タイムリミットの前の暇潰しも、いよいよ佳境に入っていた。 単純に追うだけでは猪は捕まらないと判断したデイビッド・サリンジャーは、 複数のフロアに予めアハトノイン達を置いておくことで包囲するように猪を追い詰め、 そして今や猪は中層付近の一フロアで右往左往しているだけだ。 手こずらせてくれた、とサリンジャーは感想を結ぶ。外からは虫一匹入れないはずの鉄壁の要塞も、 中はまだ未完成なのだという事実を思い知らされた。改善の余地はまだまだあるということか。 そういう視点で見ればこの謎の侵入者の存在も決して悪いことではない。 とはいえ、篁総帥は何を考えて動物を支給品にしようと考えたのか。 かつての主の理解の範疇を超えた奇行に辟易しつつ、サリンジャーは今後の予定を組み立てることに集中することにした。 お遊びはここまでだ。正午まで一時間と少し。そろそろ戦闘用アハトノイン達をスタンバイさせておく必要がある。 唯一負傷していた02も修理が完了し、問題なく戦える状態だ。サリンジャーは下層部の士官室…… 今はアハトノインのために割り当てた部屋へのモニターを眺める。 彫像のようにじっとして動かぬアハトノイン達の数は五体。 そのうち、護衛用としてサリンジャーの近くに控えている01を除いているので、 ここで稼動している戦闘用は実際には六体いることになる。少ない数かもしれなかったが、元々人間以上の実力を持つ上、 装備も万全、耐久力は比較にもならず、加えて戦闘用データを02から全員にフィードバックしているので、 もう不覚はないと考えても良かった。たかだか十五人でしかない生き残りを殲滅することなど容易いことだ。 この分だと『鎧』を持ち出す必要もなさそうだと断じたサリンジャーは、次に参加者達の情勢を観察する。 数時間前まで一箇所に集まっていた参加者達は、現在バラバラに散開し、島のあちこちに分かれている。 おそらく戦力を分散させようという試みなのだろう。降伏する意思も殺し合い従おうという意思もないらしい。 全く反応がないのもそれはそれでつまらないものだったが、目論見どおりではあるから気にすることもなかった。 集団戦のデータが取れないのは困り物だったが、データが取れるだけでも良しとしなければならない。 何しろこれから本格的にアハトノイン達の生産に入らなければならないからだ。 この島から宣戦布告をするために、世界の覇者たるための下積みももう彼女らの生産を残すのみだ。 既にサリンジャーの手元には最強の盾も矛も要塞もある。 どんな軍隊でさえ一蹴し、どんな兵器でさえ無効化してしまう、篁の技術を結集した発明の数々だ。 サリンジャーは早く使いたくて仕方がなかった。これらの兵器にはサリンジャーが関わっていないものも多数ある。 自分の論理を否定した者達が一体どんなに唖然とした顔になるかと思うとサリンジャーの愉悦は収まらなかった。 まず手始めにタンカーの一隻でも沈めてやるか。それとも直接アメリカでも攻撃するか。 全てが自分の掌の中という気分は悪いものではなかった。 あるかも分からない世界を侵略するという計画よりもよほど面白いというのに。 「まあ、総帥も勝ち続けてきた人間でしたからね……私のような、負けしか知らなかった人間の気持ちなんて分からない」 どんなに優秀でも、所詮はプログラマー。所詮は土台作りの役目しか担えない男。 篁の傘下に入ってからも常々言われ続けた罵詈雑言に、サリンジャーはひたすら耐えてきた。 いつか必ず足元に這い蹲らせてやる。それだけを考え、謙り、時には媚びさえして、頭を下げたくもない人間に頭を下げてきた。 戦うことしか知らない猿頭の醍醐にも、金持ちというだけで踏ん反り返る大企業の重役達にも。 「そいつらに核の一発でも撃ちこんでみるのも面白いかもしれませんねぇ……」 流石にこれは冗談だったが、それだけのことを易々と行えるだけの力が、サリンジャーの手の内にあった。 野望を実現出来る。その前に、目の前の塵をさっさと払ってしまう必要があった。 リサ=ヴィクセン。一応同僚ではあったが、職場の違いからか、それとも彼女が新参であったからか殆ど会話を交わしたこともない。 だが彼女の所属についてはサリンジャーも聞き及んでいる。『ID13』。アメリカ軍の誇る特殊部隊、そのエース。 彼女が参加した作戦は十割成功しているらしい。何の経緯があって篁に仕えていたかは分からなかったが、 彼女の仕事ぶりを聞き、サリンジャーは密かに感心していたものだった。 冷静沈着な判断と、時には味方でさえ欺く用意周到な作戦。そして、誰も寄せ付けぬ鋭い雰囲気。 地獄の雌狐の名に相応しく、一人でかなりの数の任務を成功させている事実は、サリンジャーにさえ良い印象を抱かせたのだった。 あれも始末しなければならないと思うと少々勿体無い気分になったが、仕方がない。 敵であるからには速やかに排除する必要があった。ナイフの刃先を突きつけられているというのは体に悪い。 アハトノインとどちらが上か、ということにも興味があったので、是が非でも彼女とは一戦を交えて貰わねばならなかった。 もっとも、勝つのは自分の兵士だろうが―― そこまでサリンジャーが思惟を巡らせた、その時だった。 「な……!?」 サリンジャーが驚きの声を上げる。思わず立ち上がった拍子に椅子が倒れ、机の上のコーヒーカップが倒れた。 呆気に取られるサリンジャーの視線の向こうでは、参加者の現在位置を示す光点がてんでバラバラなところに現れては消え、 信号のような不自然な明滅を繰り返していたのだ。 いやそれどころか、現在の生存者数、死亡者数すらも滅茶苦茶な値を示し、生存判定もおかしなことになっていた。 不調、そんなものではない。慌てて近くにいる作業用アハトノインの肩を掴み、「何が起こった!」と怒鳴る。 「何者かに参加者管理用のコンピュータを荒らされている模様です」 「なに……?」 ハッキング。即座にその一語が持ち上がり、横からパソコンの画面を覗き見る。 ザ・サードマン。