エルサレムY [自決]







 ようお前ら久しぶりだな。
 こうして話すのも中々に久しぶりな気がする高槻だぞー。
 最終決戦……というといかにも重々しい響きだが、まあ実際のところはスタコラサッサと逃げ出す脱出行なわけだ。
 というのも、まあ俺らの装備が貧弱すぎることが原因なんだけどな。
 本当はなーなんだっけ、名前は忘れたがあの憎たらしい野郎に鉛玉をありったけブチこんで正義は勝つ!
 みたいな締め括りにできれば一番なんだろうけどさ、そいつはお預けだ。
 似合うとか、似合わないとか、そういう権利があるとかないとかそういう話じゃなくて、
 ただ単に戦力が足りないってのがなんともまあ情けないところだ。

 けどよ、まあ、そんなもんなんだろう。
 綺麗さっぱりなハッピーエンドなんて誰もが期待しちゃいないし、そんな甘い希望が現実になるだなんて信じてもいない。
 俺が、俺達が信じていることはもうたったの一つしかない。
 生きて帰って、自分たちだけの、自分たちだけが掴むべき未来ってやつを目指す。
 他の誰でもない、自分だけが考えた未来だ。
 地獄から戻れた報酬にしては安すぎる報酬なのかもしれないけどな。
 まあ価値なんて人それぞれだ。
 俺か? 俺の価値は……そうだな、クズくらいの価値はあるかもな。

「随分降りてきましたね」

 ゆめみが階層を表示したパネルを見上げながら言う。
 大型エレベーターを利用して下ってきた、『高天原』の地下30階。
 俺達の目的は武器弾薬の破壊だ。
 要は首輪を一斉に外した混乱を狙って、強力な武器を持ち出される前に何とかしようって寸法だ。
 果たしてリサっぺの目論見通り、今のところの俺達は敵に遭遇してさえいない。
 無人の荒野を駆けるがごとく真っ直ぐに突き進んでこれたってわけだ。
 気味が悪いくらいに順調だが、そのほうがいい。最悪に遭遇するのなんて岸田の野郎だけで十分よ。

「そろそろ……かな? 浩之」
「ああ。それっぽい感じがする」

 壁を見やりながら藤田のあんちゃんが言う。
 明らかに質感を増した、重厚な壁と床。
 地上付近のそれよりも頑丈そうだ。
 軍事要塞の懐に弾薬あり……山勘に近いリサっぺの指示はビンゴだったようだ。
 目的の達成は近いかもしれんな。まずはここを進んでみなければわからんが。

「ぴこぴこ」

 頭の上で定位置を確保しているポテトも何かしら感じるところがあるらしい。
 確かに、だんだんと幅が開けてきている。つまり何か大きな部屋に通じているかもしれないということだ。
 和田って奴の資料の中には『戦車』だとか『核兵器』なんて言葉もあった。
 流石に核兵器に出くわしたらどうにもならんが、戦車程度ならむしろこっち側に取り込むことだった不可能じゃない。
 格納庫に辿り着ければ大当たりだな。

「けど実際、破壊する言うたってどうするん? まだ何も聞いてないんやけど」
「そろそろ聞かせてくれよ、おっさん」
「おっさん言うな」

 折原を思い出すじゃねえか。

「ま、手持ちだけじゃ無理だろうな」
「おい……」
「だからここから拝借するのさ」

 文句の口を開きかけた藤田は、それで合点がいったようだった。
 最新鋭の兵器があるなら、最新鋭の兵器で破壊してしまえばいい。
 毒皿ってやつだな。使えるかどうかは……まあ、気合でなんとかしよう。
 こっちには科学の粋を集めたコンパニオンロボットさんがいるんだ。なあゆめみ。

「……? どうされましたか」

 まぁたまた謙遜なさってゆめみさん。そんな可愛らしく小首を傾げたってできるんでしょ? 俺には分かっておる。

「あの、その、ご期待には応えられないかと……一応、プラネタリウムの解説員としての機能しか……」

 ……だと思ってましたよ。流石にここで「なん……だと……」なんてマジレスは返さないのが今の俺。
 ま、俺が担当するんだろう。一応機械弄りはやってたしな。

「待てよ、そういや妹さんよ、アンタは機械いけないクチか」

 おだんご頭娘の姫百合がこちらを向く。姉がなんかウィルスだかワームだかを作ったってんで、すこーしだけ期待してみた。

「ウチはさんちゃんと違って、そういうのはからっきしや」
「まさか、機械を触っただけで壊す特殊能力の持ち主か」
「ギャルゲーのやりすぎや。そんな器用なことができてたらとっくの昔に首輪壊しとるねん」

 ごもっとも。

「それに、そういうときは大抵さんちゃんはおらんかったしな」

 どこか寂しそうな口調で呟く妹さん。少しはやっておけば良かったと思っているのかもしれない。
 姉貴の足跡が辿れないのが、悔しいんだろう。
 俺には兄弟はいないが、家族を理解したいという気持ちは分からんでもない。
 分かってたつもりでも、分かってなかった。そういうとき、どうしようもなく悔しくなる。
 俺は、郁乃を理解しないままに別れてしまった……

「ぴこ」

 今のところの数少ない理解者のポテトが、俺の肩を叩いてくれる。
 一方の妹さんは藤田に肩を抱かれていた。なんなんだこの差は。
 俺はゆめみさんに救いの目を求めたが、にっこりと笑われるだけだった。
 ああ、なんか空しい。
 犬肌やロボ肌はもういいや。
 できればムチムチプリンの大人の女の感触が欲しい。

「ぴこぴこー」

 そんな妄想に耽っていた俺をポテトが現実に戻そうとしてくれる。
 そうだ、ここは敵地のど真ん中じゃないか。
 いかん、気を抜いていたらまた後悔する羽目になってしまう。
 キリッと凛々しい顔を作って、俺は現実に戻る。

「って、なんじゃこりゃ」

 現実復帰一言目は気の抜けたものになってしまった。
 しかし許していただきたい。このようなものを目にしては呆けた声を出すしかなかったのだ。

「……標本、みてーだな」

 通路を抜けた先の、開けた空間。
 そこには左右の壁にみっしりと、ミツバチかなんだかの巣を想起させる、薄青色のカプセルが群生していたのだ。
 透けたカプセルの向こう側では、ゆめみさんによく似た女の顔が目を閉じたままに控えている。
 まさか、これは全部予備のロボットなのだろうか。
 四方に並べられたそれは、軽く1000体はいると思われる。
 冗談じゃない数だ。もしこいつらが一斉に起動して、襲い掛かってきたら……
 背筋が震える思いを味わいながら、こいつらをどうすべきかと考える。
 破壊してしまうのが一番だが、いかんせん火力が足りない。一部屋まるごと吹き飛ばせるだけの火力が欲しい。

「高槻さん」

 考える俺の横で、カプセルに手を触れていたゆめみさんが告げる。
 なんだ? まさか機能停止装置かなにかがあるとでもいうのか!
 さすがゆめみさん! 俺達ができない発見を即座にやってのける! そこに痺れる憧れるゥ!

「ご期待に添えられず申し訳ありませんが、この子たちは調整中のようです」
「あ?」

 どういうこったと、俺はカプセルを覗き込む。
 カプセルの中にはあられもない姿のロボットがいる。くそっ、あれやあれはないのか。残念だ。

「あの、そちらではなく、こちらを」

 ぐいっ、と首を修正される。こいつだんだん遠慮がなくなってきやがった。

「お? ……ああ、確かに調整中って書いてるみたいだな」
「OSも何も入っていないのかもしれません」
「ただの素体?」
「そのようです」

 なんだ。ってことは今すぐ襲い掛かってくるってことじゃないのか。
 どっちにしろ、起動させられたら厄介なものには違いないが。

「おっさん、どうするんだよこれ」
「だからおっさんはよせ。まあ、心配はない。今のところはな」

 既に武器を構えている藤田はやる気マンマンだ。頼もしいが、もう少し我慢だ。
 本当にか? と確かめる目を寄越してきやがったが、俺が『調整中』を見せると、納得の顔を見せて姫百合のところに戻っていった。
 信用ねえな。ま、前もこんな感じだったから寧ろ気が楽でいいが。
 俺とゆめみも二人の元へ戻りながら、これからの方針を提案する。

