The Show Must Go On







 
晴れやかに告げられる終幕の辞は、まるで名残を惜しむかのようにいつまでも続いている。
しかしその声の響き渡る島に上がる凱歌はない。
吹き荒ぶ風と舞い散る砂埃に打たれながら立ち尽くす者たちを勝者と呼ぶ、それはひどく滑稽な、
或いは悪質な皮肉でしかなかった。
祝福の裏に嘲笑を、喝采の向こう側に侮蔑を錯視して、生者たちはその声を黙殺する。
彼らは一様に、ただ己が内なる声にのみ耳を傾けながら、往くべき道へと踏み出そうとしていた。


******

 
「……好き勝手言いやがる、戦争屋が」

吐き棄てるように呟いた、来栖川綾香の表情に光明は射さぬ。
見上げれば突き抜けるように青い空。
君臨する日輪は大地とそこに這う者たちを灼き尽くさんと輝いている。
感情を殺した瞳が次に見回したのは周囲。
荒涼たる大地の他には何もない。
血だまりと、焼け焦げた僅かな草木と、粉砕された石くれだけで構成された光景がどこまでも広がっている。
細く息を吐きながら最後に視線を下ろせば、そこには闇。
終末の使者、悪夢たる長瀬源五郎を呑み込んだ深い亀裂があった。

「セリオは……この下、か」

いまだ微かな震えの続く神塚山の山頂。
その中心にぱっくりと口を開けた、それは暗い大地の顎である。
人の十人や二十人を容易く飲み込まんとするその裂け目はどこまで続いているかも分からぬ。
先細りになっているものか、或いは内部で洞穴の如く拡がっているかも見て取れなかった。
しかし来栖川綾香の歩様と表情に迷いはない。
無明の断崖へと一歩を踏み出そうとしたその背に、しかし寸前、かけられる声がある。

「―――どこへ行く、来栖川」
「……何だ白髪頭」

つまらなそうに息をついた綾香は、振り返りすらしない。
肩越しに目線だけを向けて、ほんの微かに口角を上げる。
笑みとも呼べぬ、牙を剥き出しただけの貌が声の主、坂神蝉丸を睨んでいた。

「焦るなよ、すぐに戻って殺してやるさ」
「……」

挑発じみた言葉に応えが返るまで、僅かな間があった。
坂神蝉丸が何を思ったかは知れぬ。
脳裏に浮かんだのは夢の半ばに散った少年の顔か、或いはただ殺戮の道具として斃れていった
幾多の少女たちの無念か。
泥濘に汚れたその静かな表情からは杳として読み取れなかった。

「来栖川、貴様の従者は既に―――」

何を思い、何と続けようとしたのか。
それを知る術は、最早ない。
途切れた言葉の続くことは、遂になかった。
蝉丸の眼前。
心底から呆れたように。
表情を歪め、肩をすくめてみせた来栖川綾香が、躊躇なく。

「―――で?」

それだけを呟いて。
足を、踏み出していた。
一歩めは助走。
二歩めは跳躍。
三歩めは、ない。
その姿が、掻き消えた。

「……!」

表情を険しくした蝉丸が、絶壁に駆け寄る。
しかしその目に映るものは、闇と黒。
光射さぬ断崖のどこまでも拡がる暗闇と、身を躍らせた来栖川綾香の短く切り揃えられた黒髪。
その黒髪が風に靡いて広がって、闇と融け合うように小さくなっていく姿のみであった。
落下と降下の相半ばを縫うように、小さな影が断崖を蹴りながら漆黒の底に消えていく。

それが坂神蝉丸の見た、来栖川綾香の最後の姿である。


***

 
眼前の闇を、柏木楓は見つめている。
来栖川綾香の消えた断崖。
その淵に立って、昏い瞳でじっと漆黒の底を見透かすように、見つめている。

じくじくと。
亀裂の底から、滲み出してくるものがある。
膿のように、垢のように、滓のように、ひんやりと冷たい風に混じって、それは臭うのだ。

微かに、しかし確かに己の存在を誇示するような、それは臭い。
噎せかえるような、厭らしい、化粧の臭いだ。
その香気の一粒でも吸い込めば、それはきっと肺の奥に落ちて根を張って、
いつしか細くて白い黴のような糸を胸の中一杯に張り巡らせる。
息苦しくて胸を掻き毟っても、それはもう出てこない。
咳をして痰に絡んだ嫌な糸を見て泣きたくなければ、その香気を嗅いではならない。
もしも嗅いでしまったら、すぐに甘いミルクを飲んで、それを全部吐き出してしまわなければいけない。
そうしなければ、その気味の悪い糸から漏れ出す、花のような、果物のような臭いが
汗と一緒にどろどろと体から滲み出してくるようになってしまう。
お腹の奥の、太った芋虫のような器官から、ねっとりとおぞましい血が流れ出してくるように。
ああ、ああ、だけど、だけどどうしよう。
この乾いた山の上には、甘いミルクの一滴も、ありはしない。

