どうも、こんばんは。古河渚です。 ちょっと体がガチガチです。周りの景色なんて見えません。だって目をつぶってますから。 バイクの二人乗りって案外怖いです。運転手さんの舞さん曰く安全運転らしいですが、揺れます。早いです。 ヘルメットもつけていないわたしはハラハラしっ放しでした。 舞さんを信じていないわけじゃないですけど……その、防衛本能というか。 色々お話したかったですけど、緊張と怖さの余り言葉も出ませんでした。 必死にしがみついていたのでもうへろへろです。運動下手なのって損ですね…… それでも、舞さんの言うとおりかなり低速だったみたいで、わたし達が一番遅いみたいでした。 後で舞さんに聞いたところによると、ふぅちゃんは悲鳴を上げていたみたいです。 まーさんは相当かっ飛ばしていたみたいです。正直な話、舞さんの後ろで良かったと思っています…… なんだか、わたしも自分に正直になっているみたいです。言い訳をするのも少なくなったり、はっきりと結論を出すようにしたり。 わたしも何だかんだでお父さんの娘なのかもしれません。お父さん、神経が図太かったですから。 あ、悪いことだなんて思ってないです。凄く羨ましいと思ってたくらいですから……嬉しい、というよりも、安心しています。 わたしだって少しはまともになれるんだ、って分かりましたから。 岡崎さんは自信を持っていい、といつだったか言ってくれましたよね。 わたしは今でも自信はありません。まだわたしは何もしていない。宗一さんや他の皆さんの後ろにくっついているだけです。 でもわたしには戦える力なんてない。無理にそうしようとしてもどうにもならないのが自分だというのも分かっています。 だから、今のわたしには『安いプライド』しかないのだと思います。 変わっていけるかもしれない。マシになれるかもしれないって、現在のわたしを肯定するだけの『安いプライド』です。 でもそれがあるから、わたしはここにいられる。たったそれだけで、坂の上を目指せる力になるのだと思っています。 ですから、わたしはしがみ続けるのだと思います。『安いプライド』に。『誇れる自信』に変わるときまで。 「……」 つんつん、とわたしの頬を何かがつつきました。 そういえば、揺れが収まっています。そもそもバイクが停車していました。 目を開けると、少し困った顔をした舞さんがこちらを見ていました。 「ついたから、降りて欲しい」 ぎゅーっと、力いっぱいしがみついていることに気付き、慌てて腕を離しました。 「わっ」 焦っていたわたしは話した拍子にぐらりと後ろに傾き、そのまま落馬……もとい、バイクから落下しました。 したたか腰を打ちつけ、にべもなく地面に転がってしまいました。何をやっているのでしょうか…… 笑うしかなかったわたしに、舞さんが手を差し伸べてくれました。 「ありがとうございます……」 恥ずかしさがありましたが、すぐに手を取って起き上がることが出来ました。 どうやら、わたし達が一番最後みたいです。他の皆さんの車やバイクが見えました。 目的地の小学校。ここに宗一さんの知り合いの方がいらっしゃるとか。 多分、電気がついているところにいるのでしょう。 ぼーっと眺めていると、舞さんが先を行くように促しました。 「早く。遅刻、良くないと思う」 そういえばそうかと思い至り、そうですねと返して、小走りに昇降口まで向かうことにします。 遅れてしまうのは、あの時から変わらないのだな、と思うと、少し可笑しく感じました。 「遅れてばかりなのは変わらないですね」 「……そうなの?」 「遅刻魔だったんです、わたし」 あまり表情の変わらない舞さんが、ぱちぱちと物珍しそうに瞬きするのが新しい発見のように思えました。 「私も、そう。不良生徒だった。生徒会から目を付けられてた」 窓ガラスとかよく割ってたから、と付け足した舞さんに、今度はわたしが絶句する番でした。 そういうことをするような人には全然思えなかったので…… お互いの意外すぎる一面を知って、自然と笑みが零れていました。 奇妙な共通点に、舞さんも笑っていました。 昔のことだって、全部が悪いことだけじゃない。 そんな思いを抱えながら、わたし達は校舎の中に入っていきました。 * * * 「いいかゆめみよ、まずお茶を出すときには心得ておかねばならぬものがある」 「はい」 「とりあえずお湯を入れることからはじめよう、な?」 引き攣った笑顔で高槻さんはそう言いました。わたしは首を傾げました。 お茶を出してみろ、というお言葉に従ったまでのことなのですが…… 「もう一度聞こう。お茶っ葉をカップ一杯に注いで何をしろと」 「はい! 美味しく召し上がってください!」 「牛になれと」 「眠いのですか?」 お腹がいっぱいになってすぐに寝ると『牛になる』そうです。 量が多すぎたのでしょうか。 メイド修行とは難しいものですね…… ところで、どうしてコンパニオンロボのわたしがメイドになるのでしょうか。 メイドロボの基本行動様式は既に削除されてしまっているのですが。 高槻さんのなさることなのできっと深い理由があるのでしょう。 ですからわたしは何も言わずについていったのですが。 「もういい。俺がやるからよく見ていろ。そして覚えろ」 「はい。見て、覚えます」 覚えることは大得意です。じっと高槻さんを注視すると、コホンと咳払いをして、まずは空のカップを手に取りました。 次にカップにお湯を注ぎます。なるほど、あの粉だけではいけないのですね。 それからさっきわたしが入れていた粉をお湯に投入しました。あ、お湯の色が変わってます。 「これがお茶の淹れ方だ!」 「なるほど! そうなのですね!」 ……と思う、と小声で付け足したのが聞こえましたが、高槻さんが言うのです、間違いありません。 手順は既にインプットしましたから完璧に行えます。わたしがぐっ、と拳を握ると、 高槻さんはぽりぽりと頭を掻きつつも、「まあいいか」と言ってくれました。 「あとはこいつを人数分入れて、みんなのところに持って行ってやれ」 「承知しました」 「それと、もう一つだけ覚えておけ」 「はい」 再度インプットモードに入ります。このモードのときはじっと教授してくださる方の挙動を窺うのですが、 高槻さんはいつも最初に苦笑します。そういうことで、わたしもそれらしい表情を浮かべることにしています。 鏡がないのできちんと実践できているかどうかは分かりませんが。 「人間、疲れたときに暖かい食べ物や飲み物を出されるとホッとするもんだ。大抵はな」 「そうなのですか」 「そうだ。そしてありがたみを忘れてしまった奴もいる」 どういう意図があって言ったのかは分かりませんでした。曖昧に頷くわたしは、適当という挙動を実践しているのかもしれません。 「お前は、疲れている奴にすっと茶を出せるような優しさを学べよ。 誰かそのものじゃない、参考になることだけ学べばいいんだ。駄目なところも学んじゃいけない」 それについては万事完璧です。人間として素晴らしい行動規範をお持ちになっている方が目の前にいらっしゃるのですから。 そういうことだ、と付け足して、高槻さんはお茶を淹れろと促しました。 わたしはお茶を飲めないので、この場合三人分必要ですね。 苦笑を浮かべて、わたしはお湯を注ぎ始めました。 * * * 遅いな、と思いながら振り返ってみるが、川澄と渚の乗ったバイクは見当たらない。 相当ゆっくり走っていたのだから、まだしばらく時間はかかるのかもしれない。 そんなことを思いながら、俺は車に体を預け、溜息をついた。 リサからは学校で、と指定されたが、具体的にどこの部屋でとは指定されなかったのでとりあえず外で待ってはいるのだが…… 現れやしねえ。遅刻だろうな、こりゃ。 「俺達はいつまでこうしてればいいんだ」 車の助手席から身を乗り出して尋ねてきたのは国崎さんだった。 後ろの席ではルーシーが退屈そうに腕組みをして足を荷物に乗せている。 まーりゃんと伊吹は相変わらず仲良くケンカしている。今回の理由は『運転が乱暴すぎるから』というものだった。 寿命が縮んだだとか肝が潰れたとか文句を言う伊吹に対してまーりゃんはそんなんだからチビ助なんだぞー、とからかっている。 取っ組み合いにならないのは単純に伊吹が限界だからだろう。乗り物酔い的な意味で。 「誰かがいそうなんだけどな。ひょっとしたら先にいるのか……」 「俺達が先行してもいいんじゃないか」 校舎の中では明かりが点いていることから、誰かがいるのかもしれないと予測はできるが、果たしてそれがリサ達のものなのかは分からない。 俺達がいる場所も、明かりのあるところからはギリギリ死角になるような場所だ。 誰かが出て行けば応じて出てくるのかもしれないが、安全が保障されているわけではない。 完全に参加者間での殺し合いが途絶えたと確信できる理由はないのだ。 行くにしても、のこのこと出て行くのだけは避ける。 人を疑い続ける職業である俺の癖と言うべきものであるが、必要なことだと分かっている。 疑うことは決して悪ではない。身を守るための最善の手段なんだから。 渚は信じることで知ろうとしている。俺は疑うことで知る。方法は違えど、人間を知るということにおいては変わりない。 ただ、そういう俺を、渚は知って受け入れてくれるのだろうか…… 「いい加減行ってみてもいいかもな……リサも同じ立場だ。こっちを窺ってるのかもしれない」 「行くのか?」 顎を上げてルーシーが反応する。頷くと、「じゃあ、携行武器がいるだろう」と拳銃を寄越した。 形状からしてM1076だろう。ルーシーはどちらかと言えば俺の側に近い存在だ。 もっとも、それは対外的な存在に対してであって、身内には少々甘いところがある。 それはそれでいいと思っていた。人と人を繋げるきっかけでもあると言えるのだから。 「俺も行こう。……邪魔か?」 「あまり大人数だと困るけどな。国崎さんがいればいいか」 単独行動で仕事することの多い俺だが、チームプレイも得意だ。伊達にエディと組んでいたわけじゃない。 ただ、ひとつのグループをまとめるのは苦手だ。精々が三人までというところだろう。 俺自身の疲労も考えれば二人が一番いい。見ていたルーシーに首を振ると、やれやれという風にまた車のシートに身を預けた。 違うのは、膝の上にマシンガンを乗せていることだったが。 国崎さんを選んだのは怪我の度合いから見てのことだ。一番傷が浅く、なおかつ男だ。見た感じタフそうでもあるし。 まあそれに……まーりゃんや伊吹だと、絶対に話がスムーズに行かない。断言できる。 「むむっ! あたしを呼ぶ声が聞こえたような気がした!」 考えた瞬間にまーりゃんが鋭敏に反応していたが、俺と国崎さんが揃って首を振ると「ありゃ」と首を傾げて、ぽりぽりと頭を掻いていた。 なんて鋭い奴だ。