そこは、世界にただひとつ残された、最後の楽園だった。 照明にしては明るすぎるくらいの光が照りつけ、等間隔に敷き詰められた石床は綺麗に磨かれ、素晴らしくつるつるしている。 一方石床以外の足場は雑草ともつかぬ植物が生い茂っており、石柱にも巻き付いてそこだけが年月を経たような有様になっていた。 目を移してみれば、畑のようなものまであり、色とりどりの花が空間を着飾っている。 ちょろちょろと聞こえる小さな音は水音だろう。上手く風景に紛れているのか、ぱっと見ではどこにあるのか分からない。 部屋の中央には一対の机と椅子が用意されており、それも綺麗に磨かれた大理石のものだった。 ただ――空の色だけは単調な青一色であり、ここが偽物の楽園でしかないことを強く示していた。 「驚いたな、こんなところがあるなんて」 構えていた銃を下ろし、ルーシー・マリア・ミソラは呆然と呟いた。 いや、正しくは呆れていた。こんな時代錯誤も甚だしい施設を構えている主催者の神経が改めて分からなかった。 単に庭園というのならば分からなくはない。城にそのようなものを配置するのは理解できる。 しかしそれは住人が人間であるならばの話だ。ここには花の美しさを楽しみ、愛でる住人などいない。 いるのは機械だけだ。ただ命令のままに動く機械の兵隊だけ。 逆に皮肉っているとさえ取れた。自分達ばかりではなく、この世界そのものを嘲笑っているような、そんな感覚だった。 「懐古趣味もいいところだぜ。空中庭園のつもりかよ」 同じものを那須宗一も感じ取ったのか、棘を隠しもしない口調で言う。 周囲を絶え間なく見回しているのは、恐らくは何か仕掛けがないかどうか探っているのだろう。 それほど、この空間は胡散臭い。 「でも、綺麗なところですよね」 フォローなのか素なのか、どちらともつかない調子で古河渚が言った。 確かに、見た目には美しい。日常にどこかのビルの中で見れば、素直に賞賛の言葉を出していただろう。 結局のところ、こんな場所にあるから反感を持つだけなのかもしれない。 やれやれと心の奥底に根付いた毒を手で払い、ルーシーは「行こう」と歩き出した。 「取り合えず道沿いに行けば別のところに行けると思う」 「だな。ったく、どこまで広いんだかここは……」 宗一は相変わらず周囲に目を配っている。 妙に気がかりに思ったルーシーは「嫌な予感でもするのか」とカマをかけてみる。 「始めに言っておくが、俺の勘の的中率は高いぞ」 「それは信用できそうだな。で」 「来るかも」 簡潔な一言だったが、だからこそ、という気になった。 渚と頷きあい、前方に注意を向ける。 テーブルセットを越え、今はほぼ部屋の中央にいる。 幸いにして通路自体は一方通行であるため、囲まれる可能性は低いのが救いだった。 「あ、そうだ言い忘れてたわ」 「なんだ」 言っちゃっていいのかな、と前置きしてから宗一は苦笑する。 「早く言え」 「いやーその、実はさ」 ばしゃ、と背後から一際大きな水音が立った。 魚が跳ねた? そんなもの、ここにいるはずがない。 ここは命の途絶えた死の楽園だ。 ならば、そこに潜んでいるのは――物言わぬ守衛だ。 「口にした途端に起こるんだ。『悪い予感』」 振り向くと、そこでは宗一と、水に濡れた『アハトノイン』が刃を交えていた。 水中から奇襲された? 一瞬でその結論を下すと、ルーシーは宗一の肩越しにクルツを撃ち放った。 水中から飛び出したまま宙に浮いていたアハトノインは銃弾をもろに受け、再び水中へと落ちる。 サバイバルナイフを逆手に構えた宗一が「ということだ」と締めるのを「なら言うな!」とルーシーも怒声を飛ばす。 「いや忘れてたんだ。悪い悪い。まあタイミングは計れたってことで」 「あ、あの、今ので……」 「いや、多分ピンピンしてる。