そんな、嘲笑うような声が、柏木楓を支配する。
狩りの高揚が冷めれば、ざわざわと涌き出してくるのはそんな声で鳴く虫の群れだ。
吐き気がする。
ぐらぐらと回る世界の中心で、楓は額に浮かんだ脂汗を拭う。
癒えぬ傷から滲んだ鮮血が汗と混じって、どろりと赤い。
白い手の甲に広がった赤い絵の具が奇妙に綺麗で、そっと口をつければ鉄の味が広がる。
ほんの少しだけ、吐き気が引いた。

見下ろす穴の底には、嫌な臭いの元がある。
化粧で固めた、厭らしい笑顔。
マニキュア塗れの料理を作る、怖気の立つような手。
開いた胸元とぴったりとラインを浮き出させる腰と薄く白いストッキングを履いた足と。
気持ちの悪い、女のからだ。

そういうものに、侵される前に。
絶たなければ、いけない。
柏木楓が、柏木楓のままでいるために。

じくじくと。
己が内に開いた傷から滲み出す膿に足を滑らせるように。
少女は、穴に落ちていく。


***

 
闇に消える少女の背に、川澄舞はかける言葉を持たない。
ただ茫洋とした親近感に衝き動かされるように口を開きかけ、手を伸ばし、そしてそれだけだった。
俯いて踵を返したときには、その口は既に一文字に引き結ばれている。

引き止める理由はない。
親しげに言葉を交わす間柄でもない。
共に背を預け、同じ敵と刃を交えたという、ただそれだけだった。
来し方が違う。
行く末が違う。
この山の頂でただ一点、道が交わったに過ぎない。
打倒すべき敵の斃れた今、道は再び別れ、もう交わることはない。

柏木楓に闇の底へと降りていかねばならない理由があるように、
川澄舞にも歩まねばならぬ道がある。
果たすべき約定と、取り戻すべき力と、護るべき信念とが待つ道だ。
猶予はない。
川澄舞に立ち止まる暇を赦すほど、それは緩やかな道ではない。
だから舞は振り向かず、声にも出さず、ただ手に提げた抜き身の一刀を天へと掲げた。
燦々と照りつける日輪を受けて、抜けば珠散ると讃えられた白銀の刃が眩く輝く。

光が、射した。
舞の掲げた破魔の刃に反射して煌く陽光である。
真っ直ぐに闇の底を穿ち貫く一筋の光明が、無明の道を射し示すように伸びていた。
真暗き地の底を照らす、それは一瞬の煌き。
交わった道に捧げる、一滴の振る舞い酒。
最早まみえぬ者への、声にならぬ別れの言葉であった。

やがて刀を下げた舞の心中に、柏木楓への未練はない。
その瞳が真っ直ぐに見据えるのは山の麓である。
島の南側、広がる森の緑と水平線まで連なる海原の蒼。
その鮮やかな景色へと、一歩を踏み出す。

踏み出す歩は疾走となり、疾走は瞬く間に疾駆となった。
風と融け合うように、川澄舞が山を駆け下りていく。
遥か目指す先には小さな白い建物、沖木島診療所。
果たすべき約定が、そこに待っていた。


***

 
「どいつもこいつも挨拶無しか……」

座り込んだまま苦笑したのは天沢郁未である。
いたるところが裂け、破れ、返り血と自らの血で真っ赤に染め上げられた制服の切れ端を
難儀そうに摘み上げている。
傍らには幾多の激戦を経てなお刃毀れ一つない薙刀が無造作に突き立てられていた。

