報われぬ愛国者







 報われぬ愛国者、フリッツ=ハーバーに捧ぐ。

 この一文から始まったテキストを食い入るように見つめている、自分を含め五人の男女がいる。
 始まりは高槻のこの一言だった。

「まずここにあるもんの確認からいこうぜ」

 高槻が持っていたのは小さなUSBメモリ。それは以前高槻が持っていた……正確には立田七海という少女の持ち物であったらしいのだが、
 その中には支給品の詳細が記されているのだという。
 中には用途不明のものもいくつかあったので、これからの戦いに備えて使い方を把握しておきたいものもあり、まずはそちらを確認することになった。

 会議室と称した職員室のテーブルには今のところ三台のノートパソコンがある。
 幸いなことに三台全てが使用可能であり、OSも同じウィンドウズ。
 中身を見てみたが、一台を除いてはインストールしたての新品同然のパソコンであった。
 もっともメモ帳として使えるから別に構わないのだが……問題は残す一台の方だった。

 何の意図があってか、そのPCには暗号解読用のソフトがインストールされていた。
 それもその手のプロが使うような高性能な代物であり、エージェントであるリサ=ヴィクセンは何らかの意図を感じずにいられなかったようだった。
 無論同業者である那須宗一にとっても暗号解読ソフトがあるのには不審の念を抱いたが、試しに起動してみても何もおかしな部分はない。
 他の構成ファイルなどを覗いてみても罠らしきものは何もなく、
 なぜこんなものが、と周囲に尋ねてみたところ、いくつか推測ではあるが答えが返ってきた。

 曰く、もうひとつのUSBメモリには以前パスワードが仕掛けられていたらしく、それを解除するために用意されたものではないかということ。
 曰く、高槻の方のUSBメモリにも暗号のかけられたファイルがあるのではないか、ということ。

 そこでまず高槻の方のUSBメモリを検閲することになった。

「そういえばもうひとつ何かあったような気がする」

 と言っていた高槻の言葉通り、もう一つファイルが見つかった。
 ただのテキストファイルだったが。
 題名は『エージェントの心得』。

 今さらこんなものを見たところで、と宗一でさえも思ったが、中身がある以上確かめないわけにもいかず、普通に開いてみることにする。
 そして最初に戻る……というわけだ。

 報われぬ愛国者、フリッツ=ハーバーに捧ぐ。

 その冒頭から始まるテキストはエージェントの心得どころか何の意味もないテキストで、
 フリッツ・ハーバーという化学者の半生を振り返り、その締めくくりとして、
 『人の行いは何も意味を為さないのではないか』というありがたい諦めの言葉が添えられていた。

「なんだ、これ」

 と呆れた声を出したのは高槻だった。
 支給品に諦めろと言われればそうなるのも当然だな、と思いつつ宗一も軽い苛立ちを覚える。
 ここまで生き延びてきて、苦労して支給品をかき集めたと思えばいきなり出鼻をくじかれたのだ。
 一ノ瀬ことみも芳野祐介も声にこそ出さないが憤懣やるたない表情であったが、ただ一人、リサだけは違っていた。

「ねえ、何かおかしくないかしら」
「何がだよ。ただのクソつまらない文章じゃねえか。それともアナグラムでもあったか? それとも縦読みか?」

 高槻の言葉を聞いた瞬間、宗一はリサが持っている違和感の正体を察知した。
 ファイルが重たすぎる。たったこれだけのテキストを開くのにたっぷり数十秒がかかっていた。
 テキストファイルの容量自体も数メガをゆうに超えるサイズであり、とてもこれだけの内容とは考えられなかったのだ。
 ただ見た限りではただのテキストファイルであり、PCの性能も至って普通。

