忌むべき訪問者




古河秋生は診療所へ続く道を一心不乱に走っていた。秋生には是が非でも娘の渚や妻の早苗を守らねばならない理由があった。
先ごろ冗談で上に撃ったマグナムの一撃で、人が落ちてきた事は秋生にもすぐ分かっていた。そして、それが物言わぬ骸となっていたことにも。
まさか人がいて、しかも死んでいたとは思いも寄らなかった秋生は動転して思わずその場から走り去ってしまったのだが、後々になってからいかに自分が取り返しのつかないことをしてしまったのかと後悔していた。
拳銃を使って自殺するのは簡単だった。しかし今ここで自分が死ねば、誰が娘や妻を守れるのか。愛する者を守るためにも、秋生はまだ死ぬわけにはいかなかったのだ。
せめて、無事に妻子が脱出できるまでは。俺を許してくれ、お嬢ちゃん。
息が切れそうなほどの全力疾走。自分の心臓の音以外は、何も聞こえていなかった。
そしてようやく、秋生の目が診療所を捉えたとき――悲劇は起こった。
「わたしは、わたしは絶対にあなたたちのようにはなりません!」
聞き覚えのある声。娘の声。何を言っているかはわからなかった。ただ、聞こえた娘の悲鳴にも近い声から、何か不吉な、それも最悪の事が起こっていると秋生は確信した。
S&W M29を握り締め、開いていた窓に登り、秋生は中を見下ろした。――そして、彼は二度目の絶望を目の当たりにすることになる。
血溜まりの妻の姿。鉈を振りかざし、今にも襲いかかろうとする女性。そして、震えながら、涙を流しながら、それでも気丈に佇む娘の渚。
彼の脳が何か考えるよりも先に、S&W M29の銃口を鉈の女性に向けて――発砲した。


「悔しければ、仇を討ちたければ、生きたければ、……理由はなんでも良いわ。それを手に取りなさい。そうしたら生かしてあげる。取らないならば、あなたもすぐ大好きな人のいるところへ送ってあげる」
天沢郁未が、まだ何が起こったのか分かっていない渚に向けて冷たく言い放つ。渚は母の遺体を抱きかかえたまま、涙を流している。
「…どっちにするか、早く返答を貰いたいものね。…そうね、一分だけ待ってあげる。その時までに決めなさい」


「郁未さん、何もそんなに待つ必要はないでしょう?」
相変わらず不機嫌なまま、鹿沼葉子が郁未に苛立たしげに言う。
「…お別れの時間を与えてあげただけよ。どっちにしろ、那須宗一を片付けたらこの子も殺すから」
郁未がそう言うと、情けですか…それもいいでしょう、と言って葉子が黙りこむ。
一方の渚は、骸となった母の死体を見ながら必死に語りかけていた。
(お母さん、お母さん、冗談ですよね? 冗談だって言って笑ってくださいっ! いつもみたいに笑って、それから…)
必死に揺り動かしても、ピクリとすら動かない母。次第に、渚の心の中を絶望が支配していった。
(お父さんっ、朋也くんっ…わたしはどうしたら、いいんですか?)
混乱する頭で、自分がどうしたらいいのか考える。実際にはそれは数十秒にも満たない間だったが、渚にとっては、それは永遠にも等しい時間であった。
答えをくれる者も、助言をしてくれる者もいない。渚は母と、近くに置かれた鉈を見ながら必死に考えた。
(お母さんは、この人達に殺された…)
眼前に見える、二人の殺人者を見上げる。彼女らは悠然と、渚を見下していた。
(お父さん、朋也くん…ごめんなさいです)
祈りをささげるように、渚が目を閉じた時だった。
「一分よ。返答を聞かせてもらいましょうか」
郁未が一歩詰めよって言った。渚はゆっくりと目を開けて、毅然とした表情で郁未を見た。その眼光に、郁未がわずかにたじろぐ。
「…わたしは、殺し合いをするつもりはありません」
すぐ横の葉子がぴくりと目を吊り上げるのが見えた。
「あなたたちは…あなたたちは、絶対に許す事はできません。ですけど、もしわたしがそこの鉈を取って、あなたたちと殺し合いをすることを選んだら、わたしもあなたたちと同じです。同じ殺人鬼です。そうなったら、お母さんも悲しみます」
渚は一呼吸置いて、そして大声で言い放った。
「あなたたちの思い通りにはさせません! ですからその鉈は必要ありません。お返しします。
わたしは、わたしは絶対にあなたたちのようにはなりません!」