その文字がディスプレイ上にでかでかと浮かび上がり、 悪魔をモデルにしたようなキャラが奇声を上げながら暴れまわっている。 いかにも古臭い手段に呆然とする一方で、どこから侵入されたという疑問が浮かぶ。 セキュリティに穴があるわけがない。そもそも接続できるような環境があるわけがない。 内部の裏切り? いや物理的に裏切れるはずがないのだ。何故なら、ここにいる人間は自分ひとりしかいないのだから。 従順なロボットが裏切れるわけがない。だが事実としてハッキングはされている。しかも趣味の悪い悪戯プログラムつきで。 「プログラマーの心当たりはある……あのガキか……だが、どうやって……!」 歯軋りするサリンジャーの耳に、今度は甲高い警告音が響き渡った。 侵入者の存在を知らせる、警告アラームだった。 『報告。報告。ゲート2、10、3より侵入者の模様です。数は不明』 「馬鹿な、どういうことだ!」 監視モニターに振り返ってみたが、そこには何も映っていない。 まさかと思う間に「監視プログラムもやられた模様です」という無遠慮な声が聞こえた。 アハトノインの無機質な声に苛立ちを覚える一方、まずはシステムを復旧させ、 迎撃に当たらせるべきだと指揮官の頭で考えたサリンジャーは、戦闘用アハトノインの待機している部屋にマイクで通達する。 「出撃だ! 侵入者の迎撃に当たれ! 私とアハトノイン以外皆殺しにして構わん!」 命令を受けたアハトノイン達が一斉に立ち上がり駆け出してゆくのを目の端で捉えながら、 続けてパソコンの前で固まっているアハトノイン達に「システムの復旧だっ! 急げノロマ共!」と怒声を飛ばす。 「ゲート2、10、3……?」 あまりにも急すぎる事態の変転に頭が混乱しながらも、サリンジャーは分析を続ける。 一斉に侵入されたと見て間違いない。しかも、こちらのセキュリティを何らかの手段を用いて破った上でだ。 雌狐め。主犯の存在を即座に思い浮かべたサリンジャーは力任せにデスクを叩き付けた。 しかもゲート2、3、10といえば参加者達が向かった方向と一致する。つまり、あの分散は最初から計算ずくというわけだ。 こちらが準備を整えている間に奇襲を仕掛けてきたのだ。有り得ないという感想が浮かんだが、現実を否定していても仕方がない。 戦闘用アハトノインが会敵するまでは少し時間がかかる。高天原の内部深くに潜り込まれてしまうのは恐らく確定だろう。 要塞内部には精密機器も多いために下手に銃火器が使えない。――しかも、それはこちらの論理であり、 破壊者たる向こう側にはそんなものは関係ない。島ごと沈められる危険性は皆無とはいえ、これでは…… 「……しまった!」 サリンジャーはもう誰もいなくなったアハトノインの待機室に目を回す。 高天原を傷つけないために、銃火器の使用を禁じる命令を出したままにしておいたことを忘れていた。 白兵戦しか挑めない状況と、好き放題撃てる相手の状況とでは、いくらアハトノインでも分が悪すぎる。 命令の変更を伝えようと、サリンジャーはマイクの送信ボタンに手を掛けた。 「駄目です。通信も不可能な状況です。現在復旧していますが、まだ時間が」 「それじゃ遅いんだよ、この役立たずがっ!」 割って入った声にカッとなったサリンジャーは思わずアハトノインの顔を殴りつけたが、 アハトノインは何事もなかったかのようにムクリと起き上がり、また淡々と作業を始めた。 何とも言えぬ不快な気分になったサリンジャーは、壁を思い切り蹴りつけた。 世界への宣戦布告を日単位で変更される羽目になった、サリンジャーの憤りの表れだった。 銃撃が許されているのは、上部のエレベーターからだ。 せめてそこまで辿り着いてくれるように、サリンジャーは爪を噛んで祈るしかなかった。 「……この私が、神頼みとはね」 * * * 「上手くはいったみたいだな。さぁて、この首輪ともようやくお別れってわけだ。アディオスアミーゴ」 「ぴこぴこ」 ポテトの相も変わらず喜色の悪い踊りを横目にしつつ、俺はゆめみが首輪を外してくれるのを待った。 藤田、姫百合の二人はどことなく緊張した面持ちで俺を見守っている。 まあ、失敗したら爆発するかもしれないってんだからそりゃそうだわな。 仮に失敗したとしても、このHDDの中にあるワームが敵方のコンピュータを引っ掻き回している頃合いだろうから、 しばらくは爆破させられる心配もないんだが。 全く大したプログラムだ。プログラミングの知識は聞きかじった程度でしかないんだが、こんなに自己増殖が早いとは。 しかもそれを一日も経たずに組み上げたってんだからこいつの姉……だったか妹だったかは凄いもんだ。 ま、和田って奴の情報がなければこうも簡単に侵入することも出来なかったんだがな。 多分結構前のデータのはずなのに、更新してなかったのが間抜けもいいところだ。 和田の言う通りアクセスしただけでするすると入れたんだからな。敵も想定外だったのか、見くびっていたのか。 あんな高慢ちきな放送するような敵さんだ。きっと油断してたに違いない。ざまあみろ。 そうこうしてる間に首輪は外れたらしく、見ていた二人も首輪を外し始める。 「ぴこ」 首輪をくわえたポテトが俺にほれ、と差し出す。 これのせいで散々苦労させられたし、酷い目にも遭った。 郁乃が死ぬこともなかっただろうし、沢渡が死ぬこともなかっただろう。 クソッタレめ。俺は乱暴に首輪を受け取ると、思いっきり窓の外へと投げ捨てた。 思ったより軽かった首輪は軽い放物線を描いて消えていった。 本当なら海でも投げ捨てたかったが、この際文句は言わん。 「こっちも終わったぜ」 「準備オーケイや」 やる気まんまんらしく、装備まできっちり整えた二人が威勢のいい声をかけてくる。 というより、俺達が一番最後だから早く合流したくて仕方がないのだろう。 他のメンバーは既に侵入を果たしているはずだ。当然首輪も外して。ドンパチやっているかもしれない。 破壊工作班、と銘打たれた俺達は専ら重装備で固め、しんがりとしての役目も引き受けることになった。 