「となれば……」

 宗一は先程の暗号解読ソフトを起動させ、テキストファイルをそこにドラッグして持ってくる。
 と、その途端。

「お、おおっ!?」
「ビンゴだな」

 先程とは比べ物にならない量のテキストがずらずらと並べられる。
 暗号自体はそれほど難しくもなかったようだが、隠すだけの内容があった。
 ここに本当の『エージェントの心得』とやらがあるのかもしれない。
 もっとも既にエージェントである自分達にはあまり得でもないことだろうが……
 そう思いながら、宗一は無言になった一同と一緒にテキストを読み進めることにした。

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 私の名前は和田透と言う。
 このテキストが誰かの目に触れているのなら、それは私の最後の妨害が成功したということだろう。
 とは言っても、この程度の妨害しかできない私の不明は、いくら恥じても足りない。
 それでも私はやれるだけのことをやろうと思う。
 篁財閥で、バトル・ロワイアルと言う名の狂気のゲームに手を貸してきた私の、せめてもの贖罪として。
 近いうちにやってくるであろう、ある日本人の女の子への手助けとなることを願って。
 そして篁の手にかかって死んでいった、ロシア系アメリカ人夫妻への手向けとして……
 ここに私が知る限りの真相と、情報を提供したいと思う。
 無論、これらの情報を書き連ねていると知られれば、私はただでは済まないだろう。
 いや、彼らのやり方は私もよく知っている。
 我がクライアントは私の為した仕事について、常に厳格な評価を下し、相応の報酬を支払ってきたものだ。
 長い付き合いだ、今回の仕事について彼らがどう評価し、どのような報酬を与えるつもりなのか考えなくても分かる。
 だが私は逃げない。
 取り巻く世界がどのように変わろうと変わらない強さ。強い意志と信念の力。
 私はハーバー氏の生涯に同情したわけでも、自分を重ねていたわけでもなく、その強さにずっと惹かれていたのだろう。
 前口上はここまでにしておく。
 事の始まりはもう10数年も前、私が研究職から離れ、さる商社に務めていたころの話だ……

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 『ハーバー・サンプル』というものについてご存知だろうか?
 我々科学者の間ではちょっとしたフォークロアだった。
 永久運動機関や常温核融合と同じ、誰もが忘れ果てた頃に、ひょっこりとその姿を垣間見せては、
 即座にその存在を否定されて消えていく、あやふやでいいかげんな噂話の一つに過ぎなかった。
 いわく、それは『ハーバーの遺産』とも称され、彼が密かに開発し、隠匿した何かで……
 空気から石油を生み出す技術であったり、錬金術を可能にする触媒だったり……
 新種の化学肥料だと言うものもいれば、超強力な毒ガスだと言うものまでいた。
 もっぱら化学系の研究者の間で囁かれる話なのだが、畑違いの私がそれを聞く立場にあったのは、専攻分野の特殊性によるものだった。
 当時、統合地球学という分野は、現在ほど確立しておらず、設備も人材も十分でない頃で……
 その名のとおり、地質学・治金学・化学・物理学を統合していたその内容上、他の学科の教授の協力を仰いだり、
 実験設備を共用するために、他分野の研究室に出入りするのは日常茶飯事だったのだ。
 その『ハーバー・サンプル』と称した寄せ木細工の小箱と共にとある『計画書』が送られてきた。
 詳しい内容は省くが、それは大規模な海洋探査プロジェクトだった。
 計画書の内容は私にとって実に魅力的であり、『ハーバー・サンプル』の魔力ともいえるものに惹かれ、私はそのプロジェクトに参加した。
 無論多少の経緯などは存在したものの、それを語るのは蛇足であろう。
 そのプロジェクトの名前が『ハーバー・サンプル』であり、海洋審査に用いられていた当時最先端の海洋掘削船の名を『メテオール号』と言う。
 世間では表沙汰にされておらず、現在は殆どの記録も抹消されている案件であるから、余程の情報通でなければこの名前は聞いたこともないだろう。
 とにかく、私はこのプロジェクトに参加し、計画を推し進める過程で、とある人達に出会ったのだ。

