作業の全てが終わるのに、それほど時間はかからなかった。 整理整頓された荷物が列を成して教室の隅に並べられており、ご丁寧にも分類わけされている。 よくもまあここまで道具があるものだと感心するが、汚れていたり傷があったりしているのを見ると、 ここまで酷使してきた体と同じく道具もそうなのだろう、と国崎往人は思っていた。 教室の中に人はまばらで、朝霧麻亜子の解散の一声と共に、全員が自由な行動を取り始めた。仕切っていた麻亜子も。 今ここにいるのは四人。 古河渚と、彼女と雑談しているほしのゆめみ。 彼女達は荷物の中にあった食べ物をつまみつつ(麻亜子の号令一つ、決戦までに所定の量を食べておけというお達しが出た)寛いでいる。 もっともゆめみはロボットであるから、食べているのは渚一人だけで、量も殆ど減っていなかったが。 いくらか別に分けられているのは、恐らくは那須宗一への差し入れなのだろう。 今頃は議論が白熱している最中だと思いたかった。 なぜ自分が呼ばれなかったのかについては、多少の不満はあれど納得するしかない部分が多く、妥当なのだと言い聞かせた。 まず会議に混じっても有意義な意見を出せないであろうことがひとつ。 大人として成熟しきっていないことがひとつ。 「ふん、どうせ俺は免許も取れない住所不定の放浪人さ……」 「……?」 往人の呟きに、隣でおにぎりを頬張っていた川澄舞が視線を移してきた。 もしゃもしゃと白米を咀嚼しつつ、既にかなりの量を平らげている彼女には、 余程腹が減っていたのだろうという感想よりも一生懸命の一語が浮かんだ。 目の前の一つ一つに全力であり、一途で、物怖じしない健気さがあった。 それは元々舞が持っていた性質なのか、ここに来てから変容を始め、この形に落ち着いたものなのかは分からなかった。 ただ言えるのは……そんな彼女を、少なくとも自分は好意を以って見ていられるということだった。 妥協を重ね、一度は目的を見失うまでに落ちぶれていた往人には、純粋で真っ直ぐな舞が羨ましくもあった。 いや、と苦笑して、往人は配給された乾パンをつまんだ。 好意を抱いていることを自覚して、舞の顔を見続けられないと感じたからだった。要するに、照れていた。 視線を逸らしたことを不思議そうに首を傾げながらも、舞も往人と同じように乾パンを食べ始めた。 ぽりぽり。 ぽりぽり。 乾パンを噛み砕く音だけが聞こえる。奇妙なことに、他の音は遠くのざわめき程度にしか聞こえなくなっていた。 心頭滅却すれば火もまた涼し。悟りの境地に入ったのだろうと意味もなく納得して、 往人はこれからどうしよう、とようやく考えることができた。 飯を食べた後の予定はない。どうももうしばらく時間はかかるようだし、一眠りするのが利口というものだ。 事実心身共に疲れ切っていて、満腹になれば横になってしまいそうなほどには意識が浮ついていた。 ああ、なるほど。悟ったのではなくて眠くなってきたというわけか。 幸いにしてここにはどこかから持ち込んだらしい毛布がたくさんあるので眠るのには困らない。 雑魚寝は往人の得意技の一つ。どこでも眠れて体力回復を図れるようにしておくのは、 往人がこれまでの人生で培ってきた、生きるための方法の一環だった。 よし決めた。寝よう。 そう思うと体も頭もその体勢に入るもので、元々ぼーっとしていた意識が更にぼーっとしてきて、 惰性的に手を伸ばしていた、乾パン入りの皿が空だったのにも気付かず、手を彷徨わせていた。 「……いる?」 ん、と横を見ると、舞が乾パンを一枚握っていた。ようやく、そこであれが最後の一枚なのだと気付いた往人はうん、と首を縦に振った。 旅では食べられるときに食べられるだけ詰め込んでおけというのを教訓にしてきた旅芸人の頭が自動的に頷かせたのだった。 ひょいと受け取り、ぱくりと一口。微妙に湿った感覚があったが、別段気になるものでもなかった。 「ごちそうさま」 「……ごちそうさま」 往人が言うのに合わせて舞も手を合わせた。声が小さく、また頬に赤みが差しているのはどうしてだろうとも思ったが、 徐々に押し寄せてくる眠気の前にはどうでもいいことか、と思い直し、毛布を持ってこようと腰を上げた瞬間、騒がしい台風がやってきた。 