ちなみに他の三つのチームはそれぞれ爆弾設置、中枢部制圧、通信施設の確保という役割を任されている。 とは言ってもあくまで『指針』であるだけで、あくまで脱出が第一らしいが。 またワームを送り込む過程でどうしてもネットに繋がなければならないため、ここに残っていたというわけだ。 主な役割は敵方の兵器類の破壊。とはいってもこの装備では破壊できるかどうかも怪しいと俺は睨んでいるので、 実際のところは小火器類を壊すくらいのものだろう。 「まあ慌てるな。慌てる古事記は読者が少ないって言うぞ」 「……おっさん、わざと言ってねえか?」 おっさん言うな。折原のことを思い出して、少し言葉が詰まってしまった。 タイミングを逃してしまったのでこれ以上ボケることは出来ないと思った俺は何事もなかったかのように話を進める。 「2、3、10の入り口から侵入できるみたいだが……どこを選ぶ?」 ちなみに、ここから侵入できると教えてくれたのも和田の情報である。まさしく救いの神ってわけだ。 入り口は十箇所あるとのことだったが、学校の位置関係上から最も近いこの三ルートが選ばれた。 「決まってるやろ。一番近い10や」 「ほう、その理由は」 「なんでって……そりゃ、その方が早く追いつけるから」 「悪くない答えだ。及第点だな」 「じゃ、じゃあおじさんの意見はなんやの」 ふふん、と俺は鼻を鳴らす。まーた始まったか、とポテトが溜息をつき、ゆめみがクスッと笑ったのが目に付いたが、 最後なんだ。大いに笑って見逃してくれ。こうやって大人面してられるのも最後なんだからな。大事なことなので二回言ったぞ。 「武器庫のIDカードには10って書いてあったそうだ。つまり、武器庫が近いってことだ」 「……なるほど。武器庫に近い分、破壊工作もしやすいってことか」 「ザッツライトだ藤田」 「なんや、結局10番ってことやん」 「……まあそうなんだが」 「意見は一致しているようですし、良いことだと思います」 流石ゆめみ。きっちりフォローしてくれるぜ。 ロボットにフォローされるのも悲しい話だが、この島では一番古い付き合いになってしまった間柄だからな。 それなりの信頼ができてるってもんだ。 「ぴこー」 はいはい。お前が一番の相棒ですよっと。だから服の裾引っ張んじゃねえよ。ラーメンみたいに伸びるだろうが。 そう、郁乃も、沢渡も、ささらも七海も折原もいなくなってしまい、寺から一緒にいたメンバーも俺達二人だけだ。 だから、ってわけじゃない。あいつらが死んだから俺は生きなきゃならないってのはこれっぽっちも思ってやしない。 ただ――思ったのさ。好き勝手できる程度の人間にはなってやるかってな。 生きていた頃のあいつらの期待に少しだけ応えるくらいはしてやろうって決めたんだ。 下らないって昔なら思っただろうな。でも今は違う。違ったって、いい。そうだろ? 「行くか」 「はい」 「ああ」 「うん」 「ぴこ」 悪くないって、本気で思えているなら。 「さぁて、恨みはらさでおくべきか。思いっきり暴れてやる!」 * * * ごうんごうん、と低く唸る音と薄暗い廊下、そして網の目のように四方に広がるパイプは、 古河渚に気味の悪い生物の内部に潜り込んでいる様を連想させた。 自身を縛っていた首輪は既になく、ここまで誰にも遭遇することなく駆け抜けてくることができた。 順調といえば順調、だが順調に行き過ぎていることがかえって渚に不安を抱かせる。 静かなのだ。誰かが追ってくる気配も、待ち構えている気配もない。 それは渚の前方に控えているルーシー・マリア・ミソラも那須宗一も感じているようだった。 「誰もいないな……」 「いいことじゃないか。リサも言ってたろ、戦わないに越したことはないって」 ルーシーの呟きに軽い調子で答えた宗一も、警戒の度合いは強めている。 廊下の曲がり角に差し掛かると、まず宗一が先んじて進み、 覗き込んで安全を確認した後に自分達を進ませるという有様だ。 渚でさえ嫌な感じがするくらいなのだから、宗一はもっと強く感じているのだろう、 と様子を窺っている宗一の姿を見ながら思う。 自然とグロック19を持つ手に力が入った。戦わないに越したことはない。確かにそうだ。 しかし建物の内部に強引に侵入している以上、迎撃の手がないはずがない。 異物が入れば、自己防衛機能で一斉に排除しにかかる。ここを人体の構造に例えればあって当然だ。 だからこそ、いつ何が起こっても対応できるように宗一は身構えている。油断は即、死に繋がる。 「よしいいぞ、行こう」 行けると判断した宗一が手招きしてくる。ルーシーがまず進み、宗一の背後についたところで渚も動き出した。 三人で行動するときの基本陣形とも言うべきものだった。前衛を宗一が、中座をルーシーが、そして最後尾に渚が位置する。 単純に戦闘力の順で並べたものだが、一番強い人間に先を任せるという発想だから悪くない。 宗一の動作も指示も堂に入ったもので、流石にエージェントの貫禄を漂わせている。 緊張の中にも、宗一がいれば大丈夫だと思えるのは、恋人だから……だけというわけではない、と渚は思いたかった。 「しかし、だ」 進みながら、ルーシーが珍しく自分から雑談の口を開いてきた。 「戦うのが人間相手じゃなくて良かったというべきなのかな。ロボットなら、まだ大丈夫だ」 「……わたしもです。壊すのはちょっとかわいそうだなって思いましたけど、それでも、もう人が人を殺すのは」 見たくないものだ。言う前に、ルーシーは頷いてくれた。 無論人間相手でも、銃を向けなければならない時があることを渚は知っている。 人が殺せたって何もいいことはない。そうであるからこそ、そうさせないために、 力の使い方を知って考えるのが自分達の役目だ。 天沢郁未に銃口を向けたとき、渚には本気で撃てる気持ちがあった。 力の倫理を鎮めるための力。血塗られた道であっても、その先が善いものになると信じられるから向けられる力。 