手ごたえがない」 人を少なからず撃ち、少なからず殺しているからこそ、ルーシーはアハトノインが動いていることを瞬時に悟った。 この庭園には見えにくい水路が至るところにあるようで、アハトノインはそこを伝って移動してきたのだろう。 機械であるから、水中での窒息もない。いつどのタイミングで攻めてきたものか分かったものではない。 「走り抜けた方が良さそうかもな」 宗一の提案に、渚とルーシーも頷いた。わざわざ相手に合わせる意味もない。 問題は振り切ることが出来るかということだが、はっきり言って自信がない。 それでもやるしかない。踏み止まっている暇は、なかった。 「走れ!」 宗一の声に合わせて全員が走り出す。庭園を抜けるまでは距離にして50mもなかったが、 目の前の敵はそう易々と通してくれる相手ではなかった。 先ほどよりも大きな水音と飛沫が跳ね上がり、大きく跳躍したアハトノインが頭上を通過する。 力任せの先回りもできるらしい。水滴を垂らしながら降り立つ黒衣の修道女に向け、再度クルツを発砲する。 しかしアハトノインは着地の硬直などまるで無視して横に飛び、ルーシーの弾幕を掻い潜ってくる。 こちらを見定める、薄銅色の工学樹脂の瞳。狙いを定めた殺戮機械は、まずルーシーを屠るつもりのようだった。 上等だ。心中で啖呵を切り、グルカ刀を抜いていたアハトノインに休むことなく弾を撃ち続ける。 数発当たる。だが少しばかり身じろぎしただけで、アハトノインは止まらない。 どっちだろうがお構いなしか。流石に回避に移るべきと判断し、一旦発砲を止めた瞬間……アハトノインが小さく屈んだ。 ルーシーがそれを認識した時には、凄まじい速さで前に飛び出していた。 「速……!」 斬られる。間に合わないと思ったが、「でえぇぇい!」という場違いな気合と足がアハトノインの斬撃を中断させた。 宗一だった。周りからの攻撃に対して無防備になるのを狙っていたらしい。 蹴り倒した勢いに任せ、続けてグロック19の引き金が引かれた。 至近距離から発砲されては流石にダメージが通ったのか、アハトノインの腕がビクンと跳ねる。 全弾撃ちつくしたのを確認して、宗一がアハトノインから離れる。普通の人間なら既に死んでいるが、 アハトノインは平然と起き上がったばかりか、起き上がった勢いに任せ、宗一を射程圏内に捉えていた。 「いっ!?」 「那須!」 辛うじてアハトノインの攻撃から救われたルーシーに援護の暇はない。 だが、戦える者はもう一人いる。 宗一の足元から火線が走り、アハトノインの右半身に着弾する。 むき出しの足を銃弾から守るものはなく、穴の開いた足から血のようなものを噴出させ、修道女がぐらりと傾き、転倒する。 「よし、ナイスアシスト!」 「……分かってて慌ててましたよね?」 立ち上がった射撃手の渚が立ち上がり、確信する口調で言った。 「なんで渚にはバレるかね」 「だいたい分かります」 「浮気できないな……っと!」 ベルトに差していたウージーを取り出すと、まだ起き上がろうとしていたアハトノインに追撃する。 全弾着弾はしたが、それでもトドメを刺すに至らないらしく、宙返りをしながら後退する。 体の至るところに穴が開き、顔面のいくらかが抉れて金属フレームが露になり、元は美麗だった足も赤い液体が漏れ、 ドロドロと地面に滴らせながらも、それでも平然としている。 「不死身かよ……」 「こっちを殺すまで死ななさそうだ」 「ロボットじゃなくて……ファンタジーの化物みたい、です」 渚でさえこのような表現をしていることに、ルーシーは少なからぬ驚愕を覚えた。 それほどの殺意と、執念と、おぞましい何かを宿している。 アハトノインは殺し合いを強要させて恥じない連中の意志そのものと言っていい、傲慢と暴力の象徴だった。 