「ま、いいけどさ。仲良しクラブじゃあるまいし、……く、痛ッ」

悪態をついたその口から呻きが漏れる。
思わず押さえた脇腹の、その手の隙間から流れるのは鮮血である。
深く裂けた傷口から覗く桃色は腹膜であっただろうか。

「痛ったあ……油断するとすぐこれだ。今、お腹ん中、どうなってんだろ……」
「……不可視の力を緩めれば即死は免れませんよ」
「やっぱり?」

背後で呆れたような溜息をつくのに振り返って、郁未が小さく舌を出す。
流れるような金色の髪を血と泥とで赤黒い斑模様に染めた相方、鹿沼葉子がそこにいた。

「治るのかな、これ」
「不可視の力は無限の力、なのでしょう? 信じてみれば宜しいのでは」
「あ、あれはまあ勢いっていうか、ノリっていうか……恥ずかしいから繰り返さないでよ、もう」

冷たい言葉のすぐ向こう側に、茶化すような響きがある。
それが嬉しくて、郁未は構えない笑みを返していた。
殺戮の果てに得た陽だまりの中、血に汚れて笑っている。
それはひどく罪深く、しかし裁ける者とてない、二人の辿り着いた日常であった。

「……で、回収船の出航は六時、か」
「規定時刻までに所定の座標へ集合のこと、間に合わない場合の帰還は保障しかねる、ですか。
 相も変わらぬ高圧的な物言いですね」
「何か良くなるって期待してた?」
「いえ、別に」

同時に肩をすくめる。

「さて、どうしよっか。どっかお店でも入って時間潰してく?」
「この分では指名手配が解かれているかどうかも怪しいですね」
「うわ無視された」
「本土に着いた途端に逮捕拘禁、というのもつまらない話ですが」
「ノーリアクションはちょっと悲しいな」

軽口を無視するように淡々と続ける相方に、郁未が眉根を寄せる。

「どうしますか、郁未さん」
「どう……って、やっぱりここは―――」

尚も何かを言いかけた郁未が、不意に口を噤む。
問いを放った葉子の眼が、ひどく凪いでいた。
それが相方の、冗談を差し挟むことを許さない真剣な表情であると、天沢郁未は知っていた。
だから郁未は、軽口の代わりに言葉を選び、仮面を選んで口を開く。

「どうするって、何が?」
「確かめたいことが、あるのでしょう」
「……」

急ごしらえの仮面は、一刀の元に断ち割られた。
目を泳がせた郁未が、空を見上げ、右を見て、左を向き、最後に相方が真っ直ぐに見つめるのへ
ようやく視線を合わせて、小さく溜息をついた。

「お見通しか」

当然です、と言わんばかりの相方の表情に苦笑して、郁未が長い髪に指を差し入れる。
ばりばりと乾いた血に固まって、梳く指は通らない。
その心中に浮かぶのは、青と金色の二色に包まれた世界である。

「この島で一番高い場所」

それは、青の世界に迷い込んだ郁未たちが流れ着いた、不可思議な黄金の麦畑。
そこにいた幼い少女の言葉であった。

「全部が終わった後、そこで待ってる。あの子はそう言った」
「……」

僅かな沈黙。

「分かってる。あいつは死んだ。教団はもうない。赤い月も、あのとき消えた」
「しかし私たちには不可視の力が残っている」
「……」

今度は郁未の黙り込む番だった。

「ならばその根源たる赤い月は今もどこかにあり―――」
「……」
「貴女の求めるものも、そこにある」
「違う」
「違いません」
「違うから」

どこか、焦るような声音。

「何も違いませんよ」
「違うってば!」
「貴女はずっと、捜している」
「だから……! 葉子さんは、それでいいの!?」

荒げた声は、激昂と呼ぶには些か懇願の色が強すぎる。
それはどこかしらに甘えを秘めた、最初から解の決まった試験のような問い。
そして鹿沼葉子は生涯、試験と名のつくものを取りこぼしたことのない女であった。
一言、告げる。

「―――私は、自惚れていますか?」

それが、唯一の正解。
翅のように薄く、硝子のように透き通った刃に刺し貫かれて、天沢郁未が絶句する。

「……な、」
「行きますよ、郁未さん」

総毛立つような皮膚と、唐突に転調して変拍子を刻み始める鼓動と、腕と、足と、
腹の底と胸の奥と耳たぶと頬とが無闇に加熱される感覚と、その全部を無視して
目の前の静かな笑顔を抱きしめてしまいたくなる混乱と。

「は、」

そういうものが吐息と共に漏れ出すのが、分かる。
分かって余計に嬉しくて、恥ずかしくて、身悶えするような熱だけがこみ上げてくる。
叶わない、と思う。
叶わないな畜生、と思って、思いは笑顔になって、だから、

