終焉憧憬(了)







 

「護られて、助けられて、生き延びさせられて」
「生まれさせられて、罪を負わされて」
「そこに幸福は、あったのかな」



「ねえ―――教えてよ、水瀬名雪」




***

 
 
そこには花が、咲いている。
白い、白い花。
咲き乱れて、散ることもなく、ただ燦然とその純白を、緋色の月の下に晒している。

ざあ、と風が吹いた。
白い花の海は静かに、大きく波打ち、しかし花弁の一枚も舞い上がらせることなく、
やがて純白の海原は、久遠の時を越えてそうしてきたように、再び凪ぐ。


それが、世界の最果てだった。


純白を覆うのは、漆黒の夜空。
星一つない闇の中、見開かれた瞳のような赤い月だけが、咲き乱れる花々を見下ろしている。
ぼってりと、うすら赤い月光に照らされてなお白い花の海の只中に、二つの影が立っていた。
影の片方が、口を開く。

「ねえ―――教えてよ、水瀬名雪」

白に近い銀色の髪と、琥珀色の瞳。
少年といえる年頃の、それは人影だった。

「―――」

水瀬名雪と呼ばれた影は、答えない。
少年の真正面、ほんの数歩の距離を置いて立ちながら、目を細め、静かに息を吐く。

「私だけ……か」
「誰も辿り着けない、はずだったんだけどね」

肩をすくめる少年を、名雪は見つめている。

「神様はいつだって余計なことばかりしてくれる。気まぐれで、身勝手で。
 実際僕らのことなんか本当のところはどうでもいいと思ってるんじゃないかな」
「お前は……そうか」

首を振って苦笑を浮かべた少年の言葉には答えず、細めた目の奥に奇妙な光を宿らせた名雪が、
口の中だけで呟く。

「お前が、そうなのか。これまでも、ずっと」
「……? ああ、なるほど」

一瞬だけ怪訝な顔をした少年が、すぐに何かに納得したように頷く。

「僕の影とは何度も会っているんだよね。お久しぶり、そしてはじめまして。
 その節はお互い……ええと、殺し合ったり助け合ったり、したのかな?」
「……」
「そう、影。僕はここから、」

と、純白の花畑と赤い月の夜空を見渡して、

「……ここから出られないからね。たくさんの影が、世界中の色んな時間の色んな場所に散らばってる。
 もちろん、キミたちをこの戦いに招くのも、それを見届け、推進するのも大事な役目だよ。
 僕は彼らではないから、実際に何をしてるのかはよく分からないこともあるんだけどね」

一息に告げて、少年は悪びれずに笑う。

「まあ、大体の役目は僕たちの思い描く未来を造るためのお仕事、ってやつかな。
 他にも、その時々で細々したこともお願いするけど―――」
「終わるのか」

長広舌を、遮って。
少年の言葉を聞くや聞かずや、ただじっとその琥珀色の瞳を見つめていた名雪が、
おもむろに口を開いていた。

「世界は、また終わるのか」
「……」

その言葉に、今度は少年が黙り込む。
僅かに見上げた瞳が、緋の月光を受けてゆらりとその色を変える。

「この戦いは……そういうものだろう。終わり、続く世界の、ここが中心か。
 終わらせるのがお前の企みか。或いは終わり、終わる果てに何かを見出すか」

刹那の沈黙。
表情を消した少年が、小さな称賛と驚愕とを含んだ声を漏らすと同時、浮かべたのは、笑みだった。

「……へえ」

苦笑でも、嘲笑でもない。
純粋に興味深げな、まるで難問に挑む学究の徒のような笑み。

「さすがに、優勝者は違うね。積み重ねた時間は、キミたちをそこまで真実へと近づけたのか。
 亀の甲より、というやつかな」

冗談めかした少年の視線を受けても、名雪は微動だにしない。
ただ静かに、池の底に沈む藻が、水面から届く光を見上げながら佇むように、少年を見据えている。

「正解。その通りだよ。この戦いを経て、世界は終わる。この戦いが、終わりの始まり。
 あとは転がり落ちて、終わっていく。止めようもなく、救いようもなく。キミの知っているようにね。
 ……うん、そのはずだった」
「はず、だった?」

思わせぶりな少年の言葉に、名雪が眉根を寄せる。
そんな名雪の様子に肩をすくめ、ひとつ天を仰いでから少年が、ぴ、と名雪を指さす。

「だってキミたち、生きてるじゃない」
「……」
「こんなにたくさんの大きな可能性が残ったら、世界はまだ終わらない。終われない。
 キミたちという可能性はきっと、どうにかして延命させてしまうんだ。
 本当は不治の病で手の施しようもない、この世界をね」

大きく、少年が首を振る。
気負う子供の、走って転ぶのを見るように。

「終われない世界はだから、だらだら、だらだら……ゆっくり衰えながら、死んでいくしかない。
 時間がかかるよ。ロクでもない時代が、ずっと続く。誰も幸せになれない世界だ」