まーりゃんにミステリの探偵役を任せたら、たちまち解決してくれるかも。 伊吹は疲れたのか、バイクのシートでぐったりとしていた。大丈夫なんだろうか。 「行くか」 「なるべく慎重にな」 「言うまでもない」 お互いに牽制し合いながら、俺達は学校へ向けて歩き出した。 * * * 存外に時間がかかってしまった、と思った。 急激に曲がりくねった道が多かったのと視界の悪さのせいなんだけど。 まさか激突の衝撃でライトが壊れてるなんて気付かなかった…… 星明かりに感謝したことは初めてかもしれないわね。 もし雨が降り続いて空が雲に覆われたままだったら、もっと時間がかかっていたでしょうね。 まあそれを抜きにしてもあのトンネルが一番時間がかかったでしょうけど。 一寸先は闇、という日本語を思い出したわ。本当、何も見えないったらありゃしない。 ガリガリと車を壁にこすりつけてしまったのは一生の不覚だわ。今度は暗闇でも運転できるように訓練しないと。 意外とムキになっていることが可笑しかった。やっぱり、私は車が好きなのだろう。 何故、と考えてみても理由に繋がる思い出が浮かばない。 任務のために運転技術を習得する必要があった? 違う。 対人関係の上で、上手な方がイニシアチブを取れると考えたから? 違う。 広い道で車を最速で飛ばすことを楽しみに感じられるようになったのも、より速い車を好むようになったのも、 全ては私自身の意思で、そのためにかけた時間も私が選択したことに他ならない。 なんだ、と思った。任務遂行の歯車、復讐に徹するだけの機械かと思えば、実は新しい自分を見つけ出していたってわけね。 気付かなかったし、気付こうともしなかっただけで、奥底にある私そのものが変わろうと努めていたのかもしれない。 そう思うと今まで靄がかかって想像さえできなかった未来の自分がふっとその姿を見せたように思えた。 想像することに関しては幼稚でしかない私は、 レーシングドライバーになればいいかもしれないなんて馬鹿げたことを考えているみたいだけど。 ……いや、きっとそれは私が軍人の道を歩まなかったときのIfなのでしょうね。 復讐に身をやつさずとも、やさしさで絶望を乗り越えられるような、そんな人間だったなら。 凡俗で、憎悪の炎を燃やして消費するだけでしかなった私が前を向けるようになったのには、 相応の時間と出会いと別れを繰り返さなければならなかった。 私にはまだ、思うままに任せて暮らすというようなことが出来そうになかった。 不実を清算しきれていない。だから軍人を続ける必要がある。そう結論して。 「おっと、先客がいるみたいね」 「先客?」 顔を真っ青にしたことみが言う。先ほどからの運転のせいだ。ちなみに、後ろの二人はまだすやすやと寝ている。 いい寝つきね。別に責めているわけじゃないけれど、図太い神経だって思うわ。 ……いや、張り詰めていたものが切れたから、か。 私なんかは切れては繋いで、切れては繋いでいたからもう簡単なことじゃ切れなくなっちゃったけど。 「あそこ」 思考を払って、ことみの質問に答える。学校へと歩いている二つの棒があった。間違いなく人影でしょうね。 「クラクション鳴らしたら?」 「危なくないかしら? 誰かに感づかれたら」 「今さらだと思うけど……」 それは今の14人という人数のことを言っているのか、車という存在感のある乗り物に乗っていることを言っているのか。 蒼白な顔をして溜息をつくことみの顔色は先程より悪くなっているように感じられた。 ひょっとしたら、乗り物酔いの気があるのかもしれない。 我慢しているのは偉い。言ってくれても良かったのにとも思うけど。 「そうかもしれないわね。一応、二人を起こして」 首を振って促すと、ことみはシートベルトを外して後ろの席へと身を乗り出していた。 その間に私は思い切りクラクションを鳴らし、前方の二人へと向かってアピールを開始した。 今まで気付かれなかったのは単にライトが点いていなかったからなのかしら。 音でようやく気付いた二人組は素早く拳銃を取り出し、いつでも構えられるようにしているようだった。 一瞬迂闊だったか、という思いが過ぎりつつも、この状況ではそれも当然と冷静な軍人の頭が告げ、 このまま速度を緩めて接触を図ることにする。ライトが点いていればもう二人組の正体は判別できていたのでしょうけど、 生憎と濃すぎる暗闇の中ではまだ顔までは判別できなかった。 暗視スコープなどという文明の利器を駆使してきたお陰で夜目が少々利かなくなっているようね。 それとも、単に疲れているからなのかしら…… 眠らなくとも保つ体だとはいえ、限界というものはあった。 「ん……着いたん……?」 眠そうな声に欠伸を混ぜた様子の瑠璃の声が届いた。緊張感の欠片もない、と思ったけど、 「アホか、準備しろ」と慌てた浩之の声が続き、「すいません、寝てました」と言ったことで、チャラにしてやろう、と思った。 瑠璃も言われて、自分の発言の迂闊さに気付いたようで「ご、ごめんなさい」と上ずった声で謝罪した。 「油断だけはしないようにね」 釘だけを刺しつつ、私はようやく見えた二人組の顔にホッと一息ついた。 宗一がいる。こちらにも気付いた宗一は目に見えるくらいに安心した表情になって挨拶するように手を振っていた。 どうやら、お互いここまで無事に引っ張ってこれたことに安堵しているみたいね。 私はともかく、宗一が牽引役までやっていたことは意外だったけど。 あの子、キャプテンではあってもリーダーじゃないもの。 車を降りると「久しぶりだな」という相変わらずの溌剌とした様子で、宗一が手を差し出した。 挨拶代わりに手を捻ってやろうと、緩みかけた気を引き締める意味合いも兼ねて宗一に手を伸ばす。 けど素早く捻られるはずだった宗一の手は私の手を弾き、代わりに私の腕を搦め取ろうと反対の手を伸ばしてきていた。 同じことを考えていた。奇妙な嬉しさが溢れてくるのを感じながら、一歩引いてそれを躱す。 軽くジャブを打ち込んでみるが、器用に捌かれ、ラッシュが止まったところにカウンターのキックが入れられる。 私だってそう単純じゃない。足を取って投げてやろうと掴んだが、もう片方の足が蹴りかかっていた。 舌打ちして掴んでいた方とは反対の手で蹴りを止める。 その間に掴まれていた足をほどき、トントンとバランスを取るように二歩、下がった。 私と宗一以外の人間は突如始まった格闘に唖然としている。 もっと続けたかったが、いらぬ誤解を招きかねないので「もういいでしょ」と手をかざした。 ふむ、と宗一も応じて構えを解く。「一泡吹かせてやろうと思ったのに」と悪びれもせず言う宗一に、私は不敵な笑みだけを返した。 どうやらお互いの考えはそう変わっていないらしいということを理解して、私達は今度こそ普通の握手を交わした。 「お前ら、それが普通なのか」 ようやくといった感じで宗一の連れが呆れたような声を出したが、別にいつもやってるわけじゃないのに。 あ、そう言えば宗一との初体面でもこんなことやったっけ。 「ワケわかんねえ」 「うん」 乱闘だと思ったらしく、武器を抱えて車から飛び出していた浩之と瑠璃に、私は肩を竦めるしかなかった。 * * * まあ、こうして色々あったようななかったようなわけなんだが、とにかくおれ達は無事学校に着いたってことだ。 ……道中、寝てたけどな。気が緩んでたのは認めざるを得ない。 こんなんで瑠璃を守れるのかよ、と思ったが、寝て鋭気を養ったということにしておこう。 「ところで、宗一側はそれだけなの?」 「ああ、俺達が先行してただけだ。残りは別にいる」 宗一というその人は一見俺と変わらないくらいの年に思える。だがあのリサさんと互角に戦っていたんだから実は凄い人なんだろう。 リサさんが本気ではないのは分かっていたが、それは相手にしたって同じことだろうし。 「どこに?」 「ま、着いてくれば分かる」 「ふむ、相変わらずガードは固いわね」 「悪いね。習い性なんだ」 仲間だと分かっているはずなのに、なかなか手の内を見せようとしない。 習い性だと言っているから、そうポロポロ喋るということじゃないんだろう。 リサさんもそれを試していたらしく、合格という風に頷いていた。 おれだったら嬉しさの余りついつい喋っちゃうんだろうな。そんで怒られるんだろう。 ……元々、おれに合流の喜びを分かち合える奴なんていなくなったようなもんだけど、な。 「浩之」 ぼーっと二人を眺めていたおれに、瑠璃がぽんと肩を叩いてくる。 「荷物、下ろそ」 優しく微笑んだ瑠璃には、感傷に浸りかけたおれを気遣ってくれるものがあった。 ああ、俺は一人じゃない。そんな気持ちが込み上がり、底に沈んでいたはずの自分、 かったりぃと言っていたころの自分が浮き上がってくるのを感じる。 自分で手放して、二度と掴まないと決めていたはずのものだったのに。 迷っているのだろうか。もう肩肘を張る必要はないと心のどこかで分かっているのだろうか。 おれでは決められず、結論を出すことはできなかった。 そうするだけの自信がない。結局のところ何だってしてこれず、 みさきを振り切ったおれには自分の判断だけで自分を肯定なんてできなかった。 甘え、弱さだと言えば、そうなのかもしれない。 それでもおれは、自分ひとりだけでは決めることが出来ないものがあり、誰かに依存する術を知ってしまった。 だから……おれは、誰かに肯定してもらいたいのだろう。 「手伝おう」 横から現れた男が瑠璃の持っていた荷物を肩代わりしてくれた。確か、宗一って人の隣にいた人だ。 切れ長の細い瞳、少し痩せた頬という顔つきにも関わらず、体はがっしりとしていて、屈強の一語を即座に連想させた。 「あ……すまねえ。えっと、名前は」 「後でいい。どうせ集合した後にでもするだろうからな。それに俺は生憎物覚えがいい方ではないんでね」 はあ、と生返事すると、男は踵を返してさっさと歩いていってしまった。 親切なのか無愛想なのか分からず、おれは瑠璃と顔を見合わせて苦笑した。 * * * しばらく休んでいると、また体の傷が疼きだしたのか、全身に鈍い痛みがじわりと浸透してきていた。 或いは一時でも安心する時間を貰ったからなのかもしれないけど、少し辛いのには変わりなく、あたしはより深く椅子に身を委ねた。 長い溜息が漏れ、それを疲労と察してくれたのか、芳野さんが救急箱から鎮痛剤を渡してくれた。 ありがとうと会釈を返しつつ、錠剤を飲み込む。水がないので緩やかにしか喉を通らなかったが、 体が一生懸命奥へ運ぼうとしているところからは、あたしもまだまだ生きているのだなと実感する。 生きていたい、という言葉に置き換えてもいい。こんなに辛いのに、苦しいのに、命は前にしか行こうとしない。 きっと、あたしはゆめみさんに憧れている。 正確にはゆめみさんの中にある人の意思、理想と言ってもいい。 