春/エピローグ







「ん……」

 カーテンで遮っていても尚突き刺してくる陽光の眩しさで、目が覚める。
 聞こえてくる雀の鳴き声が、朝が来たことを物語っていた。
 まだ残るまどろみの中、古河渚はゆっくりと上体を動かし起床する。
 同時、朝の肌寒さが浸透してくる。冬のなごりを置いてきたかのような現在の気温は、人を即座に布団に戻らせたくなる魔力があった。
 が、今日は大事な日だ。いつも以上に早起きしなくてはならなかった。
 まだ抵抗する右腕と左腕をひっぺがし、渚は完全に布団から脱出する。
 今日は受験した大学の、合格発表日だった。

     *     *     *

 あれから、を簡単に説明すると、まさに那須宗一とリサ=ヴィクセンの功績によるところが大きかった。
 詳しいことは渚も分からなかったものの、事件の顛末は警察内でも内々に処理が行われたらしく、殆ど情報が外部に露出することはなかった。
 渚達に関しても徹底的な情報の隠匿、改竄が行われ、渚の両親が死亡したことについても「事故死」という扱いになっていた。
 役場でも即座に調書が作られ、前々から準備されていたかのように、その後は粛々と事が済んだ。
 数日のうちに日本国内から100人以上もの人間が消えた、という事実はマスコミの格好の火種になりそうなものだったが、
 そこもリサ達が、エージェント達や警察と協力して情報の操作を行っていた。
 少しずつ、少しずつ時期をずらして、死の報告は緩やかに行われていった。
 お陰で渚のところに関しても、近所以外で騒ぎになることはなかった。宗一が特に尽力してくれたのだろう。
 父母の死が公表され、葬式を執り行ってから数日は不憫に思ったのか、様々な人から声をかけられた。
 けれども、特に動揺してしまったり、黙り込んでしまうこともなかった。ひとつひとつ、きちんと丁寧に相手をした。
 いつの間にかそれだけの力が備わっていたものかと自分自身驚きもしていたが、きっとそれは、もうひとりではないと自覚しているからなのだろう。
 沖木島は沈んでしまったため、父母の遺骨も海の中へと消えてしまった。棺の中は空で、そこだけ寂しさを覚えたものだったが、
 ここにいなくても、今のお前ならきっと大丈夫だ、と太鼓判を押してくれた父母の存在を感じ取ることができた。
 だから、最後の別れ。見送るときに、渚は笑うことができていた。
 そうして元の生活……いや、新しい生活が始まった。

 渚は大学を受験し、進学する道を選んでいた。
 あの島での約束。ルーシー・マリア・ミソラを初めとする友達達と交わした、医者になってみせるという約束を果たすためだった。
 進学先は地元の国立大学の医学部だった。無論それまでの渚の学力では望むべくもなかったのだが、心強い味方がいたのでめきめきと学力は上がっていった。
 言うまでもなく、一ノ瀬ことみのことである。全国模試トップクラスの実力は伊達ではなく、教え方も丁寧だったので渚も秋を迎え、
 冬に辿り着くころには十分医学部を狙えるレベルに達していた。
 教師連中からは尋常ではない事態だったと言われている。国公立など望むべくもないというのがそれまでの渚の評価だったらしい。
 なので少しだけ嬉しい気分でもあったが、まだ大学には合格してないので勉強に没頭した。
 幸いにしてことみという面白いパートナーがいたので日常生活がつまらない、ということはなかった。
 何をするにしてもことみと一緒だったので、今では彼女の好きなもの、嫌いなもの、趣味まで把握している。向こうもそれは同様だった。
 この一件について宗一は嫉妬しているらしかった。それがまた可笑しかったので「大学に入ったら好きにしていいですよ」と約束までしてしまっていた。
 変な約束をしてしまったので、受験に失敗することは許されなかったが、不思議と楽な気分だった。
 誰に言われるまでもなく、自分の意志で決めた約束だからなのだろう。絶対に受かる、とまでの自信ではなかったけれど。
 もっとも、宗一は宗一で件の事後処理に奔走していた時期でもあったので会うに会えなかったのだが。
 ちなみにこの時宗一はなぜか呆れるほどハイテンションだった。そんなに忙しかったのだろうか。
 曰く、大統領に貸し作っちまった、らしい。何があったのだろうか。

 そうこうしているうちに受験の日を迎え、渚はことみと一緒に大学を受けた。ことみも同じ大学の医学部だった。
 その日はあまり会話もなく、ただ一緒に行き、一緒に受けたという感じだったが、それだけで緊張はほぐれたものだった。
 受験日は冬の寒さも厳しい、雪の降る日だった。もし一人で受けに行っていたとしたら、ここまで安定した気持ちではいられなかったかもしれない。
 冬の寒さは、ふとした瞬間に寂しさを想起させてしまうものだったから……
 まだまだ強くはなりきれていなかったが、人間はそう簡単に強くなれるものではない。少しずつ成長していけばよかった。
 そして、三月。卒業式を迎え、渚は無事に学校を卒業することができた。
 大学の結果発表がまだ先だったため、手放しで喜べるものではなかったが、その日はことみと一緒に小さくお祝いをしていた。
 本当にささやかに、二人でジュースを買い、杯を交わして、校舎内を二人で見回っていた。
 渚にとって、一年生も二年生も病気がちで、あまりいることのなかった学校だったが、
 いざ卒業してみると長かった、という気分にさせられるのだからおかしなものだった。
 ことみもそれは同様だったらしく、ずっと、ずっと、長い間図書館にいた気がする、と語っていた。

     *     *     *

 時はまた少し過ぎ、今日が大学の合格発表日というわけだ。
 電車に乗って大学まで向かう関係上、いつもより少し朝は早い。
 卒業しているので制服を着る必要性はなかったのだが、なんとなく身につけてしまっていた。
 もっとも外に出るときはコートを着るため、服は殆ど隠れてしまう。あまり関係のない話ではあった。
 自室から居間に降りてくると、フライパンで油が跳ねる音が聞こえた。

「おう、起きたか」

 寝起きだからなのか、フライパンを動かす高槻の目つきは悪い。
 起きたか、と問いかけてやりたいのは渚の方だったが素直に「おはようございます」と応じておくことにした。
 高槻は、現在古河家に住み込んでいる。
 公式上の扱いは渚の後見人であり、親戚という立場だったが、もちろんリサと宗一のお陰である。
 高槻が後見人という立場になったのは彼が行く宛てがなかったこと、渚がそんな高槻を誘ったことが理由だ。
 パン屋をやってくれるのなら、という条件付で。
 三食で寝る場所もある美味い話に高槻が飛びつかないはずはなく、トントン拍子で話は決まっていった。
 パン屋に関しては文句のひとつもあるかと思った渚だったが、すんなりと受け入れてくれた。
 曰く、研究職はもうこりごりだ、とのこと。とにかく別の環境で働きたかったらしい。