度重なる銃撃の影響か、ボロボロになっていたフードが落ち、貌が露になる。 細やかな金糸の髪が揺れ、ざわざわと波立った。濡れているからなのか、それは余計に美しく妖艶に思えた。 旅人をその歌声で水底に沈める魔女、ローレライ……ルーシーが抱いたのはそんな感想だった。 いや、歌声ではない。呪詛だ。何千の血を吸いながら当然としか断じない者が放つ、呪いの言葉だ。 殺せ。或いは、食え。いやどんな言葉でもいい。とにかく、それはルーシーにとってはおぞましく、地下道に籠もった饐えた臭気だった。 「次で決着をつけるぞ」 だからルーシーは自然と口に出していた。もうこれ以上、見ていたくなかった。 見ていると湧き上がる感慨は怒りや憤懣ではなく、ただ哀れだと思う気持ちだったから…… 石畳を踏み潰し、アハトノインが疾駆する。相変わらずの前進突撃。だが、その突撃は何者にも止められない。 ならば受ける必要はない。手持ちの武器でトドメを刺すには…… ルーシーは腰につけている、確実にアハトノインを倒せるであろう武器に触れる。 これならばあの怪物も打ち崩せる。問題は、確実に弱点に当てることだった。 頭を撃ち抜こうが止まらないロボットだが、決して不死ではない。機械である以上必ずカラクリがある。 大体の予想はついている。後は、己の勘を信じて行動できるかだった。 いけるさ。どこの誰ともつかない声がそう言い、そうだなとルーシーも応えた。 自分にはこれまでに培ってきたものがある。新しく知ったことがある。思い出したこともある。 人の心を慮れるやさしさも、身を預けていられる心地良さも持っている。 そのために犠牲にしてしまったものもある。自分が許せなくなるくらいの後悔だって、した。 ここで自分がやったこと。ここで生き抜こうとした人たちのこと。 所詮それはどんな歴史にも残らない、たかが一つの惑星の、屑鉄に沸いた錆のようなものでしかないのだろう。 しかしたとえそうであったとしても、私は…… M10を発砲する渚を援護にして、宗一がウージーを持って突進する。 アハトノインはしゃがみ、長い足を突き出すような足払いを繰り出す。挙動は異常に素早い。だが相手が悪かった。 世界一のエージェント、ナスティボーイに生半可な格闘は通用しない。 逆に足を狩った宗一はバランスを崩したアハトノインの顔面目掛けて追撃の前蹴りを見舞う。 ところがアハトノインは有り得ない速度で上体を反らし、器用に全身をバネにして宗一の蹴りを受け止めた。 ちっ、と舌打ちしながら宗一がナイフで挑みかかる。 既に体勢を立て直していたアハトノインはグルカ刀で難なく受け止め、返す刀で宗一の側面、脇腹を狙う。 バックステップしても避けられない。ならばと宗一は無理矢理前転して刀を空かす。 そこに付け入らせないのが世界一たる所以だった。 腕の力だけで体を持ち上げ、脚を振り上げ、踵落としのような一撃を与える。 アハトノインが崩れる、かと思えばしぶとかった。 ガシャ、という音がしたかと同時、アハトノインの左手に小型のナイフが収まっていた。仕込みナイフだ。 マジかよ、と宗一が呻く。しかし言葉とは裏腹に行動は冷静で、 体勢を崩しつつも近距離では役に立たないウージーを放り捨て、腰に差していた十徳ナイフを引き抜く。 アハトノインの振り下ろしたグルカ刀と小型ナイフに、宗一のサバイバルナイフと十徳ナイフが鍔迫り合う。 宗一でなければ串刺しにされていただろう。だがこのままでは宗一が不利になる一方だ。 どうするとルーシーは一瞬逡巡した。まだ機会ではない。飛び込むにはもうちょっとだけ早すぎる。 だが、仲間の命が―― ――いや、そうじゃない。信じろ。 踏み出しそうになる足を押し留める。 