「まさか君が、あそこまで取り乱すとはね」 「はは、恥ずかしい所を見られてしまいました……」 苦笑いを浮かべながら、藤井冬弥は用意して貰ったコーヒーに口をつける。 冬弥が一晩過ごした消防署では、こんなものは見つからなかった。 久しぶりに温かい飲み物を口つけられたこともあり、冬弥の心もやっと落ち着けられたのだろう。 その様子に、緒方英二もほっと一息をつけた。 鎌石村消防分署から出て行った向坂環とぼたんを見送る英二達と冬弥が鉢合わせしてから、時間は大分経っている。 あの後経緯を話し合い、冬弥は七瀬留美と共に英二達の待つ消防分署にやってきていた。 まだ自分達以外の人間とまともにはち合っていなかった冬弥と留美にとって、すぐ隣に人がいたとは思ってもみないことだった。 「しかも、多い時で七人とかですよね。信じられません」 「それも今や、この様さ」 「……そうですよね、すみません」 「いや、これは僕の言い方が悪かった。すまないね、さすがに参っている部分はあるんだ」 飄々とした色のない疲労の混じった英二の笑みなんて、冬弥が見たことのない彼の表情である。 何でもこなせる天才肌の英二が、しかめっ面で覗いているパソコン。 冬弥も既に聞いていた、あの書き込みのことで彼は悩んでいるのだろう。 「ロワちゃんねる、でしたっけ」 「あぁ。結局あれから、追加の書き込みは一切来ていない」 岡崎朋也という名義で書き込まれた内容を、英二はやっと芽衣以外の人間と語る機会を得られたことになる。 ちょうど第二回目の放送が流れたという所で目を覚ました環は、その内容でこの場所を飛び出してしまったのだ。 「相沢君と柊君のこと、僕だって芽衣ちゃんだって気になってはいたさ。 でもこれがある限り、僕達は迂闊にこの村から移動できない。 ……結果として向坂君が様子を見に行ってくれたのは、ありがたいことなのかもしれない」 俯きながら、英二が一息漏らす。 たった一息なのに、それはとても重く。苦く、見えるものだった。 「俺も正直、これは信憑性が薄いと思います」 「分かってる。でも希望なんだ。芽衣ちゃんも望んでいる」 「リスクが高すぎます。七人だった頃ならまだしも、今ここには四人しか……しかも、うち二人は女の子なんですよ」 「分かってる。分かっては、いるんだ」 くしゃっと。 苛立たしげに短い髪をかきあげながら、英二はまた大きな一つため息をついた。 「放送を聞いただろう。一晩で三十人死ぬんだ。 芽衣ちゃんのお兄さんに、いつ何が起こるかっていうのも分からない。可能性があるなら、一つだって潰せないよ」 ドライな英二がここまで拘るならと、もう冬弥も横槍を入れようとは思わなかった。 英二が何かに縋っている節も、そこにはあるように冬弥からは見える。 亡くなった人間のことを考えれば、いくらでも憶測はつけられるだろう。 冬弥だって、苦しんだ。 恋人や友人、多くを失った。 その中に英二の妹がいたことに、冬弥もすぐ関連を付ける。 「僕が選んだんだ、これぐらいは一人でも拭えるさ」 兄を探す幼い少女、春原芽衣。 失った仲間や出て行ってしまった環達のことに胸を痛める少女は、今奥の部屋で留美と一緒に休んでいる。 彼女の事情を英二から聞いて、すぐに冬弥は理解した。 確かに英二は、女性に優しい典型的なフェミニストである。 そんな彼がこんなにも芽衣に入れ込んでいる事情として、彼女が『妹』であることに大きな意味があったのだろう。 「俺も行きます」 「……何だって?」 「俺も、緒方さんと一緒に行きます。待ち合わせは二時ですよね、今からなら軽い下調べだってできそうじゃないですか」 「馬鹿を言うな、少年。君も言っていたように、これは罠である可能性の方が高いんだぞ」 冬弥の言葉に呆れを隠す気がないのか、英二の物言いにオブラートは存在しない。 しかしそれこそ、自分の行動を否定することに他ならないことを英二自身は気づいていなかった。 そんなちぐはぐさがおかしくて、冬弥は少し頬を緩める。 留美に気を使われるばかりだった、自分のこと。 そんな自分を余裕を持って省みることができる、今。冬弥は、やっと道を見つけられた。 できることが目の前にあるのに、逃げていては全てに置いて申し訳が立たなくなると冬弥は硬い覚悟を決める。 「ここにきて、やっと俺でも手伝えそうなことが出てきたんです。一緒にやらせてください!」 「……はぁ。君達は本当に、似たもの同士の恋人だったようだね」 「それじゃあっ!」 「好きにすればいい」 短いが、全てを表す英二の了承。 冬弥にとって、これが始まりの合図となった。 「そうだ、少年。これも見て欲しい」 「死亡者報告、ですか」 冬弥の目にも入るよう、英二がノートパソコンを横に向ける。 映し出される文字は、随分と物騒なものだった。 「これって……」 「嘘偽りはない。それはさっきの放送でも、その前のでも確認をした。 