最終的に郁未が理解していたかどうかは分からない。だが渚は、確かな声を聞いた。 やってみろ。出来なきゃ殺すわよ。 どこか乱暴で突き放すようで、それでも優しさを隠そうともしない声は本心からのものなのだと、 渚は何の疑いもなく信じることができた。 「できるなら、あのサリンジャーって奴はふん縛って連行してやりたいぜ。 でも、ま、それは後でもいい。今必要なのはここから逃げ出すことだ」 「ああ、そうだな……裁くのは、私達じゃない」 自分達を殺し合いに巻き込み、大切な人を幾度となく奪ってきた張本人。 ここにいる誰もが、少なからぬ恨みを抱いているはずだった。 渚でさえ、どうしてこんなことをしたのか問い質したかった。 けれども誠実な答えが返ってくるはずのないことは想像に難くない。 手前勝手な言葉しか期待できないことは、幾度となく繰り返されてきた放送の中身からも分かる。 だから謝罪など求めない。代わりに自分は関わらない。しかるべき措置さえ受ければ渚にはそれでよかった。 考えるべきことはいかに復讐するかではなく、どんな未来を生きるかということだったから…… 「にしても随分長い廊下だぜ。ホントにここ建物なのかよ?」 「隊長がそれでどうする」 「俺はセイギブラックだ」 「レッドはいないぞ。ちなみに私はブルーだ」 「わたしは……ホ、ホワイトで」 ばっ、とルーシーと宗一が振り向いた。敵かと思って渚もグロックを構えて振り向いてみたが誰もいない。 なぜ二人が凄まじい勢いでこちらに向き直ったのか分からず、「どうしたんですか」と尋ねてみると、 二人は大真面目な調子で言った。 「「いや、まさかノってくると思わなかった」」 「わ、わたしだって冗談くらい分かりますっ!」 「いや、いや。俺は嬉しいぞ。ユーモアのある彼女で俺は幸せだ」 宗一はなぜか感動に咽び泣いている。宗一の影響が少しはあるのは否定しなかったが…… そしてさりげなく惚気たことにルーシーがふっと溜息をついていた。 「起きたとたん膝枕だったな……一体何があったのかと」 「俺の彼女は気前がいいんだ。やさしくしてくれたぞ」 「誤解を招くような言い方しないでくださいっ!」 顔を真っ赤にして否定するが、宗一とルーシーはゲラゲラ笑ったままだった。 敵地の真ん中でこんなことをしていていいはずがないのだが、 宗一が率先してからかってくるものだからどうしようもない。 「やれやれ。ご馳走様」 「どういたしまして。なんならまた食べる?」 「しばらくいい。お腹一杯だ」 「そりゃ残念だ」 「……宗一さん」 流石に気分のいいものではなく、少し低い声で言ってみると、またぎょっとした調子で振り向かれた。 敵……ではなさそうだった。 「い、いや、ごめん、からかい過ぎた。……怒った?」 「……少し」 「悪かった。この通り」 「もういいです。帰ったら、で」 手を合わせる宗一をこれ以上引っ張りまわす気もなかったので、最低限の言葉で応じてみせると、 聡い宗一は意図に気付いてくれたらしく、「ごめんな」ともう一度言ってまた前衛に戻っていった。 ふぅ、と苦笑をひとつ吐き出した渚は、こういうことをすぐ悟ってくれるような人だから好きにもなったのだろう、と思った。 「……お腹一杯だと言ったんだがな」 ぼそりと呟いたルーシーもまた聡かった。 * * * 目の前にあったのは、巨大な空洞だった。 どこまで続いているのかと思わせる程の、底無しの暗闇。 時折ひゅうひゅうと吹く風の音は、化物の唸り声のようにさえ感じられる。 誰一人として戻れない地獄へと通ずる穴……そんな感想を、芳野祐介は抱いた。 「これがコンソール……かな? ねー誰か英語読める?」 暗闇を眺めていた芳野の横では、朝霧麻亜子が伊吹風子と共に何かを弄繰り回している。 はいはい、と藤林杏が離れ、二人の元へと駆け寄る。 あいつらは確か藤林より年上じゃなかったのかと思わないでもなかったが、 年齢と学力が比例するわけでもないと思いなおし、芳野は再び暗闇へと目を戻した。 長い間事故により眠っていた風子はともかく、麻亜子はただ単に勉強していないだけなのだろう。 もっともそれは自分についても同様だったのでそれをとやかく言う資格はないし、言う気もなかった。 「そういや、歌作ってた時も英語が正しいかなんて全然考えてなかったな」 己の気分のまま、情動のままに作っていた英語が正しいわけがなく、今にして思えば恥ずかしいものだと芳野は思ったが、 それでも売れていたのは内容が正しいかどうかなんて関係なく、それ以上に人を惹きつけるなにかがあったのだろう。 もうそれは分からなくなってしまったし、持ち合わせているはずもなかったが…… けれども、代わりに手に入れたものだってある。 自覚しているのならよしということにしておこう、と結論した芳野は暗闇から目を放し、顔を上げた。 「エレベーターのコンソールみたいね……これが上昇で、これが下降かな?」 「でもエレベーターなんてどこにあるんですか?」 「はっはっは。洞察が足りんぞチビ助よ。見よ、あの大穴を」 「チビ助言わないで下さい。で、あれがどうしたんです?」 「あれがエレベーターさね」 「……バカですか? あ、バカにしか見えないエレベーターなんですね。分かります」 「おいチビ助さらりとひどくディスったな! だーかーら貴様はバカチンなのだっ!」 「あんな大きなエレベーターあるわけないじゃないですか! 風子にだって分かりますっ」 「ドアホー! だったらあんな大きな穴は何のためにあるんだよ!」 「アホアホ言わないで下さい! アホが移りますっ」 「はいはいはい、喧嘩はそこまでよ」 敵地だというのに奇声を張り上げて唸っている二人を杏が頭を掴んで押し留める。 全く誰が年上なのだか分からなかった。 とはいえ、納得させられるだけの言葉を杏も持ち合わせていないらしく、苦笑顔で助けを求めてくる。 芳野はやれやれと首を振って、「搬送エレベータだ」と二人に言った。 「巨大な物資を運ぶために空洞状の構造にしたエレベータだよ。