インターセプト4







万策は尽きる。
ぼろぼろと泣き続ける遠野美凪の体を、少年は一気に引き上げた。
依然伏せられたままの美凪の瞳、少年は気にせず彼女のこめかみに銃の切っ先を押し付ける。

「無力って嫌だよね。ほんと、そう思うよ」

あまりの言い草に向坂環が飛び出そうとするものの、ふと向けられた少年の目配せでその足は強制的に止められてしまった。
このまま美凪が撃ち抜かれ、そうして残った三人で、どのような応戦をすればいいか。
いや。そうではない。美凪を保護できないで、どうするんだと一ノ瀬ことみも頭を振る。

(そんなの、駄目)

美凪を切り捨てること、無駄死にさせること前提で話を作ってどうすると、ことみは内なる自分に渇を入れた。
どんなに絶望的であっても、もう誰も死なせたくないという思いはことみの中で一番強いものである。
悲惨な過程を消し払う。何とかして、救い出さなければいけない。
出したい。
出してあげたい。
覚悟が願望へと徐々に弱まっていく様、この歯がゆさを何と表せばいいのかことみは知らなかった。

少年と敵対する面子の中、唯一の男性である相沢祐一。
彼もまた、他の二人と同じように何も手が出せないでいる。
その手には一丁の拳銃が、環と同じように握られていた。
しかしこんな凶器、人質が取られている今では使いものになるはずがない。

誰もが、心に絶望を抱いていた。
誰もが、美凪の最期を予想せずにはいられなかった。

「そこまでだよ、動かないで。僕も銃を持っている」

声。第三者の、声。
このタイミングで他の人間が現れることを、誰も予想していなかった。
そう。圧倒的な力を見せていた、少年でさえも。
声の主は、校舎の裏側から現れた。
ちょうど美凪達が保健室から脱出した際に向かった、あの方角である。

「……驚いた、まだ人がいたなんて。全然気づかなかったや」
「彼女を解放して欲しい。そうすれば、こちらも手出しはしない」

生まれた少年の失笑を、彼は静かに受け止める。
彼もまた、どちらかと言えば甘い考えを持った人間のようだった。
所詮、狩る対象が一人増えただけ。ほくそ笑む少年の余裕は崩れない。
銃を手にする姿もぎこちない彼はどう見ても一般的な学生であり、少年にとっても脅威を感じる相手ではなかった。
きらびやかな光を放つ、彼の左手に気づくまでは。

「お願いだ。僕は、人を傷つけたくない」

ドラグノフに添えられた、彼の左手が燦然と輝く。
目を凝らせば視覚できる、確かな青。
空を纏う朝の光を集めるそれは、場違いな美しさを一方的に見せ付けていた。
その色の意味は保持者である彼、氷上シュンもいまだ知らないものである。


          ※          ※          ※


シュンが異変を察知したのは、保健室で行われた銃の撃ち合いが原因だった。
終始姿を見せることをしなかった怪しい少女との対話、あやふやとなっていたシュンの思考回路が、それではたと目を覚ます。
危険を促す爆音は、決して遠い場所からがなったものではない。
この場所に居続けることのデメリットが、一気に膨らんだ。
駆け足でプールが付属している建物へ戻ると、そのままシュンは真っ直ぐに女子更衣室の前に向かった。
人の気配が感じられるその奥には、シュンの同行者である太田香奈子達がまだいるはずである。

「太田さん、太田さん! ごめん、まだ中にいる?!」
「ひ、氷上君……?」
「外の様子がおかしいんだ。ちょっと見てくるから、身支度をしておいて欲しい」

乱暴に扉を叩くと、中から戸惑う香奈子の声が返ってくる。
端的に事を伝え、すぐ様この場を立ち去ろうとしたシュンの足は次の瞬間強制的に止められることになった。

「待ってっ! 氷上君っ!」

躊躇無く開けられた扉から現した香奈子との、数十分ぶりの対面。
慌てて勢いのまま飛び出したとしか見えない香奈子の姿に、シュンの頭が真っ白になる。

「何があったの、一人は危ないわ!!」

不安に駆られている表情の香奈子だが、その姿はあまりにも無防備だった。
香奈子の剥き出しの肌を覆うのは、下着と言う名の頼りない薄布のみである。
縁取られたレースが香奈子の艶かしいラインを強調していて、所々に飛んている水滴も彼女の肢体を彩る役割をしっかり果たしていた。
突然表れた光景に、シュンは思わず事態を忘れその姿を凝視してしまった。
大きすぎる驚愕に、彼自身がその魅力を吟味する余裕は皆無であったろう。
しかし視線自体は不躾なものだった故、香奈子がこの状況を自覚したのは早かった。

「……?! ご、ごめんなさいっ!!!!」
「ぼ、僕の方こそ、ごめん!」

扉が閉じられたと同時、シュンも更衣室に向かって背を向ける。
年頃の少女より少し大人びた香奈子の体は、何だかんだでシュンの脳裏にしっかりと焼きついた。

それから二人、扉を介し簡単に事情のやり取りをする。
シュンは一分でも早く現場の確認に向かいたかったが、香奈子がそれを簡単には許さなかった。
危ないことが分かりきっているという前提のある場所に、シュン一人で先行することを香奈子は強く拒む。
香奈子がすぐの準備を整えることができるなら、また話は別だったかもしれない。
言葉を濁す香奈子から、シュンも彼女の状況を察する。