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 プロジェクトの責任者に任命され、殆どの調査を実際に指揮することになっていたのは、ロシア系アメリカ人の地質学者夫妻だった。
 スタッフに対しては分け隔てなく、アメリカ人特有の陽気さで接して士気を鼓舞し、
 データ収集においては厳格なロシア人気質を発揮して、精確なデータを得るまでは決して諦めようとしなかった。
 まさに、このプロジェクトにうってつけの人材だった。
 彼らとは、月に一回程度連絡を取り合い、半年に一度は、プロジェクトの進行状況と今後の方針について協議するために、会合を持った。
 この過程で、私は彼らと、仕事だけではなく、個人的にも親しくなった。
 彼らは、かつてのソ連が生んだ奇妙な学説の一つ、石油無期限説――石油が生物の遺骸からではなく、
 地殻に含まれる深層ガスから精製されるという、当時でも異端視されていた学説だ――を研究していた、地質学者だった。
 また彼らを通じて、とある日本人夫妻とも親しくなった。
 彼らは物理学の、超ひも理論を専攻していた科学者で、私とは遠く離れた分野の研究者達だった。
 かいつまんで言えば、この世界にはもう一つの世界があり、いわゆる平行世界というものの研究をしていた。
 また夫妻の言葉によれば、もしももう一つの世界を発見し、
 行き来することができるようになれば新たな資源確保への道が開けるかもしれないという。
 SF紛いの話だと当初は思ったものだが、真摯に語っていた彼らの話を聞くうちにだんだんと私も彼らの情熱に共感するようになっていた。
 私と、ロシア系アメリカ人夫妻と、日本人夫妻。
 全く分野は違いながらも、内奥に持ちうるものが殆ど同じ種類の人間達だった。

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 こうして、プロジェクト開始から、丁度2年が過ぎた。
 第一次探査計画(今回の調査の呼称だ。結果如何によっては第二次、第三次と続行されるはずだった)は、ほぼ終盤を迎えようとしていた。
 調査では、地下資源の探索においても、地下生命圏の解明においても目覚しい成果を挙げていた。
 ここで注釈を加えておく。
 プロジェクトの内容としては、大雑把に書き連ねて以下のようなものがあった。
 ・海洋地殻上層部の石油・天然ガス・鉱物と言った天然資源の精密な調査。環太平洋圏資源マップの完成。
 ・地殻深部に存在すると予想される、好熱・好圧性微生物にによる地下生命圏の探査。及びその生態系の解明。
 ・最深部、海底直下8000メートルを越える掘削による、マントルプレートへの到達とマントルコアの回収。
 このプロジェクトが成功すれば、人類の資源問題を殆ど解決することが出来た、と言っておこう。
 そして、我が友人達の指揮するメテオール号では、数十回に及ぶ慎重な試掘を完遂させて、
 ついにマントルプレート到達を目指す最後の掘削作業に突入していた。
 既に掘削が始まってから六ヶ月近くが経過しており、今回の探査で発見された最古の海底……
 二億八千年前の海洋地殻には、7000mにも及ぶ掘削孔がうがたれていた。
 まさにマントルプレート到達は目前だと思われたその時……
 あの事件が起こったのだ。

