少女達の休日







「よー、首尾はどうだったかい」

 ニヤニヤしながら尋ねる朝霧麻亜子の言葉を「別に」とそっけなく返して川澄舞は歩いてゆく。
 風呂上りの彼女は髪を下ろしていたせいか雰囲気を異にしていて、
 熱を逃がすためなのだろう、少し開けられた胸元とうなじが妙に艶かしく感じられた。
 風呂場で国崎往人と何があったのかは想像するのも野暮というものなので、
 ルーシー・マリア・ミソラはそれ以上考えるのをやめにした。

「参ったね、やっぱ無理矢理だったかな」

 頭を掻き、多少力なく笑う麻亜子には、流石にお節介過ぎただろうかという不安が滲んでいた。
 やることなすこと無茶苦茶な癖に、こういう繊細な部分も持ち合わせているのが彼女。
 或いはその繊細さを隠すために破天荒を装っていたのかもしれないとも思う。

 よく分からない。少なくとも自分には分かるまいとルーシーは半ば諦めていた。
 まだ『みんな』になりきれていない自分が、人の心を推し量れるはずもない。
 だから分かったようなことを口にすることは出来ないし、早すぎる。

「かもしれない。お前は無茶苦茶だ」
「うぐ」
「それに付き合う私も無茶苦茶だが」

 ニヤと笑ってみせると、呆気に取られた顔になったのも一瞬、
 へへへと誤魔化すように笑って麻亜子は「だよねー」と意味もなく頷いていた。

 こうすればいい。自分を晒せばいい。
 分かるためには、まず自分からカードを見せる必要があった。
 出会ったときから実践していたであろう、春原陽平のように。

「お風呂と聞いてやってきました」

 そうして二人で笑っていると、いきなり目の前に現れた伊吹風子がこちらを見上げていた。
 脇にはタオルやら何やらを抱えている。シャンプーハットが見えるが、特に気にしないことにする。

「残念だがチビ助よ、先客がいるのだ。そして次はあちきらよ」
「そうなんですか? さっき川澄さんが出て行くのを見ましたけど。あとチビ助言わないでください」
「ぬふふ、一緒に入っていたのだよ」
「誰ですか? 少なくともまーりゃんさんではなさそうですが。ばっちいですし」

 さらりと女性に対してひどいことを言っている風子だが、特に麻亜子に対しては遠慮のない彼女なので何も言わないことにする。
 麻亜子自身も気にしてはいないようだった。本当によく分からない、とルーシーは内心で溜息をつく。

「聞いて驚くなかれ、実はだな」
「はい」
「ゆ・き・と・ち・ん」
「ええっ!?」
「まさかの混浴である」
「ままま待ってください! す、するとあれですか!?」
「いいや。そんなもんじゃないのさ。こう、もみもみしたりなでなでしたり果てにはフュージョンしてヘブン状態!」
「え、えっちです!」
「いやあ、漏れ聞こえる愛の営みを耳にするのは辛かったでごんす。チビ助が聞いたら蒸気噴き出して失神してたね」
「そんなに激しかったんですかっ! えろえろです! ギガ最悪ですっ!」
「思い出すだけで赤面しちゃうね。思わず風呂の前に張り紙張って、『愛の巣』って書き込んじゃおうかと思ったよあっはっは」
「あ、愛の巣ですかっ! 幸せ家族計画ですかっ! もうお前ら幸せになっちまえバーローですか!!!」
「そうそう。しかも聞く限り往人ちんのは超度級グランギニョルマグナムっぽかっ」
「おい」

 あることないこと吹き込む麻亜子の後ろで、この世をも震撼させるようなドスの利いた声が発した。
 多分、オーラというものがあるのだとしたら、間違いなく怒りで真っ赤に染め上がったオーラが見えることは間違いが無かった。
 にこりともしない往人が麻亜子の頭をがしっ、と掴む。「あ、えっちな国崎さんです」と言った風子の言葉が火に油を注ぐ。

「あ、アノデスネ国崎往人さん? わたしなにもわるいことしてないアルよ?」
「なるほど、確かに俺と舞が一緒に風呂に入っていたのは事実だ」
「ですよねー!」
「だがな、お前の言うようなことは何一つやってない」
「え? そうなんですか?」
「こいつの言う事は五割が嘘だ」
「あははー酷いなぁ往人ちん、どーせまいまいにやらしーイタズラあいだだだだだだだだっ!」