「さて、ここから部屋は三つに分かれてるみたいだ」

 正方形の形状になっているこの部屋は、あくまでロボット共を保持しておくためだけの部屋のようだ。
 俺達が入ってきたところも合わせると、出入り口は四つ。
 仮にここをロボ軍団の待機場所とするなら、それぞれの出口には装備品が保管されている可能性は十分ありうる。
 つまり、ここから先こそが本命ということだ。

「どの入り口から当たっていくかってことだが……」

「あ、発見ですっ」

 明後日の方向から聞こえた第三者の声。
 円形になって話し合いに夢中だった俺達は全員が全員「まずい!」と思ったに違いない。
 各々の武器を手にしながら振り向き、臨戦態勢へと移る。

「わーわー待て待ちなよ! あたしらだって!」
「……あ?」

 さあようやくおっ始まったかと思った矢先のことである。
 俺達の動きを止めたのはある意味俺にとっては敵より忌々しい奴の声だった。
 ちっ、と舌打ちしながら武器を下ろす。
 まーりゃんと確か……伊吹、だったか、のチビコンビが台車をガラガラと動かしながら駆け寄ってくる。
 まあ舌打ちなんてKYなことをしていたのは俺くらいのもので、他の連中は揃って嬉しそうな顔をしてやがった。
 気持ちは分からんでもない。敵地で、偶然とはいえ仲間の無事を確認できたんだ。
 というか、俺が嬉しくないのは完全に個人の事情なんだけどな。
 まーりゃんだけは未だに気に食わない。
 何が気に入らないって言われたら、そりゃまあ色々だ。
 もっと何回も殴っておけばよかったと思っている俺がいて、気持ちを整理しきれていない自分に自己嫌悪さえするほどだった。

「よっ、ゆめみんおひさーです」
「無事で良かったです、伊吹さん」

 なんか軽いノリだなこいつら。仲いいのか?
 改めてじろじろ見回してみると、どうやら微妙に怪我をしているみたいだ。
 そういえばこいつらは確か……

「芳野さんと杏はどうしたんだ?」

 ハイタッチしてイエーイし合っている伊吹とゆめみはやり辛いと感じたのか、まーりゃんの方に話を振る藤田。
 そう、あの二人がいなかった。確か一緒にいたはずだった。
 聞かれることは想定していたのか、尋ねられたまーりゃんは少しだけの間を置いてから言った。

「二人とも、死んだよ」

 簡潔に過ぎる一言だった。逆にそれが二人の死の重さを示しているように思う一方、全てが伝わるはずもなかった。
 なんでだよ、と若干語気を荒げて言う藤田に対し、まーりゃんは冷静だった。
 少なくとも、俺には冷静なように見えた。

「あのロボットと交戦して。……細かい内容まで話すと、長くなるから言わない」

 或いは、言いたくないということか。普段の奴とは一線を画す物言いに、藤田も戸惑いの色を見せる。
 俺もそうだった。ふざけた言動しか見てこなかっただけに違和感を覚える。
 だからといって、それまで奴に積み重なってきたものが溶けるものでもなかったが。

「……ちゃんとお別れはしてきたよ。あたしらなりだけど、全力で」

 そんな俺達の居心地の悪さを察したかのように、まーりゃんは笑った。
 力のない笑みでもなければ、無理矢理作った笑みでもない。やることを済ませてきた顔だった。
 ならあいつらも置き去りにされたままじゃないんだなという感想がスッと流れ込んできて、何かしら安心する気持ちが生まれていた。
 そしてそんな感想を抱いたことに、俺自身驚いていた。
 何故だろう。奴が笑ったのを見ただけで、心の中にたち込めた霧のようなものが晴れていったんだ。

 なんだ、それ。気持ち悪い。あいつに納得させられたってのか?

 もう一度眺めたまーりゃんの顔はやはり明るく、
 多少の付き合いがあったはずの芳野や藤林に対する愚痴のようなものはやはり浮かばない。
 あいつらはやるだけやって逝けたんだと何の抵抗もなく思うことができていた。
 少しは人を認めるだけの気持ちも残っていたらしい。
 芳野や藤林も、あのまーりゃんも。
 ただ奴に苛立つ気持ちも一方では残っていて、言い表しようのない複雑な感情に、俺は憎まれ口で返すしかなかった。

「そりゃ良かったな」

 言わなければいいのにと本心では思っていても、クズでしかなかったときの習い性がさせてしまっていた。
 皮肉たっぷりの言葉とも取られかねない言いように藤田も姫百合も揃って顔をしかめる。

「そんな言い方はないだろ、おっさん」
「うるせえ。おっさんじゃない。……別に嫌味でもなんでもねえよ」
「……あんまり、波風立たせるようなこと言わんといてや。何が気にいらへんのかは分からんけど」
「ふん……」

 俺も分からねえよ。
 まーりゃんは何も言わない。
 くそっ、ドヤ顔でもされてたほうがまだ色々整理つけられそうなのに。
 なんとなく、差のようなものを感じた。俺よりも先の、前を歩かれているような感覚だった。

「まあまあ。ここはまーりゃんさんを立ち直らせた風子に免じて」

 そんな俺の気持ちを読んだらしい伊吹があまりよく分からないフォローをしてくれる。
 黙っていても空気が悪くなりかねなかったので乗ることにした。
 せめてそれくらいしないと、格好悪いままだった。

「なんだ、凹んでたのか」
「実はそうでして。全く、年上のおねーさんとして恥ずかしいです」
「おい、同い年だろあたしら」
「えっ」
「えっじゃねー! 渚ちんから聞いてるだろ! 同じ卒業生の年だろー!」
「えっ!?」
「ええっ!?」

 驚いたのは藤田と姫百合である。
 声にこそ出さなかったものの、俺だってビックリ仰天天地鳴動空前絶後だったさ。
 ……こいつら、藤田と姫百合より年上だったのか……
 ああ、畜生、合法ロリはいたんだな……いやそんでも未成年だけど。

「なんで驚くねんチミら」
「いや、だって……てっきり年下だと……なあ瑠璃」
「う、うん……」
「なんでさ」

 まーりゃんの目がこちらを向く。ロクな回答が回ってこないと思ったらしい。
 人、それを無茶振りという。

「肥後さ」
「肥後どこさ」
「熊本さ」
「熊本どこさ」
「せんばさ」
「せんば山には……なんであんたがたどこさになるのさ」

 いいノリだ。
 ……なんでこんなことしてるんだ、俺は。
 嫌い嫌いだとさっきまで思ってたのに。
 そんなに嫌いでもなかったってことなのか、実は。
 アホらしい。

「なんだよ、チビか。チビだから年下に見えたってか、ああん!?」
「ふーっ!」

 何故俺に詰め寄る。

「お、落ち着いてくださいお二人とも! 女性の平均身長から考えますとお二人とも数センチほど低いだけですから!」

 割って入るゆめみさんだが、フォローになってない。

「へーんだ! チビで胸がなくたって年上なのは事実だもんな! なあチビ助!」
「そうですそうです! 風子たちの方が大人です! 後チビ助言わんといてください」

 意味もなく偉そうにしているチビバカ二人。
 藤田と姫百合は納得のいかなさそうな顔をしているが、無理もない。俺も納得いかない。
 先ほどまでギスギスして居心地が悪かったはずの空間が和やかになっているのが気に入らない。
 何より、俺がそれにホッとしているのが気に入らなかった。
 けれども、そう感じるのは素直になれていないだけなのだと、そう思えない自分もまた気に入らなかった。
 結局何もかも気に入らないんじゃないか。
 燻ったままの気持ちを抱えながら、俺は「んなことより」と逸れた話を元に戻すことにした。
 お前が逸らしたんだろうがという話は聞かない。

「その台車にあるの、爆弾だろ?」
「ん、ああ、うん。どーでもよくはないけど、まあそうだね」
「丁度いい。これから必要になりそうだ」

 台車の上にある箱型の爆弾。確か一ノ瀬と芳野が夜なべして作っていたものだ。
 戦闘の余波でも食ったのか、所々汚れが見られるそれは、ある意味では芳野の魂の欠片だった。
 最高の舞台だ。ここで使ってもらえてお前も光栄だろ?

