「―――っはぁ、ハァ、う、はぁ―――っ」 荒げる息を吐き出す深山雪見(109)は、激しく脈動する胸を手で押し留めて息を整えようとする。 先程の姿見えぬマーダーからの襲撃から数十分、雪見は必死になって逃走していた。 走っている途中に流れた死者の放送。突拍子もなかった報告に、彼女は唖然と足を止めて聞き入った。 藤田浩之(089)に春原陽平(058)、ルーシー・マリア・ミソラ(120)、そして川名みさき(029)。 彼等の名前が放送で挙げられなかったことから、なんとかマーダーから無事に逃げ遂せたのだろう。 いや、無事かどうかはともかく、少なくとも死んではいないということだ。 彼ら四人に比べて短い付き合いでもあった巳間晴香(105)や柏木梓(017)らも同上である。 ならば、姿無き狩猟者は何処に行ったのか。 彼ら四人がとりあえず無事に切り抜けたと仮定するのならばいい。 だが、追撃の手がもしかしたら自分へと迫っていると考え出してしまった時には、既に彼女は必死になって走り出していた。 何時迫るとも知れない恐怖は、想像以上に雪見の精神を蝕んでいったのだ。 本当ならばもっと距離を稼ぎたかったものの、彼女の身体は限界寸前まで酷使していたために言うことを聞いてくれない。 (―――みさきは、きっと大丈夫。……藤田君も、付いていたし……) 雪見はみさきの対する安否のあまり、今も冷静では決していられない。 浩之がみさきに駆け寄る姿を確認できていなければ、梃子でもみさきをあの場から連れ出す算段であった 自分の命が惜しくないのかと聞かれたら当然否定するが、みさきを捨ててまで生き永らえようとは思ってない。 今すぐ戻って浩之達と合流したいが、襲撃者のことを考えると躊躇ってしまう。 約束したのだ。みさきと必ず会うと。 そのためには、みさきは勿論のこと、自分だって死ぬわけには行かない。 だから、雪見もつい慎重になって行動を決めかねてしまう。 出来ればゲームに乗っていない者、もしくは知人との合流を期待してるのだが。 (澪ちゃんに折原くん……。二人は信用できる筈……) 上月澪(041)と折原浩平(016)は共に後輩に当たる真柄だが、こんなゲームに乗るとは考えにくい。 他にも同じ学校の参加者もいるようだが、大概は浩平の関係者。人柄は窺い知れない。 合流できるならばその二人がいいのだが、そう上手く事が運ぶわけも行かないだろう。 参加者総数百二十人。開始から六時間で既に百人を切りそうな勢いで殺し合いが敢行されているのだ。 ゲームに乗った人間が一人や二人では済まない。これからも増加の一途を辿るのではないか。 現状一人の雪見にとって、知人以外の人物は全て信用するにも一苦労である。 何もしなくても軽い疑心暗鬼に囚われてしまうのだ。それが振り切ったとき、人間何を仕出かすか想像もつかない。 かくいう雪見とて同じこと。そういった思考は彼女の身体も精神も疲れ果てさせてしまう。 だが、それでは駄目だ。 (こんな所で、こんな所で絶対に死ねない。みさきを一人にするわけにはいかないんだから……) みさきという少女の存在が、雪見に生きる活力と負の感情を払拭してくれる。 心細いが、決してそれを表には出さない。誰もこの場にいなくてもだ。 演劇部部長としてポーカーフェイスには自信がある。 気弱な自分を押し殺し、雪見は決心を固めて今までと通りの表情を形取った。 酸素を欲する自身の身体を制御して、彼女が歩き出そうとした時だ。 「あ〜もしもし。ちょっといいかねお嬢さん」 「―――っ!?」 まったく予想だにしない角度から、雪見に向かって声が掛かる。 心臓が一層と飛び跳ねて、慌てて背後を振り返りながら後退った。 その際、慌てるも拳銃を構えることは忘れない。 「な、なんなの貴女……」 「むー。なんだその珍獣を見たかのよう反応は。失礼だぞぅ」 雪見の目に飛び込んできたものは、簡素な着物を何故か着込んだ澪と同い年くらいの少女。 少女―――朝霧麻亜子(003)は雪見の態度に傷付いたとばかりに、頬を膨らませていた。 銃口を向けられても焦る素振りのない麻亜子の反応に、雪見としても困惑気味だ。 そんな彼女の状態もお構いなしに、麻亜子は陽気に口を開く。 「まあまあまあ。あたしのことはまーりゃんと呼んでいいぞよ。そっちも名乗ろうよ?」 ニコニコと友好的な笑みを浮べ、人畜無害そう言葉を掛ける。 相変わらず銃口が額へと向けられているというのに、麻亜子は陽気に歩み寄った。 場違いな麻亜子に気勢を削がれたのか、雪見は止む無く銃口を下ろす。 この少女は恐らく大丈夫だ。 襲うのならば姿を見せない内か、もしくは奇をてらったような奇襲をするべきなのだ。 こんな大股歩きで近寄る彼女に警戒するだけ無駄なのではないかと、その時はそう判断した。 そして、これ以上牽制しても仕方のない拳銃はポケットに仕舞っておくことにする。 「……雪見。深山雪見よ」 「なぬ、雪見? ならゆーりゃんだ! いや被るな……。ちくしょうめ、雄二の馬鹿野郎っ。ならゆきゆきにしよう決定!」 「はぁ? いや、そんなことはどうでもいいんだけど……」 「気に喰わぬと? 我侭さんめ、妥協しろってことかー! あい分かった。ゆっきーで譲歩しよう」 「……ふぅ。もう何でもいいわよ」 完全に天真爛漫な麻亜子のペースに飲み込まれて、雪見は小さく嘆息する。 彼女を困らす一点においては、何処かみさきに似ていた。 ともかく、接触してきたからには何か目的があってのことなのだろう。 