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 メテオール号は消失した。
 突如として連絡を絶ち、文字通り跡形もなく消えたのだ。
 ちょうど、このプロジェクトの責任者である夫妻が、科学財団への定例報告のため、船から離れた折に起こった事件だった。
 だが、私は詳しい事情を彼らの口から聞くことはなかった。
 事件が起こった直後に、彼らもまた、財団のあったニューヨークで殺されていた。
 滞在先のホテルに、何者かが押し入り、銃を乱射したとの事だった。
 また例の日本人夫妻も、まるでタイミングを合わせたように事故死していた。
 旅客機の墜落事件。エンジントラブルにより墜落した飛行機に、丁度学会へ発表に行く途中だった夫妻が乗り合わせていたのだ。
 聞くところによると、例の研究の理論が一通り完成していて、論文も夫妻が持ち込んでいた。
 当然捜索も行われたが、論文はもとより夫妻の遺体も見つからず仕舞いという形となり、
 さらに論文はあのオリジナルしかなく、自宅には何も残っていなかったという。
 私にも急転する事態が訪れた。
 ニューヨークへ急行しようとしていた私も、あらぬ疑いをかけられ空港で拘束されることとなった。
 身に覚えのない、背任容疑だった。
 私は何十日も拘束され、ようやく拘置所から出たときには、まるで最初からなかったかのように綺麗さっぱりと事件の痕跡は消え失せていた。
 私も商社を解雇され、退職扱いとなり、銀行口座には退職金としては多額の……だが口止め料としては小額の金が振り込まれていた。
 明らかな犯罪であった。
 そう、手を下したのはこのプロジェクトのクライアントだろう。
 莫大な予算をかけられるだけのプロジェクトを強力に推し進めたその財力を、そのクライアントは持っていたのだ。
 そう――篁財閥という、世界をも支配すると言われるだけの財力を持つ、彼らが。
 篁財閥の力をもってすれば、船を一隻沈め、街中で人間を二人ばかり射殺し、事故死に見せかけて人間二人を殺害し、
 そして事件そのものをもみ消すことなど造作もないことだろう。
 何故こうなったのか?
 それはデータ専有の件で、研究者側と何か決定的な破局が生じたのだ。
 クライアントと研究者の間では、データを公表するか否かで対立が起こっていたのだ。
 公表はされていなかったが、環太平洋圏の地下資源マップは殆ど完成していたはずだ。
 例えば、大規模な油田や希少金属の鉱床が発見されていたとして……
 それが公海上だったら問題ないだろうが、もしもどこかの国の排他的経済水域上だったとしたら。
 その国が自社と対立していようが友好関係にあろうが、情報は徹底的に隠匿したいはずだ。
 相手国を利さないためにも、採掘権交渉を有利に進めるためにも、それは不可欠だろう。
 何か大きな発見を契機に、そのデータの公表を巡って研究者側と対立し、全員の口を塞ぐことになった……
 プロジェクトの全貌は、メテオール号で把握・管理されていたから、この船を乗員ごと葬り去ってしまえば、情報の隠匿は可能だった。
 当時の私はこれ以上関わるのも恐れ、堅く口を閉ざしていた。
 私はそれなりに賢明な男だと思われていたらしい。実際彼らの目論見通り、私は何もすることはなかった。
 海外から、あの手紙が届いたときも……

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 その手紙が届いたのは、私が釈放されてから一ヶ月ほど経った頃のことだった。
 いや手紙と言うには分厚く、中にはいくつもの紙が入っていることは容易に想像できた。
 そして手紙の送り主が誰であるのかも……
 差出人は匿名であったが、それが経由したルートは尋常のものではなかったことが容易く想像できた理由だ。
 いくつもの国を渡ってきたのだろうと思わせる、見慣れない切手と通関印、異国の言葉の数々。
 複雑な転送サービスを用いたのであろう。そう、あのロシア系アメリカ人夫妻か、あの日本人夫妻のものに違いなかった。
 結論から言ってしまえば、私は中身は見たものの内容まで吟味することはなく、すぐに焼き捨ててしまったのだ。
 今にして思えば、どうしてそんなことをしてしまったのか……
 後悔は今でも私の内側にこびりついて剥がれない。
 拘留期間での苛烈な取調べの連続。それまであったものを一切合財奪われたことによる茫然自失感。
 言い訳をするなら言葉は尽きないが、実際のところは恐れていただけなのだろう。
 巨大すぎる敵に立ち向かうことへの恐ろしさに震えていただけの、情けない男だった。
 その時から既にやるべきことは分かっていたにも関わらず……
 私は、まったく賢明な男だった。