「よーっ、頼もうたのもー!」 まーりゃんこと朝霧麻亜子だった。この深夜にも関わらずハイテンションなのには一種の感服すら覚える。 無視して毛布を取りに行こうとしたが、その襟首をぐいと掴まれた。振り向く。麻亜子が満面の笑顔で待っていた。嬉しくなかった。 「放せ」 「やあやあお兄さん。寝るのはまだ早いと思わないかね」 麻亜子が騒がしいのはいつも通りとばかりに、周囲の面々は構わず喋り続けている。 舞に救いの視線を投げかけてみたが、何をやっても無駄、という風に目が伏せられた。 こうなると早く眠りたい往人にとっては逆らっても時間の浪費だという思考が働き、とっとと用件を済ませようという結論に落ち着いた。 麻亜子のことだからきっとくだらないものなんだろう、と考えながら。 「話だけなら聞いてやる」 「さっすが往人お兄さんはお目が高い! いよっ色男!」 「いいから話せ」 「お風呂入らない?」 「は?」 予想もしない方向に話が振られ、往人は思わず素っ頓狂な声を上げてしまっていた。 まーりゃんとか、なんて言葉が浮かびそうにもなり、往人は自分が激しく疲れていることを改めて自覚させられた。 風呂と聞いて男の欲望が出てくるあたり、きっと限界手前なのだと感じた往人は、ここが学校なのだということも忘れていた。 「お風呂があるんですか?」 往人の代わりに尋ねたのは渚だった。 「そだよ。へへへ、あたしが探して見つけたんだ」 得意げにない胸を反らす麻亜子。ああ、そういえばここは学校だったという遅すぎる事実を思い出した往人は、 ならばどうしてまず自分を誘うのか、という疑問に突き当たった。 「お前は入らなかったのか。まだ入ってないようだが」 麻亜子の肌身の部分(膝とか腕とか)にはまだ土の汚れがついており、風呂に入ったとは考えられなかった。 嬉しさの余り自分が入ることも忘れ、吹聴しながらここまで来たのだろうとは予測できても、何故自分を誘うのかやはり分からない。 「あたしはまだ仕事があるのさ」 「寝ろよ」 「そうもいかんのだよ。くふふ」 何を企んでる、と聞こうと思ったが、ひねくれ者の麻亜子が正直に答えるはずもない。 ならば自分から目標を反らせばいいだけだと断じて、往人は周囲に声をかけた。 「俺は後でいい。他に先に入りたい奴はいないか?」 「わたしは今すぐお風呂が入用でもないですから……」 「わたしはそもそも入る必要がないですね」 「私は……」 どうすればいい、という類の視線。 他の二人に速攻で断られてしまった以上もう舞を当てにするしかなく、往人は頼む、と無言のうちに伝えた。 許せ舞よ。俺の安らかな就寝のために今回は犠牲となってくれ。南無。 麻亜子に付き合うとロクなことはないと半日にも満たない付き合いで理解しきっていた頭は、 好意を持った女の子よりも自分の保身を優先したのだった。 無論そんな往人の思惑に気付くはずもなく、分かったと頷いた舞が律儀にも麻亜子に申し出てくれた。 ありがとう勇者。さようなら勇者。そしてこんにちは俺の就寝タイム。 「……お風呂に入りたい」 「むぅ。そかそか。ならしょうがないね。まいまい女の子だし」 にひひ、と気味悪く笑う麻亜子は、既に目標を舞へと変えたようだった。 ちょっぴり罪悪感が芽生えたが、朝を目前にしては国崎往人は本能に忠実だった。 「まぁさ、後で他の皆も入るといいよ。お風呂は心の洗濯だって言いますからねぇ。狭いけどさ」 他人にも勧めておくのは、彼女なりのちょっとした気配りなのだろう。 こういう憎めない部分があるのだから、単に騒がしいだけの人間だと思えないのが麻亜子だった。 なんだかんだで仕切ってくれてもいるし、本能的に人にお節介をはたらくタイプなのかもしれない。 そこに個人の思惑を働かせ、面倒事に巻き込んでくれる性質さえなければもっと好意を持てるのだが。 だが今のままでも嫌いではないというのも確かなことだったので、苦笑を浮かべながら往人は見送った。 台風一過。これでようやく休めると判断して、今度こそ毛布を取りに行こうと荷物の山まで足を向けたとき、次の台風がやってきた。 「国崎はいるか」 ルーシー・マリア・ミソラだった。 今日は厄日だ。いや、殺し合いに巻き込まれる以上の厄なんてないのだけれども。 