Behind Lies







「長瀬、だっけ。あんたさ、歳いくつ?」
「あ、僕は……」

蛇口を捻りながら先に水を補給していた那須宗一が、ごく自然に隣の長瀬祐介へと話しかける。
くだけた口調の宗一に、祐介はおっかなびっくりと自分の年齢を告げた。

「何だ。やっぱり同じくらいなんだな」

外見や服装でも分かりきっていたことだったが、宗一と祐介、ダイニングに残っている宮沢有紀寧や古河渚も皆ほぼ同年代の少年少女であった。
同年代の友人がそこまで多くない祐介としては、このようなグループで行動を取るというのも新鮮なことだろう。
先ほどまで祐介は姿を消してしまった柏木初音のことにかまけていたため、宗一や渚とは殆どコミュケーションを取っていない。
傍から見ても人が良さそうな人物達に間違いないだろうが、輪がかかった緊張で祐介の心臓はバクバクと鳴りっぱなしだった。

「敬語なんか使わなくっていいって。俺なんて、最初から普通にしゃべってるし」
「あ、はい……じゃなくて。うん」

充分な親しみが含まれている宗一の態度に対し、祐介の感じる戸惑いは決して少ないものではない。
同年代の同性から、こんなにもフレンドリーに接して貰うこと自体祐介の場合だと滅多にないことである。
自閉症気味な性分を自身でも理解している祐介にとって、宗一のようなタイプにはどう対応すれば迷ってしまう節があった。
宗一も、それを察知したのだろう。
くしゃっと崩した苦笑いを浮かべながら、宗一は祐介の肩を馴れ馴れしく叩いた。

「何か、硬いな。大丈夫か?」
「ごめん……こういうの、慣れてなくって」
「あんま気張りすぎてても、気はもたないと思うぜ」

これから一緒に行動すんだし、と付け加えられた宗一の言葉には優しさが含まれている。
祐介はそんな温かみが自分の心に染み渡っていくものを、静かな実感と共に小さなこそばゆさで覚えた。

「それで、柏木って子を探しに行く件だけど」
「あ、うん」
「女子だけになっちまうから、俺と長瀬は分かれた方がいいだろ?
 で、俺と古河は柏木の顔を知らないから、そういう意味ではあんた達が指針になるしかない。
 あんたの連れ……宮沢、だっけか。あいつと俺、長瀬と古河でペアになるんでいいか?」
「問題、無いと思うよ」
「で、だ。長瀬は、外。探しに行きたいよな」
「……うん」

家族を失い泣きそうになっている初音の表情は、いまだ祐介の頭から離れないでいる。
心配だった。今すぐにでも見つけてあげて、抱きしめてあげたかった。

「あんた、武器の扱いはどうだ? 腕っ節とか」
「……見ての通り、正直自信は全くないよ」

手をぷらぷらと振りながら、祐介は自虐的に笑う。
祐介の骨ばった細い身体には、筋肉というのも薄くしかついていない。
同性相手で拳の勝負になった場合、打ち勝てる自信というのも祐介自身微塵も感じなかった。

(毒電波が使えれば、何の問題もなかったんだけどな……)

ひ弱な身体の祐介に、一体何ができるというのか。
それこそ、誰かの盾くらいにしかならない祐介に。一体、何が。

「古河もあの通り、見たまんまだ。戦力としては話にならない」
「……」
「でも、長瀬は自分の足で探しに行きたいんだよな?」

追い討ちのような宗一の言葉に、祐介は反射的に萎縮してしまう。
そんな自分が、祐介は恥ずかしくて仕方なかった。
何もできないくせに口だけは達者で、それで他人に迷惑をかけてしまうような存在。
今、祐介はそれに値する厄介な人間に該当することになる。
怖かった。
まとまっている良い雰囲気を、祐介の手で壊してしまうということ。
祐介の都合で宗一や渚、そして有紀寧の中に生まれてしまうかもしれない不快感は、どこまで大きくなってしまうか。
初音を守りたいという気持ちは誰よりも強いであろう祐介、しかし受けた情の心地良さを彼は知ってしまったのだ。
人の温もりに。気づいて、しまったのだ。

「那須さん、僕……っ」
「よし、それじゃあ時間で交代にするか」
「えっ?!」

頭を下げようとした祐介の姿勢が、中途半端な位置で止まる。
思わず上げた祐介の瞳に、けろっとした表情の宗一が映った。
気分を害している様子はない。宗一は、いたって平常である。

