it's all we could do U/ Ha'Olam habah







 
「結論から言うと……もうすぐお産が始まります」

嵐の訪れはいつも唐突である。
神ならぬ人の身は自然の猛威を前に驚き、慌て、頭を低くして耐えるより他にない。
たとえそれが、うららかな光の射すリビングに突然巻き起こった小さな嵐であろうとも、何ら変わりなく。

「は?」

長岡志保は間抜けな声を上げ、

「お、お母さん……?」

古河渚は母の言動に戸惑い、

「……」

川澄舞は視線を動かすこともなく紅茶を啜り、

「……苦しい」

そして国崎往人は、己が首を締め上げる細い指の感触に眉を顰めていた。
奇妙に滑る汗が滲んで余計に不快感が増す。

「え? いや、ちょ……はああああ!?」
「落ち着け長岡、起き抜けにあまり騒ぐとまた倒れるぞ。それと俺の首を絞めるな」

隣に座る少女の、薄く肉のついた細腕をどうにか引き剥がそうと苦闘する国崎。
ただでさえ凶悪な目つきが更に険しくなるが、驚愕に揺れる少女は国崎など見てもいない。

「なな、何言ってんのよ志保ちゃんは落ち着いてるわよ変な冗談ばっかり言って早苗さんは!
 けどもしこれが変な夢だったら早く覚めてほしいじゃない!?」
「お前の悪夢は俺の首を絞めると覚めるのか!? いいから離せ!」

がくがくと首を揺らす手を強引に剥がし、汗ばむ肩を掴んで無理やり椅子に座らせる。

「……ふう。目を覚ました途端にこれだ」

ごほん、と咳払いを一つ。
呼吸を整える。

「しかしまあ、なんだ。落ち着いた方がいいのは、あんたも……だな」

鋭い眼光が睨むように向けられた先には、台風の目。
自らの発言が巻き起こした嵐など知らぬげに微笑む、古河早苗がいた。
その泰然自若とした様子にやりにくさを感じながら、国崎が続ける。

「こいつは男だ。見れば分かるだろう」
「ええ、拝見させていただきました」

間髪いれずに答えが返ってくる。
いきなりの直球で核心を突いたつもりが、見事に打ち返されていた。

「なら分かるだろう!? 男がどうやって子供を孕むというんだ!」

もしかして眼前の女は少し頭の中身が残念なのかもしれないという懸念が、
国崎の口調をほんの少しだけ荒くする。
ちらりと横目で見たベッドの上には一人分の膨らみがある。
苦しげな表情で横たわる金髪の少年、春原陽平であった。
時折漏らす声は力なく、意識はいまだ戻らない。
薄いブランケットを掛けられた細身の身体には、一見して異常な点がある。
布団に隠された下腹部が、極端に肥大していた。
一抱えほどもありそうなその様は、まるで布団の下に何かを詰めているかのように見えるが、
無論一同が囲んでいるのはそのような悪い冗談の産物ではない。
確かに少年の下腹部自体が膨れ上がっているのだった。

「ええ、私もそうは思ったのですけど……」
「けど、何だ!?」

肥大に耐えきれぬ衣服は、既に早苗によって上下とも脱がされている。
生身を晒した肩と言わず胸と言わずだらだらと脂汗を掻き、苦悶を浮かべる少年の様子を見て
思わず浮かぶ連想を、国崎があえて断ち切る。

「ですが、子宮口もかなり開いているみたいですし……」
「……」
「……」
「……何だと?」

一瞬降りた沈黙が、粘つくように国崎の喉に引っかかる。
振り払って、聞き返す。
たった今、眼前の女から出た言葉の意味を、咀嚼しかねていた。
否、決して咀嚼してはいけない単語を耳にしたような、そんな気がした。
もう一度尋ねればきっと、自分の聞き間違いだったと分かるだろう。
そんな、淡い期待があった。

