終演憧憬(1)







 
それは、塔と呼ぶより他になく、しかし塔と呼ぶにはひどく躊躇いを覚える、そんな代物である。
俯瞰すればそれは空と大地とを繋ぐ、黒く捻れた蜘蛛の糸とでも感じられただろう。
煉瓦造りのようにも、鉄板が張り巡らされているようにも見える外観には窓一つない。
一様に黒く、奇妙に捻じくれながら空へと伸びるそれは明らかな人工の建造物であった。
見上げてもその頂が目に入らないほどに高い、雲を越えて遥か蒼穹の彼方へと続く
その常軌を逸した全高に比して、ほぼ真円形の横幅はしかし、あまりにか細い。
ものの一分もかからずに周囲をぐるりと回ってこられるほどの構造が、如何なる技術をもって
恐るべき荷重を支えているものか。
決して自然のものではあり得ず、さりとて人がそれを造り得るのか。
思考に答えは返らず、故にそれを見る者は押し並べてそれを塔と呼ぶことに躊躇する。
だが彼らの目に映るその漆黒の構造物の、ただ一つ外壁とは異なる部分が、それを人工物であり、
また塔と呼称されるべき何かであることを誇示していた。
扉である。やはり見上げるほどに大きな、両開きの扉。
重々しくも冷たい金属の質感に隙間なく彫り込まれた精緻な紋様は幾何学的で、
全体にどこか儀式めいている。
ノッカーはなく呼び鈴もなく、しかしぴったりと閉め切られた大扉を前に、ふん、と。
小さく鼻を鳴らす者がいた。

「呼ばれて来たってのに、いい態度じゃない」

天沢郁未である。
ところどころが焼け焦げた襤褸雑巾のようなブレザーの成れの果てを申し訳程度に纏い、
全身を返り血と自身の血の乾いた赤褐色に染め上げて、表情を動かすたびにぽろぽろと
その欠片を落としながら手にした薙刀を弄んでいる。

「で、どうしようか。ぶっ壊す?」
「待て待て待てっ」
「……?」

背後からの慌てたような声に振り返った郁未が眉根を寄せる。
立っていたのは背の高い、鋭く眼を光らせた男である。
一歩前に出た男が、郁未に食って掛かった。

「いきなり無茶なことを言うなっ」
「何が無茶よ」
「初手から『ぶっ壊す』が無茶以外の何だというんだ!」
「うーん……、日常?」
「……」
「……」
「……とにかく、だ」

深い溜息をついた男が、呆れたように首を振って言う。

「相手は突然湧いて出た、山より高い代物だ。こんなわけの分からんものにはもっと慎重になれ」
「……つーか、さっきから思ってたんだけどさ」

男の言葉を聞いてか聞かずか、郁未が手にした薙刀の柄をくるくると回しながら口を開く。

「そもそも、あんた誰」

ぐるりと見渡した、郁未の視線の先には男の他にも幾つかの人影がある。
名を知る者も、知らぬ者もあったが、しかしそのすべてが、郁未にとって見知った顔であった。
男の顔だけに見覚えがない。
その身に着けた飾り気のないシャツにも皺こそ寄っていたが、郁未たちのように
激戦を物語るような痕跡は見当たらない。
この島で終戦まで生き延びながら長瀬源五郎との戦いには加わらず、しかし帰還便の船着場ではなく
何処へ続くとも知れぬこの塔の前に立っている。
目付きの悪さも相まって、胡散臭いことこの上ない男であった。

「俺か? 俺は……」
「―――その薄汚い男性の言う通りです、郁未さん」
「薄汚い!?」

名乗りを遮るように、声が上がった。
声の主をちらりと横目で見て、郁未が口を尖らせる。

「えー……だってさ、葉子さん」
「だって、じゃありません」
「薄汚いって!?」

たしなめるような口調は鹿沼葉子。
郁未と同じく全身を乾いた血に染め、長く細い金髪も見る影もなく傷めていたが、
表情には常日頃の静謐が戻っている。

「けど、開かないんだもん、このドア」
「だからといって壊そうかはないでしょう。そもそも郁未さんは……」
「まあ、お説教は後回しにして」
「おい、薄汚いって何だ!?」