深い溜息を、ひとつ。

「僕たちはそれを知ってる。どうしようもない世界が、どうしようもないまま続く時代の惨さを知ってる。
 どうやったって救えないことを、どう頑張ったって変えられないことを、嫌っていうほど、知ってるんだよ。
 だから、終わらせてきたんだ。もう一度初めから、今度は上手くいくように願って。
 誰も幸せになれない時間なら、誰も望まない未来なら、そんなものはだって、いらないじゃないか。
 僕たちが渡す引導で、世界は苦しまずに、終わっていけたんだ。これまでずっと、そうしてきた。
 今度だって、そうなるはずだった……キミたちが必要以上に頑張ったりしなければ、ね」

顔を上げ、少年の視線は眼前、名雪を射貫く。

「キミたちは生き残り、せっかく集めた呪を解き放ち、挙句に神様まで殺してしまった。
 もう世界は簡単には終われない。苦しみながら死んでいくより他にない。
 そうして終われば、もう次も、ない」

託宣のように、告げる。

「もう、世界は繰り返さない。終わるんだ。苦しみ抜いて。誰も幸せになれないまま。
 キミたちがやってのけたのは、そういうことだよ。ひどい話だね」

言われた名雪はしかし、少年を真っ直ぐに見据えたまま揺らがない。
風に靡く少年の銀髪が琥珀色の瞳を二度、三度と隠し、四度覗いた頃、影の囁くように、口を開く。

「私たちが死ねば世界は終わる」

どろどろと、粘つくような声で。

「成程、下らない―――ならどうして、お前が直接殺さない」

吐き棄てるような言葉が、少年の足元に絡みつく。

「どこにでも、いくらでもいるのだろう、お前たちは。
 機会など狙うまでもない。生まれてすぐに殺してしまえばいい。
 そもそも生まれてこないようにするのだって簡単だろう。
 お前たちが本当に、最初から、存在しているのなら。
 ここまで大袈裟に、大掛かりに私たちを招いたところで、暇潰し以上の意味はないだろうに。
 それほどの力を持ちながらお前は、お前たちは何故、世界を裏側からしか、動かさない」

独り言じみた囁きは、それでも問いのかたちを成して、少年へと向けられていた。
ゆらゆらと、煙草の煙のように大気を満たして穢す名雪の問いを、少年は一息に吸い込んで、
舌と肺とで味わうようにほんの僅かに息を止め、それからゆっくりと吐き出す。

「……たとえば、この馬鹿馬鹿しい催しが行われなかったら、どうなると思う?」
「……」

少年の口から漏れる吐息は、答えを成さない答えを伴っていた。
じっと次の言葉を待つ名雪に苦笑して、少年が続ける。

「簡単さ。世界は滅びない」

手の平を上に、小さく肩をすくめておどけてみせる少年の、透き通る瞳はしかし、
一欠片の愉悦も含んではいない。
そこにある色は、詠嘆や諦観や、或いは絶望と呼ばれるそれに、よく似ていた。

「今回と同じだよ。この戦いで生き残るただ一人が出なければ、世界は続くんだ。
 病んだまま、弱ったまま、生き続けさせられる」

丁度キミみたいにね、と薄暗い笑みを浮かべる少年に、名雪は沈黙と無表情を以て返答する。
小さく鼻を鳴らして少年が言葉を接いだ。

「この戦いの勝者にはね、世界の行く末を変えるだけの力が備わってるんだ。
 だってそうだろう、世界で一番大きな可能性たちの、その頂点なんだから」

一番大きな、と告げるとき、少年の手が宙に大きな円を描いていた。
翳るままの表情と、大きな身振り。
噛み合わぬそれを、少年はまるで初めから決められた動作ででもあるかのように、こなしていく。

「一番を決めて、それ以外の全部が消えて、だから世界は細く細く、尖っていく。
 そうしていつか、世界の可能性の全部を乗せたキミの重みを支えきれずに、折れるのさ」

細い棒を手折るような仕草で薄く、暗く笑って、ひらひらと軽く手を振る。

「それで、終わり。やり直し。たったひとりだけが残って、もう一度初めから、ね。
 それだけさ。それだけが、僕たちが長い時間をかけてようやく見つけた、たったひとつのやり方。
 世界を苦しめずに、どうしようもない時代を生きて苦しむ人間を出さずに、今を終わらせる方法なんだ」

言い放って、名雪を見据え、頷く。

「うん、そうさ。その通り。
 キミの覚えている、あの最初の世界―――あの滅亡は、キミがいたから引き起こされたんだ。
 たったひとり生き残った、生き残らされたキミの持つ可能性に耐えきれずに」

