ベラドンナ







片付けられたテーブルの上に、少女が食べ残したパンはない。
柏木初音が朝食を摂るのに使っていた席には、今別の少女が座っている。

「あの、初めまして。古河渚と言います」

ぺこりとおじぎをした渚と名乗る少女は、丁寧にも机に当たるかどうかのすれすれな位置まで頭を下げていた。
そんなおっとりとした雰囲気を保つ渚の隣には、彼女と対極とも思えるしっかりした表情の少年が佇んでいる。

「那須宗一だ。よろしくな」

愛想は決して悪くない。
しかしどこか油断できない空気を彼は常に保っているように、長瀬祐介は感じていた。
横目でちらちらと宗一の様子を窺っている祐介には、先ほどの彼から受けた精神的な攻撃に怯えている節がある。
ある種の感受性が強い祐介だから、敏感になっている所もあるだろう。
得体が知れないという意味では、祐介自身も『能力者』だ。
それに似た何かを、彼も持っているのではないだろうか。
本当に宗一が信用に当たる人物ならば、話す機会も必要だろうと祐介が考えていた時である。

「宮沢有紀寧です。こちらは長瀬祐介さん。
 もう一人柏木初音さんという女の子もいるのですけれど、今は少し出ています」
「な、長瀬です。どうも」

落ち着いた様子で怯みを見せない連れの宮沢有紀寧に比べ、挙動不審気味になってしまっている自分が恥ずかしくなり、祐介はそっと顔を俯かせた。
凛とした態度で二人と対峙する有紀寧の存在は、祐介にとってさぞや頼もしいものだろう。
最初は有紀寧も戸惑っていたようだったが、こうして対峙している今彼女はしっかりと話し合いに応じようとしている。
男である自分が盾にならねばという思いが、祐介にない訳ではない。
しかしこうして有紀寧から積極的に動いてくれるならと、ここで祐介は敢えて自分から出しゃばるような真似をする気がなかった。

他人任せにしている意識が皆無らしい祐介は、渚達に経緯を説明してくれている有紀寧を尻目に一人考え事に耽りだす。
彼の頭を占めているのは、勿論初音のことである。
一時間以上経っているものの、初音はいまだ戻ってくる形跡がなかった。
何か彼女にあったのか。放送を聞く限り、人を殺す覚悟ができている人間は決して少なくないのである。
愛しい姉達を一気に失った初音の悲しみ、それを取り除く手伝いを少しでもできればと祐介はそればかり考えていた。

(初音ちゃんは、ここまで僕を元気付けてくれたんだ。その恩を、返したい。絶対)

祐介のそれは、決して下心から産まれた気持ちではない。
聖人君主のような純粋な思いというものも当てはまらない。
祐介は気づいていない。彼が、初音を『彼女達』の代わりとして見ている面があることを。
祐介が失った愛しい少女達の代わりとして、心の糧に初音を当てはめている部分があることを。

「……さん。長瀬さん? 聞いていますか」
「え、ぁ……っ!」

とんとんと肩を叩かれ、思わず祐介は驚きを口に出してしまう。
有紀寧に話しかけられていたということ、祐介はそれに全く気づいていなかった。
視線をやると、渚も宗一も不思議そうに祐介のことを見やっている。
不味い。話し合いの場で上の空だったことが周知となり、祐介の胸に居た堪れなさが広がっていく。
隣の有紀寧は呆れたように一つ溜息を吐く。
気まずさでびくつく体に渇を入れ、祐介は恐る恐る有紀寧の方へと顔を向けた。

「長瀬さん。わたし達の話、聞いていませんでしたよね」

じとっと、上目使いのまま責められる言葉を口にされ、祐介は慌てたように方を竦ませる。
不満そうな有紀寧の表情、明らかに自分が悪いことも分かっていたので祐介は素直な謝りを入れる。

「あ、あの。その。……ご、ごめん」
「考え事ですか?」
「え?」

そのままなじられる覚悟があった祐介からすると、この有紀寧の問いかけは予想外のものだった。
自然に漏れた呟きを零しながら祐介が、改めて有紀寧と視線を合わせる。
有紀寧は、心配そうな眼差しを祐介に対し送っていた。

「柏木さんのことですよね。分かっています、わたしも心配していますから」
「あ……」

祐介の考えは、有紀寧にお見通しだったのだ。
目を見開き、驚愕をストレートに表情に出す祐介の様子を内心で滑稽だと笑いながらも、有紀寧は尚優しい声色で祐介を誘導にかかる。

「古河さんと那須さんのこと、長瀬さんはどう思われますか? わたしは、信用に値すると思ってます」
「え、えっと……」
「下手な争いは、わたしも避けたいですから。お二人の理念に賛同します」

きっぱりと。有紀寧は一端祐介から視線を外し、そのまま渚と宗一を交互に見つめながら二人の考えを肯定する言葉を口にした。
ぱぁっと、花のような笑みを渚が浮かべる。
心から嬉しいといった渚の表情に、宗一も満足そうだった。