信じる力。人と人が生み出す、奇妙な、それでいて何物にも負けない力。 それは、かつて故郷で教えられた言葉だった。 皮肉だとは思わない。何故なら、自分と美凪がそうであったように。 あらゆる物理法則を越えて、『みんな』はひとつ≠ネのだから。 押し込もうとしていたアハトノインの、華奢ながら頑強な体が白煙を噴き出す。 アハトノインが振り向く。その先では、宗一が投げ捨てたウージーを腰だめに構えた渚の姿があった。 渚に矛先を変えようとするが、その体が動くことはなかった。 宗一が釘打ち機を足元に打ち込み、動かないようにしていたからだった。 今のアハトノインは動けない。望んで止まなかった、チャンスの到来だ。 「ナイスキャッチ」 「実は、野球は得意なんです」 ニヤと笑い合った二人には恋人という間柄を越えた、もっと深い繋がりがあるように思えた。 誰もがそうなのかもしれない。誰もが既に、見つけ出しているものなのだろう。 そこには自由に入ってゆくことが出来る。望みさえすれば。 だから、私も……もっと大きなひとつになる。 裂帛の気合と共に、ルーシーが突き出した日本刀が、深々とアハトノインの胸部を貫いた。 「……!」 声にならない声を上げ、全ての繋がりを断ち切ろうとする存在が、ただ壊すだけの存在がルーシーを睨む。 焦点も定まっていないカメラアイは、既にロボットとしての機能を失っていることを証明していた。 「失せろ」 抑揚のない声で言い、刀を更に深く押し込むと、アハトノインは呆気なく崩れ落ちた。 指一本さえも動かす気配はなく、完全に機能停止したことを確認して、ルーシーは長い溜息をついた。 「まだ終わってないぞ」 倒した安心感からか、座り込んでいたルーシーに宗一が手を差し伸べる。 後何体いるかは分からないが、まだ戦いは終わっていない。これからだ。 やれやれ、最後まで戦い抜くというのは疲れるな、なぎー? 苦笑して、宗一の手を取る。強い力で引っ張られるのを感じ、全身から抜けていた力が戻ってくるのも感じた。 尻についた埃を払いつつ、ルーシーは「にしても、見事だったぞあの連携は」とまずは二人を褒める。 「だろ? これが」 「みんなの力です」 「……そこは愛の力って言おうぜ」 「恥ずかしいじゃないですか……」 その後小声で「それに、ムードがないです」と付け足した渚に、くくっとルーシーは笑った。 どうやらこういう部分での女の扱い方には慣れてないようだと思い、首を傾げる宗一に「もっと勉強するんだな」と言っておいた。 納得のいっていない風に眉根を寄せた宗一だったが、まあいいかと思ったのか「それよりも」と話題を変える。 「野球が得意ってマジか」 「お父さんが得意でした」 「……なるほど、血筋ってか」 宗一は軽く笑っただけだったが、ルーシーにはどうにも不思議でならなかった。 思い返してみれば、あそこまで鮮やかに宗一に合わせられるというのも凄い話なのだ。 世界一は伊達ではない。プロに合わせるには、プロの技量が必要だ。 息は合っているのは疑いようのない事実なのだが、それだけではないように思えた。 「それに、なんだか今はとっても調子がいいんです。すごく体が軽くて」 「ほー……やっぱりこれは」 愛の力、か。終わりのなかった殺し合いに終止符が打てると思えば、それくらいの力が発揮できるものなのかもしれない。 まだまだこの地球には不思議なことが一杯だ、と感慨を結びつつ、さもありなんという風に頷いておいた。 「……」 「……」 「まあいいさ。後に聞くよ」 「そうしてください」 にっこりと笑った渚に、やれやれと肩を竦ませつつ宗一が歩き出した。 その背を追う渚は、見事に無茶苦茶少年の手綱を取っている。 本当に大したものだ、とルーシーは感心する。