「一時間交代な。周辺探って、時間になったら絶対この家に戻ってくること。それで計二時間だろ?
 二時間探して出てこなかったら、そいつはもうここら辺にはいないってことだ。四人でもっと遠くに、改めて探しに行けばいい」
「……それで、いいの?」
「おいおい、俺は一時間しかやらないって言ってんだぞ? 長瀬こそいいのかよ」

こくこくと、反射的に祐介は何度も首を縦に振る。
空気を読めという気まずい雰囲気を押し付けられる訳でもなく、こちらの気持ちを汲み取ってくれた宗一の懐の大きさに、祐介は感謝するしかなかった。

「ただ万が一の時もあるし、身をどうやって固めるか……武器の調達は、難しいよな……」
「あ、それは……その……実は、銃があるんだ。一丁、だけだけど」
「へぇ。撃ったことは?」
「いや、まだ一度も……」
「弾に余裕があるなら、試し撃ちでもしてみるか? 後で見てやるよ。
 事情は言えねぇが、そういうのの扱いには自信あるんだぜ」

圧巻。
こんなにも親切で頼りになる存在がいるなんてと、祐介の中で宗一に対する敬意が一気に膨らんでいく。
祐介は、すっかり宗一に対して頭が上がらなくなってしまっていた。
頼りになるという存在とは、まさしく彼のことを正しく指すのだろうと。
それと同時、自分の存在の小ささに祐介は気恥ずかしくなってしまう。
てきぱきと事を考えることができる宗一に比べ、祐介はあまりにもちっぽけだった。

「どうした?」

俯き、言葉を閉ざしていた祐介の顔を、宗一が覗き込む。
はっとなった時には、もう遅い。祐介の視界は宗一で埋まっていた。
呆けてしまっていた自分に気づき、反射的に祐介の頬が真っ赤に染まっていく。

「え、えっと、その……っ」
「お、おう」
「僕、自分が情けなくて……」
「はぁ?」

本当は、言いたくなかっただろう。でも、祐介は口にしていた。
妄想の世界しか居場所がなく、自閉症気味で友達なんていないのが当たり前だった過去の祐介。
過去とは言っても、それはつい最近まで祐介にとっては確かな現実として君臨していた世界である。
後ろめたかった。
人と接する上手いやり方なんて、祐介は知らない。

「那須さんは、何か貫禄あって……しっかりしてて……それに比べて、僕なんて口だけで……」
「口だけじゃないだろ。あんたは、ちゃんと柏木のこと自分で守りたいって行動に出ようとしている」
「で、でも、じゃあ自分で何ができるって考えた時……僕……何にも、なくて」

ずっと一人だった祐介にも、最近友達というものができた。
かけがえの無い仲間と思える存在が、産まれた。
しかし、今はもういない。もう二度と、会うことはできない。
何もできず、何も知ることなく、彼女達は祐介の世界から去っていった。

「こ、怖いんだ……みんな、死んじゃって……。せめて初音ちゃんは、僕が守ってあげたい……本当に、大事な子だから……。
 で、でも、僕なんかじゃ……きっと、役不足で……また、みんなみたいに、助けられなかったら……」
「だーもう、止めろ! ストップ! 口閉じろ!」
「むぐっ?!」

祐介の泣き言が止まる。強制的に、止められる。
正面、伸びてきたのは宗一の右手だった。
アイアンクローのような宗一の手つきに、祐介も思わず目を瞑ってしまう。
宗一が捕らえたのは、祐介の額ではなくその下……彼の、口元だった。

口を塞がれると同時、祐介の身体は側面の壁へと固定される。
勢いを持って叩きつけられたせいか、衝撃による痺れは祐介の身動きをそのまま奪う。
背中に当たる壁の硬さ、冷ややかな感触のリアルさに、祐介はそのまま思わず身を竦めてしまう。

戦慄が走る。
痛みは、殆どない。祐介の身体を走り抜けた痺れも、すぐ引いてしまった。
外傷が増えることは、ないだろう。
ただ、宗一の与えてくる圧迫感だけが凄まじく、祐介は一切の反抗を取ることができなかった。

「落ち着いたか?」

頷きたくとも、祐介は頭を動かすことができない。
混乱に潤む瞳で必死になって見つめ返すと、伝わったのか、宗一の拘束がゆっくりと離れていった。
身体から力がすっかり抜けてしまった祐介は、そのままへなへなとキッチンの床に尻餅をつく。
ひんやりとした床に寒さを覚え、祐介はそのまま身を抱くように小さくなった。