人のやさしさを詰め込んだ、在るべきひとのかたちに、あたしは惹かれている。 だから妹の死を究明してみようと思ったし、今のあたしをどうにかしたいとも思った。 ゆめみさん自身はただのプログラムを積んだロボットでしかないのかもしれない。 それでも、プログラムを設計したのは人であり、根幹は人の善意を信じて作られたと思わせるようなものが随所にある。 ひとの理想であるからこそ、あたしはそこを目指そうと思ったんだろう。 現実は少しずつしか変わらず、一足飛びに実現できるものではないと分かっていても、いつかは同じ位置に辿り着けると信じて…… 「皆さん、お茶をお持ちしました」 と、そこで憧れの対象であるゆめみさんがトレイに湯飲みを数点乗せて帰ってきた。 どこに行っていたのかと思えば、お茶を淹れてきてくれたというわけだ。 なるほど流石は気の利くロボット……とか思ってたら、 その後ろから「ワシが育てた」とでも言わんばかりに偉そうな表情を浮かべた高槻がやってきた。 そう言えばメイド修行だとかなんだとか言っていたような気がする。 メイド服を着せていないあたりは評価してやってもいいかもしれないけど。 あたしはそこで自分の発想の貧困さに気付き、少し愕然とした。 苦々しい気持ちを打ち消すために、飲んで落ち着こうと思い、お茶を受け取る。 「ありがと……って」 湯飲みを口に運ぼうとしたあたしの手が緊急停止をかけた。芳野さんも湯飲みの中を見て固まっている。 それもそうだ。お茶っ葉がこれ見よがしにぷかぷかと浮いていたのだ。 あたしは即座に池にびっしりと広がるアオコを想像してしまい、げんなりとした気分になった。 茶柱がどうとか、そういうレベルではなかった。適当もいいところに淹れられたお茶は、きっと濃すぎる味に違いなかった。 なまじ家庭科のスキルがあるあたしとしては口を開かずにはいられない状況だった。 「これ、お茶の淹れ方が違うんだけど」 「え?」「何だって?」 既にぐいぐいと中身を飲み干していた高槻がお茶っ葉を口元に張り付かせながら反応し、ゆめみさんも頭を傾げた。 気にしていないところを見ると、間違ったお茶の淹れ方を指図したのはあいつであるらしいと推論したあたしは、ジロリと睨んでやる。 「お湯にそのままお茶の葉を突っ込んだでしょ」 「違うのか」 「あのね……」 あまりの知識のなさに怒る気にもなれず、あたしは閉口するしかなかった。 こいつが妙に知識の偏りがあることは前々から承知の事柄だったが、ここまで適当だとは思わない。 ざっくばらんの一言では括れないフリーダムぶりに、どう返したものかと思っていると、芳野さんが助け舟を出してくれた。 「間違っちゃいない。だけどな、お茶の葉は濾してから淹れるもんだ。葉をそのまんま突っ込むのはどうかと思うぞ」 「マジでか」 「飲めなくはないがな……礼儀としての問題だ」 言いたいことを見事に言ってくれた芳野さんにあたしはただ感服する思いだった。 この人はいい意味で大人だと思う。さっきだって、気配を察して薬をくれたし。 落ち着いているだけじゃない、色々なことで気を配れる芳野さんの姿に、わけもなく心が昂揚するのを感じた。 「あの、淹れたのはわたしです。至らなかったのはわたしにも非があると思います……申し訳ありませんでした」 「いいのよ。どうせ適当に教えられたんでしょ」 いつものように過剰なくらいに詫びるゆめみさんに対して、あたしは苦笑しながら言う。 今回ばかりは返す言葉もないらしい高槻はぐうの音も出ないという感じで、「悪かったな、世間知らずで」と珍しく非を認めていた。 「まあ世間知らずというよりは、単に知識不足なだけな気がするがな」 「うっせ。理系脳なんだよ」 「理系だろうがなんだろうが、簡単なお茶の淹れ方は常識の範疇だと思うが?」 ぐっ、と声を詰まらせる高槻に、あたしは声を押し殺して笑った。 芳野さんも悪意があるわけではないのだろうけど、本能的に突っ込みを入れずにはいられないのだろう。 「常識に囚われてなくて悪かったな」 「ああ。早く現実に戻って来い」 憎まれ口を叩き合う二人は、きっとここじゃなければ悪友と呼べる間柄なのかもしれない。 不意に朋也と陽平の姿が思い出され、感傷が心に広がってゆく。 ああ、あたしはもっと、あんな風景を見ていたかったんだな…… 「あ、あの、お二人とも、ケンカは……」 「大丈夫よ、分かっててやってるから。ケンカにはならない」 「そうでしょうか……?」 「そうよ。あたしには分かるから。それより、今度からはあたしが教えてあげるから、その時はあたしに言ってね」 「……はあ。分かりました」 ゆめみさんの目にはケンカにしか映っていないのであろう二人の言葉の応酬を目にしながら、 あたしはこいつらも好きなんだな、と認識が新たになるのを感じていた。 「わーったよ! 責任取って見回りに行って来る! 覚えてろよ芳野!」 逃げの口上か、それともまだ疲れているあたし達を察したのか、高槻は唐突にそう言うとずかずかと出て行った。 まあきっと前者なんだろうけど。 それを見たゆめみさんが「あ、待ってください!」と慌ててついてゆく。そうしてここにはあたしと芳野さんだけが残される。 高槻がいなくなったことで、今まで抑えていた笑いの衝動を抑えきれなくなり、「バカよねぇ、本当」と言いながらあたしは笑った。 釣られるようにして芳野さんも「近年まれに見るバカだな」と言いつつ微笑していた。 お茶の淹れ方ひとつでここまで盛り上がれるあたし達もバカだった。 * * * 藤林の笑った顔を見るのは、これが初めてかもしれなかった。 今まではずっと緊張を巡らせていて、触れれば壊れてしまうガラス細工のようにしか見えなかったのに。 傷だらけの体。全身あちこちに包帯を巻かれ、歩くことさえままならない彼女の身体は、闊達な言動とは裏腹にひどく華奢に思える。 それだけではない、傷ついた心、もう二度と取り返せなくなった日常に打ちのめされた心であるはずの藤林は、 しかし今は、どこにでもいる少女のようで、俺と同じ位置にいる少女のものとは考えられなかった。 一体何が彼女の心境に変化をもたらしたのかは分からない。ただ言えることは、この集団に身を置くことで変質したものらしいということだ。 俺にしてもそれは同じで、もっと自由に物事を考えてもいいと思えるようになった頭しかり、 変質を受け入れて身を委ねられるようになったある種の余裕しかりだった。 公子さん……俺はきっと、あなたと出会った頃の俺に戻っているのかもしれませんね。 何も知らず、現在を全力で駆け抜けることしか考えていなかった過去の俺が思い出される。 どこまでも真っ直ぐで、挫折や絶望なんて視野にも無く、ただ希望だけを信じられた昔。 大人として最低限の分別を身につけたとはいえ、茫漠とした未来に期待を寄せ、 自らそこへ歩んでゆくという意思を持っているという点では、俺は昔と何ら変わりのない人間だった。 だからだろうか、先程から笑っていたことと合わせて、俺は珍しく雑談の口を開いていた。 「どうする? お茶はまだ大量に残ってるんだが」 藤林は俺の意外な言葉に少し目を丸くしたようだったが、すぐに生来の会話好きな気質を刺激されたのか、すぐに応じてくれた。 「まあ、残すのも悪いですし、飲んじゃいましょう」 「そうだな、冷める前に一気に……お、茶柱だ」 「えっ、本当に?」 これだけお茶っ葉があればひとつくらいはあってもよさそうなもので、俺の湯飲みにもぷかぷかと控えめに浮く一本の茶柱があった。 藤林が興味を持ったのか、体を俺に寄せて覗き込んできた。 不意に女の香り、有り体に言ってしまえば普段彼女が使っているだろうシャンプーの匂いが土臭さを突き破って俺の鼻を刺激する。 あまりにも久しぶりすぎる感覚に、俺は思わず石になってしまった唾を飲み干していた。 言っちゃ悪いが、公子さんとは健全すぎる付き合いしかしてこなかったからな…… いやそもそも結婚前提の前の付き合いという段階で、しかもある事情のお陰で恋愛を楽しむ暇なんてなかったから、 実質俺は恋愛に初心なのと同然なのかもしれなかった。 いや、別に公子さんに恨みを抱いてるわけじゃないんですよ。ただもう少し色々やっておきたかったなというだけで。 俺の言い訳に、仕方ないなぁと苦笑を浮かべた公子さんが、じゃあ思うようにやってみて、と一歩身を引いたのが感じられた。 「あーホントだ。あたし、一つもないんですけど……」 スッと差し出された湯飲みには、確かに茶柱はなかった。言ってしまえば確率でしかないのだが、それほど低そうな確率でもないだけに、 俺は「運が悪いな」、と率直な感想を口に出してしまっていた。 「何それ、勝者の余裕ですか?」 「あ、いや、すまん」 口を尖らせた藤林に咄嗟に謝罪すると、今度は藤林が慌てたような顔になる。 「いや、そんな真っ正直に謝られても」 「今のは俺の口が悪かった」 「あたしだって、別に悪気があったわけじゃ……」 そこで藤林が破顔した。互いに謝りあうということが可笑しかったらしく、「なんで茶柱一本で謝りあってるんだろ」と続けた彼女は、 笑うことで体に痛みが走るのも構わず腹を抱えていた。 こうなるとほしのゆめみが間違えたお茶の淹れ方をしたのも寧ろ正しかったように思え、 そう考えられるのだから人間現金なものだと思ってしまう。ただ、心地良いことだけは疑いようがなかった。 「……ん?」 ふと、視界の隅に人影らしきものが横切った。正確には職員室から見える、さらにその先の廊下の窓から見えたという方が正しい。 高槻かと思ったが、外に出るとは思えず、俺は湯飲みを机に置き、藤林に耳打ちする。 「外に誰かいるぞ。……侵入者かもしれない」 敢えて侵入者という不穏当な言葉を使ったせいなのかもしれなかったが、 藤林の顔が女の子のものから殺し合いを潜り抜けてきた人間の顔になり、身構えるのが分かった。 「ことみ達かもしれませんけど」 「確かに。だが、そうじゃない可能性もある」 「……電話してみます? リダイヤルを使えば」 とりあえず自分が見てこよう、と提案しかけたのを制して藤林が言った。電話するという発想は頭になく、 虚を突かれる思いで俺は藤林を見ていた。なるほど、そういう手もあるのか。 「頼む。俺は一応警戒しておく」 「任せてください」 素直に自分の提案が受け入れられたことが嬉しかったらしく、藤林はほんの少し誇らしげな表情になって電話を取った。 しばらくして、電話が繋がったのか、受話器越しに藤林と誰かが会話を始めた。 「あ、もしもし? 今どこ?」 「え? もう来てる? ああ、ここが見えてるんだ」 「……うん。分かった。それじゃあ迎えをあげる。あたし? 大丈夫、動くと痛いだけだから。死にゃしないわよ」 藤林の声だけ聞いてると、どこにでもある、友達同士での会話のようにしか思えなかった。 