シュンには香奈子の他にもう一人、幼く見える同行者がいた。
名倉由依の実年齢を知らない彼等からすると、義務教育を終えていない少女そのものである由依の容姿には騙される部分があるだろう。
彼女のことで、香奈子は即答しかねているに違いない。

「太田さん、大丈夫。ちょっと見てくるだけだからさ」
「じゃあ、あの子を置いて私もついて行くわ」
「そんなこと言わないで。僕も命が惜しいからね、危ないことはしないから」
「……本当に?」

香奈子を宥めるシュンの口調は、あくまで優しいものである。
まだ香奈子は不安気であったが、立ち往生となっているこの状況は把握できているようだった。

「こっちも急いで何とかするから。それまで、絶対危ないことはしないで」
「分かった」

やっと出た香奈子の了承の言葉と共に、シュンは再び走り出すのだった。





弾む息。
昨日から駆ける度に、シュンは自身の体の脆弱さに嫌悪感が隠せなかった。
スピードも持続力も何もかも、男性であるシュンよりも女性である香奈子の方が上だったのである。
今も尚それを実感しつつ、シュン自身で思っていたよりも遅い時間に彼は求めていた争いの現場に足を踏み込んだ。

燃え盛る保健室が、風景の一部として見える校庭の隅。
校舎の影に隠れる形で一端足を止めたシュンの目に、目立つ男女の集団が入る。
様子が異様なのは、すぐに見て取れた。
走っている途中で聞こえた発砲音で、何かしらの争いが行われていることはシュンも予想していたが、それ以上である。

片腕を捕らえた黒髪少女の苦しげな呻き、それは自身が被る痛み故か。
きっと、それだけはないはずだろう。

「ぁ……真希さ、まき、さぁ……っ」

肩を震わせながら咽び泣く黒髪の少女の足元に、シュンはもう一人少女がいることに気づく。
軽い痙攣を繰り返した後、力みのあった倒れている少女の体からすっと硬さが抜けていった。
茶色だった土に新たなどす黒さを加えている夥しい量の出血、最早死は逃れられない。逃れられなかった。
何度も人の死を確認したシュンだからこそ、その判断はすぐに下すことができる。

シュンがこの場に来たのは、あくまで確認のためだ。
シュンには人探しという目的があり、その遂行が彼の中でも最重要事項となっていた。
出会った先々で命を落とした少年少女の願いを無下にしないためにも、シュンは彼等のために自分の命を使いたかった。
亡くなった人の思いを伝えるということは、このような状況では最高の弔いかもしれない。
恐らく何も残せずにただ死を迎えてしまう無力な人間が、大多数であろう。
彼等に対しシュンができるせめてもの事が、遺言と同意義な思いを伝えるという行為だった。

だから彼は、自身を渦中に身を置かせるような真似をしない。
考えない。
争うことを重要視しない。
しかし彼は見つけてしまった。
その現場に、鉢合わせてしまった。

居合わせてしまった。
今までとは違う。

無慈悲な暴行を傍らで見守る少年少女等がまごつく中、ここではシュンが一番自由に動ける立場にいる。
シュンの手には、彼への支給品として配られたドラグノフがあった。
保険の意味で握っていた武器の意味を、シュンは改めて考える。

この時点で、人探しのために立ち寄った鎌石村中小学校は、シュン達に害が及ぶ可能性のある場所だと認定された。
それならば話は早い。争うことを目的としないのであれば、さっさと離脱するのが吉である。
……それで起こる矛盾にシュンが気がついたのは、早かった。

今はもういない月宮あゆ、草壁優季、河野貴明という面々。
彼、彼女の生前の思いを知っているのはシュン達しかいない。
彼等の思いを伝えることができるのは、シュン達しかいない。

では、目の前の彼女等はどうか。
命を亡くしたと見られる者もいる。
しかし、自分の足でしっかりと立っている者だってそこには確かにいる。
彼女達は、生きている。
生きている以上、自身で伝えられる言葉を彼女達は持ち合わせている。

それは、シュンが代行する必要のない思いだ。
その思いを切り捨てて、何になる。

(ごめん、太田さん。でも仕方ないよね)

構えを取ることに、シュンが抵抗を感じることはなかった。
この場を収めなければいけないという念に、彼の体は自然と着いていっている。

(ああ、あの子が言っていたのはこういうことなのかな)

少し前に行った、少女との対話がシュンの中で思い出される。
大事な人のためなら人を殺すことが出来るかどうかというあの問いと今の状況は、少し違うかもしれない。
誰かを傷つける行為は彼自身の目的とは反するだろう。
しかしその誰かを守ることができる状況に置かれたことをシュンが自覚した時、彼は誰かを守るために武器を取ることに躊躇を覚えなかった。


          ※          ※          ※


突きつけられた凶器の切っ先を、少年は視線だけで確認する。
そこそこの距離で受ける脅迫に、少年は何の危機も抱いていなかった。
シュンの動揺を仰ぐのは、少年からすれば簡単なことである。
捕らえている少女に、止めを刺せばいい。
美凪のこめかみに押し付けた少年のグロッグと遠くからこちらを狙うシュンのドラグノフでは、射撃の精度も含め脅威は段違いだ。

少年には、美凪を始末した後でシュンを返り討ちにする自信があった。
シュンだけではない。自分達を見守る他の面々すらも、彼は戦力として計上しない。
校庭という広いフィールドで素人の放つ当てずっぽうな弾を恐れるという感覚が、まず少年にはなかった。