「このハチの卵みたいなの吹っ飛ばすんですか?」
「俺もそう思ってた。ここで使うのか、おっさん」
「まあ待て。下手に使ったら俺らがここから出られなくなる。まずはここを調べるほうが先決だろ」
「そうですね……確か伊吹さん達が向こうから来られましたから」

 実質、調べるべき箇所は二つ。加えて今の人数が六人であることを考慮すれば、かなり余裕がある。

「つまり、二手に別れて調べたらええってことやな」

 察しのいい姫百合が総括してくれた。
 実際どこに爆弾を使うかは、戻ってから決めればいい。
 これまで敵に遭遇してこなかった関係上、それくらいの時間はあった。

「そういうことだ。で――」

「ぷひーーーーーーー!」

 またしても俺の声は遮られた。
 一体なんなんだ今度はと振り向いた瞬間、ぼふっとしたものが顔面に飛び込んできた。

 がつんっ!

 気持ちのいいストレートだった。ぐはっと呻きながら仰向けに倒れる俺。
 固まっている皆の衆の顔を見る一方で獣臭い匂いを嗅ぎながら、またこんな役どころかよと心の中で吐き捨てた。
 絶望のあまり気絶したかったが、そんなギャグをやっている場合ではないし、ここで気を失おうものならポテトの熱いキスが待っている。
 正確には人工呼吸だが。どっちにしろ嫌だ。俺はアニマルマスターじゃない。
 ぬおおおおと気合で意識が遠のいていくのを堪えながら、俺は顔面に張り付いたフットボールみたいな何かをひっぺがす。

「ぷひ〜……」

 むんずと掴んで目の前に持ってきてみれば、それは小型のウリ坊だった。なぜこんなところに畜生が。

「ぴこぴこ、ぴこっ!」

 ポテトが反応していた。なんだ、知り合いかお前ら。世界は狭い。
 いや待て、どこかで見たことがあるような……忘れた。なんだっけ?
 うるうるとつぶらな瞳を潤ませた畜生は息が荒かった。心なしか疲れているようにも見える。
 どこからか走ってきたのか?

「おい見ろおっさん!」

 だからおっさん言うな。
 そう文句を垂れようとした俺の口は、開いたまま塞がらなかった。
 恐らくは、畜生が走ってきた方向から現れたのだろう。
 でなければこの畜生が疲労困憊している説明がつかない。
 なるほどね。逃げてきたのね。やれやれ、とんでもないモン連れて来やがって……!
 俺は武者震いとも慄きとも判断できない震えを感じていた。
 ぞろぞろと部屋に侵入してきやがったのは、あのクソロボットだった。
 それも一体や二体じゃない。大勢だ。

「はっ、愉快だねぇ」

 ぽいっと猪を放り出し、俺はM79を構える。
 ここに来て一気にご登場とは。盛大なお出迎え、痛み入るぜ。

「ちょ、ちょっと! あの数相手に……!」
「るせえ! 先手必勝だ!」

 奴の、アハトノインの実力を多少なりとも知悉しているらしいまーりゃんが性急だと制止をかけたが、
 狭い入り口に密集している今を狙わずしてどうする。
 M79にはあらかじめ火炎弾を装填してあった。
 まずは先制のきつい一発。
 低い弧を描いて飛んでいった火炎弾は未だまごまごしていたアハトノインの集団、ど真ん中に直撃し、盛大な炎を吹き上げた。
 間髪入れず俺は次の火炎弾を装填する。

「ああもう! やれるうちにやるしかないか!」

 一度仕掛けてしまえば、続くしかないと分かっているまーりゃんがイングラムを撃ち込む。
 何度か扱って慣れているのか、まーりゃんの動作は俊敏だった。
 前に出ようとしていたアハトノイン達が撃ち貫かれ、どうと倒れる。
 それに触発され、藤田や姫百合、伊吹がさらに発砲を開始する。
 伊吹と姫百合は拳銃、藤田はマグナムだった。下手な鉄砲数撃てばなんとか当たるの言葉通り、
 ぞろぞろと出てきていたアハトノイン達がばたばたと倒れてゆく。
 ヒューッ、よく当たるもんだ。……いや、避けていないのか?
 倒れたアハトノインはぴくりとも動く気配がなかった。おかしい、あの当たりようといい、
 復活しないことといい、あまりにもあっけなさすぎやしないか?
 俺が前に戦ったときは、あんなもんじゃなかったんだが。

「ねえ、やけに簡単に当たってくれてるように見えるんだけど」
「お前もそう思うか」

 同じ疑問を抱いたらしいまーりゃんに言葉を返しつつ、次の火炎弾を発射してみたが、
 ろくすっぽ回避する様子もなく密集部に着弾して炎の花が咲く。
 爆風で吹き飛ばされたアハトノイン達は脆いもので、腕が足が千切れ飛ぶのは当たり前で、中には胴体から吹き飛ぶ奴もいた。
 耐久力がなさすぎる。
 避けもしないことから、ひょっとしてこれは数だけなのではないのかという想像が浮かぶ。
 手ごたえのなさは交戦したことのない藤田や姫百合も感じ取っているのか、発砲していいのかと確認するようにこちらを向いた。
 まだアハトノインはやってくる。各々接近戦用の武器を構えているのは見えていたが、のろのろと前進してくるだけだ。
 まるで的にしてくれと言ってやがる。
 無駄に弾を消費していい相手じゃないと判断し、俺は接近戦に切り替えた。
 突進していく俺に続いてゆめみも横に並ぶ。

「いいのか」
「……人間でなければ。それ以前に、わたしの役目は、皆さんをお守りすることです」

 はっきりと言ったゆめみの横顔に迷いはない。はっ、ロボットだから当然か。
 前に出た瞬間、アハトノイン達が揃って武器を振り上げたが、遅い!
 胴体に数発ガバメントを撃ちこんでやると、眼前の一体はあっけなく動きを止めた。
 その手から刀を奪い取り、横に振り回す。
 すぐ横にいたもう一体の両手が吹き飛び、呆然となくなった腕を見回していた。
 トドメの一突きを刺す一方で、ゆめみが次々と忍者刀でアハトノインの顔面を刺す。
 いける。接近しても楽勝だ。
 来いと後続に顎で指示すると、ボウガンで援護に回ることにしたらしい伊吹を除いて三人が駆けてくる。

「奴らの刀拾って使えっ! 相当ノロマだ!」

 言われるまでもないとばかりに、三人は既に倒れたアハトノインから武器を拾っている。
 お? ……銃も持ってたのか。ちっ、そっちにすりゃ良かったか。
 ちゃっかり目ざとく拾っていたのはやはりまーりゃんだ。抜け目のない奴め。
 通路の奥からはまだまだかなりの数が控えていたが、それでも十数体程度だ。

 狭い入り口からしか攻めてこれない連中を相手するのは簡単なことだった。
 ひたすら前進して、射程内に入れば武器を掲げるアハトノインは、さっと横に退いて回避するか、
 その前に攻撃を打ち込めばあっけなく倒れる。
 ゆらりと迂闊な一歩を踏み出したアハトノインの首を一薙ぎして落としてやる。
 戦いというにも及ばない、それは一方的な狩りだった。
 藤田と姫百合は慎重になっているのか二人一組で向かい、一人目に気を取られているところにもう一方が攻撃を加える手法で戦っていた。
 学習能力の欠片もないらしいアハトノインは単純なフェイントにも引っかかり、
 あっという間に胴体を突かれ、腕を切られ、破片や赤い液体を撒き散らしながら倒れてゆく。
 まーりゃんや伊吹は遠距離攻撃に徹し、正確に銃弾やボウガンを撃ちこんでいる。
 特にまーりゃんは一度交戦している経験からなのか、遠慮なく銃弾を叩き込んではまた新しく銃を拾い直し、さらに撃ち続ける。
 ひどく手際が良かった。負けてはいられないと、俺もゆめみと連携してアハトノインに突っ込む。
 先を行ったゆめみが振り下ろされた剣戟を弾き、バランスを崩したところに俺が刀で切り裂いた。
 だが致命傷ではなかったらしく、胴体から夥しい赤い液体を噴き出しながらもまだ動いていた。
 なら、きっちり壊しきってやるよ。

「とっとけ」

 ぶん、と刀を放り、アハトノインの眉間に突き刺す。
 仰け反った体勢から後ろ向きに倒れた奴は、そのまま動くことはなかった。

「お見事です」
「相手にもならんな」
「ですが、油断は禁物です」
「分かってる。次だ。十秒で片付けるぞ」
「十秒では無理かと……」
「例えだよ、たとえ!」

 まったく。これだからロボットは。
 だが言葉を額面通りにしか受け取らず、ずれた回答を寄越してくるゆめみもそれはそれで会話の潤滑剤になっていた。
 狙ってやっているんじゃないかという気さえしてくる。ちらりと横顔を見てみたが、今の彼女は無表情だった。
 いいさ。どちらにしても、俺にとっては楽だ。
 パートナー。不意にその言葉が過ぎり、ロボットがパートナーでいいのかと感じはしたが、
 よくよく考えてみればロボットなんて本来人間のパートナーになるように設計されているようなものだ。
 だったら、何も問題はないよな、ええ?