まあ、迎えというのは多分俺のことなんだろう。高槻とほしのゆめみは出払ってるしな。 あいつらは気付かなかったんだろうか。……タイミングの問題だと思うことにしよう。 「ということで芳野さん、お願いできますか」 「どこに行けばいい?」 「とりあえず、職員室廊下の窓を開けてもらえば」 「……何故窓を?」 「さぁ? 正面から堂々と入るのはある意味危険だとかなんだとか」 「面倒くさいだけなんじゃないのか」 「……ああ。モノは言い様ですね」 そういう解釈もできるらしいと気付いた藤林は苦笑し、まあいいじゃないですか、と付け加えた。 確かにトラブルがあるよりはずっといい。そもそも、規格外なら高槻とほしのゆめみで慣れている。 なら俺も規格外なのか、と考えて、それでもいいかもしれないと思う自分が可笑しかった。 どうやら俺も毒されてしまっているらしいと結論して、強くなりすぎないように藤林の肩を叩いた。 「行って来る。……また、無駄話にでも付き合ってくれ」 言わなくてもいいはずの言葉を付け加えてしまったのは、吹っ切った部分があるからなのかもしれなかった。 想像外の言葉だったのだろう、面食らった顔になった藤林はしかしすぐに「いいですよ」とだけ言ってくれた。 短すぎるその声は、俺でも照れることなくすんなりと受け入れることが出来た。 * * * 「うん、それじゃまた」 子供っぽい髪飾りの女が携帯を仕舞うのを確認した俺達は、先導されるようにしてついていった。 最初はひどい怪我だと思っていたが、案外平気で行動しているので、大した怪我ではないのかもしれない。 荷物持ちは俺と那須、さっき少しだけ会話したやつを中心に、後は女性陣が少しずつだ。 それにしてもこんだけ大量の荷物を何に使う気なのだろうか。 説明もない以上、俺には想像ができるはずもなく、黙って後をついていくしかないのが現状だった。 こんなことならあいつと自己紹介でもしておくべきだったかと考えたが、今さら後の祭りだ。 それに、俺は話題を作って話し続けられるだけの技量もないしな……精々聞き役に回れるくらいだ。 舞の誘いを断ってから、どうも煮え切らない何かが渦巻いている。 あの状況ではそうするのが妥当だと思えたし、正しいとも頭では理解していたのだが、舞のどこか残念そうな顔が頭から離れない。 普段から無表情なのだから、気のせいだと思うことだって出来たのだが、俺の直感はそうは思ってくれていないらしかった。 なら、俺はどうすれば良かったのか。仮に受け入れていたところで冷やかされ、無言になるのは目に見えていた。 ……いや、なんで無言にならなきゃいけないんだ? 当たり前のようにそう思っていたことに俺自身わけが分からず、あの時の舞の顔をもう一度思い返してみる。 俺に確認を取ってきたときの、いつも通りの真っ直ぐな視線。 ……本当に、いつも通りだったか? 記憶とは曖昧なもので、そのいつも通りさえ思い出せず、俺は何をやってるんだという思いだけが募った。 逆に、どうしてここまで舞のことを考えているのかと自答する。 既に知り合いが悉く死に絶えてしまったからだろうか。霧島姉妹を亡くし、晴子と観鈴を失い、美凪とみちるの死を知ったからか? それならそれで考えるべきことはいくらでもあった。彼女らの最期はどうだったのか。 幸福に逝けたのだろうか。何かを伝えて生き抜くことができたのだろうか。 ここにいる連中にでも、尋ねてみてもよいはずだったのに、そうしようと考えるだけの頭はなかった。 どうでもいい、とは思っていない。ただそれ以上に今のことで頭が一杯だった。 その『今』の象徴が舞であり、それについて思索を巡らせている俺なのかもしれなかった。 ……『今』か。 俺の目標はと言えば、人を笑わせるために生きると言ったはいいものの、肝心の相棒である人形がいないということだった。 そのせいで俺は荷物運びだとかをすることが多くなり、結果的に会話から遠ざかっているのも頷けた。 つまりは人形劇ができないと俺は何もできないということなのだろうか。 人を笑わせることも…… そう考える俺の頭にはやはり舞の姿があって、彼女もまた笑っているのだった。 ……そういえば、俺は舞の笑った顔って、見た事がないような。 想像はしてみたものの、今まで以上に靄がかかっていて、表情の細部まで想像することができていなかった。 泣き笑い、微笑、苦笑という、別の感情が入り混じった笑いなら見てきたが、喜び一色の笑いは見た事がなく、俺はひとつの納得を得ていた。 そうか。俺は、舞の本当に笑った顔が見てみたいのかもしれない…… 全ての疑問が解消される答えを見つけた瞬間、同時に舞に惹かれているのかもしれないとも自覚し、俺も男か、という思いが実を結んだ。 決心を固めてから、最初に人形劇を見せたから、というのも理由のひとつではあるのかもしれない。 徐々に寄せられる信頼に応えたいという気持ちもあるのだろう。 一緒に死地を潜り抜けてきたという連帯感だってあるはずだった。 惹かれているという表現はそれらが一緒くたになったものであり、川澄舞という女の子に対する総括なのだろうと思える。 好き、だとかそういうものには少し遠いのかもしれない。 それでも今まで共に生きてきたという経験を通して、もっと繋がりを深めたいという思いは事実だった。 「こっちだ」 ふと聞き覚えのある声が俺の耳に止まり、奇妙な懐かしさが込み上げる。 「久しぶりだな」 「そっちこそ、元気で何よりだ」 声を返してやると、全員がこちらに寄ってくる気配があった。 子供っぽい髪飾りの女が挨拶するように手を上げると、半日ぶりに会った芳野が会釈で応じた。 「とりあえず、荷物からだな。こっちに渡してくれ」 芳野の指示に即応して、一人ずつが順番に荷物を渡してゆく。中には重たい荷物もあったので、それは俺と那須で協力して持ち上げる。 「さっき話してたけど、知り合いかよ?」 「多少話した仲だ」 那須はふうん、と頷き、荷物の大半が校舎の中に入ったのを確認すると、金髪の女に向き直る。 「外で待ってる奴らを連れてくる。先に入ってていいぞ」 他の連中が頷いて三々五々窓から侵入してゆくのを尻目に、俺と那須は仲間の待っているところまで歩き出す。 舞と古河は遅れているようだったが、もう着いているだろうか。 「……ひょっとして、ここには今の生き残り全員が集まってるのかな」 行きすがら、那須がぽつりと漏らした声に「ひょっとしなくても、全員集まってるだろう」と返す。 「どうして? まだ不確定組はいる」 「……最後の一人は、以前会ったことがあるんだ。名簿では高槻、って奴だったか」 会ったのが一日目のことだから、もう随分と前になる。あの時は俺と一緒に罠にハマって往生してたっけな。 散々間抜け面を晒していたが、一応悪い奴ではなさそうだった……気がする。 だが、単に小悪党ならとっくの昔に死んでいてもおかしくない。よほどの狡猾ぶりとも思えなかったし、 恐らくはあの調子のまんま殺し合いに乗ることもなく生き延びてきたんだろう。 そういやポテトが随分懐いているようだったが、あいつは今どうしてるんだろうか。 「なるほど。国崎さんと話してた人も含めて、これで完全に敵はいなくなったってわけだ」 「どうだかな……油断はしない方がいいんじゃないのか」 ここに集まった連中を疑うわけではないが、簡潔に過ぎる主催組の動きが気になる。 もう殺し合いを続ける気がない連中ばかりだと知ったら何をするか分かったものではない。 そういう俺の意識を敏感に感じ取ったのか、那須は「それもそうか」と短く返事した。 まだ正体不明もいいところの殺し合いの管理者。 俺達の目的は脱出で、出会わないに越したことはないのだが、どうしても障害になる可能性は高かった。 しばらく歩いて、正門前まで辿り着いたとき、俺達は一組の男女が睨み合っているのを目撃した。 一人はまーりゃん。そしてもう一人は……今しがた話題にしていた男だった。 * * * 旅の恥はかき捨て、というが、これからも行動を共にしなきゃならん俺にとっては恥は投げ捨てるもの、というわけにはいかなくなった。 そうだ旅に行こう。イスラエルの若者は兵役につく前の一年間旅に出るというじゃありませんか。 ところがどっこい俺が旅に出るためにはまず島を脱出せねばならんわけで。 結局のところ俺は名誉挽回という言葉に縋らねばならず、せめてもの見栄にとニヒルにフッと溜息をつくしかなかった。 「あの、高槻さん」 遠慮がちにちょこちょことカルガモの子供みたいについてきていたゆめみさんがこれまた遠慮がちに声をかけてくる。 そういや、なんでこいつもついてくるんだろう? 恥をかいたのはお茶の誤った淹れ方を教えた俺であり、別に俺みたくすごすごと退散する必要はなかったのに。 「申し訳ありません、わたしが知識不足なばかりに」 「いいんだよ、元はと言えば俺がアホだったせいだ」 普段ならささくれたっているはずの気持ちは不思議と穏やかで、自然にゆめみをフォローする言葉が出ていた。 ゆめみが俺に毒されているのと同様、俺もゆめみの能天気に毒されているのかもしれなかった。 ったく、なんで俺は変なのにばかり好かれるんだろうな。 ロボットに地球外毛玉生命体に…… 「ぴこー」 そんな俺の目の前に噂をすればの地球外毛玉生命体がやってきた。 俺はいつものようにポテトを肩に乗せると「お喋りは終わったのか」と尋ねていた。 言葉が理解できるはずもないのに、と思いながらも。 「ぴっこり」 ……まあ、古代の生命体と地球外の生命体同士気があったのだろう。 そう思うことにする。 「ゆめみもいつまでも離れてないで、こっちに来い」 「あ、はい」 少し躊躇するような素振りを見せたが、とことこと意外に可愛らしい動作で俺の横に並ぶ。 いつもの陣形の完成だった。この一人と一匹と一体になるのも久しぶりな気がする。 なんだかんだでこいつらとの付き合いも長くなったもんだ。ポテトはここに来て以来の相棒だし、ゆめみも寺以来の付き合いだ。 よく映画や小説では人間と地球外生命体やロボットとは折りが悪くなって争ってたりしてるが、 現実は案外そうでもないのかもしれないって思えてくるわな。 少なくとも、種族からして違うこの一人と一匹と一体がトリオ漫才を繰り広げている時点で、俺はそう思う。 縁は異なもの、とはよく言ったもんだ。 しかし俺の人間受けが悪いのはどうしたもんかねえ。しょうがない部分はあるんだが、そろそろ素敵な出会いのひとつでも欲しいもんだ。 てめーには無理だ天パ、という風な視線がポテトから向けられたような気がした。 「ぴ、ぴこぴこっ」 ギクリと身を硬直させ、ポテトが必死に頭を振る。 「ほう、久々にいい度胸しているようだな」 ここまで来てあんまりひどいことをするのも躊躇われたので、俺はソフトなお仕置きを実行してやることにする。 