「もうすぐメシできるから、待ってろ」

 無愛想に言う高槻は、しかし器用な手つきで目玉焼きを調理してゆく。
 料理のスキルがあったとは思えないが、どこかで勉強しているのだろうか。
 失礼な感想だが、とても料理を好んでやるような人間ではないのに、と渚は思っているのだが。
 聞いてみたりもしたのだが、いつもはぐらかされた。
 言いたくない理由は分からないが、言いたくないのなら追及はしないのが渚だった。
 そうして一年近くになる。今ではそんなに渚と変わらない料理のレベルだったので、少し嫉妬している。
 勉強ばかりしていたのだから仕方がなかったのだが。
 ぼんやりと高槻を眺めていた渚の時間は、唐突に聞こえてきた破裂音によって霧散した。

「ぅえっ!?」

 素っ頓狂な声を上げてしまう。音はパン工房の方から聞こえてきていた。
 一体何事かと現場に向かおうとしたが、その前に高槻が「あーもう!」と怒鳴り声を上げていた。
 ドスドスと怒りの足音を立てながら工房へと向かっている。料理は皿の上に並べられていた。
 いつの間に、と思う一方で、それどころではなさそうな事態だったので渚も工房の方に向かうことにした。

     *     *     *

 工房についた渚は、唖然としていた。
 何が起こったのか全く分からないほど、工房は白い煙に包まれていた。
 小麦粉の味だった。

「申し訳ありません、申し訳ありません高槻さんっ!」
「だーかーら! 変なパン作るのやめろって言ったろ! お前は何度珍発明すりゃ気が済むんだ!」
「で、ですが、わたしはちゃんと手順どおりに……」
「どこをどうしたら爆発パンが出来上がるんだよ!?」

 言い争っている……というか、粉まみれで漫才を繰り広げているのは高槻とほしのゆめみである。
 ゆめみは高槻に付き従ってここで暮らすようになったロボットだ。
 当初は機体が半壊していたので、ここに住むようになったのは秋からだった。
 修理している間にメイドロボとしてカスタマイズされたらしく、
 デザインはそのまま、内部系は殆ど来栖川メイドロボシリーズのものになっている。
 技術は最新型のものであり、動力は水素電池を使用することでかなりの時間稼動できるタイプで手間もかからなかった。
 流石に電脳系までには手は加えられていなかったようで、ほぼ元のゆめみの人格のまま戻ってきたということなのだが……

「あの、これは……」
「……いつものことだよ」
「あ、渚さん……済みません、わたしの不手際で」
「こいつ、毎日毎日珍発明しやがるんだ。しかもそれが店先に並ぶんだ」
「ですが、この間のおせんべいパンは発想の勝利かと……」
「敗北だよ、バカ!」
「ええと、もしかして毎日これを……?」
「……ああ。その、なんだ。家主のお前にバレたらアレな気がしてな」
「いやそれは別にいいんですけど……」

 これをよく隠し通せたものだ、と思う。
 何せ今の今まで全く気付かなかったのだから。
 この隠蔽能力の高さは宗一にも負けないような気がする、と渚は場違いな感心をしていた。

「どおりで高槻さん、パン毎日配ってたんですね」
「……殆ど廃棄処分みたいなもんだけどな」
「分かります」
「あ、渚さん! これはどうでしょう、これは発想の勝利だと思うんです!」

 いきなり、ずいとパンが差し出された。七色に光っている。

「あなたに、レインボーです」

 にっこりとゆめみが笑っていた。
 眩暈がした。
 なるほど、隠したくなるわけだった。
 ぽかっ、と高槻がゆめみの頭を叩いていた。

「一日に二度も珍発明してんじゃねえ! 古河を病院送りにするつもりか!」
「で、ですがちゃんと人間に必要な栄養素を盛り込んだ画期的なパンだと」

 感情表現が豊かになったゆめみは涙目で言い訳している。
 ある意味では元の面影は微塵もなく、機械でしかなかったゆめみは随分と人間らしくなったものだったが、
 機械の基準で物事を見すぎている、という点では昔と何も変わりがなかった。

「味は」
「大丈夫だと」
「おい、ポテト」
「ぴこぴこ?」

 どこからともなく、毛玉状の生物……ポテトが現れた。
 第三の居候である。高槻が呼べばどこからでも出てくる、不思議な生き物だった。
 普段は庭で寝ているか、どこかを練り歩いているのに。

「食べてみろ」

 七色パンが差し出される。露骨に表情が嫌そうな感じになった。

「見ろ。どんな悪食でも嫌がるこの威力」
「い、威力……」
「っていうか、兵器だな。最新式の」
「へ、兵器……」
「珍発明っつーか、兵器開発だなこれは」

 なおも言葉を続ける高槻は、ゆめみが悲しみを背負った表情になっているのに気付かなかった。
 あ。と渚は思った。この流れはまずい、と体が知っていた。
 止めようとした瞬間、ゆめみが七色パンと爆発パンを抱えて走り出した。

「わたしのパンはっ、最新式の兵器だったんですねーっ!」

 ぼんぼんぼんぼんっ!
 続けざまに、外で爆発が起こっていた。
 風に乗って店先に流れてくる小麦粉の靄。

「……」
「……」
「行ってくる」
「なるべく早くにお願いします……」

 高槻は小走りにゆめみを追いかけていった。
 一人残された渚は、溜息ともつかない声を発していた。
 こんなこと、全く教えてもいなかったはずなのに。
 変なパンを作っては、涙目で駆けてゆく母の姿も、それを追う父の姿も。
 思い出の繰り返し、だとは思わなかった。
 偶然に偶然が重なって、こんなことになっているだけだと分かっている。

「わたしの家って、そういうところなんですね……」

 色々な意味でおかしくなってしまうのが、この家なのだろう。

     *     *     *

 結局食事は一人だった。
 どこまで追いかけていったのか、高槻とゆめみは戻ってくる気配はなかった。
 あまり時間もなかったので待つわけにもいかず、すみません、と一言断ってから、渚はコートを着込み、出かけることにした。
 鍵をかけたのを確認して、ポテトに出立の挨拶をしておく。
 朝の騒動などどこ知る風、というように、のんびりと庭でくつろいでいる。
 行ってきます、と言うと、ぴこぴこと尻尾を振ってくれた。

 春とはいえ、まだ空気は冷たい。歩き出したうちは吐き出す空気は白かった。
 ことみとは駅で待ち合わせをしている。腕時計を見ると、時間には十分間に合いそうだった。
 なんだかんだできっちり用意してくれていた高槻に感謝しつつ道を歩く。
 そういえば、一年間ずっと健康だったのは久しぶりではないだろうか。
 いつからかは覚えていないが、渚はよく体調を崩すようになった。
 特に顕著なのは冬で、ひどいときは春になるまで寝込んでいるようなこともあった。
 一年留年したこともある。だから逆に、健康でいられることが不思議だなとさえ思った。
 理由は分からないが、そういうこともあるのだろうと渚は思うことにした。
 今まで病気がちだったのが突然治ることもある。きっと、これから先は普通に暮らしてゆけるのだろうという感覚があった。
 ようやく同じ時間を歩み始めた自覚を持ちながら、渚は駅まで歩いた。
 ことみの姿がすぐに見つかる。手を振ると、ことみも小さく手を振りかえしてきた。
 島から戻って以降、いの一番に好奇の視線に晒されたのはことみだった。
 それもそうだった。片目を失ったことみは常時眼帯をつけていなければならず、遠目から見ても目立つ姿だったからだ。
 無論理由は事故ということにしておいたので、話題はすぐに消えた。
 人の噂も七十五日、というが、一ヶ月も経たずにことみは元の少し不思議系少女という扱いに戻った。