「ぴこっ」
「お? なんだ今頃戻ってきやがって。あ? 猪落ち着かせてた? そりゃ仲が良くって……結構!」

 頭の上に戻ってきたポテトを、早速捕まえてぶん投げる。久々のポテトカタパルト弾だ。
 ぴこ〜〜〜〜……と情けない声を上げながらも、器用にぶんぶんと手足をばたつかせ、アハトノインの顔に取り付く。
 その間にアハトノインのスクラップから刀を拾い上げ、ゆめみと一緒に突進。
 視界を遮られ二の足を踏んだ隙を見逃さず、二人で同時に斬りかかる。
 倒れる。よし、また一人。これでもうそろそろゴールか?
 周囲を確認してみると、数はそう多くない。もう十体もいないだろう。
 もう一仕事か。
 相変わらず前進しかしてこないアハトノインの方に走ろうとすると、「待てよおっさん」と藤田の声がかかった。

「おっさん言うんじゃねえ」
「言いやすいんだからいいだろ。もう六人も使ってこいつら相手にする必要ねえよ。後は俺と瑠璃に任せとけ」

 いきなりの提案に、俺ははあ、と間抜けな言葉を返すしかなかった。
 なんだそれ? ここは俺に任せては死亡フラグ……いやでもこいつらザコだっけ。

「結構時間食っちまった気がするんだよ」
「数は多かったからな」
「そろそろ、連中だって本格的に動いてくるかもしれない。その前におっさん達で本命叩いてくれよ」
「あんだよ、大人任せか」
「ガキが大人頼りにして何が悪いんだよ」

 この野郎……
 口は悪かったが、『頼りにする』という言葉は子供そのものの言葉で、俺の自尊心を刺激しやがる。
 そうだな、ここでくらい、大人ヅラしたって悪かない。
 何よりその方が格好いいじゃないの。

 まんまと乗せられた俺は「ちっ、仕方ねえな」と文句を言ってはみたものの、湧き上がる笑みを隠し切れなかった。
 それを知ってか知らずか、藤田はニヤと笑うと、姫百合に声をかけながら残ったアハトノインに突っ込んでゆく。
 だが、いくら弱いとはいえ、二人ではキツくないか?

「はいはいはい、そこはこの風子にお任せを」

 と、俺の心の声を読んだかのようなタイミングで伊吹が出てきた。
 っていうか、読んだ。

「三人なら大丈夫でしょう。ということで、あのお二人を援護してきますっ」
「チビ助? 大丈夫なの?」

 いつから聞いていたのか、まーりゃんが割り込んできた。
 意外に表情は心配そうだった。
 こいつら、似たもの同士で仲がいいのか?
 ……似たもの、か。俺は嫌いな奴が多かったな……

「ぶっちゃけ、苦労するの嫌なんで楽そうなこっちの方に付きます」
「ぶっちゃけた!」
「あーごほんごほん。ここは風子たちに任せて先にいけっ!」
「説得力ねえなおい」

 俺とまーりゃんの突っ込みなどそ知らぬ顔。
 ん? 待てよ? ってことはこの流れだと俺はこいつと一緒にいることに……
 同じことを考えたらしいまーりゃんと目が合う。こっち見んな。

「……じゃ、ついてっていいかな」

 憎まれ口が飛んでくるかと思ったら意外と素直すぎる言葉だった。
 やや遠慮の色さえ見える。くっ、ちょっとときめいた!
 馬鹿な、俺はこんな貧相な体のガキなんて……いやそんなことはどうでもいい。
 好き嫌いなんて言えるような状況じゃないだろう。

「勝手にしろ。気にいらねえが、お前は強いんだからな」

 だから、必要だ。
 その言葉を飲み込んでしまった俺。ツンデレってレベルじゃなかった。
 正直な話、さっきの戦いぶりを見ていてもこいつは頼りになりそうだったのだ。
 気に入らないのは事実。だがそれでも、認めるべき部分は多かった。
 認めるだけ、ちったあマシになったのかね、さっきよりは。

「じゃ、チビ助。後はよろしくな」
「チビ助言わんといてください」
「はいはい。分かったよ、ふーこ」

 伊吹の、名前を。確かめるように、試すように。まーりゃんはその名を呼んだ。
 名前を呼ばれたのは予想外だったのだろう。
 絶句した伊吹は、すぐにふんとそっぽを向いて「早く行ってください」と俺達を追い払いにかかる。
 照れているのだろう。なんだ、こいつにもかわいいところあるじゃないか。
 くすりと笑ったまーりゃんは、しかしそれ以上何もせず、「オラ行くぞぉ!」と俺の脇腹をつついてきた。
 いつもの奴だった。「うるせえ」と返しながら、俺は人はこういうものなのかと新たな感慨を結んでいた。

 ちょっとした言葉、一言で、根っこに潜む本音を引き出すことができる。
 ならば、さっき、俺が「必要だ」と言っていれば、俺はまーりゃんの何かを引き出せたのだろうか。
 気に入らないと思っていた奴の、別の一面を理解することが出来るのだろうか。
 今まで生意気としか思っていなかった伊吹に、あんな感想を抱けた。
 クズで、人を拒むことしかしてこなかった俺が、あっさりと素直な感想を持てた。

 ……俺は。
 まともに、なりたいのかもしれなかった。

     *     *     *

 何か二言三言残して、高槻、ゆめみ、麻亜子の三人が別の出口へと走っている。
 結局、そんなに会話することはできなかったか、と瑠璃は軽く自嘲した。
 明るかった姉に比べて自分はどちらかといえば身内寄りであり、他者との関わりを避ける傾向があった。
 天真爛漫な姉に余計な虫がつかないようにするため、というのが四六時中一緒にいる理由だったが、
 今ではそうではなかったのだろうと言い切れる。
 とどのつまり、引っ込み思案だっただけなのだ。
 他人が怖いというだけではなかった。ただ、別のもっともらしい理由をつけて言い訳していただけだった。
 そういうところを直していかなければならないのだろう。
 気付かないままでいるより、気付いた方がいい。
 それで一時どんなに傷ついたとしても立ち直り、やり直すだけの力が自分たちにはあるのだから……

「……ふっ!」

 気合と共に一閃。アハトノインが持っていた刀は見た目よりずっと軽く、それでいて切れ味抜群だった。
 恐らく、最新鋭の技術で製造されているからだろう。瑠璃にしてみればありがたいことこの上なかった。
 脚部を切断された修道女姿のロボットがばたばたと地面で無様にもがく。
 戦闘能力はなくなったと判断して次に向かう。
 接近戦を繰り返していたせいか、体が赤く、オイル臭い。
 イルファを整備していた珊瑚もこんな匂いの中で日常を繰り返していたのだろうか。
 むっとした、重く、饐えた匂いを鼻の中に吸い込むだけで、珊瑚の声が聞こえてくるような気がした。

 まだ、いける。
 敵が落とした刀を拾い、投擲する。
 刺さることは期待していなかったが、運良く胴体に刺さってくれた。
 ぐらついたところをもう一撃。
 勢いよく突いた刀は胴体そのものを貫通し、刃先が背中から飛び出していた。
 カクンと崩れ落ちるアハトノイン。これで、後は何体だ?
 ふっと一息ついた瑠璃の横から、接近していたらしい一体が刀を振り上げていた。
 すぐさま反応し、刀を引き抜こうとしたが、抜けない。
 深く刺さりすぎていた。しまったと後悔したが、逃げるには遅すぎた。
 アハトノインの指が強く柄を握り締めた。やられる――!

