突如、葵の脳裏に、藤田浩之の言葉が浮かんだ。 『葵ちゃんは強いっ!』 その瞬間、冷静さを取り戻した葵は、 「くぅ!」 即座に側転し、ギリギリの所でナイフをかわしていた。 もう、うだうだ考えるのは止めだ。 とにかく殴り倒して、それから考えよう。 全力で戦う。そして気絶させる。 落ち着かせてから話し合えば、琴音さんならきっと分かってくれる筈―― それが、葵の一瞬で出した結論だった。 続けざまに、琴音のナイフが振り下ろされる。 それをかわして、距離を一歩詰める。 業を煮やした琴音は大きな動作でナイフを突いた。 それはかなりの速度であったが、葵はその一撃も頬の皮1枚でなんとかかわした。 葵の目論見通り、琴音に決定的な隙が生まれる。 「ハッ!!」 そこにすかさずローキックを一発。格闘家の、重い一撃。 ローキックは琴音の左足に完全に直撃し、琴音の体勢は崩れた。 続いて一番の得意技、ハイキックを放つ。 その一撃は唸りを上げ、無防備な琴音の頭部を直撃し、 琴音は5,6メートル程吹き飛ばされていた。 琴音は地面に倒れたまま、動かなかった。 「ハァハァ・・・。」 戦闘時間自体は短かったが、極度の緊張の為か葵は息を切らしていた。 「だ・・、大丈夫ですか?」 ようやく口を開くのは、仁科りえ。 しかし、葵よりも彼女の方が明らかに重症である。 「私は平気です・・・、あなたこそ大丈夫ですか?」 当然葵も、自分の事よりも彼女の事を気遣う・・・・。 「凄い痛いですけど、あなたのおかげでなんと・・・」 りえはそこまで言って、目を見開き、そのまま硬直した。 彼女の視線は、葵の後ろを凝視していた。 まるで恐ろしい、化け物を見るかのような目で・・・。 葵が慌てて振り返ると、そこには、狂気に支配された少女、姫川琴音が立っていた。 彼女はボロボロだった。顔は返り血と彼女自身の血で血まみれだった。 足はどす黒く変色し、左側頭部からは血が垂れ流れている。 しかし、彼女の口は、この世のモノとは思えないおぞましい笑みを浮かべていた・・・。 その姿を見て、絶句する葵とりえ。 姫川琴音は、度重なるショックと、恐怖と、己自身の行為によって、完全に壊れてしまっていた。 彼女はナイフを構え、葵の胸めがけ、それを突き出した。 「ぐっ!」 そのナイフを持つ手を、何とか受け止める葵。 力なら、私に分があるはず・・・。 このまま腕をとって関節技で骨を折るしかない! そう考え、葵は腕をとろうとした。 しかし、微動だにしない。 おかしい。ただの女性相手に、仮にも格闘家である私が、なんで腕をとれないの? そう考えている間にも、琴音の力が、どんどん強まってくる。 なんで、なんで、なんで? なんで私が力負けするの?あんなに鍛えたのに、なんで? 「あれぇ?あおいちゃん、つかれてるのぉ?」 琴音はそれだけ言い放つと、「今の」全力を、腕に籠めた。 葵の抵抗など無かったかのように、ナイフはあっさりと葵の胸に突き刺さっていた。 葵の口から大量の血が溢れる。 胸からは、血の花火を咲かせていた。 体の感覚が無くなっていく。 葵の体が、ゆっくりと崩れ落ちる。 (ひろ、ゆきさん、ごめんな、さい・・・・。わたし、がんばった、けど、とめれません、でした・・・。) そうして葵の意識は、永遠に消失した。 彼女の『勇気』は、琴音の『狂気』の前に敗北したのだ――― 琴音の精神は既に取り返しのつかないほど、異常をきたしていた。 その異常の副産物として、まるで毒電波で操られている人間のように、 筋力を100%引き出せるようになっていたのだ。 自分の体を守る為に脳から課せられた規制が、今の彼女には適用されていなかった。 故に、異常な筋力を発揮する事が出来る。 代償として自らの筋肉を引き裂きながら。 自らの命を引き裂きながら・・・・。 仁科りえは、いつの間にか逃げ出していた。 「さて、あとよにんだねぇ・・・・」 かつて琴音だったモノは笑みを浮かべつつそう言うと、次の標的、仁科りえの追跡を開始した。 今の彼女なら本気を出せばすぐに追いつける筈だが、 敢えて彼女はそうしなかった。 【時間:1日目17時半ごろ】 【場所:D−8】 松原葵 【所持品:お鍋のフタ、支給品一式、野菜など食料複数、携帯用ガスコンロ】 【状態:死亡、所持品は死体の傍に放置】 仁科りえ 【所持品:拡声器・支給品一式】 【状態:パニック状態で逃亡中。右肩に浅い切り傷、左腕に深い刺し傷】 姫川琴音 【所持品:支給品一式、八徳ナイフ】 【状態:狂気、異常筋力。右側頭部出血、左足打撲、他細かい傷多数。18時間半後に首輪爆発】 - BACK