一時の逃避




 結局は、全てを失うのだ。
 美しい旋律を奏でていた両の腕も、憩いの言霊を紡いでいた歌声も。
 ―――命までもだ。

「―――ふふっ」

 仁科りえ(80)は口許を自嘲に歪めて小さく笑う。
 恐らく、自分は最後までは絶対生き残れないと、強く漠然と思った。
 りえの傍には、白い拡声器が転がっている。それが彼女に支給されたアイテムだ。
 武器ならばよかった。人を傷つける勇気はないが、それでも有ったほうが安心できるし、何よりも生き延びようと努力も出来る。
 だというのに、拡声器などというある意味危険極まりない代物では、諦めもつくというものだ。
 いっそ拡声器のボリュームを最大にして歌でも自棄で歌ってやろうかとも思ったが、流石に羞恥心の方が勝っていたため断念する。
 当然、彼女もこんなゲームから脱出したいと思ってはいたが、大した策も思いつかない。
 人を探そうにも、こんな拡声器一つでは心許なく、なによりも恐ろしくて行動も出来ない。
 参加者の仲には何人か知り合いもいたが、信頼しあえるほど仲が良かったわけではない。

(岡崎さんと春原さん……。二人とも不良って呼ばれてるけど、こんなゲームには乗ってない気がします。根は優しそうですからね。
 古河さんや一ノ瀬さんもきっと大丈夫。生徒会長さんと宮沢さんはよく知らないけど、大丈夫な気がする……
 それに、幸村先生……)

 馴染みがあるのはこの数人だ。
 岡崎と春原、渚にことみの四人についてはある程度の面識はある。
 智代と有紀寧に至っては、まともに会話すらしたことがない。
 しかし、この二人はある意味有名人であったから顔と名前は一致できる。逆に二人はりえのことなど知りもしないだろう。
 そして、りえにとってはこの島で最も信頼できるといえるのが幸村俊夫だ。
 彼女が一度挫折した時、新たに道を示してくれた恩師でもある。
 そんな幸村も何故か参加者の一人として加えられていた。
 大半が学生で構成される中、数人ほど大人までも加える必要があるのか。まあ、意味などないのかもしれないが。

 ともかく、彼女は出発してしばらく、運良く誰とも遭遇せずに海沿いの岩陰で休止していた。
 かれこれ数時間も同じ場所に留まっている。 
 時折聞こえてくる銃声が、今にも近づいてくるような気がして必死になって耳を塞いだものだ。
 それも無駄な行為だと悟ったのは、つい先程の事である。
 結局は殺されてしまうのだ。頼れる人もいない、一人孤独に死ぬのだと考えると震えが走ることは分かっているので考えないようにしていた。
 ならば、なるべくこことは無縁だと思えるような明るい話題を思い浮かべようして、瞼を閉じながらその情景を思い浮かべる。


 幼少の頃のささやかな思い出。両親のこと。音楽との出会い。親友との出会い。新たなる可能性。
 様々な過去を振り返っていると、徐々にその光景がぼやけ始める。鮮明であった情景が霞み出す。
 ―――眠くなったのだ。
 目を開けていたときはそれほどでもなかった睡魔が、目を閉じた途端に緊張が緩んだ隙を狙って襲い掛かってきた。
 何時見つかるとも知れないこんな場所で無防備をさらすということが、どれほど危険かは分かっていた。
 それでも、りえはこのまま眠ってしまおうと思った。
 このまま眠り、起きた時は全てが夢であったという願いを抱いて。
 彼女は、そのまま睡魔に身を任せる。

 これが夢なんかではないと、心の中では諦めている自分がいることに苦笑しながらも。




 『仁科りえ(080)』
 【時間:1日目午後3時頃】
 【場所:D−08】
 【所持品:拡声器・支給品一式】
 【状態:普通。睡眠中】
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