名雪は、沈黙を保っている。
僅かな間を置いて、少年が薄昏い笑みを、静かに深める。

「嘆く必要なんてないさ。キミは世界を救ったんだ。あれ以上にひどくなる前に。
 それは、在り続けたいと願っただろうさ。世界も、そこに生きる命もね。それが本能だ。
 だけど、駄目なんだ。病んだまま在り続ければ、苦しむのは彼らなんだから。
 苦しんで、苦しんで、やがては在ることを、在り続けたことを、これまでに在ったことを悔み出す。
 幸せであったはずの時間も、健やかで、穏やかで、輝いていたはずの時間も、忘れてしまったみたいに。
 それは、とても不幸なことさ。とても、悲しいことさ。だから、そうなる前に終わらせなくちゃいけない。
 そうしてまた初めから、幸せな時間をやり直すんだ。ずっと、ずっとそうしてきたように」

細く、息を吐く。
視線を上げて夜空を見上げ、それから足元にどこまでも拡がる白い花の海を見下ろして、
再び名雪を見つめる。

「それを悪と、断じるかい。それを愚かと、笑うかい。水瀬名雪は、繰り返す者は、僕を」

そうして言葉を切り、少年は口を閉ざす。
沈黙が、降りた。
名雪は、動かない。
緋色の月光と、純白の海原と、琥珀色の視線に包まれて、名雪は立っている。
立って、ただ真っ直ぐに見つめる少年の瞳を見返して、水瀬名雪はそこに在った。

「―――」

沈黙が凝集する。
月光が結晶する。
純白が昇華し久遠を封じたような琥珀がその内圧に耐えかねて微かに揺れた、その刹那。
ただ一言。

「―――どうして」

ただ一言が、放たれていた。
遥かな星霜を経て老いさらばえた少女の口から紡ぎだされたそれは、あらゆる色を閉じ込めたような、黒。
黒の一色を以てのみ表せる、一粒の言の葉。
それは追及であり疑念であり、詰問であり呵責であり、問責であり審問であり査問であり、
或いは面詰であり非難であり、指弾であり弾劾であり、嘲罵であり軽侮であり侮蔑であり、
懐疑であり猜疑であり疑義でありそのすべてでもあり、そして既に、問いですらなかった。

「……、」

反射的に何かを、どこか常には見せぬ奥深くから湧き上がった何かを言い返そうとでもしたように
口を開きかけた少年が、しかし僅かに首を振り、代わりに重く澱んだ息を吐いた。

「どうして? どうしてだって?
 ……決まってる、生まれるためさ、僕が、僕たちが」

告げた言葉に、揺らぎはなく。
しかし、そこには込められた力もまた、ない。

「幸せな世界に、病み衰えない世界に生まれて、幸せになりたいんだ、僕は。僕らは。
 それだけを願ってる。願ってきた」

ひどく掠れた、声。
とうの昔に住む者を失った廃屋の、荒れ果てた一室に忘れ去られた壁紙が、時を経て黄ばんでいくような。
触れれば脆く崩れそうなほどに乾ききった、それは声音だった。
どこか遠くを見ていた琥珀色の瞳が、

「だけど」

すう、と翳る。

「それも、もう終わりだ」

午睡の安らぎを、黄昏の朱が染めるように。
夜を告げる色が、その瞳を満たしていく。

「足元を見てごらん。キミの周りを見てごらん」

そこには花が咲いている。
風に揺れ、しかし散ることもなく咲く、純白の花。
儚げで可憐な、白い、白い花。

「病んだ世界は、それでも望むんだ。在り続けることを。
 いつか、老いの辛さも、病みの苦しみもなくなって、ただ穏やかに在れると、信じているから。
 だから、終わる世界は夢をみる」

花は、一面に咲き誇っている。
緋色の月の下、どこまでも、どこまでも。

「終わらずに在り続ける、ただそれだけを祈るような、夢」

降り積もる雪のように。
或いは、万物に等しく眠りをもたらす、冬の灰のように。

「夢をみながら、キミたちの重みに耐えきれずに、世界は終わっていく。
 だからそれは、種を残すんだ。夢をみる種を」

白く、白く、ただ白く、大地は覆われている。

「終わりたくはなかったと、永劫を在り続けたかったと叫ぶ、純白の花を咲かせる種さ」

月下、咲くのは。

「そう、」

白い、白い花。

「この花の一輪、一輪が嘆きなのさ。終わる世界の悲しみだ。終わった世界の苦しみだ。
 その結晶が、この花だ。この地に咲く、僕の力の源だ」

さわ、と。
風に揺れて泣く、純白の群体が。
水瀬名雪を、囲んでいる。

「キミの殺した、これが世界の詠嘆さ。受け止めてみせてよ、可能性」

さわ、さわ、さわ、と。
白の海原が泣く。
嘆きの音が、夜空を包んで揺り動かす。

「贖いを求める声を」

さわ、さわ、さわさわさわと。
花が、泣く。
泣いている、はずだった。
それは、ただの一輪であれば、微風に揺れる可憐な花でしかない。
ただ静かに、密やかに、散ることもなく赤い月を見上げるだけの花。
しかし、風に啜り泣く白い花は幾千幾万、否、幾億を超えて、見渡す限りを埋め尽くすように、
大地を純白に染め上げている。
無限をすら思わせる嘆きの重奏は、互いに重なり合い、混ざり合ってぐねぐねと捻じ曲がり、
次第に別の貌を見せていく。

