場は膠着状態に陥っていた。 緒方英二と柊勝平はお互いに動けないでいる。勝平から見れば下手に動けば撃たれてしまうし、英二から見れば下手に撃てば盾にされている少年に当たってしまう。 北川は勝平の足元で悶絶しているし、観鈴と芽衣は完全に場の空気に押されていた。 杏は杏で少し落ち着きを取り戻しつつあるものの、完全に回復しているわけではない。妹の恋人に襲われたという信じたくない現実を未だに受け入れられないでいた。 「あ」 と、芽衣が小さな声を上げた。彼女のディパックがもぞもぞと動き、そこからボタンがひょっこりと顔を出す。 「ボタン!」 杏が叫ぶと、うり坊はうれしそうにご主人様の足元へ走りよった。 「ああその子、杏さんのペットだっけ」 それだけ言うと勝平はそれに特に注意を払うことなく、ボタンは無事、杏のもとへと走りつく。 「あんたまで、こんなところに来てたの?」 「ブヒ。ブヒブヒ」 杏の心配そうな声を無視するようにうれしそうに声を上げるボタン。だが少しすると、ご主人の沈痛な面持ちに気付いたのか心配そうな声を上げる。 「ブヒ?」 「大丈夫よ、ボタン」 優しく言ってうり坊の頭をなでる。そして改めて現状を見た。 不思議だ。心が落ち着いてきている。ボタンのおかげだろう。 責任感、というやつかもしれない。ボタンを守らねば、という。 あるいは見栄、ボタンの前では情けない姿をさらせない、という。 ああもう、何だっていい。理由をうだうだ考えるほど自分は遠回りにできていないのだ。自分は復活した。だから、この状況をどうにかする。 「あ、あの」 「大丈夫。ありがとね」 自分の傍らに立つ少女にそう言って顔を上げた。 英二と勝平はいまだに相沢祐一を間にいれたまま、にらみ合っていた。芽衣も突っ立ったままだ。だが北川は先ほどと違い、こちらに顔を向けていた。 ぐっと頷く。それで相手もなんとなく察したようだった。少し心配した様子だったがあえてそこは無視。 不恰好にも自分の荷物は向こうにおいてきてしまった。自分に残されたのはボタンだけ。だが、これで十分。 「ボタン、ラグビーボール」 小さな声で言ってパチンと指を鳴らした。 大体なにやってんだ、あの女男は。こんな状況であっさりパニックになりくさりやがって、こら。それでも椋の恋人か。あの子は精神的にもろいんだから、こんな時に支え られんでどうする。 ああ、考え出したらなんかだんだん腹立ってきた。何が『人間の脳ってすっごい綺麗なんだよー』だ。エド・ゲインかっつーの。親父の精子まで遡ってやり直して来い、ボ ケが。もう、土下座でも許さん。修正してやる。 戻ったらピンクフリルの服着せて春原の部屋に監禁の刑だ。ケツの穴ほられれば、ちったぁしおらしくなるだろ。 そんな調子で一しきり、勝平に対する恨みを晴らす方法を頭の中で列挙した後、狙いを定める。 向こうにいる二人組みもこちらが何かやりそうな気配に気付いたようだ。 「取引をしないか?」 だが、それを一切顔には出さず、英二は勝平にそう言った。注意を引きつけてくれるらしい。 「取引?」 「そう、こちらの要求はその少年を離してこの場から去ってること、それさえしてくればいい。こちらも君には危害を加えないことを約束しよう」 「ふふふ、駄目だよ。土産話が少なくなっちゃうからね、僕は椋さんをあんまり退屈させたくないからね。それって男として結構失格じゃない」 「そうか、じゃあ一応言っておくが……」 「なんだい?」 勝平はぐっと身を硬くして英二を注視する。 「僕はセンスのない人間が嫌いでね、もしそんな土産話を喜んで聞いてくれるような女の子なら君の趣味は間違ってもセンスがいいとは言えない」 「っ! 椋さんのことをバカに……!!」 だが勝平が口にできたのはそこまでだった。 