「長瀬さんはどうですか?」
「ぼ、僕も、その。……有紀寧さんが、そこまで言うなら……」

しどろもどろで答える祐介の様子を、有紀寧は満足そうに横目で確認する。
あまりの扱いやすさで思わず頬が緩むが、それも祐介からすれば渚の浮かべる真っ直ぐな表情と同じものに見えてしまうのかもしれない。

「よかったです。祐介さんが嫌がるようでしたら、わたしもこの件からは手を引こうと思ってましたから」
「有紀寧さん……」

自身が取る上辺だけの優しい態度に感動する祐介の姿が、有紀寧自身は面白くて仕方なかった。
祐介の意思を優先させているように見えるだけで、有紀寧はこうなることが分かりきっているような言い回ししかしなかった。
渚や宗一との話を一切聞いていなかったようにも思える祐介に、彼等の印象を問いかける意味はない。
予め自分が否定の色を消し去った意見を出せば、それに祐介がつられるであろうことは有紀寧自身容易く予測がついていたのだ。

「長瀬さん。それで、柏木さんの件なんですけれど」
「う、うん」
「捜索を開始したいと思います。柏木さんが出て行ってから、かなりの時間も経過していますし」

それは、祐介にとっても願ったり叶ったりな提案だった。
むしろ動けないでいたことの方が、祐介にはフラストレーションになっていた部分がある。

「古河さんも那須さんも、柏木さんのことはご存知ないそうです。
 柏木さんの容姿が直接的に分かるのは、わたしと長瀬さんだけということになります」
「今そのことで、外を見回って探すのと、この家で待つ二組に分かれようかという話をしていました。
 入れ違いになる可能性もありますし、この家を空にしてしまうのはよくないと思うんです」

有紀寧に続く形で説明をする渚の提案に、祐介はこくこくと、声には出さずに仕草で納得している旨を伝えた。

「……ありがたいですよね、長瀬さん。こういう時、人手があるって助かります」
「そうだね。確かに、そうだ」

そう考えると、ここで渚と宗一という仲間ができたことが本当に幸運なことなんだと祐介は実感する。
二人とも、人が良さそうな人物だった。
宗一に関しては祐介の中に燻るものがあったけれど、朗らかな印象が強い渚の優しそうな表情に嫌悪が浮かぶことは一切ないだろう。
少しおっとりとした物腰は、どこか初音を彷彿させるものがある。
そんな渚を支えるようにして横に位置する宗一のポジションは、祐介が妄想する初音と並んだ時の理想形に他ならない。

「そういえば、ここの水道って使えるか? ここに来るまでで、ペットボトル開けちまったんだ」
「あ、それなら……」

デイバッグから空のペットボトルを提示する宗一に、キッチンがある場所を有紀寧が指差した。
ちょっとした食料があったこと等も告げると、渚も宗一も大いに驚いた。
二人曰く、彼女達が居た診療所や他の参加者がいるか探るために入った民家は、水道は通っていたとしてもそのようなサービスは一切見当たらなかったらしい。

「それならこの家は、当たりだったんですね」

クスクスと笑う有紀寧に同調するよう、祐介も頬を緩ませる。
彼女が昨晩用意してくれたピラフの味がかなり良かったことは、祐介の頭にもしっかり記憶されている。
初音も料理が得意だと言っていた。
女の子の手作りの料理が食べられる機会というのが決して多くない祐介にして見たら、殺し合わなければいけないというこの現実さえ見なければ心から喜べるシチュエーションとなるだろう。

「あ、僕も結構飲んじゃってたんで。一緒に行きますよ」
「おう。案内してくれ」

自然と口に運んでいたらしい、半分程減ったペットボトルを片手に祐介も立ち上がる。
先導するようにすぐそこのキッチンへと、祐介は宗一と共に消えていった。





二人の姿が見えなくなった所で、有紀寧は祐介と宗一を見送るために逸らしていた背中を、ゆっくりと元の位置に戻した。
有紀寧の斜め前に座っている渚は、まだ慎ましやかにも小さく手を振り続けている。
律儀な少女だ。
目が合い、有紀寧は渚が頬を緩ませるだろうそのタイミングに合わせ、自然に見える笑顔を彼女に向ける。

「えへへ」

二人してほぼ同時に浮かべた笑み、有紀寧とは違い渚のそれには一切の邪気は含まれていない。
彼女の醸し出す空気はぽやぽやとしていて、この殺伐とした世界に決して似合うものではないだろう。
渚の経緯を聞かなければ、有紀寧は彼女を砂糖水の中で泳ぎ続ける能天気な弱者と決め付けたかもしれなかった。
祐介はきちんと聞いていなかったであろう彼女の身に降り注いだ昨日の出来事は、あまりにも悲惨だった。

実の両親を手に掛けられ、その死体と共に渚は一人残された。
それも一晩。
普通の人間であれば、発狂してもおかしくないシチュエーションである。
それを乗り越え、しかも復讐への道を選ばなかった彼女の精神は見かけ以上にタフだった。
隷属させるのにも、精神的に脆い人間では扱いが厄介になるかもしれない。
それプラス、渚の場合彼女自身の力は脆弱であろうとも、実力が定かではないが那須宗一というパートナーが今は付いている。
有紀寧にとって揃った条件は、正に最高のものだった。

