末期症状




「…っ!」
澤倉美咲は突然の目眩に思わずしゃがみ込んだ。
目に見える光景は瞬時に赤く染まり、強烈な寒気が襲ってくる。
少し先を歩いていた梶原さんが駆け寄って来て、何事か私に呼びかけてくる。
『大丈夫?』
心配そうな顔でそう言っている様に聞こえた。
初めて会った時から励ましてくれたりする梶原さん。
でもなんで通りすがりの私に親切にしてくれるんだろう。

(あっ…)
それはとても簡単なこと。何で気がつかなかったんだろう。
私を油断させて… 殺そうとしているのだ。そうだ、そうに違いない。
そもそも殺人ゲームが行われている島で親切に声をかけて来る方がおかしいのだ。
信じられない失態、馬鹿正直に一緒に歩いてるなんてどうかしていた。
油断させて殺す、小説でもお決まりのパターン。
どうすれば… どうすればこの状況を打開できるのだろう…
恐怖で頭がどうにかなりそう。だけど…
(いえ、もっと冷静に、クールになるのよ澤倉美咲)
そう、相手が殺す気なら… 私も殺すしかない!
(甘えを捨てなきゃ美咲、今なら梶原さんも気がついていない筈…)
様子を伺うために顔を上げる、そこにいる梶原さんは相変わらず同じ顔をしていた。
そんな顔をしても無駄なのに、演技はもうばれたのだから。
(やるなら今しかない!)
私は両手で持っていたプラスチック製の盾を、思いっきり彼女に叩きつけた。

梶原さんは簡単に倒れた。
こんな非力な私でもその気になれば人を倒すことが出来るのに驚く。
叩きつけた衝撃で盾は足元に落としたが何の問題も無い、起きる前に拾える。
本当はこんな事したくはなかった。でも仕方がない、一歩間違えれば殺されるのは私だった。
さあ、止めを刺そう。この盾の硬さなら大丈夫。思いっきり頭に何度も叩き込めば死ぬはずだ。
(早く盾を拾わないと)
夕菜から視線を外す美咲。

―――その時ある事に気がつき、愕然とする。
(なんてことなの…)
私は周りを誰かに囲まれていた。

いつの間になのだろうか、五人、いや六人はいる。
いずれも人とは思えないほど大きく、妙な程に堂々と構えている。
気配すら無かったのに信じられない事態だった。
しかもそんな風に近づくなんて敵に決まっている。
(事実は事実よ、怖いけど落ち着いて美咲)
自分にそう言い聞かせる。
(一番近い相手までおよそ3m、先手を取れない距離ではない。一人当たり二十秒、いえ十秒で片づけてみせる。
それが六人なら… わずかに一分!)
なんだ、それだけの時間で敵を倒すことができるのではないか。
今の私になら簡単なはず、視野が赤く染まってから何故だかわからないけど感覚も冴え渡っている。
(がんばれ、私)
そうして美咲は素早い動作で盾を拾い―― そのまま目前の相手に叩き込んだ。

「そ、そんな…」
美咲は盾を叩き込んだ敵に呆然とした。
いくら自分が非力だからといっても身じろぎもしないとはどういうことなのか。
何度も何度も、盾が何処かにはじき返されてからも素手で殴り続けてる。
しかし敵は一向に倒れる様子も無ければ逃げる様子も無い。
既に手からは血と蛆虫が流れているが恐怖にはかなわな―――
「え…」
(う、蛆虫!?)
見間違え様がない、確かに手から蛆虫が流れ出てきているのだ。
慌てて掻き毟るが止まらない、それどころか勢いを増して出てくる。
「あぁぁぁぁぁ…」
喉の奥でも何かが蠢いている、痒くてたまらない。
がりがりがりがり
首を掻き毟っても出てきたのはやはり蛆虫。
あはははははは あははははははは あはははははは
同時に周りを取り囲んでいた者達が一斉に笑い出す。それは余りにも奇怪な声だった。
(逃げなきゃ… 殺される!)
我を忘れて走り出す。それでも大勢がついて来る、まるで先回りをしていたかの様に…
こわいこわいこわいこわい
こわいこわいこわいこわい
こわいこわいこわいこわい
(藤井くん、七瀬くん、由綺ちゃん、はるかちゃん、誰か助けて…)

梶原夕菜は目の前で起こっていた信じられない出来事を呆然と見ていた。
いきなり美咲は恐ろしい形相で何事か叫びながら盾で殴りかかってきたのだ。
その顔は控えめそうな性格からはとても想像が出来るものではなかった。
このままでは殺される、と思ったのも束の間、何を思ったのか辺りの木にも同じ様に攻撃をし始めた。
仕舞いには自分の首を血が勢いよく流れ出る程掻き毟る。
そして風が吹き木がざわめくのと同時に何処かへと走り去っていった。

理解しがたい事だったが、つまりこれはこういう薬なのだろう。
鞄の中にある注射器に視線を落とす。
人を発狂させて自傷行為をさせる。
幻覚でも見ているに違いない、もうきっと誰が誰だかもわかっていないだろう。
止めを刺そうとも思わない、あのままでは直に死んでしまう筈だ。
それに逆に返り討ちに遭いそうな様子だった。
(今後の使い方には気をつけないと…)
夕菜は置き去りにされた盾を見ながら思った。

美咲の残した道具を拾い終え夕菜は歩き出す。
目的地は、ホテル跡。
(地図でもはっきりと描かれているのだから、きっと休む所ぐらいあるよね)




『梶原 夕菜(022)』
【時間:1日目16:30頃】
【場所:F−05(ホテル跡に移動)】
【所持品:強化プラスチックの大盾(機動隊仕様)、注射器(H173)×19、他支給品一式】
【状態:軽い打撲と疲労】

『澤倉 美咲(094)』
【時間:1日目16:30頃】
【場所:F−05】
【所持品:なし】
【状態:L5末期症状、錯乱、手と首に深い傷、自傷行為を続けている、迷走中】
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