「待たせちゃいましたか?」
「ううん。そんなに。時間にすると五分くらい」
「微妙ですね、それ……」
「まあそれはともかくれっつごー」

 間延びした声で言うことみは、あまり緊張していなさそうだった。
 ことみほどの学力ならば緊張する必要もないのだろうが。
 そこまで考えたとき、渚はふとあることに気付いた。

「ことみちゃん、制服なんですか?」

 コートに隠れて分かりづらかったが、ちらりと見えた部分に制服と思しき布が見えていた。

「うん。なんとなく。……渚ちゃんも?」
「ええ、はい……なんとなく」

 二人して笑う。
 まだ高校生の気分なのかもしれなかった。

     *     *     *

 結果から言えば、二人とも合格だった。
 ことみは言うまでもなく。渚も探していた番号があっさりと見つかったのだった。
 あまり緊張していなかったからかもしれないが、ものの数分で終わってしまったので拍子抜けする気分が含まれていたのは確かだった。

「終わったの」
「終わっちゃいましたね」
「……移動時間の方が長かったの」
「そういうものかと……」
「まあ、とにかく」

 ことみは一言前置きして、ぐっと拳を突き出してきた。
 渚もそれに合わせ、拳と拳を合わせた。

「合格、おめでとう」
「そちらこそ、おめでとうございます」

 拳を開き、今度は握手。
 最後に抱擁。いつからか、互いに成果を残したときはこうするようになった。
 なにやらアメリカっぽくて渚は好きだったし、ことみも友情っぽいとのことで気に入っていたようだった。
 理由が奇妙過ぎるのがおかしなところだったけれども。

「チミらは相変わらず愉快だね」
「あ」
「麻亜子さん」

 ダッフルコートに身を包むようにして現れたのは朝霧麻亜子だった。
 ピンク色を基調とした女の子らしく、それでいて目立つカラーのコートは珍しく、彼女らしかった。
 彼女とも会うのは久々だったが、そんなに変わってないなという感想を抱いていた。

「少年漫画かよっ」

 先程の仕草を再現し、にひひと笑う。
 改めて再現されると、変だ、と感じたものの、何かあるたび人目をはばからずやっていたので恥ずかしいと思うことはなかった。
 あまり反応を示さなかった自分達に「……訓練されとるのぅ」と奇妙に感心された。変人コンビ扱いされてしまった。

「麻亜子ちゃん、お仕事は?」
「んー、今日は休み。っていうか、休ませてもらった。本当だぞ?」

 麻亜子は現在、声優業をしているらしい。
 主にゲームの声を当てているとのことだった。
 どんな声なのか聞いてみたくもあったが、「エロゲーだがいいのかね」と言っていたので早々にお断りすることにしたのだった。
 なんというか、友人の喘ぎ声を聞くのは悲し過ぎるからだった。もっとも、本人は楽しんでいるから良さそうだったが。
 今現在の麻亜子の野望は深夜枠へのアニメ進出だー、とのこと。あのキャラならすぐにでも達成しそうだったが。

「わたし達がここにいるのは……」
「あいつから聞いたー。こっちのが面白そうだったから来てみたのさ」

 あいつ、というのは高槻のことだろう。
 最近は何かと会っているらしい。主に愚痴を聞かせるためだとか。
 高槻からしたらたまったものではないらしいのだが、まんざらでもなさそうな表情だった。
 友達感覚で付き合って飲める、数少ない人間だからなのだろう。
 渚と高槻もここ一年の同居生活でそれなりに距離を縮めてはいたが、関係は大人と子供、というものだ。
 少なくとも麻亜子のような友人関係でないことは確かだった。

「麻亜子ちゃんも物好きなの」
「なぜに。我が朋友達がぴちぴちの女子大生になろうという記念すべき瞬間に立ち会わぬわけにはいくまいて」
「親父くさい……」
「ふがっ! もー素直に喜べよっこのこの」
「うー」

 ぎゅーぎゅーと頬を引っ張る麻亜子。助けて渚ちゃん、という視線が即座に向いてきたが、首を振った。
 大抵こういう場合の麻亜子は止められない。

「お、そういや大学入ったあとはどうすんの? こっから通学? 一人暮らし?」
「ひゃっ!? 麻亜子ちゃん胸、胸!」

 今度はセクハラを始めていた。一方で普通に今後を聞いてくるあたり、麻亜子のポテンシャルは底知れないと常々思う。

「わたしは自宅からですけど……後、そろそろやめてあげてください。警察呼ばれますよ」
「……渚ちんが言うと洒落にならんよ」

 パッとことみから手を離した。
 そろそろことみが涙目になってきていたので、冗談で止めたつもりだったのが、本気にされてしまった。
 どうも冗談の言い方というものの機微が分からない。

「……私も家があるし」
「ありゃ残念。もし出てくるんだったらいいとこ紹介してあげたのに」
「まあ、そんなに遠くもないですし」
「気持ちだけ受け取っとくの」
「泊まりたかったらいつでも言いなよ。あたしんち、こっから近いからさ」

 へえ、とことみと二人して驚く。街中に出て行ったとは知ってはいたが、この近辺だったとは。
 ……もしかすると、こっちに来たのもそれが理由だったりするのだろうか。
 聞く必要はなかった。手に取るように分かったからだった。

「狭いけどね。雑魚寝になるのは勘弁してくれろ」
「いやいや、必要になったら遠慮なく利用させてもらうの」
「おー来い来いいつでも来いっ! できればその日の夕食と次の日の朝ごはんとついでにお風呂の掃除もやってくれると嬉しいなっ」
「やめよっか」
「そうですね」
「おい。おい。あたし泣くぞ」
「お客にそんなことさせるのはどうかと思うの」
「うぅー……だってだって、もうコンビニ飯は飽きたのだ……」

 麻亜子から、哀愁が滲み出ていた。
 手作りの味に飢えているのだろう。
 気持ちは分からなくもないので、「じゃあご飯だけなら……」とつい妥協してしまった。

「やたー! いいやっほー! 渚ちんとことみちんの手作りだー!」

 うひょー、あひょーと周囲の受験生を差し置いてうさぎのように飛び跳ねる麻亜子。
 何というか、不憫だった。それなりに美味しいものを作ってあげよう、とことみと頷きあったのだった。

     *     *     *

「うっす」
「こんにちは」

 パン屋の軒先を潜り、入ってきたのは国崎往人と川澄舞だった。
 ちょうど店番をしていたのは高槻で、読んでいた新聞を下げて二人の姿を目に入れた高槻は目を丸くする。
 一年近く見なかっただけで、そこそこ容姿が変わっていた。特に舞は。
 顔つきこそ大きくは変わってはいないものの、髪をまとめていた大きなリボンはなくなり、長い紐で結わえるようになっていた。
 他にも髪留めのピンがアクセントのように据えられており、お洒落に気を使い始めているのが分かる。
 服はロングスカートにカーディガンという落ち着いた女性のスタイルというのも、自己主張し過ぎていなくて良い。
 一方の往人もぼさぼさ髪は直っており、ある程度真っ直ぐに伸びて綺麗になっている。
 もっとも、顔の半分近くを覆うような前髪の長さは相変わらずなのだが。
 服は相変わらずの、長袖にジーンズ。多分中身は良くなってはいるのだろう。見た目が変わりないだけで。

