le rouge et le noir




「―――武器を捨てろ」

感情を押し殺したような、低い声が響く。
古河秋生は地面に座り込んだまま動けずにいる妻と娘を庇うようにして
天沢郁未の前に立ちはだかっている。
その銃口は油断なく郁未に向けられていた。
郁未は秋生を、銃口を憎々しげに睨んで動かない。
薙刀を構えたまま、ちらりとすぐ目の前に斃れた葉子の躯を窺う。
その様子を見た秋生が、苛立ったように口を開く。

「武器を捨てろって言ってんだ……!」

その声音を聞いて、郁未は次の一手を定める。
武装を解除して投降したところで助命されるとは考えにくい。
文字通りの命懸け、起死回生を狙うよりほか、道は無かった。
死という現実、殺人というリスクに対する回答は眼前に転がっていた。

さしあたっては今、この瞬間を生き延びる。
それだけを至上命題として動く。
そんなことを考えている、ひどく冷静な自分を郁未は感じていた。

どうにも順風より逆風の方が、自分には合っているらしい。
してみるとFARGOでの経験もあながち無駄ではなかったということか。
内心で苦笑すると、それきり郁未は雑念を振り払い状況に集中する。

「そうかよ……そんなに落とし前つけてほしいってんなら、望み通りにしてやるぜ……!」

秋生の苛立ちが最高潮に達する、その瞬間を見計らって郁未は口を開く。

「―――わかったわ」

一瞬だけ虚を突かれたように身を震わせた秋生だったが、すぐに油断なく郁未を睨む。
そんな視線を受けながら、郁未は諦めたように構えを解くと、ゆっくりと身を屈めて
薙刀を地面に置こうとする。
倒れ伏した葉子の、驚愕に固まった貌が郁未の眼に映った。

(さよならは言えなそうだけど……勘弁してね)

郁未の視線を隠すように長い髪が垂れ、薙刀がごとりと音を立ててその手から離れる。
と、その姿勢のまま、溜息と共に郁未が呟く。

「……身の安全は保障されるのかしら」
「そいつは手前ぇ次第だ。黙って武器を置きやがれ」
「それはそれは……丁重な扱いに感謝するわ……ねッ!」

一瞬の出来事だった。
低い姿勢のまま、郁未が何かを投擲した。

(なっ……!?)

薙刀ではなかった。
葉子の持っていた鉈。
転がったままだったそれを、下手から投げつけたのだ。

だが当たらない、と咄嗟に判断を下す秋生。
無駄な抵抗だ、この引き金を引けば終わる―――。
が、その思考を断ち切る悲鳴が、秋生の背後から響いた。

背後には、家族がいた。
何にも代えて守らねばならないその大切な家族、その悲鳴に、
秋生は思わず振り向いてしまっていた。
その動きは、郁未に向けて放たれた銃弾の軌道を、逸らしていた。

(勝った……!)

瞬間、天沢郁未は走り出していた。
もとより、鉈は当てるつもりなどない。
一瞬、ほんの一瞬だけ秋生の気を逸らせればそれで良かった。
状況を凝視していた小娘が悲鳴をあげてくれたのは僥倖だった。

疾る。
頭から茂みに飛び込み、薄暮の林へと紛れ込む。
むき出しの膝に、木枝が細かい傷をつける。
それでも郁未は疾走を緩めない。
頬を掠めた銃弾の熱さすら、郁未には祝福と感じられていた。

腸は煮えくり返るようだった。
誤算だった。
自分たちの悠長な態度が、この敗戦を招いた。
狩れる獲物を取り逃がした。
相棒を失った。
あの男……古河秋生はいつか殺してやる。
渚も早苗も血祭りに上げてやろう。

だがそれらはすべて、今を生き抜いたからこそ感じられる痛みだ。
後悔も、憤怒も、生の落とし子だ。

勝ったと、賭けに勝ったと。
それだけが暗がりの木々の間を走り抜ける天沢郁未を支配する悦びだった。




天沢郁未
 【所持品:なし】
 【状態:右腕軽症(手当て済み)、左頬に重度の擦過傷、ほか軽度の擦過傷多数】
古河秋生
 【所持品:S&W M29(残弾数3/6)、ほか支給品一式】
 【状態:激怒】
古河渚
 【所持品:なし】
 【状態:疲労】
古河早苗
 【所持品:なし】
 【状態:疲労】

備考
 【時間:午後6時過ぎ】
 【場所:沖木島診療所そば(I−07)】
 【早苗・渚・佳乃の武器と支給品一式、郁未と葉子の支給品一式、宗一の水と食料は診療所内。
  鉈と薙刀は放置】
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