POP STEP GIRL







 狭いダクトの中を這いながら進む、朝霧麻亜子の速度は鈍かった。

 ずっと考え事をしているせいだった。

 自分は何のためにここにいて、何をしたらいいのか。
 脱出のために、生きて帰るためになどという、そんな当たり前のことではなく、もっと根本的ななにか。
 これから先、未来永劫自分を支えていく根源的ななにかを探そうとしていた。

 あたしは。

 今までずっと、その場その場の対処しかしてこなかった。
 その瞬間にやることを分かってはいた。だから、ヘマを踏むことは少なかった。
 だがそれだけだった。後輩を失ってから先、麻亜子は『そのためだけに』出来るものを探さなかった。
 本能的に拒否していたのかもしれない。きっとそれは、怖かったから。
 二度まで手放してしまうのが怖くて、喪失の痛みが怖いと感じていたから。
 自分勝手な、朝霧麻亜子という女は、いつかなくなってしまうことを恐れていた。
 それこそ叶わない願いだというのに。自分がここという世界に生きている限り、なくならないものはないのに。
 いやだからこそなのかもしれない。拒否するあまりに、いつかはなくなると分かりきっていたからこそ、
 失うものは自分だけでいいという結論に至ったのかもしれない。
 ……でも、それじゃダメなんだ。
 芳野祐介の言葉、藤林杏の後姿を思い出しながら、麻亜子は己の恐怖と向き合った。
 自分だけでいて、満たされるわけはない。それではあまりにも寂しすぎる。
 無言の信頼であってもいい、単なる気遣いでもいい。
 無条件に誰かに背中を預けられるものひとつあるだけで、人は真の充足を得られる。
 芳野が逃がしてくれたのは、杏が逃がしてくれたのは、麻亜子にその機会を与えようとしてくれようとしたからなのだろう。
 寂しいままに、義務感に駆られて死んでしまうのを見たくはない、それだけの理由で。

 あたしは。

 恐ればかりの心の中。
 間違ったことばかりしてきた自分がいてもいいのかという恐れ。
 再び喪失を迎えたとき、まともでいられるのかという恐れ。
 こんな卑小な自分を受け止めてくれるだけのひとがいるのかという恐れ。
 誰にも、何もしてやれないのではないかという恐れ。
 怖い。あまりに怖く、躊躇ってしまう。
 どうやってみんなは、この怖さを乗り越えてきたのだろう。
 踏み出せないままに疑問だけが募る。
 どうやれば自分は、人は。
 強さを手にいられるのだろうか。

 あたしは。

 ダクトから抜け出た先では、先行していた伊吹風子が待っていた。
 間を持て余していたのだろう。青く光る、綺麗な宝石を手で弄びながら小さく立ち尽くしていた。
 出てきた麻亜子に気付き、いつもの顔が無言で持ち上げられた。

「ごめん、待たせた」
「遅すぎです」

 宝石をしまいながら、風子は麻亜子の横に並んだ。
 その顔色に変化はない。少し固い、幼さの中に生硬い色を残した瞳がある。
 あの会話の一部始終は聞いていたのだろうか。
 いやあれだけ大声でやりとりしていたのだ、聞こえないはずはなかった。
 半ば、風子の家族を見捨てた形の自分。どう、思われているのだろうか。
 聞こうにも、麻亜子は聞く術を持たなかった。
 いつもの茶化した聞き方ができないことがひとつ、そして風子に詰られるのではないかと思ったのがひとつだった。
 だから麻亜子は、今まで自分がやってきた通りの『その場の対処』しか話題に出せなかった。

「これから、どうする?」
「どうするもこうするも……爆弾の回収が先だと思います。一旦下に降りて、エレベータのところまで行きましょう」

 風子にしては珍しくまともな意見だったが、それに冗談を言える空気ではなかった。
 ああ、うん、と頷いて、階段を探すために麻亜子と風子は歩き始めた。

「……えらく素直ですね。いつもの調子はどこに行ったんですか」
「……そんなの、言えるような状況じゃないだろ」

 空気の違いを察したからこそなのか風子は尋ねる声を出してきたが、麻亜子は突っぱねる返事しかできなかった。
 自分の中に根付いてしまった恐れがそうさせてしまった。
 嫌で、嫌で、仕方ないのに。

「別に、いいんです。ユウスケさんはそういう人だって分かってましたから」

 特に気にすることもないような調子で、風子は言った。
 二人が別れる際の会話が思い出される。
 ただ一言の、しかしお互いを分かりきった会話。
 あんな言葉でしかなくても、それぞれに納得できている。
 だからこそ風子はこう言ったのかもしれなかった。