拳銃を持つ雪見へ物怖じせずに近づいたことも気になるが、それは神経が太いということで納得した。 「それで? 貴女はゲームには乗っていないと判断していいのね?」 「うむ。一先ずゆっきーと手を組みたいと思う次第なのだよ。まずは情報交換といかないかね?」 指を立てて子供が背伸びをするような不釣合いな態度に、少しだけ微笑ましく思ってしまう。 幾分か残っていた警戒心が、麻亜子の雰囲気にほだされてしまった。 「わかったわ。ゲームに乗っていないなら誰か探しているのよね?」 「その通り。ゆっきーも誰かしら探しているということかな」 「ええ。みさき達は置いといて、折原浩平と上月澪の二人なんだけど……見なかった?」 「みーりゃんなら見たぞ」 「―――えっ!?」 麻亜子の簡素な一言に、雪見は驚きで彼女を凝視する。 みーりゃん。麻亜子の付けるセンスのない渾名だが、自分の探し人の名前と近しいものだ。 恐らく上月澪の渾名なのだろう。 こんなにも都合良く情報が手に入るとは思っていなかった雪見は、若干動転した様子で聞き返す。 「み、みーりゃんって澪ちゃんのことよね? 口の利けない子なんだけど……」 「それは正しくみーりゃんだ。小動物のようで猫可愛がりしたいほどだったよー」 「何処にいたの!? 彼女は無事なの? 怪我はしてないのよね? 誰かと一緒にいたの!?」 「なかなかの過保護っぷりだなぁ。まま、とりあえず落ち着きたまへ。質問は一つずつだぞう」 麻亜子の落ち着いた声を聞いて、雪見は恥ずかしそうに咳払いをした。 彼女に諌められるのはそこはかとなく悔しかったというのは胸中だけの秘密だ。 とにかく朗報だ。 放送で呼ばれておらず、且つ麻亜子の冷静で笑みさえ浮ばせる様子から察するに五体満足でもあるのだろう。 一つ安堵の溜め息を洩らし、彼女の言うように一つずつ質問することにする。 「じゃあ、澪ちゃんは無事なのよね?」 「元気一杯で困ったほどだ。怖い、いやいや優しいお姉さんも一緒だったからね〜。制服が一緒だから後輩という訳だ」 「部活が一緒なのよ。こう見えてもわたし演劇部部長なんだから。彼女は期待の新星よ」 「……にゃるほど。あたしが煮え湯を飲まされたのも間接的に関わってくるわけだぁ……」 「え? 何か言った?」 「ん? 何か聞こえたのかね?」 「―――いや、ならいいわ」 ボソリと、麻亜子が呟いたようにも聞こえたが、今は澪が無事な様子に素直に喜びを表す雪見。 どうやら、ゲームには乗っていない人物と同行しているようなので、それも彼女の不安を払拭してくれる。 「ちなみに澪ちゃんを何処で見たの?」 「この先の、えっと……平瀬村にいたぞ」 平瀬村という地名に、不安をぶり返した雪見は顔を歪ませる。 そこは先程まで自分達がいた場所。そして、マーダーに狙われた場所でもある。 彼女達を狙った襲撃者が一方を追って離脱したのならばいい。 だが、追撃を諦めて村に留まっているならば澪が危険に晒されるのではないか。 つい数分前までは追撃を諦めて欲しいと思っていたのに、澪がいると分かってしまった以上考えが逆転してしまう。 再び押寄せてきた不安の表情を押し殺そうとするも、青白くなった顔までは決して隠せず。 それに感づいた麻亜子は気さくに話題を転換する。 「こらこらまーにも質問させたまえ。ゆっきーばかりズルイぞぅ」 「あ、ごめんなさい。わたしが答えられる範囲なら答えるから……」 雪見の注意が上手くこちらへと逸れたことに、麻亜子は満足気に頷いた。 この話し合いは、名目上情報交換なのだ。 一方的に聞いたのでは、不公平であろう。 そう思ったからこそ、雪見は一先ず思考を打ち切って麻亜子の言葉に耳を傾けることにした。 「さてさて。あたしが探しているのは他でもない! さーりゃんとたかりゃんの二人だー」 「いや、その前に誰よそれ? 本名を言いなさい本名を」 「そんなことも分からんのかー! 久寿川ささらと河野貴明に決まってんじゃん」 そんな無茶な、そう零す雪見だが、河野貴明という名前には聞き覚えがあった。 「……河野貴明って、るーこちゃんが言ってたうーよね……」 「なぬ? どういうことだい?」 「いや、さっきまで一緒にいたるーこちゃん、名簿の最後の子ね。その子が河野貴明を探してたわよ」 「ほほう、ウチの生徒か。して、そのるーこちゃんはいずこに?」 「……はぐれたのよ」 雪見は先程の平瀬村での一件を麻亜子に説明した。 貴明を探していたるーことその連れ春原。浩之に、そして親友のみさきのこと。 この島で起こった出来事を、雪見は一句洩らさず伝えた。 別に喋って困るような情報でもなかったし、少しでも多くの善意ある人間へ話すことに越したことはない。 今は真実を語ることでしか、信頼を得ることができないためだ。 「そうかそうか。ゆっきーもさぞ大変な思いをしてきたのだな。大切な幼馴染との別れ……はふぅ。仲良きことは美しきー」 「ちょ、ちょっと大げさよ……。約束したんだから、絶対に再会するって」 涙まで浮かべて感嘆を表す麻亜子に、流石の雪見も照れ臭くもなる。 口調はいい加減に感じるも、見た感じ本気で雪見に同調してくれた。 そんな些細なことで人の心配が出来る彼女は、何処か人情が溢れているように感じ、漠然と信用が出来る仲間になり得そうだと思ってしまう。 何時までも大げさな反応を止めない麻亜子に苦笑しながら、雪見はハンカチを渡そうと一歩近づく。 ―――それが、彼女の失敗。 「ほら、いつまで泣いガッ―――!!」 