どうやらどう足掻いても眠れるのはもう少し先のことらしいと諦めて、溜息と一緒に「なんだ」と応じた。 少しばかり機嫌が悪い風に装いつつ。 「悪いが、物を運ぶのを手伝って欲しいんだ。会議の連中から持ってくるように頼まれてな」 「何をだ?」 「さあ、そこまでは……置いてある場所を指定されただけで」 会議の連中は、どうも秘密主義的なところがあった。 情報を漏らすとまずいことがあるのだろう。積極的に殺し合いに乗った連中が全滅したとはいえ、 殺し合いの元である主催者から監視されていないとは言いがたいのだ。 極力こちらの動きは悟られたくないということなのだろうと納得して、「分かった」と往人は頷いた。 「あの、わたしたちも行きましょうか?」 会話を聞いていたらしい渚達が申し出たが、「ああ、いい」とルーシーは制した。 「男手一つあれば十分な数らしい。まあダンボール一箱分くらいだろう」 「ですけど……」 「構わない。どうせすぐ済む話だ」 往人がそう言うと、他に反論のしようもない渚は「分かりました」と言って引き下がる。 多分これは舞を犠牲にしてしまったツケなのだろうと思う部分もあり、なるべく自分一人でやりたかった。 疲れてはいるが、まあ何とかなるだろうと考え、往人は教室から出てゆくルーシーの後に続いた。 * * * 「なぁ、さっきまーりゃんが来たんだが」 「それで?」 「あいつも何か頼まれてたのか」 「そんなこと言ったのか」 「いや……知らないならいい」 そうか、と答えると、ルーシーはさっさと足を進めていく。 他にやることがある、と言っていたのはひょっとするとこのことなのかもしれなかったが、 今さら詮索するべきことでもないと考え、往人は黙ってルーシーについてゆく。 しかし、風呂、か。 あのときはまーりゃんの企みがあるのかと疑って断ったが、よくよく考えてみれば魅力的な話だ。 往人自身は旅をする立場であり、風呂はその辺の公園で体を洗うか、収入が良かった日に銭湯に入るくらいが精々で、 毎日のように風呂に入ったことはない。神尾家に居候しているときは流石に毎日入っていた(というより入らされていた)が、 ここに連れてこられてからというもの、久しく湯船の感覚を味わっていない。 何より、風呂で体もさっぱり洗い流せばより快適な睡眠が得られることだろう。 そう思うと無性に風呂に入りたくなってくるのだから、現金なものだった。 これが終わったら戻って、タオルを取って風呂にでも入るか。その頃には舞も戻っているだろう。 そんな想像を働かせているうちに、どうやら目的の場所についたらしい。 ここだ、と言って扉を開けたルーシーに先んじて部屋の中に入る。 どうやら元々は学校の職員が寝泊りに使う部屋らしく、手狭なアパートよろしく、数畳の居間には簡素な机が中央に置かれ、 部屋の隅には小さな布団が綺麗に畳まれている。この布団、持って帰ろうか……いやいや。 「で、持っていくものはどこにあるんだ。ここにはそれらしきものは見当たらないが」 「ああ、悪い。この小部屋にある」 ルーシーが入ってすぐ横にある扉を指した。なるほど、物置か何かだろうか。 管理を厳重にしておくのは流石に用心深いといったところか。 扉を開け、中に入る……が、どうも段ボール箱のようなものは見当たらない。それどころかここは物置ではなさそうだった。 洗面所の近くには小さな脱衣籠があり、その奥にあるもう一つの扉からは明かりが漏れていて、時折水音にも似た音が聞こえる。 ぽりぽりと頭を掻く。はて、ここには何をしに来たのだったか。そうだ、荷物を取りに来たんだ。 随分と変な場所に置くんだなと無理矢理頭を納得させつつ、奥にある扉を開ける。 広がる湯気。鼻腔をくすぐる湿気。そしてどう見ても浴槽に浸かっているひとがひとり。 「……」 「……」 「すみません、間違えました」 ぱたん。 おかしいな。どうして風呂と思しき場所に人がいるんだ。しかも舞にそっくりだったな。ははっ。 「っておい! ちょっと待てぇっ!」 我を取り戻した往人が入ってきた扉に張り付く。だがドアノブを捻ってもびくともせず、 何かつっかえでもされているのか何をしても開かない。 