ポテトをむんずと掴むと、ボーリングの容量でポテトを廊下の彼方へと転がしてやった。 「ぴこ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜………………」 妙なエコーを響かせながら転がってゆくポテトに「決まったな」と言ってみる。 「あの……」 「ロスではよくあることだ」 「はぁ、そうなのですか」 きっとゆめみの中では新しい知識として『ロスの住民は毛玉犬でボーリングするのが日常』という事項が追加されているのだろう。 疑うことを知らないのはロボットの特性であり、欠点と同時に人間が決して持ち得ない美点でもあった。 人が嘘をつけない種族なのだとしたら、きっとロボットは生まれなかったに違いない。 そんな感想を抱きながら、ふと窓の外に目を移したときだった。 思わず絶句してしまう光景があった。 髪をサイドでまとめた変わったポニーテール、小学生と言っても差し支えない体型。 忘れるわけもない、憎いあんちくしょうが俺の目の前を横切っていきやがった。 事実を飲み込んだ頭はすぐに白熱し、俺は武器を装備するのも忘れて外へと続くドアを押し開けていた。 「高槻さん!?」 ゆめみの叫ぶ声が聞こえたが、気の利いた冗談を返せる余裕はなかった。 あいつら……河野貴明、観月マナ、久寿川ささらに対して義理立てしているわけじゃない。 正義感で行動できるほど人ができていないのは自分でも先刻承知だ。 ただ、そいつらを犠牲にしてまで生き延びてのうのうとしている根性が許せないだけだ。 守りたいと言っておきながら責任を取るそぶりも見せず我が物顔でのさばっているあの女からは、俺の匂いがするんだよ。 ……ああ。なんだ、つまり、自己嫌悪か。これも結局は自分のためでしかない。 俺でも汚点というものを、清算したいのかもしれなかった。 次第に腹の底が冷えてゆくのを感じながら、俺の存在に気付きもしていない連中に対して大口を切った。 「見つけたぞ……まーりゃんとやら!」 そういや、こいつと遭遇したのもここだったんだよな。は、奇特な縁というやつのようで。 いきなり現れた俺に対する驚愕と、出し抜けに自分の名前を呼ばれたことに戸惑いを隠せない様子でまーりゃんが振り向いたが、 次第にその顔が平静なものへと変わってゆくのが分かった。来るべきときが来たとでも言うように。 俺はそんなまーりゃんがますます憎らしく感じ、冷えが全身へと伝播してゆくのを自覚していた。 「まだ生きてたとはな。どうだ、今の気分は」 河野と久寿川のことを言ったつもりだった。引き合いに出す自分に一瞬嫌気が差したが、憎らしく思う気持ちが先立っていた。 どんな取り繕いの言葉にも対応できるように、俺は罵倒する言葉を引き出しからいくつも用意する。 「……分かってる。あたしをやっつけに来たんでしょ? そりゃ、あたしがあんたの相棒だったさーりゃんとか、たかりゃんとかを間接的に殺したも同然だもんな。 許せないのは分かってる。どうしてくれてもいいよ。いつか、こういう時が来るのは分かってたから、さ」 「な……」 開いた口が塞がらない。あれだけ殺しに回っていた人間が今は自分の非を認め、罪を受け入れようとしている。 あまりに変心ぶりに準備していたはずの言葉が抜け落ち、変わってそんなことをしようとしていた自分に対する羞恥が沸き上がり、 俺は何をしているんだという冷めた思考と、ならどうしてあのときに心変わりしなかったんだという疑問とがない交ぜとなって、 わけの分からない感情が渦を巻き始めたのが分かった。 俺と同様、責任を取ろうとしている女に、自己嫌悪をぶつける大義名分を失ったからなのかもしれなかった。 惑わされるな、という俺の意地、落とし前をつけようとする男としての心理が声を上げる一方、 正体不明の別の感情はやめろと言っているように思え、俺は交差する短い感覚の中で、うるさいと声を大にした。 感情だけでなく、体の自由も制御できなくなった俺は走るやいなや、まーりゃんの胸倉を掴みあげていた。 「てめぇ、そんなことで落とし前がつけられると思ってんのか……! 何をしてきたか分かってモノを言ってるのか、ああ!?」 宙に浮いたまーりゃんは苦悶の表情を浮かべる一方、制御できなくなった俺を真正面から見据えるようにして、 もう隠す必要もお為ごかしの言葉もいらないというように搾り出す。 「分かってる……何人も殺してきたよ。最初からこうしていれば死ぬ必要もない人たちばかりだった。 取り返しのつかないことをしたってことも、あたしがこうしてることであの人たちの死が無駄になってしまったのも分かってる」 「だったらお前は何をしてるんだよ! こうしてのほほんとしやがって、何様のつもりだっ!」 言葉を重ねるたびに俺自身言えることなのかと疑問が突き上げたが、面子を立たせなければならない、 決着をつけねばならないと頑なになっている俺の意識は岩のように硬くなって動かず、 資格はないはずだと分かっているのに止めることが出来ずにいた。 自分の正しさを証明することでしか生き様を見せられないという男という生き物が、ひどく無様に見えた。 「だから、生きたいって思った。逃げちゃダメなんだって、誤魔化してちゃダメなんだって分かったから、 正直に事実を全部受け止めて、どんな償いでもする。一生奉仕しろというなら、そうするよ。 でも、あたしは絶対に死ねない。死にたくないんだ」 逃げない、誤魔化さないという言葉が突き刺さり、そこにいるのが敵ではなく、俺と同じ種類の人間に変わったことを告げ、 決定的な敗北感が炸裂した。もうこの女には、男のちっぽけな論理なんて通じるわけがない。 なら、俺のこの自己嫌悪はどこに行き渡らせればいい? クソったれた俺の残りカスはどうすればいいんだ? 既に清算を終えてしまったまーりゃんと、未だに清算できず、抱えてしまったままの俺。 正しさを証明できなくなって、俺はどうすればいいんだ? そんな俺が辿り着いた結論は、暴力を振るうという情けない男にピッタリの帰結だった。 論理で勝てないなら、力で勝てばいいという単純でクソ喰らえな思考。 今の俺が吐き気がするほど嫌いであるはずのそれが、今は最善の手段に思えてしまった。 手を振り上げ、拳に力を込めた瞬間、がしっと掴むものがあった。 「ダメです!」 パンク寸前の俺の頭を弾けさせたのはゆめみの腕だった。 その瞬間にはまーりゃん以外見えなかった視界が明瞭になり、俺達の近くにはゆめみやまーりゃんだけではなく、見知らぬ連中も何人かいた。 恐らくはまーりゃんの仲間なのだろうと理解した瞬間、ふっと体の力が抜けた。 それは俺が郁乃の遺体に対して「利用した」と告白してもなお着いて行くと言ってくれたゆめみの姿に重なったからなのかもしれなかった。 やり直して、自分の悪さを愚直なまでに認めて、それでも付き従ってくれる仲間がいる。 そんな奴を一方的に殴れる理由がどこにある? がっくりと膝を折る俺の硬くなった拳をほどいてくれるゆめみの指が、あまりにもやさしく思えて、俺は泣きたくなった。 「ぴこ」 最後にポテトが俺の肩を叩いた。もういい。そう言ってくれているように思え、俺はここでようやく強張った顔が崩れてゆくのが分かった。 ほんの数分前まであったはずの憎らしい思いが霧散し、あれほどぶつけたがっていた自己嫌悪もなりを潜めてくれたようだった。 まだ清算できないというのが、ある意味では俺らしいのかもしれない。 苦笑が浮かび、俺は少ししわがれた声で「すまなかった」と口にしていた。 見れば向こうもいっぱいいっぱいだったらしいまーりゃんも仲間に支えられていて、「殴ってもいいよ」と言っていた。 「あたしだって、けじめをつけたいし、さ」 あんたもそうだろ、と告げる瞳が俺に向けられ、その通りだ、と正直に頷いておいた。 殴ったところで俺は何も清算できないし、付き合わされるまーりゃんだって痛いだけだろう。 それでもつけなければならないけじめというものは存在する。まーりゃんが分かって言っていることは理解できた。 これは俺の約束ではなく、殴ってくれと言っていた河野の約束だった。 幾分かほとぼりの冷めた顔になったのを自覚して、俺はまだ握っているゆめみに「大丈夫だ」と伝えた。 「はい。信じます」 微笑を浮かべたゆめみに今の心の機微を見抜かれたような気がして少し悔しく感じてしまったのか、 あえてゆめみの助けも借りずに立ち上がった。まーりゃんも仲間と一言二言交し合って、俺の前に立った。 「悪いが、思いっきりいかせてもらう」 「どうぞどうぞ。……あーでも、歯は折らないで欲しいかな? 乙女の命だし?」 ふざけろ、と笑って、俺はまーりゃんの横っ面を思いっきり殴ったさ。 少しだけ清々としたのは、中々面白い具合の表情をしてノックダウンしたまーりゃんが可笑しかったからなのかもしれなかった。 * * * 鋭い男の声を聞いた私は、すぐに伊吹に声をかけて現場へと急行した。無論、武器は持って。 各々で周囲を警戒しよう、ということにしたのが仇になったかと舌打ちする。 これ以上私の前で死なせてたまるか。うーへいや美凪の姿がまーりゃんに重なり、私の中の強い意思を呼び覚ます。 現場は近く、まーりゃんはすぐに見つかった。 見れば、まーりゃんの胸倉を男の腕が掴んでおり、その後ろではメイドロボらしいのと犬っぽいのが黙って見守っていた。 なぜ止めない、と心中に憤りつつまずは伊吹と一緒に二人を止めようと走り出そうとすると、「待ってください」と静止の声がかかった。 後ろに控えていたメイドロボのものだった。既に目前に回りこんでいた彼女は、遮るように両手を広げる。 男は血が上っているのか、今もまーりゃんに激しい言葉を浴びせており、今にも傷つけかねない勢いだった。 こちらの存在にすら気付いていない。なぜ邪魔をすると目を細めて凄んでみたが、メイドロボは一歩も引かない様子だった。 「いま少しだけ待っていただけませんか。万が一になりそうなら、わたしが止めます。ですが、今止めると仰るのならこちらも退きません」 「どういうことか知ってるんですか」 伊吹が前に出て問い質す。メイドロボはちらりと周囲を確認しつつ「あの人の……高槻さんの、敵です」と言った。 「話に聞いただけですが、わたしの、引いては高槻さんの仲間だった方が、あの女の方に殺されました」 私と伊吹が絶句する。だとしたら、こいつらにとってまーりゃんは仇敵ということか? 復讐という言葉が頭を掠め、なら尚更止めるべきだという思いが持ち上がり、私は一歩踏み出そうとした。 「やめろ。ここは俺達が口出ししていいところじゃない」 その声と共に私の肩が掴まれた。振り向くと、そこにはいつの間に戻ってきたのか那須と国崎の姿があった。 振りほどこうとしてみたが、那須の腕力は強く、私が解けるものではなかった。「やめるんだ」と国崎の声が重ねられる。 