「遅いな、初音ちゃん。すぐ戻るって言ってたのに……」 そわそわとした様子で、視線を辺りに彷徨わせながら長瀬祐介が呟いた。 彼が今座っている椅子の正面、少し前までそこで朝食を摂っていた少女はここにはいない。 支給された食べかけのパンは、そのままの状態で放置されていた。 時刻は午前七時を回っている。 第二回目の放送が行われてから、一時間の時間が経った。 放送はこの民家に滞在していた三人に、大きな衝撃をもたらすことになる。 まずその人数。 第一回目の放送時に流れた名前の倍以上の人数が、今回の放送にて発表された。 そこには祐介にとって、馴染み深い少女達の名前も並ぶことになる。 心を許した愛しい彼女達との永遠の別離、実質上祐介が元からの知り合いで心を許していた人間は、これで零となった。 顔見知りである太田香奈子や月島拓也の存在を、無視するという気が祐介の中にある訳ではない。 しかし心理的に祐介が最優先する存在が、二人を置き去りにした状態のままここで浮上したことになる。 それが彼女、柏木初音だった。 『ごめんなさい。大丈夫。大丈夫だよ……』 顔面蒼白の少女が呟く。 声は小さく震えていた。初音の動揺が、そこには直に表れている。 三人の姉を含む親族達と共にこの島に放たれた初音は、姉妹の中でも末っ子である四女だった。 しっかりしているものの、根は甘えん坊であり誰かに縋ることで自己を回復している面が、初音にはある。 そんな彼女は、このたった一晩で多くの家族を奪われた。 初音は結局、血を分けたかけがえのない姉妹達と再会することが叶わなかったのだ。 金輪際、未来永劫。 この争いにより大切な身内を失った初音のことを思うだけで、祐介は胸が締め付けられそうになる。 『―― 少し、外に出るね。外の空気が吸いたいんだ。大丈夫、すぐ戻ってくるから……』 放送が終わってから、少し経ってからのことだった。 初音の願いを止める者は、ここにはいない。 孤立することが危険なことに変わりないが、彼女の心情を思えば了承する以外の選択肢は存在しない。 誰もが初音を労わっていた。 ……少なくとも、祐介はそう思っていた。 「そうですね、確かに心配です。でも……わたしは、柏木さんがすぐに戻られなくてよかったです。 わたし自身が、この時間で落ち着くことが出来ましたから」 「有紀寧さん……もう、いいの?」 「はい。ご心配、おかけしました」 力ない足取りでダイニングであるこの部屋に現れたのは、暗い面持ちを保つ宮沢有紀寧だった。 初音がこの民家を出た後、気分が悪いと言った彼女は寝室で休んでいた……ことに、なっている。 祐介の手前上傷ついた素振りで自身のか弱さを演出する必要があったのと、例の書き込みをした掲示板のことが有紀寧は気になって仕方なかった。 今のところ、有紀寧の書き込みに対するレスはついていない。 有紀寧が想像していたよりも、この掲示板の存在を知っている参加者はもしかしたら少ないのかもしれなかった。 (まぁ、あくまでこれは余興ですし) 反応がないのもそれはそれで物悲しいものであるが、結局はそこだ。 一つため息をつくと、有紀寧はこっそり寝室に持ち込んだノートパソコンのディスプレイを伏せる。 気分を切り替え戻ったダイニング、落ち着きのない祐介の様子に思わず浮かんだ苦笑いを即座に隠し、有紀寧はそっと彼の隣に座った。 「きっと、柏木さんは目を真っ赤にして戻ってくると思います。 わたし達の前で見せなかった分、一人でたくさん泣いているでしょう」 痛ましげに顔を歪める有紀寧につられるよう、祐介も表情を落ち込ませた。 こういう純朴な祐介の姿は、有紀寧からすれば滑稽にしか映らない。 優しい性格ではあるが、どうにも存在自体が心もとないというのが、有紀寧の持つ祐介に対する印象である。 今や有紀寧にとって、祐介と初音の存在は枷以外の何物でもなかった。 柏木の姉妹達は消え、残る柏木性は一人となる。 初音曰く頼りになる存在と有紀寧も聞いているが、あの子のことだ。 祐介のことを持ち上げる態度を見る限り、初音にとっては誰もが尊敬に値する人物に当てはまるのではないだろうか。 人を疑わない優しい素直さは、確かに初音の持ち味だ。しかし、それが通じる世界にここは値しない。 初音も、祐介も。 有紀寧の駒とし利用するには、あまりにも役不足である。 それではどこで、手を切るか。有紀寧は考えていた。 (かと言って、いきなり一人になるのは危険にも程がありますし。どうしましょうか……) どうするも何も、自分から積極的に動くことが今有紀寧はできない身である。 とりあえずは、初音の帰りを待つしかないのだ。 