 掴んだ頭に渾身の力を込めて握り潰そうとする往人に悲鳴を上げる麻亜子。
 何やら体も浮いているような気がする。自業自得だとはいえ、痛そうだなという感想と哀れみの感情が広がってゆく。
 無論、何もするつもりはなかった。

「ギブギブギブ! あたしプロレス技にゃー慣れてないのさー!」
「うるさい黙れ。そして死ね」
「あ゛ーーーーーーーーーっ!」

 タップも空しく痛めつけられる麻亜子。殆ど涙目になっている彼女を見ながら、やっぱりよく分からないとルーシーは思うのだった。
 結局、麻亜子が開放されたのはたっぷり数分が経過した後だった。

     *     *     *

 やることがなくなってしまうと、いつもひとり取り残されたような気分になる。
 教卓の近くに腰掛けて所在無く手遊びをして、どこともなく視線を彷徨わせているのは古河渚だった。
 それぞれ出かけていった皆に混じることもなく、渚はじっとしていた。

 一人でいたかったわけではない。ただ、自由にしていいと言われるとどうしていいのか分からなくなるのが渚だった。
 眠るという選択肢はない。どういうわけか目が冴えて、少し横になってみても眠気はない。
 この状況で遊ぶ気にもなれず、仕方なくぼーっとしているしかなかったのが今の渚の状況だ。

 正確に言えば、渚一人ではない。壁に背中を預けじっと体育座りをしているほしのゆめみもいる。
 彼女の場合はただ単にロボットだから何もしなくてもいいという結論に落ち着き、次の指令があるまで待機しているというだけの話。
 何をしていいのか分からない自分とは違う。話しかけてみようかとも思ったが、どのように話題を切り出していいのか分からず、
 まごまごしている間に目を閉じてピクリとも動かなくなった。

 稼動待ち、パソコンで言えばスタンバイモードに入ったらしい彼女を起こす気は持てず、今まで通りぼーっとしているしかなかった。
 風呂にでも入りに行こうかとも考えた渚だったが、伊吹風子がタオルなどを持って出てゆく姿を目撃しているだけにその選択肢もなくなる。
 一緒に入ろうか、と言っておけば良かったと溜息をつく渚だったが、今さら追いかけてももう上がりかけている頃かもしれないと思ったので、
 結局そのままでいることに。思いつく限りのことをするには全て中途半端に過ぎる時間帯であり、
 しかもその原因は自分にあるとなれば、自らの不明を恥じるしかない。

 いつもの日常に戻ってしまえばこんなものなのだろうと渚は失笑した。
 やれと言われればそれなりのことは出来るけれども、こうして時間を与えられ、
 自由に使っていいと言われてしまうとどうすればいいのか分からず、ただただ途方に暮れているしかない。

 それではいけないとは思うのだが、やれることはといえばお喋りするくらいしかないし、
 そんなことをしていていいのかと思ってしまい、立ちすくんだ挙句に無為の時間を過ごす羽目になる。
 焦りすぎているのだろうか、と渚は思う。誰かの役に立つことをしなければという思いに囚われすぎていて、
 肩肘を張りすぎているだけなのではないのだろうか。

 ここに至るまで自分は誰かに助けてもらっているばかりで、自分の力だけで何かの役に立ったことはない。
 力不足、若造の粋がりといってしまえばそうなのだろうが、それだけで納得できるはずもない。
 さりとてこの有り余った力をどこに……と堂々巡りを繰り返していることに気付き、だから気張りすぎているのかと思ってしまう。
 一人でいるのがいけないのだろう。どうにもこうにも考えすぎてしまっているという自覚はあり、
 少し頭を冷やしてくるべきかと考えた渚は顔を洗ってくることにした。

 腰を上げて伸びをすると、それまで座りっぱなしだった体がポキポキと小気味のいい音を立て、僅かに体が軽くなったような気になる。
 それが気持ちよく、更にうんと体を伸ばす。筋肉が解れる心地良さに気を抜いた瞬間、バランスを崩してしまい床で滑ってしまう。
 派手に尻餅をついてしまい、いたた、と情けない気分になったところで、渚は見られていることに気付いた。

