(瑠璃様、珊瑚様……っ) そうイルファが祈るように歩き続け、既にかなりの時間が経っていた。 主である姫百合姉妹を探しに折原浩平と共に無学寺を出発したイルファだが、その成果が一向に出る気配はない。 地図を見ながら先導する浩平の背中を追う形で、イルファも前に進んでいる。 両腕に支障をきした彼女は、修理を行わないもはや指先で行う作業に携わることはできない。 何かを持つこともできないイルファの代わりにと、浩平は親身になってリードしてくれている。 ありがたいことだった。 転んだら最後自力で起き上がるのも難しいイルファのためにと足元の注意も逐一教えてくれる浩平の細かな気配りに、イルファはいくら感謝してもしきたりないくらいだった。 そんな浩平の協力のおかげで、確かに道中で問題が生まれることはなかった。 しかし姫百合姉妹に関する手がかりもいまだ皆無の状態で、イルファは自身の焦りを止められそうにないくらい追い詰められている。 (……瑠璃様ぁ) 大切な、誰よりも優先する主の名をイルファは何度も心の中で呼んでいた。 しかし一向に返ってくることのない答えが、イルファの余裕を蝕んでいく。 殺し合いに乗っているような人物に声が届いたら危ないと浩平に釘をさされ、その愛しい名を声に出し発することもできないストレスは、機械でできている彼女の演算さえをも狂わせそうになっている。 ただ、その無事が確認したかった。 逃げ延びたという現実が知りたかった。 イルファは証が、欲しかった。 「こっちの方に行くと、その争ったっていう神社なんだろ? そこに戻ってる可能性だってあるんだし、あんま思いつめない方がいいぜ」 「はい……」 浩平の声に俯いたままの顔を、イルファはあげることができなかった。 人間の彼にこんな心配までさせるとは、なんて駄目なロボットだろう……思うイルファだが、やはり今は彼女のことしか考えられないようだ。 (お願い、無事でいてください……瑠璃様、珊瑚様) 柏木千鶴を倒した鷹野神社、今イルファ達はそこに向かっていた。 歩みは決して速くない、イルファの状態を考えると下手に急ぎこれ以上の損傷を作ってしまうのは後に響くだろうという考えからだった。 姫百合姉妹の片割れ、姫百合珊瑚と再会できれば彼女の故障した両腕も直すこともできるかもしれない。 そう言ってイルファを励ましたのは、他でもない浩平だ。 しかし道具や機材が十分ではないこの場所で、それを当てにしすぎるのは厳しいだろう。 現実問題、万が一再会できなかったことも念頭において置く必要というのは絶対にある。 しかし、そんな現実的な意見を、浩平がイルファに対し向けることはない。 それは彼の優しさだ。 姫百合姉妹をどれだけ思っているかを、こうして歩きながらイルファの口から聞いた浩平は、彼女の心を傷つけるようなことを言葉にできなくなっている。 イルファがロボットだなんだという事実は、浩平には関係ない。 そもそもメイドロボという存在自体を身近に感じていない浩平だ、こうして生の彼女を見ても機械という実感が沸かないのだろう。 頭が外れるという人間ではあり得ない状態のイルファを見ておきながらも、浩平の調子はそんなものであった。 「そろそろじゃないか、ほら。あの先だろ、多分」 鬱蒼とした森に囲まれた歩道の先、少し開けた場所が目に入り、浩平はイルファに振り向きながらそこに向かって指をさした。 こじんまりとした境内は、イルファにとっても見覚えのある建築物である。 そこに、姫百合姉妹がいるかもしれないという期待が、イルファの回路を満たそうとしたその瞬間。 イルファは、視界の隅にとても見覚えがある物が映っていることを知覚した。 「ん、どうした?」 立ち止まり表情を強張らせるイルファの様子に気づいた浩平が、訝しげに眉を寄せる。 それでもイルファは、次の一歩を踏み出せなかった。 空は随分と明るさを取り戻していて、当に朝焼けも過ぎている頃だろう。 視界も大分良くなっているため、この光景が見間違いである可能性というのも少ない。 しっかりと映っているそれが何なのかを、イルファは確かめなければ行けない。 そこに確かな真実があるということを。イルファは、認識しなければいけない。 「お、おい! どこ行くんだよ!!」 いきなり明後日の方向へと進みだしたイルファの背中に、浩平の戸惑った声が降り注ぐ。 それでもイルファは止まらなかった。 まっすぐに、ただまっすぐに目的のモノがある場所へと向かっていく。 