それは二人に対する宣戦布告だった。渚は震えながら、それでも毅然とした態度を崩さなかった。
(これでいいんですよね、お母さん)
より強く、母の体を抱きしめる。気のせいかもしれなかったが、それでこそわたしの娘です、という声が聞こえたような気がした。
この状況に苛立ったのは葉子だった。
早苗といい、この渚といい、どうしてことごとく癪に障ることを言うのか。侮辱されただけにとどまらず、あまつさえ下衆な殺人鬼扱いするというのか。ギリッ、と葉子は奥歯を噛んだ。
――いいでしょう。その宣戦布告、受けて立ちます。
葉子は鉈を素早く引き抜き、薙刀を渡してから郁未に言う。
「郁未さん…この子は、私にやらせて下さい。私の手で仕留めたい」
鬼気迫る葉子の表情に驚きを覚えながらも、郁未は冷静に答える。
「ええ、分かったわ。…それじゃさよならね、古河渚。あの世でお母さんとよろしくやりなさい」
郁未が言い終わると同時に、葉子が鉈を振りかぶる。その時だった。
ズダァン!
激しい轟音と共に、葉子の肩を何かが貫く。痛みに耐えかねた葉子が鉈を取り落とした。
「!? 何者なの!」
郁未が叫び、音のした方向を見る。その窓枠には一人の男が銃を構えて立っていた。
――古河秋生。彼は額に青筋を浮かべて怒りの形相を露にしていた。
「てめぇ…人様の娘と、妻に手ェ出しやがって! ただじゃ済まさねェぞ!」
島全体に響き渡るような声で秋生は叫ぶ。秋生は窓枠から飛び降り郁未と葉子に対峙する。


「お父さんっ!」
「渚は逃げろっ!」
駆け寄ろうとした渚を制して秋生は言う。そしてちらりと部屋の隅で動いた佳乃を見てから、
「そいつも連れてな。いいか、何かしようなんて考えるな。突っ走って逃げろ」
「で、でも…」
「邪魔なんだよ、さっさと行け!」
冷たく突き放した父の言い方に体を強張らせながらも、渚は佳乃を抱えて逃げる。
「っ、葉子さん、動けるなら追って!」
郁未が言うよりも前に逃がすまいと葉子が肩を押さえたまま追おうとするが、秋生がもう一発発砲する。それは命中こそしなかったが、葉子の頬をかすめた。
「逃がすと思うか」
郁未は舌打ちしながら秋生に挑発的に言う。
「実の娘に対して、ひどい言い様だったわね。父親らしくできないの?」
「悪いな。俺はもう人一人殺してんだ。殺人鬼が父親の看板を掲げられるかっての。お互い殺人鬼同士、仲良くやろうぜ」
そして床に転がる早苗の遺体を見る。
(悪りぃな、俺もそっちに行くからよ。…こいつらをやってからな)
「郁未さん…」
葉子が側に来て耳打ちする。
「この男、那須宗一と同等かそれ以上の脅威です。二人で、しかも本気でかからないと命取りになります」
「分かってるわ…予想外だった。まさかこんなにも早く父親が来るとは思わなかった」
「挟み撃ちにしましょう。二対一なら、確実に勝てます」
郁未がこくりと頷き、二人が左右に分かれる。
秋生は二人を前にしても微動だにしない。むしろ不敵に笑ってみせた。
「殺人鬼二人か。悪くねぇな…地獄への片道切符、てめぇらの命で買ってもらうぞ!」




【時間:午後6時10分】
【場所:I−07】


古河 渚
 【所持品:なし】
 【状態:佳乃を連れて逃走】
天沢郁未
 【所持品:薙刀、支給品一式(水半分)】
 【状態:右腕軽症(手当て済み、ほぼ影響なし)。ゲームに乗っている。】
鹿沼葉子
 【所持品:鉈・支給品一式】
 【状態:肩をケガ。行動には概ね支障なし。ゲームに乗っている。】
霧島佳乃
 【所持品:なし】
 【状態:睡眠中】
古河秋生
 【所持品:S&W M29(残弾数3/6)、ほか支給品一式】
 【状態:憤怒。郁未と葉子の息の根を止めることが目的】

備考
 【早苗の支給武器のハリセン、及び全員の支給品が入ったデイバックは部屋の隅にまとめられている。】
-


BACK