「ですから子宮口が。破水する前に準備を始めないといけないかもしれません」
「いや、ちょっと待て」

淡い期待は木っ端微塵に打ち砕かれていた。
わたしキッチン見てきますねー、という渚の暢気な声が脳髄の奥で頭痛の種を芽吹かせ、
痛覚を刺激しだすのをこめかみを揉んで和らげながら、国崎が早苗の言葉を遮る。

「今、何と言った」
「……?」
「不思議そうな顔をするな!」
「破水する前に準備を……」
「その前だ!」

小首を傾げる早苗の表情に、ふつふつと沸き上がるこの感情は怒りだろうかと
自問しつつ国崎が噛みつく。

「えっと……子宮口もかなり開きかけています、でしょうか?」
「子宮口」
「ええ」
「……」
「……それが何か?」

沈黙が、降りた。

「……」
「……」
「があああああああ!」
「ひゃっ!? ちょっと何なのよ!?」

急に大声を上げ、がりがりと頭を掻き毟りながら立ち上がった国崎に、
隣に座った志保がびくりと肩を震わせる。
がたりと揺れた拍子に零れた紅茶が、テーブルに拡がっていく。
無言を保っている白毛の少女、舞がぎろりと国崎を睨んだ。
気にした風もなく早苗に詰め寄る国崎。

「あんたは何を言ってるんだ!? いい大人が保健体育の授業からやり直すか!?
 子宮口!? そんなものが男にあるはずがないだろうが!」
「ご覧になりますか?」
「……は?」

あっけらかんと言い放たれ、国崎が言葉に詰まった。
思考に生まれた一瞬の空隙を突くように、早苗がちょいちょいと手招きしている。
導かれるようにふらふらとベッドに歩み寄ってしまう国崎。
微笑んだままの早苗が、テーブルからは見えないようにそっとブランケットをたくし上げた。
何一つ身につけていない少年の下半身が、国崎の眼前に晒される。

「……」
「触らないでくださいね」
「……」
「こうして……、ほら、ここから覗いてみると……きゃっ!?」

がばり、と国崎が顔を上げる。
そのまま手近な壁に駆け寄ると、ガンガンと額を打ちつけ始めた。

「う、うおおおおおおおおおお!!」
「な、何やってんのよあんた!? とうとう本格的におかしくなったの!?」
「そんなわけあるか! ……いや待てよ、そうなのかも知れん……。
 俺は頭がおかしくなってしまったのか……!?」
「はあ!? ちょっと、本当に大丈夫なのあんた?」
「……おい、お前」

ぎらり、と鋭い眼光が志保を射抜く。

「ふん、あたしはおい、とかお前、なんて名前じゃな……何すんのよ!?」
「いいからちょっと来い!」

腕を掴まれ、引きずられるようにして志保が連れて来られたのは少年の横たわるベッドである。

「ッ痛いわね!」
「……こいつにも、見せてやってくれないか」
「ちょっと! 人の話を聞きなさいよ!」

振りほどいた腕をさすって志保が睨みつけるが、どんよりと暗い目をした国崎は意に介さない。
抗議を無視して尋ねるのへ、少し困ったような顔で早苗が答える。

「子供たちには少し刺激が強いかも知れませんが……」
「構わん。百聞は一見にしかず、だ」
「あんたねえ、いい加減に……!」

激昂しかけた志保に、国崎が少年を指さして言う。

「……いいから見てみろ」
「何よ、何なのよ……って、いやああああああああああああ!?」

視線を向けた志保の頬が紅潮するまで一秒もかからなかった。
頭から湯気を出しそうな勢いで赤らんだ顔を手で覆い、白い壁紙の貼られた天井を仰ぎ、
指の隙間からもう一度ちらりと少年の一部を見やって、大きく息を吸い込むと、

「こんの……ド変態ぃぃ!!」
「ぐぉッ!?」

鳩尾に、綺麗な一撃。
思わずくの字を描いた国崎の、下がった頬に更なる追撃が入る。
平手ではなく握った拳の打撃に表情を歪める国崎の襟首を、怒髪天を突く志保が掴んで引き寄せた。