泣いているの、そう綴ろうとした雪見の言葉が半場で途切れる。 目を驚愕に広げて、自身に起こった状態を確認しようと目線を下げた。 ―――喉に突き刺さる長方形の棒のような物。 辿ると、ニンマリと笑みを浮かべてそれを握る麻亜子の姿。 「―――うっ、が、ぁ……」 完全に喉を潰された。 なんだこれは。どうして麻亜子がソレを握って笑みを浮かべているのだ。 混乱した雪見の脳は、ある一つの結果を即座に弾き出した。 (―――最初から、謀られていたの―――っ!!) よろりと、後退した雪見へ向かって麻亜子は手に持つ長方形の物―――鉄扇を宙に翳した。 激情の赴くままに口を開きたいものの言葉が発せない。 口はパクパクと、およそ言葉ではない掠れたような音声でしか用を成さず。 ポケットから拳銃を取り出そうとするも、それより速く鉄扇が雪見の顎へと叩き付けられた。 「―――ぐぁ……っ!」 確実に命中した顎への攻撃は、雪見の平衡感覚を狂わせる。 視界が揺れたときには、既に頬が地へと衝突していた。 かなりの強度を誇る鉄扇の一撃は、顎骨に罅が入るほどの威力であった。 叫びたいほどの苦痛を感じるのに、決して言葉に出来ないやるせなさ。 その感情を全て視線に込めて、麻亜子を射殺すかのような眼光で睨みつける。 「ぁ……っぁ、が、きぃ……」 「ふふん。何を言っているのか分からないぞゆっきー」 怒りを孕んだ視線を受けても何処吹く風、麻亜子は一向に気にせずに倒れ伏す雪見の脇腹を蹴り飛ばす。 雪見は呻くように痛みを堪えるも、それを蔑ろにするかのように再度爪先で脇を抉る。 「―――ぁ……ぅっ!」 「駄目じゃないかゆっきー。こんな状況下で人を信用しちゃ。全然なっていないぞぅ」 出来の悪い生徒を叱るように注意を促す麻亜子。 完全にお門違いなセリフだが、平常な表情で蹴ることを止めない彼女を見ていると背筋が凍る。 嬲ることを楽しんでいるわけではない。 本当に罰を与えるかのように、困った顔でそれを敢行している。 訳が分からなかった。 先程までの会話はなんだったのか。麻亜子の同情したような感情はなんだったのか。 平然と暴行を加えているのは何故だ。彼女の同情したような感情はなんなのだ。 答えはとっくに導き出されている。馬鹿を見たのは自分だということだ。 最初から麻亜子の演技に気付きさえすれば。 いや、恐らく彼女のは演技ではないのだろう。普段通りに接して、普段通りに行動しているだけなのだ。 詰まるとこ、こういった殺伐とした環境に麻亜子が放り込まれたとすれば、彼女がゲームに乗るのは必然ということか。 元より他人の真柄である麻亜子の行動原理など知るわけもないし、どんな至上目的があるのかも見当もつかない。 結局は出遭った不運を呪えということになるのか。 (そんなの、絶対に御免だわ―――っ!) こんな下らないところで、こんな下らない少女に殺されてなるものか。 約束したのだ。みさきと必ず再会すると。 そして、こんな下らないゲームなんぞ皆で協力して切り抜けて、自分達の街へ帰るのだ。 そう心に誓ったはずだ。 ならば、こんな所で倒れているわけには行かない。 歯を食いしばって立ち上がろうとする雪見の姿に、麻亜子は感嘆の言葉を投げかけることを忘れない。 「おぉ……素晴らしき執念。キミの幼馴染のようにしぶといぞー」 「―――ぇ?」 麻亜子の一言に雪見は凍りつく。 ―――しぶとい? どういう意味だ。 言葉を図りかねた雪見へと、麻亜子が親切にも助け舟を出す。 「んー? 意味がわからなかったのかい? どうしようもないゆっきーだなぁ…… いやぁ、ゆっきーに会う数分前にさ、ちょっとこう……なんて言うの? グサッとさぁ」 「…………」 「可哀想だったぞみさりゃん。どうして助けてあげなかったんだよぅ。 何度も何度もゆっきーの名前を呼んでたっていうのにぃー」 ―――まさか。まさかまさかまさか。 麻亜子が自分達を襲った襲撃者? そんな筈はない。閃光弾が炸裂した時に洩れた声は確かに男だった。 なら、みさきを殺したと宣言したこの少女は何だ。 逃げていたみさきを殺して、こちらまで来たということか。 (そ、そんな……みさき、嘘でしょ? だって、約束したじゃない……) 反対方向に逃げたみさきを殺してここまで短時間で来るという荒唐無稽な話を、何故か嘘だと思えなかった雪見。 麻亜子の雰囲気か、もしくは雪見の状態がそうさせたのか、今の彼女の精神は何処か逸脱していた。 押し潰すような悲しみが襲い掛かり、そして次の段階へとシフトする。 雪見の胸の内に、ドス黒い憎悪が沸々と湧きだってきた。 (―――……くも、よくも! みさきを―――!! 殺す……絶対に殺す―――っ!!) ギリっと歯を噛み締めて、怨嗟が篭もった憎悪の光を宿らせた雪見が立ち上がろうとする。 震える身体を突き動かすのは、殺意の感情の一辺倒。 彼女の理性までもが訴える。 あの少女は生かしておけない。八つ裂きにしてでも仇を取れと。 懸命に立ち上がりながら、拳銃に手を伸ばす雪見の姿を見ても、焦ることのない麻亜子は冷然と見下ろす。 「おやおや? 何だかあれだね。生まれたばかりの子馬が必死になって立ち上がろうとする姿に見えちゃうんだな、これが。 ともかくさ。そんなに無理しちゃ身体に悪いから―――」 暗い光を灯す雪見の視線を笑みで返して、鉄扇を右手に持ったまま手首のスナップを利かせて扇状に広げた。 鈍く光る円状の刃を、上体を起こした雪見の背へと事もなく振り下ろす。 