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人殺しの目、とはどのようなものなのだろうか。 姫百合瑠璃は、平静さを装いながらも笑い出してしまいそうになる体を抑えるのに必死だった。 言ってしまえば流されるがままで、なにひとつとして明確な意思も持てずここまで来てしまった自分。 拠り所を他者に求めるばかりで、自らのためにやれることはやれてもそれを別の方向に向けることもできない自分。 抱える弱さが渾然一体となって押し寄せてきているからこそ、これほどまでに怯えているのかもしれなかった。 「……もう、分かってるかもしれませんけど」 滅多に使わない丁寧語そのものが逃げの象徴のように思えて、瑠璃は息を詰まらせた。 そんなことは許されないのにと分かっていても、誤魔化すことに慣れきってしまった体が反射的にさせたのかもしれなかった。 目の前にいる、身じろぎもせずに胸の前で腕を抱えている藤林杏は何も言わない。 眠っているのではないかとさえ思えるくらいに、彼女は整然としていた。 そんな杏の姿を眺め、何を待っているのだろうと自問した瑠璃はいつもの自分になりかけていることに苛立った。 冗談じゃない。ここまで来て怖気づいて、何がツケを支払う、だ。 黙りこむのは簡単だが、そうして失ったものは絶対に取り戻せない。 取り戻せるのだとしても、その時はいつだって自分が後悔する時だ。 だから今ここにいるのではないか、と瑠璃は半ば呆れる思いで己を叱咤した。 情けないという思いが込み上げてきたが、そんなことに拘れるほど人間ができていないのが姫百合瑠璃だった。 「あなたの妹の……椋さんは、ウチが殺しました」 倒すでも、戦ったでもない。確かに殺意を持って椋に、名前も知らなかった少女にミサイルを撃ち込んだのだ。 ぴくりと杏の指が動き、手が飛んでくるのではないかと予感したが結局何もされることはなかった。 けれども「なんで、殺したの」と続けられた杏のひどく冷静な声が瑠璃の胸を締め付けた。 「椋さんが殺し合いに乗ってた正確な理由は、分かりません。でも、多分、杏さんのために殺してたのは……確かです」 偽りの笑顔、偽りの優しさを向けられ会話していたときでさえ、椋が話題に挙げた姉のことに関しては心底事実だと思えた。 格好良くて、面倒見のいい、自慢の姉。どこで歪んでしまったのかは分からなかったが、 少なくとも姉に対する思いだけは死ぬ直前まで変わらなかったと確信させるだけのものが椋にはあったと思っていた。 「殺したの? 椋は、誰かを」 「……ウチの、姉を。それに友達を、仲間を、たくさん」 珊瑚の姿を思い出した瞬間、やり直しだと告げた姿がフラッシュバックして瑠璃は目尻に涙を浮かべそうになった。 服に滲む黒ずんだ血の色の中に何も出来なかった自分の姿が映った気がした。 いけないという意思の力でどうにか抑えたものの、声を詰まらせたことは杏に伝わってしまったらしかった。 杏はすぐには何も言わず、顔を俯けていた。瑠璃も耐え切れず、床に視線を落とした。 互いが互いの家族を奪い合った現実の重さ。負債と言うには重過ぎる、過酷な事実が声をなくさせたのだった。 「ごめん、なさい」 出し抜けに紡がれた声に、瑠璃は呆然として視線を杏に向けた。 唐突に過ぎる謝罪の言葉に「どうして」と詰問の口調で言ってしまっていた。 「謝る必要があるのはウチだけです。だって、あのとき確かに……ウチは椋さんを憎んでた。 死ねばいいって思ってた。許されなくって当然なんです」 動転していたからなのかもしれない。瑠璃は率直に己の内面を伝えていた。 今の自分には様々な感情が交錯し、絡み合っている。憎む気持ちは確かにあった。そのことに関しては弁解する余地もない。 なのにこれでは、痛み分けを促し、自分が負債を踏み倒してしまったみたいじゃないか。 だから自分が負債を少しでも請け負う――そんな気持ちで言い放った瑠璃の言葉を「違うの」と杏は返した。 「妹の代わりに謝ったんじゃない。あたしは……妹があなたのお姉さんを殺したのを聞いても、 それでも生きてて欲しかった、って思ったの。そんな、自分がバカらしくて……」 杏の返答に瑠璃は絶句した。身勝手ともとれる杏の考えに失望したのではなく、実直に過ぎる言葉に触れ、 自分は本当に取り返しのつかないことをしてしまったという実感から絶句したのだった。 