「おう、荷物は居間に置いとけ。向こうから行けるぞ」
「様になってるじゃないか」
「ま、住み込みで働かせてもらってるからな」
「お前だけか」
「ゆめみが戻ってこねえんだよ……古河はもうそろそろ戻ってくるだろ。メールあったし」
「ゆめみさん、どうしたの?」
「あー……パンがショックだった」

 とても説明する気にはなれず、かいつまんで言ってみたのだが自分でも意味不明だった。
 当然、二人が理解できるはずもなかった。首をかしげつつ、しかしそれより荷物を置くことを優先したのかカウンターの奥から居間へと入っていった。
 結局ゆめみは見つからず、高槻は捜索を諦めて戻ってきた。真面目にも程があるゆめみのことだ、すぐに戻ってくると打算を働かせたからだった。
 やがて二人が戻ってくる。長旅で疲れているだろうに、それよりも渚との再会を待ちかねているのが分かる。
 あいつやっぱ人気者だな、と今更のような感慨を結びつつ、「座れよ」と椅子を二つ用意する。
 こちらも生活している関係上、店はもう少し開いておく必要があった。客と世間話しながら、というのもどうなのかと思わないではなかったが、
 元々ここの営業は適当にも程があったらしく、客は皆笑って見過ごしてくれていた。渚の両親はよほど破天荒な夫婦だったようだ。
 店主が変わっても、変わらずに来てくれている客も客だったが。やさしい町だ、というのが高槻の感想だった。多少むず痒いが、居心地は悪くない。
 昔の自分からすれば丸くなったものだと思う。あの島で、徹底的に我が身を見つめ直した結果なのかもしれない。
 虫唾が走るほど自分が嫌いになった結果、反面教師として直したら愉快系のおっさんに変身した。らしい。

「で、そっちは今何してんだ? 俺は見ての通りパン屋だが」
「電気屋だよ」
「電気屋ぁ?」

 素っ頓狂な声を上げてしまう。
 あの国崎往人が? どうにも想像がつかず、いぶかしむ目で見ていると、舞が「気持ちは分かる」と捕捉してくれた。

「手先が器用だから、って、採用された。正直私も似合わないと思う」
「お前まだそれ言うか」
「今の往人、営業用スマイルまで身につけてる」
「マジかよ……」
「ほら、やって往人」
「やだ」

 駄々をこねる子供のように、往人は顔を背けた。
 しかし舞も舞で、往人の腕をぎゅっと掴んで放さない。
 傍から見れば年頃のカップルだが、その実態はイジメである。

「散々笑ったろ……」
「もう笑わない」
「……」
「ダメ……?」

 必殺の上目遣いだった。ガックリと往人が肩を落とす。その顔は強張っていた。
 こりゃ面白い見世物になりそうだと思いながら、高槻はその様を眺めていた。
 こうなっては女は強い。観念した往人は「一度しかやらないぞ」と不貞腐れたように言ってから椅子を立ち上がる。

「おっと待て」

 一度高槻は引止め、レジのカウンター下にあったあるものを投げて寄越す。
 古河パンのエプロンだった。蛙の刺繍がついている、ファンシーな代物である。
 受け取った往人が恨みがましい目で見てくる。

「覚えとけよ……」
「いいからさっさとやれよ国崎」
「ちっ……」

 渋々といった様子で、エプロンを身につける。
 目元まで隠れるような前髪の隙間から覗くのは猛禽類のような鋭い目。
 その下に鎮座するはファンシーなケロケロマスコット。
 致命的に似合わない。これだけでも笑いものなのだが、まだ笑うわけにはいかない。
 口元をかみ締めながら往人の『営業スマイル』を待った。
 もう諦めるしかない往人は、ひとつ溜息をつくと、

「いらっしゃいませぇ〜っ♪」

 と、普段の低い声からは信じられない溌剌とした爽やかな挨拶と笑顔を繰り出していた。

「わははははははははははははははははははははは!」
「ちくちょう! 分かってたよ、分かってたんだよ畜生!」
「……っ、く、くくっ」
「おい舞、笑わないって約束は」
「忘れた」
「しれっと言うなこの!」
「『いらっしゃいませぇ〜っ♪』だってよ! やべえわこれ」

 ついに耐えられなくなり、床をごろごろと転がり始める。
 作ったような笑顔ながら、完璧過ぎる笑顔が、キラキラと昼間の海辺のように輝く笑顔が最高にツボだったのだ。
 強面ながら、素はなかなかの二枚目であるだけに尚更それが引き立つ。

「い、いかん、腹痛い」
「くそっ! もうやらないからな!」
「あ、渚たちが帰ってきたらもう一回」
「鬼かお前は」

 この上無茶振りを繰り返す舞。
 爆笑の渦に飲み込まれることだけは間違いないだろう。
 ようやく収まりのついてきた高槻はひいひい言いながら椅子に座り直した。
 人生で最高に笑った日かもしれなかった。国崎最高である。

「そうかそうか、お前らも生活は順調なんだな」
「……まあ、一応な」
「私もバイトしてるから、まあそれなりに」
「川澄はバイトか。で、何を?」
「ピザの宅配員。ご注文の品をお届けに上がりました♪」

 営業スマイルその2である。往人と違い、普通に可愛い。
 普段の物静かな彼女からは考えられない。
 働くって凄いことなんだな、と人事のように思いながら、高槻はうんうんと頷いていた。

「そういうお前こそ、営業スマイル出来るのかよ」
「あ? 俺? ……いらっしゃい。こんな感じ」
「魂が篭ってねえっ! 俺がどれだけ仕込まれたと思ってんだ!」
「知らねえよ! これでも客は来るんだよ! っていうかそういう役割はゆめみの役割なの!」
「わたしがどうかしましたか?」

 帰ってきたゆめみが、朝のことなど綺麗さっぱりと忘れた表情で往人と高槻を見ていた。
 格好はそのまま、違うのは手に大量のパンを持っていないことだった。
 いつ、どうやって処分したのかは聞かないことにした。穏便に済んだと無理矢理信じることにする。

「久しぶり」
「川澄さんですね。お久しぶりです」
「営業担当か……」
「国崎さんも、お変わりなく」

 にっこりと笑顔で応じているゆめみに、営業担当には疑う余地はないと感じたらしい。
 ロボットであることを感じさせない、朗らかでほわほわした笑顔は近所でも可愛らしいとの評判である。
 もっとも、このジェスチャー自体はあの島の時点で身につけていたものなのだが。

「調理担当は俺なんだよ。こいつ、メイドロボの癖に珍発明ばかりしやがる」
「ちゃんとマニュアル通りに行っているのですが……」
「うるさい。いっぱしの口利くのは食パン焼けるようになってからにしろ」
「はい……」
「いいじゃないか、役割分担できて」
「確かに、まあそうなんだよ。こいつ喋るのは得意だからな。セールス上手いんだ」