「昨日ですね、ユウスケさんと、色々話したんです」
「いつ?」
「大体……ええ、風子がお風呂から上がってすぐくらいです」

 麻亜子が湯船に浸かっていた時間帯だった。
 朝にはいつの間にか隣で寝ていて驚いたものだったが、そんなことをしていたのか。

「将来のこととか、何をやってみたいかとか、そういうことです」
「チビ助、そういうのあるんだ」
「チビ助じゃないです。……それで、ユウスケさんは応援してくれるって言ってくれました」
「芳野のお兄さんは……どうするって言ってたの?」
「歌だけはない、って言ってたくらいでした。何も考えてないんです、あの人は」

 呆れもなく、失望もなく、ただそのような人間だと受け止めた声だった。

「だから思いつきで何でもやるんだろうな、って思いました。今さっきだってそうです」
「あれは……でも、あれは」
「カッコつけなんです。男の意地ってやつだったんでしょう。風子には全然分かりません」

 悪し様に言っているのではなかったが、どこか愚痴をこぼすような口調に、麻亜子は戸惑うしかなかった。
 大人としての生き方を貫いた芳野。機会を与えてくれた芳野。
 竦んでいることしかできない自分には大きすぎる存在だと思っていたのに、風子はまるで同等の存在のように言っていた。
 家族だから、なのだろうか。
 言葉のない麻亜子に構わず、風子は淡々と続ける。

「でもいいんです。それでいいんです。ユウスケさんは、それで良かったんです」

 淡々としながらも、風子の口調は震えていた。それでも泣いてはいなかった。
 風子の中でも整理がつけられないのかもしれない。
 麻亜子に吐き出すことで整理しようとしているのかもしれなかった。

「別に、風子がどう思おうが、他の誰かがどう思おうがいいんです。
 ひとは、そのひとらしくいればいいと思うんです。
 無理に正しいことをしようとしなくても、いいと思うんです」
「そのひとらしく……」
「風子の周りのひと、みんなそうです。岡崎さんも、笹森さんも、十波さんも、みんな自分勝手でした。
 こっちがどう思うかなんて少しくらい考えるだけで、自分が満足するように生きる。
 でもそれは間違ってなんかないです。そうするべきです。風子もそうしてます。いえ、そうするようにしました。
 それで、ありのままの自分を見てもらって、信じてもらうんです。
 いいも悪いもなくて、こんな風子なんだって信じてもらって」

 風子はそこで一度言葉を切り、麻亜子へと向き直った。
 変わることのない、愚直でもあり純真でもある瞳に見据えられ、一瞬息が詰まりそうになる。

「まーりゃんさんは、風子はどんなだって思ってます?」
「……それは」

 麻亜子の知っている風子。
 なにかとつまらないことで喧嘩をし、じゃれ合い、他より年上なのに揃って子供染みたことばかり繰り返している。
 馬鹿馬鹿しくて、下らなくて、ふざけている。

 あたしは。

 でも、楽しかった。

「チビのくせに大人ぶって、のーてんきなアホで、あたしに突っかかってばかりの……いい友達だと、思ってる」
「その言葉、そっくりお返しします。チビで目立ちたがりでアホみたいなテンションのまーりゃんさん」

 麻亜子も、風子も一斉に笑った。
 お互いに同じことを考えていた可笑しさと、ようやく素直に言葉を交し合えたことへの嬉しさ。
 それらがない交ぜとなって笑いを呼び起こしたのだった。
 何も考えずに、無条件で自分を見せられる心地良さがあった。

 あたしは。

 誤魔化してなんかいなかったのかもしれない。
 馬鹿なことをしていたのは、逃げなどではなかった。
 本当に楽しいと思っていたからやっていただけだった。
 自分でやっていたくせに、何故そんなことにも気付けなかったのだろう。
 それくらい自分を見ようとしてこなかったということなのかもしれない。

「そうです。どーせ今の風子はそんなもんです。でもいいじゃないですか、楽しいんですから」
「……そうだね、それが一番」

 自分らしく。
 どんなものかさえ分かっておらず、輪郭もあやふやだと思っていたのに、
 こうして会話ひとつ交わしただけで実体を伴って自分の中に染み込んでくる。
 友達とは、こういうものだった。
 失ってしまうもの、いつかなくなってしまうというイメージが大きくなりすぎていて、
 その本当の意味を忘れてしまっていた。
 ようやく笑いも収まってきた麻亜子はひとつ息をつき、ようやく見えた階段の先を眺めた。
 照明も暗い鉄製の階段はどこまでも伸びているようで、先の長さも分からない。