 無駄だと分かりつつも腕で防御する。
 ……が、振り下ろされることはなかった。
 胸部から刃先を露出させたまま、修道女は動きを止めていた。
 ピクリとも動かない、神への祈りを捧げたままの女の後ろから「油断大敵だな」といたずらっぽい声がかかる。
 浩之だった。既に新しく刀を拾っている。

「……それは、お互い様のようやな」
「あ?」

 怪訝な声を上げる浩之の後ろで、ドサリと音を立てて倒れるものがあった。
 浩之の背後に迫っていたらしいアハトノインだった。
 ボウガンで狙撃してくれた風子がニマニマと笑っている。
 振り返り、全てを理解した浩之が肩をすくめる。
 自然と笑いが零れた。世の中は少し、面白くできている。

「台無しやで」
「るせ。さて、これで全部……か?」

 それまで溢れんばかりにいたロボットの群れは、もう出入り口にも見えない。
 どうやら殲滅しきったということらしい。
 足元に広がる、行動不能となり鉄屑と化したアハトノインの総数はいくらになるのだろう。

 さんちゃんが見たら、どう思うやろうな……

 ロボットに人間と同じかそれ以上の愛情を注いでいた珊瑚なら、この状況を悲しんだことだろう。
 常々彼女は、ロボットの軍事利用に対して批判的な口を開いていた。
 それほど興味を抱いていなかった昔はふーん、と聞いているだけだったが、今なら少しだけ分かる気がする。
 空しい、という気分だった。ただの鉄屑として横たわり、それで役目を終えてしまった彼女達は本当に必要とされていたのだろうか。
 消耗品としてでしか扱われないのは、悲しすぎるのではないか。

「解放してあげられたら、ええんやけどな」
「ん?」
「いや、こっちの話」

 いつの間にか独り言を発していたらしく、反応した浩之になんでもないと首を振る。
 機械工学の知識がなさすぎる自分には、到底無理な話だった。
 少なくとも、今は。

「それにしても皆さん、真っ赤です」
「ぷひぷひ」

 この戦闘の発端となったとも言える猪を器用に頭に乗せながら、風子がやってくる。
 遠距離に徹していた風子は比較的返り血……いや、返りオイルも少なかったが、
 自分も浩之もべチャべチャだった。元の制服が赤っぽかったので気になっていなかったが、改めて見ると真っ赤だ。
 黒い学生服の浩之はどちらかといえば赤黒い色だったのだが。

「人間のよりマシだぜ。オイル臭いけど」
「むんむんします」
「ぷひ〜……」

 より鼻が利くらしい猪はまいっているようにも見えた。

「それにしても、どこからやってきたんやろ、この仔」
「ここのペット……なわけないよな」
「むぅ、風子はどこかで見たことあるような気がするんですが」
「ま、あの毛玉犬と同じようなもんかもな。そんなことより、こっちもさっさと先を……」
「ぷっ! ぷひ!」

 何かに反応したように、猪が大声で鳴いた。
 じたばたと手足を動かし、必死に何かを伝えようとしているようだった。
 「何かあるんですか?」という風子に反応して、瑠璃は周囲を確認する。
 動物の勘を信じる……というわけではないが、警戒はし過ぎて困ることはない。
 さっと素早く四方を見回してみたが、どの出入り口からも影は見えない。
 浩之も同様らしく、困惑した表情を見せていた。

「ぷ、ぷひ!」

 ばたばた、と前足をこれでもかと動かしている。
 足の方向は、上を向いていた。
 上――!?
 考えるよりも先に、口を動かしていた。

「離れて! 上からや!」

 言った時には既に足が地を蹴っていた。
 声に素早く反応して、浩之と風子も下がった。
 その行動から、一秒と経たないうちだろうか。
 風を切る音と共に、だんと足元のアハトノインの残骸を踏み砕いて、何者かが落下してきた。

「ご大層な登場だぜ……」

 顔を上げる何者か。それは今まで相手にしてきたものと同じ……しかし、何かが決定的に違う顔だった。
 プラチナブロンドの長髪。漆黒の修道服。手に持っている曲がりくねった刀。
 同じなのはそこまでだった。最も異にしていたのは目だ。
 紅い瞳。血のように赤い瞳が、寸分の感情もなくこちらを凝視している。
 何かがヤバい。直感したのは浩之もだったようで、すぐに仕掛ける愚は犯さなかった。

「……最悪です。これは、とっても最悪です」

 震える声で、風子が言っていた。
 瑠璃はそれで思い出す。風子と、まーりゃんは、ロボットと交戦し、二人を失ったと言っていた。
 ならば、今目の前にいるこれは、それまでと比較にならない本物だということか?

「でも、よかったです」

 戦慄しかけた心を打ち払ってくれたのは、未だ震えを残したままの、しかし歓喜に打ち震えている風子の声だった。

「ようやく、ユウスケさんの仇が討てます……!」

 本物の怒り。あんなに猛り狂った風子の声を、表情を、瑠璃は見た事がなかった。
 伊吹風子とは、こんなにも激情家だったのか。
 新たに抱いた感慨に浸る間もなく、風子が戦端を開いていた。
 ボウガンを投げ捨て、持っていたサブマシンガン――SMGUのトリガーを引き絞る。
 問答無用の先手は高槻のときと同一だったが、結果は同じではなかった。
 向けられた銃口に素早く反応し、後ろに宙返りしながら銃撃を回避する。
 ちっと吐き捨て、風子はさらにP232を連射する。
 こちらは命中はしたものの、僅かに身を捩らせただけで、アハトノインはケロリとした様子だった。

「やっぱり拳銃ではダメですか」
「効いてない……!?」

 さっきのアハトノインの大群には、拳銃でも効果があったというのに。
 根本的なものが違う。本格的な戦闘にも耐えうる殺戮マシーン。
 瞬時にその感想が浮かび上がり、瑠璃にも目の前の敵が想像している以上の化物だと実感させた。
 まごまごしていては、やられる。

 残骸の中から拳銃を回収し、とにかく数撃てばの精神で連射する。
 両手に持ち、弾丸の続く限り撃ち続けたが、アハトノインは微動だにしない。
 避ける必要もない、と判断したのだ。
 実際、彼女の皮膚はおろか修道服も無傷であり、拳銃程度では何の意味も為さないことを示していた。

 なんて、奴……!

 有効手が少なすぎる。即ち、それはこちらが殆ど空手であるということでもあった。
 まして敵は芳野祐介と藤林杏の二人をも殺害しているのだ。強くないわけがない。
 マグナムならば或いは通じるか? 銃器には詳しくないが、マグナムの威力は高いということくらいは瑠璃も知っている。
 コルトパイソンを取り出そうとしたところで――今度は、向こうが動いた。
 腰を浅く落としての突進。ただそれだけだったのだが、速さが尋常ではなかった。
 いきなり目の前にアハトノインが現れる。錯覚かと思うほどに一瞬で詰め寄ってきたのだった。
 そのまま掌底を貰い、体が宙に浮く。
 内臓が破裂するような衝撃を感じながら、瑠璃は受身を取る暇もなく地面を転がされた。
 あまりに早すぎる出来事の連続に、脳がついていかない。
 やられたのだと判断したのは、げほっと咳き込んだときだった。

「瑠璃っ!」

 浩之の叫び声でようやく我を取り戻す。
 その時には既に、アハトノインが刀を引き抜いてひゅっと振りかぶっていた。
 やられてたまるか。痛みに苦悶の表情を出しながらも、瑠璃は落ちていた刀を拾って倒れたままの体勢から無理矢理投げつけた。
 これも驚異的な反応で回避されてしまったが、その間に追いついた浩之と風子が両側から挟み込む形で攻撃を仕掛ける。

「うおおおおおあああっ!」

 裂帛の気合と共に繰り出された刀の一閃。しかし事もなげに同じ刀で受け止められ、弾いたところを蹴りで反撃される。
 浩之は弾かれた反動でよろめきながらも蹴りを回避してみせる。
 それどころか避けたところにもう一度斬り込んだのだが、またも弾かれ、しかも上に斬り上げられたために刀を取り落としてしまった。
 隙ができてしまう。だがフォローするように風子が割って入り、身長差を補うように飛び掛かった。
 絶妙なタイミングでの割り込みだった。にも関わらず、まるでダンスでも踊るかの如く回転して斬撃を回避し、
 逆に風子の懐に飛び込み、返しの一撃を見舞った。

