醜悪なるネメシス




 その放送が始まったとき、篠塚弥生は足早に森の中を移動していた。放送を開始したのを機に一休みしようと足を止め、呼ばれた名前を名簿にチェックする。
「……015 緒方理奈……」
彼女が死んだか。脳のシナプスから彼女の画像を掘り起こし、しばし冥福を祈る。だが、その冥福は呼ばれたもう一人の名前に阻害され長くは続かなかった。
「……110 森川由綺……」
呼ばれた名前は、山彦のように、自分の世界で、反響し続けていた。






 どこかで覚悟はしていた。こんな状況になってしかも離れ離れになった以上、そうした状況は起こりうるのだと。覚悟はしていたはずだった。
 それなのに。顔から血が引いていくのがわかった。そしてそれと裏腹に脳が焼けるように熱い。喉がからからに渇き、足が震えた。
 由綺が失われてしまった。あの髪も。唇も。声も。笑顔も。全てが。森川由綺の全てが世界から失われてしまった。
 不思議と泣き声は出てこなかった、無論涙も。冷静な自分がそれを止めているのだ。そんなことをしている暇はない、と。泣くのも、悲しむのも、全ては後回しにして……

後回しにして何をする?
 自分の世界は森川由綺一色だった。
 由綺のために働き、
 由綺のために車を運転し、
 由綺のために笑い、
 由綺のために話をし、
 由綺のために歩き、
 由綺のために食べ、
 由綺のために寝て、
 由綺のために息をした。

 だが、それはもうできない。できないのだ。残された世界に何があるというのだ。強いて言うなら仇を討つことぐらい……
 そう、仇を討つのだ。由綺はどんな思いで死んだのだろうか、悲しみか、苦しみか、それとも何を考える暇もなく死んだのか。
 その思いの十分の一でも百分の一でもいい。相手に与えなければ気がすまない。有紀がどれだけ苦しんだか、そして自分がどれほど絶望したのか。
 かなうことならばそいつの知り合いを全員並べて一人づつ撃ち殺してから最後にそいつを殺してやりたい。なるべく長く、なるべく苦痛を感じる方法で。
 だが、その仇をどうやって探せばいいのか? 皆が戦闘を避けたいこの状況では、自分は殺してないと言い張るはず。
(なら、残念だけど……)
全員殺す。それしかない。なるべく早く全員を殺す。仇が先に討ち取られることのないように。
 もし由綺を殺したやつを殺した人間がいたとしたら、そいつも同罪だ。自分が由綺にしてあげられるはずの最後の仕事を奪った人間。それも殺す。
 気負う必要はない。それは植物が光合成をするようにごく当たり前のこと。
 負担も感じない。それは毎朝の歯磨きのようにやって当然のこと。
 全員殺す。由綺を殺した人間を、それから由綺を殺した人間を殺した人間を、そしてそれをさらに殺した人間でも、さらには全く無関係の人間でさえも。
(醜い……わね)
わかっている。由綺がここに幽霊として化けて出てきても彼女は決してそんなことを望みなどしない。これは由綺の仇という名を借りた治療だった。由綺が殺されたという自分の喪失感を慰めるためだけの手段。

 それだけのために人を殺す。そう、それだけのために。だが別の言葉を使えば、そうしなければ癒せない傷だった。
 由綺の仇が確実に討てたという満足感。それだけを求めて自分は殺戮を繰り返す。間違いなく自分はこの島で最もたちの悪い参加者だろう。
 だが、迷わない。自分はそんな控えめな人間ではないのだ。
 決して、揺るがない。これは自分が自分であるために必要なことなのだ。
 そこにきてふと先ほどの放送への信頼性を考えた。本当に由綺は死んだのだろうか、と。
 だが、何を迷うことがある。さすがに全員間違いと言うことはあるまい。もうゲームに乗った人間がいるのだ。
 そうである以上、由綺が生きてたとしても彼女が危険にさらされていることに代わりはない。やはり殺してまわるしか自分には道が残されてないのだ。





 弥生は一口、水を飲んでから、夕食をはじめた。
 既に日は落ちている。参加者はこれからどう動くかを彼女は冷静に考えた。
 まず、間違いなく三つある集落のどれかを目指す。家にこもるというメリットはこの状況下では限りなく大きい。今のところそうした気配はないが雨も防げるし、凍える心配もない、水があれば少なくとも体を吹くことができるし、新鮮な食料や暖かい寝床も手に入る。
(そして、)
 一方で由綺を殺した人間はどう動くだろうか。忘れてはいけない。全員殺すというのはあくまで手段。目的は由綺の仇討ちなのだ。効率よく動くのに越したことはない。
 だが、自分にはなんの情報もなかった。どんな小さなことでもいい。情報が欲しかった。由綺に関する情報が。あるいは由綺に関する情報を持ってない人間がどこにいるのか。となると、
「やはり私も集落へいくのが最良ですわね。最も近いのは鎌石村……」
まずは情報を聞き出す。それから殺す。
 荷物をしまい彼女は歩き出した。
 右手にはレミントン、唇にはルージュ、背中にはディパック、足元にはハイヒール。
 それらは異質でありながら彼女にとっては並列の存在。それは彼女が非日常の人間になった証だった。殺すことと生きることが並列し、どちらも当たり前になる。
 おそらく自分が経験した中でももっとも長い夜になることを覚悟し、復讐の女神は北に向かって歩き出した。




篠塚弥生
【時間:18時半頃】
【場所:D-04】
【持ち物:レミントン(M700)装弾数(5/5)予備弾丸(15/15)・ワルサー(P5)装弾数(8/8)・支給品一式】
【状態:異常なし、マーダー化】
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