「一体何やって……、っ!」 足を止めたイルファの目の前、そこに在るものの正体に浩平も思わず絶句する。 「……」 イルファは黙って、足元の彼女達を見つめていた。 折り重なる二つの肢体には、朝の光がさんさんと降り注いでいる。 まぶしい。早朝の明るさもそうだが、倒れる少女の相貌の美しさからそれは天使の姿を髣髴させた。 ピンクが基調の可愛らしいデザインの制服には、イルファの知らない新たな色が加わっていた。 スカートの赤地よりももっと濃い、朱。紅。 時間の経過を表しているその色は、もはや黒のレベルにまで落ち濁っている。 その色の出所が、どこなのか。 分からないくらい、彼女達はしとどに濡れそぼっている。 「いやぁ……」 イルファの機械染みた声が震える、掠れる。 暫く口を開いていなかったイルファの音声は、優しい彼女の暖かさが全く感じられないくらいのひどいものだった。 最早雑音。 ぷすぷすといった異音も、彼女の口以外の場所から漏れている。 かたかたと震えるイルファの全身から、湯気が噴出す。 「いやああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」 大気を引き裂くノイズを発しながら、オーバーヒートしたイルファはそのまま前のめりに倒れそうになった。 崩れていくロボットの体を、浩平が慌てて受け止めに行く。 「熱っ!!」 予想以上の温度を持ったイルファの機体に戸惑いながら、浩平もやっと理解した。 この美しい少女達が、彼女が命よりも大切にしていた存在だったということを。 彼女達のことだけを考え、奮闘していたイルファの姿を浩平は少ない時間ではあるが隣で見てきた。 そんなイルファにとって、この光景はあまりにも。 あまりにも、酷だった。 それから暫く経ち、午前六時。 流れた放送が、姫百合姉妹の絶命を告白する。 目視していた浩平からすれば、ただ裏付けが取れただけの現実だ。 また見知った仲間達の名前も次々と呼ばれたことで、浩平の心もどんどん暗く落ち込んでいっていく。 自分と世界を繋ぎとめた友人達とは、もう会えないということ。二度とだ。 消えた温もりに縋りたくとも、今や浩平は一人だった。 誰もいない。 動きを止めたロボットは、鷹野神社の境内にて安置されている。 再起動する気配はいまだなかったが、浩平はもう彼女が動くことはないと思い込んでいる。 呼ばれたのだ。彼女、イルファも。 ちょうど浩平が、こうして境内の入り口、見張りを兼ねたその場所にて頭の中を整理しようとした時である。 そのタイミングで流れた放送の中に、イルファの名前はひっそりと含まれていた。 あぁ、壊れたのだと。 浩平が納得するのに、時間はかからない。 主君を喪ったショックであろうと、簡単に予測をつけることは可能だった。 「これから、どうするかな……」 浩平の小さな囁きは大気に溶け、そのまま消え入る。 呆けながら周囲を眺めているだけでも、時間というものは刻々と過ぎていく。 ため息を一つ吐き、浩平はとりあえずそのままにしていた姫百合姉妹の遺体を葬ってやろうと、立ち上がった。 『起きて』 誰かの声。少女の囁き。 境内の中、こもった音が響き渡る。 横たわるイルファはまだ、回路が回復していない状態だった。 『起きて』 再び少女が呼びかける。 相も変わらず反応は返されなかったが、どうやら少女も簡単には諦める気がないのだろう。 それから幾度に渡って、少女はイルファに声をかけ続けた。 『むう』 目を覚まさないイルファに対し、少女が不満から膨れるような声を出した時だった。 微かな機械音が、鳴り始める。 その出所はイルファだった。 小さな呻きが漏れる。 その出所も、イルファの口元だ。 ゆっくりとイルファの瞳が開かれるが、情報を整理している途中なのかその眼はどこか空ろである。 そうしてイルファは、静かにゆっくりと起動した。 【時間:2日目午前6時半】 【場所:F−6・鷹野神社】 折原浩平 【所持品1:仕込み鉄扇、だんご大家族(だんご残り90人)、イルファの首輪、他支給品一式(地図紛失)(食料少し消費)】 【所持品2:フェイファー ツェリスカ(Pfeifer Zeliska)60口径6kgの大型拳銃 4/5 +予備弾薬5発、他支給品一式×2】 【状態:姫百合姉妹を葬る、ゆめみ・七海の捜索】 イルファ 【所持品:無し】 【状態:首輪が外れている・右手の指、左腕が動かない・充電は途中まで・珊瑚瑠璃との合流を目指す】 - BACK