 そこに防御に入る瑠璃。二人の攻防で体勢を立て直すことができた瑠璃は、ベネリM3を手に、下方から射撃したのだった。
 至近距離からのショットガンの発砲。完全に攻撃態勢に入っていたアハトノインは直撃を受け、大きく吹き飛ばされる。
 それでもギリギリでガードに入っていたらしく、損傷は指の一部が削ぎ落とされたこと、手持ちの刀が破壊された程度に留まっていた。
 なんて攻撃、防御性能だと感嘆すら覚える。三人を相手に、しかも完全な隙を突いた攻撃だったはずなのに。
 これが現代のロボットか。訓練された兵士も、このアハトノインの前には赤子同然なのかもしれない。
 珊瑚が反対していた理由も分かる。これは、一方的な殺戮だ。
 慈悲も是非もなく、入力された命令に従ってひたすら戦い続けるだけの人形。
 悲鳴も、命乞いの声も、何も聞き入れない。作業同然に命を刈り取る彼女は、無造作に死を振りまく死神だ。

「冗談じゃねえ……なんなんだよ、あの野郎」

 あれだけ攻勢を仕掛けて、殆どダメージがない状態なのだ。
 浩之が毒づくのも無理からぬ話だった。
 風子は無言で敵に集中している。仇を討つためには、いつもの軽口さえ開く余裕はないようだった。

「でも、逃げたらあかん。ううん、逃げたくない」

 だから、いや、だからこそ瑠璃は死神を打ち倒さなくてはならないと決めた。
 自分がロボットを愛していた、姫百合珊瑚の妹だからではない。
 一個人として、反目しつつも理解し合うことができた人間だからこそアハトノインが、いやアハトノインの奥に潜む悪意が許せなかった。
 ロボットから理解させることを奪い、心を通わせる機会を奪っている悪意が。
 今まで流されるままで、漠然とした意志しか持てていなかった。
 それゆえ多くを失い、後悔し、自らに澱みを溜め込んできた。
 けれども何かをしたいと思っても、それが何なのか今の今まで分からなかった。
 何のために生き、何のために身を捧げてもいいと思えるのかが掴めなかった。
 なにひとつとして『豊かさ』を生み出せず、燻っていた。
 でも、ようやく見つけることができた。

 長い長い遠回りをして。
 何度も何度も失敗して。

 ようやく辿り着いたのが『ロボットの尊厳を守りたい』という思考だった。
 結局のところそれは珊瑚が抱いていた気持ち、掲げていた理想と何も変わりはしなかったけれど……
 ただ流されて辿り着いたのではない。
 自分の気持ち。自分の思い出があって、そこから考えて辿り着いた結論だ。
 それでも珊瑚と同じ思考になってしまうのがいささか可笑しい気分ではあったが、悪くはない。
 双子の姉妹なのだ。同じことを夢見たっていい。
 それに自分には、支えてくれる浩之という存在もいる。
 心を通わせた存在を感じていたから、瑠璃は何も躊躇うことなく己の決意を受け止めることができた。

「そうだな……ま、逃げるわけにはいかないか」

 余熱の燻る視線を感じてくれたのか、浩之も付き合う声を出してくれた。

 ありがとうな。

 その台詞を心の中で呟き、瑠璃はアハトノインの中に潜む、真実の敵を見据えた。
 まだ先程の「ありがとう」を言うわけにはいかない。
 終わりの言葉にしてはいけない。自分達はこれを始まりの言葉にしなければならない。
 より善いものを目指し、高みへと向かっていける世界に進むために。
 一緒に生きて帰るために。
 瑠璃は笑った。

「きっついお灸据えたる」

     *     *     *

 激しく運動しすぎたせいか体の節々が悲鳴を上げ、かつて打撲した足が熱を伴った痛みを発している。
 息は上がり、心臓はこれ以上ないほど激しい鼓動を叩き、玉のような汗が全身に滲んでいる。
 体力には自信はあるつもりだったのにな、と浩之は心中に呟く。こんなことなら佐藤雅史とサッカー部にいれば良かった。

 だが、その雅史もいない。

 雛山理緒も、松原葵も、来栖川綾香も、来栖川芹香も、セリオも、姫川琴音も、宮内レミィも、

 保科智子も、マルチも、長岡志保も、

 神岸あかりも。

 もう、みんないない。

 二度と会えない。

 限界に直面して初めて、浩之は喪失を実感していた。
 理解はしていたつもりだった。それでもいざ確認し、己の本心、過去の思い出と対面してみると全然違った。
 意識はしなくても浮かび上がってくる友人の言葉が、幼馴染の言葉が胸を締め上げ、浩之を息苦しくする。
 つらい。率直にそう思った。
 今の現実は自分の手に余りすぎるほど苦しい。
 それまであったはずのものは全てなくなり、拠るべきものもなく、たった一人で孤独の海を彷徨っている。
 海を漂う椰子の実に似ていると浩之は思った。
 どこの誰にも知られず、ただ孤独に目指すべき場所も知らずに流されてゆく。
 だが、それでは寂しすぎる。
 だから懸命にもがき、流れに逆らい、どこかの島に流れ着こうと努力を重ねる。
 たとえ辿り着けなかったのだとしても、行く先々の新しい出会い、未知の風景は今を少しでも変えられるかもしれない。

 俺が泳ぎ続けるのは、そういうことなんだ。

 沈んでしまった椰子の実。海底に埋もれてしまい、芽を出すことすらできなくなった実たちに対して、浩之はそう告げた。
 自分はまだ生きてしまっている。どんなに嫌がっても現実はいつも自分の隣にいる。
 諦めようとしても根底に根付いた意志が、沈むことを許してくれない。
 死にたくない。言葉にすればそういうことなのだろう。
 陳腐で、俗な言葉で、友人達からすれば失礼極まりない考えには違いない。
 それでも進まなければならないと、そう決めたのが藤田浩之だった。

「うおおっ!」

 力を振り絞って刀を振り下ろす。アハトノインは刀を弾かれている。つまりチャンスだ。
 この機を逃すまいと畳み掛けるが、不利であるはずのアハトノインの動きは冷静だった。
 軌道を読んで最小限の動きで避けられる。ならばと浩之は風子に視線を向けた。
 一人では無理でも、二人なら。チャンスだと分かっているのは風子も同じで、囲い込むような動きで背後から攻めようとする。
 前後に挟まれる不利は相手も承知しているらしく、回避を念頭に置いた動きから逃げる動きへと変わったが、
 それだけで今の浩之たちを止められる理由にはならなかった。

 絶対に逃がしはしない。瑠璃の反撃で得た千載一遇の時間を無為にするわけにはいかない。
 ここで何としてもトドメを刺す。
 体感的にも、ここで決めなければ持たないと理解していたからこそ浩之は多少防御を犠牲にした攻撃を繰り返す。
 命中こそしないが、アハトノインは後手後手だ。
 同じく畳み掛けた風子の繰り出した刀による突きが回避される。
 だが避けられるのは風子も浩之も先刻承知の事項だった。
 隙を見計らい、浩之が500マグナムを向ける。
 更にこれまでの動きから、横に飛んで逃げるだろうと読んで銃口を少し逸らしてトリガーを引いた。
 予想は外れてはいなかった。直撃こそしなかったものの、脇腹を掠ったマグナム弾にアハトノインが理解できないといった表情を見せる。
 当然だろう。計算の上では完璧に回避しているだろうから。
 だが所詮そんなものは定石の上に作り出されたものに過ぎない。
 もう一発。最後の弾丸だったが構うことも躊躇もなく浩之は発砲する。

「……!」
 想定外の事態に突き当たったからか、アハトノインの動きが一瞬遅れた。
 それでも前回の行動からまた少し逸らしてくると判断したらしく、動きは殆どなかった。

 バカめ。二度も同じことするわきゃねーだろ!