嵌められた、と理解した頭に血が上り、往人は力の限り扉を叩きながら叫んだ。 「おいルーシー! どういうことだこれは!」 「はっはっは。愚かなり往人ちん」 くぐもった声は間違いなく麻亜子のものだった。何となく全てを悟った往人はこめかみに血管を浮かせつつ、 何故自分がこのような状況に置かれなければならないのかということを嘆きながら話しかけた。 「お前の差し金か」 「あちきの罠は隙を生ぜぬ二段構えよ」 「すまん。許せ」 全然悪びれてもいなさそうなルーシーの声が続き、どうしてグルだと疑わなかったのかと、往人は心底恥じ入る思いだった。 あんな都合のいいタイミングで二回も呼び出すこと自体がおかしいと気付くべきだったのだ。 それを自分は、舞を身代わりにした安心感と、真面目一徹だと思い込んでいたルーシーがこのようなことをするとは思わず、 油断してホイホイついて行ってしまったというわけか。 そういえば麻亜子とルーシーが何か喋っていたな、と今さらのように思い出して、往人は溜息をつくしかなかった。 「まぁそういうわけでまいまいとゆっくりしていってね! 二人で一緒に心の洗濯ってね!」 「ああ。ここは私達が見張っておくから安心していいぞ。任せておけ」 嬉しくない気遣いだった。 物置もとい浴室は完全な密室であり、どう考えても脱出できそうにない。 ここで待つという手もあった。だがじっと待って舞が上がってくるのを見計らって出て行ったところで、 風呂に入ってないことを素早く嗅ぎ分けるであろう麻亜子は無理矢理にでも自分達を風呂に入らせようとするに違いない。 お節介にも程がある。確かに舞とは一緒にいる機会も多かったし、麻亜子も大体のことは知っているということは承知だったが…… 一体何だってんだよ、と往人は心中に吐き捨てる。 ここで二人きりになって、一体何を話せというのか。話すようなことなんて何も…… 「何も……なんだ?」 いつの間にか自分が舞の全てを知っているかのような考えに至っていることに気付き、どうしてという言葉を浮かび上がらせる。 確かに一緒にいたし、好意を持っているという自覚もある。しかし自分が、舞の何を知っているというのか。 生まれ、生い立ち、何をしてきたのか……何が好きなのか、何が嫌いなのかも分からない。 考えてみれば全然、彼女のことは何も知らない事実を突きつけられ、往人は愕然とする思いを味わった。 ひょっとすると、無意識に全てを分かっていると思い込んで、かえって距離を離してしまっていたのではないのか。 舞はそれを麻亜子に相談していて、その解決のために一計を案じた。 考えすぎだろうと否定する部分はあっても、自分が舞のことを分かった風なつもりでいることは事実だった。 くそっ、と頭を掻く。どうにもこうにも分からないことだらけだった。 こうして国崎往人という人間は他人を傷つけてきたのかもしれない。 金と生活のことだけを考え、人との交わりを疎かにしてきた結果なのだろう。 人の意思も汲めず、理解もしようとしない人間が誰かを笑わせられるものか。 往人は、人を笑わせたいと思ってる? 母の言葉が思い出され、単に自分はそうしなければいけないという使命感に囚われていたのではないかと思い至り、 失笑交じりに自分の不甲斐なさを改めて認識していた。 どうも根本から、国崎往人という人間は駄目であるらしい。 まずはそこを変えなければいけなかった。 諦め半分反省半分の気持ちを交えながら、往人は風呂場に通じる扉をノックした。 「あー……その、舞」 「……なに?」 いつもの口調で返されるのが微妙に息苦しい。ふと足元の脱衣籠を覗いてみると、舞が着ていた胴衣が折り畳まれて入っていた。 一瞬見えた舞の裸体が思い出され、俺は何をしようとしているんだという呆れが生まれたが、 こうなってしまえば勢いに任せるしかなかった。ほんの僅かに興奮し始めているのには気付かないふりをしながら。 「生きてここから出られたら、どうするつもりなんだ?」 そつのなさ過ぎる話題だと思ったが、コミュニケーション能力の欠如している往人にはこれが精一杯だった。 沈黙が重苦しい。そもそも、こんな話題は風呂越しにする会話でもなかった。 