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 その後、私はエージェントとなった。
 路頭に迷ったとは言え、まだ壮年と言える年齢で、十分に実績もあり、再就職も容易だった私が、
 あえてそうなる道を選んだのは……どうしてだったのだろうか?
 昔はあっさりと私を切り捨てた会社と、そして堅実な生き方しかしてこなかった自分自身への、復讐のつもりだとばかり思っていたが……
 どうやら、それだけではなかったと、今になって気付いた。
 そう、『それは必然だった』と、声を大にして言えるのが、今の私には喜ばしい。
 仕事内容は省くが、私は徐々にエージェントとしての名を上げ、やがてある多国籍企業の専属エージェントとして雇われることになった。
 私はその企業の元で様々な仕事を行ってきた。
 いわゆる経済方面における情報操作を行っていたのだが、白状させてもらえるならば、私はこのときから次の罪へと手を染めていた。
 情報操作を行うということは、即ち私の雇い主に利益をもたらすこと――そう、私が雇われていたのはあの篁財閥だった。
 だが私は篁財閥がメテオール号沈没事件の犯人だとは知らなかった。
 例のプロジェクトの間、私には一切クライアントの名は知らされていなかったからである。
 私がそれを知る事になったのは、ひとつの偶然からだった。
 ふとした切欠から、私はメテオール号の沈没した場所を調べ始めた。
 何故か、と問われると即答はできない。
 エージェントとして人を騙し続ける空虚な生活を慰めるべく、せめてかつての知人を弔ってやりたいとでも考えたのか……
 それとも家の隅に置いてあった『ハーバー・サンプル』の小箱に何か動かされるものでもあったのか。
 だがそのお陰で私は本当の真実に、遅まきながら辿り着くことができたのだ。

     ----------decording---------

 私のエージェントとしての能力は成熟しており、沈没した地点を探すのに時間はかかりはしたが、それほど苦労はしなかった。
 そして、取り急ぎ向かったその地点で私はようやく答えを見つけたのだった。
 そこには……巨大な海洋掘削装置が建設され、フル操業していた。
 沈んでいる乗務員の墓標のようにそびえ立つその装置には、我がクライアントのシンボルが刻んであった。
 私が決して見逃されておらず、常に監視されていたことに震え上がるような恐怖を感じた。
 けれども矛盾するようだが、何もかもが終わってなかったことに……まだ間に合うことに、寧ろ安堵したのだった。
 私は戦う意志を固めた。
 あまりにも遅すぎた。
 それでも、目の前で傲岸さを隠しもせず、我が物顔で、
 あのプロジェクトに関わった人々を踏み躙ったあのシンボルマークに……私は我慢できなかったのだ。
 言い訳はしない。どんなに取り繕ったところで許してもらえるわけもない。
 私はただ、何も素人もせず罪を重ねてきたことに対する贖罪と、自分の心に巣食った弱さを精算したかったのだ。
 まず手始めに、あの装置を完膚なきまでに破壊した。メテオール号の隣に、きっちりと沈めてやった。
 ニュースでご覧になった方もおられるだろう。
 また私は叛旗を翻す過程で、篁財閥が推し進めている一つの計画を知ることになった。
 それは各地から一般人を拉致し、殺し合わせるという狂気の沙汰以外の何物でもない計画――通称、バトル・ロワイアル――だった。

