蓄積されてきた年数の推測が容易くできるであろう立て付けの悪い扉が、勢いよく開かれる。 誰もがそこに、注目していた。 バグナグを装着した霧島聖の瞳は、鋭い。 隣に位置する一ノ瀬ことみの片手も、ポケットの中に忍ばせてある十徳ナイフに伸びている。 一番奥、ベッドに腰掛けた状態の相沢祐一の視野には、二人寄りそうようにしている北川真希と遠野美凪の背中だけしか入っていない。 彼の位置からは、扉の様子は見えないようだった。 現れた来訪者は一通り周囲を見回すと、自分に敵意がないことを伝えるかのように空の両手を徐に上げる。 刺すような視線を送る面子に対し、潔い態度を取ることで警戒を解こうとする来訪者の表情は、あくまでも冷静だった。 しかし、疑いを持ったままの彼女らの心は硬く、自ら体勢を崩そうとする者は一人もいない。 走る緊張感。 来訪者がどのような人物であるか確認しようと、ちょっとした衣擦れの音を立てながら祐一は腰掛けていたベッドから降りようとする。 どうやら来訪者も奥にいた祐一の存在には気づいていなかったようで、上がった物音の方向へと勢いよく振り返り、その様子を凝視した。 気配が自分の方へと向かってきたことで、祐一はさらに気を張り詰める。 「相沢君?」 一点を見つめたまま口を開いたの言葉、紡がれた祐一の呼称に今度は全員の瞳が祐一へと集中する。 真希と美凪が体を動かしたことで出来た隙間、二人の間から現した来訪者の姿に祐一も目を丸くした。 スラっと伸びた高身長、インパクトのあるグラマラスな体は一度見たら忘れられないインパクトを他者に与えるだろう。 来訪者は、長い髪を揺らしながら祐一の元へ近づいていく。 その圧倒的な迫力に威圧されたのか、誰も彼女の行く道を防ごうとはしなかった。 「……向、坂?」 「君一人? 柊君は?」 オーディエンスの存在に気をかけることもなく、彼女、向坂環はじっと祐一だけを見据えている。 言葉も、祐一にのみ向けられたものだった。 祐一と環が顔見知りの仲というのを察知したらしい周囲の者は、静かに二人の会話へと耳を傾ける。 「放送、聞いたわよ。びっくりしたわ……ねえ、一体何があったの?」 「放、送?」 「さっき流れたでしょ、第二回目の放送よ。……まさか、こんなことになってるなんて思わなかった。 休ませてもらえたことには感謝するけど、こんなことなら私もついてくれば良かったわ」 「ちょっと待て、どういうことだ?! 俺、さっきまでで寝てて……っていうか、今って何時なんだ?!!」 声を荒げた祐一だが、安易に口にしたその台詞で、彼は圧倒的な威圧を受けることになる。 祐一の発言にただでさえ切れ長だった環の目は、さらに鋭くなって彼を射抜こうとしていた。 環の視線で刺し殺してきそうな勢いに喉がつまり、祐一は呼吸すらも止められたかのように固まるしかなくなる。 祐一を心配する姉御肌の色を潜めると、環は怒気を孕んだ重い声色で彼に対し言葉を放った。 「はぁ? 寝ていた?」 びくっと。祐一の肩が、大きく震える。 その戸惑いの様子も何もかもが、今や環の感情を逆撫でしていることに祐一は気づいていない。 そもそも、祐一たちが学校に向かった旨を環が知ったのは、朝になってからだった。 熟睡することができ、ある程度の疲れが取れた環を出迎えたのは、春原芽衣と緒方英二の二人である。 緒方から状況を聞き、自分が休んでいた時に起きた事に何も関わることができなかった環の心には、ただただ後悔だけが残った。 それが仲間達の優しさだとしても、環の胸に存在する自責の念が晴れることはない。 それで失われた命があったと言うなら、尚更だ。 視線を漂わせ焦りを表に出す祐一を冷たく見下ろす環、そんな二人の間に一人の女性が割り込んでくる。 軽く祐一の肩に手を乗せ環と対峙するような位置を取ったのは、この中でも最年長である聖だった。 「まぁ、待ちたまえ。この少年は怪我を負い、ずっと気を失っていたのだ。 目が覚めたのもつい先程で、放送を聞き逃していたとしても仕方はない」 環の持つ誤解を解くべく、聖は祐一の代わりの弁解を口にする。 それは紛れもない事実であった。環も、そこを疑うつもりはないのだろう。 一つ大きく息を吐き、環は怒りを放散する。 「紛らわしい言い方は、止めて欲しいわ。そういう事情なら、仕方ないじゃない」 「悪い、向坂……」 気を落としている祐一から視線を外し、ここでやっと環は自分達を取り囲むようにしている少女達を見渡した。 環にとっては初対面となる女性ばかりが、そこには集まっている。 