初めて会ったときは、今にも崩れ落ちそうなほど儚い印象があったのに。 前に、前に進むたびに彼女は本当の意味で強くなっている。控えめだけれど、しっかりと他者を支えていける人間になった。 やはり渚のようにはなれそうにもない。あれは規格外だということを今さらのように理解し、ルーシーは諦めの息を吐き出した。 だが羨望や嫉妬はなかった。なら自分は別の強さを身につけていけばいい。人を思いやれる程度には優しくなれればいい。 「そう、なれているかな」 銀の十字架に手を触れる。無言で応えてくれるそれもまた、優しかった。 二人の背中を追おうと、ルーシーも走り出す。二つ分の足音を伴って。 二つ? 幻聴ではなかった。 確かに音は、そこにあった。 振り向く。後ろの世界では、有り得ないことが起こっていた。 串刺しにされ、完全に機能を停止したはずのアハトノインが、グルカ刀を持って突進してきていた。 何が起こっているのか分からなかったルーシーが現実を認識したのは、 肉に刃物が突き刺さる、気持ちの悪い音を聞いたときだった。 「っ……かはっ」 異物が体にめり込む感覚。ひたすら違和感を覚えたのは最初だけで、そこから先は苦痛の地獄だった。 想像を絶する痛みが体中を駆け巡り、命を支える柱が崩れてゆく実感があった。 痛いとは、こういうことなのか? 春原が、澪が、美凪が味わった感触がこれだというのか。 声を出そうという発想さえなかった。そんなことさえ考えられないくらい、全身が死に支配されている。 アハトノインの、相変わらず焦点の定まらない瞳を見る。 無表情のまま、グリグリと刀を押し付けてくる彼女からは悪意さえ感じ取れる。 てらてらと輝く金属骨格の光は、全てを無駄だと言い切るような怜悧さがあった。 冗談じゃない。ルーシーはその一語だけを心に思い、残った力の全てを使って、アハトノインの胸部に突き刺さる刀を掴んだ。 「まだまだだっ!」 絶叫と共に渾身の力で刀を振り上げる。その拍子にぶちぶちと自らの肉が切れ、 どろりとした感触が己の内奥から喉元に逆流してくるが、ルーシーの行動を妨げるほどのものではなかった。 無理矢理切り上げられ、アハトノインの体が肩口からほぼ真っ二つに裂け、か、と口が大きく開かれた。 苦悶の表情のつもりなのだろうか。なら楽にしてやると、ルーシーはワルサーを切り裂いた部分に突っ込み、 引き金を引いた。内側からでは強固な装甲も防弾コートも役には立たず、 アハトノインは動力源ごと機能停止に追い込まれることになった。 冷却液を飛散させながら天を仰ぎ、倒れた修道女は今度こそ完全に死んだ。 その様子を見届けてから、ルーシーもガクリと膝を折った。 「るーちゃんっ!」 悲鳴に近い渚の声が聞こえ、緩慢な調子で振り返ると、渚は今にも泣き出しそうな表情でルーシーの肩を掴んだ。 ああ、痛い。そう言って笑ってみせると、渚はビクリと震え、手を離す。 途方に暮れたような渚の顔が痛々しく、死ぬのかとぼんやり思ったが、全くそんな感じはしなかった。 むしろ心地良い。ここまでやりきったという思いがそう感じさせるのか、 それともこれが死を迎える感覚なのかと考えたが、どちらとも判然とせず、 背後で立ち尽くしている宗一に視線で問いかけてみた。 だが宗一も答えることはなく、ゆっくりと首を振った。やはり、自分で考えろということらしい。 そうして少し考えてみた結果、ちょっとした大怪我なのだろう、と思うことにした。 「……ちょっとやられただけだ。少し休めば、また良くなる」 「ちょっとって……!」 どうなっているかは自分でもよく分からなかったが、恐らくは血まみれなのだろう。 今も出血しているのかもしれない。それでも死ぬとは思えず、ルーシーはまた笑ってみた。 