恐らく、今は下に止めてあるんだろう」 「そうなんですか?」 「あのー、なんであっちの言葉は信用するのかしら」 「あんたは普段から胡散臭いのよ」 「う、胡散臭い!?」 大仰な動作で麻亜子が驚く。自覚していなかったらしい。 あれだけ奇天烈な言動を繰り返しているのに…… こいつは分からん、と芳野は内心で溜息をついた。 「……とにかく、まずはこのエレベータを持ってくるぞ。上昇させてくれ」 「了解しましたっ。ポチッとです」 風子が言うやいなや、空洞の底の方から低く唸る音が聞こえてきた。エレベータが上昇を始めたらしかった。 まず、上がってくるまでにそれなりの時間を要することになる。それまでは待機だが、警戒はしておく必要はあった。 コンソール前でたむろしている三人に近づきつつ、「お前ら、油断するんじゃないぞ」と声を飛ばす。 「どこから敵が来るか分からないんだからな」 「でもさ、ここまで一本道だった気がするんだけど」 「……まあ、それはそうなんだが」 麻亜子の意外と冷静な突っ込みに、芳野は声を詰まらせた。 ただのアホではないのが麻亜子なのだ。 「今アホとか思ったっしょ」 「いや」 時々勘も鋭いから困ったものだった。 「へんっ、どーせあちきは期末試験の追試の追試の追試もダメだったからお情けで単位を貰うようなダメ女さ」 「それはダメとしか言いようがないような……」 「そこは慰めてよ!? それが人情だろそーだろー!?」 「アホです」 「がーっ! チビ助だけにゃ言われたくねー!」 もう止める気力も起きなかった。好きにしてくれ、とさえ思う。 本当に前に一度交戦した人物なのかとさえ疑いたくなってきた。 そうこうしているうちにエレベータが上がってきて、広場とさえ見紛うほどの広い空間が目の前に出てきた。 これだけ大きいとなると、相当数の荷物を運べる。ざっと見た限りでは縦横それぞれ20mはあるだろうか。 「……何を運ぶのかしら」 あまりにも巨大すぎる床に、杏がそう言うのも当然というものだった。 仕事柄搬送用エレベータを見ることも多かった芳野も、これだけ巨大なものは見たこともない。 「重機か何かでも運ぶんじゃない? ここ滅茶苦茶広そうだし」 「ここからさらに下に行くんですよね……地下何階まであるんでしょう?」 それぞれが好き勝手なことを言っていたが、巨大なエレベータに対する畏怖らしきものが感じられるのは気のせいではないだろう。 これだけのものを建造できる敵に対しての戦慄が混じっているといってもいい。 自分達が喧嘩を売ろうとしている相手は、それだけのものなのだ。 「行くぞ」 尻込みしていても始まらないと思い、簡潔に一言だけ告げて進む。 もう既に、ここは敵の胃袋の中なのだ。 芳野に続いて麻亜子がエレベータの床を踏み、その後に風子と杏が続いた。 エレベータの端に小さい箱型の制御装置があり、それを使って下降・上昇させるようだった。 下降ボタンしか明るくなっていないことから、降りることしかできないのだろう。 ボタンを押すとガクンと一瞬揺れた後、エレベータが下がってゆくのが分かった。 それまでいた通路がどんどん視線の上へと上がってゆく。 またしばらくは待機の時間と見てよさそうだった。 「爆弾はちゃんとあるな」 「ええ、ここにありますよ」 流石に置き忘れてくるほどの馬鹿はここにはいない。 杏の隣にはかなりの範囲を吹き飛ばせるらしい爆弾が台車の上に積まれている。 ニトログリセリンとは違い、微細な刺激で爆発するほどのものではないが、それでもデリケートな代物であるのには変わりない。 「落とすなよ」 「分かってますって」 念を押した芳野に、杏は自信たっぷりに答えた。 なんだかんだ言いながら、逐一爆弾の様子を見てくれていたのは杏だった。 意外と目配りが利いて、細かいところまで見てくれている。優秀な人材だ。 本人は色々と自信がなさげだが、この目の速さは評価に値するものがある。 寧ろ杏がいてくれるからこそ、芳野は安心して前を向いていられると言ってもよかった。 その意味ではこの人事は上手いものだと芳野はリサ=ヴィクセンに感謝する。 「そういえば杏さん、怪我は大丈夫なんですか?」 「まだ痛いんなら代わったげるよ」 「あ、うん。もう大丈夫。何とかなると思う」 ……目配りが利くのは、杏だけではなかった。 一見喧しいだけのように見えて、実は色々な方向でバランスは取れているのかもしれない。 全く大したものだと芳野はリサの手腕に驚嘆するほかなかった。 そう、話をしているときでも全員がほぼ中央に集まり、襲撃にも備えていることがメンバーの優秀さの証拠だ。 いや優秀でない人物などあの十五人の中にはいないのだろう。 全員が修羅場を乗り越え、何かを背負い、悩んで、苦しんで、それでも前を向こうと決意した人ばかりだ。 最終的な目的は違う部分もあるのだろうが、それでも『誰も死なせたくない』という部分では同じなのかもしれなかった。 「にしても、長いよね、このエレベーター」 「ゆっくりしてるだけなのかもしれないがな」 壁面を見る限りでは、エレベータの移動速度は極めて遅い。 一刻も早く進んで、敵の指令中枢部を叩かなければならない。 いざというときの爆弾もあるにはあるが、基本的に破壊力が強すぎて滅多なところで使えるものではない。 最低でも、このエレベータから降りたところで、というのが条件だろう。 爆破するポイントとしては、敵の戦力が集まっているところが望ましいのだが…… そんな都合のいい場所があるのだろうかと芳野が考えていると、不意に袖を引っ張られる。 なんだと思って見てみると、眉根を険にした風子が上を指差している。 「何かいるような気がします」 「何か……?」 目を凝らしてみるが、上も薄暗くて判然としない。 さりとて気のせいではないのかと無碍にするのも躊躇われ、じっと覗き込んでみる。 「っ!」 確かに見えた。壁際の『何か』が動いた。 反射的に爆弾の乗った台車を蹴り飛ばし、「散れっ!」と叫ぶ。 