存在』

『あんたは密かにゲームに乗って勝ち残りたいと思ってんだよ貴明』

『草壁さんの死はそれを伝えるスイッチになったわけだ』

――違う…………

『何が違うんだ? ほら。聞いてみろよ』

え………?




「そうだよね。私たちがいつ裏切るかわからないもんね。信頼されてないんだね私たち。
……だったら、1人でいるほうがよっぽど安全だもんね?」
月島さん?
「貴くん……そうなの?」
新城さん?
「た…貴明さん……そうなんですか? 私たちを信頼していないんですか?」
マルチちゃんまで………


違う……違うんだ………俺はそんなつもりで言ったわけじゃない。

――さらにひびが入る。
ひびが広がる。
扉が無理矢理ぶち破られようとしている。

『武器もある。俺ならできるんだぜ貴明? このゲームを勝ち残ることなんて。
手始めに周りのうるさい禍芽を摘み取っちまおうじゃないか。こういうのは後に禍々しい花を咲かせる前に潰しておくべきなんだ』

やめろ。出てくるな!
扉が開いたら……おまえが出てきてしまったら俺は………

「いい加減にしろよおまえら!」

!?


はっ、と貴明は我に返った。
そこには瑠璃子と沙織とマルチと怒りの表情を浮かべる雄二がいた。



「おまえら……なんでそう人を信じようとしない。なんで協力して…助け合おうとしない。
少しぐらいのミスや問題なんてみんなで埋めればいいじゃないか…そりゃあ、こんな島だ。少しのミスでも死ぬ可能性があるのはわかってるよ。
でも…そんなことで疑心暗鬼に囚われてばっかりじゃ、このクソゲームの主催者の思うツボじゃねーか」

雄二はそう言うと今度は貴明の方を見た。

「貴明。本当は……俺だっておまえには行ってほしくはない。だけどな……俺はおまえが逃げるような奴だなんて思えない。
確かに女が苦手なおまえだけど、こういうときは頼れる奴だってのはわかっている。
だからよ……さっさとチビ助や姉貴、あといいんちょたちを助けてきな!」
「うわっ!?」


ドンと背中を押される。
ああ――これはいつもの雄二だ。

「――わかった。雄二たちも気をつけてな」
「おう!」

俺は駆け出す。
ひびはもう広がっていない。
今なら大丈夫だ。俺は狂気に堕ちなくても充分戦える。
そして――守りたい人たちを助けられる。




『――今回はおとなしく引き下がってやる。
だけど忘れるなよ貴明。俺は常におまえと共にあることを。そしていつでも『俺』は『俺』になれるということをな』
あいつのそんな声が聞こえた気がした。

わかったよ。肝に銘じておく。
でも、俺は絶対に絶望はしない。必ずみんなでこのクソゲームから脱出してみせる。
―――俺を信じてくれている人たちが――俺を待っている人たちがいるかぎり。俺はどこまでもいける気がするから…




 【場所:I−7】
 【時間:午後6時20分】

 河野貴明
 【所持品:Remington M870(残弾数4/4)、予備弾×24、ほか支給品一式】
 【状態:健康。このみたちを探すため別行動。狂気の存在を知る】

 向坂雄二
 【所持品:死神のノート(ただし雄二たちは普通のノートと思いこんでいる)、ほか支給品一式】
 【状態:健康】

 新城沙織
 【所持品:フライパン、ほか支給品一式】
 【状態:健康。やや精神衰弱】

 マルチ
 【所持品:モップ、ほか支給品一式】
 【状態:健康。困惑】

 月島瑠璃子
 【所持品:ベレッタ トムキャット(残弾数7/7)、ほか支給品一式】
 【状態:健康。診療所へ行く。隙をついてマーダー化するつもり。貴明を狂化させマーダー化を謀ったが失敗】
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