「救いを求める祈りを」

さわ、さら、さわ、ざわ、ざら。さら、さわ、ざら、さら、ざら、ざらざらざら。
ざら、ざらざらざら。ざらざらざら。ざらざらざら。ざらざらざら。ざらざらざら。
既に風は、やんでいる。
それでも音が、止まらない。
彼方に吹く風に揺れているのか。
或いは、嘆きの音のそのものが、隣り合う花々を揺り動かしているものか。
いずれ、音は、聲は、止まらない。
純白の水面を覆う嘆きは、今やどこか、嘲うような聲にも似て、緋色の月光をひりひりと焦がしていた。

「安らぎを求める、切なる願いを」

月光を捻じ曲げて、花々は泣いている。
大気を磨り減らして、花々は嘲っている。
歪む。音に満ちて、夜空が歪む。
歪む。歪に満ちて、大地が歪む。
嘲う。嘆く。花が嘲う。花が嘆く。
嘲う。嘲う。嘲う。嘲う。嘲う。
歪みが歪みを生み出して、歪みに生み出された歪みが歪みを歪めていく。

「これが―――終わる世界さ」

純白の海原が荒れ狂う。
大気を歪める音は散らぬ花弁を波濤と変え、波濤は刃となり槍となり、宙を吹雪くように舞う。
漆黒の夜空が融け落ちる。
月光を歪める音は星ひとつない空を押し潰し、引き伸ばして隙間を作り、隙間から漏れた光で星を造った。
宙を舞う槍が空を刺し、吹雪く刃が天を突く。
突かれた星が魂消たように走り出し、天球を駆けて隣の星を衝き動かす。
隣の星がそのまた隣にぶつかって、星の散乱は瞬く間に夜空の全部に拡がっていく。
漆黒の空は幾つもの刃と槍とで切り裂かれ、その度に生まれたばかりの星々が犇めき合って、
そうしてその中心に、月が口を開けていた。
赤い月は、穴だった。
真黒い玉突台に空いた、大きな赤い、暗い穴。
夜空の真ん中で、蠢き犇めく星々が押し出されてくるのを、じっと口を開けて待っている、
そのうすら赤いぼんやりとした月に、次から次へと光の粒が飛び込んでいく。
星を呑んで、光を喰って、月が大きくなっていく。
血を啜る蛭の、醜く肥え太って赤く膨れるように。
赤い月が、星を啜って、夜空を齧って、膨れ上がっていく。
ぼってりと、赤く、紅く、緋く、真円を描いて、月が、空を覆っていく。

「―――」

ざらざらと音が満ちる。満ちる音が空を歪める。
歪んだ空に浮かぶ月が、ぎょろりと目を向いた。
もう、夜空は見えない。赤い、紅い、瞳だけが、
じい、と見つめている。音が、嘆き、嘲う音が、
海原と瞳と、白と赤を、歪め、撓め、拡散する。
瞳はいまや、牙だった。顎の開き、閉じる如く。
瞬きが、大地を喰らう。純白を一息に呑み込み、
月の瞳の顎に呑まれて、音が、嘲い、嘆く聲が、

―――消えた。


***


月と、花と、音と、空と瞳との只中で、水瀬名雪は目を閉じていた。
恐怖の故にではない。
無論、諦観の故でにも、まして絶望の故にでも、なかった。
それは、確信の故にである。
そしてまた同時に、それはある種の恐怖と、諦観と、絶望を伴う確信でもあった。
無限に近い詠嘆の嵐の中で、名雪は己が確信の否定されるのを希求し、またそれが叶わないことを理解していた。

救われるだろう、と。
そう思う。
無限に近い有限の嘆きは、救われてしまうだろう。
それが、救われぬものという存在の、定義だ。

ただ一言を、告げさえすれば。
否、口にする必要すら、なかった。
ただ願えば。祈れば。求めれば、それは叶うのだ。

そうして、気づく。
救われぬと。
報われぬと嘆きながら、生き続けてきたのは。
水瀬名雪が、それを願わなかったからだ。
願えば、叶っただろう。
祈れば、救われただろう。
求めれば、報われただろう。

それをしなかったのは、何故だろう、と。
問いかけても、自身の内から返る答えの、あるはずもない。

きっとそれは、意地とか矜持とか、そういう風に呼ばれるものだ。
これほどに摩耗し、鈍化し、錆びついてなお、水瀬名雪の中に屹立し続けた、ただ一本の細い柱。
この世の果ての只中の、その一番の奥底でなお、水瀬名雪を阻むもの。

