「今、日が沈んだの」 「六時三十四分だ。方角は西よりやや南より」 コンパスと時計を見ながら聖はそう言う。その報告を受けてことみはその結果を紙に書き付けた。 「で? これが何になるんだ。いい加減に教えてくれ」 一緒に行動することになってから、マズ二人はお互いが持つ情報を交換した。直後に放送があって互いの知り合いの無事を確認したあとに、急にことみは日が落ちるのがいつなのか記録したいと言い出したのだ。 すでに日は落ちかけていたので疲労もたまっていた聖はその程度なら、と承諾して近くの民家から太陽を観察していた。 だが、ことみは今に至るまで、これが何のための行動なのか聖に説明してはくれなかった。ただ地図と大洋を交互にじっと見ていただけで、こちらの質問にも生返事で返すだけだったのである。 「うん。なんにもならなかったの」 ポカリッ! 「ふざけてる場合か!」 「いぢめる? いぢめる?」 「うるせぇっ! いったいどういうつもりなんでぃ、何の役にもたたんことをさせやがって、ちきしょうめが!」 興奮してべらんめぇ口調になる聖にことみは怯えながらも懸命に自己主張をした。 「ち、違うの」 「ほほお、何が違うのか教えてもらおうか」 「えっと……ひょっとしたら、何かわかるかもしれなかったんだけど、結局何もわからなかったの」 別に何の考えもないわけではなかったらしい。 「何がわかるかもしれなかったんだ?」 「この島の場所」 その答えを聞いて納得する。 「……なるほどな、確かに日の入りの時刻と日付がわかれば、おおよその見当は付くな。で、今日は何日だ?」 「???」 ことみはわからない、という顔をする。聖は嘆息して頭の中にカレンダーを思い浮かべ……あれ? 「ことみくん、今日は何月何日だ?」 「私にもわからないの」 記憶を掘り返しても気付いたらあの小部屋にいたということしかない。それ以前の記憶は七月の下旬ごろでぼやけている。一方で今が四月だと言われても十月と言われても、ああそうかと納得しそうな妙な感覚があった。 「そうだ」 と思いついたことがあって、冷蔵庫を開ける。 「食料の賞味期限をみればおおよそ見当は付くさ」 そういって牛乳パックを取り出す……が、ない。日付表示がなかった。 「どういうことだ、これは」 牛乳自体はありふれた製品だ。聖も時々CMで見かける。だというのに表示がない。横を見るとことみもわけがわからない、という顔をしている、 「ひょっとしたら、なんらかの処置をほどこされたかもしれんな」 「処置?」 「意図的に日付の概念を忘れさせるような何かさ」 「そんなことできるの?」 「催眠術の応用すれば不可能ではない、と思うが……もしそうならこの島の位置はさっぱりわからん、ということになるのか。なんといったかな、あのウサギは。そう沖木島といったか、この島は」 「沖木島の場所なら知ってるの」 「……どういうことだ?」 ことみの言葉に軽く混乱する。 「沖木島は香川県高松市の沖合いにある島なの。人口およそ300人、主な産業は漁業と観光、それから農業。特にミカンの栽培が盛んなの」 「詳しいな。行ったことがあるのか?」 「ううん、ご本で読んだだけ」 「……なんにせよ、そこまで詳しいなら何故いまさら場所の確認なんか……」 言いながら、聖は気付いていた。この子はすこし、いやかなりぼやっとしたところがあるけどバカではない。むしろ聡明だった。そんな彼女がわざわざ無駄なことをするとは思えない、ということは…… 「うん。でも、ここは沖木島じゃないから」 「……さっきの話だが何を根拠にそういったのか教えてもらえるか?」 直感で話が長くなりそうなことを察した聖はことみとともに一旦、いままでいた民家から出て村を捜索した。まず第一に佳乃をみつけることこそ、自分の使命。ことみも特に文句は言わずについてきた。 だが、思ったように成果は出ず、手近な民家に忍び込んで体を休めていたところでさきほどの話を切り出したのである。 「根拠はさっきの先生の話なの」 真っ暗な室内で外に光が漏れないように気をつけながらことみはそう答える。 「私の?」 前述したように一緒に行動することになってすぐに二人は情報交換のためにいままで自分が経験したことについて語っていた。そこになにかあったのだろうか。 「先生はさっき無学寺を出発してこの村に来て女の子に会ったって言ったの」 「ああ、確かにな」 この島には寺は二つしかない。ひょっとしたら神社と見間違えた可能性もあったが途中で見た風景や歩いてきた方角から察すると、それが一番自然な答えだった。 「何時に向こうを出発して何時に女の子に会ったの?」 「一時半に出発して三時半ごろだったな」 と、あのツインテールの少女のことを思い出しながらそういう。 「とすると先生が一時半に出発した地点はおおよそここ」 と言って地図上のEとFの間の線と8と9の間の線が交差する部分を指差す。 「で、話にあった女の子とあった場所がここのあたり、仮にここにしておくの」 今度はBとCの間の線と5と4の間の線が交差するあたりをゆびさす。聖が実際に指摘したのはC−5にある十字路近辺なので、ややずれがある。 「この間、約二時間。で、人の歩く速度は舗装された道でおおむね時速5キロ」 聖にもおぼろげながらことみの言いたいことがわかってきた 「なるほど私は海沿いの舗装された道を歩いてきた。