「人にはな、どうしてもけじめをつけなきゃならない時があるんだ。まーりゃんは、今がその時なんだ」 「だが……!」 「水瀬名雪とけじめをつけたお前になら、分かるだろ?」 その名前を持ち出した那須に体の動きが止まり、抵抗する力が抜けてゆくのが分かった。 よく見れば、まーりゃんは何ら抵抗することなく、男の言葉を受け止め続けている。決して、目を逸らすことなく。 名雪と決着をつけ、渚と一緒に自分の気持ちを再確認したときの情景がそこに重なり、 私はとんでもないことをしようとしていたのではないかという恐れが浮かび上がった。 そこで水を差されてしまえば、私だって自分を許せなくなってしまう―― 落ち着きを取り戻した私の心を感じ取ったのか、那須がゆっくりと私を掴んでいた腕を解く。 「あんた、高槻の連れだな」 国崎がメイドロボに問うと、彼女は首肯した。 「知り合いですか?」 「そんなところだ」 伊吹の質問に国崎は頷いた。 後からやってきたはずの那須と国崎が妙に物分りがよかったのは国崎が男……高槻を知っていたかららしい。 既にメイドロボは二人の様子をじっと窺っていて、一瞬たりとも見逃さないという風情だった。 もう私にできることはないという確信が浮かび、けじめという言葉の中身を反芻するしかなかった。 少しはまーりゃんのことについては分かっていたつもりだったが、全然そうではなかった。 彼女について思い出せるのは騒いでいる姿ばかりで、何をしてきたかについては殆ど知らない。 隠していた、とは思わなかった。本当に隠しているなら国崎や那須だって知らなかっただろう。 まーりゃんはただ、自分の思うように振る舞っていただけなんだ。 だから自分自身のことは自分だけで決着をつけるべく、最低限以外の人には喋らなかった。 人とはそういうものなのかもしれない、と私は奇妙な納得を得ていた。 私にしろ、渚にしろ、美凪にしろ、本当に大切なことに終止符を打つためには自分で考え、自分の意思のみで答えを導き出そうとする。 そうしなければ誰かに甘えることを覚え、ずるずると引き摺ってゆくのが分かっているから…… 人の在り様がそうだとすれば、私は『みんな』の中に入ってゆけたということなのだろうか。 言葉だけの『るー』の誇りでもない、形だけの思想や目的に動かされるということでもない、意思を持ったひとつの命として。 沈思していた私の意識を揺り戻したのは、メイドロボの叫んだ声だった。 殴りかかろうとしていたらしい高槻の腕を、しっかりと押さえているメイドロボの姿があった。 私を止めた那須と、全く同じように。 どうやらそれで高槻は私達の姿に気付いたらしく、がっくりと膝を折って項垂れていた。 まーりゃんもそれまで気張っていた糸が切れたのか、ふらりとよろめいたところを伊吹と国崎が支えていた。 へへへ、としわがれた声を出すまーりゃんの顔は、少しだけ辛酸を乗り越えた表情になっていたが、 まだ終わったと安堵している顔ではなかった。 私が渚に名前で呼ぶと確約したように、まーりゃんもこのまま締めるつもりはないのだろうと予感した。 数分後、まーりゃんは高槻のパンチを受けて盛大にノックダウンしていた。 妙に晴れやかな様子だったのが、かえって可笑しかった。 * * * いたた。あんちくしょー、思いっきり殴りおって。 じんじんするほっぺたをさすりつつ、あたし達は学校の職員室へと向かっていましたとさ。 それにしても殺されるかと思ったね。胸が縮んじゃうかと思ったぞ。もう縮む胸なんてないけどね! あっはっは。 「笑えるかーっ!」 セルフ突っ込みを大声で叫んでしまったがために周囲の人達がぎょっとしてあたしを向く。 特に高槻っちはジロリと睨む目を寄越しおったが、すぐに目を逸らした。気に入らないんだろーね。 そりゃ、さーりゃんやたかりゃんがあれほど大事だって言ってたのに、今こうしてるんじゃね。 あたしが夢で見たことを言ったって納得できることじゃないだろうし。 でも、別にいいんだ。あいつはあたしを殺さなかった。生きてる。だからそれでいい。 後はちょっとずつ進んでけばいいんだ。生きてれば、きっとまだやりようがあるはずだよ、ね? これまで逃げっぱなしで誤魔化しの連続でしかなかったあたしの人生。 自分の居場所は学校にしかないんだって諦めてて、醜くしがみつくことしか出来なかったあたしの人生。 でも皮肉なことに、間違ったことをして、『あたしの学校』から追い出される羽目になって、初めて色々なことを考えることができた。 あたしを殺さなかった高槻っちがいるように、あたしが生きることにただ黙って頷いてくれた往人ちんやまいまいがいるように、 世界は厳しくても、案外見捨てはしないってこと。 その気さえあれば、白紙には戻せなくてもページの続きを埋めることはできるんだってこと…… ただ、あたしはまだまだ一人でしかない。往人ちんに寄り添うまいまいしかり、バカップルななぎそーいちしかり。 やさしさを分けてもらったように、やさしさを返してあげられる相手がいない。まだ、伝えるどころか見つけることだってできてない。 多分、あたしは怖いんだろうな。一度間違ったからそんな資格はないのかもってどっかで思ってて、 昔みたいにバカやって、とりあえず取り繕うくらいのことしかやれていない。 のほほんとして、何様のつもりだ、って感じなんだよね。まじでまじで。 臆病だな、あたしはさ…… 「おい、本当に大丈夫なのか」 むつかしい顔でもしてたんだろね。隣からるーの字が心配そうに声をかけてくれましたよ。 どーやら一番後ろの方を歩いているみたいで。前では往人ちんを中心に高槻っちが軽口を叩いてたり、 宗一っつぁんが横から口出してたり、チビ助が色々聞いてたりしてたね。 そーいやチビ助にはお兄さんがいるそうで。ここにいるみたいだし、安否が気になってるんだろうな。 きれーなメイドロボさんは黙ってそいつらの話を聞いてる。このコが高槻っちを止めたんだよね。 今から思えばうっそまじ、って感じの可愛いメイドロボさんだ。いいなー、あたしもこれくらいスタイルよけりゃーなー。 まあおっぱいはそれほど大きくもないし? 別に嫉妬しないけど。これでおっぱいが大きかったら噛み付いてたね。 相手がメイドロボだって話は聞かない、聞こえない、聞き流す! 「モーマンタイ!」 「ならいいが」 「あ、突っ込みナシっすか」 「それだけ軽口が叩けるなら大丈夫だろう? それでこそ、お前だよ」 「むむ」 励まされた。それに、取り繕っているだけのはずなのに、それでもいいと認めてくれてるやさしさが切ない。 どうしてみんな、こんなに自然にやさしくなれるんだろ。あたしは、一番身近な人にだってやさしくなれなかったのに…… 「ところで、結局渚と川澄は見なかったが」 「そういやそうだね。……まーいいんじゃない? まいまいがいりゃ何とかなるっしょ」 「それは分かってるが……場所、分かるだろうか?」 誰かが残った方がいいんじゃないか、と言下に告げるるーの字だけど、あいつらだって迷子になるような方向音痴でもなし。 るーの字は案外心配性なんだな。口調はぶっきらぼうだけどさ。 「あれだよ、ちょっと往人ちんと会わせたくないじゃんよ」 「あー……そうだな。どうせ会わせるならゆっくりと話させてやる機会を設けた方がいいだろうな」 「おっ、分かってるじゃないの」 「馬鹿にするな。これでも私だって、恋のひとつやふたつは……いや、ひとつはある」 なぬ? あまりの驚愕の事実にあたしは声にならない声でなんだってー! あ、あたしはこのトウヘンボク朴念仁みたいな外人に負けていたというのかっ! クソックソッ美人さんめ! これでおっぱいが大きかったらちゅーちゅーしていたぞっ! 「もっとも、失恋だけどな」 そう続けたるーの字の背中を、あたしはぽんぽんと叩いてやった。 苦笑するのがあまりに女らしかった。いい女だ。誰だこんないい子を振ったのは。出て来い成敗してやろうぞ。 はぁ、それにしてもなんと砂糖の多い時代であろうか。こんな殺伐としたところで恋愛なんて。 お決まりの吊橋効果っていやあそーなんだろーけど、それにしたってあちきは寂しくなるわけですよ。 なんつーか、あたしは半端者の偏屈者だったかんね。学校にしか居場所を見出せなかった女だし。 学校じゃあ権力振りかざして色々やれたから。今にして思えば、楽しくしようと思う反面、 自分だけの世界にして人が従ってきたのを楽しんでた優越感ってのも確かにあった。 人より上に立ってる。あたしがいなくちゃ成り立たない。誰かに必要とされたいって、そんな幻想を欲望に変えて…… 今でも、そうなんだろうけど。 「まーそれはそれとしてだ。あちきとしてはドキッ! ゆき×まいラヴラヴ大作戦☆のひとつでも立案したいところなのさ」 「お前のネーミングセンスはともかくとしてだ。中途半端なままでこの先まで進めたくない、というのでは私も同じだ」 お節介だろうけどな、と続けたるーの字には、恋愛先達者としての余裕があるような気がした。 なんとなく悔しい気分を味わいながら、あたしたちはどうすれば二人っきりで話し続けられる機会ができるか話し合った。 のうのうとこんな事にうつつをぬかしてられるあたしは、やっぱ馬鹿なのかもしれない。 でも、俯いてばかりよりは……ほんの少しだけマシな気がした。 * * * 伊吹風子です。ここ最近まーりゃんさんに弄られっぱなしで風子の体は汚されっぱなしです。 もうお嫁に行けないと嘆いていたところに吉報が飛び込んできました。 なんと、祐介さんがここにいるそうです。国崎さんからの情報です。 おねぇちゃんの婚約者のひとです。風子のお見舞いに何度も来てくれてたりしてました。 当時風子はシャイだったのであまり話しませんでしたが、おねぇちゃんが選んだ人です。悪い人じゃないはずです。 今の風子にとってはたった一人の家族です。だから、いっぱいいっぱい話し合って、今の風子を余すところなく伝えるつもりです。 それで約束するんです。 全部が終わったら、二人でおねぇちゃんのお墓参りに行きましょう、って。 実は皆さんには内緒の話なのですが、風子にはこれから先の人生設計図があるのです! まずここから出たら一生懸命勉強します。 大学に入ります。 びゅーてふるなキャンパスライフの後に教職員の免許を取ります。 学校の先生になります。 もちろん教科は、美術です。 志望としては小学校か中学校がいいです。 理由は、まあそうですね、高校生に風子の大人の魅力にメロメロになってイケナイ道を歩まぬようにさせるためです。 きっと将来はぼんきゅっぼんのナイスバディになっているでしょうし。 なかなか完璧な人生設計だとは思いませんか? 教科は美術といっても絵画とかではなく彫刻専門という手もありますし、 このリアルなヒトデを彫る技術を習得済みの風子なら案外美術大学にすんなりと入れるかもしれませんし。 