「タッチ、ダーウン!!」 元気よくそう言って杏がボタンを投げつける! 「おごっ!」 妙な叫びを口にし、勝平の小さな頭部が揺れた。 「相沢!」 その隙を逃さず、北川は勝平から祐一を強引に奪い去る。ガチャンと途中で何かを落とした音がしたが気にしている暇はない。 「ま、待て!」 そして、 ドン! 英二の持つ拳銃が火を噴いた。 「あぐっ!」 勝平の体が不自然にかしいだ。撃たれたのは……左の太もも。 ドン! ドン! 英二は勝平から手榴弾を手放させようとしてさらに二発立て続けに撃った。だが、二発とも外れて地面の砂を跳ね上げるだけ。 「ちっ!」 「とんでもないことしてくれたね。これは椋さんのところへ行くための、大事な足なのにさぁぁ!!」 勝平は手榴弾のピンを抜き取ると英二と芽衣に向かって投げつける! 「させるかぁ!」 相沢がそれを阻止しようと落ちていた携帯電話を投げつけた。だが、携帯は勝平の左肩に当たるだけで力なく落ちる。 手榴弾が放たれた。 「くっ!」 英二は慌てて芽衣の手を引き後ろに下がった。少し遅れて爆発。 「きゃあああ!」 「くっ!」 爆風で芽衣の華奢な体が吹っ飛びかけるのを、英二は必死で止めた。だが、そのために英二は拳銃を落としてしまう。それだけならよかったが、爆風でどこかにとんでいって しまったらしく、見つけることができない。 「ちっ!」 「あ、あたしが探します」 芽衣がそう言って地面に目を凝らした。緒方も爆炎の向こうを警戒しつつ、あたりに視線を飛ばす。 一方勝平は足元にあるS&Wに手を拾い上げると、すばやく二度引き金を引いた。まずは北川へ。そして、もう一つは観鈴へ。 「がっ!」 「ぼさっとしない!」 「ひゃうっ!」 「北川!」 同時に四人の声が上がる。北川は幸い、ケプラー製の割烹着にあたるだけで問題なかった。だが、衝撃までは完全に殺せず、うめき声を上げる。 観鈴も杏がすばやく腕を引っ張り、物陰に隠れたため、無事だった。もっともそれ以前に勝平はリボルバーの構造がいまいち把握できてなかったらしく弾が発射されること はなかった。 「あれ?」 そんなすっとぼけた声を出すが、あらためて銃を見たところで困惑を消し去ったらしい。 「北川! 大丈夫か!」 その間に相沢は北川に呼びかける。 「へ、平気だ、どうに……か……」 途中で北川の声が途切れ途切れになった。そこでふっと視界が黒味を帯びる。 「少年! 後ろだ!」 英二の声が響いた。 相沢は慌てて振り返った。小柄な勝平の姿がやたらと大きく見えて。 「そうそう、映画でやってたもんね。確か、ここをまわして、と」 そんなことを言いながらリボルバーの弾倉をまわす。一瞬、北川はハリウッドまで行って勝平の見た映画とやらを作った監督の首を絞める場面を想像してしまった。 「勝平さん!! いい加減にして! 今ならまだ冗談で済むから!!」 杏が、おそらく観鈴から受け取ったのだろう、ショットガンを構えながらそう叫ぶ。それに対して相沢は冗談で済むわけねぇだろ! と反射的に心の中でののしった。こいつのせいで体中ボロボロだ。 「何言ってるのさ。杏さんは椋さんのことが心配じゃないの?」 だが、杏の必死の叫びにも勝平はとんちんかんな答えを返すだけ。だが、その椋の名は確実に杏に動揺をもたらす。 「妹の心配をしないお姉さんなんかいないほうがいいよね」 勝平がそう言って杏に銃口を向ける。だが、その一瞬を相沢は逃さなかった。 「この、野郎!」 勝平に飛び掛ると銃を持った右手を上に向けさせてギリギリと締め上げる。 「邪魔しないでよっ!」 そう言って自由な左手で相沢の腹を殴りつけようとしたが、相沢ももう片方の手でそれを押さえる。 「ぐっ」 そして、そこで勝平の動きが鈍くなった。