ひょっとすると自分は変態一歩手前の領域まで来ているのかもしれないという不安が、往人の頭を重くさせた。 まずここにいる理由から説明すべきではなかったかという後悔が鎌をもたげ始めたころ、何かを決心したような声が聞こえてきた。 「入って」 「は?」 その返事が怒らせることになるかもしれないと思ったが、往人はそう言わずにはいられなかった。 つまり、普通に解釈すれば彼女は混浴しようと言っているわけで。 男と女。密室でふたりきり。 往人とて男であることには間違いなく、その手の知識も人並みにはあった。 数年前、道端で拾った、薄汚れた雑誌を開いたときの何とも言えない、未知との遭遇の感覚を思い出す。 それからしばらく、一生懸命金を稼いだ。本屋に入って、雑誌コーナーのとあるジャンルを目指した。 あのときの緊張感は警察に追いかけられるときのものと同等だったことは心に強く刻み付けられている。 その本はボロボロになって、風雨で読めなくなるまで往人の夜の相棒だった。プレイルームは便所の個室。 しみじみとした思い出にトリップしかけた往人の意識を引き戻したのは、先程よりか細くなった舞の声だった。 「その、扉越しだと、よく聞こえない、から」 くぐもっていても恥ずかしさの余り声が詰まっているのは明らかだった。 初心すぎる反応に、却って往人の煩悩は霧散した。 女にここまでさせておいて自分が安全圏に引っ込んでいるとは何事か。 自らを叱咤激励し、大きく息を吸い込み心頭滅却して、往人は服を脱いだ。 全部脱いだその瞬間、マジでやっちゃうの? と冷えた部分が囁いたが、やる。と言い返して勢い良く風呂へと侵入した。 「……よう」 まずは普段通りに挨拶。いつもの声が出せていることに、往人は少し安心する。 浴槽に体育座りの形で鎮座していた舞の頭が動き、ちゃぷ、と音を立てた。 顔色が熟れた林檎のようになっているのは、きっとお湯のせいだけではないのだろう。 硬く石のようになった舞を横目にしながら、それでも思うことは色白でふくよかな体つきをした舞が綺麗だという感想だった。 水に濡れ、髪を下ろした彼女の姿は神秘的であり、普段の凛々しさを含んだ気高さとはまた違う艶のようなものがあった。 自分は意外と面食いなのかもしれないと思いながら、往人はシャワーで体を流す。 「生きて、出られたら……」 会話を再開したのは舞からだった。 「学校を卒業して、その後は……分からない」 「そうか。俺も同じだ」 翼を持つ少女を自分の代で諦めてしまった以上、当面の目的などなかった。 人を笑わせる。そう決めてはいても、それは人生の目的ではなかったし、 生活していくに当たってはまるで関係のないことだったからだ。 「元々定住してるような身分でもなかったしな。いつだって行き当たりばったりだったさ。 それに今となっちゃ、旅をする目的なんて失ったようなもんだ。どうしようかって、本気で考えてる。何かいい案はないか?」 「……働く」 「厳しいな」 往人は苦笑した。住所不定の男を雇ってくれるところなどある方が珍しい。 生きて帰ったとして、辛い生活が続くのには変わりがないのかもしれないと自覚したが故の苦笑だった。 「でも、そういうことを考えてる往人は凄いと思う。私は今までも、今でも、待ってることしか出来なかったから」 「待ってる……か。何を?」 「実は、自分でも分からない」 舞の声がひとつ落ちて、沈むのが分かった。何かを待っているらしい彼女。 ただ正体が分からず、あやふやなまま現在を過ごし、自分が何をしようとしているのか、何をしたいのかも分からない。 きっと辛いことから逃げている。逃げたまま、解決しようともしないのが今の自分なのだと舞は語った。 正体不明のものを待ち続ける感覚。翼の少女というあるかも分からないものを追い続けてきた往人にも、その感覚は理解できた。 「俺は、逃げてもいいんじゃないかって思う」 どうして? という気配が伝わる。 逃げることを許容した往人が信じられないようでもあり、また逃げることそのものを悪だと断じる意思が感じられ、 それも間違いではないと往人は思ったが、人の一生から見れば半分も生きていない自分に真に正しいことが言える自信はなかった。 往人が示せるのは正しさではなく、選択から生まれる可能性だけだった。 