 今度こそ、きちんと狙いを据えた銃口は見事に防弾コートの中心を捉えていた。
 直撃。マグナム弾の威力は9mm弾などの比ではなく、
 真正面から膨大なエネルギーの圧力を受けたロボットの体がぐらりと傾き、行動不能に陥らせた。
 この期に及んで弾丸が貫通しなかったことに呆れを通り越して感嘆の気持ちさえ抱いたが、これで条件はクリアした。

「瑠璃、行けっ!」

 言うまでもないとばかりに、瑠璃は既にベネリM3を構えていた。
 狙いはむき出しの頭部。ここさえ破壊してしまえばいかに頑強な体を持つアハトノインと言えど倒せる。
 機会を窺っていた瑠璃の狙いは正確だった。
 ベネリM3から発射された無数の散弾はアハトノインの頭部を丸ごと飲み込み、
 スイカを叩き割ったかのように機械片を飛び散らせながら完膚なきまでに破砕した。
 首なし騎士の完成だ。もんどりうって倒れるロボットの残骸を眺めながら、浩之は「よし」と勝利を確信した声で呟いた。

「ふーっ、手強い相手でした」

 したり顔で大袈裟に息を吐き出す風子に、「トドメを刺したの、瑠璃だからな」と突っ込む。
 すると風子は心外だだとでも言うように唇を尖らせ、「チームプレイというべきです」と抗議した。

「そうそう。今回はチームの勝利やで。三人やなかったら危なかったし」
「まあそりゃそうなんだが……」
「ということでもっと褒めてください」
「調子に乗るなって」

 頭を小突くと、風子はますますニヤニヤとした顔になる。
 どうもマイペースな人間は苦手だ。それを言うなら珊瑚もマイペースだったのだが、珊瑚は別段そういう風には感じなかった。
 この違いはいったい何なのだろう。本当に、世の中には色々いる。
 だからこそ面白みを感じられるのかもしれない。風子につられたわけではないが、浩之も含みのない微笑を浮かべた。

「さ、行きましょう行きましょう。だいぶ遅れてしまったようですし――」

 風子が、背が低かったからかもしれない。
 視界の隅……風子の肩越しに、ピクリと動いたものが目に留まった。
 一瞬目の錯覚かと瞼を擦ってみたが、間違いなく、それは、

 動いた。

 背筋が凍るような怖気が走った。まるで幽鬼のような足取りで起き上がった『首なし』は、しかし一分の無駄もない動作で拳銃を袖から抜き出した。
 隠し拳銃――!
 明らかにこちらの動きを把握している。逡巡している暇も戦慄している暇もなかった。

「風子! どけぇっ!」

 半ば突き飛ばす形で風子を押しのけ、500マグナムを撃とうとして……そこで、弾切れになっているのにようやく気付いた。
 動くはずのない『首なし』が起き上がったことに動転してしまっていたのか。きちんと確認はしていたのに。
 浩之の異常を瑠璃も察知したのかフォローに入ろうとベネリM3を構えたが、遅かった。
 『首なし』は的確な動作でこちらに狙いを定め、次々と発砲してくる。
 最初に突き飛ばした風子は直撃こそ免れたものの、浩之と瑠璃は飛来する銃弾を避ける時間も残されてはいなかった。
 隠し持っていた拳銃は、たかが小口径のものだったとはいえ、柔らかい人体を破壊するには十分な威力だった。
 即死はしなかったが、乱射された銃弾が体のそこかしこを引き裂き、瑠璃も同等のダメージを負って床に倒れこむ。
 お互いの生温い血の温度と、べたつく感触を味わいながら、二人が取った行動は即座の反撃だった。

「こなくそっ!」
「やられてたまるか!」

 取り落としたベネリM3を二人で拾って構え、発砲する。
 痛みを押しての射撃。撃たれた腕が、腹が、肩が、足が悲鳴を上げる。
 それでも撃った。瑠璃が隣にいるという安心感だけでまだ死なない、生きていられると思えてくるから。
 二人一緒なら、いくらだって生きられる。人間は、そういう風にできている。

 そうさ、俺は瑠璃を愛してるんだ。だからこんなところで死ぬわけにはいかないんだよ……!

 決死の反撃はいくらか実を結んだのか、ベネリM3の直撃を受けた『首なし』が吹き飛び、アハトノインのカプセル郡に突っ込んで動きを止めた。
 だがそれは一時的なものでしかなく、すぐにまた身じろぎを始める。
 化け物め。物語通りの不死身の騎士というわけか。
 互いの体を支えつつ立ち上がり、残ったベネリM3を撃ち尽くす。
 距離はありすぎるくらいだったが、引き付けている余裕はなかった。
 だが頭部を失ってなお、『首なし』の動きは健在だった。
 まるで射撃が続けて来ることを読んでいたかのようにステップで絶妙に避けながら接近してくる。

「音で感知されてるみたいや!」

 それは浩之も分かっていた。でなければこちらに近づいてこれる理由がない。
 恐らくはそれだけではない、センサー等を通してこちらの位置までを正確に把握していると思ってよかった。
 なら、あの分厚い防弾コートを突き抜けてどうやって破壊すればいい?
 ショットガンであるベネリM3の直撃を受けてなお、防弾コートには僅かの損傷しか見受けられなかった。
 策は見つからない。考えているうちにベネリM3の弾も尽きた。残る武器は殆どない。
 射程内に入ったと感知したらしく、『首なし』が拳銃を向ける。
 そこで飛び掛ったのが、風子だった。

「借りは返させてもらいます!」

 『首なし』に対してか、或いは自分たちに対してか。恐らくはどちらもなのだろう。
 接近は予期していたのか、まるで見えていたかのように銃口を風子に変えたが、風子はそのまま突進した。
 当然、『首なし』も発砲する。銃弾を数発体に受けながらも、それでも風子は止まることなく防弾コートに取り付き、

「分かってはいても、見えてはいませんよね……! だったら、こっちのもんです!」

 至近距離からM29を押し付け、次々と撃つ。
 ゼロ距離の銃弾は流石にどうしようもないはず。それなのに、数度体を跳ねさせた『首なし』はよろりと一瞬バランスを崩したが、動じることはなかった。
 何事もなかったのように拳銃がポイントし直される。まさか、と目を見開いた風子の体が、今度は逆に跳ねる。
 先の銃撃で避けるだけの余力もなかった風子は胸から大量に出血し、呻いた後に倒れた。
 やられた。そう実感する間もなく『首なし』の狙いがこちらに切り替わった。

「く……!」

 悔しさを声に出す時間すらなかった。コルトパイソンを構えた瑠璃を補助し、後方に下がりながら発砲を続ける。
 しかし『首なし』に拳銃はマグナムであっても通じない。
 当たりはしたものの、一歩ほど後ろに下がっただけでダメージはない。

「どうすりゃいいんだ、こいつ……!」

 まるで、下がってくる釣り天井のある部屋に押し込められたかのような気分だった。
 どんなに知恵や勇気を振り絞っても押し寄せる壁そのものの前にはどうしようもない。
 そう、何をやっても無駄だと目の前の『首なし』は告げていた。

 だから安らかな死を。
 あなたを、赦しましょう。

 頭はなく、口もないのに、はっきりと『首なし』がそう言うのを浩之は聞き取った。

「……冗談じゃない」

 冗談じゃない。
 お前の赦しなんかいらない。
 俺は絶望を信じない。
 俺はもう、世界に絶望することはやめたんだ。
 友達がみんな死んでしまっても。
 人が人らしくいられず、悪鬼に変わってしまったのを何度見ても。
 自分自身を一度捨ててしまった俺自身がどうしようもないクズだとしても。
 未来は、豊かさはまだそこにあるんだから……!

「浩之」

 自分と同じ、世界に絶望することをやめた少女の瞳があった。
 大切なものを全て奪っていった世界を憎むのではなく、そんな世界を変えようとする瞳だ。
 これがあるだけで、何の不安も感じない。
 これから起こること、起こすことを、全てこの身に引き受けられる決心がついた。

「爆弾を使ってみるか。派手な花火になるぞ」
「ええな、それ。面白そうや――すごく」

 一泊溜めて、瑠璃は今までで一番の笑みを見せた。
 吹っ切った笑顔であり、諦めたような笑顔であり、しかしこの結果に満足しているような顔。

 やっぱり、強いな。

 苦笑交じりの表情しか渡せなかった浩之は、最後まで強さを見せられっ放しだったなと感想を結んだ。
 川名みさきしかり、姫百合珊瑚しかり、一ノ瀬ことみしかり。
 女は強い。いつも支えてくれるのは彼女たちのほうだ。
 いや、だからこそ、それを背負って行動に移すことができる。

「任せたぜ、瑠璃」
「任せとき、浩之」

 体が離れる。
 ぬくもりがなくなるとは思わなかった。
 離れても、傍にいなくても、こうして同じ想いを共有している限り暖かさは感じられる。
 それがこんなにも心地よかった。
 走り出した背後で銃声が木霊する。
 爆弾までの距離は意外と近かった。
 手に持ったのはライター。ポケットに仕舞ってあったが、使いどころを見出せなかったものだ。
 爆破は本来芳野たちにやってもらう予定だったのだから。