やせ我慢などではなく、本当に気分が良かったからなのだが、渚はそうは思ってくれなかったらしい。 ごめんなさい、と繰り返す渚に、ルーシーは「だったら」と返した。 「医者になって、渚が治してくれ。ふふ、傷痕も残らないくらいのやつで頼む」 ここに来るまでに交わした雑談の中で、渚は医者になりたいと言っていた。 なんだか彼女らしいとも思えたし、患者にも優しい先生になるだろうとも予想できた。 対して自分は、取り合えずウェイトレスになって働くくらいのことしか思いつかず、口を濁していた。 それも自分と渚の違いなのだろう。だから今は、世界一のウェイトレスになってやろうと、そう決める。 「分かり、ました……約束、です」 小指を差し出す渚に、うんと応じてルーシーも小指を絡ませた。 こういうのを、なんと言うのだったか。ああ、日本の文化には詳しくない。 やれやれ。世界一は厳しいな。 そう思っているうちに小指が離れ、少しだけ寂しく思って、ルーシーは「ついでに」と髪につけていた十字架を外す。 「これ、持って行ってくれないか。口約束だけじゃ信用できないからな。私が合流したら返してくれ」 遺品として手放さないと決めたはずのそれを、なぜ渡そうと思ったのかは自分でも分からなかった。 いや、と頭に浮かんだ考えを否定する。きっと、そうだ。 だからルーシーは新たに浮かんだ考えを紡ぐ。 「あらゆる物理法則を越えて、私も、渚も、なぎーも、皆はひとつだ」 出し抜けに言ってしまったからか、わけの分からない言葉になったかと思ったが、聡い渚は理解してくれたらしく、 薄く笑って、十字架を受け取ってくれた。 「ちょっと待て。私がつける」 笑ったのが自分にとっては嬉しく、ルーシーは十字架をひったくると渚の髪に手を回し、 短いポニーテールの髪留めになるように十字架をつけた。 少し地味だった渚の髪型はちょこんと垂れたポニーがアクセントとなり、彼女の可愛らしさを引き立たせていた。 「そっちの方が似合うぞ。どうだ、私のセンスも悪いものじゃないだろ」 なあ、那須。そう言ってやると、渚は宗一の方に振り向いた。 いきなり様変わりした渚を見せ付けられた宗一の顔がたちまち照れた色に染まり、 「ま、まあまあな」と予想通りの言葉が返ってきた。 最高の気分だった。初心な奴め。とことん恋愛には疎い宗一を年上の目で見ながら、 ルーシーはこれが自分の目指したところか、と考えを結んだ。 どんなに苦しくて、辛くて、みっともなくても、ここを目指してきて良かったと心から思える。 うーへいも、なぎーも今はこの気分を味わっているに違いない。 「さ、もう行ってくれ。もう少ししたら、私も追いかけるから……」 笑い疲れ、やっとのことで切り出すと、渚も宗一も今度は何の躊躇いもなく頷いてくれた。 ようやく自分はまだ大丈夫だということに気付いてくれたらしい。 走り去ってゆく二人の背を見送りながら、ルーシーは天を仰いだ。 チープな空だけがある。そこには何も映っていない。 逆に言えば、ここから何でも作っていけるということだった。何もないなら、作ればいい。 これから時間ならいくらでもあるのだから…… 「そうだ、思い出した」 空に差し伸べていたルーシーの手が、小指一本差し出したものに変わる。 「ゆびきりげんまん、だったな」 【ルーシー・マリア・ミソラ 死亡】 【場所:『高天原』】 【所持品一覧】 1:宗一、渚 装備:ウージー、グロック19、クルツ、サブマシンガンカートリッジ×5、38口径弾×21、M10、バタフライナイフ、サバイバルナイフ、暗殺用十徳ナイフ、携帯電話、ワルサーP5(2/8)、日本刀、釘打ち機 那須宗一 【状態:怪我は回復】 【目的:渚を何が何でも守る】 古河渚 【状態:健康】 【目的:今は、前だけを】 - BACK