「逃げるってことは、一つの区切りなんじゃないかって考えてるからだ」 旅をやめ、新しい目的を探して生きるようになった自分がそうであるように、逃げたからといって全てが終わるわけではない。 ただ逃げるからには相応の代償が必要であるし、やってきたことも無意味だったと認めなければならない。 けれども往人だって悪戯に逃げることを選択したわけではないし、今こうしていることにも新しい意義を感じている。 だから良かった。本気で良かったのだと、往人は素直に思えていた。 「待たなくてもいいんじゃないか」 「……」 舞の目が伏せられ、私には無理だという無言の思いが伝えられた。 しかし諦めるように閉じられた目は拒絶ではなく、押し殺した怯えから来ているのだと分かる。 往人は最後にシャワーを頭から被ると、スッと立ち上がり、湯船の中の舞に聞いた。 「少し開けてくれないか?」 浴槽の中央にいた舞がもぞもぞと動き、端の方に寄る。 往人は動いたのを見計らって、背中合わせになるようにして浴槽へと入った。 狭かったがために往人一人が完全に入れるだけのスペースはなく、舞の背中に体を押し付ける形になる。 想像以上の柔らかさ、女性特有の質感にドキリとしながらも、逆に人間らしさも感じて安心させられる思いだった。 無表情の中に全てを押し込んで、強く在った彼女の偶像が潰れ、自分と同じ種類の人間なのだと納得させられるなにかがあった。 「まあ俺のようなろくでなしの意見だ。聞き流してくれてもいい」 「そんなこと……」 「ただな、もし逃げたいと言うのなら、一つ特典がつくぞ。……俺も、一緒に逃げてやる」 背中越しに絶句する気配があった。素直に「ずっと一緒にいたい」と言えないあたり情けないと思わないではなかったが、 口に出して言い切れただけマシだというものだった。だから自分は、舞を必要としているのかもしれなかった。 「ちなみに、期限は無期限だ」 固まっていた体が揺れるのが分かった。押し殺した笑いが聞こえ、往人の口元も自然と緩んだ。 「笑うなよ。割と真剣なんだぞ」 伝わる振動が大きくなった。また同時に、背中から聞こえる心臓の鼓動が早まったような気がしていた。 往人はようやく、初めて笑わせることができたと確信していた。人形を使って、ではないのが悔しくもあったが、 ろくでなしの自分にはこれくらいが丁度いいと解釈して取り敢えずは満足することにする。 互いに笑いが収まる頃には、堅さもなくなり、可能な限り体を密着させるようになっていた。 それぞれを必要としていることを自覚し、この先を共にする意識が出来上がっているのかもしれなかった。 「そろそろ、私は上がる」 振り向くと、はにかんだ舞の顔があった。 「渚たちと約束してるから」 「ああ。俺はしばらくここにいる。……風呂はいいもんだな」 「浸かりすぎてのぼせないように」 「分かってるさ」 「それと」 「ん?」 「……後ろ、向いてて」 躊躇いがちな舞の言葉を理解したのは、数秒経ってからのことだった。「あ、ああ」と頷いて壁際の方を向く。 その間に舞は湯船から上がる気配があったが、ちらりと、横目で見てしまう。 しなやかで贅肉のひとつもない、絶妙なバランスの取れた均整な肢体だった。 やはり男の性はそう簡単に抑えられないものらしいと苦笑して、往人は湯気の立ち昇る天井を見つめていた。 【時間:3日目午前04時30分ごろ】 【場所:D−6 鎌石小中学校】 『自由行動組』何を、誰とするかは自由。小中学校近辺まで移動可 【刀剣類:日本刀×3、投げナイフ(残:4本)、バタフライナイフ、サバイバルナイフ×2、カッターナイフ、仕込み鉄扇、包丁×3、忍者刀、忍者セット(手裏剣・他)、鉈×2、暗殺用十徳ナイフ、ベアークロー】 【銃器類:デザート・イーグル .50AE(1/7)、フェイファー ツェリスカ(Pfeifer Zeliska)60口径6kgの大型拳銃 5/5 +予備弾薬4発、 コルトガバメントカスタム(残弾10/10)、S&W M29 5/6、グロック19(10/15)、SIG(P232)残弾数(2/7)、 S&W 500マグナム(5/5)、ニューナンブM60(5/5)、S&W M1076 