 ちょっとやってみろ、と視線で促すと、ゆめみは居住まいを正し、どこまでも透き通るような、よく広がる声を響かせた。

「手作りのパンはいかがでしょう?
 どんなときでも焼きたてほかほか、優しい味が皆様をお待ちしております。
 手作りのパンは、いかがでしょう?
 お惣菜パンから菓子パンまで、どんなものでも揃ってございます。
 一度、手にとってみてはいかがでしょうか。
 古河パンの、手作りパンはいかがでしょう?」

 往人も舞も、言葉も無いようだった。たおやかな挙動を交えながら、歌うようなゆめみの声には、人を引き寄せる何かがあった。
 無言のまま、二人が拍手をする。惚れ惚れとしてさえいる。
 ゆめみがいなければ、古河パンの売り上げは元通りとはいかなかっただろう。
 必死で勉強して焼き方を身につけたとはいえ、古河夫妻にはまだ到底及ばないだろうから……

「そういえば、ゆめみさんってコンパニオンロボットだったっけ」
「はい。今はメイドロボにカスタマイズされていますが」
「客商売じゃ敵わない、か」

 ふと店の外を見ると、ゆめみの声を聞きつけたらしい客がちらほらと集まっていた。
 往人も舞も気付き、席を立つ。

「悪いな、話し込んじまった」
「別にいいんだが……ま、商売しますかね」
「頑張って」

 居間に退散する二人に向かって、おう、と軽く応じてから、高槻は仕事をする人間の顔へと表情を変えていた。

     *     *     *

「でさでさ、他のはいつ来るって?」
「国崎さんと舞さんがお昼前には着くって言ってました。リサさんは夕方くらいに。宗一さんは……まだ分からないです」
「連絡つかないなの?」
「どうも、忙しいみたいで」
「かーっ、っとにダメ男だなあいつ。のこのこ現れたらまーのきっくをお見舞いしてやろうか」
「いや、でも、わたし達がこうしていられるのは宗一さんのお陰ですし……」
「それ言われると何もいえないんだけどさ……んー、でも、彼女が大学に合格したってのに、ねえ」
「わたしもわたしであんまり連絡とってきませんでしたから」

 そうして笑う渚に、これ以上言う意味を見出せず、麻亜子もことみも黙り込むしかなかった。
 今日は、皆で集まる日になっている。ここ一年お互いに連絡はしていても会ったことはなかったため、
 現在を知らせ合おう、という名目で古河家に集まることになったのだ。
 実際は友達に会いたいよね、というだけの理由だったが。発案者は麻亜子。実際に計画を立ててスケジュールの調整をしたのは渚とリサだった。
 メールで連絡を取りつつ、全員が集まれる日が、奇しくも大学合格発表の日、ということだったわけだ。
 これで不合格になっていたら洒落になってなかった、と今更のように思いながら、渚達は家路を目指していた。
 現在は昼前だから、もうそろそろ舞と往人は来ている頃合だろう。
 島から脱出して以後、あの二人は同居……いや、同棲生活をしているらしい。
 お互い収入が少ないのでその方がいいのだろう、と頭は分かっていても、それ以上に密な関係で羨ましいと思う。
 羨ましい。その単語を思い浮かべはしたものの、なら自分達はどうしたいのだろうという疑問があった。
 宗一とは男女の仲であるとはいえ、それらしいことを今まで一度もしたことがない。
 それどころかここ一年ロクに会ってさえいなかった。勉強のためだったとはいえ、いざこうして開放されてみると寂しさが募り始める。
 今日は、会えるのだろうか。

「にしても、さ」

 そんな心の機微を感じ取ってくれたのだろう。麻亜子が話題を作ってくれた。

「ふつーに生活してるよね、あたし達」
「うん、あんなことがあったなんて信じられないくらいなの」
「でも現実なんだよね……あたしは、まだ人殺し。時々一人じゃ眠れなくなる」

 それはことみも、そして渚も感じていることだった。
 ふとした物音が気になり、急激に不安になり、眠れなくなる。
 学校で会う級友も、ふとした瞬間に消えてしまうのではないかと思うことさえあった。

「そういうときは、渚ちゃんに電話してたなの」
「ありましたね。夜遅くに、すごくぼーっとした声で」
「渚ちゃんも夜な夜なメールしてきたことあるの」
「すぐに返信してきたのには驚きました」
「なんだ、そっちも同じなんだ。まーも無理矢理友達……まあ言っちゃうと、あいつ呼び出して飲みに行ってたんだけど」

 傷は癒えていない。
 いや、塞がることはないのだろう。
 ふとした瞬間に、あの島で感じた狂気が鎌をもたげ、囁いてくるのだ。
 まだ終わってはいない、と。
 リサや宗一は、そんなことはないらしいが、まだ弱い自分達は忘れることも、克服することも出来ていない。
 これから先、何十年と時間をかけ、自らの人生を語って聞かせられるようになるまで、この恐怖は自分達につきまとうのかもしれない。
 それでも、全員が目を逸らすことはなかった。
 あの島で見たこと、感じたことを己の中で消化し、その上でやりたいことを見出している。
 医者になろうとしている自分達しかり、まーりゃんではなく『朝霧麻亜子』として生き始めた麻亜子しかり。
 自分の中で、確かに生きている人達がいたのだ、と、誰にでもなく言い聞かせ、主張するために。
 だが、一人では苦し過ぎることもある。そういうとき、少しだけ肩を寄せ合い、僅かな時間体重を預けあうのが自分達という人間だった。

「みんな、同じです」

 ちょっと休憩するだけで、忘れたいわけじゃない。
 口にこそ出さなかったが、意図することは伝わったらしく、二人も頷いてくれた。

「あ、そだ。今のうちに一回家に戻っていい?」
「忘れ物ですか?」
「っていうか、まあ、着替え?」

 ああ、と渚は苦笑した。そういえば制服のままだった。
 要するに今夜は皆で飲み明かすため、軽い服装の方が望ましかった。

「え、なに、あんたら制服? なんでさ。卒業はしてんでしょ?」
「なんとなく」
「なんとなくなの」
「……ボケ道未だに衰えず、か」

 感心しているのか呆れているのか、どちらともつかぬ表情で麻亜子が頷いていた。
 ともかく、着替えに行ったほうがいいだろう。
 じゃあ一度ことみの家に、そう言おうとしたところ、コートのポケットにある携帯電話がバイブレーションを始めた。
 高槻からのメールだった。そろそろ仕込みに取り掛かりたいが、材料が足りないらしい。
 駅の近くにいるなら買出しに行って欲しい、とのことだった。
 携帯を閉じた渚は、すみません、と二人に用事を伝える。

「買い物に行かなきゃならなくなりました……」
「あらら。……じゃ、一旦お別れ?」
「ですね。またわたしの家で」
「んじゃ、あたし渚ちんについてくよ。量多いんでしょどうせ」
「まあ、それなりに……お願いできますか?」
「うむ、任せたまへ」

 見た目と違い、麻亜子は結構パワフルだ。
 メールに同封してあった買い物リストはさほど多くはないが、楽になるだろう。
 最近は人に頼るのも頼られるのも慣れたもので、ぎこちなさもなくなってきた。
 ……まだこんなレベルでしかない、というのが悲しいところなのだが。
 周囲からすれば、まだまだ渚は固い人間らしい。主にことみがそう言っていた。