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 篁総帥自ら関わるこのプロジェクトの中身はある種荒唐無稽、だが何故あのロシア系アメリカ人夫妻を殺害したのか、
 そして日本人夫妻を事故死に見せかけて殺害したのか、全ての辻褄が合うものだった。
 舞台は人工島、沖木島。このプロジェクトのためだけに建造した施設らしい。
 表向きはレジャー施設と銘打って……
 その実態は軍事基地とも言うべき施設だ。島の内部には高天原というコントロール施設があり、
 そこには自社で開発したと思われる兵器の数々が、そして各国から買い付けたと思われる武器弾薬の数々が備蓄されている。
 中には核兵器、米軍から情報を盗み、独自に開発したと思われる新型自動砲撃戦車、
 対人戦闘用機甲兵器、更には戦闘用機械人形……まで取り揃えてあるらしい。
 エネルギーの確保は例の装置を通じて行う。この島単体であらゆる国家と戦争が行えるというわけだ。
 だが目的は軍事国家として独立することでもなければ、戦争を引き起こすことでもない。
 彼らは……平行世界に攻め込もうとしているのだ。
 俄かには信じられない話だろう。日本人夫妻が実際に研究していたとはいえ、
 まさかそちらに攻め込むなどと言い出すとは、どこの酔狂でもやるまい。だが篁総帥は本気だった。
 世界各地には様々な伝承がある。
 異世界からやってきたと言われる『翼人』の伝説。
 同じく異能の力を持って現れた『鬼』。
 『不可視の力』と称される超能力の存在。
 かつて日本陸軍・海軍が研究していたと言われる『仙命樹』。
 これらの力は平行世界からもたらされたものであるとし、そこに攻め込み、更なる力を手にする……
 その世界は『根の国』『えいえんのせかい』『幻想世界』などと呼ばれ、実際にその世界の片鱗が現れたこともあったらしい。
 例えば、二度と目覚めないはずの、重体であった少女が目を覚ました瞬間、この世のものとは思えない光が舞ったとか、
 植物状態であったはずの少女が突然目覚め、めざましい回復を遂げた事例などがある。
 篁総帥が語るところによれば、それは全て『人の願い』が生み出した力だという。
 真偽はともかくとして、実際に起こったことであるというのは確かなことだった。
 話を戻すと、一般人同士で殺し合いをさせたのにもここに理由がある。
 総帥が言うところの『人の願い』が極限状態の中で生まれる。それを元にして平行世界への扉を開く、というのがこのプロジェクトの目的だ。
 もっとも、仮に失敗したとしても機械人形の戦闘データ収集という副産物があるらしかったが、関係のない話だった。
 私はこのプロジェクトをやめさせるべく、必死に奔走した。
 だが所詮は篁の庇護も得られず、それどころか追われる身だ。
 真実など伝えられようはずもなく、精々が参加者に対してある程度の支援を行うくらいのことしか行えなかった。
 この文章もその一つだ。この言い訳染みたテキストが終わった後には、この首輪の設計図を示した図を載せておく。
 仕組みは実に単純だ。少々機械工学の知識さえあれば簡単に外せるだろう。
 首輪には盗聴機能があることは先刻承知だろう。気をつけて欲しい。
 監視機能は首輪にはないだろうから、上手くすれば脱出だってできるはずだ。
 このようなことしか出来ない私も、もうそろそろ年貢の納め時が来たようだ。
 思えば無茶をしたものだ。デスクワークしかしないと心に決めたはずなのに……
 最後に一つ、まだ生きていることを願って、日本人夫妻、いや一ノ瀬夫妻からのメッセージを残しておく。
 あの焼き捨てた日から今でも、手紙に染み付いた言葉は片時も忘れたことがない。
 私如きから伝えられるのは不本意ではあるだろうが、これだけは容赦してもらいたい。

   ことみへ
   世界は美しい
   悲しみと涙に満ちてさえ
   瞳を開きなさい
   やりたい事をしなさい
   なりたい者になりなさい
   友達を見つけなさい
   焦らずにゆっくりと大人になりなさい

   おみやげもの屋さんで見つけたくまさんです
   たくさんたくさん探したけど、
   この子が一番大きかったの
   時間がなくて、空港からは送れなかったから
   かわいいことみ
   おたんじょうびおめでとう

 ……もうひとつだけ謝罪させてもらえるなら、人形は見つかる事がなかった。
 人形は今も世界を漂流しているのか、それとも海の底へ沈んでしまったのか……それは定かではない。
 人形の所在を調べられなかったことだけが……私の心残りだ。
 ただ、私は信じている。
 いつの日か人形の詰まったスーツケースが、夫妻の娘の元に届くことを……
 本当に申し訳がなかった。
 だからせめて、命が尽き果てる最期の瞬間まで