だけど、と。
音の消えた世界の中で、名雪はほんの僅か、笑う。
それは、古びた鍵を手に、自らの足枷を眺める年老いた女の、力ない笑みだ。
己が手で己自身を律する恐怖と、昨日と違う明日が訪れることへの怯懦と、
幾枚かの小銭だけを蓄えた壺と、虫の涌いた埃だらけの布団を置いた寝台と、
晴れ渡った青い空の広がる小窓の向こうとを順に見つめて、なおじっと動かない奴隷の、
逡巡と悔悟と、追憶と追想と夢想とが入り交じった、笑みだ。

―――ああ、ああ。
もう、意地を張るのも、疲れた。

力なく笑んだまま、希望ではなく摩耗から、幻想ではなく鈍化から、
水瀬名雪は、己が心の中にある、細い柱を、そっと押す。
鍵穴に差し込まれた真鍮の、拍子抜けするほどあっさりとした小さな音を立てるように、
柱が、崩れた。

「救われなかった世界と、人はいう」

それは、ただ、眠っていた。
眠っていただけだった。

「違う」

それは、消えない。
それは、滅びることもない。

「それは、その力を持つ者の前にあって、名を変える」

誰に知られることもなく。
誰に惜しまれることもなく。

「救われるべき、世界と」

ただそれが、求められるそのときを、待っている。
その名を呼ばれる、その時を。

「簡単なんだ、そんなことは」

その名を呼ばれるとき、錆は剥がれていく。
その力を求められるとき、煌きは、蘇る。

「私の好きな人なら」

それは、黴の生えた襤褸を纏った、みすぼらしい老人だ。
或いは、取り立てて見るべきところのない、凡庸な青年だ。
また或いは、教養もなく毎日の労働に追われる、無力な女でもあった。

しかしそれは、それを求める者の目には、ただ貴く、雄々しく、誇らしく映るのだ。

それは、そうであらねばならぬとき、この世で最も美しく刃を捌く剣の遣い手であれた。
それは、そうであらねばならぬとき、この世で最も速く空を翔ける天馬の騎手であれた。
それは、そうであらねばならぬとき、この世で最も高らかに正義を謳い上げる、最後の砦であれたのだ。

だから、告げる。
ただ一言、その名を。

「―――たすけて、祐一」

称してそれを、救世主という。



***



そして彼は、蘇る。



***



白銀の鎧があった。
量販店の棚に山と積まれた、安っぽいフリースのジャケットがあった。

悠久を凍りつかせたような、紫水晶と同じ色の瞳があった。
悪戯っぽい、どこか幼さの抜けぬ黒い目がぼんやりと開かれている。

冬の空の月光を紡いだような銀色の髪が風に靡いていた。
教師の目に止まらぬ程度にほんの僅かに脱色された濃茶色の、無造作な髪だ。

その背には翼が生えている。
三対六枚、磨きあげられた鏡のような銀の翼は、誰にも見えない。

美しい、それは少年だった。
青年へと移り変わる時期の奇妙な歪さを湛えた、道行く者の誰ひとりとして振り向かぬ、そんな少年だ。

それは、救済のためのシステムだ。
それは、ただそこにあるだけのものだ。

それは、相沢祐一という。
それを、相沢祐一という。

そして彼の前に、月も星も、夜空の隙間も純白の嘲う海原も、
何もかもが、沈黙した。

「―――」 

相沢祐一は、大地を呑み込んだ月の瞳と、呑み込まれた花々の咲き乱れる大地とを無視して、
ただひとり、そこに立っている。

立っているから、そこには大地があった。
大地があるから、それは月に呑み込まれてはいなかった。
大地を呑み込んでいない月は、ただ天空の彼方に赤く浮かんでいる。
天空に浮かぶだけの月は、だから瞳などではなく。
そこはただ、月下の花畑でしか、ない。

何もかもが、かくあれかしと定められたままにそこにあり、故にそこには三つの影が、
緋色の月光に照らされて、立っている。

ざあ、と。
風に揺れる花々を見渡して、

「……、道化め」

と、琥珀色の瞳の少年が、吐き棄てる。
相沢祐一は黙して立ち、答えない。
水瀬名雪もまた、口を開こうとはしなかった。
ただ僅かに微笑を浮かべながら、祐一を見つめている。
優しげで、切なげで、悲しげで、誇らしげな、それは微笑だった。

「……錆び付いた剣。ノイズ混じりのロジック。
 そんなものが今更出てきて、何になるというんだい」

名雪の表情に、僅かに眉根を寄せながら少年が言う。
興を削がれたとでも言いたげな声音。

「水瀬名雪。ねえ、今やキミは世界で一番の可能性のひとつなんだ。
 もうこんな時代遅れの張りぼてより、よほど大きな存在なんだよ。
 知っているだろう? これはもう、自分が何であるのかも分かっていない。
 自分の姿も保てない。自我だって、あるかどうかも分からない」