「長瀬さ、そういうの宮沢の前じゃ話したことなかっただろ。えぇかっこしぃめ」
「……」
「ここで吐けてよかったな。そういう鬱憤は、いつかは爆発するもんだ。
 場合によっちゃ、何かの火種にもなるくらい影響力を持つことだってある」
「……めん、なさい」

厳しい言葉だが、宗一の話し方には祐介を責める節など微塵もない。
まるで面倒見の良い、先輩か何かのようである。
それが尚更、祐介の居た堪れない気持ちを増長させた。

「僕、僕……」
「大丈夫だって。不安にならない人間なんて、いないんだ」
「あ……」

腰を落とした宗一が視線の高さを祐介に合わせると同時、距離を縮ませる。
そのまま宗一は手を伸ばし、今度はそれを祐介の背面に回した。
先ほど押さえつけられたことを思い出し身を固くする祐介だが、宗一はそのまま優しく彼の背をさするだけである。
宗一の背格好にしてはごつい作りな気もする手のひらが、幾往復も祐介の背を撫で回した。
生まれる温度。ほのかなそれは、非常に心地良いものだった。

「やっと落ち着いてきたか」
「那須さん……すみません、僕……」
「っていうか、那須さんは堅苦しいって。もうこの際、下で呼び合うか」
「え、えぇ?!」
「何だ、嫌なのかよ」

拗ねたような宗一の物言いに、祐介は慌てて首を振る。
嫌なわけでは決してない。
とにかく宗一の取る友好的な態度に対する戸惑いが、祐介の中ではとてつもなく大きいのだ。

「ほら、宗一でいいって」
「あ、はい」
「っていうか、さっきから敬語に戻ってるぞ」
「ご、ごめん! 宗一!」

からかいの含まれた宗一の揶揄に、祐介は焦って答えを返す。
口にした彼の名は、とても自然な形で祐介の声として発せられた。

「おう、祐介」

祐介。
身内以外の男性で、彼を名前で呼ぶことなどあっただろうか。
笑む宗一の爽やかな様子に、祐介の胸が高鳴る。
まるで、それは。宗一のそれは。
友人に向けるような、とても親しみが込められた笑顔だった。





(こいつは大丈夫そうだな)

微笑みの裏側で、ひっそりと宗一が結論付ける。
うろたえるその様子から心は弱そうに見えるものの、人としての意地の汚さというものを宗一は祐介から感じなかった。
信頼を置いても、問題はないだろう。

先ほど四人でテーブルを囲んでいた時、一人自分の世界に入っているように見えた祐介に宗一は警戒を覚えていた。
人間性に問題のある人物とこれから先も共に行動を取る場合、損をするのは自身である。
庇護の対象である渚の身への危険を増やしてしまうのも、宗一にとっては得策ではない。

話してみると、祐介には宗一の想像以上に素直な節もあった。
扱いやすい、と言ってしまうのも失礼な話だが、丸め込むのは容易い性格をしている。
そう。実際たった「これ」だけで、祐介は宗一に懐いていた。

「宗一?」
「あぁ、悪い悪い。ちょっと考え事を、な」

疑いのない、清らかな瞳。心を許した者が送る眼差し。
祐介は、本当に素直な反応を返す少年だった。
このまま二人してしゃがみこんでいるだけでも埒が明かないので、宗一は先に立ち上がると祐介に手を差し出し起き上がるよう行動を促する。
騙しているようだが、こうして得た信用を宗一も裏切るつもりはない。
これから四人、共に過ごすのだ。
争いを止めるための、ある種の心理的な戦いとも言えるこの一歩。
宗一は、大事にしたいと思った。

「よし。そんじゃ、戻るか」
「……あ、ごめん。僕、駄目だ。まだ水入れてない。すぐ追いつくから、先行ってて」
「分かった、早く来いよ」

まるで憑き物が落ちたかのような清々しさの溢れる祐介の表情に、宗一は幸先の良さを実感するのだった。




【時間:2日目午前8時10分頃】
【場所:I−6上部・民家】

長瀬祐介
【持ち物:無し】
【状態:水を汲んでからダイニングに戻る】

那須宗一
【所持品:FN Five-SeveN(残弾20/20)、支給品一式】
【状態:ダイニングに戻る・渚に協力】
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