爆弾が爆発するかもしれないという考えは、直後、台車のあった地点が火花を散らしたことによって即座に吹き飛んだ。 後一歩遅ければ誘爆して骨ごと残さず炭になっていた。ゾッとした気持ちを感じる一方で、最初に対応したのは麻亜子だった。 素早くイングラムを取り出した彼女は上方に向かってフルオートで射撃する。 だがその行動すら遅かったらしい。既に中空を舞っていた敵はこのエレベータに向かって飛び降りていた。 ドスン、という人間の体躯には見合わない音と共に着地した敵は――プラチナブロンドを纏った、漆黒の修道女だった。 芳野は知っている。彼女が誰であるのかを。 ゆっくりと、緩慢な動作で顔を上げた彼女の瞳は、あの時と寸分も違わない無機質な工学樹脂の色だった。 「あなたを、赦しましょう」 美しい女性の声で言い、女が、『アハトノイン』がP−90の銃口を持ち上げた。 * * * 「コンテナだらけなの」 規則正しく詰まれたコンテナの群れを見ながら、ウォプタルに乗った一ノ瀬ことみが感心したように息を吐いた。 このコンテナの中にあるのは恐らく武器弾薬か、はたまた生活必需品の数々か。 或いは殺し合いの運営に必要なものなのかもしれない。 回収出来そうもない以上、詮索しても無意味だと考えたリサ=ヴィクセンは、「先を急ぎましょう」と伝えて前に進む。 自分達は先鋒の役割を務めている。装備は他のメンバーに比べれば多少軽装だけれども、それなりのものを与えられている。 リサ自身はM4カービンにベレッタM92、それとトンファーを持っている。 怪我の影響がまだ残っていることみはウォプタルに乗せて移動させることにした。 装備品はウォプタルにつけているため、苦にはなっていないはずである。 この正体不明の動物は荷物の運搬も行えるほど力があるらしく、平気そうな顔をしてのしのしと歩いている。 篁の研究所で生み出された新種の動物なのだろうか。 どんなことでもやってのける篁財閥のことだ、それくらいはあってもおかしくはなかった。 「にしても、ただっ広いところだな……一体ここで何しようってんだ、あいつらは」 呆れたようにきょろきょろと周りを見回しながら歩いているのは国崎往人だった。 怪我の度合い、筋骨隆々とした外見から自分のチームに選抜している。実際、そこそこ重量のあるはずのP−90、 SPAS12、コルトガバメントカスタム、ツェリスカ、サバイバルナイフなどを持ち歩いているにも関わらず飄々としている。 本人に言わせれば「荷物持ちは慣れた」とのことらしい。 中々頼もしい人材だと思いつつ「殺し合いの運営でしょう?」と返答してみる。 「んなもん、ちょっとした機械とかを使うにしてもここまで広くはないだろ」 「……まるで、要塞」 往人の後を引き取って続けたのは川澄舞だった。 往人の同行者、ということで相性を考慮してメンバーに入れた。本人曰く「一応戦える」とのことらしい。 実際どれだけの実力があるのかはいまいち不明瞭だったが、日本刀を携えて歩き回る様はどこか堂に入っていて、 決して素人などではないことをリサに感じさせた。 近接武器だけに拠っているのが少し不安と言えば不安だったが、舞自身が銃を持つのを嫌ったので彼女の好きにさせることにした。 無理に苦手な武器を持たせたところで意味はないと考えたからだった。 適材適所。銃器に関しては、少なくとも自分というプロフェッショナルがいるのだからいくらでもフォローは行える。 とはいえ、限りはある。弾薬もそれほど豊富にあるわけではないのだ。 それゆえ、なるべくならば戦闘に入りたくないというのが全員共通の見解だった。 「要塞、ね。確かにそうかもしれない」 「と、いいますと?」 ことみが合いの手を打ってくれる。 「この島、実は人工島なのよ」 「初耳だぞ」 「……」 舞は薄々感づいていたらしい。不自然極まりない部分はいくらでもあった。 和田の情報、自身の情報、それらから推理したことをリサは続ける。 「地図に載っていない島。色々と詰め込まれたコンテナの数々。 正体不明の敵ロボット。ここが軍事要塞だとしても何もおかしくはないわ」 「ロボット、ってのは高槻が言ってたあれか。あれは敵の尖兵だと?」 「そうね。あれがここを守る用心棒ってことになる」 「……じゃあ、なんで私達は殺し合いをさせられていたの?」 「さあね……でも、一番最後の放送で主催の意図が変わったのは明らかだった。殺し合いをしろ、が参加者を全滅させる、だもの」 「殺し合いはただの余興だった。そんな可能性もあるの」 「ふざけた話だな……」 「はっきりしていることが一つあるわ。何にしても、ここの連中は命を重んじるような人間じゃない」 それは全員が感じていたようで、怒りを孕んだ気配が滲み出るのが伝わった。 理不尽を受け止めはしても、決して許したわけではない。リサとて同じことだった。 「……でも、まずはここから生きて出ること。それが、一番だと思う」 抑える風ではなく、今できる最善のこととしてその言葉を口にした舞に、全員が無言で頷いた。 生きることを何よりも優先しなければならないのが今の自分達であったし、そう望んだのも自分達だ。 殺し合いの中でも様々な人と出会い、言葉を交わし、新しいなにかを見つけた者もいれば、失った者もいる。 今まであったもの全てを砕かれてしまった者もいる。 だが、それでもバラバラになった欠片を拾い集め、また自分の足で歩くことを決めたのが自分達なのだろう。 要は自分のことを優先しているだけなのでもあるが……それで、良かった。 言い訳して、間違った行為を続けるよりは。 「ま、その話はこれくらいにして、だ。このコンテナの山はどこまで続くんだ」 これ以上結論の見えきった話を続けるのは無意味だと思ったのか、往人が別の話題を振ってくる。 「とりあえず、真っ直ぐには進んでいるけど」 「適当なのか」 その通りだった。が、地図も何もないのだから仕方がない。 壁沿いにでも行けばよかったかと今さらながらに思ったが、そこまで悠長にしている暇もない。 