「宮沢さん?」

有紀寧自身が自覚せずに浮かべてしまった含み笑いに、不思議そうに首を傾げる渚が疑問をぶつける形でその名を呼ぶ。
表に出かかった内心を隠しつつ、有紀寧はその場を繋ぐための世間話を口にして、自分の態度をごまかそうとした。

「すみません、何でもないです。そう言えば古河さんは、三年生なんですね」

お互い顔見知りではなかったが、有紀寧と渚は同じ学園に所属しているというのが一目で窺えた。
身に着けている制服が、同じものなのである。
渚の制服に付けられているワッペンの色は、青。
彼女が三年生として在学していることが、有紀寧にもすぐ理解できた。

「わたしはこの通り、二年生です。先輩と、お呼びした方がよろしいでしょうか」
「い、いえ! あの、気にしませんから」

慌てたように両手を顔の前で振る渚は、何処までも謙虚な少女だった。
常に一生懸命にも見える渚の動作一つ一つ、それは全て微笑ましい類に値するだろう。
有紀寧もだった。こんな場所でなくきっと学園で知り合えたとしたら、渚とは仲良くなれたような気すら彼女はしていた。
この不思議な親近感の理由に、有紀寧の心当たりはない。

有紀寧は彼女に好感を持っていた。
精神的な強さを見せつけられたとは言え、自分よりも年上であるにも関わらずどこか儚くも思える渚の存在が、有紀寧の心を揺さぶりにかける。
血が騒ぐ。一言で表すと、そのような激情にも似た不明瞭な欲求が有紀寧の中ではいつの間にか生まれていた。

ふと。有紀寧の脳裏で、一つの憶測が閃く。
きっと有紀寧は、比べていたのだ。
刃を取ることを決意し自分だけが生き残る道を選んだ自身と、産みの親を殺されても他者が傷つかない方法を探ろうとする渚のことを。
有紀寧も渚も、どこにでもいるごくごく普通の女の子だ。
力だって特別強い訳ではない。むしろ脆弱な部類に値する。
二人とも、スタートラインは同じだった。それなのに、進んだ方向は全く別のものとなっている。
それはどこか、可笑しい。

(後悔なんて。するはずが、ないじゃないですか)

生き残るための最善を選択を、有紀寧はしたつもりだ。
その言葉に嘘偽りは全くない。
彼女の意志は澱みなく、こうして渚と自分を比較しても軸がぶれることは一切ない。
羨望の色が皆無であるとは断言することが不可能であっても、有紀寧は自分が取った行動に誇りすら持つ勢いがあった。
何が何でも生き延びてやるという、有紀寧自身の生への執着はとてつもなく強い。
故に。腕っ節はからっきしであったとしても、有紀寧はこの島で限りなく強い部類に入る少女となる。
ただし。
―― その異常さが、本能であるのか植え付けられたものなのか。
有紀寧がそこまで考えるに至ることは、なかった。

そんな有紀寧の意識は今、斜め前に座っている渚に向かって伸びている。
渚についての考えがまとまっていた所で、有紀寧はそれ以上自分の世界に居座ろうとはしなかった。
否。できなかった。
渚のことを思う度に、嫌らしいくらいの心地よさが有紀寧の背中を這っていき、彼女の理性を溶かし切ろうとする。
高まり続ける情念を幾度も幾度も擦り付けられ、滾るせつなさに有紀寧は震えそうになる体を抑えられなくなってきていた。

それは、実の両親を殺害されても崩れなかった少女を屈服させたいという、ストレートなサディスティックさだったかもしれない。
自身の性癖など考えたこともない有紀寧からすれば、想像だにできない可能性だろう。
渚は今も、呑気にぽやぽやと微笑んだままである。
有紀寧が凶行に出るなど、思ってもみていないに違いない。
そんな彼女を。有紀寧は。

そっと。スカートのポケットに伸びた手が、有紀寧の切り札であるリモコンへと自然と伸びる。掴む。
荒くなりかけた息を抑えながら、有紀寧は充血しかかった両の眼でじっと渚に視線を送った。




【時間:2日目午前8時頃】
【場所:I−6上部・民家】


長瀬祐介
【持ち物:無し】
【状態:水を汲みにいく・初音を待つ】

宮沢有紀寧
【持ち物:リモコン(5/6)】
【状態:渚と対峙・前腕に軽症(治療済み)・強い駒を隷属させる】

古河渚
【持ち物:支給品一式(支給武器は未だ不明)・早苗のハリセン・S&W M29(残弾4発)】
【状態:有紀寧と対峙・宗一と行動・殺し合いを止める】

那須宗一
【所持品:FN Five-SeveN(残弾20/20)、支給品一式】
【状態:水を汲みにいく・渚に協力】

以下の荷物は部屋の隅に放置
【持ち物:鋸・支給品一式】
【持ち物:ゴルフクラブ・支給品一式】
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