ケイオス・アイランド -急




(あンの、馬鹿……!)

絶句する綾香。
自分が真剣に放送を聞いていなかったことを、今更ながらに悔やむ綾香。
もし聞いていたなら、どんな手段を使ってでも放送を中断させただろう。
今となっては遅きに失していたが、それが久瀬を救う唯一の方法だった。
固有種という単語まで出してしまっては、もはや彼を庇うことはできない。
国家という組織は、歯車の軋みを決して許しはしないだろう。
久瀬自身が考えている以上に、それらの言葉の意味は重かった。

「どうした、あーりゃん。怖気づいたのかね?」「みゅ〜?」

それどころではなかった。
事態は急変している。
固有種の能力が解放される、それはまだいい。
元よりKPS−U1は彼らとの戦闘を想定して開発されたものだ。
だが今の放送で、今回のプログラムの意義が一変した。
久瀬のあの性格だ、どうせ司令官放送を艦隊各艦にも大音量で垂れ流したと
考えるべきだろう。
久瀬を取り押さえられる距離にいる人間が、誰一人として今回のプログラムの
真意を知らないことが、おそらくは裏目に出た。
国家の最深部、ほんの一握りの人間しか知ってはならないはずの情報が、
考えたくもない規模で流出したということだ。
久瀬は今頃得意気な顔をして艦長席にでもふんぞり返っているだろうが、
東京は関係各省庁との対策会議に忙殺されている頃だろう。
自分を含む島ひとつならともかく、十隻を超える艦艇を処分することを
許すほど、周辺諸国との地域覇権を巡る紛争は優しくなかった。
だが結論がどう出るにせよ、久瀬とこの島の処分は変わり得ない。
この局面でどう動くべきか―――来栖川重工の経営陣としての思考回路が
猛烈な勢いで回転を始める。


そんな綾香をどう見たか。
まーりゃんと呼ばれる少女は、おもむろに言葉を続けた。

「……さっきの放送では、ターゲットの連中だけがバケモノのようなことを
 言っていたがね。あれは違うぞ。
 もうこの島のルールは変わっているんだ、あーりゃん。
 あたしはある方にそれを教えられた」
「みゅー」
「おっと失礼、みゅーりゃんもだったな。言い直そう、あたしたちは、だ」
「みゅ〜♪」

奇妙な言動に、綾香が思考を中断して少女を視界に入れる。

「一つ聞きたいのだがね、あーりゃん。
 ……君は、さっきからどうしてあたしを撃たないのかな?」「みゅ?」

言われて、気がつく。

「教えてあげよう。君はあたしを撃たないんじゃない。
 ―――撃てないんだ」「みゅ」
「……なっ! そんな、ことは……」

坂上智代を、姫百合姉妹を、その他多くの人間を殺害したように。
目障りであれば。
そうでなくとも、単にそこにいるというだけで。
殺してしまえばよかった。
自分は、そうやってこの島で他者を蹂躙してきた。
それが今、できていない。

「では試しに撃ってみるといいぞ。
 あたしは逃げも隠れもしない。
 どうした、こんなに無防備な一般人を撃たないのかね、あーりゃん」「みゅ?」

撃てない。
正確を期すならば、撃とうという気力が、思考が、湧き起こるそばから
雲散霧消していく感覚。

「もう一度言うぞ、あーりゃん。
 この島のルールは既に変わっているんだ。
 ……この島には、もう一般人などというものは存在しない」「みゅ」
「どういう、ことよ……?」

問い返す綾香。
自分の知らない情報など、今回のプログラムにありはしないはずだった。
その前提が、根底から覆されようとしている。
知らず、声が震えていた。

「バケモノのような力を使えるのは、何もターゲットだけじゃあないってことさ。
 あたしたちも、『目覚めた』んだ―――」「―――みゅ」
「何、を……」

あり得ない。
それだけが綾香の思考を埋め尽くしていた。
この少女は一体、何を言っている―――。

「撃てないだろう、あーりゃん。
 撃ちたいとも思わないだろう、あーりゃん。
 かわいそうなあーりゃん。
 こんなにもいたいけで可愛らしいあたしたちを撃てずに死んでいくあーりゃん」「みゅー」

一歩。
少女が足を踏み出した。

「……動か、ないで」
「おやおや、動くとどうなるというのかなあーりゃん。
 あたしたちを撃つのかね、撃てはしないくせに。
 撲るかね。引き裂くかね。あたしたちを。
 こんなにも無垢で無邪気なあたしたちを」「みゅー……」

少女の言葉が、綾香の脳髄を侵すように染み渡る。
ゆっくりと、少女たちの腕が上がっていく。
二つの銃口が、綾香を捉えた。

「冥土の土産に教えてあげよう」「みゅー」

引き金に指をかけたまま、少女が口を開く。

「我々の能力はな―――『幼児化』なのだよ、あーりゃん。
 我々への攻撃は人類共通の禁忌―――悪徳だ。
 人が人の範疇で生きる以上、その束縛から逃れることなどできはしないのだよ」「みゅー」

幼児という概念を以って一切の攻撃意思を封殺する、それこそがまーりゃんみゅーりゃん、
朝霧麻亜子と椎名繭の獲得した異能。

「すべての人間の潜在能力が開花したこの混沌の島で、死んでいくがいい、あーりゃん。
 さようならだ」

少女の目が細められ、

銃声が、轟いた。




「どうし、て……」

銃声は、二発。
二つの銃弾は正確に、朝霧麻亜子と椎名繭の急所を、撃ち貫いていた。
驚愕の声に、冷厳な応答が返る。

「―――機械に心など、ありはしません。美徳も悪徳も、禁忌すらも」

HMX−13セリオの右腕固定兵装が、細く煙をたなびかせていた。
それを見て、朝霧麻亜子はゆっくりと薄暗がりの天を仰ぐ。

「しまった、な……」

笑おうとしたその口から、鮮血があふれ出す。

「そう、か……せーりゃん、は……はは、君たち、に、は……誰かに、
 与えられ、る以外の……、悪など……、ありは、しないの、だな……」「……」

ゆっくりと崩れ落ちるその身体に、幾つもの銃弾が叩き込まれる。
椎名繭はすでに事切れていた。

(さーりゃん、たかりゃん……待っててくれ、よ……)

それが、朝霧麻亜子の最期だった。



概念の呪縛から解き放たれ、しばらくの時間を置いても、
綾香はその場から動くことができなかった。

「大丈夫ですか、綾香様」
「……ここはもう、マトモな世界なんかじゃない……」

誰からも答えの返らない呟きだけが、夜の闇に吸い込まれていく。
異能の島の頂に、来栖川綾香は立っていた。




【19:00頃】
【神塚山の山頂 F−05】

【37 来栖川綾香】
【持ち物:パワードスーツKPS−U1改、各種重火器、こんなこともあろうかとバッグ】
【状態:茫然自失】

【60 セリオ】【持ち物:なし】【状態:グリーン】

【3 朝霧麻亜子 死亡】
【53 椎名繭 死亡】
【支給品の拳銃は放置】

【38 来栖川芹香】
【持ち物:水晶玉、都合のいい支給品、うぐぅ、狐(首だけ)、珊瑚&瑠璃、まーりゃん、みゅー】
【状態:テーブルの下で見つけた蜘蛛の脚を千切って遊んでいる、珊瑚召喚成功】

【9 イルファ】【持ち物:支給品一式】【状態:ついていけない】
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