「それじゃ、二人ともまた後で」
「じゃーにー。ふはは、あたしは渚ちんにくっついてたんまりつまみをせがむのだ」

 もしかして、それが狙いだったのだろうか。
 聞くに聞けず、渚は麻亜子のしたたかさにひとつ苦笑する。
 どうせ酒は入るだろうし、その手の知識は麻亜子に任せた方がいいだろう。

「あ、余計なもの買ったら麻亜子さんで持って下さいね」
「うぐ」

 だが、釘を刺しておくのは忘れなかった。
 こういうとこはボケキャラじゃないんだよー、と恨みがましく麻亜子が言っていた。
 とはいえ、多分押し切られてしまうだろうと思っていた。
 なんだかんだで、麻亜子の言葉にも説得力はあるのだ。

「ねえねえ」
「なんだいことみちん」
「……二人とも、お酒買えるの?」

 はた、と気付いた。
 二人とも、まだ二十歳ではなかった。
 特に麻亜子は、見た目的にも。

「頑張れ渚っちん!」
「ええーっ!」

 無茶振りには、まだまだ弱かった。

     *     *     *

 どうなってしまうのかは不安ではあったが、とりあえずことみは着替えを優先することにしたのだった。
 きっと渚がいるから、大事には至らないだろう……と、勝手に納得しながら。
 それよりも、と思考を切り替えて、ことみはどんな服を着てゆくか考え始める。
 家にある服は大概ドレスチックな服装ばかりで、あまり無礼講には向いていない。
 押入れの奥から引っ張り出せば何かあるかもしれない。
 ことみの家は広く、探せば大抵のものは出てくる。それは家を空けがちだったことみの両親の配慮によるもので、
 今でもことみにとっては魔法の宝箱だった。

 春になったとはいえ、まだまだ寒さを残している。なるべく暖かい服装の方がいいだろうとことみは考え、
 セーターかベストのようなものを上に、下は長めのフレアスカートにすることに決めた。
 さて、どこに仕舞ってあったかを思い出そうとして、ことみは家の玄関の前になにかが置かれているのを見つけた。
 スーツケースだろうか。よほど使い込まれたのか、それとも手荒く扱われたのか、外装はボロボロで殆ど金属光沢もなかった。
 ベタベタとあちこちの外国の税関シールも張られており、それは世界中を巡ってきたものだと分かった。
 一体、何だろう。いたずらか、それとも爆弾テロか。縁起でもないと苦笑したが、
 一度殺し合いに連れてこられた経験のあることみとしては不用意に開ける気持ちを持てなかったのだ。
 警察に持っていくべきか、とスーツケースの元に腰を下ろしたところで、ケースに挟まるようにして紙切れが挟まっているのが見つかった。
 外側には綺麗な文字で「一ノ瀬ことみ様へ」と日本語で書かれている。なぜだか、その書体に懐かしさを覚えていた。
 こんな字を、私は知っている。いつの間にか手が伸び、紙を引っ張り出していた。
 差出人は不明だった。ただ、一ノ瀬夫妻の知り合いの者である、という前置きが添えられていた。
 内容も簡素で、届け物であるということのみが書かれていた。

「お父さんと、お母さんから……?」

 半ば信じられない気持ちで、ことみはスーツケースを眺めていた。
 届け物。その中身を、自分は知っている。
 あの日以来届くことはなかったはずの、記憶の底に仕舞っていたはずの思い出が、そこに入っている。
 恐る恐る手を伸ばす。あの島で見つけた、父母の言葉が蘇る。

   ことみへ
   世界は美しい
   悲しみと涙に満ちてさえ
   瞳を開きなさい
   やりたい事をしなさい
   なりたい者になりなさい
   友達を見つけなさい
   焦らずにゆっくりと大人になりなさい

   おみやげもの屋さんで見つけたくまさんです
   たくさんたくさん探したけど、
   この子が一番大きかったの
   時間がなくて、空港からは送れなかったから
   かわいいことみ
   おたんじょうびおめでとう

 片目になってしまったからか、焦点が合わない。
 スーツケースに、指が届かない。
 本当に、本当に、十年という長い時間を経て、プレゼントが、届く。
 カチャ、という音と共に、スーツケースの中身が溢れた。
 そこには、本当に大切に保管され、守られてきたのだろう、とても保存状態のよい、新品同様の、
 たくさんの熊の人形があった。

 やっと、届いた。おめでとう。新しい人生を、頑張りなさい。

 それは和田透の言葉であり、様々に国を巡る中で、次の国に可能性を託した誰かの言葉であり、
 自分に将来を託した霧島聖の言葉であり、そして、父母の言葉だった。

「うん。うん……――ありがとう」

 ひとしずくだけ、ぽとりと。
 持ち上げた熊の瞳に、水滴が落ちた。
 本当に、今度こそ。
 一ノ瀬ことみの空白の十年間は終わり、新しく時間を作り出す人間になるための、命が始まった。

 それを称して。

 人生と、いう。

     *     *     *

 買いすぎてしまったかもしれない、と思ったときには遅かった。
 よくよく考えてみれば、ゆめみを除く七人分の食糧とプラスアルファなのだ。
 いかにパワフルな麻亜子がいるとはいえ、到底運べるようなものではなかった。

「いや、すまんね、まさかこうなるとは……」
「け、計画性、ないですね、わたし達」

 両手に買い物袋をいっぱいに持ち、二人は微速前進を続けていた。
 時間から考えて、ことみは既に着いてしまっている頃合だろう。
 呼び出す気にはなれず、こうして二人で懸命に運んでいるのだが、間抜けそのものだった。

「あーくっそ、こんなんなら車の免許とっとけばよかった」
「わたしも大学に入ったら車の免許取ります……」
「ね、前にもこんなのなかったっけ」
「ありましたね……」

 二人して嘆息する。そういえば、割を食ったのはバイク組だったような気がする。
 麻亜子は割を食わせた側だったのだが、この際そんなことはどうでもよかった。
 とにかく腕がもう限界に近い。
 あまりやりたくはなかったが、迎えを寄越してもらうべきか。
 天秤にかけた挙句、仕方がないと判断して麻亜子を止まらせ、携帯を取り出そうとしたところで、クラクションが聞こえた。
 車のものだった。何だろうと思って二人で振り向いてみると、懐かしい顔がそこにあった。

「やったね渚ちん! 救いの神が来たよっ!」

 リサ=ヴィクセンが車の窓から身を乗り出し、こちらを見ていたのだった。
 この時ばかりは渚も全く同じ感想だった。なんて都合のいいタイミングで、しかも車で現れてくれたのだろう。
 しかも外車である。格好良かった。

「大変そうね。乗ってく?」
「是非に是非に」
「済みません、宜しくお願いします」

 大体どんな状況か既に察しているらしく、後部のドアを開けてくれた。
 助かったと荷物を持っていこうとしたところで、後部座席から誰かが出てきた。
 すらりと長く伸びたストレートの金髪に、ブロンドカラーの瞳。
 トレンチコートを身にまとい、プライベートにお忍びで出かけるが如きいでたちで現れたのは、想像外の人物……いや、ロボットだった。