「ね、チビ助」
「チビ助言わんといてください」
「あたし、もっと色々な人と知り合うよ」
「無視ですか。まあいいです」
「そんで仲良くなってさ、あたしが必要だって、そう言わせてみたい」

 誰かに己を必要としてもらう。
 芳野が風子に無言の信頼を預けたように、自分もその存在を見つける。
 芳野だけではない。河野貴明が久寿川ささらと共にいたように、ささらが貴明といたように、
 誰もが芳野と同じことをしている。

 あたしは。

 人が人を想う環に加わり、連綿と続く命のひとしずくになる。
 有り体に言えば恋愛や結婚。それだけの話だったが、麻亜子なりに考えた『救済』はこんな結論だった。

「そうですか。まあ、風子は今のところ勉強しか考えてないので、おバカに付き合うのは今日までの予定です」
「いやお笑い芸人じゃなくってだな」
「えっ」
「本気で驚いた顔すんなっ! 声優になりたいんじゃあたしはー!」
「へー」
「冷めた反応しないでよ!? もっとこう夢のある話だとかキャーマーサーンとか黄色い悲鳴上げてくれたっていいと思うよ」
「頑張ってください」

 風子のそっけない言葉に愕然とする思いだったが、元々こういう人間なのだったと結論した麻亜子は溜息をひとつ残して会話を止めた。
 全く、最後の最後までペースを握らせてくれない、天敵のような女だった。

「ところで声優ってなんですか」
「知らなかっただけかいっ!」

 階段を下りつつ、ハイテンションとマイペースの混ざり合った奇妙な会話が繰り広げられる。
 いつも、でいられる瞬間。こうした時の、一瞬一瞬の時間で自分は、自分達は救われているのかもしれない。
 そんなことを麻亜子は思った。

「で、なんなんです声優って」
「えー、あー、それは……アテレコする人」
「アテレコ? 何か収録するんですか」
「……微妙に認識が違ってるのは気のせいじゃないって思うね。
 まあ間違っちゃいないよ。アニメとか、洋画の吹き替えなんかをしたりするのさ」
「あー、あれですね。なるほど分かりました。中の人になるんですね」
「チビ助の言葉選びは一々エキセントリックだって思うよ」
「お前が言うなと返事しておきます」

 エレベータのパネルは、確かこのあたりで止まるような設定だったか。
 目的のフロアを見つけ、エレベータへと急ぐ。
 一応爆弾の回収という目的を背負っている以上、行動は迅速にするべしという共通の見解が二人にはあった。
 それともう一つ。
 二人の、芳野と杏の安否が気になっていたからというのもあった。
 無事に逃げられたのだろうか。
 それとも宣言通り、アハトノインを見事に打ち倒してくれたのだろうか。

 二人は。

 二人は――

「……」
「……」

 降りきった大型エレベータの端。
 柵に寄りかかるようにして、二人は眠っていた。
 気色は最悪だったが、随分と形の良い顔色だった。
 とても楽しそうで、とても穏やかで、羨ましいという感想さえ浮かんだ。
 二人が戦っていたであろう機械の姿はなかった。
 ただパーツの欠片がそこら中に転がっていたことから少なくとも無事ではないのは明らかだった。
 いや、トドメをきっちりと刺したのだろうと、自信を持って思うことができる。
 そうでなければ……こんな充足した、満たされた顔でいるわけがない。

「預かりに、来ました。二人とも」

 風子は静かにそう言い、エレベータの端に鎮座していた爆弾の載った台車へと進んでゆく。
 麻亜子は使える武器はないかと持ち物を検分してみたが、使えそうなものはなかった。
 文字通りの総力戦だったのだろう。

 ねえ。

 あたしは。

 目を閉じたまま眠っている二人の姿を眺めながら、その先にいる懐かしい親友二人の姿を眺めながら。
 にっと口をいっぱいに広げた爽やかな笑みを浮かべながら。

 行ってくるぞ、諸君!
 あたしは、ここから……卒業するっ!
 ぐっ、と親指を突き出して麻亜子は誓った。


 それが彼女の卒業式だった。




麻亜子、風子
装備:デザートイーグル50AE、イングラム、SMGU、サブマシンガンカートリッジ×3、S&W M29 5/6、SIG(P232)残弾数(2/7)、二連式デリンジャー(残弾1発)、ボウガン、宝石、三角帽子


朝霧麻亜子
【状態:なりたい自分になる】
【その他:体操服(上下のジャージ)を着ている】

伊吹風子
【状態:泣かない。みんなで帰りたい】
-


BACK