「ありがと」

それだけを、言葉にした。


***

 
「―――この島で一番高い場所、か」

呟く。
そのしわがれた声の力の無さに苦笑して、水瀬名雪はどろりと息を吐く。

「行かねばならない。水瀬の知らない世界があるというのなら」

自らに言い聞かせるように、錆び付いた関節に油を差すように、名雪の声が漏れている。
この島での戦いが終わった以上、既に猶予は残されていない。
それが、水瀬名雪の無限に近い生が告げる経験則だった。

「次の世が始まる前に。今生が終わる前に。私は、水瀬は、刻まねばならない」

ぎしぎしと、軋む。
軋んで嫌な音を立てながら、それでも水瀬名雪は動いている。

「今、この島で一番高い場所は―――」

がりがりと、ばきばきと音を立てるように振り向いた、その視線は遥か遠くを見つめている。
沖木島南東端。
夜明けまで、灯台が立っていたはずの場所。
そこには今や、天を貫かんばかりに延びる何かが建っている。
渦を巻く、黒い巨塔。
これまで見向きもされなかった、神塚山をすら凌ぐ高さの建造物。
須弥山というその名を知る者は、誰もいない。



******

 
 
「くそ……診療所とやらはまだ遠いのか……」

搾り出すように呟いた男が、口元に流れ込む雫の塩味に顔を顰める。
だらだらと、汗が流れていた。
べったりと張り付いたTシャツと湯気のように沸き上がる臭いが、その激しい運動量を如実に顕している。

「さすがに……無理が、あるだろ……」

高い上背で一見すると細身の印象を受ける全身の筋肉がフル回転している。
広い背に負うのは、二つの影。幼子ではない。
男が背負う二人は既にそれなりの成長を遂げた少年少女である。
合わせれば百キロには届くだろうか。
それを背の半分づつ、片腕づつに乗せて器用に背負う男の体力は尋常ではない。
しかし男の表情に浮かぶ苦悶と荒い呼吸からは、流石に限界が近づいているのが見て取れた。

「ん……」

軽く身を捩った少女の肢体が、密着した男にその柔らかさを伝える。
しかし男はただその度に少女を背負い直す煩わしさに苛立ちを覚えるのみだった。

「ん、んう……」

耳元で響く艶かしい呼吸にも、男が何某かの喜びを見せることはない。
否、ある種の安堵が広がっていく。

「よし、目を覚ましたなら自分で歩け……」
「んん……」
「おい」
「あた、しは……」
「おい、聞いてるのか……!?」

少女が何かを呟いている。
しかし男の言葉に反応を返すことはない。

「あたしは……書くよ……」
「寝言かよ……!」

男が思わず天を仰ぎ、姿勢を崩しそうになって慌てて二人を背負い直す。

「いつか……この島のこと……、書いて……みんなに、伝えるんだ、から……」
「そうかよ、頑張れよ!」

半ば自棄気味に吐き捨てた、男の足取りは重い。
一歩、また一歩と森の小路を消化していく国崎往人の苦難は、まだ当分終わりそうになかった。


 
 
【時間:2日目 正午過ぎ】
【場所:F−5 神塚山山頂】


来栖川綾香
 【所持品:なし】
 【状態:仙命樹、ラーニング(エルクゥ、魔弾の射手)】

坂神蝉丸
 【所持品:刀(銘・鳳凰)】
 【状態:重体(全身熱傷、他)】

光岡悟
 【所持品:刀(銘・麟)】
 【状態:健康】

柏木楓
 【所持品:なし】
 【状態:エルクゥ、重傷治癒中(全身打撲、複雑骨折多数、出血多量、左目失明)】

川澄舞
 【所持品:村雨、鬼の手、白虎の毛皮、魔犬の尾、ヘタレの尻子玉】
 【状態:白髪、ムティカパ、エルクゥ、軽傷治癒中】

天沢郁未
 【所持品:薙刀】
 【状態:重傷・不可視の力】

鹿沼葉子
 【所持品:鉈】
 【状態:健康・光学戰試挑躰・不可視の力】

水瀬名雪
 【所持品:くろいあくま】
 【状態:過去優勝者】


【場所:I−5 林道】

国崎往人
 【所持品:人形、ラーメンセット(レトルト)】
 【状態:健康・法力喪失】

長岡志保
 【所持品:なし】
 【状態:意識不明】

春原陽平
 【所持品:不明】
 【状態:妊娠・意識不明】
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