終焉憧憬(2)/get the regret over







 
「シェルター? 六十億人が死んだってのに、自分たちだけで殻に閉じこもったような連中が、
 仲良く暮らして子孫を繁栄させました……なんて、本気で言ってるのかい?」

「彼らは殺しあったよ。不安、焦燥、権力争い……理由は様々だったけど。
 一つの例外もなく、殺しあったんだ。そして、人類は滅びた」

「一番長く保ったのは十二年」
「最後のシェルターで、とある男が閉鎖空間に耐え切れなくなった」
「目に映る人間を片っ端から血祭りにあげて、最後に残った四歳になる娘を犯した後で
 自分の頭を吹っ飛ばした」

「人類最後の子はどうなったと思う?」
「犯された傷から血を流しながら、その子は生きていた。
 でも…保存食の開封ができなくてね。四日後に死んだよ」
「何百年だって生き延びられるだけの食料に囲まれて、飢え死にしたんだ」
「最後に口にしたのはプラスチックのペットボトルだったかな」

「君も見届けてみるかい? そういうものを、人類の末路を、世界の最後を」

「わかるだろう。こうなってしまってはもう駄目なんだ」

「だからこの爆弾で、終わらせるんだよ」

「そうしてやり直そう。もう一度、初めから」





******

 
 
かしゃり、かしゃりと音がする。
小さく、細く、乾いた、それは錆の浮いた金網が擦れて立てる音だ。
と、まるでその音に合いの手を入れるように声が響く。

「……しーぃ、ごーぉ、ろーく、」

金網には寄り掛かるように座り込んだ、小さな影があった。
まだ幼さの残る年頃の少女である。
謡うように数を数える声は、その影のものだった。
ぼんやりと空を眺める少女が投げ出した足をぶらぶらと揺するたび、金網も乾いた音を鳴らす。

「しーち、はーち、きゅーう、」

声が、止まる。
九までを数えて、小さく息をつくと、少女はゆっくりと視線を下ろしていく。
見はるかす世界は地上も空も、夕暮れの茜色に染まっている。
眼下にあるのはありふれた街並みだった。
街路樹の伸びる目抜き通りを中心に、ファーストフード店や小さな総菜屋や、薄汚れた路地裏や
ベタベタと広告の貼られた公衆電話や路上駐車された車や、そういうものが並んでいる。

少女が座り込んでいるのは、その中でも一際高く頭を突き出したビルの、その屋上だった。
金網で仕切られた柵の、外側。
その縁に腰掛けてぶらぶらと足を揺らす姿はいかにも危ういが、少女は気にした風もなくぼんやりと、
沈みゆく陽に照らされた街並みを見下ろしている。

透き通る瞳に映るその街に、しかし喧騒はない。
否、音という音、動くものの影そのものが、その街には存在しなかった。
往来の人ごみも、店の中に立つ影も、行き交う自動車の排気音も、何もない。
黄昏の色が、誰もいない街を染め上げている。

凍りついたように動かない街並みは精巧な箱庭のように作り物じみて、ひどく寒々しい。
それはまるで、幼い子供に置き忘れられた玩具に、静かに埃が積もるのを見守るような、
どこか胸を締め付けられる光景だった。

細く、細く息を吐いた少女が、再び空を見上げる。
瞳に茜色を映して、

「……いーち、にーぃ、さーん、」

囁くように再開されたそれは、また一から数え直されている。
少女が何度それを繰り返したのかは、誰にも分からない。
見下ろす街並みにも、見上げた空にも、動く影はなかった。
だから、

「しーぃ、ごーぉ、ろーく」
「お、セーフか」

背後から響いたその声に、数を数え上げる声をようやく止められた少女が、
くしゃりと笑ったのも、誰も見届けてはいなかった。

「おそいっ」

肩越しに振り返ったときには、少女は既に表情を変えている。
眉を吊り上げて一言だけ吐き捨てると、不機嫌そうにそっぽを向いて視線を空に移してみせた。

「十より前には、間に合っただろう」

そんな少女の態度には慣れているのか、声の主は事も無げに呟く。
少女の背後に立っていたのは、一人の男である。
痩身に鋭い眼光を湛えた、まだ青年と呼べる年頃の男は、錆びた金網を挟んで
背を向けたままの少女に向かって一歩だけ踏み出すと、少女と同じように空を見上げる。