姉妹の絆を引き裂いてしまった。家族のかけがえのなさを知っているのは自分もなのに。 「だから……ごめんなさい。自分だけが慰められればいいって考えてて、ごめんなさい」 瑠璃はこれに返せるだけの言葉を持てなかった。そうしてしまえば自分が赦されたがっているような気がして、 みじめになってゆくのが簡単に想像できたし、杏の人格を傷つけてしまうことが分かってしまったからだった。 甘かった。このツケは人が一生をかけたところで払いきれるものではない。 生きている限り罪を実感し続けてゆかなくてはならないものなのだ。 瑠璃は代わりに「いいんです」と告げた。 「間違ってないって、思います。ウチも……杏さんの立場ならそう思っただろうから」 他の関係を全て押し退けて、無条件に愛し、守ろうとできるのが家族。 だからこそ何の遠慮もなく、瑠璃もそう言うことが出来た。 そこには何のしがらみもなかった。強すぎる想いが引き起こした、一つの悲劇なのかもしれない。 周りから見ればそれだけで片付けられるものではないと言及されそうだったが、瑠璃にはそうとしか思えなかった。 椋の見せた表情を知っていれば。 「椋、笑ってた?」 「……はい。杏さんの話をしてるときは、ずっと」 瑠璃の言葉を聞くと、杏は「あのバカ」と言って天井を仰いだ。 死に目に会えなかった妹の表情を必死に手繰り寄せているのかもしれなかった。 「あたし、簡単に死ねなくなっちゃったわね」 瑠璃に目を戻した杏は苦笑していた。寂しさと心苦しさ、自分には推し量れない何かを抱えた顔だった。 「軽率だったかな。瑠璃は、もうそんなのとっくに過ぎてるのにね」 「え……」 そうなのだろうか、と自問する声がかかり、やはり明確な答えを出せずに瑠璃は沈黙した。 流されるままで、他人には死んで欲しくないとは思えても自分のことになると頓着するものなど殆どなかったこと。 償うことばかり考えていて、自分自身のことなんて思いつきもしなかった。 「だって、そうでしょう? 簡単に死ねないって分かってて、ずっと内側で黙り込んだままなんて出来ないもの。 吐き出して、どっかで楽にならなければ人って生きられないから……それこそ、聖人君子でもなければ、ね」 人の持つ芥を理解し、自分本位で動くことも是と受け止めた顔があった。 緩やかに曲線を描いた口元は笑っているようでもあり、諦めているようにも思えた。 「多分あたしもあなたも、どっかで絶対許せないところがあるのよ。でもそれだけじゃ寂しいでしょう? だから少しでも本音を吐き出しておけば、あたし達なりにも理解することができるようになる。 理解できないとね、思い込みで憎んだり疑ったり、軽蔑するだけになるから。……自分にも」 杏は椋のことを忘れられないし、その生を奪われたことも許せない。 瑠璃も珊瑚のことを忘れられないし、奪われたことを絶対に許せない。 でもそれでいいのだ、と杏は言ってくれた。ちゃんと互いに吐き出して、自分なりの納得さえ得られれば。 それはある意味では自分達の善意を信じての言葉だった。 善くなっていけるだろうと信じられるからこそ、杏は許せなくてもいいと言ったのだろう。 「ありがとう……」 だから瑠璃が言ったのは謝罪でもなく疑問を差し挟むことでもなく、自分達の在り様を肯定してくれたことに対しての感謝だった。 無論これだって自分を保つための論理なのかもしれない。でもそれでもいい、と瑠璃は率直に思うことが出来た。 手を出しだした瑠璃に、何の躊躇いもなく杏も手を握り返してきた。 「お互い、死ぬまで生きましょう」 「うん。絶対に」 辛酸を自分で洗い流すことを覚えた女二人の手が離れる。 毅然として歩く杏の後に続きながら、瑠璃は話していた空き教室の前で待っているであろう藤田浩之の姿を思い浮かべる。 今晩は彼と話しつつ、一緒に過ごしてみよう、と思った。 初めて自分のことだけを考えている自分を、自覚しながら。 【時間:3日目午前04時00分ごろ】 【場所:D-6 鎌石小中学校】 『自由行動組』何を、誰とするかは自由。小中学校近辺まで移動可 姫百合瑠璃 【状態:死ぬまで生きる。浩之と絶対に離れない。珊瑚の血が服に付着している】 藤田浩之 【状態:瑠璃とずっと生きる】 藤林杏 【状態:軽症(ただし激しく運動すると傷口が開く可能性がある)。簡単には死ねないな】 - BACK