「……アハトノインだ」

 呆然と麻亜子が呟く。全く予想していなかった登場だけに、驚きが先行していたのだろう。
 自分達の驚きを見越したかのように、リサがにこりと微笑む。

「今のパートナーよ」
「パートナーって……」

 詳しく聞きたい? そんな挑戦的な目を見た瞬間、聴く気は失せた。
 軍事兵器にも等しいアハトノインがどのようにしてここにいるのかは、きっと知らない方がいいのだろう。

「もちろん、危ないこととかはさせてないわ。そうね、私専属のメイドさんってところかしら」
「は? メイド? 家政婦さん的な意味の?」
「そうそう。コートの下にメイド服着込んでるんだけど、見る?」
「見たいっ! はっ」

 つい反射的に言ってしまったらしい麻亜子がちらりと渚を窺ったが、渚はもう何も言う気になれなかった。
 恐らく、ゆめみ同様メイドロボにカスタムされたのだろう。ボディガードとしても極めて優秀な。
 全身を覆い隠すようなトレンチコートを着ているのはそういうことなのだろう。

「私の趣味じゃないわよ」
「え、違うの?」
「まあなんていうか……うん」

 曖昧に口を濁す。聞いてはいけない事柄に触れてしまったらしい。
 きっと再設計した技師か、或いはリサ直属の上司の趣味なのだろう。世界の未来は暗い。

「お持ちいたします」

 渚が憂いている間に、ひょいひょいと荷物を持ち上げたアハトノインが座席へと買い物袋を詰め込んでゆく。
 あの時のパワーも未だに健在なようだ。

「おー、はやいはやい」
「恐縮です」

 恭しく頭を下げる。中身は随分と変わったようである。
 なんだか色々と変わったなあ、と今更のように思っていると「さ、行きましょ」とリサが促していた。
 前の座席には渚が、後ろには麻亜子が座ることになった。窮屈な助手席は嫌いらしい。
 というより、早速というようにアハトノインの頬をぷにぷにつついているところを見ると、
 悪戯したいだけなんじゃないかという思いが過ぎったが、いつものことなので気にしないことにしたのだった。
 右側に助手席があるというのも慣れないな、と思いながらシートベルトをかけると同時、車が走り出す。
 なめらかに動き始める車体。運転に手馴れている。優しく、それでいて優雅に乗りこなすリサは車好きらしいということがすぐに分かった。
 ハンドルを握りながらリサが話し始める。

「いきなり事務的なことで悪いけど、まあ一応報告ね」

 まず始まったのは、件の事件についての事後処理報告をかいつまんだ説明だった。
 もう殆ど、自分達は事件前と同等の暮らしができるようになったこと。将来の進路についてもほぼ滞りはないこと。
 リサ達エージェント組の仕事も、ほぼ終わりを迎えているということ。
 ここ一年は情報処理のデスクワークが中心で、そろそろ実戦に出たいなどと物騒な一言を付け加えて、話は終わった。

「大変だったんですね……」
「そっちも受験だったっていうじゃない?」
「ええ、はい」
「渚ちん医学部なんだぞ。お医者さんの卵なんだぞー」
「医者ねえ……どこに行きたいの?」
「内科……小児内科が今のところの希望です」

 貴女らしいわ、とリサは言ってくれた。
 内科を選んだのは、自身病弱である経験があるためだった。
 病気で一人寝込んでいるのは、寂しい。だから少しでも早く治せる手助けができればという思いがあった。
 実際なれるかどうかは分からないし、別のところに回されるかもしれない。実働できる医者はどこも不足している。

「いやでもナース姿の渚ちんでも良かったのになぁ」
「タイトスカートに白衣もいいんじゃない?」
「あ、お主やりますな。黒ストならなおよし」
「勝手にわたしを変な女医にしないでください……」

 冗談冗談、と返す二人だったが、どうにも冗談には思えなかった。
 アハトノインはにこにことしている。まるでゆめみのようだった。

「そーいやさ、宗一っつぁんは?」
「さあ……一緒に仕事してたわけじゃないのよね。あっちもそろそろ終わってるはずなんだけど」

 連絡着てないの? というリサの質問に、渚は黙って首を振った。ちっ、と露骨に舌打ちする音が聞こえた。

「あの女泣かせ、今度しばいてやろうかしら」
「お、気が合うね。今度二人でダブルキックかましてみない?」
「あのわたし、その宗一さんの彼女なんですけど……」

 冗談冗談、と口を揃える二人だったが、全然冗談ではなさそうだった。
 アハトノインはにこにことしている。話についていけてないのか、それとも笑顔の裏で何かを考えていたのかは、不明である。

「渚ちんは遠慮しすぎなんだよー」
「そうね。一度笑顔で卍固めでもしてみたらいいと思うわ」
「そんな乱暴なことできませんっ」
「まあ真面目な話、今度会ったら思いっきり我が侭言ってみなさい。それくらいの権利、あるわよ」

 曖昧に頷いておいたが、権利、と言われてもそんな気にはなれない。
 遠慮癖はまだまだ自分の中に残っているのだ。どんな風に甘えてみたり、我が侭を言ってみたらいいのかも分からない。
 人と距離を置くようにして生きてきた自分のツケであり、無闇矢鱈と振り回すつもりにはなれなかった。
 ことみとは違い、宗一は異性だった。その上立場も違うのだから。

「むう。どうも渚ちんは奥手じゃのう……ここはひとつ酒の力をだな……」
「わたし未成年ですっ。……あ」

 麻亜子が口にした言葉で、渚はあることを思い出していた。
 慌てて携帯を取り出し、メールの文面をチェックする。

「……みりん買い忘れてました」
「え、うそ、だっけ」

 がさごそと麻亜子が買い物袋を確かめているが、見つからないようだ。
 あちゃー、という声も決定的だった。

「すみません、うっかりしてて……」
「やー、あたしもすっかり……」
「どうするの?」

 リサが車のスピードを落とす。当然買いに戻る必要があったが、たかがみりん一本のために戻る手間を犯したくはない。

「わたしが買いに戻りますから、先に家に行っててくれませんか」
「別に車くらい回せるわよ」
「いえ、すぐ戻りますから……」

 渚は既にシートベルトを外し、ドアに手をかけていた。
 こうなってはどうしようもないと思ったのか、リサはひとつ溜息をついて「じゃ、そうするわ」と納得してくれたようだった。
 麻亜子が「待ってよ、あたしが行こうか」と口を開いたものの、その必要はないと首を振った。メモの内容を忘れていたのは自分だ。
 不始末くらい自分で何とかさせてください、と伝えると、麻亜子も黙り込むしかなくなったようだ。