だから……」 「そうなの、この間およそ10キロ」 先ほどポイントした二つの点を直線で結び、10キロと地図上に記す。 「すると……この一区間が概ね2キロということがわかるの」 そこでとたんについていけなくなる。 「まて、なんでだ?」 「?」 「なんでいきなりそんな結論がでてくる?」 「ええと、違ってる?」 「いや、違ってるかどうかはわからないが……もう少し順を追って説明してくれ」 ことみはこくりとうなずく。 「三平方の定理を使ったの」 そういって地図上に三角形を描いた。さきほどポイントした二つの点、それからそこから直線をそれぞれ引いた。最初の点からは左に、次の点からは下に。 こうしてEとFの間の線と4と5の間の線が交わった点を第三の頂点にした直角三角形が出来上がる。さらにことみは縦の辺をA、横の辺をBと指定した。当然、斜辺は10キロと書かれている。 「こうすると三平方の定理からAの二乗+Bの二乗=100、ということがわかるの。一方でAとBの辺の比は3対4だからA=四分の三B」 ことみは数学教師のように解説を加えながら説明していく。 「これで後の式を前の式に代入すれば、B=8という結果が出るの。Bはこの地図の四区間分だから一区間は2キロ」 「すごいな、こんな計算を一瞬でしたのか」 「ううん。5対4対3っていうのは計算しやすいから三平方の定理の問題でよく出てくる比の値なの。だからそれを覚えていればそんなに難しい話ではないの」 そういえば、むかしそんな問題をといた気がする。もうすっかり忘れてしまっていた。だが、ここで感心している暇はない。ことみの結論はそこではないのだ。 「それで、続きは?」 「うん。するとこの島の大きさは20キロ×20キロの正方形でようやくおさまる島、ということになるの」 そう言われても、どのくらいの大きさなのかいまいちぴんとこない。 「沖木島はそんなに大きくない、ということか?」 「沖木島の正確な面積は知らないの。でも四国の最大の島は小豆島と言ってそこの面積は153平方キロメートル。だから、それよりも明らかに大きいこの島は沖木島ではないの」 「なるほどな」 もう少し正確に計算しようと聖は分割された升目のうち、海が大半を占める升目を数えた。およそ40と少し、大雑把に言ってこの島の面積は340平方キロメートルということになる。 その結果を伝えると、ことみはうなずいた。 「一番近いのは長崎県の福江島なの」 「福江島?」 「うん。五島列島の中で一番大きな島、面積は326平方キロメートル」 地図の端っこにすらすらと数字を書き出す。 「ちなみにその前後は?」 「大きいほうなら鹿児島県の種子島、小さいほうなら沖縄の西表島、面積はそれぞれ445平方キロメートルと289平方キロメートル」 同じようにそれらの島の名前と数字も書き付けた。 「それだけ離れているのなら種子島ではないだろう。となると福江島か西表島か……」 「でも、福江島なら人口が3万から4万ぐらいいるからそれなりに栄えているはずなの」 「なるほど……」 いくら酔狂な主催者でも建っている建物の大半をつぶして森にしたり平屋にすることははあるまい。となると西表島が濃厚だろうか。西表の面積を丸で囲む。 「西表島の人口は?」 「およそ3000人」 こちらのほうが現実味がまだある。計算結果と50平方キロメートルも違うが、もともと曖昧な計算だ。それぐらいの誤差もあるかもしれない。だが、聖はそこで別の可能性に思い当たった。 「なぁ、ひょっしてここは日本じゃないんじゃないか?」 「あ、それは考えてなかったの」 「ふぅむ……植物の中になにかしら特徴的なのがあればわかるかも知れんが……」 今まで歩いてきてそう目に付くものはなかった気がする。二人して黙りこくってしまうが、やがて先にことみが口を開いた。 「ここが国内にせよ国外にせよ、私はもう少しこの島のことが知りたいの」 自分の計算結果が全くの間違いで、瀬戸内海にいるのなら小さな船でも陸地に着くことができるかもしれない。だが、もし大洋のど真ん中だと言うのならそれなりの装備がないと首輪をはずしても助からないのだ。 「だから、明日のことなんだけど、私はここに行こうと思うの」 そういってことみが指差したのは島の南にある灯台。 「ふむ……」 聖は考えた。この村で佳乃を捜索して結構な時間がたつ。それでもみつからない、ということはこの村にはいない可能性が高いのだろう。 一方で灯台の近くにはもう一つ集落がある。地図を見れば診療所まであるではないか。ここにいけば他の参加者の治療もできるかもしれない。ことみの提案に乗るのは悪くない提案だった。 「私も別に異論はない。よし、今日はもう休んで明日の日の出前にここを出よう。いいな」 「うん」 霧島聖 【時間:午後九時ごろ】 【場所:B-4】 【持ち物:ベアークロー、支給品一式、治療用の道具一式】 【状態:健康。明日の四時ごろまで交代で見張りをしながら仮眠を取ったあと、灯台・氷川村方面へ移動する予定】 一ノ瀬ことみ 【時間:午後九時ごろ】 【場所:B-4】 【持ち物:暗殺用十徳ナイフ、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)】 【状態:健康。明日の四時ごろまで交代で見張りをしながら仮眠を取ったあと、灯台・氷川村方面へ移動する予定】 - BACK