少年がはにかむ。
ここにきて、失せていたはずの緩みを彼はその表情に取り戻した。
まるでことみとの再会を喜んだ時のような感激が、そこには満ちていた。
彼の笑みの不気味さを知っていることみ達からすれば、それは嫌な予感にしか繋がらない。
支給された拳銃を少年に向ける環、その隣で固まっていた相沢祐一も慌てて同じように構えを取る。
向けられた先端は、計三つ。それに対し、少年は。

「分かった、これでいいかな」

いとも簡単に、美凪を解放した。
さすがにここまで潔く行くとは、誰しも思わなかったのだろう。
腕を離されことみ達の方向に軽く背を押された美凪は、捕まれていた腕に自身の手を添えながら前のめりに膝をつく。

「……!」

ことみがすぐの反応を見せ、それに続く形で環も美凪のもとへと駆け寄った。
祐一は動かない。
美凪を離したとはいえ、少年の手にはまだ凶器が握られている。
少年がそれを手にしている限り、女性陣三人が固まった所を彼が集中砲火する可能性を祐一は危惧していた。

「武器を手放せ。お前がそれを持ってる限り、信用はできない」

声が少し掠れているものの、祐一なりにどすを効かせたつもりなのだろう。
少年の目をしっかりと睨みつけながら、祐一は叫んだ。
少年は一切の抵抗を取らず、手にしていたグロッグを足元後方に転がした。
そのまま万歳をして降伏を意味するポーズを取る少年、これではあまりにも上手く行き過ぎて祐一の中の疑念が増すだけである。

対し、犠牲が増えなかったことにシュンは一人ほっと息をついていた。
震えながら涙を流す美凪の両脇には、彼女をあやすように二人の少女がついている。
祐一の指示で、少年も危害を加えることはできないだろう。場は、丸く収まったのだ。

「これでいいだろう?」

祐一に目配せをした後、少年は振り返りつつシュンにも声をかける。

「あ、うん。ありがとう」
「……面白いね。まさかお礼を言われるとは、思わなかった」

手を上げたままくるりと反転し、少年はシュンと対面になるような位置に落ち着いた。
シュンも祐一同様、拳銃を取り下げてはいない。
シュンが発砲する可能性がないことを、少年は彼の雰囲気から感じ取っていた。
そのまま遠慮することなく上から下までまじまじと、少年がシュンを値踏みする。
確認はすぐに終わった。少年は彼が思う限り、シュンと『出会ったことがない』だろう。

「成る程ね」

くすっと一つ笑みを零し、少年はすたすたとシュンの方へと歩み寄っていく。
まさか近づいてくるとは思わなかったのか、驚いたようにシュンが半歩引くが少年の足は止まらない。
そうして縮まった距離、僅か二メートル弱。
少年は自身の右手をうやうやしく胸元に添えながら、シュンに向かって一礼をした。

「初めまして、選抜者。こんなにも早い段階でコンタクトを取れるなんて思ってなかったから嬉しいよ」

少年の真意が掴めないのか、シュンはただただ戸惑うばかりだ。

「あ。姿勢崩しちゃったけど、もういいよね」

この時点で、少年の敵意は零に等しい。
さすがのシュンも、それは理解できる。
シュンだけではない。
この場にいる誰もが、少年の変化に気づいていた。

ごくりと飲んだ息の音、それは祐一の予想よりも大きく頭の中に響く渡る。
いい加減少年に銃身を向けたままの姿勢を取るのもつらく感じ始めたが、祐一は決してその手を下に下げようとしない。
戸惑いに飲まれているシュンと、祐一とではこの時点では考えていることも全く違う。
祐一は、今ここで少年を討ち取れば全ての片がつくであろうという極論に辿りついていた。
祐一は既に、一度人を殺めている。
これ以上重ねた所で、その罪は一生消えない。

(……後悔は、あん時充分したんだ)

あの時、神尾観鈴を守るために祐一は一つの命を奪った。
彼女の笑顔を守れたという事実だけが、祐一にとっての免罪符と言えただろう。
しかし、その唯一の救いも今はもうこの世に存在しない。

それに祐一は知っている。
観鈴を助けるために、人を殺めたという後悔。
自分が知らぬ場で亡くなった観鈴に対し、何もしてやれなかったという後悔。
その大きさが段違いであることを、祐一はしっかり自覚している。

(それならば、俺がやるべきだ)

目を閉じ大きく深呼吸するだけで、祐一の精神は集中状態に陥った。
引き金を引くことへの迷いが消える。
構えていた銃の先では、少年が和やかにシュンと会話していた。
今、祐一の目の前にはがら空きになった少年の背面が晒されている。

「きゃっ」
「っ?!」

今正に、祐一が発砲しようとしたその時に、上がった少女達の悲鳴。
祐一の集中状態が崩れる。
代わりに土埃が舞った。
祐一じゃない。動いたのは、祐一じゃない。





取った低姿勢で、少女は一気に走りこんだ。
バネがしなるような自然な反動、特別俊敏なものではないがその動作に無駄はない。
優しく支えていてくれた両肩の温もりを払いのけ、少女は目標との距離を一気に縮める。
少女の気迫に圧倒されたからか、彼女の行く手を遮る者はいなかった。
それだけ、少女の雰囲気は鬼気迫っていたということだろう。

誰もが存在を忘れていた、放られ、打ち捨てられていた斧。
それは、少女の相棒が持っていた物だった。
リレーのバトンを受け取るようなスムーズさで、少女は斧の柄を握りこむ。
そのままずっしりとした感触を両の腕に馴染ませながら、少女は斧を振り上げた。
振り上げながら、駆けた。