「大人しくしてくれると肝要だぞ」 「―――うぁ……!」 制服を紙か何かのように切り裂き、雪見の肌もパックリと縦に裂ける。 痛みで彼女は再び力を失ったかのように地へと沈んだ。 血液が制服を赤へと染めゆくが、それでも致命傷ではない。 何故一撃で致命傷をお見舞いせずに、浅く切り裂くに留めたかなどどうでもいい。 指一本動かす力があるのなら、全てを麻亜子を殺すことに費やす覚悟だ。 自分が死ぬまで何どでも立ち上がって、麻亜子を無残に殺してやる。 それまで諦めるわけにはいかないとばかりに、雪見は立ち上がろうとするも――― 「あ〜あ。飽きたからもういいや。ばいば〜い、ゆっきー」 壊れた玩具を安易に放り投げるような無邪気さに、雪見の怒りも沸点を振り切った。 何事もなく背を向けて歩き出した麻亜子へと、痙攣する身体を持ち上げて銃口を構えるも、命中するには既に難しい距離である。 だが、麻亜子は家の角を曲がろうとする間際、チラリと雪見へと視線を寄越す。 哀れんでいる様で、楽しんでいる様で、そして何処か誘っている様で。 そんな表情を残して、彼女は家の角へと姿を消した。 ―――逃がさない。 何処までも追い縋って、必ず後悔させてやる。 その一心と執念で笑う膝を強引に従わせて地へと踏み立つ。 (―――逃が、さない! みさきを殺した仇―――っ!!) 鬼の形相で一歩一歩を踏みしめて彼女は進んだ。 **** 「それじゃ、その関西弁の女が要注意人物なのね」 「そゆこと。向坂環ってのは正当防衛だから、安心していいと思うわよ」 物陰に隠れた来栖川綾香(037)と巳間晴香(105)は現在情報交換の真っ只中。 お互いの武器を確認し合い、今は綾香の情報を公開中だ。 情報といっても本当に微々たるものだが、それでもこの島で生きる上では貴重に成り得るものだ。 「後はね、私の知り合いなんだけど―――」 この島で参加者として放り込まれ、且つ綾香が探したいと思っている者は四人。 姉の来栖川芹香(038)にメイドロボのセリオ(060)、松原葵(097)と藤田浩之。 その内の一人、葵は既にいない。 放送などという神経を逆撫でする様な主催者の行為には反吐が出るほど気に喰わなかった。 葵はゲームに乗るような人柄では決してなかった。 なのに死んだのは何故か。決まっている、悪意あるゲームに乗った馬鹿に殺されたのだ。 綾香は殺し合いに参加するつもりはない。 だが、マーダーと対峙した時は、自分の手を汚す覚悟も既に出来ている。 格闘技とは違う、本物の凶器で人の命を奪うのだ。 覚悟を締めなおさなければ、拳銃の重みに耐えられそうにない。 少しだけ暗くなった表情を表にだないように、綾香は晴香へと知りうる限りの情報を与えた。 黙って聞いていた晴香に、次は貴女の番だと話を促す。 「その前に、綾香。わたし藤田浩之とは会っているわよ」 「ちょっとちょっと! 先に言いなさいよね、そういうことは……」 「口出しするのもどうかと思ったのよ」 「あっそ。で、浩之は何処にいたわけ?」 「平瀬村よ。他にも四人ほどいたけど。わたしは飛び出した梓を追ってきたから、それ以降は分からないわね」 平瀬村だとここからすぐ傍だ。 本来なら芹香が第一優先なのだが、未だ所在が判明できていない。 ならば、確実に平瀬村付近にいる浩之と合流するほうがいいのではないか。 一先ず方針を固めた綾香は、今度は晴香の情報に耳を傾ける。 浩之一行との成り行きや、自分の義兄のこと。 そして、柏木梓(017)が少し暴走気味であることなど、浩之以外の情報に関しては彼女にとってあまり意味があるものとは思えない。 ただ少し気になったことがあった。 「ねえ。この巳間良祐は義兄って言ってたけど、探す気はないみたいね」 「……そうね。長年会いたいとは思っていたけれど、実際会いたくないってのが本音ね」 自分は少しでも速く姉に会いたいと思っているのに、晴香は矛盾した物言いで綾香の言葉を曖昧にはぐらかす。 表情を落として呟く姿を見ていると、あまり立ち入ってはいけない事情があるのかもしれない。 兄弟姉妹が全て仲良しという訳ではないのだから、無理に探させる必要なんてまったくない。 しかし、お互いの方針に食い違いが出るのならば、晴香とは組む事が出来ないだろう。 「ま、いいわ。とりあえず、私は平瀬村に行こうと思うんだけど。あなたはどうする?」 綾香の提案に、晴香は少し考えて口を開いた。 「いや、わたしは遠慮しておく。このまま梓を放っていくわけにもいかないでしょ」 「ふ〜ん。あちらさんは恐らく望んでいないと思うわよ?」 「それでもよ。このまま暴走した梓を見捨てるのも目覚めが悪いのよ」 小さく息を付く綾香は、仕方ないとばかりに首を振る。 出来れば着いてきて貰いたかったが、強制させる気は元よりなかった。 そもそも、梓を行かせたことに対して未練が顔に残っている以上、結果は言わずも分かっていたのだ。 なんだかんだと言いながら、結局は最初に出来た仲間が心配なのだろう。 そんな晴香だからこそ、綾香は接触しようと考えたのだ。 彼女の存在は惜しい気もするが、それも仕方がない。 「そう。じゃ私は行くけど、あなたも気をつけなさいよ」 「それはこちらのセリフよ。集落は人が集まりやすいんだから、用心に越したことはないわよ」 「はいはい。わかってるって」 お互いの健闘を笑みを浮かべながら称え合っていた時だ。 二人の前に、新たな少女が姿を現したのは。 **** 「ぬぉぉー! そこの御二方ぁー。