「でも、出口みたいなのはある」 出し抜けに舞が言い、びっ、と前方を指差した。 よく見れば緑色の光点があり、扉らしき枠も見える。 自動開閉式の扉に間違いなかった。 「……まずはあそこね」 「上手く誤魔化したなの」 余計な一言を挟んだことみを小突いてやろうとしたところで、緑色の光点が唐突に赤色へと変わる。 誰かが来る。それは勘ではなく確信だった。 咄嗟にことみのウォプタルを引いて隠れ、往人と舞にも隠れるよう合図を出す。 嫌なタイミングで鉢合わせたものだ、と内心で舌打ちする。 不幸中の幸いといえるのが、ここはコンテナだらけで隠れる分には困らないというところくらいだ。 往人と舞は自分達とは対岸の方のコンテナに隠れており、下手に合流しようとすれば見つかる。 刹那のことだったとはいえ、離れてしまったのは失策だったか。 どうするかと考えていると、人のものにしてはやたらと重厚な、地面を踏み潰すような足音が迫ってくる。 哨戒、とは考えられなかった。明らかに質量を帯びた、 規則正しくありながら無遠慮に音を立ててくる足音は人間のものとは思いがたい。 だとするなら、こちら側に来ている敵は『ロボット』以外に考えられない。 高槻の言う通りならばとんでもないスペックを誇る。何せレポートによれば銃弾が効かないらしいのだ。 なるべくならばやり過ごしたいところではあったが、リサは探知能力の存在も懸念していた。 赤外線探知、聴音センサー。人間の存在を探れる技術など溢れかえっている。 既にこちらが潜んでいる場所を知られている可能性もある。だとするならば、仕掛けるしかない。 至近距離からライフル弾をありったけ叩き込んでやれば倒せないことはないはずだ。 M4を持ち上げる仕草をすると、往人と舞もリサの意図を理解したらしく、コクリと頷いた。 戦闘はなるべく避けたいと言った矢先にこの有様だ。 どうにもこうにも、エージェントというものはトラブルに巻き込まれやすい性質であるらしい。 だが、それでもいいとあっけらかんとした気持ちでいる自分の存在もあって―― きっとそれは、どこかの音楽プロデューサーのせいだったり、どこかの少女のせいだったり、 どこかの同業者のせいだったりするのかもしれなかった。 ミッションは迅速に、華麗に。そして、楽しんで…… 地面を蹴り、コンテナから飛び出したリサの動きはまさに他の追随を許さぬほどに早かった。 M4をしっかりと構えていたリサには、自身が空中に浮いていることなど関係がなかった。 視界に入った黒衣の影に向けて、頭部をポイントし、引き金を引く。 正確に放たれたM4の三点バーストが、綺麗な三角形状に頭部を撃ち貫き、ぐらりと影を揺れさせた。 そのまま前転して往人たちのいるコンテナへと転がり込む。それに合わせるかのように、二つの風が頭上を通り過ぎた。 連続した銃声。続いて聞こえる、舞の裂帛の気合。 何が起こったのかは見るまでもなかった。 「……すごい」 時間にしてみれば、僅か10秒もない出来事だった。呆然と言ったことみに「プロだもの」と言ってのけ、 ニヤリと笑ってみせると、ことみはやれやれという風に首を振った。 さて敵はどうなっているのか、と思ったリサは倒れた敵を見下ろしている往人と舞の背中に近づく。 「どう?」 「人間じゃないな」 「でも、血のようなのが出てるのは、少し不気味」 覗きこんだ先では、仰向けに倒れ、頭部の半分を破壊された女が……いや、ロボットがいた。 銃撃のせいか、プラチナブロンドの長髪は千々に千切れ飛び、 舞が切断したのか、P−90を持っていた右手が切り飛ばされ、握ったままに近くに落ちている。 半壊した頭部からは血の色をした冷却液がじわじわと広がっており、一見すれば血溜まりに浮く死体の様相を呈していた。 これが『アハトノイン』……人の形をした殺戮ロボット。 顔が半壊しているにも関わらず、無表情を貫いたままのアハトノインに対してリサが思ったのは、純粋な嫌悪感だった。 命令のままに人を殺し、意義も正義もなく命を奪う最悪の道具。 人型にしているのも悪趣味としか思えず、リサは思わず「最悪の趣味ね」と毒づいてしまっていた。 こんなものを作り、データを取るためだけに何百人もの生き血が啜られてきた。 どろりとした冷却液も犠牲者の血のようにしか思えず、リサは大きく溜息を漏らす。 「しかし、助かった。あんたが正確に狙撃してくれたからこっちもやりやすかった」 「どうも。そっちこそいい腕前ね。エージェントにでもなってみない?」 「学校に行っていない俺でもなれるのなら」 「……Sorry.今の話は忘れて」 「おい」 「フフ、冗談よ。でも、エージェントはやらない方がいいわ。本当に、色々と厳しいから」 ちらりと舞の方を見やると、往人は「……なら、忠告に従っておく」と分かったのか分からなかったのか、 ぶすっとした声で応じた。男女の関係を気にして口出しするようになったのは、自分も既に経験しているからなのだろうか。 そのような視野でものを見ることができるようになった自分が嬉しくもあり、少しだけ悲しくもなった。 「年かしらね……」 「あ?」 「いいえ、何でも。それよりカタはついたんだし、先を急ぎましょう」 まだアハトノインを見下ろしている舞に、気持ちを切り替えるつもりで言ってみたのだが、舞は微動だにしなかった。 それどころか、彼女は再び刀に手をかけている。 「川澄さん?」 「……まだ、こいつは死んでない」 死んでいない? 頭部が半壊したはずなのに、何故そう言うのかと問おうとした寸前、「来る」と舞が刀を構えた。 言い切ったと同時、舞が振り下ろした刀が――受け止められた。 アハトノインが差し込んだ、グルカ刀によって。 「なに!?」 思いも寄らない事態に動転した往人が慌ててガバメントカスタムを構えるが、 アハトノインは既に舞の刀を打ち払い、大きく跳躍していた。 そのままコンテナに飛び乗ったアハトノインに「どういうことだ!」と往人が叫ぶ。 