「真希さんの……かたき……っ」

方向を転換させた少女が、今度は彼女に向け背面を見せていた少年に襲い掛かろうとする。
少女の瞳に宿る呪怨に、少年は気づかないのか。無視をしているだけなのか。
少女が狙った後頭部が、振り返ろうとする素振りはない。
微動だにしない。
何をするにも一生懸命だった明るい真希を虐め抜き、容易く命を奪った男に向かい少女は……美凪は、加減というものを意識せず、勢いのまま全力で少年の背に切りかかった。

「その軌道、舐めているとしか思えないね」

切った虚空の軽さに、美凪の体が惑う。
美凪の猛攻を余裕の足取りでかわす少年、対し美凪は全身を使っての一振りだったため止まることもできず、そのまま地面へと突っ込んでいった。
斧が地面に突き刺さると同時、大きな衝撃が美凪の両腕に負荷としてかかる。
走る痺れに、美凪の体に込められていた力がふっと抜けていった。
崩れるな、そう心で叫んでも美凪の命令に彼女の身体は付いて来ない。
ましてや地面に深々と食い込んでしまった斧を取り上げることなど、不可能である。

コントロールを効かせることができず、美凪はゆっくりと膝を地面に下ろすことになった。
痺れが取れれば、またこの斧を振るうことができる。そんな希望。
しかし動きを止めた美凪の様子を、少年が見過ごす訳も無い。
今度は少年が、崩れた美凪の背面を襲い掛かった。

「あぐっ!」

髪を毟られそうになる程強く掴まれ、美凪の口から苦悶の悲鳴が漏れ出る。
抵抗をするにも、美凪の体はいまだ不自由なままであった。
それ以前に美凪と少年では腕力の差が歴然で、例え彼女が万全の状態であったとしても歯が全く立つ保障は皆無だろう。

そのまま片手で美凪の体を、少年は強引に掴み上げた。
少年の指に絡まった艶やかな黒、美凪の長く美しい黒髪がぶちぶちと抜けていく。
上げられる掠れ切った悲鳴の痛ましさを無視し、少年はそのまま美凪を頭から地面に叩きつけた。

「はぎゃっ!」

ひしゃげた蛙のような鳴き声が、美凪の口から漏れる。
火花散る視界、がうんがうんと揺さぶられる脳の感覚に、美凪は一瞬意識を飛ばしかけた。
瞼に映る美凪のぼやけた景色には、いまだ地面に突き刺さったままの斧がある。
彼女が、真希が振るった斧だ。
目と鼻の先に在るはずなのに、美凪の凶器は遠い物になってしまった。
決して手が届くことのない場所まで、離れてしまった。

じょりじょりと、銃弾が擦ってできた美凪の頬にある傷口に、汚い校庭の砂が食い込んでいく。
条件反射で歯を食いしばる美凪だが、それ以上身動きを取ることはできなかった。
あの斧を諦め私物で抗おうにも、少年がかける圧力は非常に強い。
足掻くことすら、許されなかった。

無抵抗な美凪を冷たく見下ろす少年は、視線を逸らさぬまま空いた片手を自身のズボンにあるポケットに突っ込むと、そこから一つの凶器を取り出す。
注射器だった。得体の知れない内容物を含んだそれに、祐一の中で嫌な予感が一気に膨れ上がる。

「な……!? まだ獲物持ってたのかよ!」

光を受けて反射する針の先端、そこから滴る水滴は見るからに不穏である。
何が仕込まれているかは不明だが、この少年の持ち物である以上安全な可能性など皆無だ。
少年が、躊躇することなく美凪のうなじに注射器を突き刺した瞬間。
慌てた祐一が、美凪から少年を引き剥がすべく反射的に構えていた銃の引き金を引いた瞬間。
そのタイミング、ほぼ同時。

焦りからくる乱雑な動作の上、発砲による反動から来る衝撃が腹部の傷を襲い、祐一の射撃の精度は彼が思う以上にめちゃくちゃであった。
弾は少年に掠れることもなく、明後日の方向へと飛んでいく。
それでも自身を狙う危機から距離を置くべく、少年も瞬時にその場から離れていた。

コンマレベルの出来事である。
周囲の人間が察した時には、もう事はここまで進んでしまっていた。
美凪の首に垂直に突き刺さっている注射器の中身、注入されなかった薬品がたぷたぷと揺れている。
最後の一線は、守られた。

「がはっ、はっ、ふっ……」

強い力で圧迫されていたからか、呼吸をするのもつらかったのだろう。
少年からの締め付けが消え、美凪が何度も咳き込みながら息を整えようとする。
肩を大きく上下させながら、美凪はそのまま右手を自身の首元へと伸ばした。
刺さったままの注射器の違和感、与えられた急所への危害を退くことが美凪の中ではまず優先される。
震える手で注射器を掴み、美凪はそれをゆっくり引き抜いた。

たぷたぷたぷ。液体が揺れる。本当に、刺されただけのようである。
危険を取り除けたことで気を使い果たしたのか、美凪は注射器の中身を確かめることなく顔から砂地に落ちていった。

「ちょ、ちょっと?!!」

動きを止めた美凪に、硬直していた環の中の時間が戻る。
もたつく初動に気を止めることなく、環は慌てて美凪の元へと駆け寄って行った。
ことみもすぐに後を追うが、足の速さには差がありその距離はぐんぐん開いていく。
先に美凪のもとへ辿り着いた環が、すかさずしゃがみこみ放り出された彼女の手を取る。
どくん、どくん。当てた手首に伝わる、美凪の鼓動。生きて、いる。