     ----------decording---------

 そこから先は、首輪の図面が並ぶだけだった。
 皆、無言のままだった。

 嗚咽を漏らす、一ノ瀬ことみを除いては。
 よりにもよって、と宗一は思った。こんなタイミングで、こんなものを出されては……

 脱出『だけ』なんて出来ないじゃないか。

 100人以上の人間が集められ、殺し合いをさせられる。
 いや過去に遡ればそれ以上の数の、途方もない人間が既に犠牲となっている。
 企業の権益のために、一人の老人の欲望を満たすためだけに、数字の収集のためだけに。
 この島には血が染み付いている。海で今も悲鳴を上げ続けている人間達の魂が、宗一に語りかけている。

 頼む、この島を潰してくれ、と。
 悪意そのものであるこの場所を完膚なきまでに破壊してくれ、と。

「……俺は、しばらくこれを読むよ」

 他の四人は何も言わなかった。
 告げられた事実の大きさに打ちのめされているのではなかった。
 それに対して自分が何をできるか。それぞれが必死に考え、結論を出そうとしていたからこその無言だった。
 やがてリサが動き出し、それに高槻が続き、芳野が続き、最後にことみも動いた。

 宗一はPCの画面から目を外し、ちらりとことみの様子を窺った。
 全身どこもかしこも包帯だらけで、顔の半分も包帯に覆われている。
 けれどもそこに痛々しさは微塵も感じられなかった。

 片方の目から涙を流しつつも、決然とした意思を持って、その内奥に両親の魂を仕舞いこんで、遥かな遠くを見据えていた。
 そこに映るのは茫漠とした未来ではなく、本当にやりたいことを見つけ出したことみの新しい未来なのだろう。
 宗一は、再びPCの画面へと目を戻した。
 綺麗に表示された首輪の設計図の画面が、僅かに宗一の目を灼いた。

     *     *     *

『目星は、大体ついてる』

 キーボードを叩きながら、リサは地図の数ヶ所を指差す。
 それは以前ことみと話し合った際に推測した主催者の本拠地……『高天原』へ通じる通路だった。

『首輪を外せる手段を確保した以上、後はいつ踏み込むかだけ』

 宗一が解析に手を取られている以上、こちらで算段を練っておく必要があった。
 横から高槻が書き込む。

『首輪はいつ外す?』
『今すぐ……ではないわ。主催者側はまだ殺し合いが続いていると思っている。突入するギリギリまで悟られるのは避けたい。
 まだ私達は何の対応策も持てずにオロオロしているだけの哀れな兎なのだから』
『では、しばらくこのままか』

 芳野の書き込みに、今度はことみが割り込む。

『とりあえず、私は爆弾作りに取り掛かるの。壁をぶっ壊して一気に中央突破なの』
『それが本命ね。後は多少撹乱する必要がある』
『遊撃隊というわけか』
『Yes.相手側にも備えがないわけはないでしょうし』
『チーム編成はどうなるよ?』
『今15人だったわね? 四組に分けるのがベストかしら。多分、組みなれた連中で組むことになるだろうけど』
『武器の配分は』
『ある程度均等にしたいところね……本隊が一番重装備になるか』
『しかしあのクソロボットが相手だからな……どれだけの数がいるやら』
『指揮系統を何とかできれば、多少こちらが有利になると思うの』

 少し席を離れ、HDDの中身を見ていたらしいことみが戻ってくる。

『これ、コンピュータの中身を滅茶苦茶にするウィルスなんだって。姫百合珊瑚って人が作ってたって』

 姫百合……か。
 真実を伝えようとテキストを書き残した和田同様、姫百合瑠璃の双子の姉でもある珊瑚もまた、命を賭けてこちらに武器を渡してくれた。
 皆、命を賭けて何かを為そうとしている。

 実の父母もただ殺されただけではなく、最期まで足掻こうとした。
 和田が一度父母を見捨てた事実の是非を考えるつもりはなかった。
 和田も父母も、最後には戦おうとした。それが分かっただけで十分だった。