お助けをーー!」 「ちょ、何っ!?」 「っ! 止まりなさい!!」 二人に駆け寄ろうとした麻亜子は、綾香が怒声と共に構えた拳銃に驚いて急停止をかける。 何とか二人の数メートル前で静止出来た麻亜子は内心で愚痴った。 (むむむ……。流石にこんな古典的な方法じゃ信用してくれるはずもないよなー) 先程まで雪見を嬲っていた素振りを見せず、彼女は飄々と弁解の口を開く。 「なんであちきに銃を向けるんだー! ひどいよひどいよぅ」 「あからさまに怪し過ぎんのよ! 何なのあんたっ」 「そもそも、その着物は何なのよ……」 綾香に拳銃で牽制され、晴香からは珍妙な生き物を見るかのような視線に晒される。 彼女達の不躾な質問と目線に失礼だぞぅと、すかさず反論しておく。 確かに麻亜子の反応はあからさますぎた。 第一、ふさげた様なセリフと行動が合致しない。 少し態度を見誤ったかと麻亜子は思うが、それさえも覆す布石が存在しているために問題ない。 そもそも態度も性格も普段通りと変わりなく、猫を被っている覚えだって麻亜子にはなかった。 「ともかく話を聞いておくれよぉ……。こんないたいけな幼女が恐怖に震えているのだぞ? 良心ってものがないのかー!」 「自分で言わないでもらえる? それで、あなたは逃げてきたってこと?」 「総じて正解! ぜひぜひこのあたしことまーりゃんに救いの手を授けたもぉー」 何を言っているのだこいつは、綾香と晴香の感想は一括していいほど同じものである。 ジロリと、訝しげに麻亜子を睨む。およそ信用が置けないようだ。 それでも麻亜子は言葉を必死に連ねる。 相変わらず胡散臭そうに見る二人だが、実の所麻亜子にはあまり関係がなかった。 彼女の役目は、綾香と晴香をここに縫い付けておくことだ。 隙を狙って襲撃するわけでもない。 それ以前に、二人の緊張が緩むことがあっても、最後まで麻亜子を油断なく観察しているため、なかなかに難しい。 意外と警戒心が高いが、それすらも麻亜子の計算の内だ。 少なからず、こんな状況下で警戒しない方が愚鈍であるから、彼女達の態度は想定内でもある。 危機管理のなっていない者ならば、それはそれでやり易いが。 麻亜子には“協力者”が存在しており、それが来るまでの辛抱だ。 彼女は外面でも内心でも同じ表情を浮かべながら、今度は泣き落としで迫る。 「うぅぅ……。こんなに頼んでいるのに未だ聞き入れてもらえないこの理不尽さ。さては貴様等ゲームに乗ったな!」 「はぁ!? ふざけるのも大概にしないさいよ。謂れのない事実は不愉快よ」 激情しやすいのか、綾香は眉を吊り上げて麻亜子を鋭く睨みつける。 島で殺し合いをする輩と同類に見られたくないが故に、彼女は拳銃を敢えて下ろして見せた。 だが、その綾香の行為に不満なのが晴香だ。 「ちょっと綾香。用心するに越したことはないってさっき言ったでしょ?」 「構わないわよ。こんな子供にどうにかされるほど私は弱くはないわ」 「そうそう。こんな非力な少女なんか片手間で捻られて当然じゃんよ」 「……だから、何自分で言ってんのよ」 銃を構えずも対抗手段があると暗に言う綾香だが、晴香はそれでも納得がいかないようだ。 綾香の自信の程は何処からか。 麻亜子が推測するに、恐らく近接戦闘が本領なのだろう。 引き締まった体躯は見るものからすれば洗礼されており、初めて手にする凶器なんかよりは余程信用が置けるのではないか。 麻亜子がナイフを携えて襲い掛かっても、それより速く長い腕と足が伸びてくるのだろう。 だが、どうやら綾香は思い違いをしているようだ。 格闘技で何とかできるほど、このゲームは甘くはない。 年齢性別、それらの垣根をいとも容易く破壊する前提を、彼女は忘れているのだろうか。 (ま、それはそれで好都合と。さぁてと……そろそろご到着かな) 麻亜子の態度に辟易とした綾香と晴香だったが、ジャリっと砂を踏みしめる音を耳にした。 過剰に周囲に気を配っていたのか、二人は即座に反応して各々の武器を構える。 その隙に、麻亜子を走りだした。 「あわわわっ―――! 来た来た来たよー!!」 「ちょっと! 何勝手に後ろに回ってんのよ!?」 「いいからほっときなさい晴香!」 混乱に乗じて上手いこと二人の背後へと移動した麻亜子。 当然、疑い深い晴香は神経質な抗議の声を上げて摘み出そうとするが、今はそれどころでないとばかりに綾香が怒声を飛ばす。 ゆらりと、物陰から出てきたのは雪見だ。 鬼気迫る尋常ではない様子に、二人は唾を飲み下す。 その時になって、ようやく晴香は出現した人物が誰であるかを思い知る。 別れて一時間程度しかたっていないというのに、彼女のあまりの変貌振りに二の句を告げられずにいた。 雪見の身に何があったのか、他の人達はどうしたのか。 聞きたいことが山ほどあったためと、信頼できる人物を見たときに、晴香の警戒までもが緩んでしまった。 そして、二人の脇から雪見にだけ見えるように顔を出した麻亜子は、おもむろに笑って手を振っている。 ブチリと、何かが切れた音が聞こえてきた気がした。 「ちょっと、雪見? 一体何が―――」 「―――ぁぁああ!!」 ―――晴香の声を遮る形で、掠れた怒声と二発の銃声が響き渡る。 雪見が手に持つ銃口から硝煙があがり、気付いたときには全てが遅かった。 「―――ぅ、あぁ……」 「晴香―――!?」 ガクリと、晴香が膝を落とす。 一発の銃声は見当違いの方向へ、そして二発目は晴香の腹部へと着弾した。 