「……大丈夫。どうやら気を失ってるだけのようね」

そこでやっと追いついたことみも、ほっと息を一つついた。
今度は祐一も、見ているだけでなく彼女達の元へ駆けつける。
集まった四人から注がれる憎しみを、少年は全く気にしていなかった。
切迫する。
再び場の空気が、凍る。





この一様を、シュンは呆然と見ていた。
見ていただけだった。動くことができなかった。
目の前で起きた一連を、シュンは整理し切れていない。

挨拶をされた。
人の良さそうな笑みを浮かべる少年に対し、シュンは戸惑うことしか出来なかった。
シュンは、彼が人を殺した現場を遠目から見ていたのだ。
今更そんな紳士的な態度を取られるとは、シュンは思いもしなかった。

どんな言葉を返すかシュンが迷っている内に、場が揺れる。
少年の背面、シュンの視界。
俯いていた少女が、顔を上げたと同時に駆け出す。
走る少女の姿勢は異様で、その形振り構わない様子に思わずシュンも喉を鳴らす。
溢れんばかりの少女の殺気に、少年も気づいたのだろう。目が動く。
凶器を手にした少女は、勢いのまま一気にこちらと距離を詰めてきた。
振りあがる斧。危ない。

圧倒され及び腰になってしまったシュンは、少女の動きを視線で追うことしかできなかった。
少年の手が伸びる。
少年はそのまま、少女の気迫に息を飲んでいたシュンの肩に、ポンッと軽く手を置いた。
与えられた温もりに、シュンの表情に疑問符が付く。
少年は一つウインクし、シュンをそのまま地に伏せるべく彼の肩を突き落とした。

「うわっ!」

無防備だったシュンにとって、これはたまらなかっただろう。
おたおたと手をばたつかせながら、シュンは校庭に尻餅をついた。
舞い上がる砂埃に呼吸器官を侵食され、思わず咳き込んだシュンの目と鼻の先を。
それが、突っ切った。
少年に対し、これは何のつもりだとシュンが問いかける暇など勿論無い。
少年が横にずれたと同時、現れたのはシュンの景観を垂直に分断する鋼色の凶器だった。

「……っ」

シュンの下半身に、衝撃が走る。
それは斧が校庭に食い込んだ音。震動。
投げ出されたシュンの足と足の間で、斧は倒立していた。

「…………っ」

少しでも軌道がずれていたら、飛んでいたのはシュン自身の肉だ。
言葉にならない。
少女を再び捕らえ暴力を振るい出す少年の姿すら、シュンはまともに捉えていなかった。
聴覚すらも、器官が拒否をする。全てが遮断される。

斧が、斧が。
新品ではないだろうが、恐らくこの斧はそこまで使い込まれていないのだろう。
まだ人の血を吸っていないと分かる清らからな断面に、シュンの姿が映り上がる。
開いた瞳孔、伝う汗。

きっと、切りつけられていたらこんなまじまじと自分の姿を見つめることすらできなかったに違いない。
これまで病魔という問題を除き、自身が命を奪われそうになる危機というものを、シュンは体験したことがなかった。
それだけに、この一連でかかった負荷がシュンに与えたダメージというのも、とてつもなく大きかった。

「今のはどう見ても不可抗力だよね?」

距離を置いていた少年が、ゆっくりとシュンに歩み寄る。
少年に手を差し出され、いまだ座り込んだままのシュンは反射的にそれを取った。
片手で優々とシュンの体を起こす少年の表情は、柔らかい。
何が起きたのかを深く理解していないシュンは、その温かさにまた混乱しかかってしまう。
ふと見ると、少年のもう片方の手には、手放されたはずの拳銃が再び握られていた。
何故。固まるシュン。

両足のバランスを確認した後少年から手を離すと、シュンは周囲を改めて確認した。
先程の少年少女四人が固まっている位置がやけに近い。目と鼻の先だった。
何故。
何故、自分達はこんなにも密集している。

四人のうち、一人気を失っている少女の容貌にシュンは見覚えがあった。
あぁ、この子だと。
泣き叫んでいた姿、鬼気迫る表情で襲ってきた姿、シュンの脳裏に蘇る少女は様々な表情を持っていた。
そんな少女を庇うように、他の三人は憎悪をこちらに向けている。

シュンが気を散らしている内に、何かあったというのは明白だった。
それはいい。決して良くはないが、いいとする。
思い出されるのは、先程の斧のことだ。
斧で襲い掛かってきた少女を、少年は撃退したのだろう。
少女が少年を狙った理由なんて、すぐに把握できる。仲間が殺されたからだ。
そのことも、いい。これ以上の推測をシュンは止める。
放置すべき事柄では決してないが、今は置いておく。

「ん? どうしたの?」

四人から少年へと視線を移すシュンの瞳には、にこやかな少年の微笑が映っていた。
何故。
何故、ここに来ても少年は、絶やさぬ笑みをこちらに向けることができているのか。

少年の浮かべる笑みが、一体喜怒哀楽のどこに属しているのかシュンは分からなかった。
ここにきて、シュンはやっと少年の不気味さを認知する。
伝う脂汗は、斧で受けたショックからだけじゃない。
少年という未知の存在に対し、シュンの中の不安が一気に膨れ上がっていく。