男の悲鳴じみた抗議は揃って無視。
脱線しかけた葉子の肩を掴んで、扉の前へと向ける郁未。

「はい、バトンタッチ」
「まったく……」

話の腰を折られ、僅かに渋面を作った葉子が背丈の倍はあろうかという鉄扉に歩み寄る。
重々しく鎮座する扉を前に、葉子が振り返った。

「いつものように、郁未さんの開け方が悪かったのでしょう」
「いつもって何よ」
「いつもはいつもですよ、郁未さんは何事も大雑把ですから」

肩をすくめてみせる葉子。
汚れ破れた布地の隙間から時折白い肌を覗かせるその姿がひどく艶かしい。

「いちいち棘があるよね……まあいいや、ならやってみせてよ」
「言われずとも」

呟いて扉へと向き直った葉子が、己の胸の高さ辺り、漆黒の扉に据え付けられた、
一見して紋様のひとつとも見紛いそうな円形の引き手を、掴む。
掴んで、固まった。

「……」
「……」

その背が、腕が、微かに動いている。
押し、引き、捻り。
色々と試行錯誤しているように、郁未には見えた。

「……」
「……」

暫くの間を置いて、郁未が何度目かの欠伸を漏らそうとしたとき、葉子が唐突に振り返った。
郁未と視線を合わせ、ひとつ頷いて、おもむろに口を開く。

「破壊しましょうか」
「お前もかっ!」
「よーし、んじゃ葉子さん、ちょっとそこどいて」

葉子の言葉を受けて、郁未が手の中で弄んでいた薙刀を宙へと放り投げてぐるりと腕を回す。
落ちてきた薙刀をぱしりと受け止め、構えは大上段。
横に一歩移動した葉子に口の端を上げて見せると、すう、と息を吸い込んだ。
日輪を映してギラリと輝いた刃が微かに震えた、そこへ大音声が響く。

「―――人の話を聞けっ!」
「……?」
「不思議そうな顔をするなっ」

完全に無視されていた男が、郁未の切っ先を塞ぐように両手を広げながら前に出る。

「邪魔なんだけど」
「邪魔してるんだっ」

そう郁未へ言い放った男が、横目でぎろりと睨んだのは葉子だった。

「お前の慎重論はどこへ行った!」
「……」
「不思議そうな顔をするなっ」

言われた葉子は郁未と目配せをひとつ。
溜息をつくと、大儀そうに口を開いた。

「開かないのなら、開けるまでです」
「……」
「……まだ何か」
「もういい……ってこら、薙刀を振りかぶるなっ」
「だって、もういいんでしょ」
「いいわけあるかっ! お前らも見てないでこいつを止めろ!」

男の呼びかけた方に振り向いた、郁未の視界に映る影は二つ。
その全身を獣のものともつかぬ奇怪な白銀の体毛に包み、手には抜き身の一刀を提げた少女、川澄舞。
もう一人もまた、少なくともその外見においては少女である。
笑みとも嘲りともつかぬ、どこか掴みどころのない表情を浮かべたその名を水瀬名雪といった。
どちらもが、見知った顔である。
といっても直接に交わした言葉などほんの二、三に過ぎない。
つい先刻終結した、神塚山頂での長瀬源五郎との決戦において一時限りの共闘に及んだという、
それだけの間柄だった。

「……」
「……」
「無視されてるし」
「うるさいっ」

男の声にも、舞と名雪は指先一つ動かさない。
ただ思い思いの方を見つめたまま、何事かを思案しているようだった。

「お前らは少し協調性という言葉を理解しろ……」
「で、もういい?」
「だから得物を振りかぶるな! いいからそれを下ろせ!」

大袈裟な身振りで郁未に向けて腕を振ってみせた男が、険しい顔で振り返ると塔の方へと向き直る。
そのまま一歩、二歩、扉の前へと歩み寄ると、漆黒の鉄扉を見上げた。

「そもそも本当に開かないのか?」
「ずっと見てたでしょ」
「女の細腕で試しただけだろう」

小さく鼻を鳴らすと、男は見るからに重そうな円形の引き手を掴む。
僅かな間を置いて、思い切り引いた。

「細腕って、少なくともあんたよりは……って、……え?」



******






ぎぃ、と。
錆び付いた音を立てて、扉が開く。

その奥には漆黒の闇だけが拡がっている。




******

 
 