横目で相沢祐一を睨みながら、少年が続ける。

「これはただのシステムさ。もう駄目になったシステムでもある。
 一度限りの緊急避難くらいには使えるかも知れないけどね。それだけさ」

ぼんやりと輝き、ぼんやりとその輪郭を薄れさせ、ぼんやりと美しく、ぼんやりと凡庸に、
ただ立ち尽くしているような相沢祐一を、ひどくつまらないものを見たとでもいうように
小さく首を振り、溜息をついてから、少年は告げる。

「消えろ。お前なんか―――必要ない」

それは、崩壊の合言葉だった。
かつて完全であったもの、かつて瑕疵なく在ったものを容易く滅ぼす、ただの一言。
請願に呼応し救済を希求する、その存在意義が故の陥穽。
純粋な否定は、転移する癌細胞のように、相沢祐一を規定する要素を侵食し、破壊する。
果たして、少年の言葉が響くと同時。

「―――」

立ち尽くしていた相沢祐一の、時が止まる。
風に靡いていた銀色の、或いは濃茶色の髪までが、精緻な彫像の細工であるかのように凍り付いていた。
言霊が染み入るように、相沢祐一から色が失せていく。
紫水晶の、或いは飾らぬ黒い瞳が、白銀の鎧が、或いはありふれた上着が、誰にも見えない、
或いは誰の目にも鮮やかな三対六枚の翼が。
まるで世界から祐一を包む空間だけが彩度を失ったように、そのすべてが、薄暗い灰色へと変じていく。
ゆらり、と揺れたのは相沢祐一の身体だ。
否、祐一自身は未だ指の一本、髪の一筋すら動かしてはいない。
揺れたのは、その輪郭だった。
水に落とした飴玉の、ゆらゆらと溶けてその形を失っていくように。
相沢祐一の全身が、大気との境界線を揺るがせていた。
薄れ、揺らぎ、透き通り、混じり合い、融け合って、相沢祐一という存在の輪郭そのものが、
緋色の月光に満たされた大気の中に流れ込んでいく。
喪失と崩壊とが、止まらない。
それは紛れもなく相沢祐一がこれまでに何度も辿ってきた、消滅へと至る過程だった。

「……さあ、邪魔者は消えるよ。続きと行こうか、水瀬名雪」
「……」

向き直った少年の、視線の先。
水瀬名雪はしかし、少年を見やりすらしない。

「……、何がおかしい?」

眉根を寄せたのは少年だった。
微動だにせず相沢祐一を見つめる、水瀬名雪の表情。
ただじっと視線を向けたその顔には、微笑だけが浮かんでいる。
相沢祐一の顕現したときと、まるで変わらない微笑。
滅びゆく姿を見つめる笑みでは、なかった。
つられるように祐一へと視線を戻した少年の表情が、険しくなる。

「……!? どういう……」
「無駄だよ」

水瀬名雪の、静かな言葉。
二対の視線の前で、相沢祐一に、変化が現れていた。
崩れゆく灰色であったはずの、その身体。
薄れかけた色彩が、夜の明けるように鮮やかに、彩りを取り戻そうとしていた。
色の戻るのと、歩調を合わせるように。
全身の崩壊もまた、止まっていた。
ゆっくりと、引いた波が寄せるように、輪郭がその境界線を取り戻していく。

「無駄なんだ」

白く長い指先の、吹き抜ける風の愛撫を受けるままに立つ相沢祐一を見つめながら、名雪が言う。
その眼前、銀色の翼が、夜空を裂くように蘇っていく。

「祐一は、消えない。そんな言葉なんかに、負けたりしない」
「……っ!」
「だって、ここには」

気色ばむ少年を無視するように、名雪が両手を広げて周囲を見渡す。
そこには、

「祐一を必要としている世界が、こんなにも、あるんだから」

白い、白い花々が、咲き乱れている。
ざあざあと泣く、純白の海原が、相沢祐一を押し包むように、拡がっている。

「―――」

すう、と。
深紫色の瞳を虚空に向けたまま、花々のざわめきに身を任せるように立ち尽くしていた祐一が、
音もなく唐突に、その場に跪いた。
片膝をつき、屈み込んでその指を伸ばした先に、一輪の花がある。

「……つまらないことを」

呟いた少年に、笑みはない。
その瞳には蔑みと嘲りとが、ありありと暗い炎を燃やしている。

「言ったろう、その花の一輪が、終わった世界の結晶だって。
 周りを見なよ。それが幾千、幾万……どれだけあると思ってる?
 無限の世界、その命すべての嘆き、哀しみ、苦しさ、寂しさ―――。
 そんなものに、勝てるはずがない」

吐き棄てられた少年の言葉にも、名雪は錆び付いた微笑を崩さず、ただ一言を返す。

「勝つんじゃない。救うんだ」

その声が静かな風に融けるのを、合図にしたように。
相沢祐一が、白い花に、触れる。
手折るでもなく、千切るでもなく。
微かに揺れる純白の花を、愛撫するように。
甘やかに、その手で包む。