「そんなに悲しそうな顔をしないで欲しいな。悪かったよ、もう彼等には手を出さない」

そんなシュンの様子を、少年がどう捉えたか。
シュンにはそれを問う言葉すら、見つからない。

結局シュンは、何も分からなかった。
それこそシュンは、少年と四人の彼等彼女等のことを全く知らぬ状態でこの場に飛び込んだのである。
シュンがこの場を収めようとしたのは、血が流れるのを止めたかったからだ。
そのために躍り出たはずなのに、結局シュンが言えることはなかった。
命のやり取りがあったという確執がある中、シュンだけが蚊帳の外にいるのだから仕方ない部分はあるだろう。

収めたはずの場を引っ掻いた、少女の行動。
少年の顔から消えない、気味の悪い微笑み。
斧。立ち上がったシュンの足元、斧は揺らぐことなく校庭に突き刺さったままである。
全ては、事後なのだ。最早、手遅れなのである。

「おーい、聞いてる?」

青ざめ、口を閉ざすシュンの顔色を、少年は屈みこんで見上げていた。
瞳孔を揺らすシュンの世界に、少年は認識されていない。
溜息。シュンとの対話を求めていた少年からすると、これは不味い状態である。

「うーん、本格的に機嫌を損ねちゃったかな」

いくら少年が声をかけても、シュンが答えることは無かった。
試しにシュンの前で手をひらひらと振ってみる少年だが、やはりシュンが一切の反応を見せることはない。
困ったように頭をポリポリと掻きながら、それ以上シュンの返答を待つことなく少年は振り返る。
びくっと身構える三人、祐一も環も少年に向けて既に拳銃を向けいていた。
いつでも対抗できるという意志がよく表れている態度だが、少年がそれを気に留める様子はやはりない。

「ということだからさ。行っていいよ」
「は……?」

しっしっと、追い返すような少年の動作に祐一の目が点になる。
環もだ。
絶体絶命に追い詰められていた時に浴びせられた畏怖感、それはもう今の少年には無い。
少年から、攻撃性が消えたのだ。
祐一も環も、その事実をすぐには理解することができなかった。

「何言ってんだよ、お前……」

祐一の顔に呆れの色が走るが、それもすぐ様怒りに染め上がる。
あれだけ好き放題しといて、この発言は何なんだと。
祐一の堪忍袋の緒は、そんな頑丈な物ではない。

「そうよ、どのツラ下げてそんなことっ!」

それは、環にも通じるものだった。
今にも暴れだすという勢いで、環は少年に食って掛かっていく。
かけられた引き金が引かれないのがおかしいくらいの環の激情に対しても、少年がぶれることはない。
注がれる憎しみを物ともしない少年は、ただ静かに笑むだけだ。
ただ、その頬に。歪みが加わる。

「ねえ、分かってるの? 僕、君達を見逃してあげようとしているんだけど」

皮肉めいた表情に続く、圧倒的な上からの目線。
悪気はないだろうが、受け取る側にとってこの少年の態度は挑発以外の何物でもない。

「ふざ……けるなよ!!」
「駄目」

激昂を上げた祐一が、今正に少年へと向け発砲しようとしたその瞬間。
祐一の拳銃に手がかかる。
伸びた小さな掌は、ことみのものだった。

「駄目。ここで私達が生き残れるのが、奇跡なの」
「お、おい、お前何言って……」

銃口と少年の間に壁を作るように、ことみは二つを遮った。
力で押せば、ことみという少女はすぐに崩れるぐらいひ弱な存在だ。
しかし仲間という立ち位置にいる人間を押しのけてまで、自分の激情を貫こうとするような理性の壊し方を祐一はしていない。
ここで止めるような真似を取ることみに、祐一はうろたえるだけである。

「ここまでで、済んだってことなの」

あくまで冷静さを失わないことみの無表情が、静かに現実を告げる。
祐一も環も知っていたはずのこと、それがことみの物語った全てだ。
嫌でも見せ付けられていたはずの絶対の差を、二人も忘れた訳じゃない。
校庭に転がる、朽ちた仲間達。
さっきまで少年に対しどうやってやり過ごすかを、彼等は死に物狂いで考えていたはずだったのだ。

眉を寄せることみの表情は、痛々しい。
祐一も環も、察しなければいけなかった。
感情に流されるだけでは、助かる命も助からない。

「……行きましょう」

先に構えを解いたのは、環だった。
拳銃を下ろし、環はそのまま自身の支給品をスカートのポケットの中に仕舞いこむ。
俯き、歯を食いしばるだけの祐一に彼女が今どのような顔をしているかは伝わらない。
祐一は動けなかった。
悔しさで握り締めた左拳、祐一のもう片方の手には拳銃が、凶器がある。
圧倒的な実力差は承知の上、それでもこのような形で引くのが祐一は惨めで仕方なかった。

「悔しいのはあなただけじゃないわ」

強張った環の声に、祐一がはっとなる。
視線だけ環の方に向けようと緩慢に瞳を動かす祐一の頬を、環はぺちっと軽く張った。
細く、柔らかな環の手。触れられたのはほんの一瞬だ。

そっと離れる環の手の甲を追うようにゆっくりと顔を上げた祐一の目に、環の顔が映りこむ。
言葉にならなかった。
祐一は、もう何も言えなかった。

環から目を逸らしそのまま気を失っている美凪に近づくと、祐一は腹部の傷を庇いながら一人で彼女を背負い上げた。
手を伸ばそうとする環を払いのけ、祐一はそのまま校門へと向かう。
後ろは振り返らない。
振り返ったら、置いていくことになった仲間達の亡骸が目に入ってしまう。
自身の直情を押さえつけるためにも、これ以上未練を作る訳には行かなかった。