腹部から止め処なく血が噴出す様を見て、綾香は完全に気が動転する。 だが、ふらふらと揺れながら尚も拳銃を構える雪見の姿を見せられて、彼女は現実に引き戻された。 雪見の目が正気ではない。 土気色の表情に、常軌を逸した彼女の様子に呑まれそうになるも、綾香は拳を強く握り締めて腰を屈めた。 「アンタ! 晴香を頼むわよ―――っ!」 「お、おう。任せときためへ」 その返事を聞かないで、綾香は雪見へと踊りかかる。 晴香のことは心配だ。だが、それ以上に雪見の存在が一番脅威であった。 様子から察するに、まともな会話や交渉は望めそうにない。 ならば、動けないように無力化する必要があった。 無力化という言葉。そこに、自覚の無い綾香の甘さが隠れていることに本人は気付いていない。 雪見はすかさず銃弾を放つが、それも動き回る綾香へと当たることなく弾は宙を裂くに終わる。 一挙動で懐に潜り込んだ綾香の拳が、正確に雪見の肝臓を突き刺した。 「―――か、はっ……」 女性の力とは思えぬ一撃に、雪見の口から黄色い胃液が滴り落ちる。 その反応にやったか、と気を抜いてしまった綾香はやはり甘さが抜け切れていないのだろう。 雪見は倒れそうになる身体は抵抗させずに、綾香の首に自身の腕を巻きつけた。 「え!? ウソっ―――」 驚愕の悲鳴を道連れにして、雪見は綾香を引き摺り倒す。 泥沼の戦いになりつつあった二人を麻亜子は横目で眺めつつ、晴香の状態を確認する。 留まることを知らないように、晴香の体から血液が漏れ出していく。 「ふむふむ。血を止めたらなんとかなりそうかも……」 臓器は奇跡的に傷付いていないようなので、適切な治療を施して安静にしておけば助からないこともなかった。 だが、そのつもりはない。そんな知識や技術も元より持ってはいない。 初めからこういう修羅場を望んでいたのだから、治療するなんてもってのほかだ。 そして、仕上げがまだ残っている。 麻亜子は懐から鉄扇を取り出して、苦痛に顔を歪める晴香へと視線を寄せた。 「……痛そうだねぇ。気分はどうかな?」 「―――さ、いしょから、そのつもりだったのね……っ!!」 晴香の弱弱しい怒声も、麻亜子は笑みで迎えた。 「ん〜? それはゆっきーがやったことだろぅ? あたしは悪くないじゃんよ」 「ぬけ、ぬけと……っ。雪見になにを、したの?」 「ふぅ……チミも鈍感さんだな。見ての通りじゃないか。単純にけしかけただけさ、あたしにね。 キミ等は言わば……にゃは。謀らずとも火の粉で身を焦がす可哀想な参加者AとBってところでどうかな?」 悔しさと怒りをない交ぜにした感情を、この惨状に満足そうな笑みを浮かべる麻亜子に向ける。 警戒はしていたはずだ。 逃げているわりには何故か余裕があった態度や、人を困惑させるような言動。 全てが全て怪しさを体で表していたというのに、何故対処できなかったのか。 恐らくは晴香と綾香、二人の人格を正確に読み取られたせいだ。 今一歩の所で甘さを抜けきれない単純な綾香と、冷静なようで他人をつい思い遣ってしまう晴香。 だからこそ、漬け込まれたのか。 始めから余裕も猶予もあった麻亜子には、既に遭遇した時点で負けていたのだろう。 ならば、精一杯の強がりをこの憎き少女に浴びせ掛けてやる。 「―――ぅ、はっ、ぁ……。ふん、アンタ絶対……碌な死に方しないわよ。誰からも、省みることなく……寂しく無残に死んでいくといいわ……」 「まあねぇ。あたしみたいな人間だからこそ、最後は呆気なく死んでいくもんだよ。 いやしかし、最後に大きな花火を上げるのも乙ってもんだよなー」 「―――地獄に落ちろ……クソ餓鬼が」 「隠れざる真相発覚! 実はチミよりお姉さんなんだなこれが―――」 バシッと扇状に広げた鉄扇で、晴香の喉を一閃する。 切り裂かれた喉から冗談のように噴出する血液が、麻亜子の顔を汚していく。 麻亜子の勝ち誇ったような表情をボンヤリと眺めながら、晴香は重力に従って上体を仰向けにして倒れ伏す。 (―――こんな、奴に殺されるなんてね……。結局、郁未や由依にも会えず仕舞いか……) もう痛みも感じない。 だんたんと視界が曖昧に霞んでいく。 気になることは沢山あった。 過酷な施設での仲間、危なっかしい梓のことや、今も奮闘しているであろう綾香のこと。 そして、義兄良祐のこと。 気になることは沢山あったが、それも果たせそうにない。 彼女は小さく息を付いて、目を閉じた。 **** 「ちっ! この……っ」 「―――っ!?」 何度も揉み合いになりながらも、五体満足である綾香が有利なのは目に見えていた。 完全に主導権を握った綾香は、馬乗りに雪見の背へと圧し掛かり身体を押さえつける。 雪見の拳銃もすぐ傍に転がっているが、身動きが出来なければ回収にも当然行けない。 無茶苦茶に暴れまわる雪見を押さえつけるのも一苦労だ。 (どうにかして……どうにかして止めないと……!) 綾香は彼女を止めるための策を考える。 話し合いによる解決は既に不可能だろう。 雪見は何故か言葉を発せずに、獣の呻き声のような声しか口から出てこない。 まして、眼光が綾香へとまったく注がれていないのだ。 綾香の背後、晴香達がいる筈の場所を延々と睨みつけている。 完全に綾香は眼中にないのだ。 狙いは始めから晴香、もしくは麻亜子ということになる。 深山雪見の情報は晴香から聞いていた。 浩之達と一緒に行動していた者であるが、晴香との確執があったとは思えない。 ならば、麻亜子を追ってきたということになる。 