「……そういうこと」 「おいこりゃどういうカラクリなんだ、リサさんよ」 「人間とは違うってことよ。頭を破壊したからといって、そこに動力源やコンピュータがあるわけじゃない」 「……ああ、なるほどな……つくづく厄介なロボットだ」 コンテナの上からこちらを片目で睥睨するアハトノインは、さながら墓地から蘇った『生ける屍』のようであり、 決して自分達を見逃さない亡者のようでもあった。 銃器はない。が、どこを撃てば即死するのかも分からない。 どうすると逡巡しかけたとき、「先に行って」という舞の声が割って入った。 「このくらいなら私と往人でもなんとかなる。そっちはそっちのやることを」 「ダメよ。まずこいつを倒すところから……」 「時間がどれだけかかるか、分からない」 言い切った舞には、こちらには時間がないとも言う響きがあった。 ここで時間を消費している暇はないという風に視線を寄越した舞に、リサは反論の口を持てなかった。 「……リサさん。そうしたほうがいいと思うの」 「ことみ……」 「どうせなら正直になるの。私を守ってまで戦う自信はない。そうでしょ?」 「……」 肯定も否定もせず、舞はアハトノインに向き直った。 往人は既に舞と一緒に戦う気なのか、慎重にガバメントカスタムの銃口を向けている。 もうこの二人を動かす言葉はないと結論したリサは、大きく溜息をついて二人に言った。 「絶対倒すのよ」 「当たり前だ」 「すぐに追いつく」 短い言葉。だがそこには、絶対にやってみせるという決意があった。 出口までは訳20m前後。突っ切れば、数秒で辿り着ける範囲だ。 「GO!」 いけると判断したリサの行動は迅速だった。前に飛び出したリサに続いてことみのウォプタルも疾駆する。 アハトノインの首が動き、こちらへと向きを変えてきたが、その体がぐらりと揺れる。 ガバメントカスタムを連射すると共に「相手を間違えてるぞ、ウスノロ」という挑発的な往人の声が聞こえる。 アハトノインの攻撃対象が変わったのがはっきりと分かった。コンテナを蹴る音が聞こえ、続いて甲高い刃物の打ち合う音が聞こえた。 「往人に手は出させない」 「……あ、なたを、赦し、ま」 雑音を纏ったアハトノインの声は、元の容姿からは想像もできないほど醜いものだった。 「リサさん!」 アハトノインに気を取られていると、既に扉の向こう側に移動していたことみがこちらに呼びかけるのが見えた。 これで、間違ってはいないか。英二と別れたときの光景がリサの脳裏を掠めたが、 だからこそ信じなければいけないと自分に言い聞かせた。 英二も、栞も、自分の勝利を信じてやるだけのことをやった。分かれたせいで死んだわけではなく、信念に従って最後まで戦った。 だから迷ってはいけない。立ち尽くしてはいけない。今できる、最善のことを。 リサは走った。扉が閉まる。閉ざされた部屋からは銃声と刀の打ち合う音が聞こえてくる。 それは、彼らが生きている音だった。 【時間:3日目午前11時50分ごろ】 【場所:『高天原』】 【所持品一覧】 1:宗一、渚、るーこ 装備:ウージー、グロック19、クルツ、サブマシンガンカートリッジ×7、38口径弾×21、M10、バタフライナイフ、サバイバルナイフ、暗殺用十徳ナイフ、携帯電話、ワルサーP5(2/8)、日本刀、釘打ち機 2:高槻、ゆめみ、浩之、瑠璃 装備:M1076、ガバメント、コルトパイソン、マグナムの弾×13、500マグナム、.500マグナム弾×2、M79、火炎弾×9、炸裂弾×2、ベネリM3、忍者刀、忍者セット、おたま、防弾チョッキ、IDカード、武器庫の鍵、スイッチ、ライター×2、防弾アーマー 3:芳野、杏、麻亜子、風子 装備:デザートイーグル50AE、デザートイーグル44マグナム、ニューナンブ、イングラム、ウージー、89式、SMGU、サブマシンガンカートリッジ×7、89式マガジン×2、S&W M29 5/6、SIG(P232)残弾数(2/7)、二連式デリンジャー(残弾1発)、日本刀、ボウガン、注射器×3(黄)、宝石、三角帽子 4:リサ、ことみ、舞、往人 装備:M4、P−90、SPAS12、レミントンM870、レミントン(M700)、ガバメントカスタム、ベレッタM92、ツェリスカ、ツェリスカ弾×4、M4マガジン×4、ショットシェル弾×10、38口径ホローポイント弾×11、38口径弾×10、M1076弾×9、7.62mmライフル弾(レミントンM700)×5、日本刀、サバイバルナイフ、ツールセット、誘導装置、投げナイフ(残:4本)、トンファー、ロープ 那須宗一 【状態:怪我は回復】 【目的:渚を何が何でも守る】 解き放たれた男・高槻 【状況:主催者を直々にブッ潰す】 芳野祐介 【状態:健康】 【目的:思うように生きてみる】 一ノ瀬ことみ 【状態:左目を失明。左半身に怪我(簡易治療済み)】 【目的:生きて帰って医者になる。聖同様、絶対に人は殺さない】 リサ=ヴィクセン 【状態:どこまでも進み、どこまでも戦う】 川澄舞 【状態:往人に付き従って行動。強く生きていたいと考えている】 【その他:往人に対して強い親近感を抱いている。剣道着を着ている】 朝霧麻亜子 【状態:ダイ・ジョーブ】 【その他:体操服(上下のジャージ)を着ている】 国崎往人 【所持品:スペツナズナイフの柄】 【状況:強く生きることを決意。人形劇で舞を笑わせてあげたいと考えている】 【その他:左腕に文字を刻んだ。舞に対して親近感を抱いている】 古河渚 【状態:健康】 【目的:人と距離を取らず付き合っていく】 ルーシー・マリア・ミソラ 【状態:生き残ることを決意。髪飾りに美凪の制服の十字架をつけている】 【目的:まーりゃんはよく分からん】 ほしのゆめみ 【状態:パートナーの高槻に従って行動】 藤林杏 【状態:絶対生きて帰る】 姫百合瑠璃 【状態:死ぬまで生きる。浩之と絶対に離れない】 藤田浩之 【状態:歩けるだけ歩いてゆこう。自分を取り戻した】 - BACK