 人は、戦える。憎しみを身を任せることなく、自分以外の全てを恨まずとも、意志と信念で戦える。
 自分がこうしているのだって、絶対間違っているわけじゃない。
 寧ろ父母と同じ生き方が出来ると分かって、嬉しかった。
 あのテキストを見た瞬間、忘れかけていた父母の表情を思い出す事が出来たのだから……

 だから、これまでの生だって、これからの生だって、なにひとつ無駄じゃない。
 守れる力があることが、誇りに思えた。

『ネットワークが通じていたら……こいつを流し込めるかも』
『それならアテがあるかもしれん』

 芳野がことみの弄っていたPCを指す。

『あれにはロワちゃんねるとかいう掲示板システムがあるみたいでな。恐らく、主催者側の用意したシステムで、こちらからもアクセスできる』
『となりゃ、そこから侵入できるかもしれないってこった』

 くくく、と悪役のような笑いを浮かべる高槻。
 マッドサイエンティスト、と表現していた芳野の言葉通りだった。

『任せろ。こういう仕事はちとやってたんでな……』
『先走らないでよ。やるなら首輪を外すタイミングで』
『分かってるさ』
『とにかく、計画の大まかな内容はこうよ。
 首輪を外すと同時にウィルスを流し込み、敵の情報を混乱させる。
 その隙を突いて私達は四組に分かれ、敵の本拠を占拠する。
 後は通信システムを使うなり、自分達で足を探すなりして、脱出する』
『出来るなら、島ごと破壊してやりたいところなの』
『そうできれば幸いね。こんなもの、あっちゃいけない』
『無理だと思うがね。核でも持ってこない限りは。あ、核兵器あるんだっけか?』
『それについてはおいおい考えればいいだろう。まずは爆弾の作成……だったな?』

 芳野が目で尋ねる。ことみは力強く頷き返した。

『そいじゃ、俺も俺で少し下調べしますかね』
『芳野さん、手伝ってくれる? あ、リサさんは武器の配分とか考えてて欲しいの。一番作戦立案とか得意そうだし』

 私も手伝う、と書き込もうとしたところにこの言葉だった。
 リサは肩をすくめてみせ、やれやれという風に笑ってみる。
 もうリーダーであることは確定してしまったらしい。
 宗一だって詳しいことには詳しいが、チームプレーの回数ならリサの方が断然多く、
 このような役割を任されるのも必然か、と納得することにしておいた。

 既に高槻も芳野もことみも無言で作業に取り掛かっていた。
 各員の奮戦に期待する――そんな言葉が飛び出てきそうな状況だった。
 夜明けまでは、それほど時間がない。
 とにかく最善の編成を考えよう、とリサはあらゆる状況の想定に入る。

 ……ああ、まず聞く事があったか。

 リサはいざ作業をしようとしていた高槻の肩を叩く。
 出鼻を挫かれた高槻は、あ? とでも言いたげな表情をこちらに寄越してきた。
 肩越しにキーボードを叩く。

『貴方の戦ったっていう、ロボットの性能を教えて』




【時間:3日目午前04時30分ごろ】
【場所:D−6 鎌石小中学校】

那須宗一
【状態:怪我は回復】
【目的:渚を何が何でも守る。首輪分析中】 

課長高槻
【状況:怪我は回復。主催者を直々にブッ潰す。ハッキング出来ないか調べている】

芳野祐介
【状態:健康】
【目的:思うように生きてみる。ことみを手伝う】

一ノ瀬ことみ
【状態:左目を失明。左半身に怪我(簡易治療済み)】
【目的:生きて帰って医者になる。聖同様、絶対に人は殺さない。爆弾の作成に取り掛かる】

リサ=ヴィクセン
【状態:どこまでも進み、どこまでも戦う。全身に爪傷(手当て済み)。対アハトノイン戦対策を講じている】
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