ちらりと視線を動かせば、部屋の隅にまとめられている自分達の支給品等が入ったデイバッグが有紀寧の目に入った。 初音が散歩に出かけた際護身用で自身のバッグを持って行ったため、今そこにあるのは二つだけである。 有紀寧のものであるバッグは、容易く見分けがついた。 不格好な形でゴルフバックがはみ出ているバッグ、そこには本来の彼女の支給品であるリモコンは入っていない。 いざという時のためと、有紀寧は常にスカートのポケットにリモコンを隠し持っている。 祐介と二人無言で座るだけの、有紀寧にとっては退屈としか思えない時間は着々と積もっていく。 有紀寧が自分の身を持て余した頃だった。……それは、彼女も予想だにしなかった幸運。 「……二人、か。黙って手を上げろ、敵意はない」 「な、那須さんそれでは駄目です。そんな言い方では、怖がらせてしまいます」 声は、二人の背後である部屋の入り口が発信源であった。 一人は男性のもの。もう一人は女性。 この民家に他者が侵入してきたことすら、有紀寧も祐介も気づいていなかった。 突然の来客に二人して固まる。手を上げるも何も、あまりの驚きで二人の動作は激しく鈍くなっている。 ただひたすら、初音のことを心配していた祐介。 自分のこれからを、どうするか考えていた有紀寧。 不足の事態に対し、二人はあまりにも無力だった。 しかし。 天は二人を、見放さなかった。 「あ、あの……驚かせてしまって、すみません。 あなた達が話されているの、少しだけ聞かせていただきました。 よろしければ、あの。少し、わたし達ともお話していただけませんか?」 丁寧な口調で、どこかおどおどしたようなしゃべりをする少女の声に、祐介はゆっくりと首を重点に動かし声の主を確認しようとした。 「っ!」 と、少し身を捻った所で凄まじい殺気が祐介の姿を射抜いてくる。 走る緊張に胃が焼ける思いが沸き上がり、祐介は中途半端な位置で身を止めた。 それはどこか、毒電波を浴びせられた感覚によく似ているかもしれない。 「……那須さん?」 「悪い、クセなんだ」 どうやらそれは、少女の隣にいた男性に関係していたようである。 少女が嗜めるように男性の名前と思われる固有名詞を口にすると、祐介が受けていた圧迫感はするっと消えた。 「あ、あなた達、一体……」 問いかけたのは、有紀寧だった。 見ると、祐介よりも先に体勢を整えた彼女は視線をしっかりと来訪者に合わせているのが、祐介も確認できる。 相手の相貌を拝もうと、慌てて振り向いた祐介の視界にも来訪者の姿が映る。 驚愕。 目に入った人物二人に対する素直な感嘆を、祐介は表情にそのまま出す。 来客者達は、どこからどう見ても祐介と同年代である、少年少女であった。 晒された視線に、古河渚は小さく自身の肩を震わせた。 強張っていく表情を自覚するものの、渚自身ではどうすることもできない。 「大丈夫だ、普通の奴等だと思うぜ。いざという時は俺もいる」 「あ……」 小さな耳打ちが優しげに、渚の鼓膜を振動させる。 それは硬くなった渚の筋肉すらも、和らげる効果があったのかもしれない。 隣を見れば、優しく微笑む頼もしい少年の姿があり、渚も小さく頷き彼の気遣いにそっと答えた。 ぎゅっとデイバッグの肩掛け部分を握り締め、渚は少しだけ目を瞑る。 (お父さん、お母さん……) 渚のデイバッグには、彼女の両親に支給された物が形見のような形で入っていた。 母とじゃれた、ハリセン。 父が守ってくれた、拳銃。宗一に確信してもらった所、込められている弾数は四発で断層の残りも見当たらないとのことだった。 しかし、渚はそれを人に向けることだけは絶対にしないと心に決めている。 人を傷つける行為。 誰かが悲しむことが分かりきっている結末を、渚は望まない。 それを回避するためにも。 「……あんぱんっ!」 渚は心強いパートナーと共に、目的の第一歩へと歩みを進めた。 【時間:2日目午前7時30分頃】 【場所:I−6上部・民家】 長瀬祐介 【持ち物:無し】 【状態:驚愕・初音を待つ】 宮沢有紀寧 【持ち物:リモコン(5/6)】 【状態:前腕に軽症(治療済み)・強い駒を隷属させる】 以下の荷物は部屋の隅に放置 【持ち物:鋸・支給品一式】 【持ち物:ゴルフクラブ・支給品一式】 古河渚 【持ち物:支給品一式(支給武器は未だ不明)・早苗のハリセン・S&W M29(残弾4発)】 【状態:宗一と行動・殺し合いを止める】 那須宗一 【所持品:FN Five-SeveN(残弾20/20)、支給品一式】 【状態:渚に協力】 鉈を除いた葉子の支給品一式は、病院に放置 - BACK