 美味しいとこ、貰ってくぜ芳野さん。

 足がもつれ、倒れかけたが誰かが支えてくれたかのようにギリギリで立て直すことができた。
 支えてくれたのは誰だろう。

 ――みんな、かもな。

 いくぜ。
 見てろよ……!
 爆弾に取り付き、導火線に火を点す。
 痛みのあまり指が震えかけたが、また誰かが支えてくれた。
 意識も朦朧としてきた。意外と血を流していたのかもしれない。
 見てみれば点々と続く血の跡は長く、体中の血を全て流してしまったのではないかとさえ思える。
 瑠璃も、風子の姿も見えない。だが一人ではない。ここには、みんながいる。
 火のついた導火線が、徐々に短くなってゆく。
 命が失われる恐怖はなく、この後起こることを想像して寧ろ楽しい気分になった。

 ……ああ、そうか。

 楽しいと思えるのは、ここにみんながいるから。
 自分がしてきたことを、誇りを持って話すことができるから。
 感情を交わし、共有し合うことができると知っているから。
 きっと、それが、豊かさなのだろう。

 未来は。

 俺の、未来は――

     *     *     *

 強烈な閃光が、藤田浩之の体を丸ごと飲み込み、直後に膨れ上がった炎の色すら知覚させずに意識を消し飛ばした。
 一ノ瀬ことみ特製の爆弾は凄まじいエネルギーとともにアハトノイン達を格納していたカプセル郡ごと破壊し、部屋全体を火球が制圧した。
 その爆発は天井も突き破り、瓦礫の山を築き上げ、かつてそこにあったものの痕跡を跡形もなく消し去った。
 そこには、なにもない。
 あるのは、ただ、大爆発があったという事実と、そこに残された誰かの想いである。

     *     *     *

 ……やれやれです。
 結局、最後まで敵討ち、できませんでしたね。
 面目ないです十波さん。仇取ってよって約束、破っちゃいました。
 それに教師にもなれそうにないですね……まあ、罪作りな教師にならなかったことは幸いなのでしょう。
 ユウスケさんにも謝らないと。ちょっとだけ楽しみだったんです。新しい暮らし。新しい家族が。

 って、風子約束破りまくりじゃないですかっ!
 な、なんて最低な女! がーん! まーりゃんさんにバカにされて言い返せないレベルですっ!
 そう思うと、まーりゃんさんがにょほほほとかそんな感じの笑いを浮かべて突っ立っている光景が見えました。
 最悪です。こっち来ないでください。まだ早いです。
 ……ああ、しかし、死ぬって結構痛いんですね。
 何度も死に掛けてはきましたけど、いざこうしてみると痛いばかりです。
 もうちょっとこう、ふわーっといく感じを想像していたのですが。
 人生うまくいかないものです。だからこそ楽しいのかもしれませんが。
 決まりきったことをするのは、風子ちょっと苦手です。
 だから痛くないようにしましょう。楽しいことをしましょう。

 この状況でさしあたって楽しいことは……ああそうですね、あの首なしさんの妨害ですかね。
 藤田さんと姫百合さんが何するか知ったこっちゃないですが、邪魔するならあのお二人よりあっちですね。
 ふふ、風子は天邪鬼なので誰かの邪魔をしたくなります。
 こういう小悪魔っぷりが男の子をメロメロにするんですね。
 ……いつまでも、じっとしてても面白くないので、行動に、移しますか。

 ぷひぷひ。
 おやイノシシさんじゃないですか。逃げても良かったのに。
 ぷひー。
 なるほど決心がついたんですね。何かやれることがやりたい、と。
 ぷひ!
 死ぬの、怖くないですか?
 ふるふる。
 痛いの、怖くないですか?
 ふるふる。
 全部なくなってしまうのは、どう思いますか?
 ぷー……
 意地悪だって? そうですね、風子はそうなのかもしれません。
 風子、正直嫌いです。あの首なしさんも、お姉ちゃんを殺した人も、ユウスケさんを殺したあのロボットさんも、岡崎さんを殺したあの人も、十波さんと笹森さんを殺したあの人も。
 ……でも、憎めないんです。殺した人も人間なんです。風子と同じ、人間……
 憎んでも、なんだかそれが自分に跳ね返ってくるような気がして……そうですね、怖いんです。怖いから、風子は憎みきれなかった。
 だから引っ込み思案だったんですね。人に感情を持つのも、怖かった。
 でも今は……ほんの少しだけ違うんですよ。怖いのは今でも変わりないですが、悪いことばかりじゃないってことは分かったんです。
 なんか言ってることがめちゃくちゃで分かりにくいって? 風子、天邪鬼ですので。
 まあ、あれですよ。……誰も、嫌いにはなってもいいけど、恨んだり憎んだりしちゃ駄目ですよってことです。
 それは、何も変われないってことですから。
 ぷひ……
 そうですか、イノシシさんがそうなら、よかったです。
 ということで、協力してください。……できますよね?
 ぷひ!

 なんか、少し悲しい気分です。最後にこうして語り合ったのがイノシシさんとは。
 ああでも可愛いからどうでもいいですね。可愛いは正義だと思います。
 一番の正義はヒトデですが。
 ここ変わってないって? 人には譲れないものもあるのです。
 さぁ、最後の、風子の勝負ですっ!
 発砲を続けている姫百合さん。首なしさんは避けもしていません。効かないからでしょうか。
 そういうのを、傲慢って言うんです。
 弾切れになった姫百合さんに首なしさんが近づこうとしますが、させません!
 イノシシさんと風子で足元に飛び掛って押さえ込みます。
 見えてはいませんよね? だったら、『今度こそ』こっちのもんです!
 ぎゅっと掴んだら、口から何か出てきました。鉄臭くてまずいです。
 足をとられた首なしさんでしたが、何が起こったのかはすぐに把握されました。
 足元に異変があると感じたらしく、即座にイノシシさんの方に拳銃を向けました。
 流石に、風子も助けられませんでした。掴まってるだけで精一杯だったんです。
 でも姫百合さんが助けてくれました。体ごと飛び掛って首なしさんを押し倒します。
 グッジョブです! あ、無理やり動いたらまた赤いのが出ました……痛い、ですね……

 でも、痛いのに、なんかとても嬉しい気分です。痛いのが嬉しいって風子Mですか。Mじゃないです。どっちかというと女王様です。
 こんなときまでバカなこと考えてますね。それが可笑しくてへらへらと笑うと、姫百合さんも笑ってました。
 みんな楽しいのでしょうか。よく分かりません。
 でも、こういう気分だってみんなで分かってるのは……
 とっても最高なことだと、そう思ったんです。
 あったかい気分でした。体のどこかもあったかい感じでした。

 ……いつだったでしょうか。
 この感じを、どこかで、風子は知っていたような気がします。
 光が、舞って。
 とってもきれいで。
 風子なりに言うと……
 これが、未来なんです。
 あったかくて、懐かしい……未来……

     *     *     *

 姫百合瑠璃の体も、
 藤田浩之の体も、
 ボタンと呼ばれていた猪の体も、
 伊吹風子の体も、
 もうそこにはない。
 瓦礫の山に埋もれることすらなく、存在そのものが光に飲まれた。
 だが、光が収まった後に……いくつかの、新しい小さな光が生まれた。
 光はすぐにどこかへと消え去った。
 どこかを目指して、消えた。
 その先は未来とも言うべき、その場所である。




【藤田浩之 死亡】
【姫百合瑠璃 死亡】
【伊吹風子 死亡】



高槻、ゆめみ
装備:M1076、ガバメント、M79、火炎弾×7、炸裂弾×2、忍者刀、忍者セット、おたま、防弾チョッキ、IDカード、武器庫の鍵、スイッチ、防弾アーマー

麻亜子
装備:デザートイーグル50AE、イングラム、サブマシンガンカートリッジ×3、二連式デリンジャー(残弾1発)、ボウガン


朝霧麻亜子
【状態:なりたい自分になる】
【その他:体操服(上下のジャージ)を着ている】

高槻
【状況:主催者を直々にブッ潰す】

ほしのゆめみ
【状態:パートナーの高槻に従って行動】
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