対決







 『高天原』には無数の監視カメラが設置されている。
 コントトールルームにいれば施設内にいる殆どの生物の動きが分かるくらいに配置されている。
 正確に言えば、監視カメラが設置されているのは地下構造になっている部分からで、
 そこに通じる通路及び大型エレベーターには入り口のセンサーを除いては何もないのだ。

 高天原の構造は地上に通じる複数の通路から、一つの大きな部屋へと通じる。
 作戦司令室とも呼ばれるそこには、ブリーフィングが可能な広さとモニターが用意され、隣には第一武器庫が存在している。
 今そこに、一匹の猪が侵入していた。

 ぷひぷひと鼻息荒くのし歩くかの畜生の名前はボタンである。
 無闇に広い場所には人間の足がひしめいていると錯覚するほどの椅子と机の脚が立ち並び、
 ボタンはその隙間をうろうろと縫うように歩かなければならなかった。
 猪という生き物は猪突猛進が得意というか、でっぷりと太った体に細くて短い手足であるため器用に動けないのである。

 避け損ねて椅子やら机やらにぶつかり、がたごとと揺れる。
 無論その様子がコントロールルームに繋がる監視カメラに映らないわけはなかった。
 奇々怪々に揺れる机と椅子を眺めるロボット達は、終始無言であった。

 何故ならそこには人間がいないからであった。
 不気味に動くだけの机や椅子ごときを上に報告する必要はなかった。
 ロボットは、不思議を不思議と捉えられない。現実を現実として処理するだけだった。
 とにもかくにも異常と判断されなかったボタンは物の荒波から抜け出し、次なる通路へと駆けて行く。

 この通路から先は様々なセクションへと通じる細い廊下が続いており、
 発電室、第二〜四武器庫、格納庫、食堂、兵員室、食料庫、シャワー室……他多数の場所へと続く。
 ボタンは腹が減っていた。腹が減っては戦はできぬ。獣故の勘か、それとも嗅覚か。

 ボタンは迷うこともなく正確に食料庫へと通じる廊下を真っ直ぐに進んでゆく。
 途中階段があったりして「ぷっひ、ぷっひ」と一段ずつ涙ぐましい努力で下ってゆく猪の姿は感動物であった。
 当たり前だが、その姿が例のモニターにバッチリと映っていた。
 まさに万事休す。ボタンの命も風前の灯かと思えば、果たして監視の役割を担うロボット達は終始無言であった。

 ロボット――作業用に特化したアハトノイン――達は、無能ではない。居眠りをするわけもない。
 彼女達は、ただ仕事に忠実であった。
 主であるデイビッド・サリンジャーは今は別の部屋にて仮眠を取っていた。彼は人間、この時間であるから無理からぬことである。
 不眠不休で働けるロボット達が後を任されるのは当然至極の措置といって過言ではなかろう。

 だが、サリンジャーはロボット達に対する指令を少し間違えていた。
 彼が下した命令は『モニターに異常を発見したら報告しろ』であった。
 だがこの場合の『異常』とは『この施設に登録されていない人間』とロボット達は判断してしまったのである。
 誠に融通が利かぬボンクラの如き判断ではあったが、所詮はロボットである。
 言葉を額面どおりにしか判断できぬ設計にしたのは、他ならぬサリンジャーであった。
 彼はこう命令すべきだったのだ。

 『モニターに、自分とアハトノイン達以外に動くものがあったら報告しろ』と。

 かくしてボタンは当面の危機から脱した。
 そしてそんなことなど露知らぬボタンは動物の勘で食料庫まで辿り着き、ぽてぽてと侵入を果たしては目の前の光景に歓喜の鳴き声を上げた。

「ぷっひ、ぷっひ」

 文章では到底表現できない奇怪な踊りを繰り広げるボタン。もちろんポテトからの伝授である。
 ふとかの畜生の友人を思い出してほろりと感傷に浸るボタンであったが、それよりも食べ物だった。
 結局は彼も畜生なのである。手近な棚から食べ物を引っ張り出しては起用に牙と歯で封をこじ開け、
 もしゃもしゃと頬張るのであった。彼の表情は誠に至福であった。
 アハトノイン達は減ってゆく食べ物を見つめながら、やはり無言であった。

     *     *     *

 高天原は奇妙な平和に包まれていた。時刻は既に午前五時にならんかとしていた。
 が、その平和はいともあっけなく破られた。平和とは往々にして簡単にひっくり返される。

「……なんだ、あれは」

 仮眠から目覚め、再びモニターの前に現れたサリンジャーは絶句していた。
 見れば、どう見ても畜生の類と思われる獣がもしゃもしゃと食料を頬張っているではないか。
 一体何故? どこから侵入した? そんな疑問がサリンジャーに駆け巡ったが、
 彼の目前で監視任務についているはずのアハトノインはただ無言を貫くのみであった。