「……俺よりは、何だって?」

振り向いた、男の得意げな視線を郁未は見ていない。
その瞳は男の背後、漆黒の外壁と鉄扉との間に顔を覗かせた、細く深い闇へと吸い寄せられている。

「嘘っ!?」
「嘘も何もあるか。ごく普通に開いたぞ」

思わず目線を送れば、葉子もまた僅かに目を見開いている。
と、郁未の視線に気付いた葉子が、無言のままに頷く。
確かに先刻は開かなかったのだと、その瞳は語っていた。

「……」

原因は分からない。
何かの仕掛けがあるのか、男が見かけによらず並外れた膂力の持ち主だったのか。
それとも、ただの偶然か。

「……そりゃ、ないよねえ」

呟いた郁未が口の端を上げてみせる。
眼前に開いた闇からは今にも何かが零れ落ちてきそうだった。
どろどろとした、冷たくて粘つく薄気味の悪い何か。
この塔の中にはきっと、そういう何かが詰まっている。
その扉が、偶然などで開くものか。

「面白いじゃない。……行こ、葉子さん」
「お、おい……!」

考えるのは、相方の役割だ。
そして自分の役割は、前に進むこと。
二人はそうしてできている。

「はい」

短い返事を確認。
手の薙刀をくるりと回すと、郁未は細く隙間を覗かせる扉を一気に引き開ける。
目に映るのは闇の一色。
恐れることもなく、踏み出した。

「―――」

背後から響く足音はひとつ。
耳に馴染んだ鹿沼葉子の歩調。
その向こうからは、場にそぐわぬ呑気な会話が聞こえてくる。

「そういえばお前、あの、アレ……どうした?」
「渡した」
「……」
「……」

僅かな沈黙。
会話が微かに遠くなる。

「……って、誰に渡したんだ」
「佐祐理」
「誰だそりゃ……」
「……」

再び、沈黙。
目に映る闇に融けるように、声が段々と聞こえづらくなっていく。

「お前、友達いないだろ……」
「いる。佐祐理」

三度の沈黙の後に聞こえたのは、深い溜息である。

「はあ……もう、いい……」


それを最後に、音が消えた。



******



声が響く。
高く澄んだ、変声期を迎える前の少年の声だ。

「……開くわけがない、はずなんだけどね」

応えるように、もうひとつの声が響く。
まだ幼い、童女の声だった。

「けど、あいてるよ」

星のない月夜の下。
声だけが、天を仰ぐ白い花を揺らしている。

「はあ……汐、もしまた生まれたらお母さんに戸締りはきちんとするように言っておいて」
「なんで」

汐、と呼ばれた幼い声が尋ねるのに、少年の声が呆れたように響く。

「何でって、君のお母さんが作った入り口じゃないか」
「そうだっけ」
「そうだよ。中途半端なことしてさ、忘れてちゃ世話ないよ」
「ごめん、ごめん」

悪びれない謝罪。
小さく溜息を漏らした少年の声が、ふと何かに気付いたようにトーンを落とす。

「ん、いや待てよ……」
「……?」
「この場合は戸締りよりも……むしろ身持ちを固く、かな?」
「みもち……?」
「男に限ってあっさり開くんだから、困ったものさ」
「ねえ、何のはなし……?」

幼い声に、少年の声が笑みを含んで響く。

「だって、あれは臍の緒だろう。すっかり干からびてしまっているみたいだけれど」
「へそのお……?」
「うん、ならやっぱり、その先に口を開けているのは……」

そこまでを語って、少年の声が不意に途切れた。

「まあ、いいや。子供に聞かせる話じゃあない」
「……?」
「いいんだってば」

どこか照れたような少年の声が、こほん、と咳払いを一つ。

「ふうん。へんなの」

つまらなそうに呟いた幼い声が、やはりつまらなそうに続ける。

「でも、かんけいないでしょ。どうせ―――」
「まあ、そうだけどね」

少年の声が、幼い声の言葉を引き取る。

「―――どうせここまで、道は続いていないんだから」

風のない花畑に響いた、その声に。
一面に咲いた白い花が、ざわ、と揺れた。



******





闇を抜けると、そこは海だった。

広い、広い海には、

波間に浮かぶ小さな島々のように、

白い羊が、浮かんでいる。






【時間:2日目 3時過ぎ】
【場所:I−10 須弥山入口】

国崎往人
 【所持品:人形、ラーメンセット(レトルト)】
 【状態:法力喪失】

川澄舞
 【所持品:村雨】
 【状態:健康、白髪、ムティカパ、エルクゥ】

水瀬名雪
 【所持品:くろいあくま】
 【状態:過去優勝者】



【時間:すでに終わっている】
【場所:世界の終わりの花畑】

岡崎汐
【状態:――】

少年
【状態:――】



【時間:すでに終わっている】
【場所:???】

天沢郁未
 【所持品:薙刀】
 【状態:重傷・不可視の力】

鹿沼葉子
 【所持品:鉈】
 【状態:健康・光学戰試挑躰・不可視の力】
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