敵意は感じられない。 うち一人、少しの間だがともに時間を過ごした相手と同じ制服を纏った少女が目に入り、環は悲しげに瞼を下げた。 「なぁ。放送、何かあったのか?」 押し黙った環の様子を窺うように、祐一が恐る恐ると声をかける。 彼は彼で、把握できていない状況に対する不安が強いのだろう。 ……隠しても、意味はない。 環は、苦い気持ちを噛みしめながら祐一の目を強く見据えると、しっかりとした口調で彼に現実を突きつけた。 「その様子だと、本当に何も知らないみたいね。……藤林さんと神尾さん、亡くなったわよ」 「は?」 「消防署を出て行ったあなた達四人のうち、二人の人間が死んだのよ。 生き残ったのはあなたと柊君のみ。それも名前が呼ばれなかったってだけで、柊君の安全だって分からないわ」 祐一の思考回路が、止まる。 祐一が知らない間に流れた時間は、想像以上に長かったということである。 自然と握りんでいた拳を振るわせる祐一を見下ろす環の眼差しは、あくまで冷ややかだった。 責める訳でもなく、同情するでもなく。 痛ましい事実を自分がどう受け止めているのか、それを祐一達周りの人間に見えないよう取り繕う環の姿は、表面上だとあくまで冷静なもので落ち着いているとしか思えないものであろう。 環に自覚はないが、この温度が祐一の胸に罪悪感を強く植えつけていた。 「何だよ、それ……」 祐一の声は、カラカラに乾いてしまっている。 激しくなった彼の動機は、収まる気配を全く見せない。 これはタイミングが悪かった。祐一が意識を取り戻し、まだ一時間も経ってないのである。 精神的にもやっと落ち着き、祐一がおぼろげになってしまっている昨夜の出来事を思い出そうとしたのも、つい先程、数分前だ。 その時点で祐一は、途切れてしまっている自身の記憶に軽い混乱を見せていた。 今環にこのような事実を突きつけられ、その内容を上手く噛み砕くことができない祐一の頭の中は、さらに訳が分からないことになっているだろう。 肩を落とし、ぺたんとベッドに再び腰を落とした祐一は、地面を暗い面持ちで見つめている。 広がった沈黙。誰もが二人にかける言葉を失っていたその時、今まで無言を貫いていた一人の少女が小さくそっと口を開く。 「……また、誰か来るの」 ゆっくりと視線を扉の向こうに走らせながら、静かに呟いたのはことみだった。 彼女の言葉で祐一以外の他のメンバーも、耳をすませば確かに捉えることができるそのリズムに気づく。 コツコツと鳴る床が表すのは、人の足音に間違いないだろう。 環が入ってきた扉は、開けっ放しの状態である。 今更閉めには戻れない。 扉に一番近かった真希と美凪が、じりじりと後ろに下がっていく。 ぎゅっと美凪の手を握りながらも、真希は睨み付けるように扉の向こうの様子を集中して窺っていた。 コツ、と。 最後に比較的大きな一音を鳴らした所で、靴音が止む。 バグナグを装着し直した聖に、十徳ナイフを取り出したことみ。 寄り添う真希と美凪など、まるで環がこの保健室に現れた時の光景を再現しているかのようである。 ただ一人、自身への惑いで余裕がなくなってしまった祐一だけ、この世界から隔離された場所で過去に思いを馳せるのだった。 【時間:2日目午前7時40分】 【場所:D−6・鎌石小中学校・一階・保健室】 相沢祐一 【所持品:S&W M19(銃弾数4/6)・支給品一式(食料少し消費)】 【状態:鎌石中学校制服着用(リトルバスターズの男子制服風)、腹部刺し傷あり(治療済み)】 【備考:呆然・勝平から繰り返された世界の話を聞いている】 向坂環 【所持品:コルトガバメント(残弾数:20)・支給品一式(食料少し消費)】 【状態:扉に注目】 一ノ瀬ことみ 【持ち物:主催側のデータから得た印付の地図、毒針、吹き矢、高圧電流などを兼ね備えた暗殺用十徳ナイフ、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯、お米券×1】 【状態:聖に注目】 霧島聖 【持ち物:ベアークロー、支給品一式、治療用の道具一式、乾パン、カロリーメイト数個】 【状態:扉に注目】 広瀬真希 【持ち物:消防斧、防弾性割烹着&頭巾、スリッパ、水・食料、支給品一式、携帯電話、お米券×2 和の食材セット4/10】 【状況:扉に注目】 遠野美凪 【持ち物:消防署の包丁、防弾性割烹着&頭巾 水・食料、支給品一式(様々な書き込みのある地図入り)、特性バターロール×3 お米券数十枚 玉ねぎハンバーグ】 【状況:扉に注目】 - BACK