「帰るぞ」

それだけを口にして、動かない。
答えはしばらく返らなかった。
燃えるような朱色に染まった夕暮れ刻の雲がほんの少しだけ形を変えた頃、

「……どうして、こんなとこまで来たのさ」

ぽつりと、少女が呟く。
男が小さな溜息をついて口を開いた。

「お前が呼んだんだろうが」
「ホントに来るなんて思わなかった」

男の溜息が大きくなる。
今度は肩もすくめてみせた。

「行くだろ……呼ばれたんだから」
「ばかだね」
「なんだと」

少女の即答に、男が眉根を寄せる。
そのまま何かを言い返そうとして、

「うん、国崎往人は本当にばかだ」

少女の声に、言葉を詰まらせる。
それは、涙声だった。
夕陽の逆光に暗い少女の背が、ほんの微かに震えていた。

「美凪はもういない」
「……そうか」
「国崎往人は、もうひとりで帰っちゃえばよかったんだ」

そう言った少女が、男の返事を待つように言葉を切る。
男は何も答えない。
沈黙に堪えかねたように、少女が溜息交じりに続けた。

「……みちるだって、本当はもういない」

それは少女の歳に不相応な、ひどく疲れきった色合いの呟き。
諦観に磨り潰されて風化した感情の欠片が散りばめられた溜息だった。
その声を耳にして、男が一歩を踏み出す。
視線は正面。
少女の背の形に切り取られた夕陽の朱をその眼に映して、男が口を開く。

「みちる、お前はどこにいる?」

問い。
厳しく、冷たく、突き放すような声音。

「……え? だから……」
「もう一度聞く」

唐突で要領を得ぬ問いに戸惑う少女に、しかし叩きつけるように男の言葉が続く。

「もういないと言うお前は……本当のお前は、なら、どこにいる、みちる?」

曖昧な返答の一切を許さぬという、それは声音だった。
強く、強く、ただ真実のみを求める、問い。
振り向かぬまま、肩を震わせたまま、少女が僅かに顔を伏せ、応える。

「……遠いところ。ずっと……、ずっと、遠いところ」

おずおずと、怯えたような声で紡がれた少女の答えを、

「違う」

男が、一刀の下に切り伏せる。

「お前はここにいる」

言って歩を踏み出し、更にまた一歩を進んで。

「俺がいる、ここにだ」

がしゃりと、金網を鳴らす。
肩越しに振り返れば、男は金網を掴んだまま、座り込んだ少女を見下ろしている。

「手を伸ばせ」

真っ直ぐに、見下ろしていた。

「届く、かな……?」

困ったように眉根を寄せて笑った少女の瞳には、今にも零れ落ちそうな涙が溜まっている。
それを見据えて、男は揺らぐことのない声で、

「手を伸ばせ、みちる」

それだけを、言った。

「……、」

一瞬、思わず何かを口にしようとした少女が、しかし唇を真一文字に引き結んで、
笑みを消し、男の瞳を睨むように見返して、それからぎゅっと眼を閉じて顔を伏せ、
そうして、叫んだ。

「―――きこえるか、国崎往人ぉーっ!」

返事を待たず、立ち上がる。
支えもない、屋上の縁。
茜色に染められて立つ少女が、

「手をのばせ、こんちくしょー!」

がしゃりと鳴らした金網の、その向こうには、温もりがある。
大きな手の、無骨な指が、そこにある。

「―――」

冷たい金網が、消えていく。
絡めた指の間で、溶けていく。
少女の背を向けたその眼下では、凍りついたような夕暮れの街も、その端から消えている。
繋いだ手の中に、道が開こうとしていた。

それは、一つの物語の終わり。
ありふれた日常へと続く、なだらかな道だ。
それは、一つの物語の始まり。
ありふれた日常から続く、穏やかな物語だ。

温かい、と。
最後にそれを、感じた。






【二層 開放】



 
【時間:すでに終わっている】
【場所:???】

国崎往人
 【所持品:人形、ラーメンセット(レトルト)】
 【状態:生還】

みちる
 【状態:帰還】
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