結局は厄介ごとに巻き込まれ、そして、晴香の忠告を聞いておけばよかったと今更ながらに悔やまれる。 ともかくだ。 まずは彼女を何とかしないことには始まらない。 今のこの状態で無力化する方法は何か。 格闘技を嗜む綾香からしたら、考えてみると意外と多彩であった。 暴れる雪見の首へと腕を通して、がっちりとロックする。 前腕で頚動脈を圧迫して、雪見の意識を落とそうと試みるが、両の手を自由にさせたことが失敗だった。 雪見は絞まる首を何とかしようと目を走らせたとき、都合よく落ちていた手頃な木の枝を拾う。 綾香は首を絞めることに気を配られていたために、雪見が枝を折った音にも気がつかない。 一度技が入ってしまえば、それで試合終了なのだ。未だに殺し合いを履き違えていた綾香はまたも油断する。 そして、先端が鋭くなった枝を、おもむろに綾香の腕へと突き刺した。 「―――っぁ!? しま―――っ」 綾香の拘束が緩んだ隙に、雪見は振り切るようにして転がり、落ちた拳銃を手にする。 照準を綾香の肩越し、つまり晴香達がいる場所へと銃口を向けた。 雪見の切羽詰った瞳を見た瞬間、綾香は唐突に理解した。 彼女は全てを賭して、殺害の道を走ろうとしていることに。 無力化などという生半可な覚悟しか抱いていなかった自分とは、覚悟の程度が違う。 それでも綾香は立ち上がる。 「―――だからって……引いてやるわけにはいかないのよっ―――!!」 綾香とて決して譲ることはできないのだ。 ここで引いてしまうと、今も激痛で苦しんでいる晴香をも見捨てることになる。 そんなことは有り得る筈もなく、ましてそれを容認してしまうとゲームに乗った奴とどう違うというのか。 それだけは許せないし、それだけは納得できない。 自分が守るべきものは、何を持ってしても守り抜く。 新たな決意を今一度立て直し、綾香は拳銃を抜いて雪見へと反射的に発砲する。 ―――乾いた銃声は一発。 「―――ぅ」 「―――み、さき……ごめ―――」 胸を打ち抜かれた雪見はドサリと、俯つ伏せに倒れ伏す。 茫然と手に持つ拳銃を眺めていた綾香は、腰の力が抜けたようにペタンと座り込んだ。 たった引鉄を引くだけの行為に、フルマラソンをしたような疲れが吹き出してくる。 そして、のろのろと雪見の姿を目にしたとき、綾香の背中からぶわっと冷や汗が漏れ出した。 自分が行った現状を認識すると、体に震えが走り、それを押さえようと腕で体を抱く。 決意なんか立て直しちゃいなかった。その場の勢いで撃ってしまった事実は否めない。 人を一人殺した。人を殴るような感覚とはかけ離れ過ぎていた。 爽快感もない。残ったのは後味の悪い思いだけである。 「はっぁ、は、はぁ、……そ、そうだ、晴香は―――」 重傷を負った筈の晴香のことを急に思い立ち、震える膝に力を入れて立ち上がる。 雪見の対処で気が回っていなかったために、晴香とそれを任せた麻亜子の存在を確認しようと目を向けるも――― 「―――ねぇ、晴香はどう―――え?」 振り返った綾香の視界に飛び込んだものは、小さな血の池に沈む晴香の姿。 ―――硬直する綾香。 口許がワナワナと震え、伝染したように体全体もブルリと震える。 気がつけば、一もなく飛び出していた。 「―――晴香っ!? ウソ、なんで!? 何この血……どいうこと、どういうことよっ!!」 転びそうになりながら駆け寄って、横たわる晴香の傍にへたり込む。 衣類や両手足に血がべっとりと付着するのも構わないで、晴香の身体を揺さぶった。 雪見を撃った時以上に顔を青褪めて、綾香は唖然と動きを止める。 理解に苦しんだ。 自分達は一体どういう経緯で、狂ってしまったのか。 晴香が撃たれたから、自分が雪見を撃ったのに。 晴香を撃った雪見は、確かに自分が殺してしまったのに。 「……どうして、あなた、が死んでるの……」 誰の目から見ても明らかだ。 ここまで血液を失った人間が、生きているはずもない。 ありえない。腹部を撃たれただけなのに、こんな短時間で人は死ぬものなのか。 おかしい。何かおかしい。 いや、何かではない。始めからおかしかったのだ。 島に連れてこられたことか。関西弁の女と環に会ったことか。晴香に接触したことか。小さな少女が来た時か。 ピクリと、綾香の口許が引き攣った。 「……え? あの子は……何処?」 何か忘れていると思っていたら、あの少女がいないではないか。 晴香を頼んだはずなのに、姿を消すとは無責任にも程がある。 怖くなって逃げたのかもしれないが、少しぐらい根性見せて晴香の傍に付いてくれたっていいのに。 それに晴香の支給品であるボウガンまで持っていくなんて、好奇心旺盛だ。 自分が必死になって雪見を抑えてたのに、あんまりではないか。 これだから、小さな子供は――― 「はは……そっか。そういうことか。―――アイツかぁ!!!!」 小さな子供が―――なんだ? あれが子供? 皮被った畜生の間違いだろう。 腹部を撃たれただけであった晴香。なら喉にある傷は何だ。 無残に横にパックリと裂けた傷跡は何なのだ。 そもそもだ。雪見は誰を追っていたのだ。雪見の背の傷跡は何だ。 全部、全部全部――― 「……アイツの仕業か……。くっ、くく……あははははは―――っ!!」 周囲を憚らずに綾香は心底可笑しそうに笑う。 目元に涙を浮かべて、腹を抱えて尚も笑う。 完全に踊らされていたという訳だ。 綾香も晴香も雪見も。全員が麻亜子の傀儡となって掌でダンスをしていたのか。 もう笑うしかないだろう。 