「あ……」

 どうやら風呂から上がったと思しき川澄舞がしっかりと渚の無様を目撃していたようだった。
 思わぬ光景だったのだろう、目をしばたかせていた舞に、渚はいたたまれなくなり、恥ずかしさで顔が真っ赤になった。
 同時に何をやっているのだろうという冷めた感想が広がり、誤魔化し笑いを浮かべる気にもならず、ただ溜息だけを漏らした。

「大丈夫?」

 だが舞はそんなことを気にすることもなく、小さく笑って手を差し出してくれた。
 何の含みもない、たおやかで細い指先。髪を下ろし、ほんのりと染まった肌色と合わせて、
 ドキリとするくらいの美しさに僅かに戸惑ったものの、渚は頷いて舞の手を取った。
 ほんの少しだけ濡れた感触が心地良い。立ち上がったと同時に漂ってくる石鹸の香りは、
 飾らない舞の質実さを如実に表していて彼女らしいな、と渚は何の抵抗もなくそう思うことが出来た。

「どうされたんですか?」

 何か用事があるのだろうかと思って尋ねてみたが、舞はむ、と眉をひそめる。
 気分を害するようなことを言ってしまったのだろうかと思い、どうしようと思ったが、それより先に舞が口を開く。

「渚が皆で過ごそうって言ってたのに……」
「……あ」

 自分で言ったはずの言葉をすっかり忘れていた。荷物整理の作業に夢中になる余りに頭の外へと追いやっていたのだろうか。
 それとも、余裕をなくした頭がこんなことも忘れさせてしまっていたのか。
 どちらにしても自分の失態であることには違いなく、「ご、ごめんなさい、すっかり……」と精一杯の謝罪の気持ちを込めて頭を下げる。

「別にいいけど……私も、自分のこと優先してたし」
「いえ、約束を忘れていたわたしが……」
「今までゴタゴタしてたし、確認すればよかっただけ。渚に非はない」
「いえいえいえ、それでもやっぱりわたしが」
「何やってるのよ」

 謝罪合戦になりかけていたところに呆れている声が割り込んできた。藤林杏のものだった。

「突っ立ってないで、座りなさいよ。あたしはよく知らないけどさ」

 用事があると言って藤田浩之、姫百合瑠璃と共に出て行った杏の顔はいつもと変わりない明るいものだった。
 どこかさっぱりした様子に、問題は解決したのだろうかと思ったが、聞くのも野暮だと思い、大人しく言う事に従う。
 ゆめみの動かない姿を見た杏は「寝るんだ」と物珍しそうに言って、しかしすぐに意識の対象をこちら側に戻す。

「他のみんなは?」
「どこかに出かけちゃったみたいです」
「伊吹とルーシー、まーりゃんと往人ならお風呂の近くで見た」
「で、あなたは入ってきたと。……ていうか、お風呂あるんだ」

 風呂上りの舞をしげしげと眺めながら、杏は羨ましそうに息を吐き出す。
 あたし、髪がぼさぼさでねと苦笑する杏の髪は、確かに以前とは比べ物にならないほどみすぼらしい有様だった。
 髪が長ければ長いほど手入れも大変だと聞くから、これだけ風呂に入っていないとなるとダメージも深刻なのだろう。
 だから舞はそちらを優先したのかもしれないという納得して、渚も自分の髪を触ってみた。

 手触りが悪い。土埃と汗で上手く梳けない。比較的短髪だから気付きもしなかったが、自分も中々ひどいものだった。
 そう認識するとこんな格好でいることが恥ずかしく思えてくるのだから、自分も女かと思う一方、鈍いのだなと思いもする。

「後であたし達も入ろっか」
「そうですね。って言っても、順番待ちだと思いますけど」

 でしょうね、と苦笑する杏を見ていると、もう何も聞く必要はないなと自然に思うことが出来た。
 今の皆はきっと、いい方向に向かっているのだろう。
 自分はその中に混ざれるのだろうか……安心すると同時にそんな不安が浮かんでくる。