「変なとこで頑固なんだからもう」
「……性分なんです」

 苦笑気味に、そう言うしかなかった。
 変なところで遠慮しては、変なところで頑固になってしまうのが自分という人間だった。
 まだまだ不出来で、不完全でしかない。

「早く帰ってきなよ。家主、渚ちんなんだからさ」

 そういう自分であることを受け入れてくれる、友達の存在が、ありがたかった。

 ……でも、本当は。

 考える前に、渚は車のドアを開けて歩き出していった。

     *     *     *

 今年の日本の春は寒いらしい。
 まだ長袖にコートを着用していなければ肌寒さを感じる。
 念を入れて防寒具を持ってきておいて良かった、とホッとしながら、那須宗一は坂に連なる、桜の木の群れを眺めていた。
 気温としてはまだ決して暖かいとはいえないはずなのに、元気いっぱいに開花し、ひらひらとした薄桃色をはためかせている。
 その一方で早くも散り始めており、桜並木の下は、そこだけ薄桃色の雪が降りしきる空間だった。
 やはり日本の桜は見ていて落ち着く。別に特別な理由があるわけではないが、どうしても宗一が見ておきたかったものだった。
 今年一年は件の事後処理に追われる毎日で、こんな雅を楽しむ余裕などはなかった。
 特に宗一は篁財閥の解体処理とも言うべき仕事に従事しており、経済的な混乱を起こさないようにする調整は恐ろしく手間がかかった。
 死んでも面倒を起こしてくれる。ぶつくさ言いながら世界中を飛び回っていたあの日も、もう遠い昔のように感じる。
 日本に帰る暇はなく、無性に恋しくなっていたのであった。

「……そろそろ行くかな」

 ひとしきり眺めてから、宗一は坂を下り始めた。
 仕事自体はほぼ終息に近づいており、残すは最終的な報告くらいだった。
 これからは自由な時間が始まる。ようやく、渚と過ごせるようになる。
 一年も待たせてしまった結果になってしまったのだが。
 渚も大学進学のために学業に没頭していたらしいから、お互いに会えないことに納得はしていた。
 メールで多少連絡を取り合うくらいで、一先ずは自分のことを優先していた。
 しかしいざこうして時間ができ、会うことになってみると、どんな言葉を交わせばいいのか判断に詰まる部分があった。
 桜並木を見に来たのは、多少なりとも心を落ち着かせる意味合いもある。
 それくらい緊張していた。なにせ、女性と付き合うというのは始めての経験だったからだ。
 仕事として付き合うくらいはあったものの、恋愛となると宗一は奥手だった。
 久しぶり。会えなくて悪かった。ありきたりの言葉は出てくるものの、どうにもぎこちなくなってしまいそうだったのだ。
 こんな調子で大丈夫かと嘆息していると、坂の下を一つの影が通り過ぎてゆくのが見えた。
 渚だった。買い物袋を手に、ゆっくりと歩いている。
 遠くからでも分かる。一年前と殆ど変わらない、短い髪をポニーテールにして結い、髪飾りとして銀の十字架をつけているのだから。
 懐かしさと一緒に、愛しさが込み上げる。体が勝手に反応し、走り出してしまっていた。
 頭はまだ何を言えばいいのか分からなかったが、止められるほど宗一は冷めた人間ではなかった。
 とにかく、会えた。会えて嬉しかったのだ。

「渚っ!」
「へ? わっ」

 いきなり飛びつかれたことに反応できずに、渚は口をぱくぱくし、体を硬直させるだけだった。

「え? あの、え、宗一さん?」
「おう、宗一さんだぞ」
「えっと、その、ええと……?」

 目がグルグルと回っている。頭がオーバーヒートしているに違いなかった。
 急に抱きしめたのである。大人しい渚には刺激が強過ぎたのだろう。
 ちょっと驚かせたかと体を離そうとすると、ぶわっ、と渚が泣き出した。
 今度は宗一が固まる番だった。ぽろぽろと声もなく涙を流し続ける渚に、そんなにショックだったのかという思いが巡った。
 軽くパニックに陥り始める。まずいどうしよう泣かせた俺最低?

「あ、いや、俺、その、そんなつもりじゃ……」

 物凄い罪悪感に駆られ、手を離そうとして――逆に抱きしめられた。
 パニックを通り越して、頭が真っ白になった。
 状況を理解できずに固まっていると、「すみません」という小さな声が聞こえた。

「すみません……今は、これしか、言えなくて」
「ああ、その、俺も……ごめんな」

 お互いに謝り合う、ぎこちなさすぎる再会。
 感情を言葉にできず、想いを形にできずに、謝るしかない自分達。
 不器用で、滑稽で、人間として不完全なふたり。
 だから、せめて、行為で示そうと思った。いや、行為で示すしかなかったのかもしれなかった。
 沈黙したまま、体温を確かめ合うだけの時間が続いた。
 時間をかけなければ、再会を祝う言葉すら交し合えない。
 一年という時間を作ってしまったのも、そのためかもしれなかった。

「その、渚」

 やがて。
 やがて、長い時間をかけて。
 やっと、本当の一言目が生まれた。

「俺、仕事も終わったからさ、これから、暇もあるから」
「はい」
「色々、二人でさ、どっかに行こうぜ。たまに。勉強の合間にでも」
「デート……ですよね」
「そうなるな」
「デートって、わたし初めてなんです」
「奇遇だな。実は俺も」
「嘘ばっかり」
「本当だって。本当に、好きな人とのデートは」
「もう……そんなですから……」

 宗一さん、大好きです。
 お互いに、言葉を捜しながら、告げられた言葉はとても甘い。
 それは初めての、手作りのお菓子の味だった。
 往来の真ん中で何してるんだろう。ふっとその感想が浮かんでも、これは手放したくなかった。
 もう、ずっと掴んでいる。

「ということで、二人で色々計画立ててから行こうぜ」
「でも結局、行き当たりばったりになりそうですね」
「それもまたよし」
「なんだかんだで、楽しんじゃうんでしょうね、わたし達」
「アホだよな」
「アホです」

 そして、笑った。
 子供が、子供みたいに、バカみたいに笑っていた。
 この人の前では気取る必要はない。
 俺は、俺でいい。
 なにひとつ背伸びする必要のない子供で良かった。
 そうして、一緒に大人になってゆけばよかった。
 不思議なほどに、まるで初めから約束されていたかのように、
 宗一と渚の感じている時間は同じだった。

「でも、デートのときは早く来て下さいね」

 待ってるより、一瞬でも一緒に居たいですから。
 そう付け加えた渚に頭が上がらない思いだった。
 どうやら、今のところ一歩ほど先を行かれているらしい。
 尻に敷かれないようにしないとな。当面の目標は、それだった。

「悪かった。言い訳はしない」
「じゃ、今日は……ずっとわたしと一緒です。
 色々伝えたいことがあるんです。話したいことがあるんです。
 一年分、ずっと、溜めてきたぶん……これって、我が侭のうちに入りますか?」
「入るよ」

 そう答えてやると、渚は満足そうにえへへと笑った。
 本当は、そんなことはない。これは我が侭のうちになんて入らない。
 けれど、それが渚の精一杯だというのが手に取るように分かったから、お姫様の言うとおりにするのが今の役割だった。

「お付き合いしますよ、姫様」
「そうですか。それでは――」

 冗談めかした言い方を受け取って、渚も冗談めかした言い方で後を引き取った。
 少し体を離して、ふわりと手を広げ、誘うように。

「あなたを、お連れしましょう」

 そこは、きっと。
 願いの叶う場所なのだろう、と宗一は思った。


 どこからか吹かれて飛んできた、ひとひらの花びらが、渚の広げた手のひらに落ちた。
 それは願いと言い、或いは希望と言い、


 希望の先にあるものを、未来、という。





葉鍵ロワイアル3 Route B-10 了




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