残弾数(6/6)、デザートイーグル(.44マグナム版・残弾8/8)、 S&W、M10(4インチモデル)5/6、コルトガバメント(装弾数:7/7)、コルト・パイソン(6/6)、ワルサーP5(2/8)、 二連式デリンジャー(残弾1発)、ベレッタM92(15/15)】 【サブマシンガン・ライフルなど:イングラムM10(30/30)、IMI マイクロUZI 残弾数(30/30)×2、MP5K(18/30)、 レミントン(M700)装弾数(5/5)、H&K SMGU(30/30)、89式小銃(銃剣付き・残弾22/22)、 P−90(50/50)、M4カービン(残弾15/30)】 【ショットガン:Remington M870(残弾数4/4)、SPAS12ショットガン8/8発、ベネリM3(7/7)】 【爆発物系:M79グレネードランチャー、携帯型レーザー式誘導装置(弾数2)】 【弾切れの銃:ワルサー P38(0/8)、ドラグノフ(0/10)、H&K PSG−1(残り0発。6倍スコープ付き)、 FN Five-SeveN(残弾数0/20)、コルト・ディテクティブスペシャル(0/6)、トカレフ(TT30)銃弾数(0/8)】 【弾薬:38口径弾31発+ホローポイント弾11発、炸裂弾×2、火炎弾×9、12ケージショットシェル弾×10、 9mm弾サブマシンガンカートリッジ(30発入り)×14、.500マグナム弾×2、7.62mmライフル弾(レミントンM700)×5、 10mm弾(M1076専用)×9、5.56mmライフル弾マガジン(30発入り)×6、マグナムの弾(コルトパイソン)×13、 】 【その他間接武器:ボウガン(32/36)、電動釘打ち機12/12、五寸釘(10本)、吹き矢セット(青×4:麻酔薬、黄×3:効能不明)】 【その他近接武器:トンカチ、スコップ、鉄芯入りウッドトンファー、フライパン×2、おたま、折りたたみ傘、鋸】 【防具:防弾チョッキ、分厚い小説、防弾アーマー】 【医療器具等:救急箱×4、包帯、消毒液、何種類かの薬、治療用の道具一式(保健室でいくらか補給)、風邪薬、胃腸薬】 【工具等:ロープ(少し太め)、ツールセット、工具箱、はんだごて】 【食料など:支給品のパンと水たくさん、おにぎり、缶詰、携帯用ガスコンロ、野菜などの食料や調味料、携帯食、 カップめんいくつか、セイカクハンテンダケ(×1個&4分の3個)、乾パン、カロリーメイト数個】 【その他:三角帽子、青い宝石(光四個)、スイッチ(未だ詳細不明)、レーダー、懐中電灯×2、ロウソク×4、イボつき軍手、 ロケット花火たくさん、ただの双眼鏡、何かの充電機、100円ライター×2、スイッチ(0/6)】 【会議室にあるもの:診療所のメモ、珊瑚メモ、HDD(HDD内にはワームと説明書(txt)、選択して情報を送れるプログラムがある)、 ノートパソコン×3、腕時計、ことみのメモ付き地図、ポリタンクの中に入った灯油、要塞開錠用IDカード、武器庫用鍵、 要塞見取り図、フラッシュメモリ、カメラ付き携帯電話(バッテリー9割、全施設の番号登録済み)、 参加者の写真つきデータファイル(内容は名前と顔写真のみ)、フラッシュメモリ(パスワード解除)】 川澄舞 【状態:往人に付き従って行動。強く生きていたいと考えている。両手に多少怪我(治療済み。支障は全くない)】 【その他:往人に対して強い親近感を抱いている。剣道着を着ている】 朝霧麻亜子 【状態:鎖骨にひびが入っている可能性あり。計画通り】 【その他:体操服(上下のジャージ)を着ている】 国崎往人 【所持品:スペツナズナイフの柄】 【状況:強く生きることを決意。人形劇で舞を笑わせてあげたいと考えている】 【その他:左腕に文字を刻んだ。舞に対して親近感を抱いている】 古河渚 【状態:健康】 【目的:人と距離を取らず付き合っていく。最優先目標は宗一を手伝う事】 ルーシー・マリア・ミソラ 【状態:生き残ることを決意。髪飾りに美凪の制服の十字架をつけている】 【目的:とりあえず渚にくっついていく】 ほしのゆめみ 【状態:左腕が動くようになった。運動能力向上。パートナーの高槻に従って行動】 - BACK