「私は知ってる」

水瀬名雪の見つめる、その眼前。
まるで祐一の手に、その身を委ねるように。
白い花が、薄緑色の細い茎ごと、抜ける。

「本当の愛を、そんな風に呼ばれるものを見せてくれる、世界でたったひとりの人」

ずるりと抜けた薄緑色の茎には、奇妙なことに、根がなかった。
引き抜かれた大地に、根の残っているでもない。
まるで切花が一輪、大地に挿されていたように、その白い花は咲いていたのだった。

「幾千の嘆きも、幾億の悲しみも、たとえばそれが、無限にあったとして」

ぽたり、と。
垂れ落ちるものがあった。
地に埋もれていた細い茎の、切り取られたような断面。
そこから、ぽたり、ぽたり、ばたばた、と。
次第に勢いを増しながら垂れ落ちるのは、赤い、赤い汁だった。
黒みがかった赤褐色は不透明で、粘ついていて、どろり、ばたばたと。
まるで鮮血のように、止め処なく、流れていく。

「そんなものは、関係ない。関係ないんだ」

その手から溢れ、腕に伝って白銀の鎧を染める深紅の液体を、ほんの一瞬見やって、
相沢祐一が、その白い花に、顔を寄せる。
捧げ持った花を、そっと抱きしめるように、いとおしむように。
純白の花弁に、唇を重ねた。

「祐一は、救うんだ。全部を」

赤く、紅く、血のような汁が垂れ落ちて、祐一の胸を、脚を、その身体を汚していく。
それにも構わず、相沢祐一は白い花弁へと口づけたまま、じっと花を抱きしめている。
ばたばたと、はたはたと。
流れ落ちる真っ赤な汁に、混じるように。
はたはたと、はらはらと。
一枚の花弁が、舞い落ちた。
それを、追うように。
花が、散る。
散って、舞い、緋色の月光に手を振るように、消えていく。

「―――」

祐一の唇に触れていた、最後の一枚が散るのと同時。
血のような汁も、止まる。
ただ細い葉と小さな萼だけを残した、薄緑色の茎を、祐一がそっと大地に置く。
置いて立ち上がった、その全身は深紅に染まっている。
返り血を浴びたように、或いは深い傷を負ったように、鮮血のような紅に染まって、
祐一がほんの一歩、足を踏み出す。
そこには、次の一輪が、待っていた。

「そんな……」

少年の戸惑ったような呟きは、相沢祐一を止められない。
ゆっくりと膝を折った祐一が、純白の一輪を手にとって、抱きしめる。
やさしい愛撫とやわらかい口づけと、流れ出す血を浴びてなお翳りなく、嘆く世界を抱く姿と。
寸分の違いもなく繰り返される光景の最後に、白い花が、風に舞う。

「散っていくぞ、花が。救われていくぞ、世界が」

水瀬名雪の、謳うような声が響く。
そこに、流れる時はない。
緋色の月光に照らされた純白の花畑を、歩み、跪き、穢れに染まる救世の徒の前に、
時の流れの如きは、その意味を失う。
幾百の嘆きがただの一瞬に散り、たったひとつの純白の詠嘆は永劫を以て空に舞う。
幾千と、幾万と、ただのひとつと刹那と久遠とが、相沢祐一の歩みの前に凝集していた。

「やめろ……無理だ、無理なんだから……」

白い、白い花が舞う。
怯えたように手を伸ばす少年に背を向けるように、相沢祐一の行く先で、花が泣き、世界が嘆き、救われる。
救われて、いく。
純白の海原に舞う、白い花弁は波濤だった。
波濤は泡沫のように空へ舞い上がり、漆黒の夜空を、緋色の月光を、白く、白く侵していく。
可憐な白が、空と大気とを焦がし、その有り様を、塗り替えていく。


***

 
「やめて……やめてよ……」

息の詰まるような白に包まれて、少年の声は力ない。
花の海原は、既に見えない。
舞い上がり、雨のように、風のように大気を押し包む純白は、果て無く続くはずの花畑の、
その果てまでが散る如く、闇を染め上げていた。
夜はもう、終わろうとしていた。
終わる夜に浮かぶ月は、夕暮れの公園に取り残された子供のように物悲しく、痛ましい。