「そりゃここにいる大半が女の子だもんねー。今まではさ、何かやることがあったりそんなこと考えてる暇がなかったりしたけど、
 こうしてのんびりする時間を貰ったら、身なりも気になってくるか。……考えてみたらさ、こういう時間、なかったし」

 足を伸ばし、天井を見つめながら話す杏。その声色は与えられた時間を満喫しているというより、
 時間を潰すだけの余裕を与えられたことに対する戸惑いを含んでいるように思えた。

「実はね、戻ってきたのも、何しよっかなって迷っちゃって。ほら、これまでって誰かを探したり、生き残るために何かを探すとか、
 そういうのばっかりだったじゃない? ……ううん、前からそうだったのかも。
 学校に行くのも、勉強するのもそうする必要があるからってだけで、本当に考えてやったことじゃない。
 もっと自由な時間が欲しいとか思ってたけど、いざこうしてみると分かんなくなっちゃう」

 言葉を切った杏に、渚は何も言うことが出来なかった。同じ気持ちを、渚も抱いていたからだった。
 人は本当の意味で時間を与えられると何をしていいのかも分からず、途方に暮れることしか出来ない。
 だから人や物に目的を見出し、その場その場で理由を見つけてはやるべきことを為してゆくだけなのだろう。
 人はひとりでは生きられない。この言葉の意味は、一人では何も見つけられないという、それだけの意味なのかもしれない。
 そう考えると一人で悩んでいたことがバカらしく思えてきて、抱えていた重石がふっと軽くなったように感じられた。

「みんなそうだと思う」

 杏の言葉を受け取って、舞が続けた。

「理由が欲しいから、人は一緒にいようとする。でもそれでいいと思う。少なくとも、私はそう考えてる」
「……そうよね。まぁその、なんだ。あたしは暇を持て余してたから、お喋りしたかったのよ、うん」

 上手く説明できていないようだったが、なんとなく杏の言いたいことは渚にも伝わった。
 とりあえず何かしていたい。それだけなのだろう。
 なら、と渚は遠慮なく乗ることにした。意味のあるなしはもうどうでもよかった。暇なままでいたくない、理由はそれひとつで十分だった。

「じゃあ、しりとりでもしましょうか」
「……しりとり?」

 怪訝な顔をする杏。話題として一番初めに思いついたのがこれだったので言ってみたが、まずかったのだろうか。
 さりとて代わりの話題も浮かばず、どうしようと思ったが「まあいいか」と納得した杏も話題が思いつかないという顔であった。
 何でもいいからやりたい気分なのだろうと解釈して、渚は先陣を切ることにする。

「それじゃ、しりとり、からで。りんご」
「ゴリラさん」
「……」
「……」
「……あ」

 『ん』がついたことに気付き、しょぼんとなった舞をフォローして、「そ、それじゃもう一度!」と明るい声を出して杏に続きを促す。

「あ、ああ。えーと……ゴボウ」
「ウリ」
「リスさん」
「……」
「……」
「……あ」

 再び肩を落とす舞。

 渚は気付いた。

 しりとりはやめておくべきだったのだ、と。




【時間:3日目午前04時50分ごろ】
【場所:D−6 鎌石小中学校】

川澄舞
【状態:往人に付き従って行動。強く生きていたいと考えている。両手に多少怪我(治療済み。支障は全くない)】
【その他:往人に対して強い親近感を抱いている。剣道着を着ている】

朝霧麻亜子
【状態:鎖骨にひびが入っている可能性あり。そんなことよりおふろはいりたい】
【その他:体操服(上下のジャージ)を着ている】

国崎往人
【所持品:スペツナズナイフの柄】
【状況:強く生きることを決意。人形劇で舞を笑わせてあげたいと考えている】
【その他:左腕に文字を刻んだ。舞に対して親近感を抱いている】

古河渚
【状態:健康】
【目的:人と距離を取らず付き合っていく。最優先目標は宗一を手伝う事】

ルーシー・マリア・ミソラ
【状態:生き残ることを決意。髪飾りに美凪の制服の十字架をつけている】
【目的:まーりゃんはよく分からん】

ほしのゆめみ
【状態:スリープモード。左腕が動くようになった。運動能力向上。パートナーの高槻に従って行動】

藤林杏
【状態:軽症(ただし激しく運動すると傷口が開く可能性がある)。簡単には死ねないな】
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