もちろん、教職員になるために猛烈な勉強をする必要がありますが。 ですがこれはおねぇちゃんも通った道! 姉にできて風子にできないはずはありません! その気さえあればいくらだって勉強できるだけの時間はありますし、祐介さんだって応援してくれるでしょう。 しばらくは祐介さんに御厄介になりそうですが、出世払いということで許してもらいましょう。 おっと。そうこうしているうちに職員室までついてしまったようです。 国崎さん曰くもうここには渚さんと川澄さん以外の人全員が集まってるらしいです。 すごいです、大集合ですね。 三人寄れば文殊の知恵という言葉がありますから、今は大体ダイアモンドくらいの輝きの知恵になっていることでしょう。 風子も人生設計モードから真面目モードに切り替えましょう。 あ、いえ、いつだって風子は本気の真面目ですけど。 * * * 「ことみっ! なにやってんのよ、この天然っ!」 「きょ、杏ちゃんだって似たような状態なの」 私の姿を確認するやいなや、杏ちゃんは目を見開き、怒りと心配の両方を含んだまま抱きついてきた。 抱きしめる力が強くって結構痛かったけど、それ以上に私の身を案じてくれてることが心地良く、また申し訳ない気持ちにもなる。 当然かも。久々に会ったと思ったら、大怪我しての再会なんだから。 「全く、もう……あんたはいつもいつも心配させて……無茶しないでよね」 「生きてるから、問題ないの」 「あんたは……」 呆れたように苦笑して、杏ちゃんは私の頭をぽんぽんと叩いてくれた。 生きて、それなりに体が動かせるなら何だってできる。 杏ちゃんもそれを理解してくれているのか、必要以上に私のことを心配することもなかった。 向こうも向こうで、私と離れていた間にまた少し変わったなにかがあるのだと思う。 どこか楚々とした芳野さんの顔もそうだし、凛々しさを増した杏ちゃんだってそう。 私だって自分の進むべき道を見出し、やるべきことではなくやりたいことを見つけ、そのために一歩を踏み出せる程度の勇気を手に入れた。 払った代償は大きく、私の中にも大きな傷を作ってしまったけど、言い換えれば一生忘れられないものを刻んだとも解釈することができる。 曖昧で、何に支えてもらっているのか、何を支えているのかも分からない宙ぶらりんよりはその方がいい。 聖先生だって、自分の人生は腐ってるって言ってたけど、本当はやりたいことだっていっぱいあることを分かってたはず。 資格を失ったっていってたけど、そんなことはないって言ってもらいたかっただけなんだと思う。 だから、私が引き継ぐ。霧島聖の弟子として。 私の『やりたいこと』には、聖先生の『やりたかったこと』も含まれているんだから。 無理なんてしてないの。だから笑って、ね? 先生…… 「うん、私は大丈夫。聖先生から、パワーを貰ったから」 「……そうなんだ」 深くは何も言わず、杏ちゃんはただ私を肯定してくれた。 この懐の広さ。ある意味では無責任さと表裏一体になったやさしさがあるから、人は依存せずに人と付き合ってゆけるのだと思う。 「一ノ瀬」 会話が終わったのを見計らったようにして芳野さんが呼びかける。「はいな」と応じて、私は一旦杏ちゃんの元を離れる。 一瞥すると、杏ちゃんは笑って私を見送ると、暇そうにしていた浩之くんと瑠璃ちゃんへと寄っていった。 闊達な杏ちゃんのこと、きっと挨拶と自己紹介を済ませておくつもりなのだろう。 私が来るのに合わせてリサさんも合流する。私達の間にある匂いを敏感に感じ取ったのかもしれない。 リサさんに聞かれて支障のある話ではないし、そろそろ聞かせても構わないはず。カードをいつまでも取っておいても仕方がない。 芳野さんもちらりと横目でリサさんを見たが、私が無言でいると意図を理解したのか、そのまま話を始めた。 「こちら側は指定されたものは全部揃えた。そちらは?」 「こっちも全部集めたの。……これで下ごしらえはできたかな」 「何の料理かしら?」 「とびっきりのスパイスを利かせた、激辛大爆発料理」 鋭いリサさんのこと、それだけで私達の計画を悟ったようで、ニヤと口元を歪める。 私も笑い返すと、「材料はいまどこにあるの?」と重ねた。 「体育倉庫に保管してある。……この分だと、全員集めた後に話したほうがいいかもしれんな」 「少なくとも、宗一は混ぜて欲しいところね」 「高槻……俺の仲間だが、あいつもな。一応科学者だし、頭も切れる。言動に少々問題があるが」 「マッドサイエンティスト?」 「当たらずも遠からずだ。役に立つのは間違いないところなんだが」 嘆息を含ませながら言う芳野さん。そんな人がいるんだ…… 半ば冗談で言ったつもりなのに。マッドドクターだった先生といい、世の中には不思議がいっぱいなの。 「ことみも是非参加して欲しい、というか、人材不足のこの状況じゃ参加してもらわなきゃ困るけど…… いいかしら? 友達とかと積もる話もあるだろうけど」 「うん。まあ、ちゃちゃっと済ませればいいだけだし」 本当は杏ちゃんとかといっぱいお話したかったけど、今はそれより大事なことがある。 杏ちゃんだって、私が仕事を投げ出すのをよしとしないだろうし。それに時間なら、まだたくさんあるから。 「頼もしい言葉ね」 「リーダーシップは大人の方々にお任せなの」 「頼むぞリーダー」 会って間もないはずのリサさんにさらりと押し付ける芳野さん。意外と図々しい。 予想外の無茶振りだったのか、リサさんは「あなた、いい根性ね」とにこやかな……聖先生の浮かべる笑いの形にしていた。 怯むことのない芳野さんは「世の中は男女平等だ。なら実力のある奴に任せるまでだ」と軽やかに受け流す。 ……本当に図々しい。こんな人だったっけ? 都合のいいことを、と呆れ果てていたリサさんだったが、結局断ることをしなかった。 ひょっとしたら最初からその気で、芳野さんで遊びたかっただけなのかもしれないと、 車の中で交わした会話を思い返して、私はどっちもどっちだと苦笑した。 ふと耳をすますと、扉の向こう側から声が聞こえてくる。どうやら外で待機していた人たちを連れて戻ってきたらしい。 さて、ここにどれだけの人数が揃うのかな。 * * * 「ということで、藤林杏です、よろしく」 藤林、という名字の響きに、ウチは心臓が凍りつきそうになった。多分、顔も硬直してたと思う。 すぐに反応できへんかったウチに代わって、浩之が先に名乗りをあげてくれたのが嬉しかった。 「で、こっちが姫百合瑠璃だ」 言った瞬間に、ちらりと浩之が目配せする。せやけど、ウチは何も応えられへんかった。 きっとその時には、ウチ自身も言わなきゃあかんいうことは直感的に理解してたんやと思う。 あなたの妹を殺したのはウチです、って。 目の前の藤林さん……杏さんは、真っ直ぐで、少し大人びた微笑を浮かべてる。 きっと『この中の誰かが自分の妹を殺した』て疑ってるんやないんやと当たり前のように信じることができて、やからこそ言い出せへんかった。 あまりにも真摯でありすぎる目の前の人に対して、ウチは後ろめたいものが多すぎたから…… 敵討ち、無念を晴らす。そんな綺麗な言葉で語れるほど殺人は正当化できるもんやないし、復讐や恨みという言葉で塗り潰すのともまた違う。 ただ、どうしようもなくって、どうしようもなかった。 それをはっきりと伝えられる自信がなくって、今はただ事実しか告げることしか出来ひんような気がして、口が開かんかった。 「いや、あっちのゴツイのとは大違いだな。あっちは自己紹介は後回しにしやがってさ」 「ああ……そうなんだ。なんかおっかないって思ってたけど」 「怖いっつーより、合理的って感じの人だったな。言い方がストレート過ぎてちょっとだけムッと来たけどさ」 「あはは。その点あたしは合格ってところかな……いつつ」 笑った拍子にどこか傷が痛んだのか、杏さんが笑いに苦痛を滲ませてよろける。 ウチが咄嗟に支えると「ありがと」という素直な言葉が耳に入って、またウチの心を揺らした。 「……ひどい怪我。大丈夫なん?」 「まあ生きてるわよ。ひどいって言うなら、ことみなんてもっとひどいわよ」 杏さんが一ノ瀬さんを指差す。確かに、全身を包帯で巻きながら大人組と何事かを話している一ノ瀬さんの方が一見ひどく見える。 せやけど一ノ瀬さん独特のあののんびりした口調やと、そうは思えへんのやけどなあ……不思議や。 「でもあの子、なんかケロッとしてるし」 「あ、そりゃ同感ね。何かネジがずれてるというか」 随分と遠慮のない言い方だったが、杏さんと一ノ瀬さんの会話を聞く限りやとそのくらいの関係なんやって改めて思うことが出来た。 ウチなんてさんちゃん以外にはこれといった付き合いもあらへんしなあ。あの頃はさんちゃんだけおればええって思とったし。 ……そんなことを思えるくらいには、ウチも成長したんやなって思ってええんかな。 そうやないのかもしれへんか。今は浩之がいて、浩之がいない人生なんて考えられへんし。 極論で言えば、『浩之だけおればええ』って奥底では思てるのかもしれへんな。 せやけどそうだとして、ここからツケを支払ったるって気持ちも確かにあるんや。 ウチに限らず、人はひとつの気持ちだけ抱えて生きとるわけやない。 恨む気持ちも許す気持ちも、憎む気持ちも好きになる気持ちも、時と状況によっていくらでも持ち合わせるし、変わる。 免罪符にするわけやないけど、今のウチだって浩之だけが今のウチの全てやない。 どれだけの割合を占めてたって、100%やない。 そうでも思わんかったら、ウチはきっと、ウチを許せなくなる。さんちゃんやイルファとの誓いを破ってまう。 せやからこうする。精一杯やってこれかもしれへんけど、な。 少しずつ強張った気持ちが薄れてきて、自然と頬を緩めることが出来た。 「ま、あれでも頭良さそうやしな……人は見かけによらへんなぁ」 「頭良いってか……全国模試で一番、外国の大学からもお呼びがかかってるらしいわよ。物理学のなんたら研究とかで」 「「……は?」」 ウチと浩之が同時に声を上げ、一ノ瀬さんの方をバッと振り向いた。そして同時に言うた。 「嘘や」「嘘だ」 「天才となんたらは紙一重って言うけどねえ」 さりげなく三人ともひどいことを言うてるような気ぃしたけど、本物の天才を目にすれば口も軽くなってまうのは、しゃーないことやった。 それくらいビックリ仰天や。世界って不公平なんやな。 しばらくウチらは、公式天才の一ノ瀬さんの話題で盛り上がった。多分聞こえてはなかった思う。 ここにたくさんの人が集まったのは、驚くくらいすぐのことやった。 * * * 私は、これからどうしよう。 通い慣れた夜の校舎。渚の手をとって、二人で廊下を進んでいる。 職員室から光が見えたので、今はそこを目指している。遠くもないから、すぐ着くはず。 私にとって考えるべきことは……何だろう。 