「待ってよ……こんなのは、違うだろう……?」

ふるふると首を振って、白い闇の中、少年が両手を広げる。
眼前に立つ水瀬名雪に向かって、震える声を張り上げる。

「これは、最後の戦いなんだ……僕の、僕たちの、最後の戦いなんだから……!
 こんな風に、こんな、こんなの……だめだよ、ちゃんと、ちゃんとやらなきゃ……」

言葉にならず、それでも絞り出された声に、水瀬名雪がほんの一瞬、目を向ける。

「……、」

何かを言おうとして口を開きかけ、しかし、すぐに視線を少年から外す。
見やった先、水瀬名雪に向けて歩む、姿があった。
それきり名雪が、少年を見ることは、なかった。

「これで終わりなんだ! これが最後なんだ!」

叫ぶような声も、届かない。

「もっと、もっと遊ぼうよ! ずっと、ずっと!」

伸ばす手に、差し伸べられる指はなく。
水瀬名雪はただ一人、相沢祐一だけを、見つめていた。

「待って……待って!」

月が、赤い月が、夜を吸い上げるような純白に覆われて、欠けていく。
緋色の月光も、救われた世界の欠片に掻き消されて、少年には、届かない。


***

 
「―――」

三歩の距離が、二歩になり。
二歩の距離が、一歩を埋めて。
そうして二人が、向かい合う。

大地に咲く花は既になく。
嘆く世界の、終わった世界のすべては、救われていた。

それで終わりなのだと、水瀬名雪は理解していた。
救世という、その一点だけが相沢祐一という概念だと、ならばそれが終わった今、
相沢祐一は存在を赦されないのだと、正しく認識していた。

だから、気付かなかった。
相沢祐一が眼前に立つのは、別れを告げに来たのだと、そう考えていた。
諦念と摩耗とが、水瀬名雪にそれを許容させていた。
それは何度も繰り返した絶望で、或いは幾度も乗り越えた終焉で、それだけでしかないと、
ただ、もう次がないと、それだけのことでしか、なかった。

だから、気付けなかった。
相沢祐一が、その手を伸ばすまで。
伸ばされたその手が、自らの胸に、そっと触れるまで。
そこに咲く、小さな白い花を、やわらかく撫でるまで。
そうして、その胸に咲いた花ごと、水瀬名雪を抱きしめるまで。

「そう、か―――」

驚きはなく。
戸惑いもなく。
ただ、安らぎと、喜びだけが、あった。

「終わるんだね―――ようやく。
 好きな人の手で、私は、終われるんだね」

消えていく。
吐息を感じるような距離の向こうで、紫水晶の色が消えていく。
冬の月のような銀色も、輝く鎧も、煌く翼も消えていく。

そこにある。
凡庸で、悪戯っぽい黒い瞳が、そこにある。
ほんの少しだけ色を抜いた無造作な髪と、飾り気のない安っぽい服と、そうして、それから。
そこには、温もりが、あった。

「ありがとう―――祐一」

最後には、口づけを。
終わらない世界の、繰り返す時間の終わりには、ただ、愛しさだけが、あった。

小さな、白い花が。
音もなく、散る。




******

 
 
 
咲く花は、既にない。
白く舞う花々は空に融け、漆黒を取り戻した夜が寒々と闇を湛えている。
どこまでも広がる茫漠たる大地が支えるのは、たったひとつの影だった。

「……どうして」

影が、呟く。
誰にも届かない呟きは、やがて地に落ち、染みていく。
吹く風に揺れる白の海原はなく。
嘆く声も、聞こえない。

音のない荒野で、少年が聞くのは、だから、声だ。
耳朶を震わせる音ではない。
かつて聞き、そしていつまでも少年の奥底の伽藍洞の中を響き続ける、消えない声だ。
永遠と久遠とを共に在り、これから迎える最後の時を、長い長い煉獄を、手を携えて見届けるはずだった、
幾つもの声だった。


―――余は、翼がほしい! この空を越えて、どこまでも飛べる翼が!

 ―――来てみれば、わかる……ってさ。

―――手をのばせ、こんちくしょー!

 ―――あたしの本当の名前を呼んで。そうしたら―――

―――ねえ、わたしたちは、きっと、ずっと、もっと、もっと―――


声はもう、内側にしか響かない。
去った者と、振り向かぬ者と、応えぬ者と。
繋ごうと伸ばした手の、届くところには誰もいない。

「待ってよ」

力なく見上げて呟く声は、虚しく空に消えていく。

「そんなの、ないよ」

見上げた夜空には、星のひとつもない。
ただ取り残されたように、細い、細い、糸のように痩せ細った赤い月が、
ぼんやりと、浮かんでいる。

「僕を、置いていかないでよ……」

終わる世界の嘆きを統べた、無限の力も。
永劫を超えて辿り着いたはずの、最後の好敵手も。
誰も、いない。
何も、ない。
だから、

「―――ようやく、見つけた」

何もかもを失くした少年が、
夜明けの稜線に沈む月のように、ぼんやりと振り返って、その琥珀色の瞳に映った、
二つの影に向けて浮かべたのは。
縋るでも、疎むでもない。
薄く、薄く、ただ一欠片の失意だけを、滲ませた。
色のない、笑みだった。




【時間:すでに終わっている】
【場所:最果て】


少年
 【状態:―――】


天沢郁未
 【状態:―――】

鹿沼葉子
 【状態:―――】


相沢祐一
水瀬名雪
 【状態:消滅】
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