更新にはそこそこムラがあるが、午前九時の段階でこの情報が追加されている」 トントンと英二の指がノックしたのは、最後の書き込み部分である。 『AM09:00:00時点の死亡者一覧』 一行目にそう明記のある書き込みの中、照らし合わせると先の放送より四人の追加死亡者が出ていることが分かった。 観月マナ、藤林椋、霧島聖、広瀬真希。 うち一人は、冬弥もよく知る少女である。 (……これで本当に俺の知り合いは、緒方さんと彰だけになったんだな) 友人である七瀬彰と、こんな状況でもう一度再会できるか。 冬弥にもそれは、分からなかった。 よもや、その彰が英二や芽衣に危害を加えようとしたなど、冬弥は思いもしなかっただろう。 「このことは、先に七瀬君にも伝えてある。ちょうど少年がぐずっていた間かな」 「うっ……、だ、だからあれはすみませんって!」 「まだまだこれで、君のことはからかえるな」 ぐうの音も出ない冬弥の様子に満足したのか、そこで英二は笑いを止める。 「彼女も知り合いがいたようだ。でも堪えていたよ。君のプリンセスは勇敢だ」 「……そうですね、俺も感心してばかりです」 「あと、この霧島聖という女性。七瀬君曰く、ただ者には見えなかったらしい。 そんな人物も命を落としているんだ、尚更気を引き締めないといけないな」 これで一区切りと、英二は芽衣や留美を呼んで食事にすることを提案する。 冬弥もそれを、二つ返事で受けた。 朝食がまだだった冬弥は、それで自分が空腹であることを思い出す。 「そうそう。七瀬さん、由騎のファンなんだそうです」 「は、はい! そうなんです!!」 「そうなんだ。僕も鼻が高いよ」 改めて冬弥から英二を紹介すると、留美は大はしゃぎで彼に握手を求めてきた。 英二もそれに、軽く答える。 昨晩のことで、留美にミーハーの気があるのは冬弥にも分かっていた。 冬弥からすれば、ずっと一緒にいた身としてつまらない部分もある。 しかし天才緒方英二と比べ、自分が勝る面など冬弥自身も見つけられないのだ。 これは仕方ないとしか、言えないだろう。 「えへへ、美味しいですね英二さん」 「そうだね。芽衣ちゃんと一緒なら、こんな味気ないパンだってフランス料理のフルコースに大変身さ」 「やだー、英二さんったら!」 「……」 (あ、七瀬さん引いてる) 英二の地位が転落するのは、意外と早かった。 「そうだ、少年よ。すっかり忘れていたが、僕達にはもう一つ問題があった」 「どうしたんですか?」 「僕と芽衣ちゃんの支給されたパン、これで残り一つになる」 「ブッ!」 「何をするんだ、もったいないな」 冬弥の口から吹き出たパン屑を華麗に避けながら、英二は続けた。 「もしかしたら僕達、ちょっと昨日は飛ばし過ぎたのかもしれない」 「いえ、いくら何でも量見れば分かりますよね。大事に食べないといけないってこと、分かりますよね」 「結構序盤で半分くらい食べちゃったしね。むっしゃむっしゃ」 「……」 (あ、七瀬さん呆れてる) 少ないのであれば尚大事にしなければいけないはずなのに、英二も芽衣も豪快だった。 ちょびちょび消費している冬弥や留美が、馬鹿に見えるくらいである。 (いや、馬鹿なもんか。一時の快楽に、身を任せてたまるか……っ) 冬弥は耐え切った。 「そういえば、ここって食べ物とかはなかったんですか?」 「私達が探した限りでは、コーヒーの粉とか紅茶のティーパックとかそのくらいです。食べられる物があったら助かったんですけど……」 「隣は器具を使った跡があったので、他の民家を探せば何か出てくるんじゃないですかね。ね、七瀬さん」 「……」 「七瀬さん?」 「……っ! あ、そうですね! 私もそれでいいと思います」 留美は現実に戻って来た。 「じゃあ、食事を終わらせたら周囲の探索といこうじゃないか。むっしゃむっしゃ」 「いえ、もう英二さんは食べるの止めてください。本当やばいんで」 「むっしゃむっしゃ」 「春原さんも!!」 食事の席は、騒がしく幕を閉じた。 藤井冬弥 【時間:2日目午前10時過ぎ】 【場所:C-05鎌石消防分署前】 【持ち物:H&K PSG−1(残り4発。6倍スコープ付き)、他基本セット一式(食料少々消費)】 【状況:脱ヘタレ】 七瀬留美 【時間:2日目午前10時過ぎ】 【場所:C-05鎌石消防分署前】 【所持品:P−90(残弾50)、支給品一式(食料少々消費)】 【状態:幻想がぶち壊された】 緒方英二 【時間:2日目午前10時過ぎ】 【場所:C-05鎌石消防分署前】 【持ち物:デイパック、食料残りパン一個量】 【状態:むっしゃむっしゃ・ロワちゃんねるの書き込みに対し警戒】 春原芽衣 【時間:2日目午前10時過ぎ】 【場所:C-05鎌石消防分署前】 【持ち物:デイパック、食料残りパン一個】 【状態:むっしゃむっしゃ・ロワちゃんねるの書き込みを朋也と信じている】 BACK