足音から、ことみや環も後ろからついて来ていることが分かる。
それだけ確かめ、ひたすら祐一は足を動かした。
少しでも早く、この場から離れるために。
そうして四人は、この場を去った。





「さあ、これからは僕達の時間だ」

声を弾ませながら、少年はシュンへと向き直った。
いまだ硬いシュンの気持ちを盛り上げようとでもしているのか、少年の雰囲気はとても明るい。
ただわざとらしさの目立つ大仰なその態度は、シュンとの心の距離を更に広がる結果にしかならなかった。

何よりシュンは、少年の切り替えの早さにも辟易している。
去っていく四人のことなど、少年の眼中には既にないのだろう。
二人の心中は、あまりにも対称的だ。

「改めてよろしく。まずは選抜者、君の名前を教えて欲しいかな」
「……」
「あぁ。人に聞くならまず自分から、か。でも僕には、そんな大そうなものはない。名簿を見てもらえれば分かるよ」

自分のデイバッグから少しよれた名簿を取り出すと、少年はちょんちょんと自分を表す呼称を人差し指でつつく。
凡そ、大多数の男子を表すその一つ。少年。

「これが僕。大層な理由がある訳じゃないんだけど、まぁ。そういうことなんだ」
「……」
「それで、君は? 出来れば君の口から、直接聞きたいんだけど」
「……」
「うーん、困った」

シュンは、決して少年のことを無視している訳ではない。
事実、彼は見えるようにと差し出された少年の名簿をしっかりと目で追っていた。
ただ、このまま無言で遣り通されてしまうだけでは、少年の求める対話には繋がらない。
歩み寄る方法を、少年は変えなければいけないだろう。

「……選抜者っていうのは、僕のことだよね」
「ん?」
「何故、僕のことをそう呼ぶんだ」

対策を、少年が考え始めた時だった。
少年の問いかけをスルーする形で、シュンは自身の持つ疑問を彼に投げつける。
その思いつめた表情に、彼も色々混乱しているというのを少年は瞬時に嗅ぎ取った。
誠意を見せる意味でも間をおかず、少年はすぐにシュンへの返答を用意する。

「その名の通り、選ばれた人ってこと。君はお姫様に認められたんだ」
「……覚えがない」
「声を聞いたでしょ」
「声?」

甘ったるい、先程中庭で聞いたたどたどしい少女の声がシュンの脳裏に甦る。
可能性とすれば、それしかなかった。

「どう? 思い出した?」
「どうしてそれが、分かったんだ……」
「あぁ、証が目に入ったからだよ」

先程名簿をつついた少年の指が、今度はシュン自身へと向けられる。
指の先には、無造作に垂らされたシュンの腕が。
例の、青い宝石が埋め込まれた手があった。

「その青い石の破片は、彼女と君とを結びつけるものなんだ。大切にして欲しい」

シュンにとっては、謎でしかなかった存在。
それを少年は、平然と説明してのける。
不可思議だった。
この少年の何もかもが、違和感に塗れている。
シュンの中で、少年の存在がどんどん歪んで行くのが分かった。

前提条件として、シュン達は孤島に閉じ込められ殺し合うことを強要されるという、いわば巻き込まれた立場にあるはずである。
被害者だ。
シュンは今の今まで、全員が全員皆同朋だと思って行動を取っていた。
統一された条件の中、誰もがそれぞれの方法で生き延びるべく足掻いているのだと思っていた。
死にたい人間なんて、誰もいないということ。
守られなければいけない思いを、誰もが抱えているということ。

だが、違う。
彼は違う。
彼だけが、何らかの明確な目的の上で……ここに、いる。
シュンは、そんな気がしてならなかった。

「君は、一体……」
「それはまだ言えない。でも大丈夫、お互い死ななければまた会えるよ。
 本当は、手が空いていたら守ってあげてもいいくらいなんだけど……まだ人が多すぎるんだ」
「何を言ってるのか、分からないよ」
「僕の役割は、選抜者を護衛することじゃないってことさ。あくまで、優先するのは人数を減らすことだからね」

ぽかんと。
シュンの意識が無防備になる。
ぎゅっと、拳銃を持っていない方の手でもう片方のシャツの袖口を抑えながら、シュンは少年の言葉を噛み砕いた。
込み上げてくる嘔吐感を我慢しながら、問いたださなければいけない事項をシュンは確認するよう声に出す。

「人数を、減らすって……」
「そう。何十人といる参加者を、少しでも減らすこと。それが僕に与えられた、使命の一つ」

飄々と言ってのけられても、シュンは首を振り否定を表し続ける。
信じられなかった。信じたくなかった。
少年の言葉の本質を、シュンが理解することができないのだから仕方ない。

軽い、あまりにも軽い扱い。物言い。
刹那、シュンの背中を灰色の不安が駆け抜ける。
少年の言葉が差す行為と、先ほどの光景がシュンの脳裏にフラッシュバックした。

「まさか、さっきの人達を襲っていたのは……」

シュンの話す『さっきの人達』というのを思い出しているのだろう、少年は視線を泳がせながら少しだけ左に首を傾げた。
改めて記憶を思い巡らせないと出てこないくらい、少年に取って先程の集団は希薄な存在になってしまっている。
煮え湯を飲まされたことみに対する思い入れが、少年の中で消えた訳ではないはずである。
それ以上に、今彼にとって一番優先するに値するのがシュンということになるのだろう。