「ちょっと! どうしてくれんの! 殴った手が痛いじゃない! 痛くないように殴られなさいよバカ!」
「か、勝手なことを言うな……! それより、見たか……!?」
「見たわよ! バッチリ見せられちゃったわよ! ナニ見せんのよこの痴漢! 変態! 変質者!
 乙女の純情を踏み躙った罪を今からたっぷり後悔させてあげるから死んで反省しなさい!」
「無茶苦茶言うな! 見せたいのはそっちじゃない、その下だ!」

息も絶え絶えに国崎の指さす先へ、つられた志保が視線を動かす。
そこにあるのは、たくし上げられた白いブランケットと、一糸纏わぬ春原少年の下半身。
またも一秒かからず紅潮しかけた志保が、ふと気付く。
国崎が示す指の、正確な延長線上。
そこにあるのは、毛むくじゃらの達磨とその尻尾のような見慣れないモノと、それから。
見慣れた、というほどまじまじと見たりはしないけれど、それなりに見覚えのある、器官。

「んー……?」
「……」
「……んんー、」

目をすがめ、顔を近づけ、指を伸ばそうとして早苗に触ってはいけませんと窘められて引っ込め、

「……キモっ」

結論を出した。
同時、国崎が床に崩れ落ちる。

「うおおーっ!」
「何よあんた、うっさいわねえ」

一通り床を転げまわって悶えた国崎が、立ち上がって志保に詰め寄った。

「それだけか!? 本当にそれだけなのかお前!?」
「だって……」

少年と、その一部を横目で見る志保。
達磨の方も段々慣れてきた。

「両方あるなんて、キモいじゃない」
「お前な……」

率直過ぎる感想に、国崎が嘆息する。

「両性具有……というのは聞いたことがあるが、しかし……」
「ええ。こういうものでは、ないと思います」

国崎の言葉を引き取って、早苗が頷く。

「ちゃんとお産ができるのかどうかも、正直なところよく分かりません」
「……ねえ、あたし難しいことはよく分からないんだけどさ」

表情を曇らせた早苗に、志保が顔を向けて肩をすくめる。

「現にこいつがここにいるんだから、仕方ないじゃん。
 考えなきゃいけないのは、何で……じゃなくて、どうするか……ってことなんでしょ?」
「おい、簡単に言うがな……」

言いかけた国崎を、早苗が身振りで制する。

「……そうですね。長岡さんの仰る通りです」

曇りを払うように微笑んだ早苗が、苦しげに顔を歪める春原の額に浮かんだ汗を優しく拭う。
そのまま跪くと、静かに春原の腹に耳を当てた。

「わ……!」
「おい……」
「ほら、こうすると」

驚く二人に、早苗は慈母の笑みを向ける。

「とくん、とくん、って。生まれたい、って言ってます。
 なら……私たちにできるのは、そのお手伝いでしたね」

その笑みの、輝くような温かさに気圧されながら、国崎が口を開こうとする。

「いや、しかしな……」
「あ、お母さん」

言いかけた言葉は、背後からの声に遮られた。
振り返った国崎の視線の先には、古河渚が立っている。

「どうかしましたか、渚?」
「パンが焼けたみたいですー」
「あら、本当? ありがとう」

ぱたぱたとスリッパを鳴らしてキッチンに消える早苗の背を見送って、
国崎が深い、深い溜息をついた。



 
【時間:2日目 午後2時ごろ】
【場所:I-7 沖木島診療所】

古河早苗
【所持品:日本酒(一升瓶)、ハリセン】
【状態:健康】

国崎往人
 【所持品:人形、ラーメンセット(レトルト)】
 【状態:疲労・法力喪失】

長岡志保
 【所持品:なし】
 【状態:健康】

古河渚
【所持品:だんご大家族(100人)】
【状態:健康】

川澄舞
 【所持品:村雨】
 【状態:健康、白髪、ムティカパ、エルクゥ】

春原陽平
 【所持品:不明】
 【状態:妊娠・意識不明】
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