力をこめたせいで足からの出血がひどくなったのが原因だろう。 (チャンス!) 相沢は左手をさらにつよくギリギリと締め付ける。 「ぐっ……このっ!」 「ぎっ、ぎぎっ!」 だが、それでも勝平は手から銃を離そうとしない。 「き、北川。は、はやく! 早くこいつの手から銃を!」 「あ、ああ」 北川がびびりながらも一歩を踏み出す。杏もこちらにかけよってくるのが視界の端に見えた。だが、そこで相沢に一瞬の油断が生まれた。 その隙を突くように勝平はすばやく左手を後ろに引いて相沢からの拘束をはずすと、ポケットに手を入れる。 (?) 情けない話だったが、相沢には勝平が何をやろうとしているのかわからなかった。緊張の連続でだいぶ集中力が落ち、明晰な思考ができない。 勝平がポケットから取り出したのは最後のパイナップル。勝平は口で器用にピンを抜いた。 「逃げろおおおぉぉぉぉ!!」 ただ、必死に相沢は叫んだ。あわてて勝平の左腕から手を離し、背を向けて逃げ去る。前方に杏と北川が見える。 「へ?」 北川が呆けた声を出す。だが、その問いに答えるまもなく勝平のこえが響き渡る。 「遅いよ!」 そういって手榴弾を相沢の背中に向かって投げつける! 「相沢! 後ろだ!」 北川がそんなことを言うが、正直振り返ることもできない。死ぬ!? 「させない!」 だがそこで杏が逆に一歩を踏み出し、ショットガンの銃身をバットのように構える持ち手のほうで手榴弾を打ち返した。 「よし!」 打ち返された手榴弾は勝平の目の前へ。 「え……」 「ちょ、ちょっと」 ちょっと待ってよ。私、そんなつもりこれっぽっちもなかったのよ。勝平さんを殺そうなんて。 だからちゃんと手榴弾もアッパースイング気味に打ち返したし。ねぇ待ってったら。なんでそんなとこ飛んで行くのよ。 タンマ、マジでお願い。今の無し。今の無しだから。もう一回、もう一回やり直させて。ホント、一生のお願い。 「ああああぁぁぁ!」 勝平の眼前で手榴弾は爆発した。赤いナニカが飛び散り、杏の眼前には、ヒトの下半身だけが存在していた。 「あ、あぁ、あああああ」 ガクガクとひざが震える。背筋に凍りつきそうなほど冷たいものが流れる感触。比喩でなく顔から血の気が引いていくのが感じられた。 ぐらりと下勝平の半身がゆれて杏のほうに倒れる。 「!」 少し離れていた相沢と北川からも、まだ勝平の内臓がパートナーを探すように律動しているのが見えた。もちろん杏にも。 「違う、違うの。そんなつもりじゃなかったの。本当なら、もっと上のほうに飛んでいくはずで。それで、それで、とにかくこんなはずになるはずはなくって、だから違うんだって。本当なの。本当なのよ」 藤林杏は殺人を犯した。 「本当なんだってばぁぁぁぁ!!」 だれがなんと言おうと、それは残された厳然たる事実だった。 共通 【時間:午後4時30分】 【場所:鎌石村消防署のすぐそば(C-05)】 相沢祐一 【持ち物:なし】 【状態:呆然。体のあちこちに痛み。若干の吐き気】 緒方英二 【持ち物:予備の弾丸、荷物一式、支給品の中に入っていた食料と水を少し消費】 【状態:呆然】 神尾観鈴 【持ち物:フラッシュメモリ、荷物一式×2(自分の分と相沢祐一の分)】 【状態:呆然】 北川潤 【持ち物:防弾性割烹着&頭巾、他支給品一式、お米券】 【状態:呆然。腹部と胸部に痛み。若干の吐き気】 春原芽衣 【持ち物:荷物一式、支給品の中に入っていた食料と水を少し消費】 【状態:英二の落とした銃を捜索中。少し疲労】 藤林杏 【持ち物:SPAS12ショットガン】 【状態:混乱】 柊勝平:死亡 補足:ラグビーボール状態のボタン、北川の携帯電話、緒方の拳銃はその辺に転がっています。勝平の持っていた物は全て大破。 - BACK