「おい、異常は報告しろと言ったはずだが」

 苛立ちを隠しもせず、己の仕様を棚に上げて詰問するサリンジャーだったが、人間の気分を解しないアハトノインは冷静に告げた。

「はい。何も異常はありません」
「ではアレは何だっ!」

 制御盤を力任せに叩き、映る猪を指差すが、アハトノインの返答は相変わらずだった。

「『誰』も侵入してはおりません」

 ここで流石にサリンジャーも悟り、ばつが悪そうに表情を歪めて舌打ちし、
 何を言っても埒があかないとようやく判断して、改めて命令を下した。

「私達以外の存在があれば報告しろ」
「異常を感知しました。いかがされますか」

 ここまで切り替えが早いと、呆れるよりも逆に不便だという印象だけがサリンジャーに残った。
 もう少し融通を利かせる設計にすべきだと考えても後の祭りで、ここでプログラミングしている時間はない。
 頭を無理矢理冷やして、サリンジャーはしわがれた声で命令を下した。

「捕まえろ。放り出せ」
「了解しました」

 応じたオペレーター型アハトノインがマイクに指令を吹き込む。対象は控え室に待機している予備の作業用アハトノイン達であった。
 流石にこのような事故に戦闘用アハトノインを使うわけにはいかなかった。
 何せ時間の関係で、戦闘用アハトノインは数体しかおらず、うち一体は整備中であった。
 予備の機能でもこの程度の任務は十分ではあったが。

 ぞろぞろと兵員室から一様に同じ服装、同じ髪型、同じ顔のロボット達が出かけてゆく。
 サリンジャーはそれを眺めながら、まるでコメディだ、と溜息を通り越して苛立つ。
 確認してみれば殺し合いは一向に進んでおらず、しかもあろうことか一堂に会し、動きはないが団結しているようにも見える。
 アハトノインを実戦に出しての戦闘データは取りやすい状況になったとはいえ、面白くないのは依然として変わらなかった。

「次の放送は、死者はゼロでしょうね……別に、何も変わるわけでもありませんが」

 椅子に腰掛け、サリンジャーはリモコンのスイッチを押して、現在の生存者が集まる学校の様子を見てみた。
 学校内部にカメラは仕掛けていないので、はっきり言って何が行われているかは分からない。
 以前はちょっとした殺し合いもあり、いささか面白い状況だったというのに。
 聞こえてくる声も和気藹々としたもので、これも面白くない。

 幸いにして何も対応策がなさそうなことから、ただの現実逃避に過ぎないだろうことは分かったが。
 待ってみるのもそれはそれで面白いかもしれない、とサリンジャーはほくそ笑んだ。
 逃避した先にどんな状況が待っているか。絶叫に変わるその様は楽しいこと請け合いだろう。
 そう考えると今の状況もここから始まる絶望のスパイスに感じられて、サリンジャーはとうとうくくっ、と哄笑を漏らした。
 ふと別のモニターを見ると、件の猪が迫るアハトノインに追い立てられ、情けない鳴き声を上げている。
 存外に素早かったが、まあ時間の問題だろう。ロボットにスタミナ切れはない。

「逃げろ逃げろ。どこまで逃げられ……ん?」

 せまいダクトに侵入したらしい猪が追跡から逃れる。ぽかんと口を開け、唖然とするサリンジャー。
 ダクトの中にまで監視カメラはない。つまり、見失った。
 ダクトは無数に分岐しており、どこから出てくるか分かったものではない。

「申し訳ありません、見失いました」
「探せっ! しらみつぶしにだっ!」
「了解しました」

 このまま高天原を土足で踏み躙られてはたまったものではない。
 害はないとはいえ、プライドの高いサリンジャーには自分だけの高天原を汚されることが許せなかった。

「どいつもこいつも……捕まえたら、私が撃ち殺してやりましょうかね……」

 半ば本気でそう考えていることに、サリンジャーは失笑した。
 猪一匹に何をムキになっているのであろうか。
 待つのは性に合っていないのか、それとも来るべき宣戦布告の時期を前にして気が昂ぶっているのか。

 どちらでもいい、とサリンジャーは思った。
 今はただ、放送の内容だけでも考えるかと思考して、サリンジャーは猪が消えたモニターから目を外した。




【場所:高天原内部】
【時間:三日目:05:00】

デイビッド・サリンジャー
【状態:朝まで待機】

ボタン
【状態:主催者に怒りの鉄拳をぶつけ……たいけど逃走中】
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