自分が万感の思いで決心したことも、それに伴って雪見を殺したことも、全てが全て無駄だったのだから。 「っく、はぁ、はぁ……ふふ。―――ああああぁぁ!!」 愉悦が収まると、今度は腸が煮えたぎってきた。 血が滲み出るほど握りこんだ拳を大地へと叩きつける。 何だこの屈辱感と留まることを知らない怨嗟の感情は。 ―――許せない。 ―――絶対に許せない。 ここまでコケにされたのも初めてだ。 もう我慢しない。躊躇しない。加減もしない。 麻亜子は殺す。四股は引き千切り、脳髄を引き摺り出して島中にぶちまけてやる。 それだけでは飽き足らない。麻亜子に知り合いがいたら、そいつ等も例外なく無残に殺す。 可能ならば、麻亜子の前で嬲り殺しにしてくれる。 脱出? 主催者への対抗手段? 全て知ったことか。 綾香には今、最優先事項で至高目的で最上級目標が存在している。 今この瞬間だけならば、主催者に感謝してやってもいい。 自分に復讐をする機会を与えてくれるのだから。 願わくば、勝手にゲームを終わらせてくれるなよ。 そして、自分に断りなく麻亜子を殺してくれるなよ。 「―――待ってなさいクソチビが……。絶対に生きていることを後悔させて殺してやるから……っ!!」 般若の形相で綾香は、麻亜子が逃げたであろう街道を進む。 どす黒く染まった彼女の思考が数時間前の情景と、ある女性との一つの約束を思い浮かべていた。 「ごめん環……。私もう止まれそうにない。止まるつもりもないから―――」 それは決別の言葉。 他は望まず、望ませず。自分の欲求に従うことを躊躇わない獣の姿。 彼女が嫌悪していた輩と、それは同じ穴の狢。 こうして、修羅の道へとまた一人足を踏み入れた。 **** 綾香が姿を消して数分、二人の死体が転がるその場に、再び少女が現れた。 「灯台下暗しとはまさにこのことだねぇ。あんなに怒っちゃって、怖い怖い」 麻亜子は遠くになど離れておらず、晴香に止めを刺して直に近くの物陰に潜んでいたのだ。 不意打ちで綾香を仕留めても良かったのだが、何かと放し飼いにしたほうが面白そうだと思ったからである。 しかし、それも控え目にしなくてはならない。 逃がした獣にささらと貴明を万一にも噛ませる訳にはいかないのだ。 麻亜子の目的は、とにかく参加者の人数を減らし、二人を元いた街へと返すこと。それだけに尽きる。 間接的な雪見を含めれば、既に三人が麻亜子の手に掛かっていた。 マーダーとしては、今のところ優秀な殺害数なのではないか。 これからも、人を躊躇なく殺していくつもりだ。 人が死ねば、それだけで二人の生存率も向上するのだから、決して後戻りは出来ない。 こんなことしても、貴明やささらは満足なんかはしないだろう。逆に激怒するはずだ。 だが、それでもいい。 結局はこれも、二人に生きていて欲しいという自己満足な考えでしかないのだから。 ともかく、今回は危険な賭けでもあった。 三人を巻き込み、混乱に乗じて殺していくといった算段であったが、上手くいくかどうか悩んだものだ。 危険なリスクを背負ったのは他でもない、より強力な武器の入手がそもそもの目的である。 そして、それは果たされたといっていいだろう。 「むふふ。あやりゃんの奴め、怒りで我を忘れおってからに。殺した相手の武器ぐらい回収しておけばいいものを」 麻亜子はご機嫌な様子で雪見の傍に転がった拳銃を拾う。 残弾数が残り僅かであったものの、使えるものは最大限活用すべきだ。 拳銃にボウガン。戦果は上々といえるだろう。 (豊作豊作。銃も手に入ったことだしぃ、あきりゃん達にお礼をしに行ってもいいけどなぁー) 数時間前、水瀬秋子(103)と上月澪(041)に煮え湯を飲まされたことは、未だに麻亜子は納得が出来ていない。 親切に送り出してくれた二人には勿論感謝をしているが、それとこれとは話が別だ。 襲撃という名の感謝の証を行動で示そうと思ってはいたが、それは止めることにする。 「な〜んか、あきりゃんは得体が知れないんだよなぁ……。華麗にスルーするほうが賢い生き方ってもんだよね」 どちらにしろ、平瀬村付近から離れようと思っていたのだ。 よっぽどのことが無い限り、再び巡り合うことはないだろう。 簡単に身支度をした麻亜子は、ふと無念の表情で朽ち果てた雪見を見詰めた。 「―――ゆっきー。キミの幼馴染はちゃんと生きているぞ。でもな、みさりゃんに出会ったらあたしは殺すからな。 恨みたければ存分に恨め。死んだら幾らでも復讐させてやるから、今は許せよ」 雪見の瞼をそっと閉じさせて、麻亜子は綾香とは正反対の方向へと悠々と歩き出す。 彼女を死なせたことに、微塵の後悔もないし、未練もない。 それが麻亜子の生き様で、この島での在り方だ。 貴明とささらを死んでも生かす。 それが、唯一無二の彼女の誓いだ。 『朝霧麻亜子(003)』 【時間:1日目午後6時30分頃】 【場所:G−03】 【所持品:SIG(P232)残弾数(4/7)・ボウガン・バタフライナイフ・投げナイフ・仕込み鉄扇・制服・支給品一式】 【状態:普通。着物を着衣(防弾性能あり)。貴明とささら以外の参加者の排除】 『来栖川綾香(037)』 【時間:1日目午後6時30分頃】 【場所:G−03】 【所持品:S&W M1076 残弾数(5/6)予備弾丸30・支給品一式】 【状態:興奮気味。腕を軽症。麻亜子と、それに関連する人物の殺害。次点で芹香を探す】 105 巳間晴香 【死亡】 109 深山雪見 【死亡】 - BACK