私には戦うしか能がない。でなければ、待ち続けることしかできない。 いつだって受け身でいることしかできない。 でも、どうして……? 私は、なんで、待ち続けていたんだろう。 ずっと待って、夜の校舎を歩き続けた日々、白いティーカップのような月光を浴びながら眺めた校舎の外を、私は覚えている。 でも、始まりが分からない。なぜ、どうして、私は何を、誰を待っているのか、思い出せない。 すっぽりと何かが抜け落ちてる。それは、何……? 「あの、舞さんっ」 ぼんやりとしていたからか、渚の声に気付くまでに数秒の時間をかけてしまっていた。 もし戦いなら、取り返しのつきかねないミスだったかもしれない。 反省を覚えながら振り向いた私の顔は、ちょっと固かったのだろうか。渚は苦笑していて、言葉を続けた。 「ええと、きっと、話し合いがあると思うんです。宗一さんとか、他の人とかで」 「うん」 「だから、わたし達はですね、ちょっと休憩もあると思うんです」 「うん」 「ええっと……」 渚が口ごもる。頬のあたりがほんのりと熟れた果物みたいになってて、美味しそうだ、とか思ってしまった。 そういえば美味しいもの食べてない…… 「み、皆で過ごしませんか? いえ別にその、遊ぼうとかサボろうとかそういうんじゃなくて」 渚の言葉の内容はあやふやで、具体的にどうしたいのかよく分からなかったが、渚もよく分かってないんだろう。 きっとのんびりしたいんだと勝手に納得して、私はこくりと頷いた。そういう時間、嫌いじゃない。 渚のはにかんだ顔がいい表情で、こうして良かったと思える。 勿体無いって言う人もいるかもしれないけど、私は何もしていない時間というのが一番安心できる。 遊ぶのも悪くはないけど、それ以上に誰かと一緒にいられるというのが、直に感じられるから。 でもそれは二人以上ありきだということにも気付いて、私は案外孤独が苦手らしいとも気付き、心の中で苦笑した。 人との距離の取り方も知らないくせに、いないと安心できない。 このジレンマは、果たして生来持っていたものなんだろうか。 それとも、私が知らないどこか。すっぽりと抜け落ちた期間で形作られたものが原因だったりするのかもしれない。 自分でも知らない自分いることが恐ろしいと感じる部分もある一方、それを知りたいと強く願う自分も生まれている。 或いはそうしなければ往人とこれ以上距離を詰められないと本能が分かっているからなのかも。 どうであるにしても、私は以前に比べて色々なことを指向するようになっていることは真実だった。 待っていても、望むようにはならない。そう理解できているからなのだろう。 私はようやく人並みの欲望を持つようになって、それを埋め合わせるだけの努力を怠ってきたから苦しんでいる。 『そういうときは、話してくれればいいんですよ』 佐祐理の声が虚空から聞こえたような気がして、私はきょろきょろと周りを見回した。 渚がどうしたんですかと尋ねてくる。いや、と首を振って、そういう選択肢もあったんだ、と意外な気持ちで佐祐理の言葉を受けた。 誰かといられればいい。 それは私の一つの望みでもあるけど――望みは、一つじゃない。 だって私も、人並みに欲望を持っているのだから。 渚と一緒に、辿り着いた職員室の扉を開ける。実に何分の遅刻だろうか。 開けた先では、実に十三もの面々が雁首揃えて私達を待っていた。 思えば。 待たせるのは初めてだったかもしれない、と。 そんなことを考えた。 【時間:3日目午前03時00分ごろ】 【場所:D−6 鎌石小中学校】 川澄舞 【所持品:日本刀・投げナイフ(残:2本)・支給品一式】 【状態:同志を探す。往人に付き従って行動。強く生きていたいと考えている。額から出血。両手に多少怪我(治療済み。支障は全くない)、肩に浅い切り傷】 【その他:往人に対して強い親近感を抱いている。剣道着を着ている】 その他:舞の持ち物(支給品に携帯食が十数個追加されています。) 朝霧麻亜子 【所持品1:デザート・イーグル .50AE(1/7)、ボウガン(32/36)、バタフライナイフ、支給品一式】 【所持品2:芳野の支給品一式(パンと水を消費)】 【状態:鎖骨にひびが入っている可能性あり。軽い打ち身。往人・舞に同行】 【その他:体操服(上下のジャージ)を着ている】 国崎往人 【所持品:フェイファー ツェリスカ(Pfeifer Zeliska)60口径6kgの大型拳銃 4/5 +予備弾薬5発、パン人形、38口径ダブルアクション式拳銃(コルトガバメントカスタム)(残弾4/10) 予備弾薬35発ホローポイント弾11発、スペツナズナイフの柄、支給品一式(少年、皐月のものを統合)】 【状況:強く生きることを決意。人形劇で誰かを笑わせてあげたいと考えている。全身にかすり傷。椋の捜索をする】 【その他:左腕に文字を刻んだ。舞に対して親近感を抱いている(本人に自覚なし)】 那須宗一 【所持品:FN Five-SeveN(残弾数0/20)、防弾チョッキ、SPAS12ショットガン8/8発、投げナイフ1本、鉈、H&K SMGU(30/30)、ほか水・食料以外の支給品一式】 【所持品2:S&W M1076 残弾数(6/6)とその予備弾丸9発・トカレフ(TT30)銃弾数(0/8)、デザートイーグル(.44マグナム版・残弾4/8)、デザートイーグルの予備マガジン(.44マグナム弾8発入り)×1、S&W、M10(4インチモデル)5/6】 【持ち物3:ノートパソコン×2、支給品一式×3(水は全て空)、腕時計、ただの双眼鏡、カップめんいくつか、セイカクハンテンダケ(×1個&4分の3個)、何かの充電機】 【状態:全身にかすり傷】 【目的:渚を何が何でも守る。鎌石村小学校に移動し、脱出の計画を練る】 古河渚 【持ち物:おにぎりなど食料品(結構減った)、支給品一式×2(秋生と佳乃のもの)、S&W M29 1/6、ロープ(少し太め)、ツールセット、救急箱】 【状態:心機一転。健康】 【目的:人と距離を取らず付き合っていく。最優先目標は宗一を手伝う事】 伊吹風子 【所持品:サバイバルナイフ、三角帽子、青い宝石(光四個)、グロック19(0/15)、イングラムM10(0/30)、イングラムの予備マガジン×1、M79グレネードランチャー、炸裂弾×2、火炎弾×9、Remington M870(残弾数4/4)、予備弾×17、スイッチ(未だ詳細不明)、トンカチ、カッターナイフ、SIG(P232)残弾数(2/7)、仕込み鉄扇、ワルサー P38(0/8)、フライパン】 支給品一式】 【状態:泣かないと決意する。全身に細かい傷、及び鈍痛】 ルーシー・マリア・ミソラ 【所持品:IMI マイクロUZI 残弾数(20/30)・予備カートリッジ(30発入×4)、支給品一式×2】 【状態:生き残ることを決意。髪飾りに美凪の制服の十字架をつけている】 【目的:とりあえず渚にくっついていく】 リサ=ヴィクセン 【所持品:M4カービン(残弾15/30、予備マガジン×3)、鉄芯入りウッドトンファー、ワルサーP5(2/8)、コルト・ディテクティブスペシャル(0/6)、支給品一式】 【所持品2:ベネリM3(0/7)、100円ライター、参加者の写真つきデータファイル(内容は名前と顔写真のみ)、フラッシュメモリ(パスワード解除)、支給品一式(食料と水三日分。佐祐理のものを足した)、救急箱、二連式デリンジャー(残弾1発)、吹き矢セット(青×4:麻酔薬、黄×3:効能不明)】 【所持品3:何種類かの薬、ベレッタM92(10/15)・予備弾倉(15発)・煙草・支給品一式】 【状態:車で鎌石村の学校に移動。どこまでも進み、どこまでも戦う。全身に爪傷(手当て済み)】 姫百合瑠璃 【所持品:MP5K(18/30、予備マガジン×8)、デイパック、水、食料、レーダー、携帯型レーザー式誘導装置 弾数2、包丁、救急箱、診療所のメモ、支給品一式、缶詰など】 【状態:浩之と絶対に離れない。浩之とずっと生きる。珊瑚の血が服に付着している】 【備考:HDD内にはワームと説明書(txt)、選択して情報を送れるプログラムがある】 藤田浩之 【所持品:珊瑚メモ、包丁、レミントン(M700)装弾数(3/5)・予備弾丸(7/15)、HDD、工具箱】 【所持品2:フライパン、懐中電灯、ロウソク×4、イボつき軍手、折りたたみ傘、鋸、支給品一式】 【状態:絶望、でも進む。瑠璃とずっと生きる】 一ノ瀬ことみ 【持ち物:H&K PSG−1(残り0発。6倍スコープ付き)、暗殺用十徳ナイフ、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯、ポリタンクの中に入った灯油】 【持ち物2:要塞開錠用IDカード、武器庫用鍵、要塞見取り図、フラッシュメモリ】 【持ち物3:ベアークロー、支給品一式、治療用の道具一式(保健室でいくらか補給)、乾パン、カロリーメイト数個、カメラ付き携帯電話(バッテリー9割、全施設の番号登録済み)】 【持ち物4:コルト・パイソン(6/6)、予備弾×13、包帯、消毒液、スイッチ(0/6)、ノートパソコン、風邪薬、胃腸薬、支給品一式】 【状態:左目を失明。左半身に怪我(簡易治療済み)】 【目的:生きて帰って医者になる。聖同様、絶対に人は殺さない】 ネゴシエイター高槻 【所持品:日本刀、分厚い小説、コルトガバメント(装弾数:7/7)、鉈、電動釘打ち機12/12、五寸釘(10本)、防弾アーマー、89式小銃(銃剣付き・残弾22/22)、予備弾(30発)×2、P−90(50/50)、ほか食料・水以外の支給品一式】 【状況:全身に怪我。主催者を直々にブッ潰す】 ほしのゆめみ 【所持品:忍者刀、忍者セット(手裏剣・他)、おたま、S&W 500マグナム(5/5、予備弾2発)、ドラグノフ(0/10)、はんだごて、ほか支給品一式】 【状態:左腕が動くようになった。運動能力向上。パートナーの高槻に従って行動】 芳野祐介 【装備品:ウージー(残弾30/30)、予備マガジン×2、サバイバルナイフ、投げナイフ】 【状態:左腕に刺し傷(治療済み、僅かに痛み有り)】 【目的:休憩中。思うように生きてみる】 藤林杏 【所持品1:ロケット花火たくさん、携帯用ガスコンロ、野菜などの食料や調味料、食料など家から持ってきたさまざまな品々、ほか支給品一式】 【所持品2:日本刀、包丁(浩平のもの)、スコップ、救急箱、ニューナンブM60(5/5)、ニューナンブの予備弾薬2発】 【状態:重傷(処置は完了。激しすぎる運動は出来ない)】 ウォプタル 【状態:待機中】 ポテト 【状態:光二個】 その他:宗一たちの乗ってきた車・バイクは裏手の駐車場に、リサたちの乗ってきた車は表に止めてあります。 - BACK