「あぁ、うん。まぁ、そういうことになるね。でも、安心していいよ。
 別に逃がしたのを、また改めて追い込もうと思ってはいないから。充分、種は蒔けたし」
「信じられない……君は本当に、何者なんだ。何をしようとしているんだ」
「だから、まだ言えないんだってば」

与える情報は極僅か、肝心な部分だけ言葉を濁す少年に対する不快感が、シュンの中にも込みあがっていく。
気持ち悪い。
解けないなぞなぞへの苛立ちが与えてくる刺激は、元来穏やかな気性であるシュンにとって普段得られない感覚だろう。
あやふやだった。
少年の存在自体が嘘のような、作り物のような。別のモノに見えてくる。

「ねえ、名前を教えてよ。そろそろ僕もここを離れようと思うんだ」
「……氷上、シュン」
「氷上君か。教えてくれてありがとう、選抜者。最後にこれだけ、覚えておいて欲しいことがある」

変化した少年の声色が、瞬く間に場の空気を凍らせた。
ぞっとする冷たさに周りを囲まれ、シュンは戸惑いを隠せない。
見ると、和やかだった少年の雰囲気も今や一変していた。

「僕達は、君の味方だ。今、君にはそれだけの価値が生まれた。
 でも覚えておいて。代わりはいくらでもいるから、そういう意味では絶対の安全なんてないからね」

研ぎ澄まされた刃のような鋭さを持つ少年の眼光に射られ、シュンは身動きが取れなくなってしまう。
別人、だった。
シュンとのコミュニケーションを望んていた、少年のメッキが剥がれ落ちる。

知恵熱だろうか。
頭がくらくらしてくるのを、シュンは感じた。
シュンの受けた精神的なダメージは、彼自身自覚がないもののとっくにピークを突破している。

「それじゃあ、僕はもう行くよ」

既に背を向けているので、シュンが立ったまま気を失いかけていることを少年は気づいていない。
少年の進む先、そこにはこの鎌石村小学校の入り口でもある正門がある。
逃がした少年少女も、その道を歩んだ。
少年は言った。もう、彼等には手を出さないと。
その約束は絶対か? シュンには判断がつけられない。

あの四人だけではない。
少年の言葉を真に受けるのであれば、この島にいる人物を少年はこれからも手にかけ続けるだろう。
それは見過ごしていいものなのか?
少年が誰かを傷つければ、その周りの人間にも同じ痛みが与えられる。
憎悪のループが冷めない限り、少年はそうして外敵を作っていく。
そうして何人もの人々が、少年の命を狙っていく。

殺し合いだ。
これこそ、この島に閉じ込められたシュン達に押し付けられた業となる。

彼を、野放しにしていいものなのか。
このまま、彼を見過ごしていいものなのか。
頭を抱えながら、シュンは目を閉じ思い煩う。
と、伏せられた瞼の裏、視界と共にシュンの思考も遮断された。
限界を超えた先の闇に、シュンは一人堕ちて行く。
最期。
懐かしくも愛しい誰かの、声を、シュンは聞いた気がした。




一ノ瀬ことみ
【時間:2日目午前8時25分】
【場所:D−6】
【持ち物:主催側のデータから得た印付の地図、毒針、吹き矢、高圧電流などを兼ね備えた暗殺用十徳ナイフ(吹き矢使用済み)、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯、お米券×1】
【状態:鎌石村小中学校離脱】

向坂環
【時間:2日目午前8時25分】
【場所:D−6】
【所持品:コルトガバメント(残弾数:15)・支給品一式(食料少し消費)】
【状態:鎌石村小中学校離脱】

相沢祐一
【時間:2日目午前8時25分】
【場所:D−6】
【所持品:S&W M19(銃弾数3/6)・支給品一式(食料少し消費)】
【状態:鎌石中学校制服着用(リトルバスターズの男子制服風)、腹部刺し傷あり(治療済み)】
【備考:鎌石村小中学校離脱・勝平から繰り返された世界の話を聞いている】

遠野美凪
【時間:2日目午前8時25分】
【場所:D−6】
【持ち物:消防署の包丁、防弾性割烹着&頭巾 水・食料、支給品一式(様々な書き込みのある地図入り)、特性バターロール×3 お米券数十枚 玉ねぎハンバーグ】
【状況:鎌石村小中学校離脱・気を失っている、右頬出血、全身打ち身多数、H173少量注入】

少年
【時間:2日目午前8時半】
【場所:D−6】
【持ち物1:強化プラスチックの大盾(機動隊仕様)、注射器(H173)×18、グロック19(14/15)】
【持ち物2:支給品一式、レーション2つ、予備弾丸12発】
【状況:鎌石村小中学校離脱・効率良く参加者を皆殺しにする】

氷上シュン
【時間:2日目午前8時半】
【場所:D−6・鎌石小中学校・中庭】
【所持品:ドラグノフ(残弾10/10)、救急箱、ロープ、他支給品一式】
【状態 :気を失っている。祐一、秋子、貴明の探し人を探す】
【状態2:左手の甲に青い宝石が埋め込まれている】

太田香奈子
【時間:2日目午前8時10分過ぎ】
【場所:D−6・鎌石小中学校】
【所持品:H&K SMG U(残弾30/30)、予備カートリッジ(30発入り)×5、懐中電灯、他支給品一式】
【状態:急いで支度を終え、シュンを追う】


消防斧、以下の真希と聖の荷物は放置

【持ち物:スリッパ、水・食料、支給品一式、携帯電話、お米券×2 和の食材セット4/10】
【持ち物:ベアークロー、支給品一式、治療用の道具一式、乾パン、カロリーメイト数個】
-


BACK